毛利元就>>武田信玄at SENGOKU
毛利元就>>武田信玄 - 暇つぶし2ch564:人間七七四年
07/04/16 16:06:11 ykY6QL+D
信玄の幸運は、手本が傍にいたこと。
甲州法度が今川仮名目録の影響を受けていること等が言われている。
信玄は父の財産、義元という生きた教科書、恵まれた戦略状況など多数の優れたものに囲まれていた。
対して元就は僅かな所領さえ有力家臣に横領される始末……。

565:人間七七四年
07/04/16 17:09:36 mHVxZBZ7
>>563
しかし信玄がちゃんと成したこともあるし、それらは評価されてしかるべきだろう。
上でも書かれているが信玄は戦国時代、というか日本史上でも珍しい秤量貨幣ではない
計数貨幣をつくり流通させた。その制度の一部は江戸時代にも引き継がれた。
さらに検地や新村開発、新田開発も行っているし、大小切り税法や信玄枡は
江戸期を通じて使われている。伝馬制の整備もおこなっているし堤防や棒道の全てを
造ったわけでなくとも、全体的に見て優れた政治家だったといえると思うが。

566:人間七七四年
07/04/16 17:13:04 mHVxZBZ7
>>564
父の財産だけでなく問題も背負い込んだ事を軽視するのはどうかと。
飢饉や水害に悩まされ、国内整備も未完成だったし、土地も貧しかった甲斐の
国ではやらねばならない事は山積みだっただろう。三国同盟も最初から結ばれていた
ものではないし、信玄もその成立に一役買っているよ。

567:人間七七四年
07/04/16 17:29:29 Vr7tM3ql
このスレの場合、比較対象が元就なんで
「どう考えても信玄は初期条件で恵まれすぎ」
言われちゃうのは仕方ないんじゃない?

568:人間七七四年
07/04/16 17:31:33 jTnuYbul
初期状態では信長に次いで悪いからな・・(信長は初期状態いいだろとか言う奴はバカな信玄厨だけ)
まぁ城を追い出された経久よりかはマシぐらい

569:人間七七四年
07/04/16 17:32:04 jTnuYbul
失礼、信長よりよっぽど酷かった

570:人間七七四年
07/04/16 21:19:50 7j6RiswP
>>566
私もそう思うね。
確かに信玄が継承した直後の上原城攻めでは、二万の動員とか普通に考えて無い
数字が出てるよね。これだけの人数を動員できる人間は当時では数える程度しか
居ないだろう。その後は五千規模に下がってる。全盛期の武田でも実質自分の兵
は九千程度だった事を考えると、五千規模の方が正しい。毛利にしても武田と同
じで殆んどが従属同盟者の寄り集まりのような物で、そういうしがらみの中で生
きている。信長はそう言う、しがらみ系からの脱皮が見受けられるが、他は北条、
徳川くらいか?戦国大名と言えども歴史の連続性からの脱皮は不可能に近かった
と思う。毛利は規模こそは小さいが、戦国大名では屈指の名門名家で安芸でも、
盟主に近い存在だったからこそ土豪から戦国大名に成れたんだと思う。

571:人間七七四年
07/04/16 21:51:01 bI8d3R7U
安芸の盟主は安芸武田では?
大江も家柄は悪くないだろうけど源氏には勝てまい

572:人間七七四年
07/04/16 23:01:22 sYMVEUrE
安芸でも盟主に近いってそんな無茶な。
盟主になったのは元就が調略を重ねて成し遂げたもの。

宍戸(婚姻)熊谷(寝返り)吉川(乗っ取り)小早川(乗っ取り)

仕上げに安芸武田を潰してようやく盟主と言える立場に。
完全に安芸を掌握したのは陶を破ってからのことだし。

573:人間七七四年
07/04/16 23:06:19 YtbFGBZH
>>566
だからと言って重税略奪虐殺しまくりじゃな。

574:人間七七四年
07/04/16 23:07:38 m4zWLW8+
>>573
それはどの大名も一緒。


575:人間七七四年
07/04/16 23:38:17 YtbFGBZH
>>574
北条は違うけどな。

576:人間七七四年
07/04/17 06:50:12 6YdIhFfZ
芳情が重税じゃなかったと言うつもりはないが、あそこは珍しく場当たり的に
税を作らずに体系的な税制を作ってるからな。

