07/07/31 03:50:50 1XSgA2wu
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91:人間七七四年
07/07/31 17:08:22 BcRzB8Ui
>>82
毛利の主力は中小豪族や農民兵だったから10万も頻繁に動員できんだろう。それに毛利氏の財力を
考えたら頻繁に大軍出してたら財政難で兵数も限定される。
だから毛利も最初のころは大軍を動員できたけど、織田との戦いが長期化するにつれて財政が苦しくなり
簡単に大規模な動員がかけられなくなったと考えるべきだな。あと大友や伯耆の南条の動きもあり兵力を分散させないと
ダメだろうしな。でないと信長の出馬が予想された高松城救援に3万程度では
こないだろう。
92:人間七七四年
07/07/31 17:17:42 BcRzB8Ui
>>78
毛利の場合は、瀬戸内海や日本海の湊による交易や石見銀山に代表されるような鉱業
をある程度加味しないと。
93:人間七七四年
07/07/31 17:28:07 A5zya+uz
毛利が10万も動員できるわけないだろwwwww
10万動員するには400万石必要なんだぞ
中国地方全部合わせても400万石には全く届かん せいぜい200万石
仮に毛利が北九州争奪戦に勝っていても、その後九州北部を取っていても400万石に届くかどうか・・
94:人間七七四年
07/07/31 18:12:51 00IPdiWx
小田原攻めの半分は毛利兵説
95:山形義光
07/07/31 19:21:53 l8qtXfHQ
~万動員するには~万石必要
よく見かけるこの台詞だが、間違いだという事にまだ気づいていないようですな
96:人間七七四年
07/07/31 19:32:47 OpxCuARJ
飯無くて戦えるとでも思ってるのか?
97:人間七七四年
07/07/31 19:45:17 aSO2c/NB
毛利じゃせいぜい5万ちょいがいいところ
98:人間七七四年
07/07/31 20:22:56 t62HyF9y
>>93
毛利の所領は120万石。
一説によると1万石で300百人動員できる。
99:人間七七四年
07/07/31 20:59:58 WUJHxLVZ
>>98
一万石三万人説www
まあマジレスすると、所領あたりの動員兵数を云々したところで
より大きな織田の方が有利、という結論に達するため毛利家への
援護射撃にはならんのだな。
100:人間七七四年
07/07/31 21:56:37 cqNqTzBc
>>99
やはり交易や鉱業の利益を考慮しないと。
101:人間七七四年
07/07/31 22:01:34 00IPdiWx
だよな
銭の面でも織田に大敗してるもんな
102:人間七七四年
07/07/31 22:11:36 SRRTyVQ0
但馬の生野銀山も織田にぱくられちゃったからな
103:人間七七四年
07/07/31 22:37:50 cqNqTzBc
>>101
織田家は堺と京都、大津という畿内の大商業圏を抑えてしまったんだから負けるだろう。だから瀬戸内海交易や
朝鮮半島との交易だけでは毛利にも限界があるだろう。何より朝鮮半島や瀬戸内海各地の交易で得た特産品の大消費地は畿内なわけで
そこの市場に入り込めないと貿易の価値は半減する。上杉謙信だって中央政界との交流を重視してるのも資金源だった越後産出の繊維の
販売ルートを維持する目的もあった。
>>102
毛利には石見銀山はまだ残ってたんでないの?生野銀山は秀吉の天下取りの財源になったみたいだが。
104:人間七七四年
07/08/01 19:39:33 TjsBaB79
>>94
小田原攻めでの毛利家の負担額は75万石相当とか見たこと在るな。
というか雑賀攻め、四国攻め、九州攻め、北条攻め、朝鮮出兵、関ヶ原と
小牧・長久手の戦い以降は3分の1くらいは毛利家が負担している。
105:人間七七四年
07/08/07 11:21:15 zdgU1sFx
宮部が吉川がある限り毛利は安泰といっていたんだろ。
黒田如水は小早川の智謀を恐れていた。
本能寺がなくても、毛利が簡単に織田に負けるとは思えない。
むしろ備中高松で信長を討ち取っていたかもしれない。
馬鹿武田厨は悔しいだろうが、毛利>>>武田はあきらか
106:人間七七四年
07/08/07 11:28:50 5HTzTrtE
↑下の方は同意だがいくらなんでも織田勢に勝てるとは思えん
備中で負けてもすぐに予備兵力で同数並に蘇るし。
結局毛利がどこで屈して妥協出来るかって事になると思うが
107:人間七七四年
07/08/07 11:41:15 mdDw833X
>>105
>本能寺がなくても、毛利が簡単に織田に負けるとは思えない
じゃあなんで毛利は五カ国割譲なんて講和を受け入れたんだ?
しかも講和自体は毛利から申し込んでいる。
108:人間七七四年
07/08/07 11:43:22 zdgU1sFx
割譲した五カ国なんて別に毛利の本領じゃないし、痛くもかゆくもない
109:人間七七四年
07/08/07 13:12:09 ETXdJLE3
毛利厨の釣りが凄まじいなw
110:人間七七四年
07/08/07 14:39:19 oWFgKKYX
まあ関ヶ原での毛利方の兵力見ると本領防衛には7,8万だせたかもな。
武田は長篠みるかぎりしょぼいな
111:人間七七四年
07/08/07 19:30:31 f6hfaHib
↑
防衛戦と侵略戦一緒にするバカw
112:人間七七四年
07/08/07 20:32:42 ChRFl6a1
>>111
俺は防衛戦の方が侵略時に自国防衛の為の兵力を割く必要
がないぶん初期段階は兵力多く出せると思うんだけど違うのか?
滅亡まじかや謀略とかでガタガタにされてたらだめだろうけど
113:人間七七四年
07/08/08 01:18:50 HJAgj8Gg
5カ国割譲は毛利のわなだったかも。
厳島の戦いに至るまでの弱小だった毛利の家来まで含めた謀略の数々は
桶狭間の織田でもはるかに足元にも及ばない。
桶狭間には織田の偵察も大きかったが「運」に左右された作戦。
毛利は「運」に任せた作戦がほとんど無い。
厳島の桜尾城に陶の大軍をまるまる引きずり込むためにしたことを
見れば5カ国割譲を約束してでもそれで失敗したら残りの勢力圏のうち
半分を割譲してでも予定戦場に織田信長本人をおびき出すことをしようと
したことが分かる。
予定戦場に相手を引きずりこむってのは近代のプロシアの参謀本部の
モルトケばりだね。
やっぱり毛利はすごいと思う。
114:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/08/08 01:23:14 g77PJmrt
毛利も織田もすごい、じゃいけないのか?
115:人間七七四年
07/08/08 01:29:16 uCr/Nlar
毛利が安土まで攻めて信長の首を取るのは難しい。
なら信長を備中にまで引きずりだせばいいまでのこと。
116:人間七七四年
07/08/08 01:35:17 uCr/Nlar
毛利は武田の長篠みたいな失態はないだろうな
戦上手がおおいし
117:人間七七四年
07/08/08 01:36:20 AL1xGMZZ
当時の毛利は背後から宗麟に攻められ、足元では尼子残党の反乱。
東からは秀吉軍の遠征軍3万が年単位で攻勢を継続して毛利の消耗は甚大。
その上、宇喜田の離反で四方に敵を抱えて財政も破綻寸前でまさにジリ貧。
秀吉時代の大量動員は平和になり備えが不要、財政も好転。
さらにあくまで短期間の動員+大量の浪人が自主参加。
こうした状況から毛利に限らずどこの大名も戦国期に比べて大量動員をしている。
118:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/08/08 01:43:27 g77PJmrt
宇喜多軍1万3000がキーマンになってるな。
119:人間七七四年
07/08/08 02:19:56 AL1xGMZZ
>>112
戦国時代では攻勢側には大量に兵が集まり、
逆に防衛戦になると大国でもガクンと兵力が減った。
主家の統制が弱く、ゆるやかな統制下の家臣団や国人・地下人が多数いた訳で。
攻勢時は勝ち馬に乗れと兵力増大、防衛戦では大幅な兵力減少は必然だった。
120:人間七七四年
07/08/08 06:17:49 AXq6B1IE
>>113
そんな仮定の話しで毛利が凄いとか言われてもね・・・・
それにそれは元就の話しだ。
>>108
そのとおり、その五カ国は毛利領というより毛利に従う
豪族たちの領地でいわば毛利の勢力圏といったとこだし。
割譲してもいたくない。
>>116
また仮定の話しか。
121:人間七七四年
07/08/08 06:29:34 UgtpijHR
そういうこと言い出したら毛利の本領である安芸以外どこを獲られても痛くないって話になるんじゃないの
五ヶ国割譲で毛利にとって不幸中の幸いだったのは五ヶ国いずれも既に秀吉軍が侵入してて、
近い将来に完全に織田領になるのがわかりきってたことじゃね
122:人間七七四年
07/08/08 07:51:31 CRica8Yl
一代で成り上がった毛利に本領とか関係無いだろ。
織田勢が迫ればほとんどが靡くよ。
123:人間七七四年
07/08/08 11:49:06 AXq6B1IE
つーか、このスレで今まで案外、常識的だと思ってた
毛利厨に対する認識が変わった。
これじゃ島津オタとか真田オタと変わらん。
つーか善戦もしていない「秀吉の中国攻略戦」とか
討ち取ってもいない「信長の首が必ず討ち取れた」とか
仮定の妄想話しで威張られてもなあ。
124:人間七七四年
07/08/08 12:06:47 s3DW6lqY
一部のキチガイをスレの総意だとみなさないでください(><)
125:人間七七四年
07/08/08 14:17:31 Ybi2GqPP
>>124に同意!
特に真田厨は二極分化が激しいんでぃ!!
126:人間七七四年
07/08/08 18:51:24 1vn8rwTz
厨と言えば伊達や真田や上杉、武田が何かと有名どころだが、
今川や毛利や佐竹も地味ながらひどい
127:人間七七四年
07/08/08 23:11:18 oUdhEuAY
>>117
なかなか正しい事を言ってるが、
>さらにあくまで短期間の動員+大量の浪人が自主参加
>こうした状況から毛利に限らずどこの大名も戦国期に比べて大量動員をしている。
これはダウト。
あの時期(豊臣政権確立&確立後)に、あそこまで大動員できたのは毛利だけ。
唯一の例外が関が原だが、これも毛利の大動員と匹敵できたのは家康のみ。
128:人間七七四年
07/08/09 01:00:00 vVgDla/O
てか、毛利首脳の方針はどうだったの?
とくに、知将たかかげ
もとなりの遺言は毛利の滅亡を防げが基本でしょう?
間違っても、いずれ攻勢に転じて安土まで攻め上ろうとは思ってなかっただろうし
いかにして毛利の血と名を残すかに尽力してたとすれば、また違った見解はでてこない?
129:人間七七四年
07/08/09 01:34:59 eFUxY+LI
毛利の滅亡は時間の問題だったでしょ、だから5カ国割譲案に飛びついた。
130:人間七七四年
07/08/09 01:37:58 YmXrSBHl
あのまま戦ってたらどこかで国人の大量離反が起きて
武田や朝倉みたいな展開で滅亡という可能性もあるからね
131:人間七七四年
07/08/09 02:11:22 kDsEOeGF
>>117
大友は毛利攻めなんてする余裕全くないよ
耳川の大敗北で自分の足元がぐらついてるし
132:人間七七四年
07/08/09 02:13:56 kDsEOeGF
1573年
長府毛利家文書
輝元が穂田元清に当てた手紙。
信長には強気な態度をとることが寛容である。
次は宇喜多直家に注意せよ。信長が敵となれば直家を先鋒として戦わせれば問題ないだろう。
兎に角毛利が織田を気にかけていることは絶対に直家には知られないように。
\(^o^)/全部裏目とは流石輝元おぼっちゃまだぜ!
