【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】at SENGOKU
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】 - 暇つぶし2ch150:人間七七四年
07/07/08 19:31:09 I8PQsaKk
>>140
だから、安国寺にうまくいいくるめられたんだよ
毛利は元就の国人出の自分達が天下をねらってはろくなことにならない
というのを守ってたはず
元春と隆景が存命のときはね
輝元もそれをわかってたはずなのに安国寺の説得で色気が生まれたんだろと思う





151:人間七七四年
07/07/08 21:55:28 kPOQCzpO
>>150
安国寺にうまくいいくるめられたんだよ >この根拠が広家が榊原に宛てた手紙でしょ。
だとしたら何の根拠にもならないのよね。
逆に輝元が元康にあてた手紙で、安国寺が七将事件で失脚した三成と接触したことを連絡している。
つまり安国寺は輝元の意向で動いていた可能性が高い。
関ヶ原の敗戦で斬首になった安国寺は毛利一族でないから責任を被せられて処刑された可能性があると思う。
ここからは感想だが輝元の肖像画だが秀秋や秀頼のようなボンボンじゃないよね、野心に溢れた顔に見える、
二人の叔父に抑えられて育った輝元が始めて自分の意思で行動したんじゃないかな。




152:人間七七四年
07/07/08 22:00:46 Hx1kp2HN
>>148
んな事言ったら、本能寺が起きちゃったから、と言う、偶然以外の何者でもない理由で成立した豊臣政権は何なんだと。

153:人間七七四年
07/07/08 22:10:05 wPSGanAh
>>148
>西軍にも十分勝機があり

自分の血を流してでも家康を排除したいと考える連中はせいぜい石田一派の中核連中くらいしかない
それに比べて自分の血を流してでも三成を排除したい連中はごまんといる
この時点で勝負ありなんだよ西軍の日和見・不戦続出も必然の結果だ
極論を言えば家康の勝負は三成というババをどうやって敵側に置き続けるかというババ抜き勝負なのだから

154:人間七七四年
07/07/08 22:25:27 wrO/vsIJ
>>153
だから三成は中核連中じゃないんだって。総大将が輝元で天下の覇権を
執権のような立場で握る気があり、西軍の飾り物でなく事実上の総大将
でもあったという前提のもとでだよ。

155:人間七七四年
07/07/08 23:55:58 OJFzKWoB
輝元が関与してたかはたびたび言われてるけど
実際どうなんだろうな。
証拠は何もないけど
本当に知らなかったらそれはそれで
当主としてどうよって感じだしな。

156:人間七七四年
07/07/08 23:59:34 Hx1kp2HN
>>155
最初は「あわよくば」って感じだったんだろ。それがだんだん西軍の実態がわかってきて
「これはいかん」って方向転換。毛利家存続の為広家の徳川ルートとの交渉も探らせ、
どっちに転んでも毛利家は無事、って戦略に変わったんでしょ。

157:人間七七四年
07/07/09 00:06:14 25bvgWwm
でもそれだと吉川が黙ってないんじゃないか?
命令されたから実行したのに冷遇されたのであれば。

158:人間七七四年
07/07/09 00:23:36 wkFueev2
>>157
冷遇はされてないでしょ。防長二州に縮小されたにもかかわらず
別して岩国藩をたててる。これは論功行賞と言ってもいいでしょ。
冷遇と言うのは毛利家家臣団内部世論の結果そう言う態度だっただろうけど、毛利家としては
岩国藩の内政に介入はしていないんだから、少なくとも上層部の意思としては、表立っていえなくてもそれだけの
「評価」されていたと考えていいんじゃ無いかな?

159:人間七七四年
07/07/09 00:27:03 EeCFjddf
>>156
西軍の実態も何も毛利が仕組んだことだろが、
感想文もいいけど自説を主張するなら少しはソースださにゃ、

160:人間七七四年
07/07/09 00:30:27 fY+VgcRH
輝元が広家について知らなかったとしても前線と本陣に距離があるので
ある程度は仕方ないことだ。輝元としては田辺、大津も含め長期戦で
思案していたところ関が原の思わぬ惨敗があったってことじゃねーの

161:人間七七四年
07/07/09 01:15:27 2RW1TpDX
>>158
をいをい、吉川は毛利本家に領国わたそうとしたわけだが。
それに、幕府の介入で領国渡す事ならずとのことで、
恩賞は、吉川に対してのみという解釈じゃねーか?

そもそも、毛利は関係ありませんよという前提の
内通なんて吉川馬鹿じゃないか?

162:人間七七四年
07/07/09 06:49:18 mXlWeMw+
吉川家は三代続けて手がつけられないキャラが続いていたのだし、
広家に至っては毛利本家の統制など全くといっていい程、効いて
いなかったと考えるべきでは?

