鉄道の歴史at TRAIN
鉄道の歴史 - 暇つぶし2ch98:鈴木
07/08/06 23:51:33 lN2HtyyG0
ブレーキマンは列車乗務員では最低の地位ですが、
米国の建国教育として、
1鉄道発展が国家を作った
2口先だけの理論家は不要であり、必要なのは勇気と闘魂

があったのに1900年代に至ると
1鉄道経営者は会計帳簿のおかげで使い切れない程の富を蓄積出来る
2ブレーキマンは自己努力が足りないから軽業師に甘んじなければならない
の落差が出き、
ブレーキマンの姿に開拓時代の精神を見て多少の畏敬を持ったのではないでしょうか。
(終わります)

99:名無しでGO!
07/08/06 23:52:22 LyPmT8Wl0
都合の悪いことを指摘する人間の罵倒の歴史

100:鈴木
07/08/07 12:17:20 5qqqFsNa0
罵倒の歴史を書くもヨシ
罵倒の歴史を、罵倒する歴史を書くもヨシ
ゴマスリの歴史を書くもヨシ
です。

罵倒の理由、ゴマスリの理由を、
第三者に言葉で丁寧に付帯説明してるなら、歴史記述の体裁が成り立ちます。

101:名無しでGO!
07/08/07 23:58:40 UzCiJ1ng0
>>88-89
元国鉄技研の伊藤氏のサイトにも>>89と同様の事が記されていました。
ゲージの数字については、更に下記のように記されています。

URLリンク(www.alles.or.jp)
>このときに決めるべき標準としては、前記の道路の両側の縁の間隔であって、その路面を通過しようとする馬車は、この基準に適合するような車輪の外側の巾を標準化して、その当時の道路管理者が決定し、馬車を造る人々はその基準に従って車輪を造るようになったと思われる。
この標準となる長さが恐らく5フィートであったのではないかと思う。
この長さは当時の馬車は二人がけで車輪の巾として適当な長さであり、5というのはいい数字であったと思われる。


102:鈴木
07/08/08 00:58:34 mTiGzte+0
フィートとは人間の歩幅から来たものでしょうから、
「5フィート」とは概ね5歩の距離と言う程度の寸法と思います。
現在は1フィート=1英フィート=304.8 mmが確率されてますが、
昔はローカルフィート(歴史的フィート)があったようです。
URLリンク(sunsite.utk.edu)
↑ローカルフィート表

URLリンク(www.canit.se)
↑によればスエーデンの891 mmゲージは
「3 Swedish foot.」だそうで、これは最初に挙げたローカルフィート表とも一致します。

103:鈴木
07/08/10 00:45:35 fHwcvkqx0
URLリンク(depris.cephes.free.fr)
URLリンク(depris.cephes.free.fr)
Thomas Russel Crampton氏(1816年~1888年)の機関車。
流行らない形態だ。
大動輪で重心を低くするために、動輪軸を火室の後ろに置いた。

いかにもスリップしそうな機関車だが、本に拠れば当時は客車が軽かったのでこれでよかったそうです。
特許は1843年だが、それより10年前にBaldwinはこの形の機関車を作ってるそうだ。
当時高速機関車は重心を低くしなければいけない、という事が重視されていた。
火室が邪魔してるので、気筒は外側。
クランプトンは英国人だが、この形を一番採用したのはフランスで次はドイツらしい。

クランプトンの業績はこれだけかと思ったら、
他に早くからバランス式機関車を作っていた。
土木工事が得意で、英国や小アジアで鉄道建設したりトンネル掘り。
英仏間の海底電信ケーブルを敷設(世界最初の2国間海底ケーブル)

104:鈴木
07/08/11 21:36:55 KSsVutKI0
米国大陸横断鉄道開通
1869年、Central Pacific & Union Pacific (中部)
1883年、Northern Pacific (北部)
1884年、Southern Pacific (南部、ニューオルリンズから太平洋岸)
これらによって米国のトレール(街道交通)は下火になった。

URLリンク(cprr.org)
Central Pacific 建設の頃は支那人建設労働者が大きく係わっていたが、その後支那人排斥が起こり
Northern Pacific 建設の頃は日本人建設労働者が大きく係わっていた。

105:鈴木
07/08/16 19:06:22 12WnJAWx0
3気筒合成弁機関車の歴史。 (クソ暑いが)
合成弁の発明はDavid Joy氏(ジョイ弁の発明で有名)の舶用エンジンと言われてる。