133:人間七七四年
07/08/09 05:04:40 OqGZTZIZ
スレを全然読まないで>>1に反論すると
武田家滅亡の時に信長は自分が不在の間に終わってしまったので
とても機嫌が悪かったらしい
その結果、酒宴の席で明智が罵倒されたりなんやかんやがあったわけです
秀吉はそういうのを敏感に察知する人なんで
秀吉の軍が独力で毛利を滅ぼしては不味い、
毛利は信長様の指揮で滅ぼさねばならない、と考えたのです
そこで秀吉は、水攻めや和平交渉などで時間を稼いでおきつつ
信長には「ピンチなので助けてください」と信長を呼び出したわけです
信長が到着したら総攻撃が出来るように着々と準備をしていたのです
134:人間七七四年
07/08/09 07:37:47 vzgjjlFf
よく清水宗治は裏切らなかったよな
こいつが秀吉に寝返ってたらその時点で毛利は崩壊して滅んでたんじゃないか?
135:人間七七四年
07/08/09 08:03:32 NcZkFJkR
小早川隆景は戦い前に宗治を呼び出して内通したい者は卑怯とは思わないから内通して身を立てろと言い
籠城中には宗治に手紙で降伏を促したが、宗治は従わず結局隆景の意図しない時期に勝手に切腹した。
136:人間七七四年
07/08/09 08:09:31 VJ60QOV0
後に生き残った清水宗治の息子も秀吉から独立の大名にしてやると言われたが
毛利の配下がいいと言って断ってる、ここら辺が毛利のすごさだ。
137:人間七七四年
07/08/09 09:37:28 P3j7OF67
大名として独立すると毛利からの庇護が受けられなくなり
秀吉や家臣によって好きなように取り潰される恐れがあるから
家を存続させるためには独立しないほうがいいよね
138:人間七七四年
07/08/09 09:40:45 nsWIQCYw
というか秀吉の毛利弱体化政策(小早川とか安国寺のような)の一つであり、
それに気づいた宗治の息子本人か毛利宗家が「だめ、絶対」って思ったん
だろ。
139:人間七七四年
07/08/09 10:49:04 33TZOyWB
それは毛利が凄いんじゃなくて、清水がすごいんだろ
毛利厨はなんでもかんでも都合よく解釈すんのな
140:人間七七四年
07/08/09 13:49:40 HnkGuzTT
いや、それを言ったらどの大名もたいしてすごくないだろ
141:人間七七四年
07/08/09 21:48:14 TTcLKEwy
武田には清水宗治のような中心はいなかったと言うことか
毛利と武田、勝ち残った家と滅亡した家の差がよくわかったよ
142:人間七七四年
07/08/09 21:53:17 yiAMehYI
目ぼしい家臣は皆長篠で死んじゃったからな>武田
143:人間七七四年
07/08/09 21:53:51 33TZOyWB
どんな大名にも忠臣は必ずいるもんだ
忠臣の活躍を主家讚美に使うなよ
144:人間七七四年
07/08/10 00:43:25 k/CHkd/w
>>133
信長は信忠が独力で武田を滅ぼしたことを喜んでいる書状が
残っていたと思うが。
145:人間七七四年
07/08/10 00:46:54 haRA90Ss
実際のところ自分ひとりでは勝ち目が無いと思ったから秀吉は信長に援軍を求めたんだろ。
146:人間七七四年
07/08/10 00:59:30 KSZXjAaC
ただのご機嫌取りだろ
拠点が滅亡寸前 重臣が死亡寸前
手が出せない毛利軍
はいはい滅亡滅亡
147:人間七七四年
07/08/10 01:13:31 9JckF6DB
最初は苦戦したけど本能寺のころにはもうボロボロだよな
148:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/08/10 02:01:04 G9xMBZHd
毛利の最大動員兵力についてだが、備中兵乱三村氏討伐の際の毛利軍は、
「周防長門安芸備後備中備前美作因幡伯耆出雲隠岐総勢8万余…」と言われている。
実際はその半分以下だろうが…
149:人間七七四年
07/08/10 18:38:12 lmtj4zJl
光秀の部隊の他に池田が1万前後の兵で援軍の準備してたしな。
四国の方は別に後回しでも構わなかったのに、
同時に平行して攻撃準備にかかってたのは
相当に織田の余裕を感じるよ。
150:人間七七四年
07/08/10 18:44:24 lmtj4zJl
よく考えると伊賀攻めなんぞに
6万も動員できるんだから当然か。
151:人間七七四年
07/08/10 23:11:27 f5GQojKx
大内打倒後の毛利は連年、戦に次ぐ戦の日々だったからね。
特に尼子制圧以降は実入りの少ない消耗戦が秀吉との和議の日までえんえん続いた。
秀吉からの和議の申し出はまさに渡りに船。
152:人間七七四年
07/08/11 12:19:00 lfCm0tjK
秀吉の和議に出向いていったのって誰だろ?
小早川か安国寺?
153:人間七七四年
07/08/11 12:59:05 2/UgfPMh
毛利より上杉や武田の方が信長に抵抗できていたよな
毛利は一方的にやられていただけで、織田方の名だたる武将を誰一人として討ち取れていない
154:人間七七四年
07/08/11 13:03:27 uhppdWYA
つまり斎藤龍興最強
155:人間七七四年
07/08/11 15:18:15 8zICMXqS
>>154
斎藤義龍の間違いだよな、てか釣り?
156:人間七七四年
07/08/11 22:31:22 pm1gPbLi
>>132
宇喜多って結構すごいな
157:人間七七四年
07/08/11 22:57:08 2/UgfPMh
宇喜多って結局元春や隆景を暗殺できなかったカスじゃん
158:人間七七四年
07/08/11 23:13:42 XNW6xvNT
天翔記じゃあるまいし… そういう形での暗殺ってのは不可能なんだよ
159:人間七七四年
07/08/11 23:19:29 2/UgfPMh
結局宇喜多単独じゃあ毛利を倒せないのか
160:人間七七四年
07/08/12 00:23:27 +1jrBxRB
宇喜多と南条が裏切らなければ毛利はまだ持ちこたえていた・・・。
まあその報いか関ヶ原後に改易くらったからよしとするかw
161:人間七七四年
07/08/12 01:18:06 lVQlbVp6
鳥取城を落とされたとはいえ、高松城攻防戦のときに、
吉川は南条を追い詰めているし山陰はまだまだ毛利は安泰。
毛利は余力蟻まくり
162:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/08/12 01:50:32 NiwlkExk
>>159
上月落城の後、暗殺計画がうまくいってればまだ分からんよ。
163:人間七七四年
07/08/12 11:03:11 VBsGk44O
宇喜多直家って暗殺されてるよね
164:人間七七四年
07/08/12 12:06:51 8XZmhysp
直家は隆景に暗殺された可能性が高い
隆元が生きていれば秀吉ごときに戦線を縮小させられることはなかっただろうな
上手くいけば直家と秀吉と元続の首を取ってた
165:人間七七四年
07/08/12 12:26:52 e0dgXTu4
長宗我部がどこまで持ちこたえられるか・・・・
四国が織田に制圧され側面からも攻撃を受ける様になれば
毛利もどうがんばっても支えきれんよ。
上杉も武田が滅び越前と川中島方面の両方から織田に脅かされると
もう身動き取れなくなった。
166:人間七七四年
07/08/12 12:33:38 6sR/veJO
>>164
>隆元が生きていれば
関係ない。
>直家は隆景に暗殺
嘘。
167:人間七七四年
07/08/12 13:25:36 8LJocjMf
500万石の領地と大阪・堺に機内一体の海運を完全掌握する事による途方もない財力。
織田の一方面軍に過ぎない秀吉軍でさえ毛利を圧倒する力があったのも当然。
168:人間七七四年
07/08/12 14:23:30 dUzfcQeg
それにしては北陸や関東はあまり上手く進んでなかったね
169:人間七七四年
07/08/12 14:40:39 4InL+lwG
第二次木津川河口まではいい勝負展開してたな
170:人間七七四年
07/08/12 15:01:58 bfC9uJFQ
北陸は十分上杉氏を圧倒してただろ。謙信死後内乱で明らかに弱体化
してからの話だが。関東も武田滅亡後の時間経過から考えれば上野の
支配権をきり崩してるだけでも凄い事。
北条に手を出してないのは同盟国だからだし。
171:人間七七四年
07/08/12 15:47:49 Cq3oLgHU
>>170
そうですよね、本能寺直前に魚津城が落城している。
景勝が救援に向かったが、織田の別働隊が信濃側から春日山を狙った。
やむなく景勝は越後に帰還、魚津城は孤立無援で落城。
もし本能寺の変が無かったら、上杉は越中と信濃から挟み撃ちにされていた。
そして皮肉にも北陸の総司令官・柴田は逆に羽柴と上杉に挟み撃ちにされ滅亡。
172:人間七七四年
07/08/12 20:54:45 47MW6N9F
北陸は一向宗に苦戦して柴田らはなかなか戦線を進めることが出来なかったからからな
上杉に対しては78年にに飛騨経由で越中の半ばを奪ったりしているが
173:人間七七四年
07/08/13 00:00:20 vsrVgfDS
武田が落ちた時点で上杉も詰んだな。
174:人間七七四年
07/08/13 00:12:26 InoO6iGq
北陸方面:柴田大苦戦
甲信越方面:信忠・徳川大苦戦
関東方面:滝川大苦戦
中国方面:羽柴余裕で備中へ
175:人間七七四年
07/08/13 01:09:09 p/X/Vwu9
北陸:防戦から一転、春日山に迫る攻勢へ
甲信越:武田瞬殺
関東:信長死んで滝川涙目
中国:気づいたら毛利滅亡必死
176:人間七七四年
07/08/13 01:33:59 rjrUo7wc
>>174
柴田、滝川なんかを「苦戦」と称するなら、秀吉なんか橋頭堡である
播磨の国を一度失いかけるほどの大苦戦を強いられたわけだが。
177:人間七七四年
07/08/13 12:28:06 HXxEr/gt
秀吉以外の武将だと備中高松城や鳥取城正攻法で攻めて
落とせてない様な気がするのだが・・・。
178:人間七七四年
07/08/13 13:40:48 jU5WyonS
秀吉は播磨を平定してからの躍進は目覚しいけど、
それ以前は余裕でもなんでもない
179:人間七七四年
07/08/13 15:24:50 alZ/du9z
信長が計算してた訳じゃなかろうが、
各方面軍団とそれぞれの敵勢力との力が絶妙にバランスとれてるなあ。
武田が滅びたことでそのバランスが崩れて、
あとはドミノ倒し的に潰せたかもしれないが。
180:人間七七四年
07/08/13 20:17:42 bHSuGice
>>179
その辺は計算してある
師団長の軍+与力の軍という構成だから
与力を変えたり増減することで兵力が調整可能なシステム
181:人間七七四年
07/08/13 21:22:58 C7fRtFnZ
>>174
それはお前が思ってるのと違うな。
北陸方面:柴田大苦戦
柴田は対上杉に苦労はしていない。寧ろ上杉は何もできないまま滅亡寸前。
甲信越方面:信忠・徳川大苦戦
武田は瞬殺でした。
関東方面:滝川大苦戦
信長の生存中に北条から頭を下げてきて、京都見物にと宗家の総領分の
お土産を貰って経済力の差を見せ付けられてる。
中国方面:羽柴余裕で備中へ
信玄・謙信生存中も織田の勢力が傷ついた事は無かったが(あえて言えば
岩村城か?しかし辺鄙な地で攻め口というより砦のようなもの)、毛利の
攻勢後は織田の内部が混乱し播磨、畿内の勢力が一変した。
182:人間七七四年
07/08/13 23:24:20 Yahmp0nd
柴田が苦戦したのは一揆だしな
183:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/08/13 23:27:05 DECgfwrF
いっき
184:人間七七四年
07/08/13 23:48:18 dmQ4J1Ud
織田が戦った中で一番の強敵は毛利だもんな
戦の強さや経済力で毛利と互角以上の勢力は織田しかいないし
185:人間七七四年
07/08/13 23:52:56 Lq9oZMu2
毛利もろくに戦えていないが・・・
大体織田の一番の強敵といったら本願寺と雑賀衆しかいないだろ。
とくに織田全軍を動員しながら野戦で勝てなかったのなんて雑賀攻めだけだし。
186:人間七七四年
07/08/13 23:53:10 vjeEmswO
あのまま本能寺の変がなくて、高松に信長が着陣してたら毛利はやはり滅亡してたのだろうか?