163:人間七七四年
07/07/09 23:23:23 EEsQaJTd
>>162
統制がとれてなかったのは、小早川の方
隆景が内政、外交を担当していたので
いがいと独断行動が多い
跡継ぎはただのバカ

吉川は、猛将タイプだが本家のことは以外に考えたりしてる



164:人間七七四年
07/07/09 23:53:04 EeCFjddf
以外に考えすぎて独断専行したってことか
それで狸親父に騙されただけじゃ単なるアホだな。

165:人間七七四年
07/07/10 01:23:25 q+XvOvOu
>>163
吉川のエピソードを調べてみなよ。

166:人間七七四年
07/07/10 07:27:32 d8gLXrri
小早川は関が原時点では名目的東軍と考えた方がいい
戦況が普通なら東軍で西軍有利なら西軍。本物の寝返りは吉川
毛利は吉川と福原以外は西軍で戦い続ける気が満々であったことが
現在では定説になりつつある

167:人間七七四年
07/07/10 09:44:52 SxYAWeFb
166>>だな、毛利が西軍の首謀者なのは資料からも明らか、当時の宣教師なぞもそう書いてる。
解らないのは小早川、
裏切りの風説はやはりあったようなのだが、松野の逸話などからすると
一部の重臣しかしらなかったように思える。

168:人間七七四年
07/07/10 19:04:59 e+C1Ycgf
本当にやる気があるなら城を枕に討ち死にする覚悟で戦えばいいだけだし
それくらいの覚悟がなければどのみち勝利することなどできない
所詮は口先だけの薄っぺらい覚悟しかない輝元の負けは確実なんだよ

169:人間七七四年
07/07/10 20:08:02 N0mfEgdW
そもそも、あの陣形に囲まれて、家康どんな心境だったんかね?内通してても
勝てる気したのか?

170:人間七七四年
07/07/10 20:25:39 l85CXxb4
内通してたからあの陣形とはいえ内心気が気じゃなかったのでは。
家康にとってもあの陣形はけっこう博打みたいなところが
あったんじゃないかなーと思う。
内通してるフリだったら終わりだもんね。

171:人間七七四年
07/07/10 20:33:41 rvTqks1s
>>170
短期決戦で終えれるチャンスだったからね
流動的な状況下で家康自身が来るというサプライズで主導権を得て、それを握ってる限りは、
傍観を決め込んでる連中は少なくとも敵にはならないと踏んでたんでしょう

172:人間七七四年
07/07/10 20:43:38 N0mfEgdW
逆に三成の心境は、どーでしょう?陣形は最強だし、してやったり?多少なりでも
あやしいと思ったかな

173:人間七七四年
07/07/10 22:51:12 ntJxNjJQ
関が原の総大将は宇喜多だよね?
兵力から官位からすべてにおいて西軍最高だろ

174:人間七七四年
07/07/10 23:05:46 zbrFtE/I
輝元ですが

175:人間七七四年
07/07/10 23:29:18 d8gLXrri
輝元も潜在的には優れた武将になる資質はあったと思う。月山冨田城攻防戦
での少年期の武勇は知られているし、朝鮮出兵でもよく戦っていると思う
唯、家康と比べると叔父二人が働きすぎて成熟する前に関が原を迎えてしまった
ということではないだろうか

176:人間七七四年
07/07/11 00:04:34 rS0p6uMK
島津、立花、宇喜多が、それぞれ一万五千率いてれば、西軍圧勝だな。

177:人間七七四年
07/07/11 00:56:55 dYV/FaYW
>>171>>172
家康はかなり焦ってたんじゃないの色々なエピソードからもそんな気がする。
三成は当初は「馬鹿が罠にかかったわ、これなら小早川も西軍に付く」て感じかな。
>>175
輝元は対家康は一族の主要メンバーと重臣連中に任せて自身は四国、九州を狙って
行動してたと思うよ。
>>176
立花は4千連れてきただけでも立派でしょ。

178:人間七七四年
07/07/11 07:10:47 YpFcuGmI
通説では大垣城の奴等は南宮山の戦意を疑っていたという話はあんまりないな
やっぱ南宮山ははっきりした西軍で大垣城とも頻繁に連絡は取り合っていた
と見たほうがいいのかな。その中で広家だけが単独停戦の秘密交渉をしていたと





179:人間七七四年
07/07/11 07:45:38 CUWubPo1
>>177
どうでしょう?
家康は元来の性格はかなりの激情家ですし

180:人間七七四年
07/07/11 09:18:39 efPpGWIa
>>178
南宮山にいた長宗我部、安国寺、長束、勝永等は白だな、グレーが秀元
確か三成は長束の陣に寄ってなかったっけ。

