東北夜行の思い出at TRAIN
東北夜行の思い出 - 暇つぶし2ch79:名無しでGO!
06/11/24 20:02:45 SK5xseuQ0
>>75
規制緩和してどういう結果になるかというのは
・・・・・・。異業種を見て、押して知るべし。

TPOみたいなのに夢を託してもいいとは思うが、公共性という点からは
かなり疑問は残るから・・・。

80:名無しでGO!
06/11/24 22:00:48 TxdL8hLQO
>>79
現実問題として、やれるもんなのかと思うがな。

車両は自前で作って、車掌や販売部門なども自前でやるとしても、運転士は束に委託との形になるだろうし、
線路や運行システムや駅施設使用料だってバカにならない。

どれだけの車両設備になるか&輸送人数によるだろうが、
仙台までお一人様5万円なんて価格になったら、よほどの物好きじゃないと乗らないだろう。

まあ鉄ヲタが金を出し合って非営利団体を作り、趣味として動かすならともかく、
営利目的ならまず不可能だろうな。

81:名無しでGO!
06/11/24 22:51:10 f8vvUTW00
 盛岡へも秋田へも青森へも設定本数が

  昼行<<<夜行


 それだけ夜行が普段の乗り物だった訳だ。

82:名無しでGO!
06/11/24 23:05:17 Tq9oj7Nn0
>>81
到達時間を考えると半日どころか丸1日移動日になっちゃってたからね…新幹線開業前
どうしても夜行で有効時間帯を増やさざるを得ない状況ではあったな。

83:名無しでGO!
06/11/25 11:40:58 DMLyogHIO
東京からだと、距離的には
仙台=名古屋
盛岡=大阪
青森=岡山
だからね。(若干違いはあるが)

確か当時の昼行特急なら仙台4時間、盛岡6時間、青森8時間だったから、
仙台までならともかく、盛岡以北は移動だけで1日が終わってしまう感覚だったろう。

84:70
06/11/25 19:43:14 ++ebqJdf0
>>78
御指摘を頂き、改めて当時の乗車記録を引っ張り出して確認してみました。
その結果、貴殿の御指摘通り急行「竿灯」号は10系寝台ではなく、20系寝台車のみの編成でありました。
これより前、急行「津軽2号」に乗車した際に似たようなケースで大幅な遅れを体験した事があり、その
記憶とごっちゃになっていました。
確認もせず思い込みだけで書いてしまいお恥ずかしい限りです。大変申し訳ございませんでした。
ちなみに、その時の急行「竿灯」は20系8両+カヤ21の9両編成で運転されました。定刻は秋田発22:30、上野着9:40
で乗車日は平成元年8月6日でした。横手で折から接近していた台風13号により運転規制がかかり、数時間停車して発車、
最大で黒磯発車が4時間18分遅れとメモがあります。「4時間余り停車~」というのは「津軽2号」の時のことで、メモ
による記録から推理すれば「竿灯」号の横手停車は2時間半程度の停車だったようです。そして上野には結局3時間54分
まで遅れを回復して到着しました。「津軽2号」の時は正確なメモが残っていないのですが、15時位だったと思いました
から、9時間程度遅れていたはずです。
いずれにせよ、「10系寝台で東北線を昼間乗車した」のは事実ですが、「竿灯」号ではありませんでした。
思い込みでいい加減な事を書いてしまい、ご覧になられている方々に不愉快な思いをさせた事、深くお詫び申し上げます。
また、御指摘を頂きありがとうございました。

85:名無しでGO!
06/11/25 22:13:55 gRZtAIMZO
>>83
やはり、上野-青森を所要8時間台で20年以上走り続けたはくつると583系は驚異的だったな…
はくつるは24系になった時点でモウオワタと思ったのは漏れだけ?

86:名無しでGO!
06/11/26 12:54:18 XL568O810
>>85
青森発常磐線経由上野行きの夜行鈍行列車も凄いと思う。
確か日本鉄道開通以来、延々昭和40年頃まで走っていた列車
誰知っている人いないかな?うちの遠い親戚の爺さん(当然故人)
が、たまに行商やら上京時に使ってたけど。延々SLなので
当然、嫌気がさすし、さらに食堂車もないので駅弁やら食って退屈しのぎ。

87:名無しでGO!
06/11/26 17:36:31 PIzkusPm0
ずいぶん昔の「鉄道ジャーナル」に『421列車よ、あれが青森の灯だ』とかいうタイトルで
上野→青森(奥羽本線経由)の『列車追跡シリーズ』にあったような記憶がある。
さすがに私も夜行時代の経験はないが、後年の福島→青森の昼行区間なら乗り通した記憶がある。

88:名無しでGO!
06/11/26 22:42:18 SVTtcNcF0
工房の頃、青森0:02発の上り「八甲田」が仙台に5:30頃着くので、
宿代わりにちょうどよいと、ワイド周遊券を使って夜行4連泊した
ことがある。最後は東京に帰るために十和田6号で上野まで乗った。

「八甲田」は12系だったと思う。
帰りに乗った「十和田6号」は14系座席車で、当時は豪華な特急車両に
乗れたと喜んだものだ。

今はたとえ夜行急行があったとしても、たぶんやらないな。
夜行1泊でもつらい...

89:名無しでGO!
06/11/26 23:25:15 UFZW/TMi0
>>86
228レですかね?43・10改正の時刻表には載ってますが、47・3改正版には乗ってないのでこの改正かその前で廃止だったんでしょうね。
取り合えず43・10改正で2時間半スピードアップしてますね。43・10恐るべし。。
主要駅の時刻はこんな感じです
    39・10 42・10 43・10
     212レ 228レ  228レ
青森  8:01  7:58 10:30
尻内 11:08 11:01 12:30
    11:16 11:20 12:35
盛岡 14:31 14:44 14:50
    14:40 14:53 15:21
仙台 20:04 20:04 20:20
    20:19 20:40 20:37
平   0:41  0:34  0:16
     0:58  0:51  0:50
水戸  2:42  2:32  2:32
     3:10  2:40  2:40
上野  5:39  5:04  4:55
※運賃 1430  2090  2090

90:JR死酷
06/11/27 06:07:43 vXIyOWPS0
>84
とんでもございません。
いずれにせよ、平成元年頃は、新幹線が上野まで開業していたとはいえ、まだまだのどかな時代でしたね。
繁忙期には臨時夜行もそれなりに設定されていましたし、
奥羽スジでは鈍行客レが幅を利かせていた時代ですね。
あと、米沢の牛めし、「つばさ」開業後は、テレビの旅番組等で何度も取り上げられ
すっかり米沢名物になってしまいましたが、その分パッケージ等やたら凝ったものになり値段も高くなりましたね。
この当時はもっと素朴な駅弁だった気がします。


91:名無しでGO!
06/11/27 09:58:57 v01nYUD60
>>90
コレかな?
URLリンク(blog.livedoor.jp)

92:名無しでGO!
06/11/27 10:49:10 lBGMpALbO
よく年末年始臨時の八甲田の自由席に乗った。隣に出稼ぎのオヤジさんが座ったりして話かけられたりした。盛岡のホームに長い洗面台みたいのがあって、顔を洗っている人もいた記憶がある。もうなくなっているのだろうな?懐かしい昔の話。

93:名無しでGO!
06/11/27 20:48:31 B4M1clx30
98年の末期でも結構八甲田は乗車率は良かったのに廃止になって残念

94:名無しでGO!
06/11/27 21:20:33 tsu5WLRx0
昔の駅には当たり前のようにあった洗面台。夜行列車で夜が明けると先を争って急いだものだ。
大きな駅ではそれが十分できるくらいの停車時間があった。その頃前や後に連結されていた郵便車や
荷物車では新聞や大きな郵袋がテキパキと降ろされ、やがてその台車はエレベータに載せられ、ホー
ム相互を移動するトラバーサー(?)に吊られて運ばれていたね。駅弁や立ち食いそばに群がる人、
東北だと朝からワンカップ片手に戻って来る人、いろいろだった。

95:名無しでGO!
06/11/27 23:24:03 fwxNEu6r0
>>94
トラバーサー→テルハだね。主要駅には必ずあったもんだが、今全国どこにも無いそうだ。

96:名無しでGO!
06/11/28 00:49:46 hHJJdbRjO
八甲田に乗るため上野の10何番線??に実家への土産を持って並んでた。12時近く?になると車内の照明も暗くなったし、朝起きると雪景色で故郷に帰って来た事を実感!バイトが終わってから乗れた。かなりお世話になったし私が乗る時はいつも混んでた。

97:名無しでGO!
06/11/28 01:43:35 pO1YPoDn0
>>95
現役なのはないけど、遺構としてなら残ってんじゃない?
大垣で見たような…郡山とか。

98:名無しでGO!
06/11/28 07:10:55 rARM+CIB0
おお、良スレじゃないっすか!
>>76と同様、沿線側(?)から書き込みます。
当時、久喜の住民だったオイラ。登校途中の楽しみは東北本線の朝の往来
でした。特にこれからの時期、上り夜行列車の屋根は雪が「てんこ盛り」
状態だったりするんだよね。天気の良い朝はキラキラ飛沫が舞ってすげー
きれい。115系とは明らかに違うモードで大宮方面に走り去って生きます。
「一体この列車はどこから来たのだろう」とトオイメをして学校に向かいました。
「一体どこから」って東北本線なんだから東北からだろ >昔の自分

99:名無しでGO!
06/11/28 12:08:32 fm9GnZ6O0
これからの季節、屋根の上や足周りにいっぱい雪を土産に上野に到着した北国からの列車は風物詩でもあった。
カラカラの東京で、この上野駅の線路の辺りだけ置き土産の雪が線路の両側に並んでいた。
雪だるま状態の列車を見ているだけで、ふと乗って雪景色を見に行きたい衝動に駆られてしまう。我慢できずに
特に目的もなくその夜、東北行きの夜行の人となる。
でも、着いた東北は激しい吹雪で駅から一歩も出られない。列車も遅れ、一向にやって来ない列車にしびれを
切らして外に出ても、ヤワな都会育ちの自分にはものの数分でそれが無謀である事を身に染みる。結局暖かい
ストーブのある待合室でテレビをボーッと眺めて時間だけが過ぎてゆく。
それでもその夜の上野行きの夜行列車はちゃんとやって来た。雪のせいでふだんより静かなジョイントの音と
暖房の温もりで、しらずしらずにウトウトしてしまう。
昨日の雪野原が別世界のような都会の眩しい朝陽。このギャップがたまらなくて冬に北へ旅する。

100:名無しでGO!
06/11/28 13:20:45 UMsc5D+30
                              ./.
                             /::"
                           //
                  ,..-─-、∴ミミ /  ズギューン!
               ./. : : : : : : : : : ゞ″;;;;ソ;;; 
              /.: : : : : : : : : : : : : : ;;彡・:;;;・
               ,!::: : :,-…-…-ミ: : : : ',・:;・  
               {: : : i '⌒'  '⌒' i: : : : :}  
          .  ./ヾ : | ェェ  ェェ |: : : : :}
           //;;>: :|   ,.、   |:: : : :;!  >>100 氏ね!!!
         /./γヾ: : :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ
         ソ _ソ>'´.-!、,ゞイヽ 二゙ノ イゞ‐´
       τソ    -!   \ ` ー一'´丿 \       
        ノ    二!\   \___/   /`丶、     
       /\  /    \   /~ト、__  /    l \


101:名無しでGO!
06/11/29 00:21:10 4v+64cl6O
昭和50年代、急行いわて?もりおか?だったと思うが床に新聞敷いて寝ている人やナントシンジラレナイが網棚?荷物棚に寝ている人が!それだけ混んでた。車掌さんは寝ている人を避けながら歩いてた、電車急行だった。

102:名無しでGO!
06/11/29 09:53:38 qJxJ43wd0
>>101
当時はそういう光景は珍しくなかった。
「三等寝台」と称して網棚を愛用していた中央線の山男たち。上で寝ているのはいいが、
下にいる客は気が気ではなかった。
そして洗面所も一杯だった。トイレに行くのもままならなかった昭和50年代の夜行列車。

103:名無しでGO!
06/11/29 19:42:20 CXuyxDlb0
>>102
165系救済臨時もそうだった。それこそあの光景が21世紀まで持ったのが凄いわ

104:名無しでGO!
06/11/29 19:56:25 OU+fVYNl0
>>103
今も「ながら」でかろうじて残っているというか、盆正月はもっとすさまじい混雑というか。

105:名無しでGO!
06/11/30 01:12:48 6eNkmujVO
帰省時夜行に乗ると朝、駅に着くと家族の人が迎えに来てるのをよく見た。ホームに長靴を履きアノラック着て毛糸の帽子を被ったお爺さんとか、改札の所で家族で待っている人達が、薄暗い早朝なので駅の照明で浮かび上がって見えたりした。家族に合った、嬉しそうな顔があった。

106:名無しでGO!
06/11/30 01:29:57 /abe9oR90
>>105
そういう光景は別に東北でなくても見られたけれど、そう言えば最近は少なくなったな。
手に持ち切れない程のお土産もなく、ちょっとしたバック1つで帰って来たり、再び戻って行く。
迎えに来たり送りに来る家族も、車でサッと来てサッと帰って行く、そんな光景が当たり前になったね。
いつだか、年末の弘前バスターミナルにいた時、次々と到着する東京からの夜行バスを出迎える家族が
溢れていた。雪でバスは遅れ、しかも増車に次ぐ増車で20数台の大編隊なんだそうだ。
必ずしも号車順に来るとは限らないので、待っている家族はバスが到着する度、右往左往して家族の姿を
探していた。そして、やっと本人の姿を見つけると、駆け寄って久しぶりの再会を喜ぶ家族の笑顔。
昔も今もそれは変わらないのだけど、変わっていたのはそれが鉄道の駅ではなくてバスターミナルになっ
ていたこと…。

107:名無しでGO!
06/11/30 06:54:00 8hrel7R80
津軽平野
【作詞】吉 幾三
【作曲】吉 幾三

1.津軽平野に 雪降る頃はよ 親父ひとりで 出稼ぎ支度  
  春にゃ必ず 親父は帰る みやげいっぱい ぶら下げてよ  
  淋しくなるけど 馴れたや親父

2.十三みなとは 西風強くて 夢もしばれる 吹雪の夜更け  
  降るな降るなよ 津軽の雪よ 春が今年も 遅くなるよ  
  ストーブ列車よ 逢いたや親父

3.山の雪どけ 花咲く頃はよ かあちゃんやけによ そわそわするね  
  いつもじょんがら 大きな声で 親父うたって 汽車から降りる  
  お岩木山よ 見えたか親父

108:名無しでGO!
06/11/30 15:03:53 Q9BgvEWC0
>>107
普通に歌えるけど親父=「おどぉ」だな。

109:名無しでGO!
06/11/30 20:25:07 /abe9oR90
「冬の演歌」は東北じゃなければだめなんだな。山陰でも、九州でもなく、かといって北海道でもない。
やっぱり東北なんだ。
でも、JASRACの承認受けとけよ!

