07/08/25 15:00:39 2vXslk1J0
>>922
追加
深夜の駅の待合室!!
924:名無しでGO!
07/08/25 19:40:00 lfd+0+AR0
>>923
そうね。
あの頃は運転扱いなどで24時間営業なのが当たり前だったし、ヲタ同士で安心して会話にふけれたよね。
925:名無しでGO!
07/08/25 22:18:58 lVq3PVMA0
碓氷峠の上り(坂を下る)客車列車は、63の発電ブレーキの廃熱でトンネル内ムシムシだった。
926:名無しでGO!
07/08/26 10:51:59 AfHsYj8K0
周遊券が一番の“トクトクきっぷ”だった時代、私も日本中乗り回した経験があるが、
夜行列車の走る主要駅は24時間開放しているのが当たり前だった。
深夜、早朝の駅に降りて始発を待つ間、今のように終夜営業のファミレス、ファストフード、
居酒屋チェーンなどなかったから、駅の待合室で時の経つのを待つしかなかった。
その待合室には、夏休みになると同じようなことをする若い人が必ず何人かいた。
それとはなしに話し掛けてみると、その大半は鉄チャン! 思うに、鉄チャンはこんなこと“当然”の
こととしてやるのだけど、一般の人はこんな深夜の駅の待合室で“計画的に”夜明かしする人はまずいなかった。
夜行列車で連泊するのも鉄チャンのお家芸みたいなもの。もちろん、北海道など、旅の若者達は
宿代の浮く夜行列車を好んで使ってはいたけど、何連泊など狂気じみたことを平気でするのは鉄チャンくらいなもので、
ふつうは安いYHなどを転々としたり長期逗留していたものだ。
そういう自分も当時は「夜行連泊」は当然のことだったから(最高71連泊の経験あり)、やっぱり「鉄チャン」
だったには違いない。
ところで、当時から東北の深夜の街で終夜営業している店で目に付いたのが「ミスタードーナッツ」。
“ミスド”はまだマックなどのファストフード店が終夜営業などしていなかったはるか昔から終夜営業していた。
特に東北では郡山、秋田の駅前のミスドには何回も夜行の待ち合わせや夜明かしに使った。
郡山駅構内には「福?家食堂」とかいうのが随分後の時代まで終夜営業していた。構内食堂で終夜営業していたのは
ここくらいだったんじゃないかな。
927:名無しでGO!
07/08/26 14:11:09 7qR8604p0
>>926
食堂は福豆屋食堂ですね。
928:名無しでGO!
07/08/26 16:34:07 XMwwiUSj0
>>926
福島のミスタードーナツは何回か使いました.
「津軽(3号)」(2:40頃着)か「おが3号」(1:35頃着)からの乗継で
福島3:28発の仙台行客車鈍行を待つ間、
郡山とは対照的に真っ暗な駅前通を辿っていって時間つぶしをしたものです.
929:名無しでGO!
07/08/26 16:34:32 zFTovs2J0
郡山の福豆屋は駅弁もあったしなー。
というか郡山って駅弁業者3軒あったね。
福豆屋と東北軒とあともう1つあったな。
地方駅にしては旅客給食には力入れていたよな。
もっとも時間によってホーム立ち売り販売を
分担していたらしく,時刻表に掲載されている
駅弁でもホームでは買えない場合はあったね。
930:名無しでGO!
07/08/26 17:20:13 ymk0fvs30
もう15年くらい前の3月末に、八甲田に乗って盛岡まで行ったなぁ・・・。
最初、客車がボロくてため息をついたけど、車掌さんの「皆様の旅を、少しでもよい旅にするために・・・」
と付け加えられたアナウンスとか、機関士さんが大ベテランらしくて、機関車の付け替えも「カチッ☆」、
発車のショックもほとんどなく乗り心地は最高だったり・・・・
何より、朝起きたら一面の銀世界だったことに大感動した。
あれほど良い旅は、それ以降経験しないなぁ・・・。
931:名無しでGO!
07/08/27 10:45:21 Bt25gfQb0
>>930
15年程前の八甲田の客車がボロいと言うなら、30年程前の旧客乗った者は orz?
932:名無しでGO!
07/08/27 19:53:49 23i8KtEH0
もうボックスシートは復活しないだろうね。
相席頼むと殺される世の中になっちゃ…
933:名無しでGO!
07/08/28 13:53:26 jKYNMkdX0
ヨーロッパあたりの鉄道だと
ボックスはおろかコンパートメントで知らない人と相席なんて
よくあるのにねーーー。
以前ドイツの安レストラン行ったとき,テーブルは1卓4人が基本で
空テーブルがあるのにもかかわらず,1人客はまとめていて
それが普通みたいだったけど,こういうところは習慣の違いなんだね。
934:名無しでGO!
07/08/28 20:10:28 5E3e5D4+0
冷凍ミカンを売らなくなったからだろ
935:930
07/08/28 20:14:50 NGapL7mu0
>>931
いや・・・あはは・・・(笑ってごまかす)
工房の頃(15年前)は何でも新しいもの好きだったので、まず「古い」のが印象に残ったんだとオモ
古いのに味わいを覚え始めたのは、二十歳をとうに超してからだったからスマソorz
936:名無しでGO!
07/08/28 23:07:47 6LcLGrrO0
>>932
あの事件は相席頼んだ爺さんがいろいろちくちくイランこと言って切れた結果らしいよ
あんたも相席の人にイラン説教とかしないようにねえ
937:名無しでGO!
07/08/29 06:46:34 J/xBk7uVO
>>936
イランジンに説教?
938:BCNR33GT-R
07/08/30 11:13:02 q+9gDD/t0
好きなスハフ12で青森まで乗っていた。
939:名無しでGO!
07/08/31 06:56:04 UCA5CCz7O
>>938
スハフ12って、あの床下発電機の車輌か?
940:BCNR33GT-R
07/08/31 12:53:56 edMt40lV0
そうです。煩い方が好きなんです。うちの車も煩い!
941:名無しでGO!
07/08/31 19:57:49 03FkHr+U0
うるさいのは我慢できるとしても、床下から上がってくる熱気は夏は堪え難かったな。
八甲田に乗ったとき、青森に着いたらすっかり汗だくで、連絡船に乗り換えてから速攻でシャワー浴びたよ。
942:名無しでGO!
07/08/31 20:08:14 dhhDnyNm0
急行 おが 最強伝説
943:名無しでGO!
07/09/02 19:53:26 siXcaf2G0
急行「天の川」。「新星」と同じように、最後まで20系の「寝台急行」で走っていた。
しかし、「新星」が最後尾が普段は切妻のナハネフ23だったのに対して「天の川」はナハネフ22
が普段は最後尾につながっていた。
「天の川」は秋田まで運転されていたものの、新潟を考慮したダイヤになっていたので、
首都圏を出るのは夜遅く、到着は早朝になっていた。そのため、下り列車の場合方向転換をした
新潟から先がこのナハネフ22になり、明るくなった庄内路を最後尾の“展望席”から眺めるのは
格別のサービスだったように思う。
「天の川」は寝台専用急行だったので、自由席を乗り回していた周遊券族の自分には縁遠かった
列車だったけど、唯一乗車した時に最後尾から眺めたこの景色が今でも印象に残っている。
折角のロマンチックなネーミングの20系寝台急行だったのに、最後まで「急行」というだけの
素っ気ないテールサインが残念だったな。