鉄道の歴史at TRAIN
鉄道の歴史 - 暇つぶし2ch2:鈴木
07/07/01 21:18:19 SdQI06Lb0
訂正、
1846年、英国、標準ゲージ1435mmを法律制定
(Railway Regulation Gauge Act)

3:名無しでGO!
07/07/01 21:45:16 zrFzehUD0
>>2
過去と言われましても、どの程度までさかのぼれば良いのか・・・

4:鈴木
07/07/01 23:41:32 5RchYPfU0
私は戦前より昔が好みですが、
昨日以前は全部過去と思ってます。

5:鈴木
07/07/02 10:24:35 a4aDm8c30
URLリンク(collections.mnhs.org)
原木を運び出す列車

6:名無しでGO!
07/07/02 11:36:22 Pg7KRzm20
>5
機関車も写ってないし、これと言って目を惹くような写真でもないと思いますが。

7:名無しでGO!
07/07/02 11:43:26 P0VcQ2zqO

JR西日本の新快速 = ウンコ電車

これは厳然たる事実。



8:名無しでGO!
07/07/02 14:14:19 bI3iQO9Z0
防衛大臣は廣電の被災車両にも謝罪すべきと思いますがなにか?

9:鈴木
07/07/02 15:49:14 8AbrVN1s0
我が国で戦争被災車両の再生運用に最も熱心だったのは西武鉄道じゃなかろうか。

1970年頃までは西武の利用客に、二流の烙印を押された。
別の理由もあるが。

10:名無しでGO!
07/07/02 16:05:02 CIm8ocrW0
>別の理由もあるが。
>>7の系統の話ですよねw

11:鈴木
07/07/02 16:27:59 00TBPxba0
>7= ウンコ電車、に対応する知識は無いからお任せします。

>9 西武が戦後20年間バカにされた別の理由は私見では以下です。
1、他社は1950年代に新車投入を始めたのに焼け電再生に熱心だった
2、破産しそうな鉄道を買いたたいて規模を大きくした会社だったから
3、武蔵野鉄道が電気代支払いが遅れ電力会社にイジワルされて電車が徐行し、都民の失笑
4、経営者が戦後皇室に接近を計ったのを、不敬と見る人がいた
5、通勤私鉄で、最も糞尿輸送をしたから

勿論現在の西武鉄道はそれらをすべて払拭してます。

12:名無しでGO!
07/07/02 19:35:26 r3Af87J30
>>9
食糧増産は焼け糞だったんですよ。

13:鈴木
07/07/02 19:47:34 4X7+3Yo/0
>>12
お見事です。

14:名無しでGO!
07/07/02 19:49:17 8k6qegjVO
鈴木って池沼?

15:名無しでGO!
07/07/02 20:01:36 AuJKaZmJ0
かつて東海道新幹線には車体傾斜電車が走ってなかったらしい。

16:名無しでGO!
07/07/02 20:11:18 DFAGMH520
>>13の切り返しを見る限り池沼ではない。

17:鈴木
07/07/02 21:33:55 V/iUP+u10
史上初の振り子車を調べたが、
「Pendulum」で検索してもいいのが出なかった。
本に依れば、1937年~1941年頃、米国のサンタフェ鉄道が2両の流線型振り子客車を試作してます。
ノースロップ飛行機会社が協力。

しかし、もつと古い例があるかも知れません。

18:名無しでGO!
07/07/02 21:35:42 A5yOpTU90
日本で始めて鉄道が走ったのは長崎です。

19:鈴木
07/07/02 21:51:54 V/iUP+u10
>>18
URLリンク(www.answers.com)
↑例のこの人ですね。張本人は。
「1865 for bringing the first steam railway locomotive」と書いてあります。
三菱造船長崎や、キリンビールの元祖?

20:鈴木
07/07/04 10:54:41 43OIyVrB0
URLリンク(agch.cside.ne.jp)
↑北海道の茅沼炭鉱に幕末に敷設された、線路が記述されてます。
ストリップレールとか言う物と思われます。
機関車は幕末時点では使われていなかったと思います。

21:鈴木
07/07/04 11:24:15 kCA63LnY0
>>20
URLリンク(ambitious.lib.hokudai.ac.jp)
↑茅沼炭鉱

22:名無しでGO!
07/07/04 19:47:44 lD9nsiEl0
池沼炭鉱?

23:鈴木
07/07/05 15:58:47 qi3RlP0t0
>>20
それで池沼じゃなかった茅沼炭鉱を「ストリップレール」と書いたのは間違いで。
「ストラップレール」「strap rail」が正しいです。

URLリンク(www.rochellerailroadpark.org)
URLリンク(www.rochellerailroadpark.org)
上は再現品と思われるがこんな感じ

24:名無しでGO!
07/07/05 19:46:38 SB9xBM2q0
振り子ですけどそのサンタフェのが一番古い例だと私も思いますね。

高速が目的だった初期のモノレールはカーブで車体をバンクさせていたと思いますが、
上手く行かなかったとはいえ元からそういうシステムであり特別な車両とは言い難い。





25:鈴木
07/07/05 20:46:34 qrteewE00
>>24
URLリンク(en.wikipedia.org)
↑これなんかも、振り子なのかも知れませんね

26:鈴木
07/07/06 15:43:15 Vtqj9YAk0
私の子供の頃は複数の絵本に
URLリンク(hometown.aol.com)
この西ドイツのモノレールの傾斜した車体の走行風景の絵があって憧れたんだが。
今インターネットで見ると、模型のようだ。

その後羽田にモノレールが出来る時は、あの強烈傾斜走行するのかと、思ったら、
普通の電車より遅く、トコトコ走るのでがっかりした記憶があります。
気の抜けたアルベーグでした。
ガキだから、絵本見て想像膨らまし過ぎたらしい。


27:名無しでGO!
07/07/07 18:24:35 w07pyIQ10
>26
傾斜した写真観て噴き掛けましたよマジで。
とても羽田に行く電車と同じシステムには思えない光景ですね。

スピード感ならサフェージュ式な湘南モノの方が魅力的と思います。振り子感もたっぷり。

フランスで振り子で思いだしましたけど、SNCFの最初の振り子試作車も凄い車でしたよね。
(卵形の断面。客室は台車間のみ。台車は異様にホイールベースが短い)
交友社の「写真で楽しむ世界の鉄道1」で初めてみたとき、なにかトラウマになりかけました。

28:鈴木
07/07/07 21:03:22 5YeQZnT/0
>SNCFの最初の振り子試作車も凄い

これは知りませんですが、面白そうです。

29:名無しでGO!
07/07/08 18:10:32 oCenxIzs0
コテハンをはずせ、他人に認められたいならば、まずはそれからだ。

30:名無しでGO!
07/07/09 03:10:37 ZcXDH9dx0
>>14,29
鈴木氏は他のスレでもよく見ますが、同一人物かどうかわかりませんが、
ゲージ名称のスレ等、周りが感情的になっているスレでも客観的な史料に基づく
冷静な見解を記述されていると思います。

31:名無しでGO!
07/07/09 08:06:15 lurGCqpM0
>29
鉄板はコテハンが居やすい雰囲気合ったんだけどねぇ。なんで叩くかな?