110:名無しでGO!
06/11/30 21:34:32 iq0WKW+F0
>汽車から降りる

汽車=津軽なんだろな。
あけぼのだと今一つ感じが出ない。

津軽海峡冬景色の”上野発の夜行列車”がどの列車か結論が出ない・・・

111:名無しでGO!
06/11/30 21:41:42 OIs57hT40
>>110
キネ旬「蒸気機関車」で
急行「八甲田」と結論が出た記事を読んだ覚えがある


112:名無しでGO!
06/12/01 00:17:05 nwcdUhbj0
>>111
そうなのか。「八甲田」なのか。言われてみれば、まぁ、自然と言えば自然だな。
これは自分もカラオケじゃ良く歌うけど、カラオケの絵は583系「はつかり」の野辺地駅だったりして
急行客車など出て来ないね(少なくとも自分が見たのは)。青函連絡船は大雪丸とか摩周丸だったと
思ったけど。

関係ない話。カラオケで電車の絵が出て来ると、鉄が混じっているとやたら突っ込みがうるさい!
悲しい性なんだな。で、「津軽海峡~」の後は「函館の女」が定番。これもオヤジ鉄の悲しい性!

113:名無しでGO!
06/12/01 21:11:33 CeMxveOZ0
>>112
漏れはカラオケで汽車が出て来ると、撮影場所の推定にかかるがなw

114:名無しでGO!
06/12/02 11:46:49 7JmEM1EIO
郵便車の話が有ったが短い停車時間でも積み卸しやってたな、主な駅のホームの柱などに小さいポストが有り、そこや駅前のポストに出すと早く着くと言う話、噂があり田舎の人はよく駅前のポストに行った。多分直接、郵便車にのせるからと思うが、実際早く着いて驚いた事がある。

115:JR死酷
06/12/02 15:38:18 qXVBvUbq0
>111
津軽海峡冬景色が大ヒットしたのは確かS50年代半ば??
まさに国鉄末期、航空機の一般化により長距離輸送が深刻な打撃を受け始めた時期だったと思う。
室蘭電化に伴い、当時の国鉄北海道は、札幌(千歳)中心のダイヤにするべく大改正を行った。
これにより函館は、北海道鉄道の起点から、釧路や網走同様、単なる特急の終着駅的な立場となる。
歌の舞台でもある連絡線は、まだ廃止へのカウントダウンというムードでもなく、瀕死の状態だった。
そして東北は、新幹線開業直前の最後の黄金期だった。
したがってこの歌がヒットした時期、歌の主人公の女性が、マニアで無い限り、青函連絡の上野発夜行といえば
583系「ゆうづる」が一番自然だと思う。絵になるかどうかは別として


116:名無しでGO!
06/12/02 16:32:20 g6pWfNGT0
>>110
多分、奥羽本線を経由する列車のうちのどれかだと思う。

ヒント:
歌手の名字=弘前市内の駅

117:名無しでGO!
06/12/02 19:16:40 S2Gr/3v80
「はくつる」が廃止1~2ヶ月前に青森からゴロンとで上野まで乗った。
そしたら向かいの人もマニアだったので、八戸あたりまで談笑したな。
明朝、宇都宮過ぎて起きてからも談笑して上野で別れたけど、その後3回も
同じ列車で遭遇して、ある意味奇跡だった。

118:名無しでGO!
06/12/03 01:13:53 cH3DPNwg0
>>115
昭和52年の大ヒット曲ですね
その本の結論が八甲田なったのは特急車両じゃ旅情が無いんでやっぱ旧客じゃないかって事と
他の列車だと連絡線への乗り継ぎの時間が慌しいから歌詞に出てくる「海鳴りだけを聞いてる」余裕が無いって事
当時のダイヤは分からんが確かそういう理由でしたよ

119:名無しでGO!
06/12/03 01:45:24 Zc6IflTK0
>>118
そうだろうね。歌詞の流れで行けば確実に青森で時間があるようだし、すぐ連絡船に接続している
特急だとそんな余裕はない。
ところで、今手許にS54年12月の時刻表があるのだけど、それで見るなら「八甲田」の青森着は6:17。
次の連絡船接続は7:30発の5便だ。でも、これは朝早くてこの歌のような先を焦るような旅ではないようなことを考えると、
次の9:50発の7便か10:15発の17便とも考えられる。ただこれだと青森8:14着の「十和田1号」(季節臨)か
9:07着の「十和田3号」とも言えなくもないね。むしろ時間的にこの方が自然かも知れない。
でも素朴な疑問として、青森駅の桟橋待合室から「海鳴り」はそんなに聞こえたかなぁ?
確かに冬場の時化の時は聞こえなくもないだろうけど、桟橋待合室は当然窓を閉めているだろうし、
外に出て岸壁に立たなければそんな音は聞こえないだろうと思うけどね。
ついでに言うなら、『♪北へ向かう人の群れは誰も無口で…』…ていうのも、それはイメージだね。
結構ガヤガヤしていたし、特急の接続の時は桟橋に向かって皆ホームからなりふり構わず走っていた。
そんな海鳴りだけを聞いている余裕などなっかたよな~!
…まぁ、変なツッコミ入れても仕方がないですね。良い歌だから余り深く考えず歌いましょう!

120:名無しでGO!
06/12/03 02:17:11 5tlMzqBn0
長距離夜行列車にて。高校卒業記念に旅に出た3人の若者は、4人がけの席に座った。
男ばかりの気安さで盛り上がっていると、
「あのう。ここ、あいてますか」
見上げれば、かわいい女の子が一人で立っている。喜んで座ってもらったのは言うまでもない。
今度は4人で楽しく盛り上がった。
若さをもてあましている男と女。夜がふけ、周りの席が静かになってくると、
話は少しずつエッチな方へと移っていった。
「ねえ。一人100円ずつくれたら、ふとももの蚊に刺された所、見せてあげる」
女の子が笑いながらこんなことを言うと、3人は即座に100円を取り出した。
女の子はスカートをめくり、ふとももをあらわに。
「うおー、すげぇ」と、うれしげな男3人。
「ねえ。一人1000円ずつくれたら、胸の谷間のほくろ、見せてあげる」
今度も3人はすぐに1000円を払った。女の子はシャツの胸元を大胆に開けてみせた。
「うおー、すげぇ」
「ねえ。一人10000円ずつくれたら、盲腸の手術した所、見せてあげる」
3人は、待ちきれないように10000円を払った。30000円を手にすると女の子は立ち上がり、
窓の外を指差した。


「ほら見て。あの病院よ」

121:名無しでGO!
06/12/03 07:19:00 Tnk1y0AcO
臨時停車して乗客を救急車で搬送した記憶が2回位アリ、いずれも乗客同士の喧嘩での怪我だったと思う。窓ガラスが割られベニヤ板とガムテープで補強してたなー~。
オヤジの酒が原因?どちらも下りだった。救急車で運ばれ人はとんだ帰省になったはず。

122:名無しでGO!
06/12/03 10:43:12 Zc6IflTK0
昔の東北夜行で1つ思い出されるのが深夜の一ノ関駅で駅弁販売があったこと。
全国的に夜行列車が減少して行き、深夜の駅弁の販売などほとんどなくなって来た時代、
恐らく最後まで残っていたのがこの一ノ関と静岡だったかも知れない。
静岡は言うまでもなく大垣夜行の客のため、そして一ノ関は「八甲田」の客のためだった。
もちろんコンビニなどなかった時代、座席主体の「八甲田」だったから、
周遊券族の若者達などでそれなりに需要があったのだろう。

昔ながらの「べんと~」という立ち売りスタイルで深夜のホームで売っていた。
そしてそれは「八甲田」が臨時に格下げされて運転されていた時期まで続いていた。
時間は多少ずれたが、夜中の1時前後だったと思うが、列車の到着に合わせて駅弁売りのおじさんがホームに立った。
14系になり、窓も開かない車両でどれだけの売上げがあるのか疑問だったが、
私達を含め、数人の列車を待っていた人に1つ、2つと売れていた。

123:名無しでGO!
06/12/04 08:29:59 EbqKMrq20
東北夜行で思い出すのは急行「八甲田」だなぁ。
渡道の時に何度となく使ったことを今でも昨日のことのように思い出す。
漏れが良く乗っていたのは今からちょうど20年前ごろ。
北海道ワイドが学割×冬季割引で確か22800円だったと記憶している。

当時はもう14系客車になっていたが
何と言っても、上野駅13番線の独特の雰囲気と出発前の車内放送が良かった。

「この列車は、急行八甲田号青森行きです。停車駅と時刻のご案内を致します。
大宮21時41分、小山22時27分、宇都宮22時52分、西那須野23時34分、
黒磯23時46分…」
と続き、
「盛岡5時46分、沼宮内6時27分、一戸6時58分、
北福岡〔まだ二戸ではない〕7時4分、三戸7時18分、八戸7時35分、三沢7時58分、
野辺地8時24分、小湊8時40分、浅虫8時49分、終点青森には明朝9時8分の到着です」
(手許にある1986年5月号の時刻表より)
特に、盛岡を超えて、「一戸」「三戸」「八戸」といかにもみちのくっぽい地名が続き、
最後に「野辺地」で止めを刺される感じがした(w
まぁ、目的地はさらに北の北海道だったわけだが・・・

124:名無しでGO!
06/12/04 12:47:04 vwNjW6W40
>>123
若干訛りがある放送が乙だったな…。

125:名無しでGO!
06/12/04 14:26:35 xhHlMZ4H0
>>124
「沼宮内(んまくない)」「野辺地(のへづ)」とかあったね。

126:名無しでGO!
06/12/04 17:45:15 I/dQRiRNO
北に行くんだて気持ちになれたなぁ。

127:名無しでGO!
06/12/04 18:09:25 mMr97h080
>>123
やっぱ北海道へは急行だと「八甲田」が便利だったんだろうな。
座席車のみの編成で青森着が6時と3急行の中で一番早い。
津軽は遠回りだし、十和田は時間帯の良い3号は寝台車主体、座席急行の5号は青森着が昼頃で遅すぎと。。。
夜行じゃないけど もりおか1号 ⇒ しもきた ⇒ 青函航路深夜便 のコースも人気だったとか。

128:名無しでGO!
06/12/04 20:47:20 FAfGIKGNO
八甲田と思ったが冬のメチャクチャ寒い時ドアが氷で凍ってしまい、おじいさんが降り損ねた事があった気がする??
折り畳んで開くドアで氷がみっしり付いたらしい。地元紙にも小さく載った気がする。おじいさんはドアの前でそのまま突っ立ってたらしい。

129:名無しでGO!
06/12/04 21:01:04 +wtx/Lhz0
東北夜行でよく使った列車の1つに「あづま3号」がある。東北へ向かう夜行列車のしんがりを努めたこの列車、
会津若松へ向かう「ばんだい」と併結されて仙台まで走った。仙台行きなのに福島から普通列車になるため、「ま
つしま」ではなく「あづま」を名乗っていた。
仙台に7時頃着くこの夜行は、翌日仙台周辺の移動には好都合だったし、当時お付き合いをしていた彼女に会いに
行く時の定番だった。朝一番の「ひばり」では仙台着が昼近くになってしまうので、もっぱらこの「あづま3号」
を使っていた。ただ、難点は夜行なので眠れず疲れぬこと、身支度を整える場所が余りなかったことが悩みだった。
駅近くのホテルの洗面所をそれとなくお借りして着替えたりしたのも今は想い出。
でも、帰りの「あづま4号」はほとんど使わなかった。上野到着が早過ぎたのと、放浪旅行でもないのに2晩夜行
はさすがにきつかった。
今、「はやて」が1時間半で走り抜けるのに隔世の感がある。でも、距離的に「ムーンライト」のような夜行がほ
しい区間なんだけどな。
そう言えば、東京-仙台の東北急行バスが今月半ばから3900円の格安便の運行を開始するという。言うまでもなく
ツアーバスに対抗した設定便だけれど、これでは益々夜行列車など出る幕がなくなってしまうようだ。

130:名無しでGO!
06/12/04 21:16:42 oDDyMnBO0
斉藤清六が青森かどっかの営業から実家(赤羽の近く?)へ帰る際に「八甲田」を利用したらしい(欽どこの頃)
しかし、赤羽到着に気付かず発車寸前にやっと「赤羽だ!」と気付きドアまでダッシュするも
目の前で自動ドアが閉まってしまった。
彼はこのままでは赤羽に戻れないと思ったらしく、

「降ろしてくれ!!」

とドアを叩いたが、かなり力が入っていたらしくドアのガラスを割ってしまった。
ホームに響くガラスの砕ける音・・・おかげで列車は緊急停止、駅員に大目玉を食らったとか。。