そして明智は石見と出雲が確実に手中に出来たのかも。あの講和条件だと信長はあと石見と出雲を毛利に差し出させて
毛利の存続を認めるというのが微妙なラインと思うけど。
187:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/08/13 23:54:09 DECgfwrF
信長が高松に着陣て。
188:人間七七四年
07/08/14 00:01:54 vjeEmswO
織田は毛利に勝利は確実で、石見・出雲は間違いなく手に入る状況のなかで光秀が謀反をした理由が
分からん。高松城攻防戦で織田が毛利を撃破すれば毛利領国で諸豪族の動揺・離反は避けられんだろうし、
南条氏と共同で明智軍を出雲に進めれば一年もかからず平定できそうだけど。
189:人間七七四年
07/08/14 00:08:19 3UMGDL1b
吉川元春と小早川隆景がいる限り毛利はまだまだいける
190:人間七七四年
07/08/14 00:15:49 dHabyJ3R
>>189
秀吉に手も足も出なかったじゃん。
191:人間七七四年
07/08/14 00:55:00 QN9ZsiX/
毛利は本家・吉川・小早川の所領安堵なら降伏もアリだろ
この3家の所領自体はそこまで大きくないし
残りの国人連中は家臣化してる途中だ
最悪安芸・備後さえ確保できれば良いだろう
192:人間七七四年
07/08/14 01:19:41 ffu+dVJi
馬鹿いうなよ
安芸備後安堵の降伏条件を飲むくらいなら、むしろ徹底抗戦だろ
せっかく手に入れた(または入れつつある)中国地方各地の利権を
そう簡単に手放すことなんかできやしない
輝元をはじめとする毛利首脳陣が納得しても
重臣レベルが反対するだろう
組織というものは急激に収縮することを拒否する
193:人間七七四年
07/08/14 02:58:05 SwGAGTUp
187 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. [sage] :2007/08/13(月) 23:54:09 ID:DECgfwrF
信長が高松に着陣て。
194:人間七七四年
07/08/14 06:37:52 Enedx69b
逆に毛利が秀吉に苦戦しているイメージしかないんだがwww
実際、毛利方の城が落とされまくっているでしょ・・・
これで信長が率いる増援が到着していたら・・・毛利はガクブルだろwww
195:人間七七四年
07/08/14 16:23:21 S/EmOrb4
>>192
だから小早川隆景は講和条件で自分の領地がある備後まで割譲しましょうと「自己犠牲」を
演出してるのかと。そうなると重臣も納得するしかないし吉川も「小早川がそうなら漏れも出雲を出すよ」折れるしかない。
結局毛利側としては講和=織田へ臣従は周防・長門・安芸の3国維持が御の字だったと思われる。あと四国征伐の
先方に狩り出されてたかもしれん。
196:人間七七四年
07/08/14 16:23:54 E5ih1vPe
別所には苦戦したよね
197:人間七七四年
07/08/14 18:58:34 0seFqZ5o
織田軍は敵との兵力差は圧倒的なので合戦になると圧勝なのだが
そこに至るまでの政治的な部分で苦戦しているとも言えなくもない事もない
198:人間七七四年
07/08/14 21:57:26 l0UEysKx
講和の経緯がわからんのだがどっちが先に切り出したの?
それに備後や出雲まで割譲する覚悟はあったの?
199:人間七七四年
07/08/14 22:59:58 4EJolO+t
>>198
講和は小早川の方が切り出したみたいだぞ。秀吉が信長に直接の出陣を要請出馬とかいう
可能性が出てきて、信長の出馬=毛利滅亡が現実味を帯び始めたから。
>それに備後や出雲まで割譲する覚悟はあったの?
ただの領土割譲ならそれくらいなら武力で奪取できると信長に講和を一蹴されてたかもしれんが、それが
備後や出雲という毛利家の本貫地も差し出すとなると秀吉とかの仲裁で何とかなったかもしれん。あと足利義昭と
荒木村重の身柄引き渡し・四国征伐の補助という条件もつけられた可能性はあるが。如何せん尋常な講和条件だと信長が拒否
してた可能性が高い。
200:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/08/14 23:09:23 QflbLHQH
結局は高梁川を境にした。
201:人間七七四年
07/08/14 23:20:35 l0UEysKx
秀吉はなんで高梁川で妥協したんだ?
三原城や月山富田城は流石に力攻めだと難しかっただろうな
202:人間七七四年
07/08/14 23:30:58 QN9ZsiX/
秀吉がしたように毛利を九州・海外出兵の先兵として使い倒せるなら
信長も講和に納得したんじゃないかな
実際、毛利勢は九州や朝鮮で活躍してるしね
203:人間七七四年
07/08/14 23:31:54 45kJXx3K
まったくあやふやな記憶なんですが、信長はまず淡路に渡って四国征伐を指揮、
そちらがひと段落ついてから中国そして九州まで遠征するつもりだったという
話を読んだことがあります。どっかの論文なのかそれとも小説だったのかも
覚えていないのですが。
これって何か根拠のある話なんですかね?それとも創作?
204:人間七七四年
07/08/15 00:19:31 yXPjO8dY
>>201
そりゃ本能寺の変があったからだろう。でなきゃ信長が来るぞと秀吉は条件を吊り上げて
たと思うぞ。秀吉にすれば勝手に和議=毛利の降伏交渉を進めるなんて「越権行為」をしてる以上好条件での
それでないと信長の雷が落ちるしタダでは済まされなかったかと
>>203
毛利の処置が済んで宇喜多・毛利に四国討伐を参加を命じてたと思われる。それまでは阿波に
織田側の橋頭堡を築くというパターンだろう。
205:人間七七四年
07/08/15 01:01:02 W5h2i58A
毛利が下れば毛利に従属してた河野の治める伊予側も上陸に使えるから
四国討伐はより容易になったんじゃないかな
206:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/08/15 01:09:42 z8bZk+jU
>>204
宇喜多は長宗我部と友好だからなあ・・・
まあ、そんな状況になれば、そうも言ってられないか。
207:人間七七四年
07/08/15 16:35:31 nU0gRasg
>>205
秀吉本隊と宇喜多が下津井から讃岐へ上陸、毛利が村上水軍を使って伊予に上陸、織田軍は
阿波から迫れば長宗我部も防衛は難しい。毛利を織田が下した時点で長宗我部はさっさと臣従をすればお情けは
あったかもしれん。そして、その四国の遠征軍をそのまま九州に回して九州征伐ということになる
>>206
秀吉の四国遠征の時は宇喜多はその一手として讃岐に進出してる。友好関係あっても
自分の利害が優先するのが国際政治の基本。
208:人間七七四年
07/08/15 23:31:59 hdTpDZLa
毛利がいなければ豊臣はずたぼろだった
209:人間七七四年
07/08/16 01:11:11 jD4CxpKv
毛利はある意味、織田・秀吉・徳川の天下の功労者。
織田→最初に反信長包囲網に参加せず、信玄没後に遅きに逸した参加。
秀吉→大返しの秀吉軍を追撃せず、小牧・長久手でも動かず秀吉に天下を献上。
徳川→徳川を凌ぐ8万もの大軍を動員しながら戦闘に参加せず徳川に天下を献上。
210:人間七七四年
07/08/16 03:12:01 F3xGJL/p
秀吉単独で備中の防衛ライン抜かれてるのに苦戦とは・・?
211:人間七七四年
07/08/16 08:12:59 RRtWzmDB
>>210
しかも、小早川が早々に和議を申し出てる。
212:人間七七四年
07/08/16 17:02:46 rCIXf79R
>>210
確かに秀吉軍団の単独で備中の防衛ラインは抜かれかけてたが、抜かれてる
までは行っていない。寧ろ備中は一旦宇喜多の離反で防衛ラインが崩れた所
を吉川・小早川の反撃で再構築したところ(本能寺の変前)
秀吉軍団は対毛利戦に措いて多額の(秀吉の所領以上の)財源を織田家から
捻出していて、明智同様可也苦しい立場であったと思われる。宇喜多の再離
反は直家が死去して無いものと思われるが、宇喜多同様離反した山陰の南条
は吉川に押され滅亡寸前で、毛利自体の領地には秀吉軍はまだ届いていない。
(三木の播磨などは元々毛利の賛同者程度で鳥取は、織田側へ離反した山名
の領地を吉川が奪い取って城代を措いていたに過ぎないとも言える。事実、吉
川経家は毛利の客将に過ぎず切腹に及ばずとも良いと秀吉が示唆している。)
213:人間七七四年
07/08/16 18:00:44 SJEk4Hs0
>>212
秀吉は生野銀山を差し押さえたり、堺の商人から大量の出資を受けてたようだな。
その関係で小西行長を武士に取り立てたりしてたようだけど。でも、毛利はそれ以上に
財政破綻だったんでないのか?毎年秀吉に戦を仕掛けられて高松城に援軍に出てきたときの
援軍が3万程度だったのを見ても動員にも事欠くような状態だったのかと
214:人間七七四年
07/08/16 18:33:10 gRobj7b2
>>212
毛利の賛同者とか奪い取った領地に城代をおいてるって事は秀吉対毛利において
完全に毛利方の領地って事じゃん。自分側勢力に援軍を本格的に送らず
次々に侵食許してる時点で完全に劣勢。自分の本領土に敵が達する頃には圧倒的
に兵力差がついて戦う前に負けが決まってしまうよ。
215:人間七七四年
07/08/16 20:40:17 5LIVUN4K
>>214
鳥取城は城主の山名が娘を人質にとられて
秀吉に降伏して開城しようとしたら家臣に猛反発受けて
夜逃げ、その後相応しい武将を送ってくれと毛利に要請
毛利は最初1家臣を送ろうとしたが毛利の譜代を送ってくれと
駄々をこねられて吉川経家を鳥取城に送った。
当然城主が夜逃げするくらいだから防衛の準備が整ってなく
11月の積雪まで何とか籠城しようとしたが兵糧がもたずに
落城ってのが簡単な経緯ね。
216:人間七七四年
07/08/16 20:48:37 5LIVUN4K
後、書き忘れたけど、ちゃんと鳥取城には援軍を送ってる。
南条が邪魔したせいでたどりつけなかった。
あと、九州と四国の情勢もやばかったので周防・石見・長門・安芸
の兵力が高松城に動員できなかったのもある。
217:人間七七四年
07/08/16 21:48:07 7fr9fgUW
毛利は秀吉にたった2年で滅亡寸前に追いやられているよな
勝頼は長篠の後も7年も抵抗できたのに
毛利弱すぎね?
218:人間七七四年
07/08/16 22:44:40 W5FRupOA
>>216
つまりあの当時多方面に敵を抱えてたということだろ?そこを信長が明智や細川従えて出馬してくるのだからかなりヤバイ。
小早川は自分が抑えてた足利義昭や水軍のルートで把握したから事実上の降伏ともいうべき和議を持ち出した。
>>217
本願寺が頑張ってるうちに近畿地方に進出してくればよかったの水軍だけ援軍に出して、ミスミスその機会を失った。
特に、武田信玄が西上してくるときに出てくれば織田はまったく対処するすべがなかったと考えられる。
219:人間七七四年
07/08/16 23:08:15 7zoYQqKy
>>217
単に織田が武田の相手をしていなかっただけじゃないか
織田が本格的に武田を攻めたらすぐ片がついたし
>>218
>特に、武田信玄が西上してくるときに出てくれば織田はまったく対処するすべがなかったと考えられる。
中国情勢考えれば不可能に近い
そんな案が実現可能なら1570年の段階で上杉や武田が織田と敵対の方が
更に織田には対処するすべがなかったはず
220:人間七七四年
07/08/16 23:23:51 W5FRupOA
>>219
長篠の後も相変わらず、武田は強力だった。信長が武田を攻めたのは勝頼が毎年の戦で
経費がふ膨らみ国内に重税を課していたことへの諸豪族の不満と、改革で既得権取られそうになった
重臣が離反したという内部崩壊寸前だった時。
>中国情勢考えれば不可能に近い
尼子の残党の活動でも活発だったのか?それに毛利の場合は例の親父の家訓もあって
そもそも中央への進出には消極的だったけど本願寺が応援を要請してきたので、国内の門徒の存在もあって
渋々戦いだしたという側面があるような希ガス
221:人間七七四年
07/08/16 23:36:28 5LIVUN4K
元就の時代、尼子の残党の応援をしている
丹波方面の豪族を抑えて貰うように信長に支援を要請している。
元就は織田と友好関係を築こうとしていた。
毛利と織田の仲が決定的に悪くなったのは足利将軍が
毛利領に入ってからだね。
222:人間七七四年
07/08/16 23:36:38 7fr9fgUW
1582年の段階で吉川が南条を滅亡寸前まで追い詰めていたと言うことは
山陰はまだまだ毛利の勢力が健在と言うことか?ひょっとしたら因幡まで押し返せてた?