577:人間七七四年
07/04/17 08:47:37 tcU6NybF
元就が強すぎる。
有田中井手と厳島で、大軍を少数で撃破しかつ敵大将を討ち取っている。
どちらかの戦果を挙げるだけでも難しいのに、両方を同時に成し遂げた武将なんて戦国期を通じても少数。
まして複数回だと、それこそ織田信長くらいしか他にやっている大名はいない。
虚像の信玄ならともかく、史実の信玄は戦術はむしろ苦手で逆に優勢で大敗を何度もしているから、この点での優劣ははっきりしている。

578:人間七七四年
07/04/17 10:10:00 u/l4yGwx
毛利ってさ実際武田より上かもしれないけど
地味で嫌いだよ
どーゆう民政やったか不明だし。

こーゆうスレが立つのは武田への嫉妬からであろう
武田は幾度も物語になってる。
毛利は上杉、北条はもとより伊達よりも人気ない事は確か。
毛利の成し遂げた事は偉業なのに何故か大河とか
やっても先入観が嫌いだからか見る気にならんだろーな。

579:人間七七四年
07/04/17 10:16:30 tcU6NybF
確かに虚像の跋扈度でいえば、武田に勝てる大名はいないなw

580:人間七七四年
07/04/17 11:39:35 wQd74JYF
>>566
国内整備、土地の貧しさという観点から見れば更に元就の方が不利
信玄だって無能なはずが無いけど
比較の対象が悪すぎる。

581:人間七七四年
07/04/17 11:47:27 RtV8lFpm
毛利家は成り上がりだから、金山あった武田と違って財政面でもかなり苦しかったと思われる
その証拠として、毛利家は借金・借米を恒常的に行って財政を賄っていた
要するに借金経営
武田と違って先代からの蓄積、というものが全く無いから……

582:人間七七四年
07/04/17 12:15:13 ciKJs4VW
毛利にも銀山あるぞ

583:人間七七四年
07/04/17 12:25:15 RtV8lFpm
毛利の銀山は元就の代で分捕ったもの
しかも尼子や織田との取り合いで支配が安定しなかったし
天皇の即位式費用として銀貨を献上した話はあるけど

584:人間七七四年
07/04/17 12:26:55 oHvHx91f
>>582
銀山なんて、元就から見ればもう余生の時代に手に入れたような物だろ?
ほんと吉田荘なんて考えられない田舎で山の中。近くには三次と言う田舎
では恵まれた地が在るが、元就とは関係ない寧ろ敵、もうほんと戦国大名
としてもありえない本拠地。

585:仙台藩百姓
07/04/17 12:30:10 il6Ch55K
所詮元就も石見銀山の支配権を奪ったにすぎないお( ^ω^)
石見銀山の産出が全盛期を迎えるのは
大久保長安が開発を手掛けてからだお

586:人間七七四年
07/04/17 13:58:50 /2qeBdGU
信玄のお手本が義元なら、元就の手本は尼子や大内
彼らが天下を目指して失敗したのを見ている(ってか乗じている)
だから存命中は信長と敵対するようなことはしなかった
(元就死去時には信長から弔問の使者が送られている)

587:人間七七四年
07/04/17 14:44:02 /6+FkUcy
元就厨はやたら信長から弔問うんぬんをさも自慢して言う
その裏にゃ輝元の器の度量を計る意図があったかえも知らずに w

