07/04/18 00:07:48 6T0f0uYD
元就が具体的にどんな国政を行ったのかは、よく分からんなぁ。
特に画期的な政策なども無かったようだし、民に重税を課した、などのマイナスな逸話も見つかんない。
息子の小早川隆景の政治手腕を称える文書なんかはあるんだが。
後はせいぜい、城築の際に人柱を用いなかったとか、そんなレベルの話。
>>580の主張としちゃ
「たとえ水害などの問題があろうと、潤沢な金山や有力家臣をそのままに
一国まるごと受け継いだんだから信玄は恵まれてる」
って事かな。
元就なんか、西国の桶狭間と呼ばれる有田中井手の合戦で大戦果を挙げた七年後に
ようやく正式に当主の座についた。この時点での毛利家ですら、僅か三千貫の一国人に過ぎない。
それ以前には、父の旧臣に毛利の領土を横領されていた、なんてお話にもならないような状況。
そもそも整備すべき国内なんか持ち合わせてなかったし、家臣に関しては上記の如く。
その後に熊谷やら吉川やら小早川やら武田やら色んなもんを片付けていって
ようやく安芸を手に入れた。国内を整備するのは、それからのお話。
もっとも、あの元就が婚姻政策などによって周到に国主の地位に上りつめた訳だから
甲斐ほど内乱には悩まされなかったようだけど。
信玄は家臣の後押しを受けて親父追放し、甲斐30万石の当主になれた時点で元就とは格が違うんだよね。
第一、信玄自身の民に過酷な政策のせいで反乱が相次いだっていうんだから
それで「信玄も国内整備に尽力させられた」とするのも疑問は残るよ。