07/09/09 01:19:02 JlCc5Ijn
>>317
福山競馬創世記と言うと昭和20年代だよね。
さすがにその頃の予想紙はキツイのでは。
古い記録...出走表なら大昔のが地全協にあるらしい。
全スレで昭和41年第1回農林大臣の出走表がUPされていましたから。
血統に興味があるなら出走表にも載っていますから、そちらの線と言う事になるでしょうね。
予想紙で言うと191で書いた以外で覚えてる範囲で.....
馬柱に馬体重、レースの位置取り、これらは記載が無かった。
成績は全4走位まで、勝ちタイムは載ってたが勝馬名は載ってなかったと思う。
レースの位置取り..3-2-2-1 とかの代わりに、楽に逃げ切るとか後方直一気とか書いてあった。
それはそれで風情があって良かったですがね。
まぁ今見ると、えらいスカスカだなぁと思えるシロモノ。
たぶん転機はエースの発売。
位置取り以外はほぼ今の形式だったかな。
特報やキンキに比べて何だかゴチャゴチャ書いてるなぁって印象持ちましたから。
で、その後エースのようになっていく。
シュナイダエースの桜を持ってるとは、それだけでも恐るべしですね。
シュナイダエースとサワトヨキングで、小嶺騎手は一流への階段を駆け上ったかな。
それまでの福山の顔といえば藤尾、宮岡。
別格の御大で藤井、弓削。
個性派?の番園、アキラ、テツ、吉井、神原と言ったところが脇を固め、那俄性あたりが若い衆で売り出してた。
もっともアキラなんかはちゃっかりリーディング取ったりしてましたけどね(笑)
シュナイダと言えば敗れた金杯が印象深い。
勝ったのはマグニカチドキ。
4歳7月の時点で、その強烈なスプリントでもって古馬をまとめて完封しちゃうんだもの。
4歳馬による金杯初制覇の偉業でしたね。
古い新聞があれば俺も見てみたい。
記憶違いや忘れてる事などが思い出されるだろうなぁ。