32:名無しでGO!
07/07/09 11:19:42 i4YAWmYu0
つーか、>>9>>11なんかを見る限りでは、
同じ「鈴木」を名乗ってレスを重ねるお遊びかと思ってたんだが…

違ったの?w

33:鈴木
07/07/09 21:47:03 c+0PXk2W0
以前提示したセントラルパシフィック鉄道のページ
URLリンク(cprr.org)
の中に、Southern Pacific鉄道の宣伝映画、2本がありました。
URLリンク(www.archive.org)
URLリンク(www.archive.org)
↑です。1940年代と注釈があります。

宣伝なのでナレーションがうるさいのが難ですが、
その分カメラ位置は理想の場所を確保してます。
赤と黄色の長編成特急列車が美しい。

34:鈴木
07/07/10 10:29:04 nvbxELC/0
URLリンク(www.ratrust.org)
イラクのマッカーサー機関車。
第2次大戦中米軍が大量生産した狭軌の2-8-2。
日本占領向け1067mmゲージ版1000両がフィリピンに待機していたらしい。
日本本土上陸作戦は行われず、余った機関車は後進国援助や豪州等にバラまかれた。

これが日本に上陸していれば、島技師長の機関車との優劣比較が出来て面白かったはずなのだが残念な一品。
(Alco 71039/1943)と書いてあるのはAlco社の製造番号71039の意味か?

35:名無しでGO!
07/07/11 00:57:10 qltUhsM00
>>34
洒落のつもりですか?帝の国にmikadoを連れて来ようとするとは。

36:鈴木
07/07/11 12:30:26 vWxzDSyj0
>>35
2-8-2は米国で非常に台数が多かった(米国累計10000台)んですが、
2-8-2車軸配置限定で一番量産された形式は何か?とか興味出ます。
マッカーサー型(米国製狭軌)、1000台
141R(米国製フランス向け)、1000台
D51(JNR)、1000台
ミカイ(満鉄)、1000台
ですが、探せばもっと出そうです。

37:名無しでGO!
07/07/11 13:29:18 o0F9whKp0
>>36
各台数は丸められた数字でしょうか?丸め方が大雑把過ぎるのでは。

ちょっとググってみるとこんな数字が出てきました。
米国累計 11,053両
141R   1,340両
D51    1,115両


38:鈴木
07/07/11 15:20:32 HbJWXUGS0
>>37
正確な台数の特定はするに越した事はないのですが、確定が面倒なので、大雑把に書きました。

1、Model Railroader, Cyclopedia-Volume1
「米国の線路を走った2-8-2は10,000台以上」を元にしました。
「in all, about 10,000 for use on lines in the U.S.」
この書きかたからすると、
①米国製全機関車を数える時は外国向けの、
141R,1000台、マッカーサー,1000台、その他形式??台が加算しなければならない。
②米国で「ミカド」と言った場合、2-8-2タンク機関車が除外される場合があるが、タンクも含んだ話としてるのか不明。
と言うわけで10,000台と書きました。

2、「141R 1,000両」は手抜きで記憶により正確な数を調べなかったです。
(続く)

39:鈴木
07/07/11 15:21:53 HbJWXUGS0
3、
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ではD51は
「1936年から1945年までの間に1,115両」と書いてあるが、
ソ連(樺太)向け1949年製、30両はD51と見做すのか?
URLリンク(www.khi.co.jp)
なお、1951年フィリピン向け2-8-2、10台を日車は「D51に準じた」と表現してますが、これはD51とは言えない。

4、ミカイは米国製、日本製、満州製があり、中共製の一部も含めて大丈夫でしょう。
URLリンク(www.kurogane-rail.jp)
上記では1000両としてますが、中共製のどの程度の変形までがミカイに含まれるのかむずかしいのかと思います。
大雑把な総数ではD51より多いと思います。
(終わり)

40:鈴木
07/07/12 11:20:46 tYoZPo7D0
英国の名門、London & NorthWestern鉄道とクルー工場。
ロケット号で有名なマンチェスター~リバプール鉄道(1830)はその後
Grand Junction 鉄道となり、合併を経て、London & NorthWestern 鉄道に。

歴代有名技師。【】内はクルー工場長在任期間
1、Trevithick,【1846~1857】 有名なトレビシックの息子。日本官鉄技師長のトレビシックはこの人の息子か甥
 ゲージ争いで広軌に対抗し、土根性でボイラーを動輪軸の下に配置したコーンウォール号を作る。
2、Allan, アラン弁発明。日本のアラン弁適用は頚城の軽便機関車だっけか?
3、Ramsbottom,【1857~1871】 ラムスボトム安全弁、金属製ピストンリング、Water Scoop発明
4、Webb,【1871~1903】 2;3;4気筒、スチブンソン弁;スリップエキセン弁;ジョイ弁、のかけ合わせで、多品種の複式機関車を量産。
 3段膨張複式機関車、煙室を1階と2階に間仕切り、煙管を前後で2群に分割したり百鬼夜行。
5、Whale,【1903~1909】 英国の技師長は下積みからのたたき上げが多いそうだが、この人は16才で入社し、45年かけて技師長になった頑張り屋さん。
 単純機関車を信念として、前任者の複式を総て単式に改造した。前任者の葬式を無視したそうだが、その意気や良し。
以下不明

41:鈴木
07/07/12 11:22:54 tYoZPo7D0
鈴木が続いてウザイでしょうが …
London & NorthWestern鉄道、クルー工場(1846年から稼動、1908年の報告)
機関車だけでなく、レールまで製造。
機関車の素材なら真鍮パイプと銅管以外何でも自作する。
↑技術者にとっては理想郷ですね。その分機関車製造費はグンとお高くなると思いますが。
従業員7700人。社宅は845世帯。
工場は余技で周辺の街にガスと水道の供給事業。
自給自足工場と鉄道技術者の養成学校(優秀なら大卒じゃなくても上席技師になれる)が、柱か?

42:名無しでGO!
07/07/14 01:30:03 tCuue97x0
>>41
ウザクはないですよ。勉強になります。
>その分機関車製造費はグンとお高くなると思いますが。
当時は、インフラや周辺の産業が発達しておらず、今であれば汎用品として手に入る
部材も当時は鉄道特有の部材だったのではないでしょうか?その為、周辺の産業が発達して
市場原理によって安くなるまでは内製の方が安かったのではないでしょうか?
例えば、最近は変わりつつあるかもしれませんが、かつてのGM、フォードは部品の
内製比率が高く、自動車産業への新規参入を阻む防波堤になっていたという説もあります。
それらが独立してデルファイやビステオンが出来たわけですが、長年、親会社の庇護の元に
甘んじていた為に、苦労しているそうです。また、日本の自動車メーカーが海外に進出する場合、
当初はノックダウン式で生産を始めるそうですが、当初は内製率が高く、徐々に、地元の
部品メーカーからの購買比率を高めていくそうです。従って、何でも自社内で生産する方法は
当時としては決して採算性を度外視した物ではなく、理に適っていたのではないでしょうか?