山陽の小早川だけが苦戦してたのか
223:人間七七四年
07/08/17 00:18:55 x0hKkoi3
>>220
1569年から毛利は
九州では大友(和睦)
周防では大内一揆(すぐ鎮圧)
出雲では尼子残党
山陽では浦上宇喜多及びそれを支援する三好と敵対
瀬戸内では村上水軍が離反
といった状態その後
尼子残党を鎮圧し
1572年10月に宇喜多との講和が成立
三好は信長によって弱体
村上は再帰属
となるけど毛利宇喜多の和睦に反対して三村浦上が離反
これが片付くのが1575年
毛利は織田と戦おうにも戦える状態じゃなかった
224:人間七七四年
07/08/17 03:52:14 QhlJsEKZ
結局長州藩時代に天下を取ったのだから
毛利が最強だろうな。
元就が天下取り禁止の遺言を残していなければ
その時期が300年早まっていただろう。
225:人間七七四年
07/08/17 06:18:15 qy4xuHn9
>>215
秀吉に隙を突かれて敗北って事じゃんw別に擁護する余地ない。
>>219
>単に織田が武田の相手をしていなかっただけじゃないか
そんな事実ありません。武田と北条が手切れになるまで家康も遠江や三河の武田領も
なかなか取り返す事ができず対武田戦線はまだまだ苦労していた。
>>223
そのくらいの事変はでかい大名ならどこでもつき物でしょ。
織田なんか謀反とか包囲網とかばっかじゃん。戦国時代なんだし戦に明け暮れるのは当たり前。
毛利だけが戦える状況じゃないから侵攻を早く許したのは仕方ないってのは筋違いでしょ
>>224
天下取り禁止遺言残していても領土防衛だってやっと運に助けられたって感じだったじゃん
関が原の時も中立を守らず安国寺の提言で三成に加担したしその提言を守ろうという決意あったかも危うい。
やらなきゃやられるのがあの時代だし中国地方の毛利方勢力を次々に速いスピードで
侵略された時点で強いとはいえない。
226:人間七七四年
07/08/17 09:54:26 cmDlEezu
武田は確かに長篠後も勝頼はそこそこ有能だったが結局自分で自分の
首絞める外交術で完全に自爆じゃん。織田の同盟の誘いも蹴ってるし。
で信長着陣までには全部片付く悲惨さ。毛利は信長出陣でいきなり内部崩壊しないぶん
そこは武田よりはましだな。まぁ以後の滅亡フラグはとても避けれそうにないが。
227:人間七七四年
07/08/17 15:41:51 021ZQV8s
高天神城攻略された際に援軍を送れずに配下の不振をかってたせいもあるな。
実はこれ最初からそれを狙って、信長が家康にわざと武田軍の降伏を拒否させてた
のが有力視されてるんだった。
凄い駆け引きだよなあ。
228:人間七七四年
07/08/17 18:18:35 9pbBjMFS
>>223
周りにたかるハエを叩いてるうちに気づいたら織田が来てたということか。
>>226
織田と同盟結びたくても結べないだろう。本人はその気があっても急な路線転換が出来るほど
武田内部に統一性があるわけでもなし、それに同盟を結んでも結局臣従を強制されて何を理由に
成敗されて武田滅亡なんてこともあり得たわけだから。
229:人間七七四年
07/08/18 03:17:24 70FR4/4q
実際2万ほどの秀吉軍にいいようにやられまくったのは酷いよな。
それも最後まで毛利軍の主力は秀吉軍とは対決しないままだったし。
一戦もせずして滅亡寸前てのは流石に恥ずかしい。
230:人間七七四年
07/08/19 03:06:14 pp+oQBr8
>>228
単純に織田と毛利の間の勢力が無くなった結果
両者が隣接するようになって敵対した
基本は織田上杉間と同じだと思う
231:人間七七四年
07/08/20 10:37:18 KYNmG0Ax
毛利は織田と領土が隣接する前から
やたらとチョッカイ出してるだろ
232:人間七七四年
07/08/20 18:37:36 +Wg26jGQ
>>231
本願寺に応援を要請されて渋々出てきてるよ。断れば一向宗の安芸門徒が反乱でも起こしかねなかったし、
その信者に多い国人層の離反を招いたりして支配が揺らぐ可能性があった。
233:人間七七四年
07/08/20 18:49:13 Fm3N+uE3
積極的か消極的かはあまり関係ないだろう
今は時期を問題にしているだけであって
234:人間七七四年
07/08/20 23:00:57 oNhF+xe0
長篠城を囲み、救援に来た織田・徳川連合軍と決戦して大敗した武田
上月城を攻め落とすも、それ以上東進せず姫路の織田信忠と決戦しなかった毛利
235:人間七七四年
07/08/20 23:08:39 Zmu3wmgw
荒木謀反のときには、水軍で摂津の城に毛利勢を入れているくらいだしな
236:人間七七四年
07/08/21 03:37:12 uq4knuaQ
にしても毛利はあれだけの領土と経済力を持ちながら弱小勢力に苦戦し過ぎ。
・大友なんて竜造寺にもボロ負けするヘタレ相手に反大友の国人の加勢がありながら大苦戦して九州撤退。
・尼子・大内に再三、再興軍や一揆を起こされ大苦戦。
・僅か数万石の南条に大苦戦して援軍派遣まで阻止される。
・備前半国程度の宇喜田秀家相手に反宇喜田勢の加勢を受けながら大苦戦。
・今度は大大名となった宇喜田の加勢を受けながら浦上らに大苦戦。
・秀吉軍を恐れて一度も決戦せず(本隊でない一方面軍から逃げたのは毛利くらい)
・四国でも河野らの支援を得ながら事実上敗退。
ヘタレ過ぎる・・・・
237:人間七七四年
07/08/21 10:26:36 cbdGkvmv
>>234
上月城は織田が見捨てたからな。
それにしてはその後の織田家の東と西の拡張スピードが雲泥の差だなw
238:人間七七四年
07/08/21 13:08:57 RHRvu2p+
>>236
・まるで龍造寺や大友が雑魚と言わんばかりの言いようですね?
因みに毛利はそんな大苦戦してませんから
・大内のような名門家が再興軍を興すと割と地元の勢力が大量に付くケースが高い
新興勢力である毛利なら尚更警戒する必要がある。
それを元就自身もちゃんと承知してるだろ。
なんか他のは答えるの面倒くさいわ。
是が非でも領土の広い毛利は負けずに敵を圧倒せよ的な事ばっかりじゃん(´‐ω‐`)
地方軍決戦云々も上杉は織田と決戦したのか?
決戦に応じて数の差で捻り潰された勝頼のその後をしらないのか?
ちょっと毛利を擁護したが信長がくれば急激に戦線崩壊はするだろうね。
安岐や周防はともかく他の地域の豪族は一斉に離反しそう。
239:仙台藩百姓
07/08/21 15:09:53 Liqt2pmM
一体どこに毛利が勝てる可能性があるのかと
包囲網敷いても勝てなかったのに
この時期に至っては東国は瀕死の上杉
西国は毛利と長宗我部
あとは紀州あたりの勢力しか残ってないお
しかも全て守勢
240:人間七七四年
07/08/21 15:23:41 UvVCJzGA
このスレは毛利厨に都合のいい妄想で成り立っています
毛利は秀吉をあと一歩まで追い詰めました
毛利はまだまだ余裕でした
毛利にかかれば備中高松で信長の首を上げられます
241:人間七七四年
07/08/21 15:55:37 cbdGkvmv
上杉景勝やら勝頼のがずっとマシだよな。景勝は信濃、上野、越中からの
三方面からの侵攻+国内の離反者という危機を乗り切ったし。
242:人間七七四年
07/08/21 16:57:01 scZtGazU
家風が守勢だし。
和睦で数カ国割譲しても生き残る道を選ぶ方針は変わらんだろう。
合戦して負けたら全てを失うわけだし、
仮に、一戦勝ったとしても織田の新手が入れ替わって来るしね。
和睦を蹴られ、いよいよ信長着陣となった後に合戦で、
信長を討てれば毛利はホントたいしたもんだと言えるが
合戦もできなく離散、籠城というパターンだろうな。
243:人間七七四年
07/08/21 17:22:16 oNUGLV3y
>>236
関が原で空弁当と揶揄されたのも分かるな。
>>238
秀吉あたりが調略を仕掛けてただろうから備中だけでなく備後や出雲も危なかっただろうな。
244:人間七七四年
07/08/21 17:48:29 ivJIuFHK
毛利って秀吉時代になっても軍制改革の面なんかでは諸大名と比較しても
遅れてる家ってどこかで目にしたけど、その辺について詳しい人にお訊きしたい
245:人間七七四年
07/08/21 21:19:49 uq4knuaQ
毛利は国人連合のまま大大名になったからね。
織田や徳川、豊臣とかとは全然違うのは勿論、
伊達や島津に比べても落ちるよね。
246:人間七七四年
07/08/21 23:12:32 bdQ00qog
まぁ国人連合から抜け出ることができたのは織田家ぐらいか?
ギリギリ徳川家も入るかな
どっちにしろ、ほとんどの大大名が国人連合から脱してないかと
247:人間七七四年
07/08/21 23:23:28 92rfW6eZ
秀吉時代には島津も動員体制悪かったな
伊達はやっぱ晴宗輝宗の改革に秀吉によって転封されたことで
改革が進んだかも
248:人間七七四年
07/08/22 17:34:51 Zz50bqzj
ちなみに毛利本家の蔵入地ってのは何万石あったんだろう?武田家が甲斐のうちの10万石程度しか
直轄地がなかったというから30万石くらいかな?
249:人間七七四年
07/08/22 21:22:35 R5tLZu35
>>248
多分そんなにないだろうね。>>30万石
安芸では盟約の国人衆は最後まで重用され加増されるものも多かったし。
周防・長門では旧大内家臣や地下人への懐柔策、出雲は吉川に多くを与えた。
備後も早くから毛利になびく国人が多く、その連中はしっかり生き残ったし。
250:人間七七四年
07/08/22 23:22:40 2VT5YHps
武田は信虎が頑張ったからなー
251:人間七七四年
07/08/23 01:17:11 VDwd1Cs3
>>249
関が原の減封で、致仕する家臣が続出したのもそれが原因かな?
252:人間七七四年
07/08/28 21:01:43 3DF5ixbZ
武田は三方が原の合戦、上杉は手取り川の合戦で多少大げさではあるが信長に
死の恐怖を味あわせている。
一方、毛利は一方的に織田軍に嬲り殺されていたよな。織田軍の西への侵略スピードは異常な早さだし
ひょっとして毛利はかす?