1909年にグレートウエスタン鉄道のHolcroft氏が3気筒合成弁の特許。(ただし製造してない)
第一次大戦中グレートノーザン鉄道のGreslay氏は、英国最初の合成弁式3気筒機関車(2-8-0)を作った
この原理は後の所謂グレスレー式と同じだが、気筒の前方でなく後方にテコ類を設置してある。
後のGreslay氏3気筒は気筒前方にテコ類を設置した。
英国では他にサザン鉄道のMounsell氏が1923年に2-6-0を作ってる。この機関車は中央弁の動きを
左右の弁棒からでなく、左右のラジアスロッドから採取する特異な外観である。

ドイツは第一次大戦中に3気筒合成弁機関車を量産した。
しかし敗戦直後にドイツは3気筒合成弁に見切りをつけ3気筒独立弁に方針変更していた。
敗戦のおり、一部の合成弁機をフランスが接収した。この機関車はフランスで好評だったので、
フランスはドイツが見捨てた合成弁機を追加生産した。(ただしこの機関車の写真は未見です)
(続きます)

106:鈴木
07/08/16 19:07:16 12WnJAWx0
米国のAlco社は、1910年頃独自の合成弁特許を持っていたが結局グレスレー機関車を製造した。
満鉄がAlcoから買ったのはAlco社として初期の合成弁機の物と思う。
AlcoはUPの4-12-2、1930年最終生産をもってグレスレーから手を引いた。
ライバルのBaldwin社は3気筒は独立弁しか作らなかった。
Alcoのグレスレー機は日本を含むアジアなどにもかなり輸出されている。

JNRは3気筒蒸気機関車製造の際、独立弁を却下して合成弁を選んだ。
仮にドイツ式を選択した場合、独立弁採用になったと思います。
(終わります)

107:名無しでGO!
07/08/17 03:58:56 YUfu+N0g0
>一部の合成弁機をフランスが接収した。

鉄道会社、形式等教えていただけますか?

>JNRは3気筒蒸気機関車製造の際、独立弁を却下して合成弁を選んだ。

これは狭軌とは関係ありませんか?
狭軌の独立弁の実例はあるのでしょうか。

108:鈴木
07/08/17 22:17:10 LBVniWWG0
すみませんが、第一次大戦でフランスがドイツからせしめた3気筒合成弁機は、今ソース紛失でこれ以上解りません。
なお前回書き込みと異なる話ですが、
ドイツのKrupp社は1926年頃、2-10-0、3気筒合成弁機を作ってます。この機関車が量産に至ったか?は知りません。
クランクは3気筒とも第3動輪、合成弁のテコは第1動輪と第2動輪の間。

狭軌3気筒の独立弁機は、
Baldwinが、タイ(1000mm)、フィリピン(1067mm)、ブラジル(1000)
Hanomagが、タイ
Berliner Machinenfabricが、コロンビア(915mm)(英人Dewhurst設計)
向けに製造例があります。

109:名無しでGO!
07/08/19 21:14:06 1roJuBzs0
>>108
狭軌3気筒独立弁機、追加。
米国Pennsylvania Coal Co. 、1296mmゲージ、0-4-0、1880年。

110:鈴木
07/08/20 20:25:41 yKPnVEsP0
1851年、英国の博覧会の機関車は、総てコークス焚き
1862年、英国の博覧会の機関車は、ほとんど石炭焚きに変わった

111:名無しでGO!
07/08/20 20:59:47 LJ3a3p+B0
確立変動突入!

112:鈴木
07/08/23 02:25:55 Ws8Rogx+0
未だにモヤモヤして解らないのは"無煙炭(anthracite coal)"です。
19世紀の米国東部では普通の石炭が少なく、多くは無煙炭だった。
それらは、機関車には不向きで、家庭のストーブ以外に利用価値がなく、タダに近かった。
無煙炭は火力は強いが火付きが悪く、機関車のように火力を小まめに調整するような用途には使えなかった。
火床面積を極端に広げ、火床の石炭厚さを薄くすれば良いのだが、
当時の技術で火床面積を広げるのは困難だった。

最初の挑戦がB&O鉄道のロス・ワイナンスで狭火室を後方へ細長く延長して実現した。
URLリンク(www.catskillarchive.com)
(↑火室最前部の投炭は真上のパイプから落とし込みます)
次がReading鉄道のWooten氏による横幅の広い、ウーテン火室。
URLリンク(www.sdrm.org)
以上に依って米国のそれまでの薪焚き機関車は一掃されたはずです。

しかし、ソース忘れだが、米国東部の無煙炭は1930年頃には掘り尽してた気がします。
なのに1930年頃の米国機はこの問題を気にしてないみたいで、ただ火床拡張の一方です。
1930年頃はもう無煙炭も普通の石炭も関係なくなったのでしょうか?

