07/03/01 14:17:14 VCfXAt3f
すいません、わたしが信長をやりました
つい、カッとなって…
201:人間七七四年
07/03/01 23:39:29 Va6XKhAQ
>>195
>「仙茶集」という茶書に信長が披露した目録がある。
ハイ妄想、残念でした。
昭和11年に『茶道全集』において『仙茶集』の「御茶湯道具目録」を翻刻した
吟松庵こと松山米太郎氏は、それを六月一日付けの、後日に予定された茶会の「予告状」と
紹介しており、天正2年には信長が津田宗及に対し前日に「目録」を送り茶会を開いていた
実例もある。
そもそも、勧修寺晴豊も山科言経も「名器」が披露されたなんて記していない。
ただ単に点て出しのお茶と茶受けの菓子が振舞われただけのこと。
それを大げさな茶会に仕立てた張本人は桑田忠親だが、晩年には自ら疑問をも提起している。
「六月一日の茶会」を得意げに騙るのは、そうした経緯を把握していない小説家に多く見られる
現象と言える。
最近ではかの桐野作人氏も、
『イエズス会日本年報』は、信長が茶道具を本能寺に運び込んだことについて
「三河の国主(家康)やその他の諸侯に見せるため」だったとしていた。
私もこの点は拙著で触れたが、そのときは家康に茶道具を見せるなら、安土の方が
都合がよいのではないかと書いて否定してしまったのであるが、やや早計だったかもしれない。
として、六月二日の家康や宗及そして松井友閑らの動向に再注目しているよ。
つまり、茶会は六月二日ではなかったのかとね。
>この日は特別な神の祝日、用意日で、祝いをする理由はある。
アぁーやっちゃったね。恥ずかしいね。
202:人間七七四年
07/03/02 00:16:55 3TfZMauz
>195
>どんな人間、大物、小物でも簡単に、パソコンひとつでここにアクセスできるしな。
そして博くんは「アクセスできる」=「アクセスしている」と勘違いする、と。
>中央は真空状態ではなかった。安土には親衛隊がいたし、京都にも
にも関わらず、
>背後には朝廷勢力だけではなく、キリスト教導入に危惧する仏教、神道勢力があった。
>そうなら簡単には負けないと光秀は思ったろう。
と謀反を起こして、朝廷からも仏教、神道勢力からも助けを得られず敗れ去った、と。
博くんの手にかかると、黒幕たちだけでなく光秀までも貶められてしまうな。
…実はこれこそ博くんの真の目的なのかもしれないが。
203:人間七七四年
07/03/02 00:23:01 BK91rf5U
馬鹿は辛抱強く頑張れば諭せるが、電波はどうやっても諭せないぞ?
204:人間七七四年
07/03/02 02:58:54 sW5e1co7
諭せないまま何年も同じことを繰り返してます
205:人間七七四年
07/03/02 03:10:34 BK91rf5U
だって電波だもん
206:人間七七四年
07/03/02 07:18:11 bUysK17e
>>201
中国への出陣を命じられていない筒井順慶も6月2日には上洛途中だったしね。
やはり茶会は6月2日に行なわれる予定だった可能性が高いね。
207:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/02 10:15:43 337qwB6S
>>201○六月一日の茶会○について
「イエズス会日本年報」キリスト教宣教師が信長と貴族の関係を詳しく知っていたと思えない。その資料を出すのは?
家康、諸侯相手の茶会なら安土城に呼びつけ堂々たる舞台で披露するのが威圧、権威には効果的。本能寺などしけた寺に、
壊れやすい高価な名茶器を多数持ち込む必要も無い。相手は貴族、その関係行事と見るのが常識。
○どれほど高位の貴族が六月二日、本能寺に来たと思っているのか?
関白、前関白、太政大臣、勅使、ほとんど皇族以外の全ての高官。彼ら相手にそこらの茶器と菓子で相手をするのか?
むしろ権威、力を見せ付けるには名器を惜しげもなく披露することだろう。
○大茶会の予告状なら、正式な茶会の日付が礼儀として必ず書かれるはず。それが無い。
それは六月一日とみるのが自然。
○博多の豪商、茶器のすきもの、島井宗室、神谷宗湛が茶会が二日なら、その日に来るはず。
しかし六月一日に参加している。しかも変のとき名器を持ち出したという。
何故、ある場所を彼らが知っていたのか?
披露されていたからに他ならない。
208:人間七七四年
07/03/02 10:22:45 buoOvttR
電波に何を言っても無駄、と証明するスレはここでつね?
209:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/02 10:36:04 337qwB6S
>>201○六月一日は信長の氏神とされる神に関係した日であり、
当然何らかの祝いをするだろう。
また光秀の五月二十八日愛宕山連歌会の雨も関係している。寅薬師に。
○言経卿記には「数刻御雑談、茶子、茶これあり、大慶々々」とあるが
この大慶内容は書かれていないのは何故なのか。
またこの日の日記は末尾が消去されているとなっている。
○さらに信長が数刻も雑談に何も用意を、酒など出さないのも不自然である。
○何よりも高価な名茶器を数十点も出陣前のあわただしいときに京都まで持っていくのは、
ただの披露以外に、なにか大規模なお祝い事があったことをにおわせる。
そして来たのは多くの貴族、それに足止めされ、囲碁観戦のあと寝て、
光秀軍が来る。
信長がただの目下の家康、諸侯相手の茶会にそんな用意をするはずが無い。
>>202○なんで私が光秀を賤しめるのか?。
他の人間らが動員二十万人の覇者を恐れ、こびへつらう中で、
ただひとり、朝廷のため、その文化のために戦った男の忠義は高く評価されるべきだろう。
210:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/02 10:47:39 337qwB6S
>>201○というか、その「イエズス会年報」の内容が伝聞証拠にすぎないだろう?
変に関係した誰それから聞いた情報と書いてないだろう?
イエズス会黒幕説の確実な証拠があるならともかく、全く変に関係していない集団であるのは
証明されている。
211:人間七七四年
07/03/02 10:50:44 buoOvttR
信長が一宣教師をもてなすために自分と息子達で給仕までした話も知らないで
信長が家康を厚く歓待するわけない、とか完全に願望で話してるな
212:人間七七四年
07/03/02 12:07:10 sW5e1co7
>>207
あの時期になって改めて家康を威圧する意味がわからない。
213:人間七七四年
07/03/02 12:12:48 sW5e1co7
>>207
それほどの高位の貴族らを茶菓子でもてなすのも信長が力を誇示する方策だったととれなくもないと思うが?
「お前らなぞこの程度よ」ってな。
214:人間七七四年
07/03/02 12:58:16 NQAVpBTx
信長はほとんど酒を飲まなかったらしいし金平糖なんか好きだったみたいだから、振舞うなら菓子でもいいような気がす
215:人間七七四年
07/03/02 14:48:18 sW5e1co7
>>207
名物が披露された=名物のある場所を知っていた、の解釈は強引。
相手を威圧する為の名物なら相手に置き場所を悟られるようなことはしないだろう。
ハイハイそれでも内通者がいたとか言うんだろ?その時はそのソースも出せよ。
216:人間七七四年
07/03/02 18:34:38 bUysK17e
証拠はと問われると、証拠がないのが証拠だと言い張るのが○大庭博の常套手段。
>>207
久しぶりの上洛だから、公家たちが挙って信長に面会を求めたことに何ら不思議はない。
それに難癖つけても誰も賛同しないよ。
>○大茶会の予告状なら、正式な茶会の日付が礼儀として必ず書かれるはず。それが無い。
それは六月一日とみるのが自然。
まず実例を挙げてごらん。
>○博多の豪商、茶器のすきもの、島井宗室、神谷宗湛が茶会が二日なら、その日に来るはず。
だから一日の晩は本能寺に泊まってたんじゃん。言ってることが矛盾してるよ。
あるいは島井宗室、神谷宗湛に公家たちの相手をさせたのかも知れないしね。
その上で二日に宗及や友閑を呼び寄せ、家康他を招いて茶会を催すつもりだったんだろう。
217:人間七七四年
07/03/02 18:45:34 bUysK17e
>>209
>○六月一日は信長の氏神とされる神に関係した日であり、
当然何らかの祝いをするだろう。
では実際に信長がそれを行なった例(何年に) を挙げてごらん。
>○言経卿記には「数刻御雑談、茶子、茶これあり、大慶々々」とあるが
この大慶内容は書かれていないのは何故なのか。
昔話しの「めでたし、めでたし。」と同じこと。別に他意は無し。
>またこの日の日記は末尾が消去されているとなっている。
勝手な妄想ご苦労さん。そういう事は、実際に自分で原本を見てから言おうね。
218:人間七七四年
07/03/03 02:46:06 TR1FrVuF
相変わらず
>出陣前のあわただしいとき
とか
>足止めされ
とか愉快なことを書いているな、博くんは。
219:人間七七四年
07/03/03 17:28:10 OuxBxA/0
【歴史的難儀】本能寺の変の真犯人が判明【解決】
スレリンク(sengoku板)
220:人間七七四年
07/03/04 13:10:16 A9tLQ/fE
茶会について
URLリンク(dangodazo.blog83.fc2.com)
221:人間七七四年
07/03/05 06:00:09 vTB0XOxM
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説
説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。
前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。
本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。
222:人間七七四年
07/03/05 06:01:09 vTB0XOxM
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。
あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。
223:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/05 10:25:13 F6ct6R0j
「六月一日の茶会」について
>>211>>212○家康には褒美で駿河をやっている。だが、それで武力が大きくなったと警戒されはじめたともされ、
威圧の理由はある。
>>213○だから非常識なんだろ。日本の中心にいる関白、太政大臣、勅使など高官をそこらの茶器と菓子で接待?
物笑いになるぞ。彼らはまた日本文化の中心、
彼らに天下一の名物を自慢せずに、誰に自慢するのか?