43:鈴木
07/07/14 22:18:59 rNaO0j5f0
>>42 どうも感謝です。
「周辺の産業が発達するまでは内製の方が安かったのではないでしょうか? 」
→こういう事は考えませんでした。視野が広がりました。

数えたわけでは無いのですが、英国は米国より多種類の機関車を作り、その品質も高いものでした。
しかし国内で高水準な機関車を作っても、国外の植民地が少ないはずの米国に蚕食されていった気がします。
英国が開通させた官鉄もやがて米国機関車を導入するし、ニュージーランドなんかも後から進出した米国に蚕食されてます。
自動車で言えば高級車を作る技術力は低級車を量産する技術にかなわない、のかも知れません。

なお、鉄の生産量は
1879年、英国は世界の36%を生産
1910年、英国は世界の10%を生産
1914年(1次大戦)時、ドイツは英国の2倍、米国は英国の3倍生産、ただし英国は安い鉄を輸入して高い鋼を輸出する立場になっているる

高校の倫理の授業で「理想的社会主義」の一種として、小馬鹿にした感じで「オーエン主義」を習いました。
が、英国の古い(当時は最先端)工場を見ると、「作って、売ったら何円儲かった」ではない、
学校を併設して人を育てる「理想コロニー」みたいなのが意外と身近にあったんだろうな、と思います。
勿論労働者としては安給料で8時間働けば、後は酒でうさをはらそうが、不道徳な遊びにうつつを抜かそうが
経営者が口を出すべきでないのは当然ですが。

44:42
07/07/15 03:22:48 MC06sY700
>>43
有難うございます。勉強になります。
車両の内製は昔は鷹取工場で機関車を造ったりしていましたが、
今でもJRの新津でやっているようですね。
>自動車で言えば高級車を作る技術力は低級車を量産する技術にかなわない、のかも知れません。
同感です。T型フォードやフォルクスワーゲンの歴史を見ていると実感します。
時計産業でも安い日本製のクォーツ式時計によってスイスの機械式時計産業は衰退しました。
(↑この場合の技術力では半導体を使用したクォーツ時計の方が高レベルの技術を要求されますが)
カメラでも日本製のカメラによって独逸のカメラ産業は衰退しました。
ただ、上記の3例はこれまで欲しくても買えなかった購買層にも買える値段で生産したので、
裾野を広げたといった方が良いかもしれません。例えていうなら高級ブラスモデルばかりだった
鉄道模型市場に安価なダイキャスト、プラスチック製鉄道模型を投入した事に似ているかもしれません。

45:鈴木
07/07/16 02:07:22 Igi/Ed+Z0
跨座式モノレールの歴史1(他所にも書いてます)
2本レールではない1本レールは今日まで、オモシロ鉄道以上の影響力が無い。

1825年、英国、Cheshunt Railway。1.5マイル長。
跨座式と言うか荷物を両側に平均してぶら下げて運んだ。
動力は馬。街道との交差では木製のモノレール桁を移動式にした。
ロンドンドック会社のHenry Robinson Palmer技師(1795~1844)、1821年特許の実現化。
資料、
月刊誌、The Locomotive, 1945年。
Practical Treatise on Railways, 1837年出版、未見
URLリンク(www.monorails.org) の絵図は違う(イタリア?)モノレール。

1872年、リヨン博覧会のこの絵↓は本当かしら?
URLリンク(cnum.cnam.fr)

46:鈴木
07/07/16 02:08:55 Igi/Ed+Z0
1874年、トルコ、オスマン政府の技師John Lawton Haddan(1841~1880)がトルコ内幹線に跨座式モノレール(蒸気機関車使用、缶は2つでレール左右に振り分けぶら下げ)計画。
理由は、トルコは山が多く、モノレールの方が急峻な地形に強い。動輪は水平輪でレール側面に粘着。
この考えは後にFell式鉄道に影響する。Haddan氏若死にで計画倒れ。
URLリンク(cdl.library.cornell.edu)
URLリンク(www.collectionscanada.ca)
↑モノレールでは無いが影響を受けたFell機関車

1876年、蒸気機関車式モノレールが4マイルの路線で、1年間運転された。米国のフィラデルフィア博覧会。
「Peg-Leg Railway」と言われてる。資料はほとんどゼロ

1882年、フランスの農業技師LatigueがA型橋脚を使った簡易モノレールの特許。
アルジェリアの広大な農地で、収穫に使う軽便鉄道が、流砂に埋もれて使えなくなるのが発端。
動力は人力か畜力。
「北アフリカのこのモノレールの距離は100マイル」ソース、The Lartigue Elevated Single Rail Railway, Behr著、1886年(未見)
Lartigue式はその後一定程度の発展をみ見ます。

47:鈴木
07/07/16 11:40:56 OC0mjPSe0
跨座式モノレールの歴史3
Lartigue氏は自己のモノレールを農場の簡易軌道から電気や蒸気を動力とする本格軌道方向に向かった。
URLリンク(cnum.cnam.fr)
ドイツのシーメンス社が興味を持ちピレネー山地の鉱石輸送に採用。下る貨車の起電力を登る貨車の動力にした。
他に44kmの路線、最急勾配33%、のラック式がアルゼンチンのChilecitoに在ったそうです(ソース、The Indian Engineer,1894,6月、未見)

また関節複式機関車で名高いマレー氏がLartigueモノレール用機関車設計をした。ただし複式でなく単式機関車。
その初期には縦型缶を左右に計2つ置いたものだった。また英国の実験線にはラック機関車もあったらしい。

Lartigueモノレール会社にBehr氏が加わりこの人は英国でのLartigue式の総支配人だった。
Behr氏はListowel and Ballybunionモノレール鉄道を1888年に開通させる。
此処は海岸の保養地が近く、流砂も多かったと推定されます。
URLリンク(www.dself.dsl.pipex.com)
↑のページ前半がこの鉄道。
機関車はマレー設計、スチームテンダー付き。製造はHunslet社。
Lartigueモノレール会社は1897年に破産したが、鉄道は別人によって1927年まで運行された。
蒸気モノレールで経営に成功した稀な例です。

(この先続けようと思ったがモノレールは特殊な題材なので中止)

48:鈴木
07/07/17 03:25:58 uI8r/SE00
鉄道の歴史として、
鉄道会社(含む国鉄)や鉄道メーカーが出す社史みたいなのが、正史としてあります。
趣味者は何をやってもいいのですが、鉄道の陰の部分も面白いと思ってます。
正史では、無視される部分です。

武蔵野鉄道の伝染病患者輸送電車、国鉄の精神病患者用客車、朝鮮戦争戦死遺体用客車。
西武鉄道、東武鉄道、名鉄あたりの「し尿輸送列車」。
URLリンク(homepage1.nifty.com)

4等客車はドイツにあったらしい、日本では東海道線横浜付近で提案されたか、短期間試験運用されたかも知れない。
米国の移民用客車や大戦中敵性国民(元日本人)の収容所輸送客車は設備が良かった。
米国の無賃放浪人(ホーボー)、
下級乗務員としてのブレーキマンURLリンク(www.catskillarchive.com)
鉄道建設労務者(最初中国人、後日本人)。
インドの鉄道でのインド人と英国人の上下関係
URLリンク(farm1.static.flickr.com)
↑はインドの軍人輸送列車の調理車だが、回教台所、ヒンズー教台所より英国料理台所が広い
とかサーチ対象は沢山あります。
それだけ鉄道が日常と密接に関係していたんでしょう。

49:鈴木
07/07/17 14:55:43 YyfrDpqe0
URLリンク(www.lib.washington.edu)
日米戦争中の日系米国人の強制収用列車。
客車は普通の座席車だから、クーラー以外は現在のJR東海道線普通電車より設備が良い。
トイレは男女別々の可能性が高い。
洗面所に温水供給の可能性もある。
手荷物が少ないのは、家財道具は別の荷物客車に積み込み済みだから。

50:鈴木
07/07/19 04:54:15 TMgWRHYM0
(浮上)
URLリンク(www.transsib.ru)
↑知ってたら悪いが、シベリア鉄道の歴史写真集です。
上から順に下に向かって、ヨーロッパロシア→ウラル→シベリア→東支那鉄道→ソ連政権以後。
残念ながら囚人や政治犯や捕虜が登場する建設労働写真は無い。
しかし、写真の枚数は膨大であり、日本の鉄道歴史写真のネット公開状況を圧倒的に凌駕してます。

URLリンク(kbzd.irk.ru)
バイカル湖フェリー
URLリンク(kbzd.irk.ru)
結氷した湖上に線路を敷いてる。
第二次大戦のドイツ軍はソ連は氷の上に線路を敷ける事を知らなかったと聞いたことがあるが本当?

URLリンク(www.transsib.ru)
朝鮮人労働者
URLリンク(www.transsib.ru)
American Locomotive社製機関車

51:名無しでGO!
07/07/19 06:58:47 0Tob6p1QO
ってかなんでこんなオナヌースレが存続してんだ?

52:名無しでGO!
07/07/19 07:47:18 4t9vZ8wXO
面白いからいいんでない?
他の糞スレに比べたら全然マシ。



と、マジレスしてみるテスト。

53:名無しでGO!
07/07/19 08:16:41 ToTkCdW+0
>52
胴衣。>51は悔しかったら同じレベルの書き込みしてみろ。


54:鈴木
07/07/20 01:15:32 tG5vPLIf0
鉄オタじゃない小学校の先生の授業だとどうかすると、スチブンソンが鉄道を発明したとかになる。
事実はスチブンソンの200年前から英国には鉄道があった。
それらは人力や畜力で運行されていた。
その時点での大きな特徴は動輪が無い、という事だった。馬が引くだけだから、車両の車輪は全部引きずられて転がるだけの
トレーリングホイール。

蒸気機関を車両に積み込んで走らせようとする時、車輪をエンジンで回転させて推進するのは、
鉄のレールと鉄の車輪ではスリップするばかりで、進まないはず、と言う説が強かった。
蒸気機関を車両に乗せるのに反対した人の理由は他にもあるのだが、このスリップ説も根強かった。

これを克服しようとする技術は3つ
1、William Chapman (1749~1832)
1813年、線路の中央に鎖を敷き両端を地面に固定する。機関車は線路中央のこの鎖を自己のドラムに巻きつける。
機関車は搭載エンジンでこのドラムを回転して進む。長距離は無理だが初期の機関車は構内のアント程度でも良いと期待された。
2、William Brunton、1813年
URLリンク(perso.orange.fr)
URLリンク(perso.orange.fr)
見ての通り、馬の足。これなら経験上スリップしない。
(オナヌースレ続く)

55:鈴木
07/07/20 01:16:57 tG5vPLIf0
3、Blenkinsopp
URLリンク(www.locos-in-profile.co.uk)
誰でも知ってるラック機関車の元祖。

ただし、1812年には既にトレビシックが鉄動輪使って鉄レールの走行を実証していた。
にも係わらず一般にはスリップ説が強かった事になる。
1813年にWilliam Hedleyは問題をはっきりさせる為に動輪と言う物が使い物になるか、
唯のスリップ車輪なのか実験した。
URLリンク(www.locos-in-profile.co.uk)
残念ながら実験の画像がみつからないのだが、
2軸の無蓋車に人(複数)を乗車させ、その車輪を歯車を使って人力回転させ、スリップしない事を実証した。
さらに何両かの石炭貨車をその状態でけん引出来ることを実証した。
そらに雨でレールが濡れてる時は粉(何の粉か忘却)をレールに撒くとスリップしない事を実証した。

と一応実証されたのだが、種々の事情で、
エンジン車両積載反対
エンジン地上固定、ロープで引っ張るの考えはまだ強かったです。
(オナヌースレ終わり)

56:名無しでGO!
07/07/20 01:40:48 fUAGGC9y0
>54-55
鉄のレールに鉄の車輪でスリップしないと言うのは小さな模型でも
実験してみると理解できることだと思うんですけどねぇ。

それほどに頑迷な思想だったんでしょうね。

それはそうと、Blenkinsoppのラック機関車と後の瑞西系山岳鉄道の関係は
気がかりです。無関係と言い切ればそれまでなのでしょうけれども……。


57:鈴木
07/07/20 13:23:45 BUOkNYH60
「鉄の車輪対レールではスリップする、という俗説があった」と言う話は複数の資料に書かれてます。
ただし、そのような「俗説」を書いた技術者なり学者本人の主張は未だ読んだことはありません。

John Blenkinsopはラックレールの特許を取り、Matthew Murrayに依頼して機関車を作った。
この機関車は1812年完成、1827年又は1832年頃まで15年か20年間使われた物で、最初の採算ラインに乗った機関車と言うことになります。

1847年、米国、マジソン&インディアナポリス鉄道
URLリンク(www.gearedsteam.com)

1851年、米国、セラーズ氏がパナマ向けFell式的(ラックでは無い)機関車を完成したが、未使用。
URLリンク(www.trainweb.org)
1868年、Fell式線路(ラックでは無い)が欧州のモンスニー峠越え完成。
URLリンク(www.catskillarchive.com)
(続く)

58:鈴木
07/07/20 13:24:41 BUOkNYH60
URLリンク(www.cograilway.com)
↑の米国HPに拠れば1869年、米国New Hampshireの鉄道(ワシントン山?)が早いそうで。

URLリンク(en.wikipedia.org)
↑に拠ればリーゲンバッハ氏(1817~1899)が
1863年ラックレール特許、
1871年、Vitznau-Rigi鉄道開通、欧州最古のラック鉄道、と書いてあります。

アブトの特許者Roman Abt氏は
リーゲンバッハ会社出身の人で
1886、Harz鉄道開通。(これが1903年、横川~軽井沢間でループ、スィッチバック、ケーブル等却下の決定打)
(終わります)

59:鈴木
07/07/21 20:45:04 VLCbtdu30
なお蛇足ながら、動輪に関して、道路用自動車であれば、
1771年、Cugnotの大砲輸送用蒸気自動車
URLリンク(ja.wikipedia.org)

1784年頃、Murdockの模型自動車
高圧エンジンなので、大気圧エンジンを推奨する師匠のワットに叱られて中止?
URLリンク(www.birminghamstories.co.uk)

1801年、トレビシックの蒸気自動車(試験走行成功後火災焼失)
トレビシックはこれ以後、重たい軸重に耐える鉄道機関車に転身

が粘着動輪を使って走行をしてます。

60:鈴木
07/07/22 01:12:10 D8mGZ8ug0
1914年のフランス機関車メーカー
1, Ateliers de Constructions Electriques du Nord et l'Est.
2, Compagnie de Fives-Lille.
3, Corpet, Louvet & Cie., La Corneuve (Seine).
4, Pinguely(A)
5, Société Alsacienne de Constructions Mécaniques
6, Société anonyme pour la Construction de. Materiel de Chemins de Fer. (Nord)
7, Société, anonyme Franco-Belge. (Nord)
8, Société de constructions des Batignolles.
9, Société Francaise de Constructions Mécaniques.
10, Société nouvelle des établissments Decauville
11, Schneider & Cie. Creusot
12, Weidknecht Frères & Cie., Ateliers de construction du Pont-de-Flandre.
13, Cail et Cie.
14, Robatel, Buffaud & Cie

これをコピーてググルにペーストすりゃぁ、歴史的機関車の写真が見つかるか?
なんですが、まだやってません。個人的には
12, Weidknecht社、【機芸出版、"特殊構造を持つ機関車とライブスチーム"(三ツ矢著)P21】
が面白そうですが。

61:EF5861
07/07/22 01:21:38 EPN/iOyIO
漏れはまだ歯医者になってないよね?

