07/05/04 03:14:44 PmSdKUFG
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多田野数成。戦国時代後期、武蔵国江戸立教谷岡家に属した武将。
主君、谷岡俊輝の愛馬に後ろから追突した事から俊輝に疎んじられ、徹底的な性的虐待を受ける。
暑い真夏の夜、部下の大坊陸奥守と波多野発展斎が俊輝秘蔵の火縄銃を奪い一転攻勢に出る。
俊輝の菊門を犯した三人は俊輝の肛門を火縄銃で撃ち抜き出奔した。(真夏の夜の変)
出奔した三人は陸奥国大坊庄の大坊本家へ身を寄せ、後に伊達家臣となった。
多田野作十郎は多田野数成の子孫にあたる。
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谷岡俊輝
戦国時代後期の武将。谷岡家は数家に分かれており、俊輝は江戸立教家第八代当主。
当時珍しい火縄銃を所持していたり、鉄騎馬(世紀馬と称した)部隊を開発したりと
発展性に富んだ名君であった。後に部下の多田野数成との確執から真夏の夜の変が勃発。
俊輝には実子がおらず、江戸立教谷岡家は一時断絶した。