113:名無しでGO!
07/08/25 14:23:58 XImGw8lq0
>>108
調べてみましたが、たぶんプロイセン邦有鉄道のG 12型(2-10-0、ドイツ国鉄では58型)ですね。
URLリンク(elsassbahn.free.fr)

フランスのEst鉄道ではこれと同型のザクセン邦有鉄道XIII H型をベースに、
195両を製造してます。(SNCFでは150E型)

114:鈴木
07/08/25 20:00:57 j0cpqB220
>>113
URLリンク(www.dlok.de)
↑に説明文があるが、ドイツ語読めませんでした。

ご教示を頼りに調べたところ、下記の記述がありました。
"La Locomotive a Vapeur"P424(シャプロン氏)に一致する説明がありました。
1915年、Henchel製、プロシャ向け、2-10-0、3気筒合成弁、(G12-1形)
1917年、Hartman製、ザクセン向け、2-10-0、3気筒合成弁、(G12形)
1919年、フランス、Est鉄道、ザクセン機を賠償でゲット(150E形)
1925年~1930年、Est鉄道、195両を追加生産。
1926年、ドイツ国鉄、2-10-0、3気筒独立弁、(44形?)
ありがとうございました。

115:鈴木
07/08/25 23:41:43 AhTdDCAh0
URLリンク(mc.locomotives.free.fr)
↑の機関車は賠償機関車とも、追加製造機関車とも書いてません。
しかしフランスの3気筒に間違いはなく、
そして合成弁じゃないかと思います。

URLリンク(www.voielibre.ch)
↑はスイス製かフランス製か不明だが、
心向棒(ラジアスロッド)にほぼ平行なロッドが合成弁駆動用と思います。







116:名無しでGO!
07/08/27 07:17:51 AWVVYCH80
>>89、101
チャリオットの幅は車軸の強度で決まったという説があります。
そこで車軸の強度を高めて3人乗りにした馬車を作った国が優位に立ったそうです。
↓参考にはならないかもしれませんが。
スレリンク(whis板)

117:鈴木
07/08/27 22:51:43 B5K9LlGV0
戦闘専門道具としての1軸馬車は
実際どの程度実用的戦闘能力があったのでしょうか。
整地してない原っぱのような場所で、
馬単体は20~30km/hで駆けられるのでしょうが、
引かれる1軸馬車はバネが無いと、50cm以上飛び跳ねると思います。
そうすると車輪なんかすぐ壊れる気がするのですが。
でも古代の絵には確かに多くの1軸馬車がありますね。

118:鈴木
07/08/28 23:16:02 yq/ZRvhw0
米国鉄道の初期ゲージは
Robert Stephenson社の影響が強かった会社は4ft. 8.5in.だったが、
米国製造の機関車を使った鉄道はマチマチだったと言われる
URLリンク(www.americaslibrary.gov)
↑トムサム号は4ft. 6in.〔1372mm〕(東京ゲージ?)
URLリンク(www.catskillarchive.com)
↑サンダスキー号は4ft. 10in.〔1474mm〕。(オハイオ州標準ゲージ)
URLリンク(www.nrhs.com)
↑Erie鉄道は6ft.〔1830mm〕

Delaware & Hudson 鉄道は6ft.〔1830mm〕と4ft. 3in.〔1296mm〕
Mohawk & Hudson 鉄道(NYCの祖先?)は4ft. 9in.〔1449mm〕
Camden & Amboy 鉄道は4ft. 9.75in.〔1468mm〕
Baltimore & Susquehanna 鉄道は4ft. 9.25in.〔1455mm〕
Pennsylvania 鉄道は19世紀末の図面では、4ft. 9in.〔1449mm〕

南部は5ft.〔1525mm〕も多かった


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch