【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】at SENGOKU
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】 - 暇つぶし2ch1:人間七七四年
07/04/11 01:09:54 H/ruUCBY
130年あまり続いた戦国時代晩期の合戦である「関ヶ原の戦い」。
東西両軍合わせて20万人もの動員を繰り出した、想像を超える大規模なものだったにも関わらず
わずか数時間の戦闘で勝敗が決したという希有な戦い。
全国津々浦々から名立たる武将・智将が一同に会した、戦国屈指のドラマ「関ヶ原」を
あらゆる角度から検証するスレ第十弾です。

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2:人間七七四年
07/04/11 01:53:52 46nSS7uX
死ぬ前の最後の2get
そして人生最初の2get

3:人間七七四年
07/04/11 05:47:47 ihGR2+jb
恥の上塗り・毛利系統晒しスレ継続乙

4:人間七七四年
07/04/11 20:26:38 2F3qu3IP
水野忠重をぶっ殺した加賀井重望を討ち果したのに勘違いした水野家の家来たちに攻撃され塀を飛び越え逃げ出した
堀尾吉晴さんのその後を教えて下さい

5:人間七七四年
07/04/13 01:50:48 CC/XEYjx
石田三成が勝っていたら秀頼を意のままに操り、石田家は執権として居座っていたな

6:人間七七四年
07/04/13 17:03:26 DwKQp7/c
関が原といっても
東軍の徳川軍主力(秀忠軍)・東軍2位の前田軍・3位の伊達軍
西軍最強の上杉軍・毛利輝元軍・3位島津軍のほとんどがいないという
副主力軍同士の戦いだった
家康もここが西軍との戦いの天王山だと思わなかったんじゃないの
秀忠と合流後に最終決戦があり
関が原は序盤戦かと

7:人間七七四年
07/04/13 17:07:06 DwKQp7/c
関が原の戦い→大坂城攻防戦→上杉軍と北関東での決戦→毛利征伐
でやっと天下がてれる


8:人間七七四年
07/04/13 18:45:02 y5LyJX/3
これが中二病ってやつ?

9:人間七七四年
07/04/13 23:27:05 fw+q1YmZ
>>5
最大兵力で本戦を支えた宇喜多秀家には頭上がらないから

10:人間七七四年
07/04/13 23:47:48 NmkArads
西軍が勝ったとして、東軍の処置はどうするんだ?

11:人間七七四年
07/04/14 17:05:59 okWWd+7t
>>10
豊臣譜代の諸大名は領地を削って、中央の統制強化。
あとは伊達とか関東方面の中小大名潰して家康包囲網作るとか?

徳川家の直轄領削るのはなかなか難しいかと。
徳川、前田居ないと今度は西国大名の力が強くなりすぎるし。
…毛利と対立して再び追放される三成が見えます。

12:人間七七四年
07/04/15 19:10:31 coyHvxE9
教えて下さい
関ヶ原にいた七手組に福島らが攻めかかったとしたら主家の部隊に弓引いたことになるので
三成と武断波の私闘は成り立たなくなるのではないのでしょうか?

13:人間七七四年
07/04/15 20:23:28 Jk/8GOPz
>>12
七手組云々をいうなら、三成・長束は豊家の家老職なんだから、
東軍側に布陣した時点で主家に弓を引いた形になると思うが。

逆心奉行に一味した七手組を討つという理屈で問題ないだろ。


14:人間七七四年
07/04/16 00:15:04 uG93xOBd
豊臣本軍って、西軍側に何百位居たんだっけ


15:人間七七四年
07/04/16 01:35:44 NJ3iXBzm
1千くらい
織田信高や糟屋武則と同じ場所に布陣してる

16:人間七七四年
07/04/18 22:44:56 dj2/EopS
今NHK見た
伊勢湾で暴れまわったのって九鬼水軍だけじゃなかったんだね
ところで村上水軍が攻めた伊勢の城ってどこ?

17:人間七七四年
07/04/22 17:50:59 8FeJ3Vje
岩出城だよ

18:人間七七四年
07/04/23 02:16:26 D/RFXUmJ
島津の援軍の武将の名前を教えて下さい

19:人間七七四年
07/04/26 19:25:30 wPAhxYpM
09年の大河は「天地人」=NHK

NHKは26日、2009年の大河ドラマで「天地人」を放送すると発表した。
原作は、戦国時代を舞台にした火坂雅志さんの同名小説。
番組では、上杉景勝の家臣でありながら、豊臣秀吉がほれ込み
徳川家康が恐れたという「義」の人、直江兼続の生涯を描く。
配役は、今後人選を進める。

URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)

2009年大河ドラマは「天地人」 主役は直江兼続
スレリンク(sengoku板)

20:人間七七四年
07/04/26 20:40:28 OU2yPaBe
08年は何でしたっけ?

21:人間七七四年
07/04/27 02:06:31 aztehOtR
つ へうげもの

22:人間七七四年
07/05/10 12:50:12 B2LvYw+D
四万の軍勢が約2000人しかいない伏見城を落とすのに十日もかかってる時点で負け決定だろ。

23:人間七七四年
07/05/17 18:39:39 8de2LoXh
>>22
伏見城は、大坂城に次ぐ規模だ。
それ考えないと、ダメじゃない?

24:人間七七四年
07/05/19 01:11:18 l381X85F
いくら伏見城でも2000足らずの軍勢で四万を防ぎきるのはいくらなんでも無理があるでしょ。それに落とそうと思えば10日以上もかかるはずがない。長文失礼

25:人間七七四年
07/05/19 02:24:09 j9z5z2Dk
しかも内側から崩れたんだっけ
身内を人質にされて鳥居を裏切ったんだよな

26:人間七七四年
07/05/19 04:26:50 l381X85F
城内にいる甲賀衆の家族を人質にとって裏切らせた。んでもって火をつけた

27:人間七七四年
07/05/19 13:03:55 VJFkMUvo
PHP新書 関ヶ原(武光誠) はじめに、より


『豊臣秀吉の政治は、苛政であった。秀吉は庶民から高率の租税を取り立てたり、無理な
朝鮮出兵を行ったりした。

農民も中下層の商工民も、将来に希望のもてない生活を強いられていた。これに対して秀吉らの
大名や一部の豪商は、人々がうらやむ、きらびやかな生活をしていた。

関ヶ原合戦で徳川家康が敗れていたら、支配層は豊臣政権の方針を継続し、庶民を踏みつけて贅沢を
むさぼり続けていたであろう。

しかし、江戸幕府の政治目標は、これと正反対のものであった。江戸時代の支配層は、庶民が
あれこれ工夫して豊かになる事を奨励した。国が富んできても、幕府は租税を安いままにしておいた。

戦いをなくして治安を護り、教育を普及させ、産業を育成、流通路としての街道や航路を整備する。
このような幕府の政策によって農民も商工民も、仕事に精を出して日常生活を楽しむようになっていった。

家康をはじめとする将軍や大名は、武士に倹約を命じた。江戸時代に士農工商と呼ばれる身分制はあったが、
それは職業の区別に過ぎない。

武士身分の者だけが贅沢な服を着て豪華な物を食べているそばで、ぼろをまとった農民や商工民が
食うや食わずの暮らしをしている-こういった風景は、近代以前のヨーロッパではありふれたものであったが、
江戸時代の日本には無い。江戸の町などの料理屋や屋台では、武士が町人の側で町人と同じものを
飲食していた』

28:人間七七四年
07/05/19 17:29:29 PiQ4WA20
古代史のおっさんが小遣い稼ぎに書いたものが評価に値するんだろうか。
むごい啓蒙書だ。

29:人間七七四年
07/05/25 17:19:06 UzeTAREl
伏見城に島津や小早川が入城してたら決戦場はまた山崎になってたんだろうな

30:人間七七四年
07/05/26 07:09:40 OeoSTuNR
明治時代、日本陸軍の参謀がドイツの将軍に関ヶ原に於ける両軍の布陣を見せた所
西軍の大勝と言ったそうです。それ程に完璧な布陣を布いていながらなぜ西軍は負
けたのか?それも半日で。東軍を囲む様に圧倒的有利な場所に陣を布いてはいたが
西軍の中でも大軍(約1万7千)を誇る小早川秀秋が寝返る事まで計算に入れて無か
った石田三成の甘さが西軍敗北の原因だ。家老の島左近や盟友の大谷吉継などは十
分に予測していただけに三成がきちんと対策を講じていれば西軍の勝利は疑うべく
もなかったのだ。ようするにこの大戦は戦う前から勝負は決まっていた。

31:人間七七四年
07/05/26 12:55:56 0heCNm25
対策は講じていたんだよ。
家康方に内通していた小早川家の家老に金品を送って、西軍に引きとどめようとしたり、
決戦前夜に勝てば関白にするなどと破格の条件を提示したり、いろいろ手は打っている。
だからこそ、当日東軍につくのをしばらくの間躊躇して、家康を慌てさせることになった。

まあ、結局は順当に東軍についたわけだが。

32:人間七七四年
07/05/26 20:29:09 X/R3Bv/c
そんな小早川を大谷が計算通りに予備兵で撃退してる所に
脇坂朽木赤座小川が突っ込んできたのが崩壊の始まりなんだがね。
小早川ではなく、この四将が歴史を動かした。

33:人間七七四年
07/05/26 21:10:57 0heCNm25
>>32
いくら一時的に押し返したからといって、
数百の兵で8千の小早川軍を押しとどめ続けるのは不可能。
既に三成の陣も危険的な状態になっていたし、
小早川軍が動いた時点で既に時間の問題だよ。

34:人間七七四年
07/05/26 21:21:48 M1HtmxTm
西軍 もうひと波乱を望む派
東軍 保身的

35:人間七七四年
07/05/27 00:02:52 b9UfUt/L
西軍は数では勝っているけど、実際戦っているのは東軍より少ないんだなこれが。最初西軍が押してる時に小早川が裏切ったら勝ってたかもね

36:人間七七四年
07/05/27 00:24:18 4JM9FQ2k
戦国時代ではありません。移動お願いします。

スレリンク(history板)

37:人間七七四年
07/05/27 00:35:51 robEriSn
>>33
狭隘な場所での戦闘だから、数は関係ないよ。


38:人間七七四年
07/05/27 08:19:04 b9UfUt/L
なるほど、地形を考えてなかった、、orz
ところで関ヶ原て戦国時代ではないの?

39:人間七七四年
07/05/27 09:32:56 OajMhR+n
一般的な歴史区分では安土桃山時代だろうけど、
そこまで区別することが必要とは思えないなあ。

40:人間七七四年
07/05/30 19:44:48 oAZA1dNB
>>37
そこまで狭い地形じゃああるまいよ。
仮にそうだとしても大谷側は先頭の者達から戦っていって、500人も死傷すれば全滅だが、
小早川の側は倍の1000人死傷してもまだ7000人いる。
また、小早川側は無理に先頭から戦い続けなくとも、多少は時間がかかろうと、
後の部隊と交代すればよいが、大谷隊にはそのような予備兵力はもはやない。
正に時間の問題に過ぎない。

さらに奇跡的に大谷隊が長時間持ちこたえても、三成隊の不利は覆らない、
そちらの側も時間の問題で、どっちみち小早川が動いた時点でほぼ完全に勝負あり。

41:人間七七四年
07/05/31 00:28:05 FgvLvLbN
宇喜多も兵を振り向けて、大谷小早川方面支える必要有ったかな


42:人間七七四年
07/05/31 01:10:28 JY6uEbtK
>>40
無茶苦茶な理屈だな。そんなに必死にならなくても・・・

43:人間七七四年
07/05/31 06:59:58 7evbhScl
>>40
どこが無茶苦茶です?仮に狭隘な地形で一度に大軍を展開できなくても、
時間が経てば結局は交代の効く大軍を擁するほうが有利なのは当然。
そして三成隊がかなり押し込まれていたのも事実。
まあ、この程度のことを言うのに長文すぎとは言えるかもしれないが。

むしろ、狭隘な地形だから数が関係ないなんてなんて言う方が無茶苦茶かと。

44:人間七七四年
07/05/31 18:17:00 dJu8SipY
まあ、横崩れしなければもう少しうまく西軍も退却できたんじゃないの。

45:人間七七四年
07/05/31 19:23:51 3RuIGNEy
謎将 島 左近について語ろうぜ!

46:人間七七四年
07/05/31 21:06:27 EUzH+3O9
機械じゃないんだから、戦ってるうちに疲れるわな。
堅固な要塞に籠ってるならまだしも、(多少の防御構築物があっても)野戦で
10倍の敵とまともに戦っていつまでも持ちこたえられるって考える方が無理がある。


47:人間七七四年
07/05/31 22:00:22 4srrQ+nE
いや六百そこらだけで戦い続けるわけがないよ
平塚とかが率いる本隊または脇坂ら四将がくるまで時間稼ぎでしょ?
まあ結果は本隊が戻る途中に寝返り四将に脇腹突かれて壊滅。
残った奴らはしょうがないから小早川に特攻かけたって感じ?
だから四将が寝返らず機能してくれてたらって話だろ。藤堂京極とはそいつらナシでも拮抗してたし

48:人間七七四年
07/05/31 22:28:46 3RuIGNEy
時間稼ぎではないだろ。小早川と戦闘になった時には先鋒として戦っていたし

49:人間七七四年
07/05/31 22:29:41 3RuIGNEy
時間稼ぎではないだろ。平塚、戸田は小早川と戦闘になった時には先鋒として戦っていたし

50:人間七七四年
07/05/31 22:31:25 3RuIGNEy
連投失礼

51:人間七七四年
07/06/01 21:04:28 Xp3H5r5K
>>47
確かに四将が腹背から小早川軍をつくなら、良い勝負になったかもね。
その為の時間か稼ぎということなら意味はあるでしょう。

その場合、勝負の分かれ目は三成隊がどこまで頑張れるかか。

52:人間七七四年
07/06/01 23:28:00 7eYxk9kW
三成が日没まで持てば翌日には毛利勢1.5マソが到着するな。
となると吉川くんが堂動くか。

53:人間七七四年
07/06/02 06:38:44 e2MJgF7Y
日没までには小早川が裏切った後からでもまだ5・6時間あるから、
普通に考えれば持たないだろうとは思うけどね。
敵の数は約3倍島左近は既に退き、本陣近くまで攻め込まれていたわけだから。

54:人間七七四年
07/06/02 11:10:38 QUz8oJr3
吉川の内応て何ナノかなあ。
もし吉川が大津攻めで元康が関ヶ原に布陣してたら不戦の約束なんて果たせないよ。


55:人間七七四年
07/06/02 20:24:48 ZF/Z7CbR
>>53
そんな長い時間、合戦続けてると思うのは間違い。

56:人間七七四年
07/06/03 07:29:38 9p36JWCC
まあ、普通に考えればそんなに三成軍がもつはずないからね。

57:人間七七四年
07/06/05 13:00:07 MNx1A8aR
最近、こんな論文が出ている。

光成準治「関ヶ原前夜における権力闘争-毛利輝元の行動と思惑-」(『日本歴史』707号、2007年)


58:人間七七四年
07/06/05 22:55:53 LjhmHaYY
要約よろしく。

59:人間七七四年
07/06/12 15:31:02 lzyiCL99
毛利は自分の家を守ることしか考えてないだろ

60:人間七七四年
07/06/12 20:34:05 JDM3qDNT
実際元就もそういう風に言い残してなかったっけ?

61:人間七七四年
07/06/12 22:47:42 h0jKBfWz
>>59
でも無いようなので取り寄せて呼んでみる。

62:人間七七四年
07/06/14 02:22:39 Y8swh9+S
吉川の本当の考えは垂井あたりに西軍をおびき出して東軍に寝返り
袋小路にしてまうことだったと言われている
決戦場が関が原になってしまったために毛利家中で主戦論が高まり
東軍への加担は良くて日和見になってしまった。理由は毛利が徳川を討つ
には絶好の位置取りだったから
さらに仮に大垣城決戦が行われていれば日和見して戦況有利な方に
いつでも寝返ったものと思われる
それにしても西軍は惜しかった。関が原決戦は幻の垂井の戦いの次に下作で
戦術的敗北が政治的敗北に直接つながるほどの惨敗であった
仮に大谷らが小早川の軍勢をうまくふりきり佐和山そのたに撤退していたら
大垣、佐和山、大津に強固な防衛線がしかれしかも戦意あふれる毛利元康が
いるなら毛利は吉川がどうあれ西軍として最後まで戦っていただろう
長期戦の場合は政治工作の勝負となるが家康型有利といえども簡単には
西軍の戦線を消滅させることはできなかったはず

63:人間七七四年
07/06/14 02:47:59 l+NNtErp
東からは徳川主力3万8千が西進し、なお多数の予備兵力あり。
上杉は徳川を無視して最上相手に無駄な城攻め。
豊臣家は日和見、黒田如水は九州で西軍に反旗。

さらには東軍には前田100万石もあり。
西軍はもう問題外では・・・

64:人間七七四年
07/06/14 02:56:58 ytsg+hy1
つーか、西軍の中核であるべき三成の軍が既に、関ヶ原時点で資金と兵糧が底を尽いていたわけで。
長期戦になればなるほど西軍はどん詰まりだよ。

65:人間七七四年
07/06/14 05:38:28 4PGAJ+55
鬼の立花宗茂が何とかしてくれたよ

66:人間七七四年
07/06/14 11:56:25 w/ZpIbs+
長曾部は影うすいな~~
なんでだ?

67:人間七七四年
07/06/14 11:58:16 w/ZpIbs+
つ~か薄すぎだろ。
もっと活躍できたはず、盛親殿。

68:人間七七四年
07/06/14 12:03:36 w/ZpIbs+
ろくに戦闘参加もせず土佐22万石没収は酷すぎるよな。

69:人間七七四年
07/06/14 18:54:29 skHppssD
誰と話してるんだ?

70:人間七七四年
07/06/14 20:53:50 Y8swh9+S
>>63
総兵力なら東西にそれほど差はない
西軍にも大津、田辺、大阪に相当数がおり、毛利輝元もそこそこ戦意があり
毛利元康はそれ以上だった。石田対徳川なら確かに不利だが毛利対徳川なら
十分に勝機はあった
まあ関が原に布陣した吉川だけでなく秀元の戦意も実は?で垂井の戦いに
なってりゃ南宮山全体が多分東軍に寝返った可能性も十分ある
そうなった場合は三成らだけが崩壊して毛利本家も安泰だったかも

71:人間七七四年
07/06/14 21:47:36 Lcq8FJai
秀元はそれなりに戦意はあったみたいだね。


72:人間七七四年
07/06/14 22:22:35 w/ZpIbs+
土佐の一領具足なめたらあかんぜよ。

73:人間七七四年
07/06/14 22:25:55 w/ZpIbs+
日和見な毛利などあてにならず・・・
毛利など戦意はあったかもしれんが、やるき無しの烏合の衆。

74:人間七七四年
07/06/14 23:33:27 skHppssD
>>67
長曽我部は後ろに毛利、吉川がいるから動けなかったんよ

75:人間七七四年
07/06/14 23:39:53 Y8swh9+S
>>73
最初から毛利に戦意が無ければ負けが決定している戦。
毛利、特に輝元が総大将にふさわしい力量を発揮してようやく
応仁の乱アゲインが実現する。西軍に永続的に天下を治める力量などない


76:人間七七四年
07/06/15 11:01:56 0YhZs8dL
最初から毛利に戦意がなければ総大将にはならない。
毛利家中総力をあげての出陣、まあ違う方向いてる椰子もいたけど。
戦費だけでも膨大なはずで、当時としては何らかの思惑があったはず。
輝元の能力不足と言えばそれまでだが、結果としてロクニ戦わずに大坂
退去して大減封なんで、やる気なしなんて言われてるだけ。

77:人間七七四年
07/06/15 16:08:58 j4P31xNU
輝元の大阪退去を止める家臣はいなかったのかね?
秀頼を手放すのがどれほど危険か分からないバカばかりだったのか毛利は

78:人間七七四年
07/06/15 16:22:50 wruZJ9vH
今更徳川に反発しても無駄だと思ったんじゃないの?

79:人間七七四年
07/06/15 17:31:21 R1hePXpV
つーか、西軍には無関係、を押し通そうとしていた大阪城の豊臣家側にすれは、一刻も早く毛利に出て行ってもらいたかっただろに。
大阪城に輝元が居座ろうとすればそれこそ豊臣家と毛利家との紛争になりかねん。

80:人間七七四年
07/06/15 17:46:01 j4P31xNU
豊臣の立場としては微妙だろうが…
家康が秀吉の遺命破りを繰り返してたのも見て見ぬフリを通すつもりだったのかな
それだったら豊臣が徳川の主になんて形式上でもなれない事を自ら認める事になるな

輝元にやる気があれば大阪にいる間は秀頼の名前で家康に対抗できると思うんだが

81:人間七七四年
07/06/15 18:01:21 j4P31xNU
形式上→表面上

82:人間七七四年
07/06/15 19:12:16 9JcDfCxb
そもそも豊臣の立場を代表できる人物がいない。
秀頼はもちろん、淀殿もこの頃はまだ専横するに至っていない。
強いてあげるなら片桐且元か?

まあ豊臣家の旗本の中にも徹底抗戦を考える者はいただろうが、
関ヶ原の敗戦によって縮こまらざるを得なかったんだろう。
で、片桐且元は親家康と。


83:人間七七四年
07/06/15 19:57:32 KEm8GOq5
>>82
関が原での惨敗が無ければ毛利ももう少しやる気を見せただろうし
豊臣全体の出方も変わったんじゃないかなと思う
西軍が関が原決戦を挑まざるを得なかったのは小早川の寝返りと毛利の日和見
を理解した上で小早川を取り込まれた時の大谷らの壊滅を恐れ、西軍の
有機的つながりを取り戻すためと言われているが吉継ならば上手に
撤退したのではないだろうか?

84:人間七七四年
07/06/15 23:47:49 YUlh4vbK
>>62
決戦場が関が原になってしまったために毛利家中で主戦論が高まり
東軍への加担は良くて日和見になってしまった。理由は毛利が徳川を討つ
には絶好の位置取りだったから >少し無理がある気がする。
関ヶ原への陣替えは石田・宇喜多等の主導で行われ南宮山勢はシラナカッタ
はず。毛利家中で主戦論ていうが、輝元は大坂、元康・秀包は大津で議論
できるはずもない。秀元と相談したというのも秀元が吉川の独断専行を怒っ
ていたことからありえない。新しい資料でもでましたか?
>>63
短期決戦なら秀忠、利長は戦力外。
長期戦なら秀忠は参戦するが西軍も大津、田辺攻めの軍勢が参加するのでそ
れほど有利でもない。
利長のやる気は伊達程度と見たほうが良いのでは、まともに戦せずに加賀へ
帰ろうとして丹羽に仕かけられただけだし、利政は領国へ帰って動かず。
仮に利長が近江に進攻しても西軍諸城の攻略に手間取る。11月になって雪が
降ればこれ幸いと帰国するのは間違いない。
また関東の予備兵力は佐竹、相馬等の向背が明らかでない以上動かせない。
また豊臣恩顧の大名の多くは西軍占領地に領国があり長期戦に耐えられない。
如水は誇大に評価されすぎ、大友の残党に激戦で勝利した以外は留守城を取
るのが関の山、小西や立花の留守城は堅固だし主力を温存し義久が健在の島
津に勝つなど無理。
>>82
概ね同意、豊臣家の態度が毛利の大坂退去の一因と思うよ。
>>83
毛利の日和見は見抜いてないんじゃないかな。
小早川の取り込みと南宮山の取り込みが主眼かなとも思う。
長文、駄文スマ疎。

85:人間七七四年
07/06/16 20:57:21 6BXqDFlr
この戦いで石田三成という人は決して事実上の総大将でも無ければ
参謀ですらない。事実上は豊臣政権下での徳川対毛利の覇権争奪戦である
ちょうど応仁の乱が足利政権下での細川対山名の覇権争奪戦であったように
家康も多分天下を完全に手中に収めようとしたのは関が原のあまりの圧勝が
あってからではないか?それまでの上杉討伐などの行動からは
豊臣政権下で執権のような立場になって覇権を争奪することが目的だったような
きがす

86:人間七七四年
07/06/16 22:56:14 9380PF00
そういう見方もあるよ、反家康の諸大名を下して徳川家の安泰を図る狙い。
家康自身が高齢なこともあるし。

87:人間七七四年
07/06/17 01:16:47 gyJ8LbKN
鍋島が長島城を抜いて清洲を攻めてたら西軍大勝利だったらしいね
西軍が負けたのは鍋島のせい

88:人間七七四年
07/06/17 01:46:54 SQT7jDWr
鍋島が長島城を抜いて清洲を攻める姿勢を見せればそれに対応して東軍の戦略も変わるだろ。
ゲームじゃあるまいし。

89:人間七七四年
07/06/17 10:44:33 s/5UHqBl
大谷吉継は小早川の動きが微妙だってことを察知し、内応されてもいいように陣形を組んでたと聞いた。
てことは、脇坂隊や朽木隊が呼応しなければ勝算あったわけ?

90:人間七七四年
07/06/17 11:06:32 2/FJ9Kp9
>>89
東軍としては最悪、あのまま膠着状態で戦闘が終了しても関ヶ原以東は東軍の支配下になるのだから
それで戦略的戦果は十分。

91:人間七七四年
07/06/17 11:19:04 Ms0im32y
伊勢早々に潰して(精々千位の兵が立てこもった4,5の小城)、
美濃を守れたら(岐阜城立てこもれば普通に守れるな)、

東軍は側面に手当てをしながら戦わないといけないわけで、
前線を尾張・美濃国境まで下げないといけなくなる事態になる。

秀忠の軍と家康の軍を寸断できるし、そのうち上杉に後方から襲い
かかられる可能性がある。

西軍全体で東海・関東に東軍主力を封じ込めて、包囲殲滅
をする戦略。

まあ、それが破綻したのは西軍のやる気の無さもあるけど、
東軍の豊家客将の腰の軽さなんだけどね。
家康の武将操縦術もなかなかのもんだし。

92:人間七七四年
07/06/17 21:03:52 fYphVWZy
>>89
勝算は十分あったと思う。脇坂朽木等が裏切ったせいで崩壊したからね。ただ、結果的には西軍の負けは変わらないかと

93:人間七七四年
07/06/18 02:12:02 IIwCG5+p
>>91
結果としてだがそもそも上杉が逆の方向に向かって攻め込んでいる訳だから
その作戦は機能しないのではないだろうか。
ただ西軍は時間を引き延ばして状況が好転する事を期待する事は可能だが。

美濃(岐阜・大垣)と伊勢(長島or桑名周辺)に主力を分散させてしまう事にもなる。
戦意の薄い連中が多い西軍としては厳しくなる可能性もある。

94:人間七七四年
07/06/18 15:58:13 qAjWI6Ej
関ヶ原の石田光成でプレーしてて合戦中に切腹を選んだら
止めてくれる人がいなくてゲームオーバーになったぜ

95:人間七七四年
07/06/20 20:22:59 0Gi2TggA
まあ朽木たちの裏切りがなければすぐに負けはしなかっただろうが、最終的に勝てるかというとそうでもない。

そんな感じですかね?

96:人間七七四年
07/06/20 20:48:33 buZYdJmo
そんな感じですね

97:人間七七四年
07/06/23 10:31:21 XI3ulFIj
仮に小早川を押さえ切れても他の戦線もあるからね。

98:人間七七四年
07/06/24 00:41:50 k+IPQF2D
確かにそうだね。
吉川その他の南宮山の諸隊はあてにできんだろうから、
余力の無い西軍は勝ち目無いよね。
小西辺りから崩れ始めるのかな?

99:人間七七四年
07/06/24 07:56:28 slndJlYm
>>98
「他の戦線」というのを南宮山と理解してしまう、お前のアホさ加減に萌える。

100:人間七七四年
07/06/24 08:53:40 m5xF+Vk4
『歴史読本』2007年8月号で、平野明夫氏が徳川家康の合戦について
述べていて、特に関ヶ原合戦について今までどのような書籍や論文が出ている
のか分かりやすく説明している。



101:人間七七四年
07/06/24 09:04:43 PTHnVDvW
やはり、こうなったか。
田舎は死ねということだな。
郵便局のネットワークは維持されると、言っていた奴いましたよね。
誰でしたっけw
コンビにとか銀行とか、代替があるところなら、ともかく、郵便局だけのところはどうするんだ。
小泉自民党に投票した奴、責任とれよ。
引越ししようとしても、田舎の土地なんて、売れないんだよ。

102:人間七七四年
07/06/24 10:32:42 4O/U1Gh+
誤爆乙

103:人間七七四年
07/06/26 16:25:32 1e+eacUp
俺は吉川広家が西軍敗走に追い込んだ張本人だと思う。
実際広家が南宮山の毛利秀元とその他の武将の進軍を阻んだのは事実。
秀元はやる気あったみたいだし、安国寺とかやる気満々じゃねーか!
もし南宮山の武将全員が家康の本陣めがけて突撃したら、東軍にかなり
のプレッシャーを与えれたはず!小早川もその他の裏切った武将も家康の首
を取ろうと動いたかもしれない!小早川より吉川の方がタチ悪い気がする。


104:人間七七四年
07/06/27 22:24:49 acTLLvO8
>>99
98のレスを読んで
「他の戦線」というのを南宮山と理解してしまう、
と理解するお前のアホさ加減に萌える。
国語の成績悪かっただろ?