181:人間七七四年
07/07/11 20:12:42 YpFcuGmI
仮に長束、安国寺、長宗我部らが浅野、池田に突撃していたらどうなったかな
毛利秀元が吉川と戦ってでも山を下りれるかが焦点になるが、吉川も
一族とさすがに戦うわけにはいかないから西軍に加わらざるをえなかったかもな

182:人間七七四年
07/07/11 20:43:14 PzF/gThP
関が原の西軍に最盛期の山名一族がいて山名宗全(持豊)や宗詮(祐豊)が
大将だったら?
徳川勢は島津や大阪の陣の真田のように直線的に攻められるともろい面がある
山名勢は赤松討伐戦でみせたとおり、攻めだしたら直線的な猛攻が得意。
関が原では島津のわずか1000名ほどの軍勢に崩されそうになった徳川軍だが、
六分の一殿の山名であれば少なくとも1万5千、多ければ4~6万ほどの軍勢が
家康の本陣に猛攻をかける。そうすればワンサイドで終わったかもしれない。
えっ、その前に家康は謀略を使うだろうって?・・・大丈夫!田舎者の山名勢には
謀略は通じない。
最盛期の山名勢は野戦では徳川勢に負けないと思う。

183:人間七七四年
07/07/11 23:00:44 dYV/FaYW
>>181
吉川は直前に東軍に対して南宮山の西軍を攻撃しないように要請している。
攻撃されれば保証はできないとの内容。
吉川は参戦を押し留めることは出来ると踏んだものの、南宮山諸軍は西軍である
ことに変わりはないから反撃が全面衝突になるとの警告で、つまりそうなれば自分
の内応も反故になるとの意味があると読める。

184:人間七七四年
07/07/11 23:02:15 9obG5ibF
時々、大学入試で「下記に示した大名を、西軍に与したものと東軍に与したものに分けなさい」みたいな問題が出る

185:人間七七四年
07/07/11 23:09:59 YpFcuGmI
つまり長束、安国寺、長曽我部らが勇気があれば戦況は変わっていた可能性
があるということだ。誰か一人でも討ち死に覚悟で突撃する覚悟がありゃあなあ
目の前で戦闘が起こっているのに弁当の言い訳をしている暇も秀元に
なくなったろうに

186:人間七七四年
07/07/11 23:18:34 9obG5ibF
島津って本気出したらどれくらい動員できたの?
義久は援軍を出さなかったらしいけど、本領安堵とはいえ消化不良で悔い残っただろ

187:人間七七四年
07/07/11 23:39:33 0ou7ymZ6
関ヶ原後に宗茂に1万の援軍を送ってるな

188:人間七七四年
07/07/12 00:44:51 DiUjhrF2
>>186
島津史上最大本国軍は20000かな、大友43000を文字通り潰滅させてる
たいてい、寡兵で勝ってるな

189:人間七七四年
07/07/12 02:08:52 IZOURdu8
>>182山名厨乙WW

190:人間七七四年
07/07/12 08:25:09 9IZ/RBXP
島津が兵をほとんど動員できないほど朝鮮でボロボロにさせたのは秀吉だがな

191:人間七七四年
07/07/12 08:32:32 qf6OxRwr
島津って伸びた追撃と本体の間を通ったら
追いかけられて壊滅しただけだろw

192:人間七七四年
07/07/12 09:22:06 GmHhXVLa
>>191
寡兵を追いかけて大将には逃げられ、
井伊は戦傷死、本多は落馬、忠吉も戦傷で恥をさらしたのは徳川。
あげくに薩摩に立て篭もりで免責。

193:人間七七四年
07/07/12 09:39:09 qf6OxRwr
>>192
>徳川勢は島津や大阪の陣の真田のように直線的に攻められるともろい面がある
ここからの流れな
そもそも逃げる奴・逃がされる奴って
戦場ではそう簡単には死なないと思うがw

194:人間七七四年
07/07/12 15:43:26 GmHhXVLa
>>178
南宮山勢は伊勢方面の東軍諸城を攻略して来ているから、伏見攻めの後ウロウロ
していた小早川と違って信頼されてたと思うよ。
実際、吉川が最終的に裏切りを決めたのも関ヶ原に来てからなはずだし。

195:人間七七四年
07/07/12 16:45:02 RcpWp+uH
まぁ島津義弘が一万五千人位率いてたら最初から東軍に参戦してるだろうな。
伊集院の件で石田三成とは良い関係になかったしそんな島津が大軍を率いていたら
徳川とて即座に根回しに動くだろう。寡兵のせいで放置されたんだろう。