131:名無しでGO!
06/12/05 14:51:51 rB32CpfTO
ねぶたの時期、三沢のアメリカ人が乗ったり盛岡が23時頃??だったので北上や一関の酔っ払いのサラリーマンも乗ってきた。私の隣の人は寝てしまいコウリヤマ辺りでさわいでいた。結構こういう人いたはず、八甲田の話。

132:JR死酷
06/12/06 15:21:16 XIH0g4+o0
私が「八甲田」を利用するようになったのは、14系以降だから、最晩年の時期ですね。
それでも、本当に旅情のある列車でしたね。
13番ホームに近づくと、スハフの騒音が振動と共に伝わってきて「夜行で北へ旅立つんだな」という気分が盛り上がります。
あと、深夜の黒磯~郡山では、もぐり(無許可)のアイスクリーム販売をやってました。


133:age厨 ◆ocjYsEdUKc
06/12/08 02:47:41 K773g3Bx0
太宰治に「列車」っていう、東北夜行を題材にした短編があるよ。
あ、もちろん戦前の東北夜行ね。

134:名無しでGO!
06/12/08 03:19:39 hltnQTX10
読んでいたら懐かしいね。
そのまま上野駅の地平ホームを思い出したね。
夜行の存在自体は否定はしないけど583でムーンライト仙台が上野から
出たときほとんど乗っておらず・・・
ヲタに聞いたら「青春18きっぷが使えない」と寂しい声が聞こえた。
日付変更線がヘンナトコなんで損する感じなんだろ。
それ以来、ヲタはエゴの塊と感じたね。

臨時で津軽の最終日(97.12)八甲田の最終日(98.夏)もともにガラガラだった。
並ばなくてもラクに座れる夜行を見て愕然とした。
臨時津軽の最後の時期は寝台も付いていたのに・・・
結局、走っているっていう満足なんだよね。寂しいけど。
秋田まで4時間、青森も似たような所要時間で誰が今、夜行に乗るのだろうか?
週末に仙台行きの臨時新幹線が走っている。なんとこの発車時間は22:16分。
この時間は臨時八甲田の上野の発車時間。
東京駅の新幹線の臨時仙台行を眺めながらそう自分に言い聞かせている

135:名無しでGO!
06/12/08 09:04:54 4eihX6OyO
乗客のニーズが減ったから無くなったのか?時代が変わり、安い高速バスがうって変わった。でもなんかバスで帰っても感慨が薄いような?
降りる時、恥ずかしいが座席に捨ていった雑誌を探して拾っていた。雑誌の発売日が田舎町は遅かったため友人にやると喜ばれた。田舎の発売日より早く手に入るためだ。他の人もしてた。

136:名無しでGO!
06/12/08 11:07:22 iXQcuN8b0
夜行列車の衰退はあちこちで言われている通り。何れ郷愁の中、演歌のカラオケの中でしか
見られなくなってしまうのだろう。
かつて夜行が10時間以上をかけて走った距離を新幹線が1/3の時間で運び、航空機も安く
一般大衆化した。キメ細かさに安さとそれなりの快適を売りにした高速バスが発達した現在、
陳腐化した「国鉄」スタイルの夜行列車だけが昔とほとんど変わらない。唯一、豪華さを売
りにした一部の列車だけが人の目を惹くだけで、あとは一般人にはその存在すら知られなく
なった。仕方がないと片付けるしかないのだが、夜行列車が主役だった時代を知る者には淋
しい限りだ。

上野駅の地平ホームも今は通勤電車ばかりで淋しくなった。大きな荷物を持つ旅行者であれ
だけ活気に溢れていた時代を、この今の通勤電車から吐き出される人々の溢れる今の姿から
は想像できない。
でも、上野駅でその当時から今でも変わらないものが1つだけある。長距離列車が上野に到
着した時に流れる「うえの~、うえの~」の独特のイントネーションで繰り返される“肉声”
の到着アナウンス。昨今は自動音声も多くなってはいるが、長距離列車が到着すると肉声で
このアナウンスが聞こえて来ることが多い。代々引き継がれている到着アナウンスのようだ
けど、これを聞く時、その当時の情景が一瞬だけ蘇るのだ。

137:名無しでGO!
06/12/08 11:38:29 iXQcuN8b0
前述に続いて、青森駅のアナウンスも今も独特だな。
「あおもりぃ~、あおもりぃ~」って文字じゃあ表現しにくいけど、多分皆さん御存知のはず。
この駅の呼称も昔から引き継がれている。
無機質な自動放送に慣らされた現在では、むしろ新鮮だ。
都会の駅の肉声放送は「お下がりくださ~い」「電車が来ます」「ドアが閉まりま~す」「駆け込み
乗車はお止め下さ~い」などと絶叫するのが“肉声”なのである。

138:age厨 ◆ocjYsEdUKc
06/12/08 11:42:52 HjNT1MoC0
>>134
東北ワイド周遊券も無くなったしね。最早、今買える広域エリア乗り
放題切符が、青春18きっぷしか無くなった様なもんだから。

139:名無しでGO!
06/12/09 02:10:13 AjTZdbYj0
>>130
斉藤清六の実家(赤羽の近く?)

そのものズバリ赤羽(岩淵町)だな。

140:名無しでGO!
06/12/09 22:25:58 ND3lWCrTO
東北道は立派でSAも有りそれに比べ線路は周りもサビシいな。夜行列車が無くなるのを象徴しているようだ。ところで夜行列車で冬、暖房が効きすぎるところがあり夜起きた事があったな。座席の下の方だったか?奥中山付近で止まった?事も有ったような??雪のせい。

141:名無しでGO!
06/12/10 01:11:18 myeUs7lN0
冬場の夜行列車、10系寝台客車で電気暖房の(いわゆる客車の2000番台)寝台は「下段」だけは
絶対避けていた。一度「鳥海」で下段寝台に乗り、まるで「カチカチ山」状態!で一晩えらい思いを
した。余りの熱さに毛布を“敷き布団”にして熱を抑えて、毛布代わりにコートをかけて何とか寝た。
これ以来、冬場の寝台の下段は避けるようにした。
逆に夏場の寝台の上段は冷房が効き過ぎて震えたり、とかく温度調節に悩んだ昔の急行寝台の旅だった。

142:名無しでGO!
06/12/10 10:03:00 J+KDUgwY0
温度調節ネタだけど、過去の悪事をザンゲしまつ。

急行八甲田だったと思うが、冬場は12系(14系だったかな?)でも
暖房効き過ぎで参った経験が多かったので、
暑がりの漏れは、上野で車内に入った時にベンチレーターを1つだけ半開にした。
(天井にアイバーが出ているのですぐに分かるはず)
これで、新鮮な外気も入るし、「頭寒足熱」で一石二鳥マンセーと思っていたら、
宇都宮をすぎるあたりで、前の方から叫び声が。。。

 水 漏 れ し て い る ぞ !

外気との温度差で、ベンチレーター付近が結露し、
アイバーから水が滴っていたのでした。

あの時、滴を受けたお兄さん、ごめんなさい。

143:名無しでGO!
06/12/10 13:22:47 FImbqdWn0
>>142
お、お前かっ!

144:名無しでGO!
06/12/10 14:53:06 cajfgkkzO
>>141
去年だったか、583ゲレデン蔵王に下段に乗った。
暖かくて「こりゃいいや」と、大宮過ぎた辺りでウトウトした。

…いつの間にか砂漠にいる。じりじりと照り付ける太陽に、
「やべぇ、涼しい所に逝かないと死にそう」と思ったりしていると。

ぐはぁっ!と口で大きく息した時に目が覚めた。
全身がとても熱くなっていて、汗びっしょり。口の中もネバついて喉がカラカラ。
その後はヒーターのある隙間をハンカチや替えのシャツで埋め、
身体を車体にくっつけるようにして熱を逃がした。
目が覚めたのは黒磯停止時。その後寝付けられず、寝そべりながら外をみていた。
須賀川あたりからだったか、曇1つない夜空に月が右に左に動きながら見える。
これぞまさしくムーンライトだなあと思いつつ、いつの間にか再び意識が飛んでいった。

145:名無しでGO!
06/12/10 19:17:12 3t+EHIbo0
>>142
オレもあまりに暑かったのですぐ後ろの席上にあったレバーを動かして"全開”にしたら、真下の席のおじさんに怒られた。
ベンチレーター真下の席だと、寒い位らしい。

たしか59年1月4日発の下り津軽増10号車での話。
Uターンラッシュとは反対の列車なので、さぞかし空いていると思いきや、指定席は満席、自由席も10号車までは半分以上乗っていた。
しかし増10号車だけは半分も乗っていなかった。スハフ恐るべし・・・
福島で駅弁売ってたのはビックリしたっけな。思わず買ってしまったけど。
板谷峠の雪景色を見ながら食べた牛めしは、すっかり冷え切ってた。


146:名無しでGO!
06/12/10 20:10:44 myeUs7lN0
晩年の12系や14系の場合、スハフを嫌う人が多いようだけど、自分は割合好んで使っていた。
何故かといえば、やっぱり皆が敬遠するので比較的空いていたからだ。多少のエンジン音など
気動車に乗っていると思えばそう気にもならず、それよりゆったり足を伸ばして行ける方がず
っと良かった。そして大概端っこに連結されているので、余計空いている確立が高かった。

ベンチレーターの開け閉めはさりげなくやったな。でも、確かに真下は結構隙間風のように入
ってくるんだよな。その辺の加減が難しいんだけどね。それと14系も冬場は暑くてかなわない
車両だった。混んでいるとじっと座っているのが本当にしんどかった。暑いとちょっと窓も開
けられる12系の方がまだよかった気がする。一般客車の隙間風にも困ったものだけど。

147:名無しでGO!
06/12/10 21:16:04 6JSmST2E0
昭和60年のゴールデンウィークのこと。
急行津軽で弘前逝きを敢行したのだが、連休中ということで混むことを予想し
発車3時間前に上野へ行くと既にホームに行列が出来ていた。
入線間際には物凄い雑踏と化したホームには鬼気迫るものがあったが、何とか
座席は確保に成功。
しかし先発した八甲田同様、朝の山手線並の混雑で、デッキから溢れんばかりの
乗客でドアが閉まらない!
5分ほど遅れてやっと発車したものの、通路までビッシリと立ち客で埋まり身動き不能。
福島でトイレに行こうとするも車内のトイレは自分の席からは遠く、通路に立つ人々を
掻き分けホームに脱出して駅のトイレで用を足した。
福島発車後も途中駅で若干降りた人が居たものの、深夜に関わらず同じ位の人が
乗り込み、夜が明けて秋田を過ぎても車内の混雑は余り変わらず。
弘前で自分を含めかなりの人数が降りたが、やはり桜が目当てであったか、と思う。
YHで同じ列車に乗っていた人と話をしたが、彼は上野から遂に一度も座れなかった
とのこと。
あとにも先にも、あんなに混雑した夜行列車に乗ったことは無かった。

148:名無しでGO!
06/12/10 22:33:27 t67j2rBT0
>>132

東北新幹線の大宮暫定開業の後でリレー号に乗っていたら、アイスクリームの箱を持ったおじさんが
売り歩いていたなあ。

149:名無しでGO!
06/12/11 01:32:11 9X8DNgqrO
乗車時間はせいぜい30分程度なのに
アイス売るってのもすごいね。

150:名無しでGO!
06/12/11 21:31:48 3TrPrIrDO
上りで親父さんにウォークマンの使い方を教えた事がある、顔はシワだらけで体は小柄だが手の指の骨が異常に太かったのを覚えている。カセットは北島三郎だった。もうあんな人達は見ない。

151:名無しでGO!
06/12/12 15:24:14 ce1JgWnQ0
国鉄時代、年末年始、お盆のピークに東北夜行恒例の列車があった。
といっても、ここで出て来る上野からの夜行ではなく、名古屋から出ていた臨時急行「あおもり」
「あきた」が走っていた。もちろん、普段は名古屋と東北を結ぶ定期列車の設定はなく、帰省シー
ズンのピークに大体方夜行で下りのみ運転されていた。
昔は一般客車の寄せ集め、晩年は12系だったが、名古屋を22時頃出発して米原経由で青森には17
時頃の到着と、なかなかのロングラン列車だった。大阪発の「きたぐに」の少し前をずっと走って
いたけれど、大半は新潟、庄内、秋田位までで降りてしまい、青森まで行く人は僅かだった。
この列車、運用の都合で最終日のみ秋田止まりの「あきた」、もしくは新潟行きの「にいがた」と
して運転されていた(目的地の駅名がそのまま列車名になっていた)。
今、583系の臨時で走る「あおもり」は、元はこの名古屋発の臨時急行の名称だった。

152:名無しでGO!
06/12/12 19:06:57 stLVe7Px0
URLリンク(www.uploda.net)

ちょっと趣向がズレるかもしれませんが、53・10改正時の青森駅時刻表作ってみました。
上野発車時刻は良く見るので、反対目線で。

しかし、ゆうづる(w

153:名無しでGO!
06/12/12 19:20:46 h4GMqwyb0
東北線の夜行鈍行はいつ頃まであったの?