105:人間七七四年
07/06/27 23:46:49 rmowutBf
>>103
家康の本陣なぞいいから後方の浅野、池田を攻撃すればいいよ、
袋のねずみになる恐怖から東軍は瓦解するはず。

106:人間七七四年
07/06/27 23:52:08 fYWg89zk
吉川の動きは読めてたのだろうか…

小早川は怪しいと思われてたそうだが

107:人間七七四年
07/06/28 00:43:21 Ro72wF/5
吉川は本気で毛利家の所領を安堵してもらえると思ってたのかな?
もし、思ってたとするとあほだな。

108:人間七七四年
07/06/28 01:39:56 Tdwr6tM3
関係ないが毛利氏の前の中国地方の大勢力大内氏も、室町初期は周防、長登、石見、豊前、和泉、紀伊の大領を
支配していたが、足利義満に攻められて、関ヶ原後の毛利とそっくり同じく防長二州に削られたりしてる。

109:人間七七四年
07/06/28 07:31:33 iy/YJHMR
毛利は、石田挙兵後一週間程度で大阪に兵入れているぞ。
つまり、挙兵前に動いていた。

加増されたのは戦前から家康と連絡取っていたか、
働きがあったとかの大名。

石田挙兵後に連絡して、その間もそれなりに西軍として
戦った毛利が、動かなかっただけで助かると思ったとしら、
よほどのアホとしか思えない。

110:人間七七四年
07/06/28 09:24:20 xcMcvf6m
広家はアホで桶。
毛利の積極関与は最近では主流になりつつあるんじゃないの、




111:人間七七四年
07/06/28 20:35:15 8d9YXLrO
よしこれだ!これで勝つしかない!

「吉川広家の暗殺」
こうすれば毛利も積極的に西軍に参加するしかあるまい。

112:人間七七四年
07/06/29 22:11:52 AJxZ8DFX
毛利は積極的に西軍に参加してたと思うが。

113:人間七七四年
07/06/30 13:25:55 r7ZqXFyb
>>112
広家が秀元を押さえつけたのではなくて?

114:人間七七四年
07/06/30 20:59:19 pn2KHkeq
西軍総帥を受諾するくらいだから積極的って言うより他無いでしょ。

115:人間七七四年
07/06/30 22:05:45 mDE2l7RG
というか、広家が広家という人がいるが、
毛利の軍事責任者のようなものだぞ?

動員した兵力から広家が認知していないはずが無い。
結局、途中で日和見したタイプだと思うけど。

つーか、動員全く感知していないならマジ、無能。


116:人間七七四年
07/07/01 00:52:12 ca3x1Tne
日本語でおk

117:人間七七四年
07/07/01 23:18:20 37NvtFmv
>>113
吉川も秀元も東軍に寝返ってるよ

118:人間七七四年
07/07/02 00:33:34 izJ19+HB
秀元くんの所が良く解らん。
一次資料解るなら教えて。

119:人間七七四年
07/07/02 03:14:08 i3GPeXQP
>>115
広家は秀吉の四国・九州討伐にも朝鮮成敗にも参加した歴戦の将だぞ。軍事的な意味で言えば無能な訳が無い。

120:人間七七四年
07/07/02 09:21:53 7t3PAq8g
>>119
少なくとも当初の毛利の軍事行動からは吉川は蚊帳の外だろう。
輝元、元康、ぇ系なんかが中心での挙兵、
輝元が計算違いだったのは吉川が自分の指示を無視して裏工作に走ったこと、
吉川がそこまでするとは思はなかったんだろうな。

121:人間七七四年
07/07/02 11:10:17 pGxPNvwB
>>118
戦国無双2じゃね

122:人間七七四年
07/07/02 22:46:54 oVJqZhiQ
もしもの話なんだけど。伊達が裏切り、上杉、佐竹と合力して家康の背後をついたら東軍は負けてたのかな?

123:人間七七四年
07/07/03 04:53:42 mEp5IC/C
>>122
何の義理で伊達が裏切らなきゃならないんだって話だけどな。

124:人間七七四年
07/07/03 10:04:22 jPVpEdJx
裏切りに義理なんか関係ないだろ。
家康が不利とみれば簡単に裏切るよ。

125:人間七七四年
07/07/04 01:54:32 bjZI2/V5
だから家康が天下を取ろうが失敗しようが、上杉を追い出して会津の奪還を目的としていた政宗は、家康と同盟していたほうが有利だっつーの。
仮に家康が失敗して戦国騒乱が復活しても、それこそ政宗の望むところだっただろうし。

126:人間七七四年
07/07/04 13:16:22 /lwJfbk3
上杉を追い出して会津の奪還を目的としていた政宗>ソースは

127:人間七七四年
07/07/04 18:58:31 seud+B+w
中央ばかりでなく伊勢や四国での地方選を検証してみては

128:人間七七四年
07/07/04 20:31:01 asB54VYn
仙台城は、上杉領を仕置きする前提で移されたものだ。
政宗は最低でも伊達・信夫地方をかっさらう予定でいたが、
後に家康が難色を示した。冷静に考えれば、伊達に百万石
を与えるのは、徳川家にとっていいことは一つもないと、
家康は気がついた。

129:人間七七四年
07/07/07 00:28:24 hfWZ9rGp
豊臣家が腹を決めて光成を全面支援してりゃ西軍の圧勝だったのにな。
日和見をして結局滅んだな。

130:人間七七四年
07/07/07 01:08:07 rkIYPmvq
三成の所領もなぁ・・・

もっとたくさんもらっとけば・・・

131:人間七七四年
07/07/07 01:22:26 ikXHk8au
本人も、関ヶ原決戦間近になって加増の辞退を後悔したって逸話もあるしな

132:人間七七四年
07/07/07 03:09:25 /quwE60v
豊臣家は直属軍である所謂「旗本」が、秀次成敗の時に実質的に崩壊している。
旗本の指揮官クラスが秀次に連座させられたからね。だから大名同士の権力闘争がおこっても
どっちかに見方なんて出来る状況じゃ無い。

133:人間七七四年
07/07/07 10:04:42 WzOHgr1Z
>>130
でも左遷になるしな
都に近いということは重要だし
遠くにいたら合戦なんてできなかっただろうな

134:人間七七四年
07/07/07 17:11:15 E9v3KRln
諸侯の恨みを買わないために、領地を多く望まなかったから仕方ない。
本多正信みたいなものさ

135:人間七七四年
07/07/07 21:58:39 fWuFS/Ut
この戦いは事実上の総大将も石田じゃなくて毛利輝元だったと考えればいいんじゃないん
まあ戦国時代だから一族の敵方への寝返りもよくあることだから
吉川もほんとに毛利大事で不戦かは疑問のところがある

136:人間七七四年
07/07/07 22:17:17 XTFx3aYb
広家は、安国寺憎しだからな
奴の邪魔をすればいいという考えだろ
輝元が総大将をうけたのも
どこまで本気なのかわからんと思うぞ
安国寺にうまくそそのかされた気がする

137:人間七七四年
07/07/07 22:30:48 fWuFS/Ut
長期戦に持ち込めば西軍にも結城秀康に働きかけて徳川本家の内部崩壊を
誘発する手がある

138:人間七七四年
07/07/07 22:35:28 OEFcP3EE
長期戦になったら西軍なんて真っ先に崩壊してしまうが?

139:人間七七四年
07/07/07 22:40:15 /quwE60v
西軍は慢性的に兵糧と資金が不足していたし、三成にいたってはもうスッカラカンだったしな。
むしろ決戦が関ヶ原になったおかげで、どうにか戦闘らしい戦闘が出来たと言っても良い。

西軍が関ヶ原の一戦だけで崩壊したのも、それ以上戦線を維持できるだけの資金のなかった事が大きい。

140:人間七七四年
07/07/08 00:14:20 kPOQCzpO
>>136
俗説ではそうだが、当初の輝元の迅速な手配りを見るとむしろ輝元の野心が見える。
>>139
西軍全般が苦しかったというのは初耳、kwsk。

141:人間七七四年
07/07/08 00:53:24 wrO/vsIJ
西軍には毛利にはまだまだ全然余力があったはず
まあ決戦場で毛利の奮戦全てを無効にした吉川こそ小早川以上の
真の寝返りものである

142:人間七七四年
07/07/08 00:53:48 HkG5WRsK
秀忠軍も兵糧が無くて、進軍遅れたけどな。

東軍は正則が太閤が与えた兵糧(・・・)と
鍋島の兵糧があったな。

143:人間七七四年
07/07/08 01:03:14 OZiAnjTm
鍋島って寝返ったんですか?
その割には関ヶ原本戦に参加してないようですが
どうしてたんですか?

144:人間七七四年
07/07/08 09:13:39 HkG5WRsK
>>143
鍋島息子は伊勢で城落として戦って、
鍋島父は兵糧を事前に東海道とかに
用意しておいた。

さすが葉隠れ。

145:人間七七四年
07/07/08 14:50:54 ZDQUpi6y
>>141
吉川広家の読みはハッキリ言って甘過ぎたな。
300年間肩身の狭い思いをしたのも納得な気が

大坂を押さえているし、毛利の本隊は殆ど無傷。
さらに小野木公郷ら田辺城攻撃の部隊や、立花宗茂ら
大津城攻撃隊もいたわけだし、正直かなり余力はあるはず。
秀頼を擁立できているのも大きいはずだが。

146:人間七七四年
07/07/08 15:41:55 wrO/vsIJ
実際関が原で吉川の裏切りが勝敗を決めた真の理由だ
毛利秀元に対し通るなら我々と戦って通れと言ったのと同じことだ
南宮山全体が浅野、池田らに襲い掛かっていたら当然松尾山も西軍だ
そうなれば東軍は崩壊して寝返りが続出していたはず
関が原で西軍の大敗が毛利輝元のやる気を奪ってしまった

147:人間七七四年
07/07/08 17:19:26 iV3bG7GJ
多くの大名が親子兄弟で分かれて二股賭けするのを見れば
お家大事主義の輝元が自分も二股賭けしたくなるのは当然だろう
しかし三成にばれたら大変なので信頼できる広家に秘密裏に内通を命令した
広家は輝元の命令に従っただけだが最終的に保身に失敗した輝元は広家に罪を着せた
ところが現代になっても広家の暴走と信じられているのは問題だろう
広家にそんな重大なことを独断でできるわけがないのに

148:人間七七四年
07/07/08 17:28:32 wrO/vsIJ
>>147
総大将自らが内通という形式だけでも家康に降伏していたのが事実なら
東軍の勝利はほぼ最初から決まっていたことになる
しかし、そういった証拠は現在のところ無いのではないか。だとすれば
西軍にも十分勝機があり江戸幕府が出来たのは偶然に過ぎないことになる

149:人間七七四年
07/07/08 19:03:09 Juvjj8+1
まあ、仮に毛利勢が東軍に襲い掛かってたとしたら
どのあたりの東軍の将が討ち取られただろ?

そのへんでも微妙に戦後処理が変わりそう


150:人間七七四年
07/07/08 19:31:09 I8PQsaKk
>>140
だから、安国寺にうまくいいくるめられたんだよ
毛利は元就の国人出の自分達が天下をねらってはろくなことにならない
というのを守ってたはず
元春と隆景が存命のときはね
輝元もそれをわかってたはずなのに安国寺の説得で色気が生まれたんだろと思う





151:人間七七四年
07/07/08 21:55:28 kPOQCzpO
>>150
安国寺にうまくいいくるめられたんだよ >この根拠が広家が榊原に宛てた手紙でしょ。
だとしたら何の根拠にもならないのよね。
逆に輝元が元康にあてた手紙で、安国寺が七将事件で失脚した三成と接触したことを連絡している。
つまり安国寺は輝元の意向で動いていた可能性が高い。
関ヶ原の敗戦で斬首になった安国寺は毛利一族でないから責任を被せられて処刑された可能性があると思う。
ここからは感想だが輝元の肖像画だが秀秋や秀頼のようなボンボンじゃないよね、野心に溢れた顔に見える、
二人の叔父に抑えられて育った輝元が始めて自分の意思で行動したんじゃないかな。




152:人間七七四年
07/07/08 22:00:46 Hx1kp2HN
>>148
んな事言ったら、本能寺が起きちゃったから、と言う、偶然以外の何者でもない理由で成立した豊臣政権は何なんだと。

153:人間七七四年
07/07/08 22:10:05 wPSGanAh
>>148
>西軍にも十分勝機があり

自分の血を流してでも家康を排除したいと考える連中はせいぜい石田一派の中核連中くらいしかない
それに比べて自分の血を流してでも三成を排除したい連中はごまんといる
この時点で勝負ありなんだよ西軍の日和見・不戦続出も必然の結果だ
極論を言えば家康の勝負は三成というババをどうやって敵側に置き続けるかというババ抜き勝負なのだから

154:人間七七四年
07/07/08 22:25:27 wrO/vsIJ
>>153
だから三成は中核連中じゃないんだって。総大将が輝元で天下の覇権を
執権のような立場で握る気があり、西軍の飾り物でなく事実上の総大将
でもあったという前提のもとでだよ。

155:人間七七四年
07/07/08 23:55:58 OJFzKWoB
輝元が関与してたかはたびたび言われてるけど
実際どうなんだろうな。
証拠は何もないけど
本当に知らなかったらそれはそれで
当主としてどうよって感じだしな。

156:人間七七四年
07/07/08 23:59:34 Hx1kp2HN
>>155
最初は「あわよくば」って感じだったんだろ。それがだんだん西軍の実態がわかってきて
「これはいかん」って方向転換。毛利家存続の為広家の徳川ルートとの交渉も探らせ、
どっちに転んでも毛利家は無事、って戦略に変わったんでしょ。

157:人間七七四年
07/07/09 00:06:14 25bvgWwm
でもそれだと吉川が黙ってないんじゃないか?
命令されたから実行したのに冷遇されたのであれば。

158:人間七七四年
07/07/09 00:23:36 wkFueev2
>>157
冷遇はされてないでしょ。防長二州に縮小されたにもかかわらず
別して岩国藩をたててる。これは論功行賞と言ってもいいでしょ。
冷遇と言うのは毛利家家臣団内部世論の結果そう言う態度だっただろうけど、毛利家としては
岩国藩の内政に介入はしていないんだから、少なくとも上層部の意思としては、表立っていえなくてもそれだけの
「評価」されていたと考えていいんじゃ無いかな?

159:人間七七四年
07/07/09 00:27:03 EeCFjddf
>>156
西軍の実態も何も毛利が仕組んだことだろが、
感想文もいいけど自説を主張するなら少しはソースださにゃ、

160:人間七七四年
07/07/09 00:30:27 fY+VgcRH
輝元が広家について知らなかったとしても前線と本陣に距離があるので
ある程度は仕方ないことだ。輝元としては田辺、大津も含め長期戦で
思案していたところ関が原の思わぬ惨敗があったってことじゃねーの

161:人間七七四年
07/07/09 01:15:27 2RW1TpDX
>>158
をいをい、吉川は毛利本家に領国わたそうとしたわけだが。
それに、幕府の介入で領国渡す事ならずとのことで、
恩賞は、吉川に対してのみという解釈じゃねーか?

そもそも、毛利は関係ありませんよという前提の
内通なんて吉川馬鹿じゃないか?

162:人間七七四年
07/07/09 06:49:18 mXlWeMw+
吉川家は三代続けて手がつけられないキャラが続いていたのだし、
広家に至っては毛利本家の統制など全くといっていい程、効いて
いなかったと考えるべきでは?

163:人間七七四年
07/07/09 23:23:23 EEsQaJTd
>>162
統制がとれてなかったのは、小早川の方
隆景が内政、外交を担当していたので
いがいと独断行動が多い
跡継ぎはただのバカ

吉川は、猛将タイプだが本家のことは以外に考えたりしてる



164:人間七七四年
07/07/09 23:53:04 EeCFjddf
以外に考えすぎて独断専行したってことか
それで狸親父に騙されただけじゃ単なるアホだな。

165:人間七七四年
07/07/10 01:23:25 q+XvOvOu
>>163
吉川のエピソードを調べてみなよ。

166:人間七七四年
07/07/10 07:27:32 d8gLXrri
小早川は関が原時点では名目的東軍と考えた方がいい
戦況が普通なら東軍で西軍有利なら西軍。本物の寝返りは吉川
毛利は吉川と福原以外は西軍で戦い続ける気が満々であったことが
現在では定説になりつつある

167:人間七七四年
07/07/10 09:44:52 SxYAWeFb
166>>だな、毛利が西軍の首謀者なのは資料からも明らか、当時の宣教師なぞもそう書いてる。
解らないのは小早川、
裏切りの風説はやはりあったようなのだが、松野の逸話などからすると
一部の重臣しかしらなかったように思える。

168:人間七七四年
07/07/10 19:04:59 e+C1Ycgf
本当にやる気があるなら城を枕に討ち死にする覚悟で戦えばいいだけだし
それくらいの覚悟がなければどのみち勝利することなどできない
所詮は口先だけの薄っぺらい覚悟しかない輝元の負けは確実なんだよ

169:人間七七四年
07/07/10 20:08:02 N0mfEgdW
そもそも、あの陣形に囲まれて、家康どんな心境だったんかね?内通してても
勝てる気したのか?