196:仙台藩百姓
07/07/12 17:13:07 1PfXpd/+
つまり島津は数がいなけりゃ役立たずと言うわけかお( ^ω^)

197:人間七七四年
07/07/12 20:47:30 9tm0YX0f
>>196
別に何もおかしい事ではないと思うが?声高に言うことでもないな。


198:人間七七四年
07/07/12 21:11:29 JiUXWjnF
少なくとも関ヶ原合戦は両軍とも望みうる最高の状態ではなかった。
それが現実といえば当然だが、その中で最善の行動を取り勝利した家康は
大したものなのである。

199:人間七七四年
07/07/12 21:19:14 GHaSvsCp
島津が九州取ってたら関ヶ原は楽勝
立花紹運を攻めたとき島津軍5万いたらしいしな

200:人間七七四年
07/07/12 21:20:26 GHaSvsCp
高橋紹運だった

201:人間七七四年
07/07/12 22:29:40 NSF6V1YW
>>199
ただ寄せ集めで、まぁ武将の問題もあったが、そんなに強くなかったな。
1万ぐらいの薩摩兵がよかったんじゃね。例の朝鮮の役に行ってた奴らとか。
まぁ直前の伊集院の反乱が痛かったな。

202:人間七七四年
07/07/12 23:03:53 0xD3Qg0u
>>198
最善の行動とも思えないが決断力とカンの鋭さの勝利かな。

203:人間七七四年
07/07/12 23:40:28 ISC13xqK
>>201
急造国家で忠誠心低いワナ

204:人間七七四年
07/07/14 21:01:50 8/nw13XZ
島津って毛利、長宗我部、宇喜多と合わせて西国のビッグ4とか言われてたけど
関ヶ原での動員兵力考えたら島津なんか全く大した事の無い勢力だ罠。

205:人間七七四年
07/07/14 21:12:30 1R0QoUL5
>>204
ぷwその時の背景も知らない無知ぶりを披露してくれてありがとうw

206:人間七七四年
07/07/14 21:17:59 8/nw13XZ
よくビッグ4が付いた西軍が最初は有利だったっていうじゃん?
でも、事情は分かってるが、実際島津が付いたから特別有利になるわけではないよな?


207:人間七七四年
07/07/14 23:28:06 3MKbqNv5
西国のビッグ4って、何よ?

石高みても、官位みても、ビッグ4ではないけど。


208:人間七七四年
07/07/15 00:51:05 LJWbclJt
毛利 120万5000石
宇喜多 57万4000石
島津 56万石
長宗我部 22万2000石

これが>>204のいうビッグ4

石高だけなら…
毛利 120万5000石
宇喜多 57万4000石
島津 56万石
小早川 35万7000石
鍋島 31万石
加藤 25万石
長宗我部 22万2000石

小早川や鍋島の方が上小早川に至っては中納言でもある。

ま毛利は120万石の他にも、毛利秀包13万石、安国寺AK6万石や村上水軍まで居る訳だ

209:人間七七四年
07/07/15 09:18:19 1xUMtiD7
鼻息荒く書き込んだのに、今や顔を真っ赤にしている>>204>>206がいるスレはここですか?

210:人間七七四年
07/07/15 14:14:07 zULs8lGT
こういうこと聞くのもあれなんだが、石高がよくわからないんだけど誰か教えて

211:人間七七四年
07/07/15 17:51:01 sArD5sEB

      , イ)ィ -─ ─- 、ミヽ
      ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii /  Λ
    ,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
   ノ/,/ミ三ニヲ´        ゙、ノi!
  {V /ミ三二,イ ,  /,   ,\  Yソ
  レ'/三二彡イ  .:ィこラ   ;:こラ  j{
  V;;;::. ;ヲヾ!V    ー '′ i ー ' ソ
   Vニミ( 入 、      r  j  ,′  <仲良くなってくれ
   ヾミ、`ゝ  ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
     ヽ ヽ     -''ニニ‐  /
        |  `、     ⌒  ,/
       |    >┻━┻'r‐'´
      ヽ_         |
         ヽ _ _ 」    

  ググレカス [ Gugurecus ]  ( 没年不明 )
古代ローマの思想家。

帝政ローマの時代に現在のアルバニアあたりで生まれたといわれている。父は役人で、家の巨大な書斎には
あらゆる本が並べられていた。このため物心ついた頃から興味を持ったものは何でも検索する習慣がつき、
13歳頃からはほぼ一日中図書館で過ごすようになった。それ以来さまざまな発見をしては、それを地元の
図書館で検索するという日々を続けていた。

