毛利元就>>武田信玄at SENGOKU
毛利元就>>武田信玄 - 暇つぶし2ch461:人間七七四年
07/04/10 10:37:08 oQpuHrsB
>>454
IDをみてもらえばわかると思うが俺(>>445)は>>440の人じゃないけど
教えてくれてありがとう。確か謙信の遺産は2万7千両くらいだったか。
たいしたもんだ。でも景勝は金山経営やってなかったっけ?港もなく商業も
発展していなかった甲斐では金山経営も財テクとして有効だったんじゃないかな。
今忙しいけど当時の流通貨幣については今度調べてみるよ。
>>455
忍原崩れで尼子晴久は毛利に痛い目を見せているよ。若年で経験不足の義久でさえ
あれだけ手間がかかったんだし、晴久相手だとかなり手ごわかったんじゃないかな。
>>457
確かに義隆の代には貿易が盛んだったみたいだけどその利益を文化面でつかっていたみたいだし
武断派と文治派の対立も起きており統制が乱れている。それにいくら官位が高くて
明に日本国王とされていても現実に日本に及ぼせる影響力が自国内だけでは
天下人というのはむりじゃないか?政弘は元就が生まれる2年前に死んでるし、
義興は元就が家督をついで3年後の1529年に死んでいる。確かに同時代でもあるが
活動時期があんまり被ってないんじゃないか?
>>458
いや、>>445の俺も俺が上げた過去ログも制度面の優秀さの事をいっているんだけど
説明ありがとう。確か甲州金は4進法で区切られているんだっけ。一部が江戸時代に
採用された事からみても貨幣制度としてはよくできたものだったんだろうね。
>>459
歴史群像シリーズに載っていた長谷川弘道「永禄末年における駿・越交渉についてー駿甲同盟決裂の
前提」武田氏研究10号等。
武田の対上杉対策の為に織田に接近→今川が不信感を抱き、氏真の妹返還を要求→武田は拒否
→今川が北条を仲介して妹返還を要求→武田は氏真の誓詞(起請文の事と思われ)を入れる事を条件に承諾
→妹返還→今川は同時に上杉と接近→武田は当面の敵と通じたと、誓詞の反故を理由に駿河侵攻
って感じらしい。
起請文提出と義信室の返還については武徳編年集成にもある。


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