170:人間七七四年
07/07/10 20:25:39 l85CXxb4
内通してたからあの陣形とはいえ内心気が気じゃなかったのでは。
家康にとってもあの陣形はけっこう博打みたいなところが
あったんじゃないかなーと思う。
内通してるフリだったら終わりだもんね。

171:人間七七四年
07/07/10 20:33:41 rvTqks1s
>>170
短期決戦で終えれるチャンスだったからね
流動的な状況下で家康自身が来るというサプライズで主導権を得て、それを握ってる限りは、
傍観を決め込んでる連中は少なくとも敵にはならないと踏んでたんでしょう

172:人間七七四年
07/07/10 20:43:38 N0mfEgdW
逆に三成の心境は、どーでしょう?陣形は最強だし、してやったり?多少なりでも
あやしいと思ったかな

173:人間七七四年
07/07/10 22:51:12 ntJxNjJQ
関が原の総大将は宇喜多だよね?
兵力から官位からすべてにおいて西軍最高だろ

174:人間七七四年
07/07/10 23:05:46 zbrFtE/I
輝元ですが

175:人間七七四年
07/07/10 23:29:18 d8gLXrri
輝元も潜在的には優れた武将になる資質はあったと思う。月山冨田城攻防戦
での少年期の武勇は知られているし、朝鮮出兵でもよく戦っていると思う
唯、家康と比べると叔父二人が働きすぎて成熟する前に関が原を迎えてしまった
ということではないだろうか

176:人間七七四年
07/07/11 00:04:34 rS0p6uMK
島津、立花、宇喜多が、それぞれ一万五千率いてれば、西軍圧勝だな。

177:人間七七四年
07/07/11 00:56:55 dYV/FaYW
>>171>>172
家康はかなり焦ってたんじゃないの色々なエピソードからもそんな気がする。
三成は当初は「馬鹿が罠にかかったわ、これなら小早川も西軍に付く」て感じかな。
>>175
輝元は対家康は一族の主要メンバーと重臣連中に任せて自身は四国、九州を狙って
行動してたと思うよ。
>>176
立花は4千連れてきただけでも立派でしょ。

178:人間七七四年
07/07/11 07:10:47 YpFcuGmI
通説では大垣城の奴等は南宮山の戦意を疑っていたという話はあんまりないな
やっぱ南宮山ははっきりした西軍で大垣城とも頻繁に連絡は取り合っていた
と見たほうがいいのかな。その中で広家だけが単独停戦の秘密交渉をしていたと





179:人間七七四年
07/07/11 07:45:38 CUWubPo1
>>177
どうでしょう?
家康は元来の性格はかなりの激情家ですし

180:人間七七四年
07/07/11 09:18:39 efPpGWIa
>>178
南宮山にいた長宗我部、安国寺、長束、勝永等は白だな、グレーが秀元
確か三成は長束の陣に寄ってなかったっけ。

181:人間七七四年
07/07/11 20:12:42 YpFcuGmI
仮に長束、安国寺、長宗我部らが浅野、池田に突撃していたらどうなったかな
毛利秀元が吉川と戦ってでも山を下りれるかが焦点になるが、吉川も
一族とさすがに戦うわけにはいかないから西軍に加わらざるをえなかったかもな

182:人間七七四年
07/07/11 20:43:14 PzF/gThP
関が原の西軍に最盛期の山名一族がいて山名宗全(持豊)や宗詮(祐豊)が
大将だったら?
徳川勢は島津や大阪の陣の真田のように直線的に攻められるともろい面がある
山名勢は赤松討伐戦でみせたとおり、攻めだしたら直線的な猛攻が得意。
関が原では島津のわずか1000名ほどの軍勢に崩されそうになった徳川軍だが、
六分の一殿の山名であれば少なくとも1万5千、多ければ4~6万ほどの軍勢が
家康の本陣に猛攻をかける。そうすればワンサイドで終わったかもしれない。
えっ、その前に家康は謀略を使うだろうって?・・・大丈夫!田舎者の山名勢には
謀略は通じない。
最盛期の山名勢は野戦では徳川勢に負けないと思う。

183:人間七七四年
07/07/11 23:00:44 dYV/FaYW
>>181
吉川は直前に東軍に対して南宮山の西軍を攻撃しないように要請している。
攻撃されれば保証はできないとの内容。
吉川は参戦を押し留めることは出来ると踏んだものの、南宮山諸軍は西軍である
ことに変わりはないから反撃が全面衝突になるとの警告で、つまりそうなれば自分
の内応も反故になるとの意味があると読める。

184:人間七七四年
07/07/11 23:02:15 9obG5ibF
時々、大学入試で「下記に示した大名を、西軍に与したものと東軍に与したものに分けなさい」みたいな問題が出る

185:人間七七四年
07/07/11 23:09:59 YpFcuGmI
つまり長束、安国寺、長曽我部らが勇気があれば戦況は変わっていた可能性
があるということだ。誰か一人でも討ち死に覚悟で突撃する覚悟がありゃあなあ
目の前で戦闘が起こっているのに弁当の言い訳をしている暇も秀元に
なくなったろうに

186:人間七七四年
07/07/11 23:18:34 9obG5ibF
島津って本気出したらどれくらい動員できたの?
義久は援軍を出さなかったらしいけど、本領安堵とはいえ消化不良で悔い残っただろ

187:人間七七四年
07/07/11 23:39:33 0ou7ymZ6
関ヶ原後に宗茂に1万の援軍を送ってるな

188:人間七七四年
07/07/12 00:44:51 DiUjhrF2
>>186
島津史上最大本国軍は20000かな、大友43000を文字通り潰滅させてる
たいてい、寡兵で勝ってるな

189:人間七七四年
07/07/12 02:08:52 IZOURdu8
>>182山名厨乙WW

190:人間七七四年
07/07/12 08:25:09 9IZ/RBXP
島津が兵をほとんど動員できないほど朝鮮でボロボロにさせたのは秀吉だがな

191:人間七七四年
07/07/12 08:32:32 qf6OxRwr
島津って伸びた追撃と本体の間を通ったら
追いかけられて壊滅しただけだろw

192:人間七七四年
07/07/12 09:22:06 GmHhXVLa
>>191
寡兵を追いかけて大将には逃げられ、
井伊は戦傷死、本多は落馬、忠吉も戦傷で恥をさらしたのは徳川。
あげくに薩摩に立て篭もりで免責。

193:人間七七四年
07/07/12 09:39:09 qf6OxRwr
>>192
>徳川勢は島津や大阪の陣の真田のように直線的に攻められるともろい面がある
ここからの流れな
そもそも逃げる奴・逃がされる奴って
戦場ではそう簡単には死なないと思うがw

194:人間七七四年
07/07/12 15:43:26 GmHhXVLa
>>178
南宮山勢は伊勢方面の東軍諸城を攻略して来ているから、伏見攻めの後ウロウロ
していた小早川と違って信頼されてたと思うよ。
実際、吉川が最終的に裏切りを決めたのも関ヶ原に来てからなはずだし。

195:人間七七四年
07/07/12 16:45:02 RcpWp+uH
まぁ島津義弘が一万五千人位率いてたら最初から東軍に参戦してるだろうな。
伊集院の件で石田三成とは良い関係になかったしそんな島津が大軍を率いていたら
徳川とて即座に根回しに動くだろう。寡兵のせいで放置されたんだろう。

196:仙台藩百姓
07/07/12 17:13:07 1PfXpd/+
つまり島津は数がいなけりゃ役立たずと言うわけかお( ^ω^)

197:人間七七四年
07/07/12 20:47:30 9tm0YX0f
>>196
別に何もおかしい事ではないと思うが?声高に言うことでもないな。


198:人間七七四年
07/07/12 21:11:29 JiUXWjnF
少なくとも関ヶ原合戦は両軍とも望みうる最高の状態ではなかった。
それが現実といえば当然だが、その中で最善の行動を取り勝利した家康は
大したものなのである。

199:人間七七四年
07/07/12 21:19:14 GHaSvsCp
島津が九州取ってたら関ヶ原は楽勝
立花紹運を攻めたとき島津軍5万いたらしいしな

200:人間七七四年
07/07/12 21:20:26 GHaSvsCp
高橋紹運だった

201:人間七七四年
07/07/12 22:29:40 NSF6V1YW
>>199
ただ寄せ集めで、まぁ武将の問題もあったが、そんなに強くなかったな。
1万ぐらいの薩摩兵がよかったんじゃね。例の朝鮮の役に行ってた奴らとか。
まぁ直前の伊集院の反乱が痛かったな。

202:人間七七四年
07/07/12 23:03:53 0xD3Qg0u
>>198
最善の行動とも思えないが決断力とカンの鋭さの勝利かな。

203:人間七七四年
07/07/12 23:40:28 ISC13xqK
>>201
急造国家で忠誠心低いワナ

204:人間七七四年
07/07/14 21:01:50 8/nw13XZ
島津って毛利、長宗我部、宇喜多と合わせて西国のビッグ4とか言われてたけど
関ヶ原での動員兵力考えたら島津なんか全く大した事の無い勢力だ罠。

205:人間七七四年
07/07/14 21:12:30 1R0QoUL5
>>204
ぷwその時の背景も知らない無知ぶりを披露してくれてありがとうw

206:人間七七四年
07/07/14 21:17:59 8/nw13XZ
よくビッグ4が付いた西軍が最初は有利だったっていうじゃん?
でも、事情は分かってるが、実際島津が付いたから特別有利になるわけではないよな?


207:人間七七四年
07/07/14 23:28:06 3MKbqNv5
西国のビッグ4って、何よ?

石高みても、官位みても、ビッグ4ではないけど。


208:人間七七四年
07/07/15 00:51:05 LJWbclJt
毛利 120万5000石
宇喜多 57万4000石
島津 56万石
長宗我部 22万2000石

これが>>204のいうビッグ4

石高だけなら…
毛利 120万5000石
宇喜多 57万4000石
島津 56万石
小早川 35万7000石
鍋島 31万石
加藤 25万石
長宗我部 22万2000石

小早川や鍋島の方が上小早川に至っては中納言でもある。

ま毛利は120万石の他にも、毛利秀包13万石、安国寺AK6万石や村上水軍まで居る訳だ

209:人間七七四年
07/07/15 09:18:19 1xUMtiD7
鼻息荒く書き込んだのに、今や顔を真っ赤にしている>>204>>206がいるスレはここですか?

