07/04/21 10:15:41 CZZNBOJI
>>618
その話題は荒れるからヤメロ
薩摩が武器横流ししてなけりゃ、第2次長州征伐で長州は焼け野原なんだが
620:人間七七四年
07/04/21 14:26:27 r66NY+yl
まぁ幕末はこのスレじゃ関係ないからスルーでOK
元就は三千貫と言われてるが、当主に成ったのはもう30近い青年期で、実質のス
タートは300貫から150貫と言われる城主だからな。大河のドラマの勘助が200貫
で武田に召抱えられる所を見ても、まぁ浪人者の中の上程度のスタートだ。
毛利家の政治的基盤の脆さは確かに感じられるが、元就一代で考えれば繁栄の土
台は確りと打てたと思うね。子息達を確り教育し、必要な所に入り込ませたのは
下手な政治より良いと思う。吉川・小早川など有名なところ以外でも、例えば、
四国の河野とかは宍戸に嫁いだ長女の娘の子が最後の当主に成ってる。(この子
も養子で御家を潰したのに評判すこぶる宜しい。毛利の養子産業の凄さを感じる)
621:人間七七四年
07/04/21 14:49:48 otjbOAP/
>>619
ドイツから機関銃を横流しされて、いっちょまえに日本軍と
戦っていた支那兵のようなもんだからな。=長州兵は
622:人間七七四年
07/04/21 15:22:54 ZyqmBVRU
長州は第二次ではイギリスと手くんでた。
薩摩がいなくても幕府にまけなかったよ。
623:人間七七四年
07/04/21 16:26:38 sNKtXBS2
そのイギリスから支援してもらう為に
薩摩の仲介が必要だったんだよ
薩摩が助けなければ武器弾薬すらなく
あっという間に滅亡したのは言うまでもない
624:人間七七四年
07/04/21 23:18:40 r66NY+yl
お前ら折角人がスルーでOKと言ったのにまだ噛み付くか?
…(前略)…それでも戦力的には幕府側が圧倒的に優位でした。征長軍はフラン
ス式に訓練された洋式歩兵部隊など数万人の兵だけでなく、富士山、翔鶴など四
隻の外国製軍艦の他、数十隻の大艦隊を擁していました。対する長州軍は陸上兵
力数千人、軍艦はわずかに数隻にすぎませんでした。
…(中略)…ここに現れたのが高杉です。長州にも軍艦はありました。とはいえ
ここで使えるのは一隻だけ。それも二百トンしかない古い船でした。これで最新
式の軍艦で編成された幕府艦隊に挑みました。
…(中略)…陸上戦闘ではどうだったでしょう。征長軍は日本海側の岩見口、瀬
戸内海側の芸州口に布陣し、その司令部は関門海峡を挟んだ九州側の小倉城に置
きました。芸州口には五万人の幕府軍が押し寄せました。これを迎え撃つ長州側
の兵力はわずかに千人でした。…(後略)…
もうね幕府は15万の動員で長州は4千、幕府は大阪に1年間10万にも上る大軍を置
いて何百万両も駐屯費だけに使ってる。これを見るだけでも武器がどうとかのレ
ベルを越えてる。それに武器なんて戊辰戦争まで終始一貫幕府軍の武器の方が、
最新鋭で充実してた事は今じゃ常識なんだがな。
625:人間七七四年
07/04/22 07:57:47 UD9SxdFc
ほんと毛利家は報われないよ。
織田包囲網でも一番活躍したのは本願寺だけど、毛利の支援があればこそだよ。
でっ何故か自領拡張の為だけに徳川と戦った武田の方が主流みたいな顔をしてる。
豊臣政権では四国・雑賀・九州・小田原・朝鮮と豊臣の主力以上にこき使われて
一番美味しい目に合ったのは自軍裏切って敵前逃亡した前田。
徳川政権でも結果的には毛利家(小早川含む)の御陰なのに一番得したのは、や
はり何もしなかった前田。
明治維新でも殆んど戦ったのは長州軍閥なのに、主流は幕府裏切って戦わなかっ
た薩摩に奪われてしまった…