588:人間七七四年
07/04/17 14:45:20 BBwTEwwV
反面教師って奴かな>尼子や大内

そーいや初期条件比較の前に
信玄の敵は上杉、北条なのに対して
元就の敵は尼子、大内だから大した事ない、なんて妄言吐いた奴がいたけど
これ明らかにおかしいでしょ。だって信玄は上杉にも北条にも勝っておらず互角だったのに
元就は尼子、大内相手に勝利して、結果的に両家を潰してる。
だから比較するんなら、信玄にとっては今川くらいしかないんだよね。
しかも全盛期なんかとっくに過ぎた、五十万石あるかも怪しい氏真の代に。
家康と同盟してやっと潰した、なんてのは別に構わない。同盟は立派な戦略だから。

で、毛利にとって互角だった敵はといえば、精々が大友くらいしかいない訳。
これは五カ国を支配してた大国だし、なんといっても海を挟んでいたから
結局は中国、九州で領土を隔ててお互いに侵略出来んかったんやね。

当時百万石近くの大国だった尼子、大内らを潰して中国統一までのし上がった元就に比べると
信玄はまず瀕死の今川、後は精々が豪族レベルしか倒してない計算。
だからこそ、初期条件が違いすぎるのに、最終的な国力なんかが互角近い結果となる訳だが。
信玄は最初に50、元就は最初に5。そこから信玄は50勝ち取った英雄、元就は95勝ち取った英雄。
あと武略によって銀山を奪った元就と、受け継いだ金山を自分の代で掘りつくした信玄との対比も面白い。
輝元、勝頼と比較すれば、どちらも後継者は英傑とは言いがたいが
元就と信玄、どちらがより多くの遺産を残したかは分かると思う。
元就は生前、後継者問題にも尽力し、有力家臣の極端な粛清や外交における失敗もやらかしてないから。

戦の上手さなんかでいったら、明らかに村上義清や長野業正が
信玄なんか足元にも及ばないくらい強かった訳で、元就と比べんのは酷だね。
でも逆に、あれだけ大軍で少数相手に負けておきながら
最終的には領土を得ているあたり、やはり信玄は本質的に戦略家として優れていたんだと思う。

>>578の意見には結構同意。
元就は強すぎて物語として面白くない。単なる成功の物語に過ぎないから。
信玄は適度に戦が弱くて、成功と失敗を繰り返してるから面白いんだよ。
あと地理的に信長や家康と絡めたのも○。
なにより、武田家の末路が悲劇的なのが絵になるんだよね。

589:人間七七四年
07/04/17 14:57:45 /6+FkUcy
武田は日本武士らしく桜のように散り様が立派
毛利は主君の寝首を欠き、所領は直系一族のみで富を分配するといった
戦国コンツェルンを打ち立てた強欲大名

590:人間七七四年
07/04/17 18:16:13 942U8iEK
(;´д`)

591:人間七七四年
07/04/17 18:38:48 +JJYNUYv
武田ね散り際は見苦しかったような

592:人間七七四年
07/04/17 19:01:12 i1IfNYWo
>>580
亀レスだが、元就がどんな国内整備を行ったのか教えて欲しい。
安芸の国は甲斐のように飢饉や水害になやまされたりしてたのかな?
あおりでも皮肉でもなく知りたいので教えて欲しい。


593:人間七七四年
07/04/17 20:22:16 cp3N36Yw
>>591親父の負の遺産をなんとか返そうと頑張ってもがいたけど力及ばずってのはまあいいんじゃね?

594:人間七七四年
07/04/17 23:09:30 4O1/xh68
>>592
そうじゃなくて単純に
元就の方が国内整備も国土も家臣統制も武田より更に不利だったと言ってるだけ

595:人間七七四年
07/04/18 00:07:48 6T0f0uYD
元就が具体的にどんな国政を行ったのかは、よく分からんなぁ。
特に画期的な政策なども無かったようだし、民に重税を課した、などのマイナスな逸話も見つかんない。
息子の小早川隆景の政治手腕を称える文書なんかはあるんだが。
後はせいぜい、城築の際に人柱を用いなかったとか、そんなレベルの話。