154:名無しでGO!
06/12/12 19:53:59 m8qxTpjX0
昭和57・・・、59年頃らへんまで?
とにかくそんぐらい。

155:名無しでGO!
06/12/12 20:53:39 0ijiE6Mu0
>>153-154
43・10改正だと奥羽線・常磐線あり。47・3改正では残ってない(同じ列車番号で昼行区間は残ってるが・・)。
47・3改正で死んだのかも。

156:名無しでGO!
06/12/12 22:58:05 rFKI/0wO0
57年ごろに一ノ関行きの東北本線経由の客レ鈍行があったはず。
ちなみにEF57が運がいいと引いていたね。客レは当然旧型で
ドアから身を乗り出す連中もしてたし、幻想的な景色だし良かった。

ただ、やっぱり普通は夜行に揺られるより特急ひばりか
他の急行に乗る人もいて乗車率は多分年末以外はあまりいなかった。
もし18切符シーズンとかならパニックになっただろうな。消えた時期と
18切符シーズンがうまく利用できず残念

157:名無しでGO!
06/12/13 08:34:53 E8U8KwVg0
>>156
53・10改正で消滅@一ノ関行


ただ、昔の鈍行は編成が長かったんで、逆に今より空いてるかもしれませんね・・・?
鈍行同士の接続もかなり悪かったし、特急退避の関係でかなり鈍足だったので、
たしか途中ワープを使わないと東京を始発で出ても青函連絡船の深夜便には間に合わなかったでしたね。


158:名無しでGO!
06/12/13 09:05:46 d7TYkVoM0
>>155
手許のS47.1月号時刻表には、
●421レ秋田行 上野2242 → 福島557 → 山形911 → 秋田1512
(この列車は、秋田で1421レ青森行きに39分待ちで接続)
●227レ仙台行 上野2220 → 水戸109 → 平354 → 仙台811
の2本があります。
ただ、上は奥羽方面、下は常磐方面なので、純粋に東北本線方面の
夜行普通列車はもうないですね。
この時刻表だと、
かなり長距離夜行普通が残っている(新潟1515→米原450とか)のですが、
東北方面は早くになくなっていたみたいですね。

>>157
一ノ関行123レは
上野1117 → 宇都宮1317 → 福島1734 → 仙台1956 → 一ノ関2300
でした。

159:名無しでGO!
06/12/13 17:49:33 ywBFuFMD0
>>158
421レは同一編成が秋田で列車番号が1421レに変わって青森へ向かったと思います。
123レ一ノ関行きは最後まで残っていた東北本線の普通長距離列車でしたね。電車が幅を利かせ
始めた時代、長い客車を列ねて発車していたのを何度も眺めていた覚えがありますが、とうとう
一度も乗る機会がありませんでした。

160:名無しでGO!
06/12/13 18:47:00 DLAZEoOqO
>>158
常磐線の227レはC62牽引の「ゆうづる」「十和田」撮影の話によく登場する列車だな。

161:名無しでGO!
06/12/13 23:49:08 5hLZy9+60
土曜の夜に上野駅で227レに乗車して日曜の明け方に平(現:いわき駅)
で下車して明け方を疾走するC62牽引の「ゆうづる」を撮影していた人が
沢山いた。
日光が少ないので撮影するのに苦労したそうだ。
だけど撮影した後の満足感は大きかった。
黒い巨体に赤いヘッドマークを掲げて青い20系客車を牽引する姿に魅了
されたそうだ。


162:名無しでGO!
06/12/14 08:37:41 Tc90h8x10
>>161
たしか電化ダイヤ改正日の前からゆうでうは既に新線経由でED75が牽引していたらしいですね。
しかし、その新線が土砂くずれ(?)で、使用不能になり急遽旧線ルートを再使用。
当然ED75は使えないので、C62がも使用再開、数日間だけど奇跡の復活と言われたとか。

163:名無しでGO!
06/12/14 09:34:18 RLbiw/2JO
>>162
下りゆうづるは9月中頃からED75牽引になったものの広野付近の土砂崩れで蒸気牽引フカーツ。
急行は原ノ町駅電化の関係で本線上で給水不能(感電の恐れあり)になったため
42年7月頃より原ノ町で機関車交換(蒸気同士、後に電→蒸)を実施。
ただ、上りゆうづるは最後までC62が牽引したハズ。一種のファンサービスだった可能性もあるが。

164:名無しでGO!
06/12/14 17:42:30 TU3VsQEp0
昭和42年9月30日に実施された上りゆうづる最後の釜は
C6223だった。
この機関車の煙突は他の釜より若干短かった特徴がある。
平機関区(当時)のC62の中で性能が良好だったので最も
多くのゆうづるを牽引した。

165:名無しでGO!
06/12/14 18:40:45 axJdlB/h0
>>152
実家に昭和53年10月2日改正の青森駅発着時刻表が残ってたよ。
物置の扉の裏を見てみたら、何気に貼ってあったので即回収した。
勿論、臨時列車は載っていないがね。

166:名無しでGO!
06/12/17 01:01:30 nL3uZt+/0

所で、999牽引機だった(?)C62-48って「ゆうづる」を引いた事あるんですかね?

平機関区のゆうづるC62の運用は、かなりキツかったそうですね。
仙台まで下りゆうづるを牽引してそのままトンボ帰りで上りゆうづるだったようですが、
仙台での折り返しが1時間もなく、その間に給水・給炭等を済まさなきゃいけないので、
下りの遅れは厳禁だったとか。

167:名無しでGO!
06/12/17 01:13:56 b2b+xp4R0
14系の八甲田しか経験ありませんが、
精神的に参っていた時期でもあって夜明けの奥中山付近の光景が忘れられません。

168:名無しでGO!
06/12/17 10:24:21 39I+TRGk0
>>166

そうです。48号機は「ゆうづる」を牽引してました。
ちなみに「ゆうづる」を牽引したC62は下記のとおりです。
10 22 23 24 37 38 39 45 46 
47 48 49
このうち「ゆうづる」牽引機会が多かった釜は23、48、37です。
逆に牽引する機会が少なかった釜は10です。状態が悪い釜でした。

ゆうづる運用を見てみると
平 0:43→5レ→仙台3:00
仙台3:50→6レ→平 6:05
とギリギリの折り返し運用ですね。
高カロリー石炭を使っていたけど運転時間がC62の性能を極限まで追求
したスジなので関係者の皆様の苦労は相当でした。
それでも特急牽引なので皆プライドを持って運用に当たっていました。

169:名無しでGO!
06/12/17 11:29:51 ITrwUSdE0
>>167
オレも仙台での学生時代に結構お世話になりましたね、14系八甲田。
あと仙山線経由いなった津軽。

北海道旅行や、周遊券を使った東京への行きかえりに利用。6時頃到着する盛岡で既に駅弁売ってました。
上り八甲田は週末に乗ることが多かったので、仙台から座れる事は滅多になく、大概デッキの段差に座って上野まで行きました。
大宮で座席に座れたときの幸福感が懐かしい、、、
まあ、どうしても仙台から座りたくて車内で指定券を買った事もあります。たしか1740円かな?
満席の自由席に比べて、指定席はガラガラだったのが、この列車の性格を表してました。

>>168
ED75化後

42年改正              (43・10改正)
平 0:42→5レ→仙台3:00 (平 2:07→2023レ→仙台4:18)
仙台3:50→6レ→平 6:05 (仙台0:33→2024レ→平 2:48)

C62の平坦線での高速性能は凄いんですね。。

170:名無しでGO!
06/12/17 13:55:51 uNTnX3G/0
>>169
42年にED75が「ゆうづる」を牽引するようになったダイヤを
見てみるとC62牽引時代より遅くなっているスジがあります。
75の高速性能がイマイチな部分が出てます。
この機関車は65みたいに貨物で威力を発揮する釜なんでしょうかね?

171:名無しでGO!
06/12/17 14:00:33 YlzPimki0
>>168
ゆうづる運用を見てみると
平 0:43→5レ→仙台3:00
仙台3:50→6レ→平 6:05


今の時代、1時間程度の折り返し準備なんて大したことない所か余裕ありすぎな運用だね。
電気機関車でも10分もあれば十分な折り返し運用が出来るのを考えたらSLって
かなり手間が掛かるとつくづく思うし、現場の職員も神業だと感動するよ

172:名無しでGO!
06/12/17 15:32:31 uNTnX3G/0
そうだね。
短い折り返しの時間内で給水・給炭・釜の整備をやるから現場の人は大変
だったろうね。

機関区で働いていた人の回想録:
軸重が重いし「ゆうづる」はスピードが速いからロッドの回転部や平軸受
の先台車が酷かった。
夜遅くまで残業して次の日の交番「ゆうづる」にギリギリ間に合わせた事
が何度もあった。
しかし手間がかかっただけに可愛かった。

173:名無しでGO!
06/12/17 22:10:28 xN7kTvxm0
「ゆうづる」のC62は
下りゆうづる→上り第四十和田、下り第二十和田→上りゆうづるで運用されてた。

このため下りと上りでナンバーが違う。(HMは仙台で差し替え)
下りは47・48号、上りは22・23・39号が多用されたそうな。

174:名無しでGO!
06/12/17 22:50:54 KPUaQS9BO
しつもん。そこまで大変だったのに、
何でジーゼル機関車入れなかったの?
SLの方が高速性能があったからなの?

175:名無しでGO!
06/12/17 23:34:31 uNTnX3G/0
たしかに。
仙台~青森にDLを投入したのに平(現:いわき)~仙台にSLを
入れなかったのは不思議だね。

176:名無しでGO!
06/12/18 00:05:01 778k5XDMO
>>174-175
常磐電化の完成までにはそれほど時間がかからず、DL化には給油設備や乗員研修等無駄が多すぎた。
盛岡以北のように連続勾配がある訳でもなく、何よりDD51の製造・配備が追い付かない。
C62でも特急・急行は充分牽引出来たし。

177:名無しでGO!
06/12/18 00:28:48 d4ftb60F0
なるほどなるほど。
その結果として仕事や用事を済ませてから土曜の夜に上野駅を出発して
日曜の明け方から1日中SL牽引の客車列車や貨物列車を撮影して日曜
の夜に上野駅に帰れたオマケが付いたね。



178:名無しでGO!
06/12/21 21:57:09 ym7TKoAm0
ほしゅ

179:名無しでGO!
06/12/23 13:56:23 pvlksxuWO
直接関係ないが夏休みに盛岡に寄ったら昔あかべこ機関車がいっぱいいた機関区がなくなり跡地は草木がボウボウとなり昔の面影が全くなくなっていた。
在来線のホームも寂しく立ち食い蕎麦屋もキヨスクもなかった。夜行列車は遥か昔のノスタルジーの世界だった。

180:名無しでGO!
06/12/23 14:26:31 MG/DVLPH0
>>158
それらは荷物車(ついでに郵便車も?)併結でなかったっけ?
各幹線の交通公社時刻表の最後の1~3行は必ず荷物列車の欄。旅客列車とかぶる区間、かぶら
ない区間があったりで興味津々だった。:小荷物とか駅留の鉄道小包とか、もう死語だよな。

181:名無しでGO!
06/12/24 02:25:45 xSnSvQF5O
>>180
新幹線.寝台特急の荷物便取扱いのルールを結局知らないままだった漏れ。
鉄道荷物を知らない世代にとっては、あまりに非効率だなと思う

182:名無しでGO!
06/12/24 03:22:09 yHncPKDM0
チッキの事でつか?

183:名無しでGO!
06/12/24 10:36:35 AyCRxFAx0
57・11~60・3の間というのは,東北上越奥羽系統の夜行や急行の廃止に向けた程よい周知期間だったと思う。
もちろん国鉄としてはそのような理由で大宮暫定開業にしたわけではないことは分かるけど,一利用者の実感としてはこのおかげでうまくまとまったかんじ。

もし仮に一夜にして57年11月14日から60年3月14日のダイヤになっていたら相当な混乱を生じていたはず。

184:名無しでGO!
06/12/24 11:22:39 ozYb8PAX0
たしかにそうだね。
少しずつ在来の在来優等を減らしていけば利用者も新幹線みたいな
他の系列に移動していくし。
しかし首都圏から八戸市・青森市へ移動するのに便利な時間帯を走行
した「はくつる」を廃止したのはヤリ過ぎ。
単純に収益だけで算盤勘定するとアアなるんだろうね。

185:181
06/12/24 12:01:46 xSnSvQF5O
>>182
そうですん。
宅配という概念がなかったとはいえ、酷鉄駅まで出向いて指定時間までに
取りに行かないと保管料課金されるのは、すごいキム帝国なシステムだ

186:名無しでGO!
06/12/24 12:59:03 ozYb8PAX0
その弱点を見抜いて宅配システム概念を考案したブラックキャットは頭イイね。
首都圏~北海道でコンテナ貨物を利用する柔軟性もあるし。

187:名無しでGO!
06/12/24 18:34:50 YPg81c+E0
61.10.31に汐留に行ったら、「宅配鉄道便」ロゴの入った荷札シールが
大量に打ち捨てられていました(たぶん実家に今もある♪)
終末期には宅配も行っていたのかな。

188:名無しでGO!
06/12/24 19:30:58 IR7paGKB0
少しでも顧客を掴もうと宅配をやった可能性がある。
人口が少ない地域だと貨物駅が近くに無いのでホームで荷役可能な
荷物列車を利用した企業があるかも。

189:名無しでGO!
06/12/24 19:42:34 bFMKwxUQ0
>>187
東京都区内宛ての鉄道小荷物を宅配してもらったことがあります。
1980年。

190:名無しでGO!
06/12/25 20:41:29 gWOA+Ifd0
1982.5
宅配便に対抗して国鉄は手小荷物輸送に集配サービスを付加した「宅配鉄道便Q』を開始
1985.5
国鉄は「ひかり宅配便」を開始。手小荷物輸送の集配サービスに加えて、酒屋・米屋・自動車整備業者などと契約し、8500の取次ぎ店を設置した
1986.11
ダイヤ改正にともない、国鉄は手荷物輸送を廃止。また1985年から開始した「ひかり宅配便」の営業を全国21の系列鉄道荷物会社に移管

191:名無しでGO!
06/12/25 23:21:34 o5R7My040
>>「ひかり宅配便」の営業
昔に比べると大幅に減少したけど旅客列車を利用した手荷物輸送は
生き残っているのだね。

192:名無しでGO!
06/12/26 22:16:48 hnVzzUS2O
郵便や新聞も運んでたんですね。東北では新聞を早く見たくて駅の売店に早朝、買いに行く人がいた。郵便車とか荷物車が連結して…今思えば合理的、人も運ぶし物も運ぶ!夜中、郵便車、荷物車で働いていた人は揺れる車内でよく仕事したと思う。