210:人間七七四年
07/07/15 14:14:07 zULs8lGT
こういうこと聞くのもあれなんだが、石高がよくわからないんだけど誰か教えて

211:人間七七四年
07/07/15 17:51:01 sArD5sEB

      , イ)ィ -─ ─- 、ミヽ
      ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii /  Λ
    ,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
   ノ/,/ミ三ニヲ´        ゙、ノi!
  {V /ミ三二,イ ,  /,   ,\  Yソ
  レ'/三二彡イ  .:ィこラ   ;:こラ  j{
  V;;;::. ;ヲヾ!V    ー '′ i ー ' ソ
   Vニミ( 入 、      r  j  ,′  <仲良くなってくれ
   ヾミ、`ゝ  ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
     ヽ ヽ     -''ニニ‐  /
        |  `、     ⌒  ,/
       |    >┻━┻'r‐'´
      ヽ_         |
         ヽ _ _ 」    

  ググレカス [ Gugurecus ]  ( 没年不明 )
古代ローマの思想家。

帝政ローマの時代に現在のアルバニアあたりで生まれたといわれている。父は役人で、家の巨大な書斎には
あらゆる本が並べられていた。このため物心ついた頃から興味を持ったものは何でも検索する習慣がつき、
13歳頃からはほぼ一日中図書館で過ごすようになった。それ以来さまざまな発見をしては、それを地元の
図書館で検索するという日々を続けていた。

だが20代になると、故郷の図書館の蔵書はすべて制覇したのか、図書館通いに飽きてしまいローマに
移住する。ローマでも毎日多くの事柄を発見しては図書館で検索しており、その探究心と教養を買われて
役人として出世する。何でも知っていたググレカスは人々の注目を集めたが、やがて図書館で少し調べれば
わかるような事柄を質問されると即座に「ググれカス」という返答をすることが習慣となってしまった。
このため人々の反感を買い、ググレカスはローマで孤独に一生を終えた。

当時の人々からは憎まれたが、人が多様な物事に興味関心を持つことの自然さや、それらの物事について
検索する楽しみを見出した思想家として知られている。 なお、その祖父、モックーログ(mokuron 生没年未詳)
は、脳の構造に目録がにていることを発見し、それが意志を持つのではないかと警戒した。

212:人間七七四年
07/07/17 15:19:18 jUqJJr9/
でもさ、実際は義弘は戦う意思あったけど兵力少ないから、二番備えで合戦中も
三成と何度か評議してたけど、そのうち小早川が裏切って二番備えの出番が無い位
一番備えがばらばらと崩れて要ったから仕方なく離脱したってどっかで呼んだような。
もともと関ヶ原直前にも夜襲を提案したりしてるし。

詳しくは無いんだけど、当時の合戦って二番手とかはトドメ用の部隊で
先手の崩れたほうの負けなんじゃないの。大谷の方だって二番備えの脇坂、小川とか
は裏切るまでは戦闘に参加してないし。
他には賤ヶ岳の時も、柴田の本隊は戦ってなくて先手の佐久間が崩れたら、崩壊してるし。

213:人間七七四年
07/07/17 17:53:04 FixgPAnh
蒲生を暗殺して、上杉と伊達が江戸を攻めれば徳川家は終わってた

214:山形義光
07/07/17 18:58:35 g2DU45ZR
最上に勝ちきれない上杉じゃ無理

215:人間七七四年
07/07/17 19:41:44 rbZY7WDg
わざと上田でもたもたしてる軍神秀忠が信州大返しで
ぼこぼこにしてやんよ

216:人間七七四年
07/07/17 21:30:24 rIPzIbz1
>>212
島津がもっと積極的に動いて石田に主導権をとらせなければ夜襲が出来たかもな。
そうすれば関が原が数日遅れて毛利の別働隊が間に合ったかもしれない。

217:人間七七四年
07/07/17 21:39:37 hbA3S0gH
>>216
たかだか1500しか兵を連れてない時点で主導権なんて取れる訳無いだろ‥常識的に考えて

218:人間七七四年
07/07/17 21:46:46 28U8UbUO
関ヶ原まで遠いんだよっ!ヽ(`Д´)ノ

219:人間七七四年
07/07/17 22:02:55 rIPzIbz1
>>217
年齢、経験、石高から石田を抑えることは出来たんじゃないか?
西軍全軍で夜襲って事にはならないだろうし、最悪島津だけでも試みる価値はあったと思う。

220:人間七七四年
07/07/17 23:26:40 hbA3S0gH
>>219
逆に兵も碌に連れてないのに口煩型だと年齢だけに老害と思われる件。

221:人間七七四年
07/07/18 00:12:44 E24YamwL
夜襲の話は確かネタじゃなかったっけ、
石田にも援軍だしてたよ確か、
何にしろ兵が少なすぎたんだけど、義久義弘の関係も微妙だった見たい。

222:人間七七四年
07/07/18 00:19:58 99gIXD7o
でも大谷の手持ちの兵力も1500かそこらだろ。それでも首脳らしいことやってるぞ。

それに反して、小西はまったく影が薄いな。なんか引きずられてうやむやで出てきて
気づいたら本戦でボコられただけかよ。
秀吉在命時の頃の存在感はなんだったのやら。



223:人間七七四年
07/07/18 00:32:30 99gIXD7o
そういえば信長の息子が大谷隊のひとりとして戦って討ち死にしてるんだよな。
世が世なら天下人の一門として君臨してただろうに・・・

加えて秀信、信包、それに信雄以下信長の息子全員ことごとく改易されたんだな。
このうち、その後浪人して放浪したり、病死したりしたのもいるし。
織田家にとって関ヶ原は密かに鬼門だったな。
うまく立ち回ったのって有楽斎くらい?

224:人間七七四年
07/07/18 00:45:16 AFCmse09
>>222
大谷と島津って石高10倍違うよな‥動員比率で中枢に入れないでFAじゃね・

225:人間七七四年
07/07/18 00:48:45 TAOk5WC0
小西も宇喜多もほんの少し前まで朝鮮で戦ったベテランだし
島津も毛利も小早川もそうじゃね。

あの面子で石田が主導権握れたのが不思議。
あと、しばらく実戦を経験してない家康が恐れられてたのも不思議。

226:人間七七四年
07/07/18 08:27:40 BQCuSylK
>>225
あの頃で、信玄や謙信と同時代に生きたというだけで生ける伝説(しかも今なお現役)
おまけに天下人である秀吉を破った人物となれば

227:人間七七四年
07/07/18 09:39:24 /hF/yKmA
>>226
ブランドだよな、
利家なんかもそうだろうけど、彼等の世代は家康なんぞ恐れるに足りないと
思ってたんじゃない。


228:人間七七四年
07/07/18 11:05:25 iR5oabp5
>>227
確かにブランドだね。
信長、秀吉と渡り合ったって言うだけのね。
ただ、真田には何度かコテンパンにやられてるね(w
なので、同世代からは特に恐れられてはいないでしょうね。

229:人間七七四年
07/07/18 12:35:56 U9qg9Rv9
まあ家康自身は上田行ってないけどな
それに2次なんて誰が行っても相手にしたら負けの状況だから
ちょっかいだした奴の落ち度はあっても、真田が凄いわけでもないんだがな

230:人間七七四年
07/07/18 13:02:17 /hF/yKmA
それを言えば秀吉も家康に負けてないけどね。

231:人間七七四年
07/07/18 16:01:39 NNi6zcBD
家康に「戦国最強」みたいなブランドを持たせたのは
間違い無く秀吉でしょ?
小牧・長久手以降~朝鮮出兵辺りの扱い方はまさに「誉め殺し」そのもの。

秀吉は信長の部下だった頃から家康をある程度知っている訳で、
仮に自分の死後彼の天下になるとしても、豊臣家を滅ぼすほど冷血な人物ではない、と読んでたんじゃないかな。

232:人間七七四年
07/07/18 16:58:50 NNi6zcBD
追記
「同世代や戦国生き残りの大名達からはそこまで怖れられてない」って意見には同意。
秀吉が家康に着せたブランドの光が一番まぶしかったのって、
実は秀吉子飼いの連中だったろうね。
三成辺りは外様なのに信頼されてる家康に激しく嫉妬してたりしてw

233:人間七七四年
07/07/18 19:48:20 k7jl5cns
逆も然りで
秀吉に対して天下の関白様よりも信長の下で成り上がった元百姓の姿の方が強く焼き付いている最後の武将こそ家康なんだよね
だから他の奴と違って豊臣を倒すことが天下人の家を倒すことではなく
成り上がりの百姓の家を倒すくらいの感覚しかないため思い切りよく倒せてしまう

234:人間七七四年
07/07/18 21:21:01 ji68aZhO
つーか、秀吉の子飼い以外に、秀吉や豊臣家、豊臣政権というものを「尊い」と思っていた人間なんて当時日本中に誰一人いなかっただろ。

235:人間七七四年
07/07/19 00:52:01 me6o83An
>>232
氏郷なぞは俺が会津にいるから家康は何も出来ないと豪語してたらしい、
氏郷や利家から見れば、家康なぞ屁たれの勝頼にすら勝てない超へたれ。
恒興が相手をなめて失敗したが普通に戦えば負ける訳がないと思ってたんだろうな。
彼等にすれば、
秀吉は百姓上がりとはいえ実力で神→信長に認められて軍団長にまでなった相手、
しかも織田家の内戦を勝ち抜いた実力を示している。
家康は信長の死に乗じて領土を拡大しただけで野戦の名人なんてふざけるな、
幼少の頃から信長に従って転戦してきた自分達の方が実力は上なはず、太閤は厚遇しすぎる。
てな感じかな。
>>234
そりゃ徳川だって一緒だろう、源氏なんて大嘘の乞食坊主だぞ。
織田も大したことないが徳川より数段上。


236:人間七七四年
07/07/19 01:15:02 tMgPm26n
>>235
そんなこと思ってたら福島や加藤は家康に付くわけ無いよね?