>>580の主張としちゃ
「たとえ水害などの問題があろうと、潤沢な金山や有力家臣をそのままに
 一国まるごと受け継いだんだから信玄は恵まれてる」
って事かな。
元就なんか、西国の桶狭間と呼ばれる有田中井手の合戦で大戦果を挙げた七年後に
ようやく正式に当主の座についた。この時点での毛利家ですら、僅か三千貫の一国人に過ぎない。
それ以前には、父の旧臣に毛利の領土を横領されていた、なんてお話にもならないような状況。
そもそも整備すべき国内なんか持ち合わせてなかったし、家臣に関しては上記の如く。

その後に熊谷やら吉川やら小早川やら武田やら色んなもんを片付けていって
ようやく安芸を手に入れた。国内を整備するのは、それからのお話。
もっとも、あの元就が婚姻政策などによって周到に国主の地位に上りつめた訳だから
甲斐ほど内乱には悩まされなかったようだけど。

信玄は家臣の後押しを受けて親父追放し、甲斐30万石の当主になれた時点で元就とは格が違うんだよね。
第一、信玄自身の民に過酷な政策のせいで反乱が相次いだっていうんだから
それで「信玄も国内整備に尽力させられた」とするのも疑問は残るよ。

596:人間七七四年
07/04/18 00:25:27 dO0pnLdc
>>595
毛利に関しては同意なんだが

甲斐は太閤検地で23万石
民の反乱は取りあえず無かったと思う

597:人間七七四年
07/04/18 00:33:53 lO+8f4hx
毛利も武田も重税をかけてたらしいね
両家とも貧しかったところは共通してるな

598:人間七七四年
07/04/18 00:50:19 dO0pnLdc
毛利はまず国内整備しようにも整備する土地が無いようなものだからな

毛利の内治というと
銀山と港湾瀬戸内と日本海交易か?あとは出雲の鉄とかを継承して発展させた
検地も一応しているけどその内実は・・・?
毛利氏掟の基礎となるようなものも作っている
5奉行制を作って統治のための官僚システムを形成と言った所か?

詳しくないんで自身が無いが

599:人間七七四年
07/04/18 03:53:31 vygJEo6b
毛利の国内整備が不利?
最高標高1300メートルそこそこの丘陵の安芸ごときで泣き言いうなよ(w
赤石山脈、八ヶ岳、奥秩父、富士と天然の要害に囲まれた甲斐から見たら
安芸なんて只の原っぱだよ
大体毛利は国内整備しなくていいぢゃん、大内が汗水ながして築いたものを
横取りしただけなんだから

600:人間七七四年
07/04/18 08:18:25 F9sbeXpW
元就と比べたら信玄が気の毒
勿論、徳川史観や講談・ゲームの信玄ならお話は別だろうけどw
史実だとちょっと、ねぇ
最近の笹本氏の本なんかを見ると、内政における信玄の治績すら過大評価(もっといえば発明したわけでもやったわけでもないものが信玄様のお陰、と言われてきた)っぽいし

601:人間七七四年
07/04/18 11:06:45 +mYhR/VX
>>596
信虎が当主時の動員数から考えれば50万石規模は十分在る訳だが。

602:人間七七四年
07/04/18 11:27:33 uGaUZmf8
今のような道路社会でなし、万単位の軍勢がホイホイ動員できるかよ
軍記物を鵜呑みにしすぎ
40騎持・武田逍遥軒の動員能力とか考えてみろよ

603:人間七七四年
07/04/18 11:36:08 aKK7L62D
武田領内で頻発したのは離散な
一揆に発展するような団結は起こらなかった
戦国期の一揆といえば中核になるのは寺社勢力だが武田はこれと仲が良かったから(丁度、毛利領内では土一揆が起こらなかったのと一緒。後年本願寺の要請を入れたように家中に門徒を多く内包していた)
まぁ、寺社権益に直接手を付けられなかったのも共通なんだけど……
実質支配率を考えると、動員力はさらに低下する試算になるんだろうな