193:名無しでGO!
06/12/27 09:47:07 yavLuABO0
今でも最後に残った千葉の新聞輸送電車みたいのがあちこちにあったね。自分も昔横須賀線沿線で新聞配達を
していた。始発の前、3時過ぎにクモニ83の2両の電車が新聞を満載してやって来て、各駅で束を降ろして行く。
それを受け取って販売店へ運び、区分けをしてバイクや自転車に載せて配りに行っていた。
道路事情がよくなると次第にトラックに変わっていつの間にか消えた。
東北へ向かう夜行列車には「鳥海」とか「津軽」なんかがそういう新聞輸送の列車で、上野駅にはそういう荷物専門の
ホームがあり、次々と新聞を満載した台車を牽引したモーターカーがやってきていた。そして短い停車時間の間に車内に
投げ込んでいた。
色々な行先別のラベルを貼られた固まりがその停車駅毎に降ろされ、地元の配達員の人が受け取って行く姿も、懐かしい
昔の風景だったね。
当然、列車の発車に合わせて締切られる訳だから、ナイターの結果などは地方へ行くとまだ途中までだったり、都内と
紙面構成が全く違っていたりと、結構ローカル色が出ていた。今は支社レベルで印刷発送をしてしまうから、そんなナイ
ターの結果が尻切れ…なんて事はふつうに終わる試合なら最後まで載るようになり、順位や選手の成績も前日までの結果
を見れるようになった。ある面、すごいなと思ってしまう。

194:名無しでGO!
06/12/28 22:34:16 1h3FMBJe0
>>183
>もし仮に一夜にして57年11月14日から60年3月14日のダイヤになってい

それをやったのが昭和50年3月10日の山陽本線岡山以西。前日まで昼行特急・急行がひっきりなしに賑わっていたのが、一夜にして優等列車全滅。当時として衝撃的だった。
確かに東北・上越方面は大宮暫定開業で一段階あり緩和された感がある。
ただ当初の新幹線開業予定は昭和52年だったから、大宮暫定開業でも5年遅れた。
理由としては国鉄の破綻・建設予算がなかなか出なかったことがあった。

195:名無しでGO!
06/12/30 04:47:07 HbaRlT3C0
>東北へ向かう夜行列車には「鳥海」とか「津軽」なんかがそういう新聞輸送の列車で、上野駅にはそういう荷物専門の
>ホームがあり、次々と新聞を満載した台車を牽引したモーターカーがやってきていた。

13番と14番の間にあったアレですか?


196:名無しでGO!
06/12/30 06:45:26 JCDzxsx70
いや、今でもあるから。
MOTOトレインにバイク積むときはあのホーム使ったんだよ

197:名無しでGO!
06/12/30 16:45:06 cOTALW450
17と18の間にもありましたな。

198:名無しでGO!
07/01/01 19:52:42 6K5EzWJnO
数は少ないが近、中距離使う人いたと思う。バスとか無いしお世話になった人多いはず。

199:名無しでGO!
07/01/02 08:37:24 DdweD8HvO
>>198
確かに。宇都宮や黒磯は、実質昔の方が終電が遅かった。
しかし、東北夜行は末期になっても定期で乗れなかったのが痛すぎた。

200:名無しでGO!
07/01/02 19:03:11 7K7r42/t0
宇都宮に彼女がいる身では、朝早く上野に着く電車があればといつも思う。
昔の「あづま」があったら無意味に朝まで飲み屋に居なくても済むし、ラブホを出てから途方に
暮れることもないし。
今は仕方ないから一番早い羽田行きのリムジンバス(3時20分発)を使いことが多いけど、
高いんだよな。昔の東北夜行みたいな列車があればといつも思う。
え?何で彼女に家に泊まらないのかって?
それは“訳あり”ですから泊まれないんですよ!

201:名無しでGO!
07/01/02 22:28:44 HA7pDNqy0
クルマ買えばいいだろ、アホかwww

202:名無しでGO!
07/01/02 22:48:12 7K7r42/t0
車だったら飲みに行けないだろ? お互い酒好きなもんでな。
それに翌日も仕事なら車の置き場所だって困る。仕事場は都内だからな。
ふつうに週末に逢ってドライブでも行くならそれでも一向に構わないが、
そうはいかないのが“訳あり”の所以なんだし、人はそれぞれ“事情”
というものがあるものだから、「アホか」と言われてもな…。

203:名無しでGO!
07/01/03 03:29:24 zI7xbMk80
下り八甲田に乗ると、黒磯駅での機関車付け替えが
見られてうれしかったね。
鉄道ファン以外にも見物人が結構いたね。
機関車が赤い交流に変わると、世界も変わる印象をうけた。
黒磯を過ぎると、機関車の警笛が甲高くなると同時に、
すごく増えて、首都圏を抜けたと思った。
黒磯はいまでも変化が少ない駅だよ。
EH500が増えても、機関車の黒磯付け替えが圧倒的に多くて、
黒磯の光景は変わっていない。EH500の黒磯以南の運用は今後も
増えないみたいだよ。

204:名無しでGO!
07/01/03 11:16:33 Za+XavsqO
旅客列車に関しては、もう遺跡のような駅になってしまったがな >黒磯

205:名無しでGO!
07/01/03 18:49:54 uS1z/sCVO
新幹線駅が無い所が特に淋しく……
駅員さんも減って…、昔は地方の駅でもきれいな花壇が有ったりしたな。

206:名無しでGO!
07/01/03 22:08:40 QqyK8pxt0
新幹線が走っていても、盛岡駅の在来線ホームの寂しさといったら…。
ついこの前まで「はつかり」とか夜行のブルートレインが発着していたホームとは思えない寂れようだ。
長いホームが何本もあるのに、常時使われているのは2本くらいで、その中程だけに2~4両の電車が
ちょこんと停まるだけ。
売店も立ち食いそばも店を閉めて自動販売機だけがあるだけのホームは、とても昔の盛況を思い浮かべる
術もない。

207:名無しでGO!
07/01/03 22:28:14 fiSKv8bF0
漏れは、関西に住んでるけど夜行で思い出すのは
東北夜行だな、客レが無くなる直前の93年には郡山折り返しも
よく使ったわ。
結構、郡山や福島から乗るのみ帰りの人も多かった。
八甲田81号は12系で通路に新聞敷いて寝てる人もいて
演歌の夜行のイメージでなんか嬉しかったのを覚えてる。

レスと関係ないけど富山や小松は未だに地平駅で新系列か
変な塗装の特急しか来ないけど新幹線開業前の東北主要駅の
雰囲気がします。
特に小松は氷見線や城端線からの貨物がカマ交換するしテルハ
もありますし、ただ肝心な夜行は朝早いけど。

208:名無しでGO!
07/01/03 22:47:58 OdSyqS260
>>206
同じ事が福島にも言えますな。
それこそ昔は24時間列車の出入りがあって、深夜でも駅弁売ってたし。
東北新幹線が開業しても、夜行は何本か残ったし、特急つばさの乗換駅として在来線ホームはそれなりの活気があった。
つばさが山形新幹線として開業すると、夜行も無くなり、在来線ホームも閑散とするようになった。。

209:名無しでGO!
07/01/03 23:06:51 2QZv1mF60
>>203-204 >>206 >>208
黒磯(九尾すしと釜めし・高原肉めし)、福島(牛鍋めし・鮭すし)、盛岡(ジンギスカン弁当)。
どの駅からも名物駅弁が無くなってしまいましたな… 皆美味しかっただけに惜しい。

関東や福島の人なら黒磯に行ってみて、その廃墟に近い風景を見ると愕然とすると思われ。
もっとも、全ての源と言うべき上野駅からしてもうあの頃の面影が無いな…

210:名無しでGO!
07/01/03 23:20:18 wD8xZZnQ0
>>206
盛岡は終着駅効果を享受し過ぎたんだな
20年は長かったか

211:名無しでGO!
07/01/03 23:25:58 Pr+3vFOE0
>>207
小松は今高架だが。高岡なら地上駅だけど。
>>200
初電の宇都宮始発では間に合わない?4時台からあると思うけど。

212:名無しでGO!
07/01/04 00:25:30 YaajeZV7O
盛岡もいつの間にかホームの弁当の立ち売りもなくなっていたし(掛け声が懐かしい)花巻や水沢のホームも淋しかった。長いホームが昔、夜行や特急の名残り。去年の夏の感想。

213:名無しでGO!
07/01/04 11:36:53 k+CSerfi0
>>212
ホームが長いと余計に寂しさを感じるね。
八戸や青森もあと数年でそうなってしまうんだろうな。

214:名無しでGO!
07/01/04 19:31:35 kArKCH2bO
宇都宮以南と八戸以北以外の主要駅は皆一様に寂しいですね。
仙台も、優等列車は一日数本のスーパーひたちと北海道行き寝台車のみ。
仙石線は地下ホーム。
長い長いホームに短い417系や塗り替えられた455系。

八戸以北は賑やかですが、先を考えると早くも寂しくなりますね。

215:名無しでGO!
07/01/04 20:19:23 FlgaDIJ40
新幹線なんかいらねー

216:207
07/01/04 20:51:49 ASnIWdsC0
>>211
高岡でしたね、すんません。

217:名無しでGO!
07/01/05 00:45:24 t4A3Iwps0
仙台は455系が9連であるからまだ…だめか

218:名無しでGO!
07/01/05 14:13:08 IzmT3aPo0
新幹線が通ったあとの在来線の劣化は哀しいものがあるんですね
北陸新幹線できたら北陸もそうなってしまうんだろうな・・・

219:名無しでGO!
07/01/06 13:30:12 FqG3z5PW0
>>218
確かに新幹線が通ると在来線の駅が寂れていくのはある面やむを得ないが、その感を強く感じるのは
何故か東北、上越、長野と北の方なんだな。同じ新幹線でも、東海道・山陽新幹線沿線はそれ程ひどく
ないような気がする。特急などの優等列車は消えたけど、代わって頻発する近郊電車が出入りしてまた
違った雰囲気を作り出しているようだ。これは沿線人口の絶対的な差と気候、風土によるのかなぁ…。
八戸など、新幹線が新青森まで延びて在来線が「青い森鉄道」に転換なった日から、相当な寂れ方に
なるんだろうなぁ。
そういえば、そうなると八戸線はJR線から孤立してしまうね。果たしてJRとして存続するんだろうか?
青い森鉄道とか三陸鉄道などの三セクに転換? …って、ふと思った。

220:名無しでGO!
07/01/06 13:50:39 xA2DgXYnO
>>218 >>219
東海道・山陽と異なり新幹線ルートから外れた拠点駅(黒磯・白河・小牛田・一戸・横手等)の多さや
常磐線北部みたくメインルートでなくなった区間があるのも衰退原因と思われ。
ついでにローカル列車の貧弱さもあるだろうが。

221:名無しでGO!
07/01/06 14:43:42 4U8/XDVA0
>>219-220
701系電車の2両編成が多いのもわびしくしてる要員があるかもしれない。
新幹線開業後でも50系とはいえ客車列車がハバを効かせた時代は、そこまで寂れた感じはなかったのでは?
東海道・山陽沿いは全般的に東北方面よりローカル電車の編成が長いのと、列車本数が比較的多いのもあると思う。
とはいえその沿線でも以前の長編成の優等列車がなく、短編成のローカルばかりで寂れた雰囲気を感じる場所はある。山口県下の山陽本線なんかは。

222:名無しでGO!
07/01/06 16:04:36 hq/0oVsxO
東北は所謂ミニ新幹線が整備されて青森以外の県庁所在地全てが新幹線によって一本で繋がってるしね。
15年前を思い返してみると、全盛期には遠く及ばないもののまだまだ県庁所在地クラスの主要駅は賑やかだったよね。

東海道・山陽筋もミニ新幹線が整備されてたら、米原や岡山なんかも寂しくなるんじゃ…。
それでも沿線人口が違うから東北のような寂しさにはならないかもなぁ。

223:名無しでGO!
07/01/06 20:07:44 ixJSHSPC0
新幹線のできた時期の差も大きいと思うが。

224:名無しでGO!
07/01/07 11:18:55 fnYOwNa10
周遊券片手に乗り回していた頃、夜中に降りる郡山、福島などは極端な話、「明るいうち」に
降りたことの方が少なかったと思う。今のようにコンビニもなく、夜中に降りて始発を待つ間、
じっと待合室にいるしかなかった時、郡山駅構内にあった24時間営業の食堂は頼もしい存在だった。
それと、東北では夜中に駅前で開いている店といえば、「ミスター・ドーナッツ」ばかりだった。
今ではファストフードの24時間営業は珍しくないけど、当時はこの位だったね。
さすがにドーナッツとコーヒーで一晩明かすのは結構しんどかったけど。

225:名無しでGO!
07/01/08 03:54:01 f0UPUn0GO
>>202
本人は意味深な事情でも、201とか外野には結局意味不明な情事にしか見えんからなあ。
その様子だと結局結婚してないか、不倫だな?

226:202
07/01/08 16:40:01 e87ECP7B0
>>225
そうだが? まぁ、世間一般には「不倫」と呼ぶんだな。昨年までのところは。
でも、相手は離婚届は出したからもう「不倫」ではないね。
この前も夜中まで飲んで朝の始発を待っていた。例え1時間余りでもシャッター開く4時までは
長い。特に今は寒いから余計だ。そんな3時30分頃、いつも新幹線の上り線を警戒灯回して作業
車が通る。多分小山まで帰区するんだろうが、そのまま乗っけてもらって都内まで…っていつも思う。
在来線も、時折短笛鳴らして通過していく貨物を遠目に眺めているのがやり切れないな。


227:名無しでGO!
07/01/08 16:44:18 pf7ZWAXr0
なんなんだよ、この馬鹿。失せろよwww

228:225
07/01/09 01:57:12 5s1DqUeCO
>226
それなら身を固めないとな。結婚式には読んでくれよ。
いいスピーチしちゃる。

>227
まあーもちつけや

229:名無しでGO!
07/01/09 11:43:10 0495mEnZ0
続きまして友人を代表いたしまして225が祝辞を述べさせていただきます
それでは225さんよろしくお願いいたします

230:名無しでGO!
07/01/09 11:47:05 U8zTNArI0
以下、このスレは



   【ラブホを出てから】宇都宮不倫の思い出【途方に暮れる】
       



スレになります。ご期待ください。

231:名無しでGO!
07/01/09 15:57:50 VYNt9EB5O
却下である!

