07/02/13 18:58:09 VaFWLXYu
どいつもこいつも尻穴に現を抜かしてたのか
2:人間七七四年
07/02/13 18:59:21 lN9RgTVI
2ならアッー
3:人間七七四年
07/02/13 19:39:56 sRTJknQm
細川忠興
4:人間七七四年
07/02/13 20:10:54 6xOjzOoA
( ´゚ω゚` )
5:人間七七四年
07/02/13 21:31:05 PmxOFDDB
>>1
秀長、長慶、久秀、元就、宗麟、氏康
6:人間七七四年
07/02/13 22:50:58 Ee+h4Mi1
斎藤龍興
7:人間七七四年
07/02/14 05:05:43 mgpQQoQ1
史実は知らないが、久秀は小説で男色映写あったよ
8:人間七七四年
07/02/14 07:28:33 wTxiZICN
>>7
何ィ!?誰と?
9:人間七七四年
07/02/14 10:46:27 Yt11jdRZ
松永久道
10:人間七七四年
07/02/14 14:25:41 AjHtd/ZJ
誘導
ホモの戦国武将
スレリンク(sengoku板)
★★★戦国時代の衆道★★★
スレリンク(sengoku板)
11:人間七七四年
07/02/14 14:56:58 o6w0xcfj
しんげん
12:人間七七四年
07/02/14 15:15:01 Q9pnKGRP
当時は男色はたしなみだから、
興味ない奴でも一、二回は手ほどき受けたと思うよ。
>>11
信玄は無類の男好き。
13:人間七七四年
07/02/14 22:32:54 S8Ih2Ef/
秀吉は不細工だから誰も相手にしてくれなかっただけ
14:人間七七四年
07/03/21 01:55:42 ARsy7caV
下級層出身はみんなノーマルだ
15:人間七七四年
07/03/29 14:58:40 zjR8OYW6
だねー
16:ザビエル(゜ゝ゜)つ†
07/03/29 17:02:55 OUxq3qSt
>>12 たしなみって…?当時の日本は恐ろしいな。
17:人間七七四年
07/03/29 18:15:17 iqzBJJVO
太閤が女色オンリーだったというのは
徳川家が流した中傷でしかないぞ!
18:人間七七四年
07/03/30 10:16:54 +27xA3GT
秀吉は子供が欲しかったキガス
19:人間七七四年
07/04/13 01:11:13 VvnEIX0B
アッー!
20:人間七七四年
07/04/13 01:26:46 DzgZWu21
じゃあ当時の戦国では
お尻処女のまま出世することは出来ないってこと・・?
そんだったら農民の方がいいな
21:人間七七四年
07/04/13 01:58:32 7ThvI7UF
>>16
未経験者に「恐ろしい」とか言われたくないね。
22:人間七七四年
07/04/13 12:32:59 2BEU95Sf
秀吉が女狂いだというのは徳川時代に造られた話でしかない。
下層民もまた男性同士でセックスをしておったぞ。
つまり日本中ノーマルな男だらけだった訳だ。
現代のように変態ヘテロは蔓延ってなかったゼッ!
23:人間七七四年
07/04/14 08:37:40 JRRIJ9D8
>>16
西洋も似たような物だぞ。
特に修道院?修業する所とかは、塊だったぞ。キリスト教でも。
ついでにSMも教会はその発展に於いて、多大な貢献してるぞ。
24:人間七七四年
07/04/21 15:40:25 y8WfCfs7
戦国時代にもホモじゃなかった著名人は沢山居る。
市、茶々、ねねとかね。レズじゃなかったかどうかはしらん。
25:人間七七四年
07/04/21 16:12:03 +cYOdxV3
バイセクシャル≠ホモセクシャルと言えるならば、
ほとんどの戦国大名・武将がホモではなくなるという罠がある。
26:人間七七四年
07/04/22 23:24:11 dZvQhjLD
明らかに関係があったと書物にあったのならまだしも、
当時は当たり前だから、とさも当たり前のように関係があったとあれもこれもと
書いてる本とか見るとウンザリする。
27:人間七七四年
07/04/26 01:13:05 p5LGlv/5
家康って誰と付き合ってたっけ?
28:人間七七四年
07/04/30 15:34:04 yN1wN42e
確かに、バイとホモは違うね。
ここで問題なのはバイなのか、ホモだけど後継者の為に我慢して抱いてたのかだね。
まあ普通にバイなり、女好きだが、戦場では男でも良いやって言うレベルが多そうだ。
(最後の行は俺の勝手な妄想)
29:人間七七四年
07/05/05 22:15:05 9nVyM1ew
>>28
いえいえ、あながち妄想だとは言い切れない。
出陣前の数日間は女は不浄ゆえに触れてはいけない、などという一種の験かつぎがあった事はご存知だろうが、
出陣後は女に触れても構わない。
そこでムラッと来た下級武士や足軽連中は「御陣女郎」と呼ばれる、陣中に出張営業に来た売春婦を買うが、
幹部級以上の武将は下手に女を買ったりすると、彼女を通して敵方に情報が漏れてしまう危険性がある故
(※御陣女郎に扮した敵の間者や刺客だったりする危険性が少なくない)に、自分の小姓・近習連中などといった
「男」と関係を持つ。
小姓・近習は単なる傍仕えと言うのみならず、将来のエリート家臣候補生であり、主の最も近くにいる警護役なので、
文武ともに優れている事が必須。
ゆえに小姓・近習相手の場合、事を行っている真っ只中に敵襲があっても直ちに迎撃に転じる事が可能な事が、
彼らが男色を嗜んだ理由の1つ。
30:人間七七四年
07/05/06 00:06:09 dwSU/YOz
小姓同士の諍いや喧嘩が絶えなかったという。
ちょっとドロドロしたところもあったんだろうな。
誰が寵を受けるかで。
31:人間七七四年
07/05/06 01:51:04 wBSHiBvF
>>30
主君の寵愛の程度は、単に自分に対する愛情や信頼度と、将来の栄進や出世の度合いのバロメーターだから。
実際、大出世した小姓上がりの人物の内、主君の寵童だった可能性が強い者の有名所を挙げて見ると、
(※()内は小姓時代の主君)
高坂昌信(武田信玄)、前田利家(織田信長)、直江兼続・清野長範(上杉景勝)など、功績を残した、
あるいは主君への忠誠心の強かった人物が少なからず見られる。
戦国西日本で一二を争う(?)痴情のもつれこと 陶晴賢の乱のきっかけの1つは、主君・大内嘉隆の寵愛が
他の者に映った事によるが、単に痴情のもつれだけの問題ばかりではなく、自分の将来に対する懸念と不安も
あったのだろうと思われる。
32:31
07/05/06 13:10:43 88vd1gwI
× 大内嘉隆
○ 大内義隆
主家・大内家の滅亡で落ち武者になってしまったご先祖様に向かって、
土下座しながら逝ってきます。
33:31@そこつもの
07/05/07 22:34:41 T/q7Vo7Q
追加訂正;
×単に自分に対する愛情や信頼度と、
○単に自分に対する愛情や信頼度というだけではなく、
目下反省中。