253:人間七七四年
07/08/28 21:05:56 7v/+5/fo
カスとかあり得ん
254:人間七七四年
07/08/28 23:48:22 Ix64xIZ/
一度や二度くらいは戦えば毛利勝てたんじゃない。
安国寺や小早川を操った秀吉の術中にはまったって感じだね。
元春らが強攻手段に出ていたら秀吉は苦しくなっただろう。
255:人間七七四年
07/08/29 00:23:50 4sV0ZAu0
>元春らが強攻手段に出ていたら秀吉は苦しくなっただろう。
秀吉に蹴散らされて史実より苦しい状況に陥った「だろう」。
256:人間七七四年
07/08/29 00:40:31 kAHnG+79
一度や二度は合戦で勝てたかもしれないだろうが、織田の脅威は圧倒的な物量にある訳で
国人衆の宗主的な立場である毛利には防衛戦争は圧倒的に不利
257:人間七七四年
07/08/29 00:42:19 SiMxCPaM
このスレにおける毛利厨の理論的支柱は、
・小早川なら何とかしてくれる
・吉川なら何とかしてくれる
・毛利全軍で戦っていれば何とかなる
・信長を備中高松におびき出せれば何とかなる
こればっかりw
258:人間七七四年
07/08/29 01:40:24 vdsungyP
広島生まれ広島育ちで戦国大名では毛利好き
でもあのまま織田と戦っていれば毛利は潰されていただろうし
それを分かっていたからこそ秀吉の講和条件にも乗った
そう思っている俺は毛利厨に入りますか?
259:人間七七四年
07/08/29 03:55:26 HVJoMEBc
信長が絶対的権力を持つ織田は何度負けても痛くもかゆくもない。
一方毛利は一度でも負けたら国人衆が離反して終わり。
この状況で決戦しろというほうが無理。
260:人間七七四年
07/08/29 05:40:14 lGRuFD3k
>>252
毛利は海戦で勝ってるじゃん。
この勝利で本願寺が幾ばくか延命したんだからそれなりの評価はできると思うが?
>>257
俺も毛利勢は好きだがそんな事は無理に決まっていると思う。
そもそも高松に信長引き寄せてどうにかなるってどうなるんだっていう。
高松に信長がきて高松から毛利が逃げたら多分武田並みに一気に崩壊すると思うけど。
滅ぶか安芸一国くらいに落ちるんじゃない?
・小早川がなんとか講話をまとめられるかもしれない
・吉川が一戦して勝利して講話が若干有利に進むかもしれない
これくらいが最高の希望的観測かな。
いずれにしろ毛利の敗北は絶対かなーっと思う毛利厨
261:人間七七四年
07/08/29 07:24:54 7PZN91dC
あまり織田に徹底的な敵対行動起こすと、降伏すら認められない状況に陥る可能性ありそう。
小早川隆景あたりが降伏交渉行って安芸一国安堵ぐらいにまとめそうだな。
秀吉との講和も降伏前段階の調整とも思えるし、小さな戦術的勝利をおさめても、織田は、
まさしく何度でも蘇るさ的な圧倒的物量で何度でも侵攻してくる。毛利首脳もその事は
重々承知してただろう。これを打破するには信長を打ち取り、織田内部で混乱を生じさせる
ぐらいしか可能性はないが、信忠が存命なら織田家として足並みが乱れる事はなさそうだなー。
本能寺は毛利、特に上杉にとってはまさしく天恵とも言える出来事、狂喜乱舞しただろうね。
262:人間七七四年
07/08/29 09:52:19 AGUWllhV
>>85
赤松家は豊臣政権化で大名になっているが?
263:人間七七四年
07/08/29 11:56:39 BMOchrkL
>>252
直接戦ったわけでもないのに死の恐怖てw
264:人間七七四年
07/08/29 12:14:27 p50gsSig
どーせ決戦したって決着つかない消耗戦になるだけだろ。
数的にも高松上囲った時点で同程度だし拠点と拠点のネットワークや
国人衆やらの後背具合からみてお互い決戦が望ましくないと見ていたから
それがなかったわけで(いや正確にはどちらかは望んでいたのか知らんが)
勢い的に毛利方は特に離反者が続出して壊滅させられる可能性もあるしな
265:人間七七四年
07/08/29 13:59:21 05dqKjKp
織田が物量的に有利なのは明らかだが、方面郡作戦をしいている分、特に秀吉は余裕は全く無いよ。
二万程度で毛利を押し込んでいるのは秀吉の力量によるところ。
いよいよ毛利領という所で国人衆の清水宗治にさえ、これだけ頑強に守られることに
秀吉は先行きの困難さを実感していただろう。この先は小早川の本領になり、
さらに強固な抵抗が待っているし、仮にそこまで攻め込めば、小早川も決戦に
踏み切る可能性も出てくる。両者ともあくまで講和で、信長出馬は秀吉のおべっか
なんぞではなく、早期収束への切り札だったと思う。
266:人間七七四年
07/08/29 15:21:23 NndJxJCy
いやあの時期どの方面軍も力量はかなりの者ばかりだろ。
滝川なんかもかなり低い身分から関東方面軍司令官まで成り上がったんだし
織田が毛利戦線に特に力点を置いていたという事実はない。宇喜多が寝返り
毛利の本領土のみになった時点で大方の形勢は決していたというべきだろうな
高松城も水に囲まれていたため援護する事ができず、秀吉はほとんど兵を損なわず
完勝。そもそも決戦に踏み切るならもっと早い段階の方がずっと有利だし
時間が経てば経つほど織田方に有利な情勢なんだから秀吉からすりゃもう
宇喜多が寝返ったあたりからは余裕だろうな、困難なんて冗談にもならん。
信長出馬する意味というのは各説あるが、毛利を完全にたおし滅ぼすためだった
と思う。武田と同様な。北条も滅ぼそうとしていたという説が強いし上杉も
滅亡寸前だったしな
267:人間七七四年
07/08/29 17:18:21 lGRuFD3k
信長だけじゃなく援軍の明智まで来るからね。
武田と同じく裏切りの連鎖が始まると思う。
毛利も武田と同じか、それ以上に地域の国人に依存してるし。
成り上がりっていう負い目もある。
そして信長という存在が備中に到着すれば毛利討伐も本腰と捉えられ
国境の国人達は我先に離反するだろうね。
只でさえ南条、宇喜多と寝返ってるし
毛利の救いはこの時期大友が耳川で大敗北をきっしていた事と四国勢を相手にしないで済んだ事か
268:人間七七四年
07/08/29 20:24:44 2pbqPC+q
でも秀吉の方面軍って全員の禄高を足しても
毛利の国力ほうが若干勝ってるよね?
269:人間七七四年
07/08/29 20:30:27 t/V8uSSe
>>268
なのに劣勢 秀吉は戦術戦略共に最高レベルだからな
こう言っちゃ悪いが小早川や吉川では歯が立たない 小早川や吉川はA級の武将だとは思う だが天下を取った秀吉とはやっぱ格が違うよ
もし元就が生きていても秀吉まではなんとかなるが、信長が来たら即終了
270:人間七七四年
07/08/29 21:26:42 94TsjbXe
秀吉軍といっても毛利本領との境にある大名や国人衆が味方に次々とついてるのだから
高松攻め時点ではもう信長来なくても総勢で五分の勝負が出来そうだな
というか毛利は両川と水軍くらいしか取りえがないような‥
特に輝元は力量がないな、wikiでも酷評されてたし
271:人間七七四年
07/08/29 23:55:57 3AJ1wo8e
石高低くても財力は雲泥の差だしなぁ
272:人間七七四年
07/08/30 02:23:35 OcXcrdMC
>>270
取り柄なら銀山開発とか同族がかなり多い事とか。
輝元は元就の孫か疑うくらいちょろい。しかも隆景の教育受けてるとは到底思えない。
っか信長包囲網参加の経緯って足利義昭の暴走もあるんだれうけど他にどんな経緯があるの?
長府毛利家文書
輝元が穂田元清に当てた手紙。
信長には強気な態度をとることが寛容である。
次は宇喜多直家に注意せよ。信長が敵となれば直家を先鋒として戦わせれば問題ないだろう。浦上はほっとけ、兎に角毛利が織田を気にかけていることは絶対に直家には知られないように。
これとか全部裏目な訳だが。
273:人間七七四年
07/08/30 06:47:11 iCuL1l2a
島津には同盟をしようとする動きをとっていたんだよね?
四国はどうなんだろう?
河野あたりには話をもちかけているだろうけど
274:人間七七四年
07/08/30 12:02:23 tZ/LCkVN
大友と島津は信長の休戦命令受け入れてたね
この二つは実質的に臣従では
275:人間七七四年
07/08/30 15:22:58 ec65Azvk
家康は2ヶ国しか残さなかったが、信長だったらどうだろう?
276:人間七七四年
07/08/30 17:42:49 mCz3Rko0
それは分からんだろう
277:人間七七四年
07/08/31 05:52:52 e+c+JYh0
織田政権内で残ってる、服従してるのって
筒井・細川・徳川・真田
【北条・大友・奥州勢】←降れば優遇されそうな面子
んで裏切られたのが長曽我部か。
北条はかなり織田にぺこぺこしてるから討伐はなさそうだけど
長曽我部も完全討伐はないと思うけどどうなんだろ?
毛利は降ると信長の性格上主戦派の吉川は殺されるし
小早川も暗殺されて当主も変えられそう。または養子送り込まれるか。
それで2国ない1国くらいの大名で存続って感じじゃない?
278:人間七七四年
07/08/31 10:16:48 DHBZwxcR
服従してるのって小さいとこだけじゃん
北条とかでかいとこはいちゃもんつけられて潰されるでしょ
同盟決裂により武田崩壊の決定打を作ったのに何の恩賞もなかったらしいし
使者もかなり冷たい態度で臨んだらしいし
279:人間七七四年
07/08/31 10:25:45 YYlfpKtq
秀吉が講和をまとめれば、宇喜多と同じくらいは残せたんじゃない。
280:人間七七四年
07/08/31 10:58:58 2iW5rq5H
>>278
しかし北条側はかなりもう折れてるぞ
息子に信長から名前とったりしてかなり媚売ってたような気がするが。
まぁ確かに残しておきたくない勢力ではあるけどね。
毛利は宿敵本願寺を支援してたのがかなり印象悪いよな。
281:人間七七四年
07/08/31 12:01:47 koW5i0U2
>>277
>毛利は降ると信長の性格上主戦派の吉川は殺されるし
小早川も暗殺されて当主も変えられそう。または養子送り込まれるか。
それで2国ない1国くらいの大名で存続って感じじゃない?
毛利を残して信長に何のメリットがあるってんだ?
武田を滅亡させた信長が、毛利を存続させるわけもない
完全殲滅戦略を貫徹してきた信長が、圧倒的戦力差があるのに、今更毛利に遠慮する理由など、どこにもない
それは上杉、長宗我部でも同様だ
282:人間七七四年
07/08/31 20:22:08 MrZ+SzjO
北条は表面的には信長に媚びてるように見せかけてるんだけど
武田征伐では出陣しただけで何もせずに様子を見てたりなんかして
かなり印象は悪いと思う
いつか信長に潰されたと思うよ
283:人間七七四年
07/08/31 20:53:19 9CzNL/lK
信長って殲滅ばっかだっけ?
上洛からずっと延々と争ってた三好だって許してるし
朝倉も景鏡が義景の首もってきたら許してる
武田だって殲滅したと言えるのかどうか・・・
284:人間七七四年
07/08/31 23:26:10 8sslu7wJ
長宗我部は半分自業自得だからな
まぁちょっと虫が良すぎるわな
285:人間七七四年
07/09/01 00:18:19 F4YYYzHD
残酷だな
286:人間七七四年
07/09/01 01:30:04 sQRet0Km
毛利は上月城を落とした後
なぜ三木城の後詰めをしなかったの?
兵糧を運び入れるだけじゃなく
本格的に織田を蹴散らせば良かった。
そうすれば別所どころか荒木まで毛利側に付いて
大勢力になったろうに。
上月で止まってしまった理由を教えて下さい。
287:人間七七四年
07/09/01 10:07:08 3bbSYvzS
>>286
ただ単に輝元・隆景が消極的だっただけ。
288:人間七七四年
07/09/01 10:53:21 7ogJtIKl
毛利が織田開戦を決定した理由って
・上杉に乗った。
・足利に巻き込まれた。
・優勢なところで講和狙い?
っとか以外でなんかあるの?