だが20代になると、故郷の図書館の蔵書はすべて制覇したのか、図書館通いに飽きてしまいローマに
移住する。ローマでも毎日多くの事柄を発見しては図書館で検索しており、その探究心と教養を買われて
役人として出世する。何でも知っていたググレカスは人々の注目を集めたが、やがて図書館で少し調べれば
わかるような事柄を質問されると即座に「ググれカス」という返答をすることが習慣となってしまった。
このため人々の反感を買い、ググレカスはローマで孤独に一生を終えた。

当時の人々からは憎まれたが、人が多様な物事に興味関心を持つことの自然さや、それらの物事について
検索する楽しみを見出した思想家として知られている。 なお、その祖父、モックーログ(mokuron 生没年未詳)
は、脳の構造に目録がにていることを発見し、それが意志を持つのではないかと警戒した。

212:人間七七四年
07/07/17 15:19:18 jUqJJr9/
でもさ、実際は義弘は戦う意思あったけど兵力少ないから、二番備えで合戦中も
三成と何度か評議してたけど、そのうち小早川が裏切って二番備えの出番が無い位
一番備えがばらばらと崩れて要ったから仕方なく離脱したってどっかで呼んだような。
もともと関ヶ原直前にも夜襲を提案したりしてるし。

詳しくは無いんだけど、当時の合戦って二番手とかはトドメ用の部隊で
先手の崩れたほうの負けなんじゃないの。大谷の方だって二番備えの脇坂、小川とか
は裏切るまでは戦闘に参加してないし。
他には賤ヶ岳の時も、柴田の本隊は戦ってなくて先手の佐久間が崩れたら、崩壊してるし。

213:人間七七四年
07/07/17 17:53:04 FixgPAnh
蒲生を暗殺して、上杉と伊達が江戸を攻めれば徳川家は終わってた

214:山形義光
07/07/17 18:58:35 g2DU45ZR
最上に勝ちきれない上杉じゃ無理

215:人間七七四年
07/07/17 19:41:44 rbZY7WDg
わざと上田でもたもたしてる軍神秀忠が信州大返しで
ぼこぼこにしてやんよ

216:人間七七四年
07/07/17 21:30:24 rIPzIbz1
>>212
島津がもっと積極的に動いて石田に主導権をとらせなければ夜襲が出来たかもな。
そうすれば関が原が数日遅れて毛利の別働隊が間に合ったかもしれない。

217:人間七七四年
07/07/17 21:39:37 hbA3S0gH
>>216
たかだか1500しか兵を連れてない時点で主導権なんて取れる訳無いだろ‥常識的に考えて

218:人間七七四年
07/07/17 21:46:46 28U8UbUO
関ヶ原まで遠いんだよっ!ヽ(`Д´)ノ

219:人間七七四年
07/07/17 22:02:55 rIPzIbz1
>>217
年齢、経験、石高から石田を抑えることは出来たんじゃないか?
西軍全軍で夜襲って事にはならないだろうし、最悪島津だけでも試みる価値はあったと思う。

220:人間七七四年
07/07/17 23:26:40 hbA3S0gH
>>219
逆に兵も碌に連れてないのに口煩型だと年齢だけに老害と思われる件。

221:人間七七四年
07/07/18 00:12:44 E24YamwL
夜襲の話は確かネタじゃなかったっけ、
石田にも援軍だしてたよ確か、
何にしろ兵が少なすぎたんだけど、義久義弘の関係も微妙だった見たい。

222:人間七七四年
07/07/18 00:19:58 99gIXD7o
でも大谷の手持ちの兵力も1500かそこらだろ。それでも首脳らしいことやってるぞ。

それに反して、小西はまったく影が薄いな。なんか引きずられてうやむやで出てきて
気づいたら本戦でボコられただけかよ。
秀吉在命時の頃の存在感はなんだったのやら。



223:人間七七四年
07/07/18 00:32:30 99gIXD7o
そういえば信長の息子が大谷隊のひとりとして戦って討ち死にしてるんだよな。
世が世なら天下人の一門として君臨してただろうに・・・

加えて秀信、信包、それに信雄以下信長の息子全員ことごとく改易されたんだな。
このうち、その後浪人して放浪したり、病死したりしたのもいるし。
織田家にとって関ヶ原は密かに鬼門だったな。
うまく立ち回ったのって有楽斎くらい?