>>215○「名物の警備、梱包」これ厳重である。置き場所も普通は盗難を恐れ秘密だろ。
それを持ち出されている。披露されていたから、だろ。
>>216○「六月二日に茶会」があるなら、その日に貴族皆が来て挨拶、贈り物をしてもいい。
しかし、それをしたのは一日。
○「茶会の日付」これを予告状に入れないのは、非常識。六月一日とあればその日だよ。
○「信長がこの氏神の祭り」によく参加したり、見たりは「信長公記」にあるだろ。
○「大慶」ただの茶と菓子で大慶、大慶はよほどの接待と見るべき。
でなきゃ何か書かれてるはず。
224:人間七七四年
07/03/05 10:28:00 cIfYPTes
>>223
お前は以前披露されたことのある物の今ある場所が分かるのか?
225:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/05 10:42:17 F6ct6R0j
>>216○「千利休」
そんな名物四十種の大茶会が六月二日ひらかれるなら、第一人者、千宗易などが呼ばれてないのは?
何か彼らが六月二日にあると書き残すか、京都にいなくてはならないはずだが?
○{島井らが泊まったのは]遠方から信長に招待されたのと、疲れたからだろ。
それになんで島井宗室、神谷宗湛が貴族の茶会の相手をするのか。
彼らの目的は茶の名物のみ、その収集家じゃないか。
それをゆっくり見れるのが六月一日最適といわれていたからだろう。
○{貴族は占い}があって吉日凶日なんてものがある。会えない日は会えない。
前年も占いで譲位を断られ、信長もそれを受け入れている。
それがこぞって本能寺を訪問しているのは良日、吉日と、信長との話し合いで決まったからだろう。
つまり六月一日を選んだのは貴族。と見るべきで、信長が合わせた。
で、次の日、光秀軍が来た。この貴族の重んじる占い、吉日など考えると、六月一日が茶会でも全く不自然ではない。
○名器自慢の信長を確実に二日まで本能寺にいさせるためには、六月一日茶会は最適な行事である。
226:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/05 10:51:29 F6ct6R0j
>>221「黒田官兵衛は本能寺の変の黒幕にあらず」
○官兵衛はキリシタンであり、キリスト教の布教を許した信長を討つのは矛盾する。
○これほどの大事を行う以上、明智光秀、あるいはその重臣と連絡を取るのが常識だが、
その形跡、交流が全く無い。面会。手紙など。
○一時味方していた筒井順慶が態度を変え始めたとき、秀吉の軍師が黒幕で味方との話は、
光秀が引き止めるには最適のネタだが、その話は全く出ていない。
○軍師黒田官兵衛はこの当時、秀吉にそれほどの影響力や、大事を企める立場には無いだろう。
227:人間七七四年
07/03/05 11:53:49 0K9jt85A
>>223
>>>211>>212○家康には褒美で駿河をやっている。だが、それで武力が大きくなったと警戒されはじめたともされ、
威圧の理由はある。
?どこで誰が言ってるの?
>>>213○だから非常識なんだろ。日本の中心にいる関白、太政大臣、勅使など高官をそこらの茶器と菓子で接待?
物笑いになるぞ。彼らはまた日本文化の中心、
彼らに天下一の名物を自慢せずに、誰に自慢するのか?
安土城のような居城を建てる力を持ちながら貴族たちに対しては物笑いになるくらいの接待をした方が貴族たちに自分の方が力が上、お前等に手間暇なんかかけてやるかという威圧、意思表示になると思うが。
>>>215○「名物の警備、梱包」これ厳重である。置き場所も普通は盗難を恐れ秘密だろ。
それを持ち出されている。披露されていたから、だろ。
?意味がわからないが持ち出されたのは名物が24時間晒しっぱなしだったからってことか?いつものことだか文章がおかしくて理解できん。
228:人間七七四年
07/03/05 12:04:27 0K9jt85A
>>225
>○{島井らが泊まったのは]遠方から信長に招待されたのと、疲れたからだろ。
それになんで島井宗室、神谷宗湛が貴族の茶会の相手をするのか。
遠方から来て疲れるのはわかりきっていること。六月一日に茶会するをならそれよりもっと早くに来てるんじゃないか?前日に貴族に会うのに何の不自然が?
>つまり六月一日を選んだのは貴族。と見るべきで、信長が合わせた。
お前、今まで六月一日は信長の氏神の特別な日って言ってたんじゃないの?つまり信長サイドが六月一日に一方的に決めたみたいなこと言ってたのに今度は貴族が決めたっての?
229:あぼーん
あぼーん
あぼーん
230:あぼーん
あぼーん
あぼーん
231:人間七七四年
07/03/05 15:55:17 1U6E43kf
>>230 自分の妄想を正当化させたいが為の史実の歪曲。
>信長死後に朝廷が復権しようとするだろう
秀吉を関白にしてその正当性を保障することで、
朝廷は古来からの自己保存機能を発揮してるだろうに。
>実際は朝廷の力は衰えるばかり
それは信長勃興前の話。歴史認識は支離滅裂だな。
>信長に対抗する闘争心すら無かった
信長の再三に渡る譲位要求を、正親町天皇は頑強に拒否し続けている。
事実誤認も甚だしい。
>本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
だから誰よ?