289:人間七七四年
07/09/01 11:46:27 ItLKrsdz
>>286
何度負けても平気な織田。
一度負けたら崩壊の危機となる国人連合体の毛利。
怖くて兵力で勝っていても決戦出来なかった。
290:人間七七四年
07/09/01 11:50:34 N6vVjQTw
足利義昭から、幕府副将軍に任じられて舞い上がったんじゃないの?
毛利家は先祖は頼朝を助けた大江氏だとしているけど
家格からすれば、副将軍どころか守護にもなれない家柄
そこへ高位をちらつかされて飛びついた
291:人間七七四年
07/09/01 13:29:01 m8aRyZHN
認識の問題もあったんじゃないか?
輝元の書状で「信長に対しては強きに出ることが肝要」なんていってるし。
おそらく元亀年間の、窮地を脱するためなら頭下げることだっていとわない
信長の外交態度をみてそう思ってしまったのかもしれないが。
たしかにこの点だけをみれば、信長はこちらが優性になって圧せば折れる
と考えておかしくはない。
292:人間七七四年
07/09/01 14:00:13 mvsNuunY
しかし三木城を囲んでいた羽柴なんて
上月城まで攻略出来ていた毛利に比べたら難無く潰せる相手だったのに
別所はじめ播磨の諸豪族、摂津の荒木まで吸収できた筈
せっかく毛利に風が吹いてたのに、自ら逃がしてしまった・・・
その後は宇喜多に見離され~高松まで後退~ジリ貧へ
かえすがえすも惜しい事をした
やはり吉川元春は正しかった
上月城攻略の段階では恵瓊までが隆景同様、消極的になったのだろうか
293:人間七七四年
07/09/01 21:56:45 m8aRyZHN
毛利の敵は畿内と信長だけじゃあなかったからな
294:人間七七四年
07/09/01 23:09:23 3N5Csq4e
毛利に勝ち目はない、もう詰みだといってるやつがいるがそうでもないよ
たとえば、明智のような信長に不満を持ってそうなやつをそそのかすなど
謀略を駆使すれば勝ち目はある
295:人間七七四年
07/09/02 00:15:29 R0ZpnJhB
できるならやってると思うんだがね
296:人間七七四年
07/09/02 01:56:58 sSpVBU3h
>>294
「こちらが深淵を覗きこむとき、深淵もまたこちらを覗きこんでいる」
同じように、秀吉(織田軍)は毛利に不満を持ってそうなやつをそそのかして謀略を駆使してただろう。
宇喜多直家を寝返らせたように。
297:人間七七四年
07/09/02 02:06:42 z2lAmfh1
>>294
荒木村重のことか。
失敗したな。
正直、信長が甲斐にいる間に秀吉を叩いて姫路城ぐらいまで進出しておくべきだったな。可能ならだけど。
298:人間七七四年
07/09/02 03:48:53 7TB3FXju
それが出来なかったから追い詰められていたわけで
299:人間七七四年
07/09/02 12:04:01 GRvgg5ES
毛利の失敗って半端に二次から参加した事じゃない?
織田に例え戦わず降伏か盟友関係になってても所領がでかすぎてどっちにしろ…。
一次から参加して信長を圧迫すべきだったよなー
すぐ元就死ぬけど…。
300:人間七七四年
07/09/02 12:18:22 +bI8t24o
最初から盟友関係にあれば周防長門安芸備後石見出雲くらいは安堵されたんじゃね?
301:人間七七四年
07/09/02 12:24:20 kU10sUVL
毛利はでかいだけで中身がスカスカなんだよ
だから積極的会戦もできずにあっという間に浸食されていった。
強けりゃあのスピードは絶対ない。会戦しても三木城後詰しても勝てないから
しなかっただけだろ。勝てるならしない理由はないしあの結果はなるべくしてなった
無理に数で押そうとしても援軍がきて長篠の二の舞になりそうだしな
最初は多少優勢でも機内平定後の織田にとっちゃじわじわ持久戦に持ち込めば
難なく勝てる相手だろ
302:人間七七四年
07/09/02 14:52:25 mEciwwSW
>>301
三木城の別所はかなりの兵力を城中に入れてたし
毛利が後詰めして秀吉を城方と挟撃していたら
相当なダメージを与える事が出来た筈
信長は本願寺も落とせてないし
摂津の荒木に叛かれている状況 まだ畿内は大荒れ
毛利が播磨豪族を吸収して摂津まで進出していたら・・・
超大軍団に膨れ上がり、逆に織田軍は自壊し始めた
303:人間七七四年
07/09/02 14:54:47 0lzGPGBR
歴史って結果論になりすぎ
定められた枠内に如何にうまくピースを入れていくかの学問で
枠外を考えることができない
それはそう、それを許せばなんでもありだから
歴史にifはだから禁忌
しかし、そこに歴史の限界がある
304:人間七七四年
07/09/02 15:41:55 QDTwk99i
天下を望む信長の遠大なビジョンに対し、毛利は全く情勢が見えていなかっただけ。
当時大友、尼子/大内残党や浦上など中国方面の混乱、丹波の国人衆との対立があった。
天下取りへ向かう織田こそ最大の敵である事を理解出来ず、
戦線を広げることを嫌った結果、対織田戦での唯一の機会を逃した。
305:人間七七四年
07/09/02 16:23:18 hCa2/w/8
>>302
信長の状況だけを論じて、毛利の状況をみないで語ってもかけらも説得力を持ちませんよ
306:人間七七四年
07/09/02 16:56:51 iHuPhnS3
まあ結局信長は毛利を滅ぼすことができないまま謀叛を起こされて死亡
毛利に勝ちきれなかった。
これが事実です
307:人間七七四年
07/09/02 19:04:11 LTWSgIUt
まあ結局毛利は織田を撃退することができないまま秀吉に領土を割譲して終了
信長に勝てなかった。
これが事実です
308:人間七七四年
07/09/02 20:17:41 sxtNHRJ3
まあ、信長が生存していたら滅ぼされないまでも毛利の臣従は避けられなかった。
吉川元春は抵抗したかもしれんが。
309:人間七七四年
07/09/02 20:18:32 AB0gSgXx
副将軍を蹴った信長
副将軍の地位にパクリと飛びついた毛利
その差だろ
元就なら形式に過ぎない官位に飛びつかなかっただろうに
310:人間七七四年
07/09/02 22:01:53 0lzGPGBR
毛利は基本的に守旧
信長のような強い中央集権化を目指してないし
腐敗した体制の役職だろうと
のんびりくらせればそれでおk
311:人間七七四年
07/09/03 10:48:00 58NCKI6S
>>308
吉川が逆らったら輝元に討伐命令が下る→へたれて無理だと泣きつく→改易
って流れが用意に想像できてしまう輝元の器量。
そもそも毛利に大苦戦ってほど苦戦したわけ??
毛利は善戦はしてるけど織田側からみれば苦戦ってレベルじゃない気がするが。
毛利が消極的すぎて全然やる気を感じないわけだが。完全に引きこもり。
これで大友が耳川やってなくて丹羽に四国討伐命じてなかったらそれこそ武田と同じ
運命になるんじゃ?
312:人間七七四年
07/09/03 10:53:35 U0MYgHpL
武田はあとつぎ問題で家中がまとまらなかったのがあるからな
313:人間七七四年
07/09/03 11:11:35 C4ZvR+pv
毛利の頼みは水軍勢力
実際に当時としては大規模な上陸作戦とかやってるしな。官兵衛に一蹴されたけど……
しかし木津川口の戦いで、一度は織田水軍をボロカスに破ったものの二度目は鉄船の投入により逆に惨敗
水軍の有利がなければ、当代随一の火力機動力兵站を誇る織田軍に比べて旧世代軍でしかない
動きが鈍ったのも当然
314:人間七七四年
07/09/03 12:06:33 MdYUC+8v
>>311
財政破綻しそうだったんだよ。農民兵主体だから毎年の戦争はそれだけ経済を疲弊させる。だから高松城に3万ぐらいしか援軍出せなかった。
信長が出てくれば秀吉側は5万以上の大軍になるのにそれを3万しか動員できないでは負けたのと同じ。しかも田仕事の時期だから余計動員がきかなかったんだろうが
>>313
水軍が近畿圏との交易禁止をされたのもイタイだろうな。朝鮮から輸入しても消費地の近畿で売りさばけないと
キツイ。
315:人間七七四年
07/09/03 13:16:47 NyM9kTJP
本願寺が信長に降伏した以上毛利としても信長と戦う理由がなくなったのだから
その時点で和睦すればよかったのに。
もともと毛利と織田は友好関係にあったし、信長も毛利のことを悪く思ってなかったでしょ。
野心のない家だし、周防長門から備後、出雲くらい与えて、九州とか四国攻めの先方をやらせればいい
316:人間七七四年
07/09/03 13:53:13 avVJKbz6
鉄甲船だけが勝因じゃないんだよね?確かこの頃から頼みの水軍も
足並み揃わなくなってるんじゃ?その結果が大敗北に繋がったんじゃ?
村上水軍なんて裏切りまくりでどっちに転ぶか分かったもんじゃないし
317:人間七七四年
07/09/03 22:23:41 NL4hrpkq
>>野心のない家だし
いやいや野心ありありでしょ、侵攻に次ぐ侵攻を繰り返してるじゃん。
後の時代の人間が輝元のしょっぱさを見てそう思うだけの話であって>>野心のない
当時の人は誰もそんな事思わないよ。
侵略に次ぐ侵略の毛利に対して各地で反毛利の動きが起こっていたでしょ。
318:人間七七四年
07/09/03 23:18:13 U0MYgHpL
>>317
手伝い戦しっぱなしの家だぞ、毛利は
野心というより自存自衛だdろ
319:人間七七四年
07/09/04 00:10:36 Ul+tQlzU
領土拡大しないと配下の家臣が見限るからな、
好む好まざるにかかわらず、家臣に与える領土を
得るために進むしかないのが戦国大名。
320:人間七七四年
07/09/04 00:24:16 3iu+4JxN
>>319
おおざっぱすぎだろw
武田にしかあてはまらないんじゃないか
321:人間七七四年
07/09/05 03:02:27 /+/MiC8s
実際に豊臣家がそうだったしな
で外征で失敗して破綻
322:人間七七四年
07/09/05 03:22:53 ihsxlAlJ
堺屋太一氏が戦後の高度成長期の企業体質を例に挙げて
豊臣家をそういう風に解説してたよ
織田家臣団は領土が拡大して禄高が増える事を前提にして
現在の自分の禄高以上に家臣や兵力を増やしていて
その体質から抜け出せなかった豊臣家は天下統一事業が終わった後も
朝鮮などを攻めて領土を増やさないといけなかった
高度成長期の日本人は毎年昇給されて給料が増える事を前提にして住宅ローンを組んだ
323:人間七七四年
07/09/05 09:26:33 cexOua6K
>>319 >>320
領土を拡大しないまでも「出稼ぎ」という要素もある。武田なんかも毎年の出陣は、領土拡大というよりも現地での
略奪、手柄を立てて信玄からの褒美なんていう副業があったから。上杉にしたってそういう副業があればこそ謙信に従ってた
ようなもの。
324:人間七七四年
07/09/05 11:30:30 MeTVvPyD
織田豊臣に限った話じゃあないんだよね。
秀吉の代でそれが破綻というか失敗に終わったから、後お襲った家康は違う
政策を取るしかなかった。
仮定の話だが、もし本能寺の後に秀吉でなく家康が天下をとっていたら、やはり
同じように海外進出政策を取っただろうと思う。家康本人がやりたくないと
思っても、周囲や下は納得しないだろう。
325:人間七七四年
07/09/05 12:37:03 GvgEyQ/w
家康の時代には徳川家という唯一の超大国があって
支配してる大名に対して強大な権力にものを言わせて大軍縮させ
徳川家も他家とバランスを取りながら自らも大軍縮した
その上で残った武将や兵は戦闘員ではなく官僚や公務員になった
秀吉の時代にはまだ政権も治安も安定していなかったので
こういう事をするのはまだ不可能だったし
秀吉自身もこういう事をしようとは考えていなかったと思う
326:人間七七四年
07/09/05 21:57:45 50hvnl8F
>>322-325
そう言った側面も有ると思うが、微妙に妄想が入ってる気がするわ。
>>322の話はどれだけ客観的信憑性があるかも疑問だし、>>323の信玄と謙信を
一緒に論じるのは可笑しいし、>>324-325は完全に電波飛んでるよ^^
327:人間七七四年
07/09/06 00:37:40 c5prfYF0
>>>324-325は完全に電波飛んでるよ^^
>>325は堺屋太一が「日本とは何か」をはじめとする多くの著書で書いてる事だが
経済学の専門家である堺屋太一が電波であると言いたいの?ド素人のクセにwww
で?>>325のどの部分が電波なのよ
その辺詳しく釈明してよ
328:人間七七四年
07/09/06 01:26:03 GahSI4q/
>>327
堺屋太一に電波なんて言っていないぞ、三行程度の文章くらい読めよ。
>>325は全体的に電波だ。全ての事象が>>325の妄想の中で完結してる(笑
329:人間七七四年
07/09/06 03:15:13 pYfTzWGz
>>326>>328は完全に電波飛んでるよ^^
330:人間七七四年
07/09/06 04:28:06 P54UdyMg
横スレだし、電波とは言わないけどさ。
家康が各大名に軍縮をさせて、自身も軍縮を果たしたというのは
何をもってそう言ってる訳なの?