224:人間七七四年
07/07/18 00:45:16 AFCmse09
>>222
大谷と島津って石高10倍違うよな‥動員比率で中枢に入れないでFAじゃね・

225:人間七七四年
07/07/18 00:48:45 TAOk5WC0
小西も宇喜多もほんの少し前まで朝鮮で戦ったベテランだし
島津も毛利も小早川もそうじゃね。

あの面子で石田が主導権握れたのが不思議。
あと、しばらく実戦を経験してない家康が恐れられてたのも不思議。

226:人間七七四年
07/07/18 08:27:40 BQCuSylK
>>225
あの頃で、信玄や謙信と同時代に生きたというだけで生ける伝説(しかも今なお現役)
おまけに天下人である秀吉を破った人物となれば

227:人間七七四年
07/07/18 09:39:24 /hF/yKmA
>>226
ブランドだよな、
利家なんかもそうだろうけど、彼等の世代は家康なんぞ恐れるに足りないと
思ってたんじゃない。


228:人間七七四年
07/07/18 11:05:25 iR5oabp5
>>227
確かにブランドだね。
信長、秀吉と渡り合ったって言うだけのね。
ただ、真田には何度かコテンパンにやられてるね(w
なので、同世代からは特に恐れられてはいないでしょうね。

229:人間七七四年
07/07/18 12:35:56 U9qg9Rv9
まあ家康自身は上田行ってないけどな
それに2次なんて誰が行っても相手にしたら負けの状況だから
ちょっかいだした奴の落ち度はあっても、真田が凄いわけでもないんだがな

230:人間七七四年
07/07/18 13:02:17 /hF/yKmA
それを言えば秀吉も家康に負けてないけどね。

231:人間七七四年
07/07/18 16:01:39 NNi6zcBD
家康に「戦国最強」みたいなブランドを持たせたのは
間違い無く秀吉でしょ?
小牧・長久手以降~朝鮮出兵辺りの扱い方はまさに「誉め殺し」そのもの。

秀吉は信長の部下だった頃から家康をある程度知っている訳で、
仮に自分の死後彼の天下になるとしても、豊臣家を滅ぼすほど冷血な人物ではない、と読んでたんじゃないかな。

232:人間七七四年
07/07/18 16:58:50 NNi6zcBD
追記
「同世代や戦国生き残りの大名達からはそこまで怖れられてない」って意見には同意。
秀吉が家康に着せたブランドの光が一番まぶしかったのって、
実は秀吉子飼いの連中だったろうね。
三成辺りは外様なのに信頼されてる家康に激しく嫉妬してたりしてw

233:人間七七四年
07/07/18 19:48:20 k7jl5cns
逆も然りで
秀吉に対して天下の関白様よりも信長の下で成り上がった元百姓の姿の方が強く焼き付いている最後の武将こそ家康なんだよね
だから他の奴と違って豊臣を倒すことが天下人の家を倒すことではなく
成り上がりの百姓の家を倒すくらいの感覚しかないため思い切りよく倒せてしまう

234:人間七七四年
07/07/18 21:21:01 ji68aZhO
つーか、秀吉の子飼い以外に、秀吉や豊臣家、豊臣政権というものを「尊い」と思っていた人間なんて当時日本中に誰一人いなかっただろ。

235:人間七七四年
07/07/19 00:52:01 me6o83An
>>232
氏郷なぞは俺が会津にいるから家康は何も出来ないと豪語してたらしい、
氏郷や利家から見れば、家康なぞ屁たれの勝頼にすら勝てない超へたれ。
恒興が相手をなめて失敗したが普通に戦えば負ける訳がないと思ってたんだろうな。
彼等にすれば、
秀吉は百姓上がりとはいえ実力で神→信長に認められて軍団長にまでなった相手、
しかも織田家の内戦を勝ち抜いた実力を示している。
家康は信長の死に乗じて領土を拡大しただけで野戦の名人なんてふざけるな、
幼少の頃から信長に従って転戦してきた自分達の方が実力は上なはず、太閤は厚遇しすぎる。
てな感じかな。
>>234
そりゃ徳川だって一緒だろう、源氏なんて大嘘の乞食坊主だぞ。
織田も大したことないが徳川より数段上。


236:人間七七四年
07/07/19 01:15:02 tMgPm26n
>>235
そんなこと思ってたら福島や加藤は家康に付くわけ無いよね?