232:名無しでGO!
07/01/09 22:40:10 NzvyeGun0
ここは「東北夜行」のスレだよな? つまらんことに食い付くんだな…。
想い出話より他人の情事の方が興味あるってか?
ま、自分にとっては「東北夜行」は新幹線がまだない時代、当時仙台のお付きあいしていた彼女に
会いに行くのにさんざんお世話になったからね。もちろん、ワイド周遊券でもさんざんお世話になった。
旅でも恋でも当時は「夜行」は外せない存在だったんだよ。

233:名無しでGO!
07/01/10 00:07:48 KNfvHPYHO
周遊券世代の話じゃなくて恐縮なんだが、客車化された後のはくつるをたまに利用してた。
盆暮れ正月は下り臨時はくつる81号の下段をいつも狙ってたんだが、20日前ぐらいに窓口に行くと下段どころかいつも満席。
それなのに定期はくつるは一週間前でも余裕で取れる。
ヲタじゃなくても583の臨時贔屓が多かったのかな。
確かに、客レに比べると大分速いけど…。

一ヵ月も前に切符買える程予定が立てられなかった俺は結局583はくつるには乗れず仕舞いではくつる自体が無くなってしまった。
今や東北本線の定期夜行は北海道行きのみとは寂しいなぁ。

234:名無しでGO!
07/01/10 00:37:18 bZRpJaYxO
粉雪を巻き上げながら走っていて窓の外がほとんど見えなかった記憶が。窓ガラスにも雪が着いていて…、駅の屋根付きホームの地面も雪が。
雪がすごいと思ったのは岩手の奥中山付近と思った。

235:名無しでGO!
07/01/10 09:26:19 Pg/4CBFJO
>>233
青森到着時刻が圧倒的に早かったからな。 >はくつる81号
そのままはつかり41号に乗り継げば北海道にも行けたし。
末期の定期はくつるは日本海1号乗り継ぎで実質北海道連絡がなかった覚えが。漏れは24系よりむしろ583系の方が寝れた希ガス。

236:名無しでGO!
07/01/11 21:47:30 4bxStm9d0
age

237:名無しでGO!
07/01/13 08:58:36 Q0kUrEU8O
一ノ関までみちのくプロレスを見に行った帰り、十和田か八甲田かどっちか乗ったんだよなぁ

238:名無しでGO!
07/01/13 09:51:39 26t68QTDO
東北ワイドを駆使して東北3大祭りを巡ったなぁ。
津軽や八甲田の座席夜行をネグラにして、仙台の待合室も使えたもんなぁ。
上りで郡山で八甲田を降りようとしたら黒磯まで寝過ごしてしまい、改札で誤乗スタンプ受けたら、同様に寝過ごしたらしき人が10人ぐらいいて苦笑。

下りの一番電車は誤乗の人しか乗っていませんでした

239:名無しでGO!
07/01/13 14:04:42 ywk6aONH0
私が周遊券を利用して乗ったころにはもう、14系の薄幸だと津軽しか走ってなかった。北海道へ渡る時によく利用していたが、混んでいた記憶しか残っていない。真冬なのに暖房きき過ぎの為、冷房をかける始末(14系の特技か)。

240:名無しでGO!
07/01/15 01:47:52 p6B7LWoA0
>>239
14系の八甲田と十和田と津軽があったころ、遠野と三陸鉄道乗りに行ったのだが
なぜか津軽に乗って横手から北上に出るような事をした。
八甲田と十和田は上野発が早くて夜学が終わってから間に合う津軽を選んだような気がする。
使った盛岡・陸中海岸ミニ周遊券の経路に奥羽本線→北上線や田沢湖線回りもあったからできたのだけど
周遊券ってこういう細かい技が使えて便利だった。


241:名無しでGO!
07/01/15 17:10:39 Zd4H2cw60
>>193
遅レスで申し訳ないが、
四国の夜行もそうだった。

80年代前半、高松→中村の快速夜行に乗った時、
荷物車が併結されていて、
中村駅で大阪スポーツ(東京なら東京スポーツに該当)を下ろしていたのを見た。


242:名無しでGO!
07/01/16 23:26:07 2fFrI7Uv0
乗ったことのある東北夜行・・・

特急「あけぼの」(ナハネ20、ナロネ22 ←最後の20系特急の時期でした)
特急「ゆうづる」(オハネ24)
急行「十和田」(ナハ21 ←「だいせん」でも乗ったけど印象深い)
急行「八甲田」(オハ12、オハ14)
特急「はくつる」(583系)
「津軽」の10系寝台にも乗ってみたかったのだが・・・

あ、「北斗星」には何度か乗ってますけど、アレはここにはカウントしませんですぅ。

243:名無しでGO!
07/01/17 00:31:45 bKZVYjvJO
時期は忘れたがはくつるのグリーンに乗った事が有る。ガラガラ空いて583系なので天井が高く感じた。グリーンのわりに座席がショボい印象??が有った。

244:名無しでGO!
07/01/17 00:36:27 OaI+M1DP0
>>243
初期の特ロみたいに、腰まで敷布があると贅沢度が違うんだけどねぇ。
それにしても、581(583)系登場時には、あの天井高も評価されていたと思うのだが。

さてはオヌシ、末期に乗車したな(w

245:名無しでGO!
07/01/17 01:41:35 beg4kiyr0
>>242
「あけぼの」に繋がっていたのはナロネ21ですね。ナロネ22は個室のあるタイプで、「さくら」「あさかぜ」
などに繋がっていましたよ。
583系サロは東北夜行に乗ると寝台料金よりグリ-ン料金の方が高くなってしまうので、使わなかったですね。
「ゆうづる」の水戸→北上なんかの短距離では使ったこともありますが。
ちなみに、東北夜行は昭和50年以降の列車には全て乗っています。

246:名無しでGO!
07/01/17 07:33:40 NAz0Je5I0
>>242
末期の20系あけぼのは、急行も20系が多い時代だったから乗って損した気はなかった?
上野―秋田は経由は違ったものの天の川があって、こちらは急行料金で安かったわけだし。

247:名無しでGO!
07/01/17 19:32:02 g3exWT2C0
>>245
間違えました。ごめんなさい。
×ナロネ22 → ○ナロネ21が正解です。

初めて、というか国内でのプルマン開放室はこの1度きりなのですが、
毛布をいわゆる「飾り折(っていうのかな? 連絡船寝台でもあったような折り方)」に
していたのは感動しました。
1978年3月の経験です。

248:名無しでGO!
07/01/17 21:03:18 R16Kt4nT0
>>246
対秋田だと天の川の設定時間が激しく不便だったかと、、

249:名無しでGO!
07/01/17 22:58:29 ETdFpa3a0
>>248
それはその通りで、天の川は新潟~庄内地区が有効時間帯だったからな。20系化前は新潟回転車があったくらいだし。秋田へ羽越線経由なら急行鳥海の方が便利だった。
でもあの当時、銀河で始まった20系の急行使用が佳境に入ったのに、あけぼのだけが20系で特急料金払わされるのが癪にさわるような気がして。
でも上越新幹線開業後、14系使用の急行が当たり前になったことを思えば大して差がないか。

250:名無しでGO!
07/01/19 08:17:33 I8bvcb/6O
子供の頃に、家族で寝台(たしか、ゆうづるだったと思う。)に乗ったときのこと。
最後尾の車両に乗った俺は、貫通扉から外を見ていた。そしたら、車掌さんが「車掌室見る?」って言って、見せてもらった。見たことの無い道具に、当時の俺は、目を輝かせて見ていた。
今となってはいい思い出です。

251:名無しでGO!
07/01/21 16:46:44 LNfoC8/50
あげます

252:名無しでGO!
07/01/25 07:04:43 95/94e5E0
age

253:名無しでGO!
07/01/27 02:45:37 luRl8y440
東北夜行を降りた朝は、伯養軒の立ち食いそばにお世話になった。

254:名無しでGO!
07/01/27 02:48:45 40nQR6Qt0
14系客車の「八甲田」は夜行列車の原点だったな。

いつも2つ席を使って横になってたっけ。


255:名無しでGO!
07/01/27 09:40:12 FdjvdVZe0
自分は足伸ばさないと寝れないので12系の方が好きだった。
boxの前の人と打ち解けてから足を前のシートに投げ出させてもらう(もちろん相手も)
これが寝やすかった。

ただし14系でも空いてて前のシートをこちら向きのにできるときは(1box独占または2人)
簡易リクライニングを倒して隣との段差に頭もたれて足を前のシートに投げ出す。
これだと目的地まで熟睡できた。

横独占だと寝れないので
大垣夜行では寝れたけど、ながらじゃ寝れないだろうな(未乗車)


256:名無しでGO!
07/01/27 10:55:20 sZFh6nLj0
話がでてきてないけど、荷物列車の片割れ普通(福島→仙台)があったよね。確か3:20頃発の
津軽か何かを受けて丸森線を乗りに行くためには丁度よい時間だったんだけど
誰も乗っていなかった記憶が。
他にも釜石2時代の新日鉄帰宅列車が両方向になかったっけ?
誰か乗ったことある香具師いませんかね?

257:名無しでGO!
07/01/27 11:29:12 MP1Ixr5M0
>>256
ありましたね、そんな列車。何回か使った記憶がありますが、確かにほとんど人は乗っていませんでした。
だいたい仙台にも5時過ぎの到着で、一体誰が使うのかと思いましたが。
釜石線の深夜の列車も知る人ぞ知る時刻表に載らない“幻の列車”として知られていましたね。
当時は新日鉄も3交替でフル操業でしたから、遠野と宮古方面に深夜の列車が設定されていました。
実際に乗ることはありませんでしたが、その時刻は沿線でしか見ることがなく、はっきりした時間が
分らなかったことも、行かなかった最大の理由だったはずです。

258:名無しでGO!
07/01/27 23:39:10 AM2v2l7A0
>>256>>257
新日鉄帰宅列車は通常の定期券でも乗れない団体扱いだったいう話を
きいたことがあるけど(通常定期券と新日鉄発行の乗車票か何かが必要?)
一方東北ワイドで乗ったとかっていう話もあるので、本当のとこどうだか
全く不明。神光臨キボンヌ

259:257
07/01/28 04:09:15 HF4roqnX0
そうなんだ。確かに時刻表にも掲載されてなかったから、会社のチャーターした「専用列車」という
ように考えても無理はない。工場地帯の従業員送迎バスなんかも民間や市営バスをチャーターして運転
されている例は多いけど、これも社員証とかがないと乗れないから、それと同じようなものだろうな。
ただ、自分自身では乗れなかったが、釜石線のどこかの駅で時刻を見た記憶があるし、当時の雑誌でも
「幻の列車」として紹介されていたような記憶もある。
現実として、当時の時代なら正当な乗車券を持っているのであれば、一般客でも便宜的に乗せていたことは
十分想像できるよね。

260:名無しでGO!
07/01/28 07:15:05 grzG82oOO
>>259
鉱山や森林鉄道の便乗扱いみたくその辺は現場で黙認してただろうな。

261:名無しでGO!
07/01/30 06:52:04 etBiP1/P0
hosyu

262:名無しでGO!
07/02/01 14:31:07 gEY6kueX0
ほしゅ

263:名無しでGO!
07/02/01 19:15:11 wuxC2T5JO
岩手?青森?どこかの駅にトットチャン(黒柳徹子)のふるさと?と書いてあった気がする。もちろんその駅は通過だったが…

264:名無しでGO!
07/02/05 00:58:18 4xKmQxrE0
相馬の住人だが渋々夜行バス使ってます。
仙台からの列車運賃が痛いです。

265:名無しでGO!
07/02/05 20:30:15 YhVjg0B40
>>256 >>257
福島 3:28発の仙台行1041レですね.
学生時代とその後しばらく(1981.4~1988.9)仙台で過ごしたので
福島に2:40頃に着く「津軽」や、
その約1時間前の季節列車の「おが」からの乗り継ぎで7回ほど使いました.
列車番号からも察せられるように 本来は荷物列車で座席車は確か4両ほど、
それでも福島発車時点で1両5人以下、白石で2~3人、
最後に長町でややまとまった乗車がある程度だったと思います. 
後に渡道して比較的最近まで車籍のあった白熱燈装備車のスハフ42-2245(盛モカ)にも
この列車で乗りました. (1981.10.26)
1982.11改正で、仙台3時過ぎ着の「十和田」以外に夜行急行が無くなった後も
1984.2改正で廃止されるまで、仙台への隠れた夜行ルートでした.
「津軽」の混雑をきらって、「おが」を使うことが多く(7回中4回)
福島での2時間弱の待ち合わせ時間に、よく「ミスタードーナツ」へも行きましたが、
周遊券最終日の利用のときは、改札の外に出られないので、
2・3番線ホームの上野寄りにある待合室のストーブで暖をとりながら入線を待ちました.