62:鈴木
07/07/22 01:57:16 0kAmBJYZ0
>>61
どうでしたかね? (現在の知識はゼロです)
全盛時代、寝台急行を引く茶色のEF58に憧れてましたが、
当時は王族専用列車担当のEF58があるなんてツユ知らずでした。


63:名無しでGO!
07/07/22 03:34:42 oDA2jQxp0
>>61
こないだ、天賞堂の団体御一行様の特別列車を牽引したそうです。

64:名無しでGO!
07/07/22 18:15:34 FK3LDHfl0
>>61
直近は5/27か?
URLリンク(ef5861.ef5889.com)

65:名無しでGO!
07/07/22 23:57:51 Mypux8dpO
そういえば、御料車は始めから国産だったと、ものの本にありましたな。

66:65
07/07/23 00:13:52 FzfAgYHLO
>>65
訂正
初代二号は独逸からの輸入でした。謹んで御詫び申上げます。

67:名無しでGO!
07/07/24 23:44:44 NI/r4hWH0
官鉄は1893年のドイツ、エスリンゲン製ラック機関車輸入以前に、
ドイツ製機関車を買った事はなかった。
(>>58の「1903年、横川~軽井沢間」は「1893年」の間違い書き込みでした)

もし初代王族車がドイツ製だとすると、客車なら、
1893年より前に官鉄がドイツ製品を買ってる、という話になるかも知れません。

官鉄、新橋~横浜間開業時に、王族専用車は既にあったのだろうか?
(後進国の王族は鉄道開業とセットで王族専用車欲しがるのが多い)
官鉄、神戸~京都間開業時に、王族専用車は別に用意したのだろうか? (東海道が繋がってないから)
時代が下って、京王や京阪は「貴賓車」があったが、これは王族でなくても総理大臣程度なら使えると言うことか?
もっと時代が下って1960年頃の王族専用クロ型電車はたしか「貴賓車」と説明されてたが、なぜ御料車と表現しなかったのだろう?

など解らない事だらけです。

68:名無しでGO!
07/07/25 09:08:51 Re+5oIB00
>>67
阪堺鉄道が1885年ホーエンツォレルンから買い入れたのが
ドイツ製機関車のはじまりといわれてますが。

69:名無しでGO!
07/07/25 09:22:21 Re+5oIB00
>>68
すみません。阪堺鉄道のホーエンツォレルンは2'9"ゲージでした。
のちに南海に引継ぎ後は3'6"に改軌されてますね。

3'6"ゲージでは九州鉄道の1889年クラウスから購入が最初かと。

70:鈴木
07/07/25 09:57:14 8/aJNZgn0
>>69
ありがとうございます。
九州鉄道は1888年、免許&工事開始なので、いきなりドイツですね。
官鉄の「ドイツ機購入止む無し」はその4年後になります。

71:鈴木
07/07/25 14:44:05 bQd0ety90
1914年のドイツ機関車メーカー
1, Hannoversche Maschinenbau Actiengesellschaft. Hannover-Linden.
2, A. Borsig, Berlin-Tegel.
3, Maschinenfabrik Esslingen. Esslingen, Würteinberg.
4, Breslauer Actiengesellschaft für Eisenbahn Wagenbau und Maschinenbau Anstalt. Breslau.
5, Lokomotivfabrik Krauss & Company. Munich. Bavaria.
6, Sachsische Maschinenfabrik vorm. Rich. Hartmann. Chemnitz,, Saxony.
7, Maschinenfabrik Schicau, Elbing.
8, J. A. Maflei, Lokomotivfabrik, Munich, Bavaria.
9, Hohenzollern Locomotive Company, Düsseldorf.
10, Berlinger Maschinenbau Actiengesellschaft vorm. L.
11, SchwartzKopff. Berlin-Wildau.
12, Henschel & Sohn. Cassel.
13, Actiengesellschaft Vulcan. Stettin.

72:名無しでGO!
07/07/25 15:01:30 cSAuvZI30
>>71
O & Kがないですね

73:鈴木
07/07/25 15:14:01 /Huxn39p0
>>72
その通りです。この表を作った人が
「コッペルは軽便だから機関車メーカーと認めない」と言う姿勢があるのかも知れません。
しかし、コッペルは1914年以前かそれ以後か忘れましたが、1435mmゲージの
大型タンク機関車も作ってます。
また一方、フランスのメーカーには軽便主力のドコービルも紛れ込んでます。
要するに、100%完璧とまではいかないようです。

74:名無しでGO!
07/07/25 17:52:25 5x7OXkY40
>>71
10と11は、
Berlinger Maschinenbau Actiengesellschaft vorm. L. SchwartzKopff. Berlin-Wildau
で一つです。



75:鈴木
07/07/25 18:06:49 BFWJY7py0
>>74
失礼しました。多分私の勘違いです
"私の蒸気機関車史、下"P206に
「Berliner MaschinenbauはSchwartzkoffによって設立された」
とあるのでお説の通りと思われます。


76:名無しでGO!
07/07/25 23:39:32 1RBR3VRFO
横レスですが、宮廷用客車(初代1号:旧交通博物館に展示)は明治9年に神戸工場で、製造されました。
それまでは、上等車を使用していたとのことです。
初代二号(これも旧交通博物館に展示)は、明治二十四年に独逸から輸入され、この時点では、御召し車だったそうです。
クロ49は、陛下御一行が逗子の御用邸に移動される時などに使用されました。
現在のクロ157同様、内装が簡素であることなどから、貴賓車にしたと思われます。

77:名無しでGO!
07/07/26 00:00:29 1RBR3VRFO
続きですが、ソースとしている、「御料車物語」には、東海道本線全線開通以前の使用実績は記載されていませんでした。
東海道本線全線開通以前は、関東では、上等車を使用し、関西では御料車を使用していたのかも知れません。
最初のボギー御料車の三号(現13号)は明治31年に大井工場で完成しました。
これらの御料車は皇室のみならず、海外の王室や国家元首の移動に用いられました。
首相が同行する時は、供奉車に乗車する決まりのようです。

78:鈴木
07/07/26 00:49:50 KiK9A5Hs0
年表にするとこんな感じですか? 
【】内は>>76氏に依ります。
1873年、新橋~横浜、開通(天皇、開業式出席)
1874年、大阪~神戸、開通
1875年、神戸工場で客貨車製造
【1876年、宮廷用客車(初代1号)神戸工場で、製造】
1877年、京都~神戸、開通(天皇、多分開業式出席)
1880年、京都~大津、開通(天皇、乗車)
1881年、天皇、小樽~札幌間乗車(小樽までは船便)
1884年、上野~高崎、開通(天皇、開業式出席)
1886年、東京~近畿鉄道路線に関して中山道案中止、東海道案採用し横浜~熱田工事開始
1889年、湖東線開通、東海道線全通。

79:鈴木
07/07/26 22:51:34 d8wwUp0Q0
1914年のイタリア機関車メーカー
1 Officine Meccaniche, Milan and Naples.
2 Società Nazionale delle Officine di Savigliano, Turin.
3 Società Italiano Ernesto Breda, Milan.
4 Società Italiana per Materiali siderurgici e ferroviari, Rome.
5 Aurelio Callegari & Cia, Parma.
6 Tecnomasio Italiano Brown. Boveri & Cia, Milan.
7 Officine Elettro-Ferroviarie, Milan.
8 Società Italiana di Elettricità Thomson Houston, Milan.
9 Ansaldo. Armstrong & Cia, Sampierdarena.
10 Società Italiana Westinghouse, Vado Ligure.