237:人間七七四年
07/07/19 01:24:10 uObTOKP7
利家こそ優遇されすぎだな
まさに家康を恐れてのカウンターバランス
家康の相手が利家程度しかいなかった時点で終わってる
人望も反家康が仕方なくなびいた流れだし

238:人間七七四年
07/07/19 01:46:19 gVMaqRgD
>>236
いや違うだろ?
ある程度自分たちの思い通りになると踏んだから
家康と思えるわけだが。

まあ、甘すぎる考えだな

>>237
家康は利家以下の人望だがな。

239:人間七七四年
07/07/19 02:17:31 7PfdZVrl
本来利家のポジションには蒲生あたりが来た気がする。
蒲生とか堀とか、頼りになりそうなのがコロコロ若死にしたせいで
前田がクローズアップされたような感がする

240:人間七七四年
07/07/19 11:03:09 QQbeF5cy
蒲生はどうかなあ、利家ほど秀吉に従順じゃないし付き合いもないからねえ。
でも彼が生きてたら家康の天下取りの大きな障害にはなったね。

241:人間七七四年
07/07/19 21:28:42 UufPV9/d
少し前の話だが、西軍敗北の原因は毛利一族の裏切りが最大だ。

242:人間七七四年
07/07/19 21:47:46 AqPzVlw2
毛利は戦わなきゃならない状況に追いやられた 三成によって
戦わなかったので大減封

243:人間七七四年
07/07/19 22:49:58 l0vPCUYQ
>三成によって 戦わなかったので大減封




244:人間七七四年
07/07/19 22:58:53 j1U1AVsS
でも蒲生はその性格から、関ヶ原みたいな状況でもあっさり家康にはつかない気がする。
蒲生って、秀吉が小姓たちに次の天下人を挙げてみよって逸話で名前が出てきた通り、
少なくともその力は当時かなり評価高かったはず。力がある奴には回りにつく奴らもでてくるわけで、
黒田の親父どころじゃない、家康にとっては迷惑な行為にでたと思う、結果はどうアレ。

245:人間七七四年
07/07/19 23:08:22 j1U1AVsS
> 家康の相手が利家程度しかいなかった時点で終わってる

秀長、堀、蒲生、丹羽、小早川ことごとく他界。器量的には蜂須賀も候補になれたかもしれんがこれも他界。
秀吉が自分に地盤も縁も無い身分から、天下人に一気に駆け上がったツケがでたな。
ま、だからこそ家康が好機と捕らえたんだろうし。

246:人間七七四年
07/07/19 23:10:25 IuNmT9p8
小早川隆景さえ生きていれば・・・・・・・

247:人間七七四年
07/07/19 23:12:41 4GxBPjcC
>>246
そこまで望まないから穂井田元清が生きていれば‥。

248:人間七七四年
07/07/19 23:48:55 zs/JtjSZ
利家程度っておまえ、利家が元気で大阪城にいたころは家康なんか完全に押さえ込まれてたんだぞ


249:人間七七四年
07/07/20 00:07:03 3FuQyGLG
利家の力量は不明だけれど、
秀頼が大坂城へ移った際の逸話などはカッコいいね。
太閤の遺言による秀頼の後見人という看板と親藩代表という二枚看板を持ってたのも強み。
伏見の時は利家もかなり病が進んでいて最終的に手打ちになってしまったのが痛い。
この時戦っていれば勝てた確立が高い、
細川や加藤なんかも二股膏薬だったし秀吉の子飼いや尾張系も割れただろう、
何と言っても利家の下で四大老が協力できていたし、西国で変事が起きれば
徳川の援軍は間に合わない。

250:人間七七四年
07/07/20 00:22:51 Ska7tuRD
まあ変なら勝てるだろうな
石田襲撃を取り成したような家康まで襲撃ってとことんぼろぼろ政権になって短命だろうが
役なら一枚岩の徳川の粘り勝ちだろう
秀吉存命中でも大阪呼ぶのに2年もかかったくらいの相手だし

251:人間七七四年
07/07/20 00:37:49 pe3B66vj
家康が太閤の遺言に反したときに、家康を倒そうとしなかったのがそもそも終わってる

252:人間七七四年
07/07/20 00:42:46 MKLfp9YI
そんときは家康が利家の言うこと聞いて婚約破棄したからな



253:人間七七四年
07/07/20 08:24:11 QPN7V1Vl
前々から気になっていたのですが安国寺や三成はともかく
なんでそれほど戦意も高くなかった小西は斬られたんですか?
めちゃくちゃ戦いまくった宇喜多は遠島なのに。
処分がよくわからない

254:人間七七四年
07/07/20 10:18:30 4d4vxAE+
>>243
大減封されるくらいなら戦うだろうと
予想した

255:人間七七四年
07/07/20 11:02:12 FXo8SNmn
>>253
朝鮮出兵の恨みだろ。
武断派諸将との今後の付き合いを考えると処刑しとくメリット方がはるかに大きい
秀家みたく助命嘆願してくれる大名もいなさそうだしな

朝鮮の件ではこいつと三成の二人だけがやたら憎まれてるイメージ強いね
増田や大谷はそうでも無い感じなのに…日頃の行いか?