具体的に徳川家を含む各大名に武士を含む戦闘員の数を減らすように規制をかけたとか、
軍備を規制して廃棄させた、とかそういう事例があって言ってるのかは気になる。
関ヶ原で西軍の大名が改易・減封されて多くの浪人が出た事が、結果的には軍縮に繋がった
っていうんならまだ分かるんだけどさ。
家康が主導して軍縮を行わせた、みたいに書かれると違和感がある。
331:人間七七四年
07/09/06 04:51:33 SEodYBFG
>家康が各大名に軍縮をさせて、自身も軍縮を果たしたというのは
>何をもってそう言ってる訳なの?
ほんとにバカだな、のび太くんは
無知なら無知なりに「教えてください」という態度が必要だが
そもそもこんな基本的な事も知らずによくレスできたもんだ
332:人間七七四年
07/09/06 06:47:42 GahSI4q/
ある事象に対して研究者が多角的に「こう言った側面があった。」と言う一例
だけを見て「あの時代はこうであった。」なんて断言は馬鹿以外しない。
もうね>>324-325の一文を見ただけで「こんな馬鹿が歴史騙るから信玄謙信厨
のような蛆が増えるんだよ。」って思う^^
333:人間七七四年
07/09/06 08:46:07 41KIGWIT
家康は軍縮なんかさせてないよ
単に江戸時代に武力闘争が無かっただけで、きちんと幕府と大名への軍役は定められ後代でも改定されている
強いていえば改易で武士を減らしたことだけど、それは浪人という不安定要素を増やしたことと一体だし
どこの大名家も中々武士の数を減らせず苦しんだ
(いざ、という時に幕府の要求する兵数を揃えなければ、それこそ改易だ)
各家の赤字の原因の一つはそれ
334:人間七七四年
07/09/06 11:51:34 p6/4dUVH
そもそも家康が軍縮だ平和志向だってさー、どんだけ無知なのよってかんじ。
島津による琉球征服とか、松浦氏によるフィリピン遠征計画とかに許可を出した
のはいったい誰だと思ってるのやら。
335:人間七七四年
07/09/06 14:30:52 AQeyfTPA
>家康は軍縮なんかさせてないよ
城、船、兵器
この辺を必死で調べてごらんw
>そもそも家康が軍縮だ平和志向だってさー
そんな事言ってるのはお前だけ
336:人間七七四年
07/09/06 14:43:46 1Y60cLD+
船って……
幕府が五百石以上の船建造を禁止したのは1635年
家康が死んで数十年たった後
幕府の対外政策を含んだ措置が結果的に軍備を縮小していったのを軍縮、と後世の言葉を当てはめていってるのか?
そりゃ無茶が出るわ。
337:人間七七四年
07/09/06 14:56:49 AQeyfTPA
>船って……
>幕府が五百石以上の船建造を禁止したのは1635年
うわぁ、ダメだこいつw
338:人間七七四年
07/09/06 15:25:40 de6fiJFB
徳川家のお膝元ですら、旗本(1万石以下の将軍直属の家来)8万騎の常備兵力をずっと保持してたのにな。
(軍役に照らし合わせると正確には御家人合わせて2万強)
1649年の制定だと
1万石の大名…人数235人、鉄砲20丁・弓10張・旗3本・槍30本・馬上10
千石の旗本…人数21人、鉄砲1丁・弓1張・槍2本
が、幕府軍役として課せられていた
元々幕府の軍制は、老中がそのまま軍司令官クラスに横滑りできる体制
戦国時代の動員の定説である1万石あたり250人ってのと比べてさほど削減されたとは思えん
339:人間七七四年
07/09/06 15:49:32 +ovudnKY
>>316
第二次木津川口合戦の時に、既に裏切っていたり離反したりした水軍衆ってあったっけ?
340:人間七七四年
07/09/06 23:22:17 SJNzlCwn
確かに織田は一回や二回合戦で敗れてもビクともしない
それだけに信長をおびき寄せることに成功した備中高松は毛利にとって千載一遇のチャンスだったんだよな
信長を討てば一気に織田家は崩壊しただろうし
341:人間七七四年
07/09/07 00:01:56 Cq6yagvz
史実では
信長を討っても秀吉に代わるだけですが
342:人間七七四年
07/09/07 00:20:31 EuY2Bhtd
最近の研究ではおびき寄せたってことになってんの?
343:人間七七四年
07/09/07 01:03:24 r57PzUUN
妄想でしょ。
仮におびき寄せて云々が事実なら、本能寺直後の秀吉との講和締結に飛びついた
理由が不明になる。
344:人間七七四年
07/09/07 01:19:11 brr/xrYx
実に馬鹿馬鹿しい妄想だ
345:人間七七四年
07/09/07 03:27:28 NCY6kcbu
>>341
>信長を討っても秀吉に代わるだけですが
それが大違いなんだよ。
信長の基本戦略は毛利絶滅だが、秀吉は単に信長の意を受けて毛利と対峙してただけ。
信長が消えれば、秀吉に毛利と相争う根拠は消滅する。
つまり毛利の存続にとって、信長と秀吉とでは天と地ほどの差があるってこと。
346:人間七七四年
07/09/07 03:42:37 Cq6yagvz
そんな事あの当時の毛利に分かるわけがないじゃんか
347:人間七七四年
07/09/07 03:53:16 NCY6kcbu
賢人小早川隆景は看破していた
348:人間七七四年
07/09/07 05:54:08 SuuLX8mT
市んでください♪
349:人間七七四年
07/09/07 07:04:12 ytieGAAl
毛利厨死ね
同じ妄想を何度も垂れ流すな
350:人間七七四年
07/09/07 12:56:08 9sq12lw1
>>302
小早川とか安国寺ってあの当時の毛利の参謀的な存在なんでしょ?
初期に決戦に挑まないという判断力見る限り本当に力量あるのか?
と思えてしまうが。時間が経つにつれ離反者ふえるのに。
やらなきゃやられるのが戦国だから先手を打つ判断できないのはどうかと思うが。
秀吉は毛利軍来たら一旦退くだけだろう
351:人間七七四年
07/09/07 13:33:25 5c8Hz37d
安国寺の信長の死を予見したとされる書状は、実は本能寺の変の十年も前に書かれたものだしな
つまり三年か五年といっているので外れ
そこを無視してるのは変。「いつか○○は死ぬ」という予言が、年代を指定しなければ絶対当たるようなもの
だいたいそんな超能力じみた予言ができるのなら、西軍に組して首切られたりしないだろ
352:人間七七四年
07/09/07 18:07:02 ZPTgEuvT
元春の言うとおり上月城落とした時点でそのまま東進して姫路まで進むべきだったな。
まあ高松城で和議成立後の判断隆景の判断の方が正しかったが。
353:人間七七四年
07/09/08 00:52:02 8Qc4GGQh
信長は毛利の絶滅なんて考えてなかったでしょ
354:人間七七四年
07/09/08 01:02:33 fVJ7Ucad
毛利と対戦してたぐらいの時期になると
信長はけっこう頭がおかしくなってたんで
どう考えてるか想像も出来んわな
355:人間七七四年
07/09/08 01:06:41 VzJX4lB9
>>352
それは別なんじゃない?
上月城を落とした時点での判断と
高松まで押し込められた後の判断は
上で上月城攻略後は兵糧調達が大変だったというレスが有ったけど
元々三木城や本願寺に夥しい兵糧を運び入れる方針だったんだし
あの時点じゃ
毛利本軍が東進して別所を救出した方が正解だったと思うな
356:人間七七四年
07/09/08 09:19:36 8tFBtHFk
毛利の戦略は、武田や上杉のそれと同じく反織田勢力が信長軍を消耗させることを期待する上に立っていたんでしょ
直系軍は極力温存して、弱った織田にとどめさすのに投入
最初から織田と消耗戦をやったら絶対に負けるから
しかし毛利の壁となっていた丹波~摂津の中小大名や裏切りの荒木は織田軍を大して拘束できず
頼みの水軍は撃破され、残ったのは国力組織力の差のみだから
357:人間七七四年
07/09/08 14:00:03 zS7DOv6K
織田は武田を潰すためにもっと消耗して疲弊するだろうと
毛利が考えていてもおかしくないし普通はそう考えるよな
358:人間七七四年
07/09/08 14:12:31 ndxxscRb
>>356
別所を助けるともれなく播磨一円の豪族達も付いてくるから
相当な戦力アップになったと思うんだけど
秀吉が三木城攻略以降その軍勢が膨れ上がったように
毛利の軍勢が増えてたら、宇喜多も寝返らなかったろうな
359:人間七七四年
07/09/08 15:34:44 N4Rf0bC0
>>358
そうなると織田軍と後詰決戦になる
現実問題として、毛利軍に織田本隊と決戦できるだけの兵と物資を集める力がなかったんじゃ?
360:人間七七四年
07/09/08 18:24:02 dR+X/JKp
>>359
大友と四国勢が毛利勢を相手にする余力がないから
毛利は織田に全力であたれるけど現実は厳しい
っというかこの時期の織田を敵に回してるって時点で死亡フラグ
361:人間七七四年
07/09/08 22:10:05 Rn3RRM4W
毛利はまだ本国に一歩も足を踏み入れさせてないのに一族からも裏切りが出始めている
武田も一族から裏切りがでたとはいえそれは土壇場になってから。長篠から7年も耐えてる
それを考えるとたった数年で崩壊寸前に追い込まれた毛利ってカスじゃね?
あるいは信長を震撼させた武田がすごかっただけか
362:人間七七四年
07/09/08 22:12:42 5GnITbgn
一族から?
363:人間七七四年
07/09/08 22:22:00 H0ziY7U1
天
下
一
品
364:人間七七四年
07/09/08 22:45:31 NM78rkCU
一族ではないが元就の娘婿上原元祐は高松包囲の時境目七城の一つを守っていて、
秀吉に釣られて謀反して城主を殺したまではいいがすぐに囲まれ
毛利との決戦に発展するのを恐れた秀吉は救援に来ず結局落ち延びていったという。
365:人間七七四年
07/09/09 00:01:56 dR+X/JKp
>>361
長篠から7年放置されただけですが?