604:人間七七四年
07/04/18 11:42:44 aKK7L62D
甲州法度だと、武田領内の棟別銭は本屋二百文・新屋百文
逃げても取り立てる・それも駄目なら郷中の連帯責任と明記している
同時期・同じ関東の北条氏の棟別銭が五十文だったことを考えると、結構な重税

605:人間七七四年
07/04/18 12:45:42 r0nbzIe0
格式でも毛利に武田は追いつかれ、そして越されている。
1560年に毛利隆元が朝廷から大膳大夫に任じられている(信玄と同じ)。
従四位上の元就に対し、信玄は従四位下。

606:人間七七四年
07/04/18 12:53:27 wnPHBm3F
>>601 >>602
武田は諸役や税の軽減や免除などを条件に
農民を「上意の足衆」として動員している。兵力が石高に比べて多いのは
これが原因だろう。

607:人間七七四年
07/04/18 12:54:20 wnPHBm3F
まあ、それでも多少割り引くべきだと思うが。

608:人間七七四年
07/04/18 12:58:51 r0nbzIe0
だから「勝手に変えるんじゃない!」という咎めの文書が散見されるわけか>武田の動員
例え税免除されても農業できなきゃ農民やそれに近い国人にはマイナス
まぁ後年まで国人一揆のボス(盟約に違反した国人の独自処罰さえできなかった)だった毛利よかかなりマシ

609:人間七七四年
07/04/18 12:59:14 OswzrkyJ
堅苦しい話はもうよい!源助。はやくワシのケツのそなたの一物を

610:608
07/04/18 12:59:21 r0nbzIe0
×変える
○帰る

611:人間七七四年
07/04/18 23:58:15 qsAffhgq
>>608
もともとのスタートが国人程度でしかねぇからな、毛利は。
だからこそ傘連判のような形を用いなければならなかったんだし。

612:人間七七四年
07/04/19 10:40:33 smbJ12nl
有田中井手の後で3000貫(大体3000~3200石くらいか)ってどんだけショボいんだ毛利

613:人間七七四年
07/04/19 13:31:54 iqwGvUAc
元就が信玄ほどに有利な地盤を持ってスタートしてたら天下を制することもできたかな?ってぐらいな拡張度だよな

614:人間七七四年
07/04/19 17:54:13 Tnu1FxyV
まぁ実際にはある程度まで広げたところで周り全部敵に回したわけだし無理なわけだが
確かに拡張度だけなら信長を超えてる

まぁそんなこと言い出したら城を追い出された経久は領土ゼロなわけで、北条三好斎藤宇喜多あたりも相当やばいんだがな

615:人間七七四年
07/04/20 00:55:10 bYU3SWEE
架空戦記か何かで

三千貫の家を継いだ主人公が百万石の大名相手に勝ち
最終的には地方統一して百二十万石の大名になった。

なんて展開だったら絶対ご都合主義との謗りを免れないよな。
史実は小説より何とやら、だ。

616:人間七七四年
07/04/20 12:01:55 Rdbg9NDO
しかし拡大したといっても内実は国人一揆のボス程度
豊臣政権下で検地するなどしてようやく大名権力が確立した
一代での勃興には自ずと限界があることも示している

617:人間七七四年
07/04/20 19:44:05 bYU3SWEE
毛利弘元が残した三千貫以下の領地から、元就が百二十万石にまで広げ
武田信虎が築いた二十万石以上の領地から、信玄が百二十万石まで広げ

元就が繁栄の布石を打って、輝元の代に正式な百万石大名に。
信玄が滅亡の布石を打って、勝頼の代にお家断絶。

と、こうかな。
勝頼も輝元も、一時は先代以上にまで領地拡大を果たしているんだが
やっぱ織田には勝てんね。

618:人間七七四年
07/04/21 10:07:02 DpuwoFg2
後の倒幕にまで繋がる一大勢力だからなぁ、毛利こと長州藩は。

619:人間七七四年
07/04/21 10:15:41 CZZNBOJI
>>618
その話題は荒れるからヤメロ
薩摩が武器横流ししてなけりゃ、第2次長州征伐で長州は焼け野原なんだが