256:人間七七四年
07/07/20 14:45:49 OUXmcbrP
>>255
そりゃあ秀吉生前、武断派の連中に冷や飯を食わせ続け、秀吉の周辺から排除した首魁がこの三成と小西だからなあ。
関ヶ原で武断派がこぞって家康についたのを三成のおかげとすれば、九州戦線で黒田や清正が東軍として頑張ったのは
ある意味小西のおかげだなw

257:人間七七四年
07/07/21 11:53:15 vsuR2NHc
>>256
黒田親父は大ハッスルした感があるが、加藤清正は実際は
ちょこちょこ小西が留守のところでやったくらいじゃないか?

258:人間七七四年
07/07/21 17:55:43 INUKsruH
清正って、東軍としての旗幟を明らかにしていなかったのでは?

259:人間七七四年
07/07/21 18:58:03 y9RLWtek
当初は西軍に付こうともしてたんじゃない、
最後の方で小西の留守城を囲んだくらいでやる気なし。
黒田の親父は義勇兵でガッバッテたけど。

260:人間七七四年
07/07/22 00:32:57 HkeGn5Ck
その割には大加増だよな。あの時点での家康って、福島に伊奈の首さしだしたり、
「家康必死だなwww」

261:人間七七四年
07/07/22 01:03:56 fl+tAdPz
>>259
>当初は西軍に付こうともしてたんじゃない
俺もそう思う
島津と清正は隣国だ
清正が東軍の旗幟を鮮明にしたら、島津義久と決戦になるがそうなってない



262:人間七七四年
07/07/22 02:00:01 4uZmJjtd
島津義久は西軍ではないぞ
義弘が勝手に行動して勝手に逃げ帰ってきただけだ

263:人間七七四年
07/07/22 08:58:35 Mj8CfyXW
>>262
宇土城の救援に向かった事実を、どう判断するのか述べよ。

264:人間七七四年
07/07/22 09:34:57 R1lbdTcI
>>260
豊臣恩顧にはあの時点では気を使ってるよな。
本戦で戦った福島や小早川はともかく、前田や加藤なぞろくに戦っていない。
まあ敵にならなかった護法日なんだろうけど。
家康にしても薄氷を踏む思いだったのが良く解る。

265:人間七七四年
07/07/22 21:59:03 DwHo8VF1
手なずけるまではアメ与え放題だな。
大名が完全にサラリーマン化した後は改易の嵐だったけど。

266:人間七七四年
07/07/24 01:21:36 NL5jtcF1
結局、
島津案の大垣城持久戦と石田案の関が原短期戦はどっちが良かったんだろうな・・・
家康に水攻めされるリスクも大きいが
時間を稼いでる間に毛利増援が間に合うのは心強い

伊達と講和段階に入ってた上杉が南下する時間も作れる

267:人間七七四年
07/07/24 01:27:04 p0w9gHDa
>>266
篭城も何も、大垣スルーしそうになったんで、
あわてて関が原に布陣したんじゃね?

持久が出来れば西軍が有利だったけど、
家康が前進することで決戦を強要した。
その代わり東軍は不利な関が原で戦う事になった
と思うんだけど。

268:人間七七四年
07/07/24 06:04:22 vrxrtu4T
>>266
維新の夜襲案というのは後世の捏造というのがデフォ。

>>267
東軍の佐和山(あるいは大阪)移動という説についても、
浅野隊の状況などから否定する論が多い。

269:人間七七四年
07/07/24 10:27:51 NL5jtcF1
じゃ、大垣城の方が正解か

270:人間七七四年
07/07/24 12:00:59 w31L9Bk8
>>266>267
そこら辺の話は一次資料には無いんじゃまいか。
関ヶ原への布陣は松尾山や大谷の動きや手際よく高地に布陣してるところを見ると、当初から予定されていた防衛線ポイ。
清洲、岐阜が破られれば関ヶ原当たりを多段的に想定してた木がする。

271:人間七七四年
07/07/24 20:40:57 QCpY3UvW
家康の行動は純粋兵理で見るなら自殺行為であるが、実際は主導権が自らの元にある
事を念頭に置いた行動である。
何せ、赤坂に着陣したその日の夜半に西軍が移動したという事はそれだけ家康到着の
精神的衝撃が大きかったという事であり、このまま戦闘を行えば日和見を決め込む奴
や裏切る奴が続出する事を踏んだ上での関ヶ原であろう。

家康って存外、戦術的なことに関しては結構な博打打ちだし

272:人間七七四年
07/07/24 23:42:36 M9gb1d+f
実際は主導権が自らの元にある >ていうか主導権を手鼻さないて感じ。
赤坂に着陣したその日の夜半に西軍が移動したという事>ていうか西軍は予定通り。
戦術的なことに関しては結構な博打打ちだし >かもね、かもね。



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