織田軍と常時戦ってた毛利と武田とでは質が違うわ
366:人間七七四年
07/09/09 01:37:51 mg2JTH3Y
>>357
確かに武田征伐までの武田は長篠で負けたとは言え100万石規模の大勢力だった
からな。10年前の武田より国力は逆にあったくらい。浅井・朝倉も速攻だったし
この事実は可也全国の大名にショックを与えたと思う。
>>358
宇喜多は当主が仮病で出陣せず、上月城の勝利の後に備前で饗応するとの誘いを
両川が断り山陽道を避けて山陰に周って撤退した事を考えると、可也宇喜多がヤ
バイって言う認識があったんだと思う。あと来島水軍が裏切ったのも進軍出来な
かった理由かな。それに上月城と三木城は可也の距離があり、途中の城は織田方
だったから三木までは行けないね。姫路までなら可能だが、そうなると織田本隊
が来かねない。兵数はほぼ互角でも当時の織田軍と毛利軍じゃレベルが違いすぎ
る。今の時代で我々が神の目で考えても、決戦するのはダメすぎる。そう言った
意味では正しい判断だったと思うよ。
367:人間七七四年
07/09/09 01:39:47 yPp9YvFc
浅井朝倉は3年間攻められた結果だから仕方が無いって気もする
368:人間七七四年
07/09/09 01:55:30 mg2JTH3Y
>>367
いや勿論そうなんだけど、滅亡直前の浅井・朝倉連合は、やはり100万国規模の
勢力であったしまさかあんなに一瞬で滅亡まで追い込まれるとは当時の認識では
想像も付かなかったんじゃない?ここら辺が織田の凄いところだよね。戦国時代
の戦争を一変させたと思う。
369:人間七七四年
07/09/09 18:12:55 iEFsnoPK
>>368
織田軍の機動力の賜物だろ。信長は思い立ったらスグに出陣するからおそいと叱られると、家来はいつも即応体制だった
というし。たしか足利義昭が京都で襲われたときも当時のスピードとしては考えられない短時間で京都に駆けつけてきたしな。
あと最初の朝倉攻めでも速攻なので朝倉の迎撃体制ができる前に敦賀が落ちた
370:人間七七四年
07/09/11 08:56:25 WocDODd/
信玄には、今川義元という手本がいた。分国法なんかは今川の影響を強く受けている
が、その義元を破ったのが織田信長。今度は信長を後追いして上洛を考えるようになった(これは信玄だけでなく、多くの大名が信長によって天下を意識させられたんだが)
元就にもやはり手本はいた。尼子と大内だ
しかしこちらは反面教師として機能した。どちらも上洛にこだわって国力を減らした
そのために元就は天下を狙うな、という結論に
371:人間七七四年
07/09/11 09:52:21 7MDsVUNk
尼子って上洛にこだわってたか?
372:人間七七四年
07/09/11 11:35:04 atvRFdOs
>>371
こだわっちゃいないが
一応なりあがりであるためというか大内と比較すると官位役職は落ちるため
播磨に出陣して上洛しそうだとアピールしたことはある
別所に負けたが
播磨遠征はあまり領土を得たという感じはしないけど
これが原因で国力減らしたと言うほどではないかな
373:人間七七四年
07/09/11 12:35:49 zKGxvSCu
尼子は東へ攻めて勢力圏は広げたが領地にはならなかった感じ。
郡山攻めの時は中国地方東部の国人衆が参加した模様だけどね。
毛利に攻められる前は何だかんだで出雲くらいしか残っていなかった。
374:人間七七四年
07/09/11 21:22:15 7MDsVUNk
尼子なんて正確な所領も曖昧なぐらい
国人領主のゆるやかな連合体だしな
375:人間七七四年
07/09/12 09:01:31 15zVhCM2
>>374
そんな事を言い出したら、織田家と後北条以外は全部曖昧な連合体になるよ。
376:人間七七四年
07/09/12 10:27:38 K+zXuwRi
>>375
尼子は極端にその傾向が…
377:人間七七四年
07/09/12 11:33:31 JXTNekvo
大内滅亡前の毛利なんかも
大内と尼子の中間的なポジションにいたから
大内と尼子の間を行ったり来たりしてる
378:人間七七四年
07/09/13 03:40:56 M5EXNZel
国人連合からある程度脱却した大名って言うと、
織田・徳川・北条・島津・伊達というどうしてもお馴染みの面子に。
北条を除けば早くから成長した勢力はどうしても連合体の要素が強い。
その点初期からの大名なのに豊臣軍20万に攻められても結束して抵抗した北条は凄いんだよね。
どうも小田原評定で過小評価されすぎている。
379:人間七七四年
07/09/14 12:19:05 c/IDznsV
>>378
単に対上杉・武田戦で小田原城を守りきったという経験から抵抗しただけでないの?
経験に頼りすぎて身を滅ぼしたという典型に北条は見えるけど
380:人間七七四年
07/09/14 15:15:29 N/EfpoEY
北条は地方政権のお手本だな、よくも悪くも
381:人間七七四年
07/09/14 16:44:35 36H7OXQn
先ず尼子の上洛に付いて言えば、当時の西日本から畿内に掛けては上洛傾向が多
分にあり、三好政権で西日本の上洛傾向に一応の目途がついた形かな。
播磨遠征は可也の成果を上げている。播磨の守護赤松を追い出し、播磨東部一帯
は平定した。尼子は詮久の代が一番充実した時代で、八国の守護を幕府から承認
させている。祖父の経久が有名だが実際は十一国の太守とかと言うのは、江戸時
代成ってから勝手に騙った事である。ただ、その後の吉田攻めの失敗と大内の月
山富田攻めで赤松が幕府の援助の元復帰し成果がぼやけてしまった。
元就が大内と尼子を行ったり来たりしたと言うのは間違いで、元就が当主に成り
大内に寝返って以降は周辺勢力が尼子になっても終始大内方として戦った。ただ
、一時期周辺勢力の殆んど尼子方になり尼子に対して曖昧な態度のまま帰順を示
した事はある。
北条は国人衆連合から脱却したものの、結局は庶家衆や譜代衆の連合体と言う側
面はある訳で、それが小田原評定のような結果をもたらしたのでは無いだろうか?
382:人間七七四年
07/09/14 21:45:10 x6ix7ZJk
>>381
おおむねそうだと思うけど、最後の小田原評定のくだりはどうかな。
本能寺後に迅速に決断して滝川を破って上野を制圧したあたりは中々の動きだったのでは。
ただそれから2年弱で関東制圧している間に秀吉に怒涛の勢いで天下を取られるとは・・って奴で。
その時点でもう秀吉が北条をそのままにする筈もなく誰もどうしようも無かったと思う。
383:人間七七四年
07/09/16 20:32:19 WWG0agGx
堺屋太一のビデオコラムvol.26 変化する世界の中で (昨年9月25日)
URLリンク(www.janjan.jp)
⇒安倍政権発足直後に配信された映像。13分50秒からの発言に注目。
「歴代内閣を見ると、長期政権の後を引き継いだ内閣は短命に終わる」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と、安倍内閣の短命を強く示唆していた。
384:人間七七四年
07/09/17 20:25:00 UImCYR8J
>>365
毛利側に都合いい妄想してんじゃねぇよボォケwww
385:人間七七四年
07/09/19 17:26:47 z3bRBzOJ
>>織田の侵攻を唯一跳ね除けた毛利の強さの秘訣を教えてください
広島県民は喧嘩が強かったから、でいいだろw
386:人間七七四年
07/09/19 18:39:20 wZk0fkNI
一般人が暴力団のフリしてすごむ時は何故か必ず広島弁を使うが
同時にお爺さんのフリをする時も広島弁を使うから不思議だ
387:人間七七四年
07/09/21 21:00:46 tMhKN3ks
つ ぶんた世代、ぶんた効果
東北まで根付いてる
388:人間七七四年
07/09/22 00:20:02 LjQzTahC
広島でベンツに乗ってるのはヤクザとカープの選手ぐらいだと言われてる
広島はそれほどヤクザの名産地らしい
じゃあの。
389:人間七七四年
07/09/22 03:22:53 7ULmdyGT
待って…お前ら広島、広島と毛利=広島と言うイメージに乗りすぎだ。
毛利=長州藩
長 州 = 山 口 だ ろ ?
390:人間七七四年
07/09/22 07:31:53 rZfxYlx3
マンガの風雲児たちだっけにあったけど
西軍に付いた地方大大名の島津 長曽河辺 藻売りは
王幅に領土を縮小された 毛利は萩という偏狭の田舎に
いどうさせられたがもとは広島の吉田とかいうとこでしょ
そのうらみが薩長土による倒幕につながる
彫塑河辺は山内家のモンになって地元の武士は差別されたその郷士のひとつ
が坂本竜馬のいえだった
391:人間七七四年
07/09/22 13:01:53 DjbvEcYP
↑これは酷い
392:人間七七四年
07/09/22 13:48:33 HLtA3+pi
>>389
戦国時代は広島でしょ
393:人間七七四年
07/09/22 18:06:50 KcwAuz/u
>>392
大内配下=吉田(安芸)
大内滅亡後=防府(周防)
秀吉期=廣島(安芸)
関が原後=萩(長門)
幕末=山口(周防)
394:人間七七四年
07/09/24 19:39:53 IYdCud6x
毛利はなんで織田と敵対したの?
しかもなんで一方的にぼこられたの?
勝てる見込みがないなら最初から戦うなよ
395:人間七七四年
07/09/24 22:56:08 IymeJHCZ
394=KY
396:人間七七四年
07/09/25 02:26:11 t6YRyHKt
空気読めない
397:人間七七四年
07/09/25 04:08:42 CIO6Q/np
何で毛利も武田も上杉も織田に喧嘩うったのかわからない。
ヘタリアがアメリカに戦争ふっかけるようなもんだろ。
いや、ヘタリアは途中で寝返っていつのまにか戦勝国になってたか。
毛利武田上杉は世界最弱ヘタリア以下ってことだな。
398:人間七七四年
07/09/25 05:44:25 vda0jRbB
>>397
そらイタリアなりに戦車や戦闘機、軍鑑も持っていたろうし
毛利上杉武田ここに織田が加わった所でイタリア以下だろ・・・
399:人間七七四年
07/09/26 11:15:14 ZUweFiv0
久しぶりに覗いたら低レベルになっててワロタ
400:人間七七四年
07/09/26 17:33:05 nfZUgn28
毛利厨が妄想垂れ流してそれを論破するという無限ループスレ
最初っからレベルは・・・
401:人間七七四年
07/09/26 20:22:37 QRB/LlxR
>>400
キミはここのログをちゃんと読んでもそのザマっすか?w
どう見ても「毛利厨の妄想」などというハイレベルな話は過去の物になっている
今は「広島弁とヤクザの関係」「毛利=長州だろ」「毛利=イタリア軍」という
キチガイ系の発言しか書き込まれていない
それと比較したら毛利厨などハイレベルすぎる
402:人間七七四年
07/09/26 22:31:57 gryYrRxV
確かに…
403:人間七七四年
07/09/27 10:57:18 BtrEJald
>>400
みたいな武田厨の勝利宣言wはもうお腹一杯
404:人間七七四年
07/09/29 01:28:18 MIBHv/BB
毛利が論破されるってより武田がけしかけて総敗してる気がするが
405:人間七七四年
07/09/29 03:32:24 dRKgfQej
なぜここで武田?
406:人間七七四年
07/09/29 06:18:00 NsFhp5/a
どう見ても毛利厨の妄想スレです。
・秀吉は吉川にびびった。よって、吉川>ひできち
・元就が生きていれば。
・元就の遺言が無ければ。
・実はむしろ織田に勝っていた。
407:人間七七四年
07/09/29 10:12:58 nUNbvY2f
秀吉の中国大返しが不自然なまでにできすぎなんだよな
その後毛利の厚遇を見るとひょっとしたら本能寺とかの黒幕は毛利じゃないかと思えてしまう
408:人間七七四年
07/09/29 12:36:13 MQuYd3fq
でも光秀に大軍を指揮させてるように命令して
その大軍を京都付近で集合させたり
その近くで信長がほとんど丸腰で待機しているという状況は
毛利には作りようがないし
これは「まさか光秀が謀反を起こすわけがない」という
信長の完全な慢心があって起こりえてる事件なんだよ
409:人間七七四年
07/09/29 12:52:10 jVyTpCAR
てか
この時点での織田軍団兵の質が気になるな
遠征部隊、各方面の軍団の兵はどこ出身とか
地元の割合とか
信長は京にいる時点でその周辺の雑兵をかき集めることを
しなかったのか?