もうね良い所を突いてるんだけど、斜め上行き過ぎててダメなんだよな…
626:人間七七四年
07/04/22 11:13:26 MWIgzlEX
筋の通った徳川家にゃ、元就は無用の長物だったんだよ
たとえ豊臣方につこうとも、武士道を貫いた立花宗茂などは将軍家御意見番にもなっている
毛利や吉川のような蝙蝠大名には出来ぬ芸当
627:仙台藩百姓
07/04/22 12:37:03 dRB3wxYf
そりゃ初めから相手に嵌められてるのだから
報われるわけないお(≧ω≦)プッ
何の切り札もなく御家の運命賭けちゃうあたり
広家は白痴じゃないかと本気で疑わしいお(;^ω^)
暗黒寺も兵権握ってるわけでもないのに
家中引っ掻き回して戦場にしゃしゃり出てくるあたり
救いようのない腐れ坊主だお(;´ω`)
毛利衰退の責任は輝元のアホが8割
広家暗黒寺が1割りずつと言ったところか
幕末は初めから薩摩は長州と幕府戦わせて
両方疲弊したところで漁夫の利を得るつもりだったのだから
それにまんまとかかった長州がいいとこ取りされるのは当然だお
長州の勢いに先を越されると危機を感じた薩摩は
八月十八日の政変や禁門の変で長州を駆逐
更に幕府けしかけて長州征伐を行わせ
裏で長州を支援し共倒れを狙った
まんまと西郷らの狙い通りいったと言う事だお( ^ω^)
つまり毛利は無能という事だお(≧ω≦)ピッ
いつもいいように操られる間抜け君(≧ω≦)ブプッ
628:人間七七四年
07/04/22 14:47:19 DzPeXXO4
つーか毛利家スレになってねぇ?
んな何百年も後の話なんざ、とっくの昔に滅亡してる武田家にゃー関係ないよ。
元就と信玄の比較しようや。
629:人間七七四年
07/04/22 15:33:58 rmxdgEvC
>>626
志村ー!その時点じゃ元就とっくに死んでるし武田も全滅済みだー!
630:人間七七四年
07/04/22 17:17:53 QSMFdYHi
>>627 百姓誘導
仙台藩百姓は結局何をしたいのか
スレリンク(sengoku板)
631:人間七七四年
07/04/24 00:09:08 WAcMZwha
結局、毛利はいいように使われたのさ。
秀吉も家康も自軍が出るのは最後でいいって戦術だから。
関が原は毛利一族のアホのおかげで勝ったようなもんだから
家康は評価するところか利用価値なしと判断し、
結果小早川、吉川も含め冷遇。
ただ秀吉からは十分すぎる程評価されたと思う。
仮に案告示、小早川も含めたら石高家康とどっこいどっこいじゃない?
632:人間七七四年
07/04/24 03:40:54 YZLPm4gz
>>631
秀吉は自身に子供が居なかった事と何代も続いた御家を守って行くという
他の戦国大名の思考とはタイプが違う。
家康は後の歴史の御陰で超VIP待遇だけど、実際は本能寺の変の前が約70万石
関東移転前で約130万石なんだよね。出自も3代前どころか家康の父親からして
非常に不可解な点が多いなど、地域的な土台も乏しいく、物流の流れを考えて
も関東移転前の徳川の経済的基盤は実は大した事は無く、動員数だけを考えれ
ば、関東移転前の徳川は毛利の半分程度に成る。(例えば小牧・長久手の戦い
では、織田信雄・徳川家康連合軍の総勢は兵1万6千とも言われてる)しかも徳
川は秀吉と戦っているのに対して毛利は秀吉に従い、秀吉の一連の天下統一事
業・朝鮮出兵などで他とは比較に成らない負担・助勢をしている。
それが現在では、毛利如きが天下の徳川様と同程度だよ?凄いよ!などと言わ
れる始末。逆だ、全く逆だ。豊臣政権で最大級の尽力をしたのに、気付けば姓
も素性も解らない逆臣の風下に立たされてる。これの何処が十分すぎる程の評
価なのだろうか?