蛇足は冗長だが結論は曖昧だろ。
はっきりさせろ。
232:人間七七四年
07/03/05 16:16:03 uAapteq4
隠れ在日の明智(土岐)にやられた信長無念
233:人間七七四年
07/03/05 18:32:26 71mTc+Jw
>>223
物笑いになるぞって…
そこらの茶器と菓子って何で決め付けるよ?
菓子っても色々あるじゃん。供物用とか接待用とか唐菓子とか
南蛮菓子だったら超高級品しょ?
博ちゃん頭カタいな~
234:人間七七四年
07/03/05 19:17:07 vTB0XOxM
>博ちゃん頭カタいな~
硬いんじゃなくて腐ってるの。
235:人間七七四年
07/03/05 19:54:13 uAapteq4
信長公の朝鮮討伐計画を知った在日の謀略だよ。
236:あぼーん
あぼーん
あぼーん
237:あぼーん
あぼーん
あぼーん
238:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/06 10:26:30 NlfRIAzy
「相手は、日本の中心にいる高官連中だぞ」
>>227○昔何かで読んだが、信長が安土で自分で家康のお膳を運ぶほどの接待をしたのは、
あれだけ尽くした家康に駿河一国しかやらなかったからとあった。なぜ駿河一国だったかというと、だな。
○馬鹿言え。そんな簡単な接待を高官にしたら侮辱になるぞ。この時点では、おそらく信長が朝廷に何かの返事をしにいった、か、譲位要求の希望が通った時点だろ。
信長はかなり上機嫌だったというし、数刻相手をした。侮辱的な言葉もない。
○名器は普段は警備で見ることもできないだろう。だが、島井らは持ち出している。
それはどこかの部屋で披露され、あり場所が解っていたから。
仮説だが、二十四時間そのまま披露した部屋に置きっぱなしだったかもな。
警備兵はいたろうし、天下人の茶器を盗む奴もいないだろう。必ず死罪だから。
また名器にはそれなりの箱書きがあるし。どこに持ち込んでも解るぞ。
>>228○なんでそれほど親しくもない博多の島井、神谷が泊まれるだろうと甘えて前日から来るよ。
六月一日茶会、好きな名物もたっぷり見れるぞといわれたから、ぴったり来たんだろ。
本能寺に泊まれたのは信長からの予想外のサービスだろ。
○日を信長が決めたとは一度も言ってないぞ。双方の話し合い、おそらく占いなど持ち出し、
貴族主導で決めた、と見るべきだと言ったろ。
それより六月一日、何の日か知ってるのだろうね?
239:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/06 10:33:20 NlfRIAzy
>>236.>>237○「本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛ではありえず」○
なんで明智光秀が自分の全財産、キャリア、家族、多くの兵、重臣{とくに斉藤利三}、
の命を犠牲にしてまで、さして親しくも無い羽柴秀吉、黒田官兵衛に天下をとらせなくてはならないのか?
そこまで尽くす必要、恩義は無い。
仮にだが、そんなつもりなら犠牲の多い平地決戦などせず、
篭城し、ほどよいところで自身、家族は逃亡という手もある。
家臣の命は助かるし、持ち出すものは秀吉との話し合いで持ち出せるのでは?
共謀ならね。
240:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/06 10:41:17 NlfRIAzy
○「時には証拠が無いのが証拠である」○
明智光秀が単独犯なら、木曾義仲のごとく武力を誇示し、朝廷の有力者を人質に取り、
無理やりに征夷大将軍となり、「光秀は官軍、彼に味方せよ」、との勅命を出させてもいいはずである。
どうしても己を正当化し、援軍が欲しいなら、であるが。
また京都の有力者から金子を献上させ、略奪も軍資金名目で出来たはずだ。
しかし、そんなことは全くしていない。
これは尊皇家だったからである。
241:人間七七四年
07/03/06 12:21:18 JqgryK38
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説
説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。
前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。
本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。
242:人間七七四年
07/03/06 12:21:57 JqgryK38
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。
あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。
243:人間七七四年
07/03/06 13:09:12 XdY0iLhh
>>238
>なんでそれほど親しくもない博多の島井、神谷が泊まれるだろうと甘えて前日から来るよ。
親しくもない島井が、京に来たのは信長から「茶会するからおいで♪」って招待されたからだろ?
島井は信長が凄く凄く欲しがってた「楢柴肩衝」を所有していたから。
島井を呼ぶ=「楢柴肩衝」を売って♪
招待したんだから泊めるだろ普通。信長、楢柴肩衝でご機嫌だし
焼け跡から発見された「つくも茄子」もあるし、本能寺に行かず安土城→光秀→島井に渡った「新田肩衝」もあるし
諸説色々だけど
博ちゃんの説は強引すぎ。どうしても島井を火事場ドロボーにしたいらしい
244:人間七七四年
07/03/06 14:22:28 fqKkqoyg
>>238
六月一日が信長の氏神の特別な日なら、もちろん信長は毎年その日に何かやってんだよな?
いい加減その記録を出してくれないか?