620:人間七七四年
07/04/21 14:26:27 r66NY+yl
まぁ幕末はこのスレじゃ関係ないからスルーでOK
元就は三千貫と言われてるが、当主に成ったのはもう30近い青年期で、実質のス
タートは300貫から150貫と言われる城主だからな。大河のドラマの勘助が200貫
で武田に召抱えられる所を見ても、まぁ浪人者の中の上程度のスタートだ。
毛利家の政治的基盤の脆さは確かに感じられるが、元就一代で考えれば繁栄の土
台は確りと打てたと思うね。子息達を確り教育し、必要な所に入り込ませたのは
下手な政治より良いと思う。吉川・小早川など有名なところ以外でも、例えば、
四国の河野とかは宍戸に嫁いだ長女の娘の子が最後の当主に成ってる。(この子
も養子で御家を潰したのに評判すこぶる宜しい。毛利の養子産業の凄さを感じる)

621:人間七七四年
07/04/21 14:49:48 otjbOAP/
>>619
ドイツから機関銃を横流しされて、いっちょまえに日本軍と
戦っていた支那兵のようなもんだからな。=長州兵は

622:人間七七四年
07/04/21 15:22:54 ZyqmBVRU
長州は第二次ではイギリスと手くんでた。
薩摩がいなくても幕府にまけなかったよ。

623:人間七七四年
07/04/21 16:26:38 sNKtXBS2
そのイギリスから支援してもらう為に
薩摩の仲介が必要だったんだよ
薩摩が助けなければ武器弾薬すらなく
あっという間に滅亡したのは言うまでもない

624:人間七七四年
07/04/21 23:18:40 r66NY+yl
お前ら折角人がスルーでOKと言ったのにまだ噛み付くか?

…(前略)…それでも戦力的には幕府側が圧倒的に優位でした。征長軍はフラン
ス式に訓練された洋式歩兵部隊など数万人の兵だけでなく、富士山、翔鶴など四
隻の外国製軍艦の他、数十隻の大艦隊を擁していました。対する長州軍は陸上兵
力数千人、軍艦はわずかに数隻にすぎませんでした。
…(中略)…ここに現れたのが高杉です。長州にも軍艦はありました。とはいえ
ここで使えるのは一隻だけ。それも二百トンしかない古い船でした。これで最新
式の軍艦で編成された幕府艦隊に挑みました。
…(中略)…陸上戦闘ではどうだったでしょう。征長軍は日本海側の岩見口、瀬
戸内海側の芸州口に布陣し、その司令部は関門海峡を挟んだ九州側の小倉城に置
きました。芸州口には五万人の幕府軍が押し寄せました。これを迎え撃つ長州側
の兵力はわずかに千人でした。…(後略)…

もうね幕府は15万の動員で長州は4千、幕府は大阪に1年間10万にも上る大軍を置
いて何百万両も駐屯費だけに使ってる。これを見るだけでも武器がどうとかのレ
ベルを越えてる。それに武器なんて戊辰戦争まで終始一貫幕府軍の武器の方が、
最新鋭で充実してた事は今じゃ常識なんだがな。

625:人間七七四年
07/04/22 07:57:47 UD9SxdFc
ほんと毛利家は報われないよ。
織田包囲網でも一番活躍したのは本願寺だけど、毛利の支援があればこそだよ。
でっ何故か自領拡張の為だけに徳川と戦った武田の方が主流みたいな顔をしてる。

豊臣政権では四国・雑賀・九州・小田原・朝鮮と豊臣の主力以上にこき使われて
一番美味しい目に合ったのは自軍裏切って敵前逃亡した前田。

徳川政権でも結果的には毛利家(小早川含む)の御陰なのに一番得したのは、や
はり何もしなかった前田。

明治維新でも殆んど戦ったのは長州軍閥なのに、主流は幕府裏切って戦わなかっ
た薩摩に奪われてしまった…

もうね良い所を突いてるんだけど、斜め上行き過ぎててダメなんだよな…

626:人間七七四年
07/04/22 11:13:26 MWIgzlEX
筋の通った徳川家にゃ、元就は無用の長物だったんだよ
たとえ豊臣方につこうとも、武士道を貫いた立花宗茂などは将軍家御意見番にもなっている
毛利や吉川のような蝙蝠大名には出来ぬ芸当