266:名無しでGO!
07/02/06 21:44:12 SWEPveUs0
福島や長町にゴロゴロいた赤い電機は全く見当たらなくなってしまい寂しいですね。
旧福島・長町機関区は完全に更地になってしまいましたね

267:名無しでGO!
07/02/08 23:10:43 8lmenw+c0
age

268:名無しでGO!
07/02/10 17:31:22 7C2W0ssT0
ほしゅ

269:名無しでGO!
07/02/12 08:11:58 Da7e8k3v0
>>203
下り十和田もいい時間に水戸駅でロコ付替えが見られた。
俺は先頭車両に乗っていて、水戸到着と同時にダッシュで見に行ったんだが、
作業員が3人くらい待ち構えていて、あっという間に解結終了。
新たな機関車連結後もブレーキホースなどの付属器をあっという間に接続完了。

今で言うとF1のタイヤ交換みたいに実に手際よかった。

270:名無しでGO!
07/02/12 23:05:00 HaQD+fTX0
>>269
懐かしいですね。私が水戸にいた当時、よく十和田5号に乗って
東北地方へ旅に出かけたものです。水戸でEF80からED75
に付け替えられましたが、確かに手際は良かったですね。
十和田の他には、「ゆうづる」も水戸で機関車を付け替えていま
したね

271:名無しでGO!
07/02/13 11:15:18 T3PYcA/P0
>>270
常磐線経由の客車夜行は一部平(現いわき)で機関車付け替えがあったと思う。
まあ圧倒的に水戸付け替えが多かったけど。

272:名無しでGO!
07/02/14 18:32:46 EjNjxay20
>>269>>270>>271
今でも石巻や北海道へ向かう貨物列車も、水戸でカマ替えしてるね。

85~86年頃に水戸の機留線で一休みしてる「ゆうづる」のカンを付けたED75を撮ったんだけど、
何処かに消えてしまった…orz

273:名無しでGO!
07/02/14 19:45:24 aHGacWuB0
>>271
常磐北線電化前のゆうづるが平までEF80,そっからC62でしたね。
完全電化後も1本だっけか、1往復が平でEF80-ED75交換だったような?

274:名無しでGO!
07/02/16 21:11:47 MEaJY8jw0
保守

275:名無しでGO!
07/02/18 12:42:06 M+kYYJeQ0
空気を輸送していた
臨時急行八甲田60号
車掌と鉄ヲタ話で盛り上がったっけ
昭和57年3月頃だったか?


276:265
07/02/18 14:10:48 QJ4zsGDf0
>>275
「八甲田60号」(仙台 23:49発)
定期列車の「いわて4号」(仙台 23:36発)のすぐあとということもあって
大穴的存在でしたね.
自分の場合、仙台からの利用だったので
周遊券の1日分がもったいなかったのですが、
1両に10人も乗っていなくて 熟睡できました.

日付がかわって最初の 1:27発の「十和田4号」は
20系への憧れがあったものの、自由席(ナハ21)がわずか3両だったこともあり、
1回しか使ったことがありませんでした. 
仙台 3:53発の 「十和田6号」も比較的空いていて、
(多くの乗客流動とは逆ということもあったと思いますが)
富岡から先の朝の海岸線を走る爽快感がありました.
8時前後 水戸での機関車交換の10分停車も
駅弁をゆっくり選びながらホームを歩いて気分転換ができました.

277:名無しでGO!
07/02/18 14:17:26 zpzI5bKN0
この頃はまだ定期列車=大混雑、臨時列車=空気輸送
の頃ですね。。

278:270です
07/02/18 17:41:03 LhJGGszL0
臨時列車といえば、やはり急行十和田52号、54号、56号を
駅まで見に行った1980年の正月が思い出されます。盛アオ、
盛モカ、秋アキ、仙フクのそれぞれ旧型客車が使われてい
ました。仙フクの編成にはスハ33が入っていて、乗って
いきたい気分になりました。

279:名無しでGO!
07/02/19 09:03:49 gdEXkxij0
>>277
なんで、あの頃の臨時ってあんなに空いてたんだろう?
漏れも良く乗った口だけど、スゲー不思議だった。

280:名無しでGO!
07/02/19 12:46:44 Gigw0m7/0
>>270
こんな感じですかね?(一番下の画像。下り列車ですけど)

URLリンク(furu-den.pos.to)

281:名無しでGO!
07/02/19 21:24:04 Wm+b07WR0
>>279
運転日が絞られすぎて上手くPRしてなかったのと、当時のマルスに代替列車空席情報機能がなかった。
今では希望列車が満席の場合、臨時も含めて検索するから混雑の偏りが少なくなってる。とは言うものの在来線の臨時列車も少なくなってるけどな。

282:名無しでGO!
07/02/19 22:09:19 qcEYW+eW0
かなり昔
まだ八甲田が走っていた時
車内で財布を落した女の人が居て車掌と相談していたら
車掌が3人ぐらい来てイロイロ探してた
結局、途中駅(名前 失念)の売店で見つかったらしい

今では多分やってくれないだろうな


283:名無しでGO!
07/02/19 22:25:25 aPVAZ+Ne0
>>276
「十和田4号」ってナハ213両の他にモノホンのナロネ21も連結されている素晴らしい編成だったよね。

284:名無しでGO!
07/02/19 22:49:29 ztaE14oq0
>>277
故宮脇さんの作中でも触れてましたね。

285:名無しでGO!
07/02/20 22:19:42 TRawug9I0
>>283
下りの3号は盛岡までそのナハは全車指定だったね。
普通車が3両しかないから、混乱防止の為にも自由席に出来なかったのかな?

しかし3・4号は上野⇔青森県内の走行時間帯が絶妙。
青函連絡船連絡も視野に入れている特急より青森県内の客は便利だったのではないかな。
特に上りの上野着は7時半近くと特急よりかなりゆっくり出来る。
寝台車メインの強気な編成はその辺を考慮してかな。

286:名無しでGO!
07/02/21 07:41:20 CTV9/sdI0
>>285
20系化以前の当該十和田は普通の夜行客車急行だった。食堂車以外の全設備が揃っていた記憶がある。

287:名無しでGO!
07/02/21 07:59:49 oEsVTw3R0
>>286
後年の十和田3・4号に近い列車は、1970年代初頭の時点だと
下り十和田3号(上野20:45→青森9:00)および、
上り十和田4号(青森19:30→上野6:42)だろうけど、
当時は、十和田3・4・5号はロネ・ハネ・ロザ・ハザ(自由席)+シのフル編成。
3・5号はオシ17、4号にはオシ16が付いていた。

もちろん当時は上り下りに同一号名の列車が走っていた。

288:名無しでGO!
07/02/21 20:12:21 fCVUOj8E0
下り急行十和田3号と下り特急あけぼの(何号かわすれた)は
ほぼ同時刻に上野発で、ほぼ同時刻に青森着だった。
たしか、十和田が1分早かったような気がする。
常磐線まわりと奥羽本線まわりだから距離は違うけどねw
どこかの本に「特急よりも速い急行」みたいに書かれてたっけ。

289:49年12月の時刻表より
07/02/21 20:26:13 H5MM3XyW0
下りの最混雑日は(この年は12月29・30日っぽい)主な夜行急行は有名な品川始発に変更になってるね。
更に長距離急行の多くは指定席を自由席に変更、>>287で出てくる下り十和田2号(上野20時50分発)に至っては
G車・Aネ・Bネを外して上野から全車自由席での運行。
12月29日・30日発の夜行急行で座席が指定されるのは寝台車とグリーン車だけなんだ。。
急行自由席の着席保障券である乗車整理券もあったようだけど、これどの程度発売したんだろうか?
普通車の座席数分を売り切るとなると、急行券しか持たない客は立席しか残された道がなくなるなぁ、、、

ちなみに当時の指定券発売スケジュール

① 3週間前発売 (駅の旅行センターと主な旅行会社でのみ発売)→ごく一部の列車を除き中止
② 12月14・15日の2日間 12/29・30発急行自由席用乗車整理券発売(都内主要駅限定)
   ※ 八甲田・十和田利用の場合、一ノ関以北まで乗車しないと発券不可
③ 1週間前発売 全列車分の指定券発売

普通の人なら②をチャレンジしてダメなら③に賭けるって感じだったのかな。

290:49年12月の時刻表よりその2
07/02/22 22:46:30 8fEWhPrx0
燃料になるか判りませんが、ネタ投入。

上の方でガラガラという話が出ていた臨時列車ですが、
国鉄もこの両日に関しては東北本線・常磐線の臨時夜行列車を16本投入する気合の入れよう。
それに加え季節列車が6本、定期列車が18本と合計40本の夜行列車が東北へ向かい上野と品川を発車している。
(この他上越線経由酒田・秋田行が定期2本、臨時2本)

これって上り夜行に乗ると、次々に下り列車と擦れ違うんだろなと思い調べて見たら
上りあづま2号(仙台21:22発-上野4:38着)に乗ると福島到着寸前の23時13分頃に下り八甲田と擦れ違ってから
宇都宮到着寸前の2時50分頃に臨時のおが56号・ばんだい55号(品川0:16発、福島から普通421レになって秋田着15時26分!!)
と擦れ違うまでに28本の下り夜行列車と擦れ違う事が判明。
これは寝る暇なかっただろうなと、当時を夢見てしまいました。


57・11改正後の下り津軽や上り十和田なんかに乗った事ありますが、減ったとは言え数本連続して夜行列車と行き違いがありましたし、
165時代の大垣夜行も結構な数のブルトレとの離合がありました。
でも今の夜行は夜行列車同士の離合シーンは貴重になってきましたね。夜行列車乗車の楽しみの一つだったんですけど。

291:名無しでGO!
07/02/22 23:00:00 rkx/zC000
57・11から60・3までの間は新幹線と夜行列車が共存していたよね。趣味的には一番面白かった時代かもしれない。

292:名無しでGO!
07/02/22 23:24:18 VQxD0r3u0
>>291
夜行も相当激減したので、新幹線開業前よりは面白味が薄い。急行が八甲田・十和田・津軽の各1往復で、電車・気動車夜行が壊滅。
特急もゆうづるが削減されて北星が廃止。あけぼのとはくつるが1往復増えた程度だな。

293:45年8月
07/02/23 01:07:36 pzX2F32J0
>>289-290の真似をして、お盆輸送の発着駅変更の概要をお伝え。
最繁忙日は8月11-13日
常磐線、高崎線の下り夜行は上野発で変わりないが
東北線の特急2本、急行23本、普通1本の内、特急1本、急行13本、普通1本が品川発に変更。
あおりで、上り19時以降上野着の東北線、高崎線急行は赤羽止まり。「いいで」は大宮止まり。
常磐線上り急行も1859着ときわ9号以降日暮里止まり。(本来日暮里通過)
発着番線は行ってみないと判らない状態でした。
やりくりの厳しさを物語っていますね。
さて特筆したいのは、八甲田52号(上野0:15発青森13:30)8月11日に限り名古屋17:08発「あおもり1号」の延長として運転。
この列車なんと東京通過、上野も運転停車扱いで乗降できないから横浜の次の停車駅は大宮。
なお10,11日は名古屋12:00発青森9:10行「あおもり2号」もあるが、こちらは米原から京都発「きたぐに51号」と併結して日本海縦貫線を走り
1号と2号は始発終着が同じで経由が全く違う珍列車であった。
長文スマソ

294:名無しでGO!
07/02/23 13:40:17 HNg9XhjS0
東北夜行といえば、盆の帰省ラッシュに上野駅で発車6時間前に並んで乗った臨時急行「八甲田51号」を思い出すな~。
案の定、自由席は長蛇の列で、通路や便所の前に新聞紙敷いて酒臭いオッサンに寝られるもんだから、トイレ行くのも至難の業。
あん時はボックス席で固まって一夜を明かしたもんで、最悪だったけど、今となっては懐かしいおもひで。


295:名無しでGO!
07/02/26 20:24:39 2zUUDUuj0
>>294
発車6時間前の行列か…時代だな。

296:名無しでGO!
07/02/27 09:24:02 wDeeY35F0
>>295
6時間前はなかったが、20年くらい前は3時間以上前からならんだこともあった。

297:名無しでGO!
07/02/27 12:15:27 vTmCj3DRO
>>256-258
25年位前に、午後3時頃釜石―大槌間に客レが運転されていたのは記憶にあります。
今は使用されていない3番線着で、DD51が中線を使って機回ししていたような…
ちなみにこの列車、普通に乗れました。

参考に…ならないかな?

298:名無しでGO!
07/02/27 17:59:49 VrMMUCY10
繁忙期の夜行列車の車内は
スルメのニオイ
日本酒のニオイ
極めつけ
靴を脱いで寝ているオヤジの足の臭い
がミックスして、強烈だったなぁ。


299:名無しでGO!
07/02/27 22:07:36 7Vvf5Ejz0
キツかったな~。

300:名無しでGO!
07/02/27 23:06:13 MizoF3WZ0
>>298
一方でいわゆる上級とされていた列車は
タバコのニオイ
枕カバーにこびりついたポマードのべとべとの液体

でこっちも大変だったよね。

301:名無しでGO!
07/02/27 23:38:35 M4D70E9Y0
これも東北夜行?
秋田発仙台行き夜行急行
ハネ連結で大曲まで上りおがに併結


302:名無しでGO!
07/02/28 01:09:37 A5pmeydK0
>>300の文章で「赤いスイートピー」の一節を思い出した。
あの曲がヒットした当時、そんな雰囲気をかもし出す列車がたくさんあったのだろうね。

303:名無しでGO!
07/03/01 01:39:42 3rglV7gk0
>>298
日本酒の中には
靴を脱いで寝ているオヤジの足の臭い(=蒸した空豆の臭い)
のするものがあります
きもととかやまはいとか
それはそれは有り難がられる酒です

304:名無しでGO!
07/03/02 22:07:40 c7UyWBjq0
>>303
だからうまいわけだ!。

305:名無しでGO!
07/03/02 22:31:40 T8hAxwnK0
このスレ見てたら酒呑みたくなってきた。

306:名無しでGO!
07/03/02 23:21:56 bpsMu5pP0
夜汽車で飲む酒は旨いよね。

307:名無しでGO!
07/03/03 19:00:39 U9VN4TQN0
夏の暑い日、仙台で上野行き新星に早乗り、
エアコンのなか、早々と横になれたのが有り難かったけど
かつての旧客時代は冬場など暖房用に蒸汽も
一緒に据え付けられてたのだろうか?