633:人間七七四年
07/04/24 15:01:14 SB6KiJRL
つーか、そんくらい豊臣政権下では重要な位置を占めてた訳だから
逆臣の徳川からしたら冷遇するのが当たり前なんじゃね?
仮にも西軍の総大将でありながら、結局はお家取り潰しなんて事も無かった訳だし
やっぱ毛利の影響力ってのは豊臣~徳川時代まで、通して凄かったと思うよ。
で、こういう後の時代の話すると武田家は一向に出番が無い。
634:人間七七四年
07/04/24 17:00:04 dwsWENpJ
滅んじゃったからね
次代の基盤作りも評価対象の一つかな
635:人間七七四年
07/04/25 22:20:09 WBGPp80L
武田家滅亡の原因って勝頼に(つーか正確には織田にボロ負けした長篠合戦に)ある
というのが今までの主流な説だったと思うんだけど
信玄がやらかした「後の滅亡に繋がるヘマ」っていうと、具体的にはどんなんがある?
俺は後継者問題とか外交の失敗とかしか思いつかん、とゆーより、そんだけあれば滅亡すんのに充分だろ、って話だが。
636:人間七七四年
07/04/25 22:41:04 otpkeqbb
まさしくそれで十分でないかい?
>>後継者問題とか外交の失敗とか
637:人間七七四年
07/04/26 08:52:18 obEHIXYi
基本的に生き方の、方針が悪かったのでは無いだろうか?
勿論信玄だけ所為ではなく、武田家くらいの名門名家の宿命が有ったとも思われ
るが、北条や元就のように中央進出の拡大路線ではなく、地方の独立政権を目指
せば織田と早く衝突する事も無かったと思う。織田信長は覇王のイメージが強す
ぎて黙っていてもイケイケで潰して着そうだが、このスレでも何度も出て来た通
り、当時の日本の貿易拠点は北九州・中国地方・畿内・近江・美濃・伊勢が中心
で残りは越前方面からの日本海ルート(越後から上野を通って関東方面)と大友
と毛利の影響で、薩摩や土佐への太平洋ルートが少々。東海道ルートは、箱根の
山や政治的な意味合いで物流の主流には成らず、また関東への海上ルートは伊勢
の勢力が長く握っていた。(後に此れも政治の変動で今川→北条→武田が握る)
武田が中央(伊勢湾・美濃)への進出を企てなければ、織田は先ず海外との貿易
窓口である九州方面を目指し、残りは最後の国内貿易ルートである日本海側へ向
かったと思われる。仮に武田に拡張路線が必要だったのであれば、武田は駿河か
ら遠江方面へ出るのではなく、織田や徳川との盟約を守り上野から関東方面へ進
出すれば家名は残せた可能性が高い。
638:人間七七四年
07/04/26 10:35:29 XoRwzlej
武田義信との内訌が無ければねぇ>武田
軍鑑とかの信玄贔屓の史料では無かったことにされている(どころか信玄の作戦に逆らったとか悪評を書かれている)けど、上杉方史料だと「若年の義信に名を上げさせてしまったのは惜しかった」と謙信が後々まで述懐したとその奮戦ぶりを称えている
内政でポカやったという話も無く、当主として器量不足だったとは思えないし勝頼と違って血筋にも問題無いのに
廃嫡→切腹の原因は親今川派だったからとかいわれているけど実際はどうなんだろう?
他に勝頼のほうが可愛かった信玄の策謀だとか、軍鑑後(笑)の軍記だと勝頼の策謀だとか色々言われてるけどさ
639:人間七七四年
07/04/26 14:45:34 q5JFM+dh
松平信康と似た胡散臭さは感じるやね>武田義信問題
結局は親父と政治的に対立して、息子側が負けたもんだから有耶無耶にされたんじゃないか、と疑ってしまう。
とりあえず後継者問題に関する比較では、信玄より元就に軍配が上がるかな。
政略結婚による乗っ取りの代償、吉川小早川の両雄問題なんて、国を分けた内乱に繋がっていてもおかしくはなかったから。