80:名無しでGO!
07/07/27 00:02:25 epOH1ZmRO
鈴木殿


81:76
07/07/27 00:15:05 epOH1ZmRO
鈴木殿
80は送信ミスです。すみません。
ここまでの内容を、年表にするとは、よく御存じですね。恐れ入ります。
御料車それ自信も興味深いのですが、明治初頭に車輪車軸をのぞいて客車を製造していたというのは驚きでした。
初代1号は、台枠に至るまで木製だったのでしょうか。同時期に最初のボギー車である、ハボ1(コハ6500)が製造されています。
コハ6500は9輛製造されましたが、6500のみ、寸法が異なる異端車でした。何があったのでしょうか。

82:鈴木
07/07/27 01:04:05 1rEBgM140
丸写しした年表は、
昔の入門書なので、高品位ではないのですが、ついそのまま使ってます。

初期の2軸客車のメインフレームは木製で、結合箇所などが鉄だったと思いますが、はっきりとは。
鎖国中の日本の木工技術が、近隣アジア諸国と比較して高かった可能性はあるかも知れません。
主要部品を買ったとは言え、僅か数年で客車を作るのは「良い英国人技師にあたったんだ」と私は思います。
外国人技師は現地人が製造技術を習得してしまえばお払い箱なので、
技術指導はノーラリクラリやる方法もありますから。

しかし諸般の事情でドサ回り中の英人技師は、後進国にいても実績を積んで
本国に成果を発表したり、次の有利な赴任地を探すような事もあったのでしょう。
官鉄のトレビシック技師が和製1号機として選んだのは複式機関車でした。
複式機関車は当時は世界的にも、始まったばかりの技術でした。

83:名無しでGO!
07/07/27 09:18:11 k3dVd2BY0
>>81
コハ6500は国産ではなく、英国・ミッドランド社製ではなかったですか?

84:76こと習志野でGO
07/07/27 21:52:57 oO3Y615r0
>>83殿
コハ6500は9両あり、このうち、6501~6508はご指摘のとおりだと思われます。
戦後、総武鉄道(現東武野田線)に払い下げられた6504の廃車体を調査した人がいまして
このとき英国製の銘板を発見したそうです。この銘板は交通博物館に寄贈されたとのことです。
ただし、トップナンバーの6500についてはそうではないらしいのです。
現存する昭和3年度客車形式図集(正確には客車下巻)には6500も記載されていますが、
トップナンバーの6500のみ、主要寸法が相違しています。
昔の鉄道ピクトリアルにて青木栄一氏が報告していますが、
彼が英国を訪れた折、英国人技師の指導の下、ボギー車を日本で製作したという
記事があったということです。ちなみに同時期やはりこの技師の元で初代一号御料車が
製造されています(これは史実扱い)。
この当時、英国のデッドコピーだったかもしれませんが、二軸客車は国産されていました。
であれば、二軸車に比べて全長2倍のボギー車体を製造することは不可能でなかったと結論できます。
ここで、問題になるのは台車ですが、青木報告にある台車の図面を見ると木製であるようです。
うろ覚えのうえでのこじ付けですが、アメリカでは木製台車というのが実在したはずで、
だったら、英国人技師の指導で国産できたとしても不思議ではないだろうということです。
これも私見ですが、本当のところ、神戸工場は初代御料車をボギーにするつもりだったのかもしれません。
本当の話、戦前の時点でこのあたりの事情は不明になっていたと見られ、
戦前に編纂された史書では僅かに「玉車並びにボギー車を製造せり」とあるだけでした。

85:名無しでGO!
07/07/28 18:52:04 GfezP27l0
新橋-横浜開業は1872年ではなかったですか?

初代1号御料車は1877年の神戸-京都開業式で初めて使われたとなってますね。
URLリンク(www.railway-museum.jp)

また、この御料車の製作監督はウォルター・マッカーセー・スミスだったと
ありますが、この御仁はこちらではないかと。日本滞在も1874年-1883年と
なっています。
URLリンク(www.lner.info)

86:習志野でGO
07/07/29 00:22:55 P24o4iunO
日本に鉄道が開通したのは、「岡蒸気からひかりまで」によると、1872(明治5年)となっています。
初代1号は京阪間開通時に天皇の御座乗のために製造されました。
3号製造までの初代1号の使用実績は不明ですが、明治二十年代の東海道本線全線開通以前は余り使用されなかったかも知れません。
何しろ、明治三十年に入るまで、三等ボギー車の輛数は約70輛だったですし。
ちなみに、明治初期の件の英国人技術者の名前はこちらで調べたところ、ウォルター・マカルセ・スミスでした。

87:鈴木
07/07/29 03:05:58 xEneJRea0
URLリンク(white.ap.teacup.com)
取りあえず、1876年神戸工場製台車の図を出しておきました。

>>85 >>86
新橋横浜鉄道開通の明治5年は1872年ですね。失礼しました。
ウォルター・スミス氏がLNERの技師集に出ているとは知りませんでした。

88:名無しさん@そうだ選挙に行こう
07/07/29 03:10:31 /IFdN9+K0
ポンペイの遺跡の街路に刻まれた馬車の轍の間隔は何故か1435mm

豆知識な

89:鈴木
07/07/29 04:12:07 5E2+gItT0
URLリンク(tonylilleyphotography.co.uk)
"Roman road"や"stone road"で探すとかなりの古い轍付き道路が出るようです。
ポンペイの古いのは重量馬車が両脇の家の石の壁をへずるのを防止する意味もあったと読んだことがあります。
またローマ街道の山岳地帯の難所では轍を付けることで、馬車が路肩から転落するのを防ぐことも。

問題はゲージですが、馬が馬車を引くと大体1400mm程度になってしまう、という事ではないでしょうか。
ローマの道路法令には馬車の轍のゲージの規定があったような気がするのですがハテ

90:習志野でGO
07/07/29 14:33:13 P24o4iunO
>>87 鈴木殿
ここのところは、青木報告にあるのですが、コハ6500の台車はアダムスの設計した、機関車用のものを、使用したとあります。

91:鈴木
07/08/01 12:00:29 LIKCN+Q+0
ウィリアム・アダムス氏はアダムス式先台車とか言われるものの発明者と
同一人物の可能性があるのですが、はっきりしません。
そもそもアダムス式先台車って何だったのか?も解りませんでした。
先台車の心皿自体が曲線で左右移動する物だったかな?ハテ、です。

92:鈴木
07/08/02 22:31:25 8qn9TEuV0
>>84
>アメリカでは木製台車というのが実在したはずで

西部劇時代の米国客車は
車体フレーム木製のみならず、
台車フレーム(というか側枠)も木製が普通でした。
博物館の開拓使客車の台車も木製じゃないでしょうか? 
木の角棒をサンドイッチ状に挟んで裏と表2枚の鉄製軸箱守をネジ止めしたはずです。


93:名無しでGO!
07/08/02 23:25:09 h8EcGe680
>>92
台車台枠は木製
URLリンク(www.g-gauge.jp)

開拓使号の台車も同じ作り
URLリンク(ambitious.lib.hokudai.ac.jp)