237:人間七七四年
07/07/19 01:24:10 uObTOKP7
利家こそ優遇されすぎだな
まさに家康を恐れてのカウンターバランス
家康の相手が利家程度しかいなかった時点で終わってる
人望も反家康が仕方なくなびいた流れだし

238:人間七七四年
07/07/19 01:46:19 gVMaqRgD
>>236
いや違うだろ?
ある程度自分たちの思い通りになると踏んだから
家康と思えるわけだが。

まあ、甘すぎる考えだな

>>237
家康は利家以下の人望だがな。

239:人間七七四年
07/07/19 02:17:31 7PfdZVrl
本来利家のポジションには蒲生あたりが来た気がする。
蒲生とか堀とか、頼りになりそうなのがコロコロ若死にしたせいで
前田がクローズアップされたような感がする

240:人間七七四年
07/07/19 11:03:09 QQbeF5cy
蒲生はどうかなあ、利家ほど秀吉に従順じゃないし付き合いもないからねえ。
でも彼が生きてたら家康の天下取りの大きな障害にはなったね。

241:人間七七四年
07/07/19 21:28:42 UufPV9/d
少し前の話だが、西軍敗北の原因は毛利一族の裏切りが最大だ。

242:人間七七四年
07/07/19 21:47:46 AqPzVlw2
毛利は戦わなきゃならない状況に追いやられた 三成によって
戦わなかったので大減封

243:人間七七四年
07/07/19 22:49:58 l0vPCUYQ
>三成によって 戦わなかったので大減封




244:人間七七四年
07/07/19 22:58:53 j1U1AVsS
でも蒲生はその性格から、関ヶ原みたいな状況でもあっさり家康にはつかない気がする。
蒲生って、秀吉が小姓たちに次の天下人を挙げてみよって逸話で名前が出てきた通り、
少なくともその力は当時かなり評価高かったはず。力がある奴には回りにつく奴らもでてくるわけで、
黒田の親父どころじゃない、家康にとっては迷惑な行為にでたと思う、結果はどうアレ。

245:人間七七四年
07/07/19 23:08:22 j1U1AVsS
> 家康の相手が利家程度しかいなかった時点で終わってる

秀長、堀、蒲生、丹羽、小早川ことごとく他界。器量的には蜂須賀も候補になれたかもしれんがこれも他界。
秀吉が自分に地盤も縁も無い身分から、天下人に一気に駆け上がったツケがでたな。
ま、だからこそ家康が好機と捕らえたんだろうし。

246:人間七七四年
07/07/19 23:10:25 IuNmT9p8
小早川隆景さえ生きていれば・・・・・・・

247:人間七七四年
07/07/19 23:12:41 4GxBPjcC
>>246
そこまで望まないから穂井田元清が生きていれば‥。

248:人間七七四年
07/07/19 23:48:55 zs/JtjSZ
利家程度っておまえ、利家が元気で大阪城にいたころは家康なんか完全に押さえ込まれてたんだぞ


249:人間七七四年
07/07/20 00:07:03 3FuQyGLG
利家の力量は不明だけれど、
秀頼が大坂城へ移った際の逸話などはカッコいいね。
太閤の遺言による秀頼の後見人という看板と親藩代表という二枚看板を持ってたのも強み。
伏見の時は利家もかなり病が進んでいて最終的に手打ちになってしまったのが痛い。
この時戦っていれば勝てた確立が高い、
細川や加藤なんかも二股膏薬だったし秀吉の子飼いや尾張系も割れただろう、
何と言っても利家の下で四大老が協力できていたし、西国で変事が起きれば
徳川の援軍は間に合わない。

250:人間七七四年
07/07/20 00:22:51 Ska7tuRD
まあ変なら勝てるだろうな
石田襲撃を取り成したような家康まで襲撃ってとことんぼろぼろ政権になって短命だろうが
役なら一枚岩の徳川の粘り勝ちだろう
秀吉存命中でも大阪呼ぶのに2年もかかったくらいの相手だし

251:人間七七四年
07/07/20 00:37:49 pe3B66vj
家康が太閤の遺言に反したときに、家康を倒そうとしなかったのがそもそも終わってる

252:人間七七四年
07/07/20 00:42:46 MKLfp9YI
そんときは家康が利家の言うこと聞いて婚約破棄したからな



253:人間七七四年
07/07/20 08:24:11 QPN7V1Vl
前々から気になっていたのですが安国寺や三成はともかく
なんでそれほど戦意も高くなかった小西は斬られたんですか?
めちゃくちゃ戦いまくった宇喜多は遠島なのに。
処分がよくわからない

254:人間七七四年
07/07/20 10:18:30 4d4vxAE+
>>243
大減封されるくらいなら戦うだろうと
予想した

255:人間七七四年
07/07/20 11:02:12 FXo8SNmn
>>253
朝鮮出兵の恨みだろ。
武断派諸将との今後の付き合いを考えると処刑しとくメリット方がはるかに大きい
秀家みたく助命嘆願してくれる大名もいなさそうだしな

朝鮮の件ではこいつと三成の二人だけがやたら憎まれてるイメージ強いね
増田や大谷はそうでも無い感じなのに…日頃の行いか?



256:人間七七四年
07/07/20 14:45:49 OUXmcbrP
>>255
そりゃあ秀吉生前、武断派の連中に冷や飯を食わせ続け、秀吉の周辺から排除した首魁がこの三成と小西だからなあ。
関ヶ原で武断派がこぞって家康についたのを三成のおかげとすれば、九州戦線で黒田や清正が東軍として頑張ったのは
ある意味小西のおかげだなw

257:人間七七四年
07/07/21 11:53:15 vsuR2NHc
>>256
黒田親父は大ハッスルした感があるが、加藤清正は実際は
ちょこちょこ小西が留守のところでやったくらいじゃないか?

258:人間七七四年
07/07/21 17:55:43 INUKsruH
清正って、東軍としての旗幟を明らかにしていなかったのでは?

259:人間七七四年
07/07/21 18:58:03 y9RLWtek
当初は西軍に付こうともしてたんじゃない、
最後の方で小西の留守城を囲んだくらいでやる気なし。
黒田の親父は義勇兵でガッバッテたけど。

260:人間七七四年
07/07/22 00:32:57 HkeGn5Ck
その割には大加増だよな。あの時点での家康って、福島に伊奈の首さしだしたり、
「家康必死だなwww」

261:人間七七四年
07/07/22 01:03:56 fl+tAdPz
>>259
>当初は西軍に付こうともしてたんじゃない
俺もそう思う
島津と清正は隣国だ
清正が東軍の旗幟を鮮明にしたら、島津義久と決戦になるがそうなってない



262:人間七七四年
07/07/22 02:00:01 4uZmJjtd
島津義久は西軍ではないぞ
義弘が勝手に行動して勝手に逃げ帰ってきただけだ

263:人間七七四年
07/07/22 08:58:35 Mj8CfyXW
>>262
宇土城の救援に向かった事実を、どう判断するのか述べよ。

264:人間七七四年
07/07/22 09:34:57 R1lbdTcI
>>260
豊臣恩顧にはあの時点では気を使ってるよな。
本戦で戦った福島や小早川はともかく、前田や加藤なぞろくに戦っていない。
まあ敵にならなかった護法日なんだろうけど。
家康にしても薄氷を踏む思いだったのが良く解る。

265:人間七七四年
07/07/22 21:59:03 DwHo8VF1
手なずけるまではアメ与え放題だな。
大名が完全にサラリーマン化した後は改易の嵐だったけど。

266:人間七七四年
07/07/24 01:21:36 NL5jtcF1
結局、
島津案の大垣城持久戦と石田案の関が原短期戦はどっちが良かったんだろうな・・・
家康に水攻めされるリスクも大きいが
時間を稼いでる間に毛利増援が間に合うのは心強い

伊達と講和段階に入ってた上杉が南下する時間も作れる

267:人間七七四年
07/07/24 01:27:04 p0w9gHDa
>>266
篭城も何も、大垣スルーしそうになったんで、
あわてて関が原に布陣したんじゃね?

持久が出来れば西軍が有利だったけど、
家康が前進することで決戦を強要した。
その代わり東軍は不利な関が原で戦う事になった
と思うんだけど。

268:人間七七四年
07/07/24 06:04:22 vrxrtu4T
>>266
維新の夜襲案というのは後世の捏造というのがデフォ。

>>267
東軍の佐和山(あるいは大阪)移動という説についても、
浅野隊の状況などから否定する論が多い。

269:人間七七四年
07/07/24 10:27:51 NL5jtcF1
じゃ、大垣城の方が正解か

270:人間七七四年
07/07/24 12:00:59 w31L9Bk8
>>266>267
そこら辺の話は一次資料には無いんじゃまいか。
関ヶ原への布陣は松尾山や大谷の動きや手際よく高地に布陣してるところを見ると、当初から予定されていた防衛線ポイ。
清洲、岐阜が破られれば関ヶ原当たりを多段的に想定してた木がする。

271:人間七七四年
07/07/24 20:40:57 QCpY3UvW
家康の行動は純粋兵理で見るなら自殺行為であるが、実際は主導権が自らの元にある
事を念頭に置いた行動である。
何せ、赤坂に着陣したその日の夜半に西軍が移動したという事はそれだけ家康到着の
精神的衝撃が大きかったという事であり、このまま戦闘を行えば日和見を決め込む奴
や裏切る奴が続出する事を踏んだ上での関ヶ原であろう。

家康って存外、戦術的なことに関しては結構な博打打ちだし

272:人間七七四年
07/07/24 23:42:36 M9gb1d+f
実際は主導権が自らの元にある >ていうか主導権を手鼻さないて感じ。
赤坂に着陣したその日の夜半に西軍が移動したという事>ていうか西軍は予定通り。
戦術的なことに関しては結構な博打打ちだし >かもね、かもね。



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