627:仙台藩百姓
07/04/22 12:37:03 dRB3wxYf
そりゃ初めから相手に嵌められてるのだから
報われるわけないお(≧ω≦)プッ
何の切り札もなく御家の運命賭けちゃうあたり
広家は白痴じゃないかと本気で疑わしいお(;^ω^)
暗黒寺も兵権握ってるわけでもないのに
家中引っ掻き回して戦場にしゃしゃり出てくるあたり
救いようのない腐れ坊主だお(;´ω`)
毛利衰退の責任は輝元のアホが8割
広家暗黒寺が1割りずつと言ったところか

幕末は初めから薩摩は長州と幕府戦わせて
両方疲弊したところで漁夫の利を得るつもりだったのだから
それにまんまとかかった長州がいいとこ取りされるのは当然だお
長州の勢いに先を越されると危機を感じた薩摩は
八月十八日の政変や禁門の変で長州を駆逐
更に幕府けしかけて長州征伐を行わせ
裏で長州を支援し共倒れを狙った
まんまと西郷らの狙い通りいったと言う事だお( ^ω^)
つまり毛利は無能という事だお(≧ω≦)ピッ
いつもいいように操られる間抜け君(≧ω≦)ブプッ

628:人間七七四年
07/04/22 14:47:19 DzPeXXO4
つーか毛利家スレになってねぇ?
んな何百年も後の話なんざ、とっくの昔に滅亡してる武田家にゃー関係ないよ。

元就と信玄の比較しようや。

629:人間七七四年
07/04/22 15:33:58 rmxdgEvC
>>626
志村ー!その時点じゃ元就とっくに死んでるし武田も全滅済みだー!

630:人間七七四年
07/04/22 17:17:53 QSMFdYHi
>>627 百姓誘導
仙台藩百姓は結局何をしたいのか
スレリンク(sengoku板)


631:人間七七四年
07/04/24 00:09:08 WAcMZwha
結局、毛利はいいように使われたのさ。
秀吉も家康も自軍が出るのは最後でいいって戦術だから。
関が原は毛利一族のアホのおかげで勝ったようなもんだから
家康は評価するところか利用価値なしと判断し、
結果小早川、吉川も含め冷遇。
ただ秀吉からは十分すぎる程評価されたと思う。
仮に案告示、小早川も含めたら石高家康とどっこいどっこいじゃない?

632:人間七七四年
07/04/24 03:40:54 YZLPm4gz
>>631
秀吉は自身に子供が居なかった事と何代も続いた御家を守って行くという
他の戦国大名の思考とはタイプが違う。

家康は後の歴史の御陰で超VIP待遇だけど、実際は本能寺の変の前が約70万石
関東移転前で約130万石なんだよね。出自も3代前どころか家康の父親からして
非常に不可解な点が多いなど、地域的な土台も乏しいく、物流の流れを考えて
も関東移転前の徳川の経済的基盤は実は大した事は無く、動員数だけを考えれ
ば、関東移転前の徳川は毛利の半分程度に成る。(例えば小牧・長久手の戦い
では、織田信雄・徳川家康連合軍の総勢は兵1万6千とも言われてる)しかも徳
川は秀吉と戦っているのに対して毛利は秀吉に従い、秀吉の一連の天下統一事
業・朝鮮出兵などで他とは比較に成らない負担・助勢をしている。

それが現在では、毛利如きが天下の徳川様と同程度だよ?凄いよ!などと言わ
れる始末。逆だ、全く逆だ。豊臣政権で最大級の尽力をしたのに、気付けば姓
も素性も解らない逆臣の風下に立たされてる。これの何処が十分すぎる程の評
価なのだろうか?