245:人間七七四年
07/03/07 01:11:54 3K1DbWBs
>238
>昔何かで読んだが、信長が安土で自分で家康のお膳を運ぶほどの接待をしたのは、
>あれだけ尽くした家康に駿河一国しかやらなかったからとあった。
>なぜ駿河一国だったかというと、だな。
駿河一国なのは当然の話なので別に語らなくてもいいぞ。
>そんな簡単な接待を高官にしたら侮辱になるぞ。
信長より位が上なのは前久だけだがな。
>名器は普段は警備で見ることもできないだろう。だが、島井らは持ち出している。
>それはどこかの部屋で披露され、あり場所が解っていたから。
>仮説だが、二十四時間そのまま披露した部屋に置きっぱなしだったかもな。
>警備兵はいたろうし、天下人の茶器を盗む奴もいないだろう。必ず死罪だから。
>また名器にはそれなりの箱書きがあるし。どこに持ち込んでも解るぞ。
ネタだよな?
>239
言っていることのほとんどが朝廷黒幕説にも該当すると早く気づくように。
>240
義仲と光秀を比較だなんて、ネタだよな、当然?
246:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/07 10:16:09 rICQy17B
○「茶会は六月一日にあったのか?」
>>243○おいおい、話をそらすな。テーマは六月一日に茶会があったかどうか。
六月二日が茶会予定だったかどうか、だろ。二日茶会の根拠となる文書を示せよ。
○また島井は楢柴肩衝を持ってきていたかどうかは解らないぞ。
それに京都には金持ちが楽しく泊まれる場所はいっぱいあるぞ。何も本能寺に泊まらなくとも。
>>244○信長公記では六月十五日にはけっこう参加してるし、
そうなら一日も確実に関係している。だろ?
>>245○だから?
目下貴族には侮辱的な扱い、安物の接待をしてもいい、とはならないだろ?
○{朝廷、貴族と光秀の関係}は、黒田官兵衛、秀吉との関係と全く違うだろう?
何より、光秀の城は京都に近く、その家臣は近畿付近の土豪、元足利幕府衆が多く、
その親戚関係といい、京都抜きには語れない。
247:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/07 10:27:31 rICQy17B
>>245○「木曾義仲と光秀の比較」
そういうのを人格と行動が一致していないと俗にいうんだよ。
仮設となるが従来のごとく、怨恨、野望で光秀が信長を討ったとする。
すると光秀は理由はどうあれ、自分のため、その利益目当てに恩義ある主君を討ったエゴイストとなる。
すると勝つためには何でもする人格、利己主義となるだろう。
当然、生き残るため、勝つためには人質でも何でもしていなくてはならない。
しかし、汚い手段は何もしていない。
むしろ天王山で戦うなど明らかに京都防衛の軍の動きだ。
○これに対抗するような説としてノイローゼ説がある。
しかし、光秀の軍の動きは防衛と見ると的確だし、すぐに安土城を陥落させ、
京都では吉田兼見、内裏、五山に銀献上など、別に頭脳に問題があるとも思えない。
248:人間七七四年
07/03/07 10:35:19 rICQy17B
>>241>>242○「本能寺の変の黒幕は、黒田官兵衛にあらず」○
もし黒田官兵衛が全て本能寺の変を仕組んだとすると、当然信長殺しの仇となる。
それが光秀か、その重臣など関係者の口から次男織田信雄、三男織田信孝に漏れた場合、
当然命は無い。なら当然、ばれる前にこの二人を殺すのが筋である。
もし次男、三男も死んだ場合、織田家の混乱は計り知れない。
乗っ取りには好都合だったろう?
本能寺の変の後、すぐにこの二人を殺すチャンスは黒田官兵衛にはいくらもあった。
が、なにもしていない。
つまり、全く関係なかった。
249:あぼーん
あぼーん
あぼーん
250:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/07 10:38:57 rICQy17B
○二四八番を書いたのだが、何で名前が人間七七四年に?
混線か?
251:あぼーん
あぼーん
あぼーん
252:人間七七四年
07/03/07 10:41:29 JiLhZwh/
>>250
>○二四八番を書いたのだが、何で名前が人間七七四年に?
混線か?
キミの脳味噌と同じさ。
253:人間七七四年
07/03/07 12:26:30 ufF8FNNi
○よ! ほかのスレにも目を通せよ
ゲーム廚の莫迦スレコピぺの「官兵衛黒幕説」にイチイチ反応しなさんな
254:人間七七四年
07/03/07 14:18:52 Ur4v2JhY
>>246
>>>244○信長公記では六月十五日にはけっこう参加してるし、
>そうなら一日も確実に関係している。だろ?
??
>>244に対する解答にしては意味不明なんでもう一度聞くよ。
六月一日が信長の氏神にとって特別な日なら当然その茶会以前にも信長は毎年その日に何かやってるんだよな?その記録はあるの?
255:人間七七四年
07/03/07 14:27:19 A9tVAYbT
>>254
信長公記の天正9年版を見てみた。
5月24日に越中の松倉城にいた河田豊前が病死した。
6月5日に滝川一益の取次ぎで北条氏政から馬が3頭届いた。
以上。
何も起こってないね。
256:人間七七四年
07/03/07 21:26:15 Dzoc58XA
話をそらすってか、博ちゃんの六月一日茶会説の根拠の一つ島井宗室の火事場ドロに反論しただけw
楢柴肩衝なら島井の枕元にあっても不自然じゃないし、楢柴肩衝以外の物を持ち出したんなら銘くらい出してくり
金持=いつも豪華で楽しいとこに泊まる
ってのは偏見すぎ。現に本能寺に泊まってるし
その根拠っては言えんかもだが島井宗室の遺訓でも読んどくれ
257:人間七七四年
07/03/08 00:17:49 j+jx3sYF
>246
>目下貴族には侮辱的な扱い、安物の接待をしてもいい、とはならないだろ?
相変わらず極論しか言えないヤツだ。
位のことに触れただけで、どうしてここまで突き抜けるのやら。
「自分の全財産、キャリア、家族、多くの兵、重臣{とくに斉藤利三}、の命」が犠牲になるかも
しれないのに、「そこまで尽くす必要、恩義」が朝廷に対してあったのか?
>247
>当然、生き残るため、勝つためには人質でも何でもしていなくてはならない。
>しかし、汚い手段は何もしていない。
博くんが考える汚い手段とは何だよ?
二股をかけかねない朝廷を武力ではなく金銭で懐柔したとも考えられるな。
>むしろ天王山で戦うなど明らかに京都防衛の軍の動きだ。
隘路で大軍を迎え撃つという兵法の常識をいまだに理解できないようだな。
とか書くと籠城戦をした方が有利、とか言い出すからな、博くんは。
まぁ、博くんの知識が足りないのは
>226
>官兵衛はキリシタンであり、キリスト教の布教を許した信長を討つのは矛盾する。
などを見ても明らかな訳だが。
258:あぼーん
あぼーん
あぼーん
259:あぼーん
あぼーん
あぼーん
260:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/08 10:32:25 21TYKcBG
>>254○「六月一日、六月十三日天王山決戦の日、六月十五日安土城謎の炎上」。
密接に信長の氏神と関係しているじゃないか?
>>256○そもそも安土城とも六月一日は関係しているだろ? それも解らないとは?
過去レスをもう一度読めよ。
>>256○国一国の価値があるともされる名器をなんで旅行先の枕元に置く? 非常識だろ。
○金持ちが遠方への旅行、しかも遊興目的だろ? いろいろと調べてくるさ。
抜け目ない商人ならね。旅館、遊び場所、ビジネス相手。
>>257○「接待」というか、君が非常識だろ。せっかく来た高位の客相手に、
天下人はそれなりの高価な接待はするさ。
○「主義・思想」自分の信じる神聖な神、過去の文化文明を否定された、侮辱されたというだけで、
過去にはどこぞの国の多くの人間が自爆テロしたり、怒り狂って戦争してるが?
○「汚い手」高位の人間を人質を取り、征夷大将軍になり、勅命で無理やり味方をさせる。
木曾義仲がやってるだろ。金銭による懐柔だけでは弱いな。
○「犠牲」そこが君の非常識だろ。ふつうは平地大決戦は勝っても負けても犠牲が大きく、褒美も賠償も自腹。
従って優勢な相手にはまず篭城、攻城戦に持ち込んで様子を見る。
○黒田官兵衛はキリシタン。それはNHKによれば間違いではないとさ。
261:あぼーん
あぼーん
あぼーん
262:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/08 10:49:50 21TYKcBG
○「一例だが」例えば一向宗の門徒を見ろよ。彼らのなかには信長と戦って、全財産、家族、命まで失った人間はいっぱいいたぞ。
またそれが予想できた人間もいただろ。
しかし、彼らは信長を殺すために戦った。何故だ? その理由は?
○「本能寺の黒幕は黒田官兵衛にあらず!!」○
もし黒田官兵衛の策略により、信長が殺され、秀吉が天下を取ったと仮定する。
秀吉にとって官兵衛は大恩人になるだろう。すると取る手は二つしかない。
一 大手柄と能力を認め、養子縁組や親戚にし、大領を与え、味方にする。
二 信長殺しがばれると天下人として不味いので、口封じに暗殺する。
この二通りしかないのは過去、中国などでよく言われること。
しかし、官兵衛はどうにもなっていない。
ただ後に豊前中津に、十二万五千石を与えられただけである。たったこれだけ、と言えなくもない。
他の大名に比べると少ないとさえいえる。
つまり、別に大手柄も、なにもなかった、となる。
263:あぼーん
あぼーん
あぼーん
264:あぼーん
あぼーん
あぼーん
265:あぼーん
あぼーん
あぼーん
266:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/08 11:07:38 21TYKcBG
○「本能寺の変の黒幕は、黒田官兵衛にあらず!!」
黒田官兵衛は、徹底的に京都、明智残党を調べまくった三男織田信孝から
全く無視されている。
267:あぼーん
あぼーん
あぼーん
268:人間七七四年
07/03/08 11:16:45 Xt06Us05
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。
あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。
269:人間七七四年
07/03/08 11:21:19 E5MtFHv8
このティロリロリーン説をコピペしてるやつもいい加減ウザイんだが。
270:人間七七四年
07/03/08 13:00:33 A8XijaQn
>>260
>>>254○「六月一日、六月十三日天王山決戦の日、六月十五日安土城謎の炎上」。
密接に信長の氏神と関係しているじゃないか?