308:名無しでGO!
07/03/03 20:19:41 r46LsNxU0
>>307
恐らく機関車を含め全編成を入線させてただろう。旧客時代は下り八甲田の寝台も仙台で早寝サービスをやってたし。
それと逆のことが平成初期の北陸が金沢到着後も寝てられるサービスがあったが、
あえなく廃止されてしまった。だけど上野行き北陸は金沢で昔の仙台のような早寝サービスをしてもいいのではと今も思う。

309:名無しでGO!
07/03/03 23:52:39 U9VN4TQN0
東北はこの手のサービス多いね。
仙台では青森行きと上野行き
福島や、会津若松などでも。
これ以外では名古屋しか知らないな。


310:名無しでGO!
07/03/04 04:01:00 V8nZ/PnL0
>>309
走行距離が300キロ台かそれ以下で、急行のスピードでは5時間台で言ってしまうから
早寝や遅起サービスがあったんだろうね。
上野発の妙高でも長野でやって欲しかったんだが直江津まで行ってしまうんで
5時間足らずしか寝台が使えなかった。


311:名無しでGO!
07/03/05 22:18:46 3vw2GsXu0
現代版東北夜行(団体扱い)
583系ムーンライト舞浜号(だっけ?)
ディズニーランド開門時間に合わせて
到着するために、白河で2時間も停車するんだよね。




312:名無しでGO!
07/03/06 15:33:01 dsay0BsrO
>>309
スレチになるが、名古屋の早寝(遅寝?)って何だったっけ?
記憶の片隅にある気がするんだけど、引き出しが開かない(+_+)

313:名無しでGO!
07/03/06 16:02:44 cC6lhkpWO
>>312
旧型客車時代(ハネ+ハザ)の「きそ」じゃなかったかな?
たしか早めに入線してたような…

314:名無しでGO!
07/03/07 04:22:34 6r5fHCDKO
「きそ」かぁ。
ん~ちょっと思い出せないけど…
ありがとう。

315:名無しでGO!
07/03/07 04:26:45 aDjZOu0r0
>>302-313
東京発湊町行きの「大和」だよ。半数の車輌が名古屋解結だった。

316:名無しでGO!
07/03/07 16:44:46 nEmbMorj0
昭和63年の夏に下り八甲田に乗ったら、モトトレインの寝台車を連結していた。
お盆でもないのに、車内は超満員。
近くに座っていたおじさんが車掌に「寝台は空いてますか?」て聞いてたけど、
「あれはバイクを積み込んだ人専用なんですよ」と済まなさそうにしていた。
寝台需要はそれなりにありそうなんだから、寝台連結をすればいいのに、
と思ったもんだ。

あの頃は多各期には81・83号と臨時が2往復も運転されていたというのに、
それから6年後には定期便が臨時に格下げされてしまうなんて、思いもよらなかった。

317:名無しでGO!
07/03/10 18:58:49 ScGNcBpk0
福島駅は深夜3時始発の鈍行列車あったでしょ。

318:名無しでGO!
07/03/10 19:18:42 waavyXUP0
>>317
>>265


319:名無しでGO!
07/03/11 16:20:46 mO5JSipqO
列車の専門的な事分かりませんが
見ていて懐かしく思います。昔の長距離夜行などは
特急が停まらない町の小さな駅にもこまめに停車した記憶が有ります。
昔はそれだけ需要も有ったのに今は時代がちがう。

320:どとうとしや
07/03/11 20:49:56 5NGhxxeD0
私自身、急行「八甲田」に乗ったことあります。
あのときの、座席の硬さ忘れられないです。

321:名無しでGO!
07/03/12 14:51:57 yz1xOa3L0
>>319
マイカーの普及と高速夜行バスが原因かね。

322:名無しでGO!
07/03/12 17:59:19 vvTJaNvr0
>私自身、急行「八甲田」に乗ったことあります。
あのときの、座席の硬さ忘れられないです。


リクライニングシートさえあれば高速バスに対抗できたと思う。

323:名無しでGO!
07/03/12 19:14:15 K76KWW3R0
>>322

つ 14系八甲田

324:名無しでGO!
07/03/12 21:23:58 Jw6hGQUU0
>>323
14系はバタン椅子だったな~。

325:名無しでGO!
07/03/12 21:52:39 HqncHGb+0
>>323
あれは「簡易」だからねぇ・・・

326:名無しでGO!
07/03/12 22:23:09 LB3GzFwg0
ワンボックス使えれば、12系の方が楽だったと思う。

183アルプスより169の臨時アルプスが好きだった。

327:名無しでGO!
07/03/12 22:24:49 xHKn/jl10
>>319
新幹線しか考えなくなった営業政策の犠牲ともいえる。

昔は栃木・福島辺りでも夜中に帰宅できたのは皮肉なものだ・・・

328:名無しでGO!
07/03/12 22:28:47 QBOBFstk0
>>327
しかし悲劇も多かったね。。

仙台で飲酒 → 終電なくなったので小牛田まで八甲田で帰宅 → 気付いたら青森

329:名無しでGO!
07/03/12 23:13:36 Ck3vTZK30
>>316
モトトレインは青森から先は快速海峡に連結されるため構内転線してたね。

330:名無しでGO!
07/03/12 23:15:33 ExGMhaFx0
>>319
そして今はなき数々のローカル私鉄にも夜行急行接続の上り深夜・下り早朝便が運転されていました。
今となっては夢のようですね。

331:名無しでGO!
07/03/12 23:19:12 70wpI3iv0
夜行バスに対抗するために夜行快速・急行を運転しろよ>JR
上野~青森、東京~京都、関西~九州ぐらいはあっても良いだろ


332:名無しでGO!
07/03/12 23:58:40 5m2qgq1KO
>>327
黒磯に住んでたガキの頃、親父が夜中に帰宅してきたのを思い出した…

333:名無しでGO!
07/03/13 01:12:09 FvsAFWo40
>>331
コスト考えたら、列車だとバス並みにはいかないでしょ?。
結局高い、しんどいで誰も乗らない。



334:名無しでGO!
07/03/13 03:11:09 g5Wm+xry0
昔は夏休みなどで田舎に帰ると、やまびこ・はつかりの券が取れないことがよくあり
八甲田や十和田にお世話になった
(たまに北星も使ったなぁ)

335:名無しでGO!
07/03/13 03:40:42 x7kF0JKIO
今だと夜行=寝台付ってみんな思うだろうけど、
昔は座席の夜行列車も多かったな・・・。

336:名無しでGO!
07/03/13 09:45:50 SCPiuNNQ0
>>329
海峡に連結するんではなくて、八甲田がそのまんま海峡81号になるんではなかったっけ?
青森到着前に、確かそうアナウンスしていたような気がする。
時期によっては連結し直していたのかな。

自分はちょっと先に出る海峡3号に乗り換えてしまったので、
正確なことが分からないです。すみませぬ。

337:名無しでGO!
07/03/13 10:25:57 xp6dSKA50
>>336


同座席で指定取った器用な香具師が居た

338:名無しでGO!
07/03/13 18:42:32 35PH7iYS0
>334
>八甲田や十和田にお世話になった
その寝台や座席も取れずに、十和田51号とか八甲田52号の
寄せ集めのような、客車の座席に乗りましたよ。

339:名無しでGO!
07/03/14 02:54:54 pF/n/UC6O
平成生まれの俺は東北夜行は(北海道を除くと)

はくつる81号(583)
グリーン座席の夜行乗るの初めてでほとんど眠れなかった(w1回のみ

あけぼの
3回くらいは乗車。青森や函館行くのに使った。
あ、ちなみにルート変更後なんで例外?



もっと乗りたかった・・・
いや、正確にはもう東北夜行は殆ど走ってなかったorz

340:名無しでGO!
07/03/14 08:08:30 fVJKPqqv0
>>339
生まれた時既に北斗星は走っており、物心ついた時には八甲田・津軽も無くなっているから仕方ないな。

341:名無しでGO!
07/03/14 10:16:14 ynhiZ98W0
>>339
乗れただけいいじゃんか。
これより後の世代は、おそらく夜行自体ろくに体験もできんぞ。
あけぼのだって恐らく新幹線新青森延伸までの命だろうし。

342:名無しでGO!
07/03/14 10:37:50 vU1pHegRO
>>339
583のはくつるに乗れただけ幸せというべきだな。曲がりなりにも往時を偲べる列車だったし。

もう原色サロ581は無いのだから…

343:名無しでGO!
07/03/14 18:04:48 uFbEZe7V0
俺って583には何度も乗ったんだが、それは全てはつかり運用の昼行特急のみ
ほんらいの寝台は一度も乗ったことが無かった

先日それを思い出して、どうしても583の寝台に乗りたくなったんで
新潟まできたぐにに乗りに行っちゃったけどね

344:名無しでGO!
07/03/14 18:20:19 RN4J4BlS0
>>343
はつかりは上野―青森運転の頃も乗ってたの?もしそうなら区間にもよるが、サシ581で食事した貴重な体験の持ち主にもなる。

345:名無しでGO!
07/03/14 22:14:24 NqWPB+050
>>328
それと似た話で、戸塚に住む上司が酔っ払って大垣夜行で寝過ごしてしまい、
名古屋から新幹線で出勤してきたことがあった。

346:名無しでGO!
07/03/15 02:32:21 xKYrUUDw0
>>344
俺はひばりのサシ581でカレーライス食べたことがあるな。
行きはやまばとのサシ481でミートソース。上にハンバーグが乗ってた。

347:名無しでGO!
07/03/15 04:43:49 poLhgCFIO
20代で東北特急スキーな俺としては羨まし過ぎる話だ
物心ついたころには『サシ』なんて形式消滅済みだった品orz

348:BCNR33GT-R
07/03/17 00:26:12 czffeqdp0
12系の折り戸ガラスに結露が凍った。俺はデッキで辛かった。上野~青森~函館~帯広

349:BCNR33GT-R
07/03/17 00:34:46 czffeqdp0
12系の折り戸ガラスに結露が凍った。俺はデッキで辛かった。上野~青森~函館~帯広

350:名無しでGO!
07/03/17 04:51:21 kblsmZdS0
>.348
12系時代の「八甲田」によく乗りました
福島以北あたりから
客室内でもユニット窓の内側の結露が凍っていたことを思い出しました


351:名無しでGO!
07/03/17 09:45:20 41/RfJVuO
「八甲田」は長時間停車が無くて走りっぷりが良かったよね。上野7時過ぎの発車で青森着が6時過ぎ。約11時間で走破していたもんね。12系客車のクロスシートは座りごこちも良かったし、客車の良さも味わえて「八甲田」は好きでした。
世代によって「八甲田」のイメージって旧型客車、12系、14系だと思うけど、俺は12系だね。

352:名無しでGO!
07/03/18 00:17:29 u1TrvD+20
>>329>>336-337
3人とも正しい。
ガソリンの入ったバイク(建て前ではガソリンタンクをからにするんだけど)
を積載した貨車を機関車の近くに連結するのは安全管理上の問題で禁止なので、
進行方向が変わる青森駅で、構内転線して最後尾に連結し直してたんだよ。

353:名無しでGO!
07/03/18 03:02:58 FIlz+d5s0
上野駅から夜行列車に乗る際、中央改札口(壁の上の方に動物や裸婦の絵が描いてある改札口)
を通るのですが、今は電光式の列車案内表示が、昔は吊り看板の案内表示で、係員が発車した
列車の看板を外し、これから出発する列車の看板を吊るす、といった手間の掛かる上野駅独特
の列車案内が妙に旅情をそそったのでした。

354:名無しでGO!
07/03/18 05:21:52 tQm3cE0u0
高校生のころ福島県郡山市に住んでいましたが,イヤなことあると東京ミニ周遊券
買って深夜の急行で上野に向かったのを覚えています。当時は列車さえ運転してい
ればキップ売り場はちゃんと開けていて,周遊券他の企画券やらその駅に関連する
指定券やら売っていました。(もっとも駅によっては周遊券などは旅行センターの
みで発売していたため,営業時間外やら休日だと当日買いは不可能でしたが)

355:名無しでGO!
07/03/18 06:55:57 vEc5HftAO
>>353
今より何か暗い雰囲気だったが今は明るすぎ?
勿論自動改札ではなかったし、荷物、郵便とか、もちろん駅員さんとか働いている人がいっぱい居た気がした。
地下鉄側の地下の飲食街?雰囲気有った?

356:名無しでGO!
07/03/18 08:53:32 O6s8Mul60
>>353
路線別に色分けされていた案内板
いまでも 16番線の「能登」乗車口にその面影を見ることができます.

357:名無しでGO!
07/03/18 10:19:02 FIlz+d5s0
>>355
地下の飲食街、あの暗さといい、臭いといい、怪しさたっぷり!。

358:名無しでGO!
07/03/18 12:40:17 cO4F0kW60
>>353
東北・上越新幹線が上野まで開通した昭和60年3月まであったね。新幹線リレー号も
その表示だった。

>>357
浅草駅の地下にもそんな雰囲気の飲食街があるね。

359:名無しでGO!
07/03/18 22:22:58 h/JbbS230
>>358
新世界が今もそんな感じかな

360:名無しでGO!
07/03/20 01:48:10 fKJTzQRO0
>>329>>336-337>>352
まとめ

下りの場合
八甲田の最後尾(上野寄り)にモトトレインが連結されていた。
八甲田はそのまま臨時快速海峡81号になる。
青森で進行方向が変わるので、機関車が逆端に付替えられる。
だが、
そのままだと今度はモトトレインが先頭(函館寄り)になってしまい
機関車が近くに連結されることになるので安全管理上問題あり。
だから、
モトトレインの車両も切り離し構内転線し、
機関車と逆の方の最後尾(旧連絡線桟橋寄り)に付替え直しをした。

上り列車についても同様。

361:名無しでGO!
07/03/20 12:19:30 AeiqaccO0
「津軽海峡冬景色」を聞くたび思うのだが、の歌い出しの「上野発の夜行列車」って何だろうね?
寝台特急じゃなくて急行を思い浮かべるのだが。


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