07/06/06 07:21:18 VUMHEvi50
母親の実家が弘前にあるんで、子供の頃は夏休みになると母親の帰省についていくのが
恒例行事だったが、漏れが消防だった1970年代前半は、帰省シーズンの東北夜行の指定
をとるのは至難の技だった。
1974年の夏、小学生の漏れは指定券買い出し係だった。3~4日間、「みどりの窓口」
に朝早くから並んだが、どの列車もことごとく売り切れで、結局買えたのは、行きが
「鳥海51号」(秋田行だが、酒田~秋田は普通列車に格下げ)+「日本海」のヒルネ
(実際は奥羽本線のダイヤ混乱で、「あけぼの」のヒルネに乗った)、帰りは「津軽
51号」の普通車指定席だった。
行きの「鳥海51号」はナハフ11だったが、帰りに乗った「津軽51号」は茶色のオハ35!
車内の壁もヒビ割れの目立つ古色蒼然としたニス塗りで、「こんなボロ客車を急行に使
うのか!しかも指定席で!」と、非常に驚いた。
その車中で、大館駅の「鶏めし」、黒磯駅の「九尾釜めし」を買ってもらい、それが非
常に美味だったのも思い出に残っている。行きの車中でも、どこかの駅で駅弁を買って
もらったはずなのに、まったく記憶にないということは、大してウマくなかったからだ
ろう。