94:習志野でGO
07/08/02 23:42:32 1JVyQxeLO
台車は鋼製でしたか。残念。
先に鈴木殿がリンクしていたアドレスにある通りで、アダムスという人物がサルジニア海軍にいたとすれば、ビンゴです。
アダムス式台車の特徴は、曲線通過のときに、台車中心が線路と直角に移動できるというものでした。
心皿周辺にあるゴム製の緩衝材ですが、アダムスが、ロンドン アンド サウスウェスタン鉄道に転職した時にはやめてしまったそうです。
この台車は、曲線復元性能を向上するためか、板バネを入れていたそうです。

アダムス式台車最大の特徴である、台車中心の移動を殺した、コハ6500の台車は厳密には、アダムス式台車とは言えないものの、それ以外の構造がアダムスの設計した台車と同じ構造となっていたために、アダムス式と見做されたとのことです。
以上は、鉄道ピクトリアル216・221号にある青木栄一氏の報告にありました。
しかし、この客車は実に長命でした。鉄道創業から、戦後混乱期まで、存在していたのですから。

95:鈴木
07/08/03 00:35:00 JHS/DU110
URLリンク(white.ap.teacup.com)
米国の古い客車用台車ですが、
フレームが木製です。


96:鈴木
07/08/04 16:00:18 eD0CjgHm0
1882年米国の鉄道事故死者内訳
A 衝突(177名)、脱線(200名)、その他(3名)、合計(380名)
B 旅客(104名)、従業員(276名)、合計(380名)
1日に一人が死亡している。

同年代の鉄道従業員 535,000人なので、
鉄道従業員は毎年2,000人に一人が死亡している。
従業員の事故死の内では、ブレーキマンの事故率が高い為、
1900年迄に、
列車貫通ブレーキと、自動連結器が義務化されました。

97:鈴木
07/08/06 23:50:31 lN2HtyyG0
URLリンク(www.nps.gov)
↑は走行中の列車で仕事待機するブレーキマンの絵。
URLリンク(dssa.habitant.org)
↑は結氷時の作業の絵(多分想像図)
URLリンク(www.philsp.com)
↑は1900年以前のピンリンク連結器時代の作業だが、極めて危険な作業。
普通なら、リンク環をカギの付いた棒などで支えてやると思うのですが。

米国が1904年の遅くまでスチブンソン弁機関車の天下だったのは、
スチブンソン弁の方がワルシャート弁に比べて、低速時のギクシャクが少ないのかな?
と疑ってるのですが、そのような証拠は見つからないので妄想かも知れません。
(続きます)

98:鈴木
07/08/06 23:51:33 lN2HtyyG0
ブレーキマンは列車乗務員では最低の地位ですが、
米国の建国教育として、
1鉄道発展が国家を作った
2口先だけの理論家は不要であり、必要なのは勇気と闘魂

があったのに1900年代に至ると
1鉄道経営者は会計帳簿のおかげで使い切れない程の富を蓄積出来る
2ブレーキマンは自己努力が足りないから軽業師に甘んじなければならない
の落差が出き、
ブレーキマンの姿に開拓時代の精神を見て多少の畏敬を持ったのではないでしょうか。
(終わります)

99:名無しでGO!
07/08/06 23:52:22 LyPmT8Wl0
都合の悪いことを指摘する人間の罵倒の歴史

100:鈴木
07/08/07 12:17:20 5qqqFsNa0
罵倒の歴史を書くもヨシ
罵倒の歴史を、罵倒する歴史を書くもヨシ
ゴマスリの歴史を書くもヨシ
です。

罵倒の理由、ゴマスリの理由を、
第三者に言葉で丁寧に付帯説明してるなら、歴史記述の体裁が成り立ちます。

101:名無しでGO!
07/08/07 23:58:40 UzCiJ1ng0
>>88-89
元国鉄技研の伊藤氏のサイトにも>>89と同様の事が記されていました。
ゲージの数字については、更に下記のように記されています。

URLリンク(www.alles.or.jp)
>このときに決めるべき標準としては、前記の道路の両側の縁の間隔であって、その路面を通過しようとする馬車は、この基準に適合するような車輪の外側の巾を標準化して、その当時の道路管理者が決定し、馬車を造る人々はその基準に従って車輪を造るようになったと思われる。
この標準となる長さが恐らく5フィートであったのではないかと思う。
この長さは当時の馬車は二人がけで車輪の巾として適当な長さであり、5というのはいい数字であったと思われる。


102:鈴木
07/08/08 00:58:34 mTiGzte+0
フィートとは人間の歩幅から来たものでしょうから、
「5フィート」とは概ね5歩の距離と言う程度の寸法と思います。
現在は1フィート=1英フィート=304.8 mmが確率されてますが、
昔はローカルフィート(歴史的フィート)があったようです。
URLリンク(sunsite.utk.edu)
↑ローカルフィート表

URLリンク(www.canit.se)
↑によればスエーデンの891 mmゲージは
「3 Swedish foot.」だそうで、これは最初に挙げたローカルフィート表とも一致します。

103:鈴木
07/08/10 00:45:35 fHwcvkqx0
URLリンク(depris.cephes.free.fr)
URLリンク(depris.cephes.free.fr)
Thomas Russel Crampton氏(1816年~1888年)の機関車。
流行らない形態だ。
大動輪で重心を低くするために、動輪軸を火室の後ろに置いた。

いかにもスリップしそうな機関車だが、本に拠れば当時は客車が軽かったのでこれでよかったそうです。
特許は1843年だが、それより10年前にBaldwinはこの形の機関車を作ってるそうだ。
当時高速機関車は重心を低くしなければいけない、という事が重視されていた。
火室が邪魔してるので、気筒は外側。
クランプトンは英国人だが、この形を一番採用したのはフランスで次はドイツらしい。

クランプトンの業績はこれだけかと思ったら、
他に早くからバランス式機関車を作っていた。
土木工事が得意で、英国や小アジアで鉄道建設したりトンネル掘り。
英仏間の海底電信ケーブルを敷設(世界最初の2国間海底ケーブル)

104:鈴木
07/08/11 21:36:55 KSsVutKI0
米国大陸横断鉄道開通
1869年、Central Pacific & Union Pacific (中部)
1883年、Northern Pacific (北部)
1884年、Southern Pacific (南部、ニューオルリンズから太平洋岸)
これらによって米国のトレール(街道交通)は下火になった。

URLリンク(cprr.org)
Central Pacific 建設の頃は支那人建設労働者が大きく係わっていたが、その後支那人排斥が起こり
Northern Pacific 建設の頃は日本人建設労働者が大きく係わっていた。

105:鈴木
07/08/16 19:06:22 12WnJAWx0
3気筒合成弁機関車の歴史。 (クソ暑いが)
合成弁の発明はDavid Joy氏(ジョイ弁の発明で有名)の舶用エンジンと言われてる。

1909年にグレートウエスタン鉄道のHolcroft氏が3気筒合成弁の特許。(ただし製造してない)
第一次大戦中グレートノーザン鉄道のGreslay氏は、英国最初の合成弁式3気筒機関車(2-8-0)を作った
この原理は後の所謂グレスレー式と同じだが、気筒の前方でなく後方にテコ類を設置してある。
後のGreslay氏3気筒は気筒前方にテコ類を設置した。
英国では他にサザン鉄道のMounsell氏が1923年に2-6-0を作ってる。この機関車は中央弁の動きを
左右の弁棒からでなく、左右のラジアスロッドから採取する特異な外観である。

ドイツは第一次大戦中に3気筒合成弁機関車を量産した。
しかし敗戦直後にドイツは3気筒合成弁に見切りをつけ3気筒独立弁に方針変更していた。
敗戦のおり、一部の合成弁機をフランスが接収した。この機関車はフランスで好評だったので、
フランスはドイツが見捨てた合成弁機を追加生産した。(ただしこの機関車の写真は未見です)
(続きます)

106:鈴木
07/08/16 19:07:16 12WnJAWx0
米国のAlco社は、1910年頃独自の合成弁特許を持っていたが結局グレスレー機関車を製造した。
満鉄がAlcoから買ったのはAlco社として初期の合成弁機の物と思う。
AlcoはUPの4-12-2、1930年最終生産をもってグレスレーから手を引いた。
ライバルのBaldwin社は3気筒は独立弁しか作らなかった。
Alcoのグレスレー機は日本を含むアジアなどにもかなり輸出されている。

JNRは3気筒蒸気機関車製造の際、独立弁を却下して合成弁を選んだ。
仮にドイツ式を選択した場合、独立弁採用になったと思います。
(終わります)

107:名無しでGO!
07/08/17 03:58:56 YUfu+N0g0
>一部の合成弁機をフランスが接収した。

鉄道会社、形式等教えていただけますか?

