日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真相。at SENGOKU
日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真相。 - 暇つぶし2ch276:あぼーん
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278:人間七七四年
07/03/09 10:42:50 y4JDkiMa
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説

説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。

前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。

本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。



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