633:人間七七四年
07/04/24 15:01:14 SB6KiJRL
つーか、そんくらい豊臣政権下では重要な位置を占めてた訳だから
逆臣の徳川からしたら冷遇するのが当たり前なんじゃね?
仮にも西軍の総大将でありながら、結局はお家取り潰しなんて事も無かった訳だし
やっぱ毛利の影響力ってのは豊臣~徳川時代まで、通して凄かったと思うよ。

で、こういう後の時代の話すると武田家は一向に出番が無い。

634:人間七七四年
07/04/24 17:00:04 dwsWENpJ
滅んじゃったからね
次代の基盤作りも評価対象の一つかな

635:人間七七四年
07/04/25 22:20:09 WBGPp80L
武田家滅亡の原因って勝頼に(つーか正確には織田にボロ負けした長篠合戦に)ある
というのが今までの主流な説だったと思うんだけど
信玄がやらかした「後の滅亡に繋がるヘマ」っていうと、具体的にはどんなんがある?
俺は後継者問題とか外交の失敗とかしか思いつかん、とゆーより、そんだけあれば滅亡すんのに充分だろ、って話だが。

636:人間七七四年
07/04/25 22:41:04 otpkeqbb
まさしくそれで十分でないかい?
>>後継者問題とか外交の失敗とか

637:人間七七四年
07/04/26 08:52:18 obEHIXYi
基本的に生き方の、方針が悪かったのでは無いだろうか?

勿論信玄だけ所為ではなく、武田家くらいの名門名家の宿命が有ったとも思われ
るが、北条や元就のように中央進出の拡大路線ではなく、地方の独立政権を目指
せば織田と早く衝突する事も無かったと思う。織田信長は覇王のイメージが強す
ぎて黙っていてもイケイケで潰して着そうだが、このスレでも何度も出て来た通
り、当時の日本の貿易拠点は北九州・中国地方・畿内・近江・美濃・伊勢が中心
で残りは越前方面からの日本海ルート(越後から上野を通って関東方面)と大友
と毛利の影響で、薩摩や土佐への太平洋ルートが少々。東海道ルートは、箱根の
山や政治的な意味合いで物流の主流には成らず、また関東への海上ルートは伊勢
の勢力が長く握っていた。(後に此れも政治の変動で今川→北条→武田が握る)

武田が中央(伊勢湾・美濃)への進出を企てなければ、織田は先ず海外との貿易
窓口である九州方面を目指し、残りは最後の国内貿易ルートである日本海側へ向
かったと思われる。仮に武田に拡張路線が必要だったのであれば、武田は駿河か
ら遠江方面へ出るのではなく、織田や徳川との盟約を守り上野から関東方面へ進
出すれば家名は残せた可能性が高い。

638:人間七七四年
07/04/26 10:35:29 XoRwzlej
武田義信との内訌が無ければねぇ>武田
軍鑑とかの信玄贔屓の史料では無かったことにされている(どころか信玄の作戦に逆らったとか悪評を書かれている)けど、上杉方史料だと「若年の義信に名を上げさせてしまったのは惜しかった」と謙信が後々まで述懐したとその奮戦ぶりを称えている
内政でポカやったという話も無く、当主として器量不足だったとは思えないし勝頼と違って血筋にも問題無いのに
廃嫡→切腹の原因は親今川派だったからとかいわれているけど実際はどうなんだろう?
他に勝頼のほうが可愛かった信玄の策謀だとか、軍鑑後(笑)の軍記だと勝頼の策謀だとか色々言われてるけどさ

639:人間七七四年
07/04/26 14:45:34 q5JFM+dh
松平信康と似た胡散臭さは感じるやね>武田義信問題
結局は親父と政治的に対立して、息子側が負けたもんだから有耶無耶にされたんじゃないか、と疑ってしまう。

とりあえず後継者問題に関する比較では、信玄より元就に軍配が上がるかな。
政略結婚による乗っ取りの代償、吉川小早川の両雄問題なんて、国を分けた内乱に繋がっていてもおかしくはなかったから。


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