『信長の氏神』だよね?
もう一度聞くよ。
『六月一日』が『信長』の『氏神』に関係する重要な日なら過去に信長は氏神に纏わる何らかの行動をしてるんはずだよね。その記録を教えてくれる?
271:人間七七四年
07/03/08 14:07:47 Zre50uXT
>○そもそも安土城とも六月一日は関係しているだろ?
つまり、安土城建設時の6月朔日を見たら良いんだな。
また信長公記から天正4年のを上げてみる。
6月5日に戦闘を停止して若江に泊まるってしか書いてない。
前の方を見たら、本願寺との戦闘をしていたってなってるな。天王寺での激戦だ。
というか、天正9年には何の記録も残ってないのは事実だろう。
6月1日に安土にいるだけでも良いってんなら、なぜ完成している天正4年には本願寺との戦いをしているんだ?
過去のレス見てもさっぱり分からんし、何が言いたいの?
272:人間七七四年
07/03/08 17:30:47 YSk97BEW
で結局、楢柴肩衝以外は持ち出さなかったのか。何だかなぁ…
信長公記で牛頭関係だったらコレとか?
天正六年
6月14日は祇園会の祭日であった。信長公も見物に立ったが、……
で、見物がおわると鷹野にいってお終い
京で祭り見物したけどそれがどしたって?
273:人間七七四年
07/03/08 23:53:19 gXyss3w2
>260
>「接待」というか、君が非常識だろ。
位のことを言っただけで非常識扱いとは、博くんの非常識ぶりに呆れ果てる。
>「自分の全財産、キャリア、家族、多くの兵、重臣{とくに斉藤利三}、の命」が
>犠牲になるかもしれないのに、
>「そこまで尽くす必要、恩義」が朝廷に対してあったのか?
と聞いているのに、宗教観の全然違う外国の話や、一向宗を持ち出して、
話をすり替えようとする博くんの詭弁っぷりに呆れ果てる。
>「汚い手」高位の人間を人質を取り、征夷大将軍になり、
>勅命で無理やり味方をさせる。木曾義仲がやってるだろ。
窮した末にな。しかも敗れ去った。ただの悪例だ。
>金銭による懐柔だけでは弱いな。
博くんの主観のみで強弱を語っても無意味。
>「犠牲」そこが君の非常識だろ。
>ふつうは平地大決戦は勝っても負けても犠牲が大きく、褒美も賠償も自腹。
博くんは相変わらず日本語の不自由なヤツだ。
隘路で迎え撃つ、と書いているのが読めないらしい。
それで良案を述べるのかと思えば
>従って優勢な相手にはまず篭城、攻城戦に持ち込んで様子を見る。
という下策。で、様子を見て、その先は?
>黒田官兵衛はキリシタン。それはNHKによれば間違いではないとさ。
>226
>官兵衛はキリシタンであり、キリスト教の布教を許した信長を討つのは矛盾する。
w
274:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/09 10:25:04 3a9SgAuJ
○「自分の本城に、何故安土を選んだか?」
>>270○その前に君が六月一日が何の日か答えねば、調べようがあるまい?
>.271○勘違いするな、安土城はこの神関係の霊地である。なぜ、あの場所に信長が城を造ったのか、歴史の謎なのだ。
そのように重んじている氏神ということ。
>>272○つまりは、ちゃんと行事を知っているということ。
>>273○京都でものを言うのはその位というもの。道で高位にあったら避けるくらいだ。
○自分の信じる神、文化、物のために全財産、命を懸ける人間、人種もいるということ。
その例である。つまり世は金銭、利欲主義の人間だけではないということ。
○勅命、地位がきくかはそのときの立場、状況、場所にもよるだろ。
無理やりでも征夷大将軍、朝廷の勅命、何も知らなければきく人間もいるだろ。
○隘路でも、その平地決戦というのがよほどの覚悟、因縁がないと当時の武将は犠牲が多いのでしない。
またあの天王山の場所は隘路でもそれほどの要害ではない。
○篭城の先は? 知らないのか? 謀略、交渉、敵の武将を裏切らせる、他で内乱騒動を起こす。
ゲリラで補給線を脅かす。有名な毛利元就が尼子相手にいろいろやっているぞ。
○何故嗤う? 黒田官兵衛はかなり有名なキリシタンであった。
洗礼名は「ドン・シメオン」ぞな。
275:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/09 10:37:00 3a9SgAuJ
>>268○「本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛にあらず!!」○
○本能寺の変を聞いたとき官兵衛は秀吉に「殿も御運が廻ってまいりましたな」
と言ったという。しかし、謀略で殺したのなら疑いを掛けられるのを恐れ、
そんなあからさまな、犯人めいたことをことを言うはずが無い。
○坂口安吾は黒田官兵衛を徹底的に調べた後、
「天才ではあるが、ただの戦争マニアで、野心は二流」と述べた。
官兵衛には出世の意欲、野心は無かった。
○張良は後にその才能を漢王朝に憎まれ、殺されたという噂がある。
仙人を目指して死んだともされる。が、豊臣秀吉は別に官兵衛の才能を妬んでもいないし、
警戒して殺してもいない。
276:あぼーん
あぼーん
あぼーん
277:あぼーん
あぼーん
あぼーん
278:人間七七四年
07/03/09 10:42:50 y4JDkiMa
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説
説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。
前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。
本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。
279:人間七七四年
07/03/09 10:43:30 y4JDkiMa
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。
あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。
280:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/09 10:59:17 3a9SgAuJ
>>278>>279何回も同じこと書くな。凶人かあんたは?