>JNRは3気筒蒸気機関車製造の際、独立弁を却下して合成弁を選んだ。

これは狭軌とは関係ありませんか?
狭軌の独立弁の実例はあるのでしょうか。

108:鈴木
07/08/17 22:17:10 LBVniWWG0
すみませんが、第一次大戦でフランスがドイツからせしめた3気筒合成弁機は、今ソース紛失でこれ以上解りません。
なお前回書き込みと異なる話ですが、
ドイツのKrupp社は1926年頃、2-10-0、3気筒合成弁機を作ってます。この機関車が量産に至ったか?は知りません。
クランクは3気筒とも第3動輪、合成弁のテコは第1動輪と第2動輪の間。

狭軌3気筒の独立弁機は、
Baldwinが、タイ(1000mm)、フィリピン(1067mm)、ブラジル(1000)
Hanomagが、タイ
Berliner Machinenfabricが、コロンビア(915mm)(英人Dewhurst設計)
向けに製造例があります。

109:名無しでGO!
07/08/19 21:14:06 1roJuBzs0
>>108
狭軌3気筒独立弁機、追加。
米国Pennsylvania Coal Co. 、1296mmゲージ、0-4-0、1880年。

110:鈴木
07/08/20 20:25:41 yKPnVEsP0
1851年、英国の博覧会の機関車は、総てコークス焚き
1862年、英国の博覧会の機関車は、ほとんど石炭焚きに変わった

111:名無しでGO!
07/08/20 20:59:47 LJ3a3p+B0
確立変動突入!

112:鈴木
07/08/23 02:25:55 Ws8Rogx+0
未だにモヤモヤして解らないのは"無煙炭(anthracite coal)"です。
19世紀の米国東部では普通の石炭が少なく、多くは無煙炭だった。
それらは、機関車には不向きで、家庭のストーブ以外に利用価値がなく、タダに近かった。
無煙炭は火力は強いが火付きが悪く、機関車のように火力を小まめに調整するような用途には使えなかった。
火床面積を極端に広げ、火床の石炭厚さを薄くすれば良いのだが、
当時の技術で火床面積を広げるのは困難だった。

最初の挑戦がB&O鉄道のロス・ワイナンスで狭火室を後方へ細長く延長して実現した。
URLリンク(www.catskillarchive.com)
(↑火室最前部の投炭は真上のパイプから落とし込みます)
次がReading鉄道のWooten氏による横幅の広い、ウーテン火室。
URLリンク(www.sdrm.org)
以上に依って米国のそれまでの薪焚き機関車は一掃されたはずです。

しかし、ソース忘れだが、米国東部の無煙炭は1930年頃には掘り尽してた気がします。
なのに1930年頃の米国機はこの問題を気にしてないみたいで、ただ火床拡張の一方です。
1930年頃はもう無煙炭も普通の石炭も関係なくなったのでしょうか?

113:名無しでGO!
07/08/25 14:23:58 XImGw8lq0
>>108
調べてみましたが、たぶんプロイセン邦有鉄道のG 12型(2-10-0、ドイツ国鉄では58型)ですね。
URLリンク(elsassbahn.free.fr)

フランスのEst鉄道ではこれと同型のザクセン邦有鉄道XIII H型をベースに、
195両を製造してます。(SNCFでは150E型)

114:鈴木
07/08/25 20:00:57 j0cpqB220
>>113
URLリンク(www.dlok.de)
↑に説明文があるが、ドイツ語読めませんでした。

ご教示を頼りに調べたところ、下記の記述がありました。
"La Locomotive a Vapeur"P424(シャプロン氏)に一致する説明がありました。
1915年、Henchel製、プロシャ向け、2-10-0、3気筒合成弁、(G12-1形)
1917年、Hartman製、ザクセン向け、2-10-0、3気筒合成弁、(G12形)
1919年、フランス、Est鉄道、ザクセン機を賠償でゲット(150E形)
1925年~1930年、Est鉄道、195両を追加生産。
1926年、ドイツ国鉄、2-10-0、3気筒独立弁、(44形?)
ありがとうございました。

115:鈴木
07/08/25 23:41:43 AhTdDCAh0
URLリンク(mc.locomotives.free.fr)
↑の機関車は賠償機関車とも、追加製造機関車とも書いてません。
しかしフランスの3気筒に間違いはなく、
そして合成弁じゃないかと思います。

URLリンク(www.voielibre.ch)
↑はスイス製かフランス製か不明だが、
心向棒(ラジアスロッド)にほぼ平行なロッドが合成弁駆動用と思います。







116:名無しでGO!
07/08/27 07:17:51 AWVVYCH80
>>89、101
チャリオットの幅は車軸の強度で決まったという説があります。
そこで車軸の強度を高めて3人乗りにした馬車を作った国が優位に立ったそうです。
↓参考にはならないかもしれませんが。
スレリンク(whis板)

117:鈴木
07/08/27 22:51:43 B5K9LlGV0
戦闘専門道具としての1軸馬車は
実際どの程度実用的戦闘能力があったのでしょうか。
整地してない原っぱのような場所で、
馬単体は20~30km/hで駆けられるのでしょうが、
引かれる1軸馬車はバネが無いと、50cm以上飛び跳ねると思います。
そうすると車輪なんかすぐ壊れる気がするのですが。
でも古代の絵には確かに多くの1軸馬車がありますね。

118:鈴木
07/08/28 23:16:02 yq/ZRvhw0
米国鉄道の初期ゲージは
Robert Stephenson社の影響が強かった会社は4ft. 8.5in.だったが、
米国製造の機関車を使った鉄道はマチマチだったと言われる
URLリンク(www.americaslibrary.gov)
↑トムサム号は4ft. 6in.〔1372mm〕(東京ゲージ?)
URLリンク(www.catskillarchive.com)
↑サンダスキー号は4ft. 10in.〔1474mm〕。(オハイオ州標準ゲージ)
URLリンク(www.nrhs.com)
↑Erie鉄道は6ft.〔1830mm〕

Delaware & Hudson 鉄道は6ft.〔1830mm〕と4ft. 3in.〔1296mm〕
Mohawk & Hudson 鉄道(NYCの祖先?)は4ft. 9in.〔1449mm〕
Camden & Amboy 鉄道は4ft. 9.75in.〔1468mm〕
Baltimore & Susquehanna 鉄道は4ft. 9.25in.〔1455mm〕
Pennsylvania 鉄道は19世紀末の図面では、4ft. 9in.〔1449mm〕

南部は5ft.〔1525mm〕も多かった


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