07/04/15 00:02:09 YmD+k0TI
>>533
>差し向けた、とあるから一軍の派遣じゃないかと思うのだが。
>まあ、織田より少ない人数を送るともおもえないが本軍ではないだろう。
出だし候だけなのになんでそこまで解釈できるのか不思議だが
また他の多くの戦争の記述の場合と同様に誰か一部を差し向けたのであれば
その将の名前を記述するのではと思うが。
当時の織田家の実情を考えるなら信長が美濃に向けれる兵力は多くて数千
下手すれば千程度
講談では1万数千で史実では一部の道三勢、東美濃以外は義龍に協力しているので
美濃の石高からすれば1万程度は率いられる、
例え一部であっても斉藤勢の方が優勢、且つ勝利後で士気が高い、
また長良川合戦のあった場所と大良口はごく近距離、
信長勢と実際に戦ったのは一部の先駆けの部隊かもしれないが
本隊はその後方にいることになる。
あなたの論理だと本隊は参加していないから
例えば三方ヶ原では信玄穴山の部隊は動いていないから
実際は武田勢1万ほどと徳川勢1万ほどの戦いであったとか
長篠の戦いでは信長信忠信雄家康信康は戦っていないから
織田勢と武田勢の兵力差はそれほどでも無かったということになりかねない。
金ヶ崎での秀吉の兵力は千に満たないかもしれないし、
明智勢も数百、佐々も数百程度だと思うが、
池田は摂津3守護の一人なのだから千以上の兵力を持っていてもおかしくない
すべて合わせればそれなりの兵力になる。
朝倉にしても義景は出陣したのか、遅れたのか戦争には参加していないようだし
そもそも他の朝倉軍にしてもそのほとんどが敦賀にいた様子は見えないので
実際の兵力差はどの程度のものであったか。
島津退口にしても実際に島津勢に向けられた兵力は東軍の一部、
あなたの論理なら、この場合も島津はそれほどの兵力差は無いと言う事になる。
>あっさり名のある武将達を討ち取られ、また負傷させられているのはなあ。
兵力差で負け、相手は士気が高く、敵地での行動、退路は大河と敵対勢力圏を抜けないと帰れない
この状況では押されない方がおかしいと思うが、信長は別に無敵というわけじゃ無いんだから。
他にあっさりってどこを読んで?名前が載ってるだけだと思うが、
前にも書いたが想像で書いていないか?
そして名のあるというがこれらのものはこの時期どの程度の身分の者なの?
太田牛一が筆まめだったから、後に信長が大大名になったから
信長が自身の直属を戦場に投入するからたまたま名前が載っただけだと思うが。
森にしてもこの時期は?だし。