○本能寺の変の黒幕は、黒田官兵衛にあらず!!○
黒田官兵衛がキリシタンであり、ドンシメオンとの洗礼名を持っていたこと。
信長が西洋文明を重んじた、キリスト教布教を許したことに賛同、機嫌をとって、、、である。
つまり、信長に悪意、敵意を持っていた可能性は薄い。
それを隠していた説は、もう無意味である
281:あぼーん
あぼーん
あぼーん
282:271
07/03/09 13:04:52 NfyCzxOx
ティロリロリーンの黒田説と同じ位意味不明だな。
>安土城はこの神関係の霊地である。
「この」神関係って事は、先に神の名前を挙げてから書く物だろ。
どの神よ?牛頭なのか?刀の方か?それとも別の神?
>なぜ、あの場所に信長が城を造ったのか、歴史の謎なのだ。
○は「歴史の謎」が分かってるんだよな。で、それは6月1日と関係している。
もったいぶらないで、安土城と6月1日と信長の氏神がどう関係しているのか言ってくれないか?
>そのように重んじている氏神ということ。
「そのように」重んじているって事は、どう重んじているのかを挙げてから書く物だろ。
何で信長が重んじていたのか、具体的にはどう重んじていたのか書いてくれないか。
安土城と六月一日が関係しているって書いておいて、何故、どう関係しているのかは全く書いていないっておかしいだろ。
もうちょっと詳しく説明してくれんか。これだけで分かるのは、実際に調べた○だけだ。
理由を書かないで結論だけ書かれても、意味不明だよ。
283:人間七七四年
07/03/09 22:28:45 oErB2NQU
>>274
>>270○その前に君が六月一日が何の日か答えねば、調べようがあるまい?
六月一日が信長の氏神に関係する日だと言ってるのは○だろ?答えるべきなのは○だと思うんですが。
もう一度聞くよ。六月一日が信長の氏神に関係する重要な日なら毎年信長は何かやってるはずだよね。その記録はあるの?ないの?
284:人間七七四年
07/03/11 03:01:40 WcFq1+Je
官兵衛はキリシタンだが簡単に棄教もしたな
285:人間七七四年
07/03/11 03:13:20 dWIzEtSG
スレリンク(train板)l50
この春はJR発足20周年記念で、何と5日分8,000円
関連スレです
286:人間七七四年
07/03/11 11:19:15 o6OR0BkK
秀吉黒幕や家康黒幕はありうると思うんだが光秀は
利用されて殺されたんじゃあないかな?
287:人間七七四年
07/03/11 11:58:53 YsNaGBQx
単なる信長の油断だろ。光秀を甘く見過ぎ
288:人間七七四年
07/03/12 02:24:39 QdPKLU69
>274
つまらない一般論ばかり並べられてもなぁ。
議論から逃げているとしか思えないぞ。
>何故嗤う? 黒田官兵衛はかなり有名なキリシタンであった。
>洗礼名は「ドン・シメオン」ぞな。
>226
>官兵衛はキリシタンであり、キリスト教の布教を許した信長を討つのは矛盾する。
w
289:あぼーん
あぼーん
あぼーん
290:あぼーん
あぼーん
あぼーん
291:人間七七四年
07/03/12 05:29:10 R/FjPn7L
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説
説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。
前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。
本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。
292:人間七七四年
07/03/12 05:29:46 R/FjPn7L
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。
あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。
293:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 10:23:44 dk/mqMa0
○信長が六月十四日とかの京都の祭りを知ってるなら、六月一日も知ってるよ。
京都の人にでも聞いてみたら。常識というよ。
少しは辞書くらい見ろよ。これらはひとつの関係がある日だぞ。
○五月二十八日、その日の雨。
光秀はこの日の連歌初句に雨を詠む。
○六月一日、明智軍夕刻発進。
○六月二日、本能寺の変。
○六月十三日、天王山の戦い。
○六月十四日。
○六月十五日、安土城謎の炎上。
例えば安土城は、もともと薬師如来関係の霊地。
薬師如来は寅の日が縁日。
しかも仏教、神道などおいては日本の神はもともと分身するなどとの学問がある。
○六月二日の変、第六の月、ニ日の変
あるいは光秀は「事件」と後に書かれると思っていたかもしれないな。
「天に二日なし、土に二王、、、」中国礼記。
「安土」という名はどこから来たのか、いろいろ説はある。
しかし国土をあらわすのが、天下人なら普通ではないか?
294:人間七七四年
07/03/12 10:38:48 ykKlgIwR
>>293
話にならないな。『六月一日が何の日か』なんて聞いてない。
『六月一日が信長の氏神に関係する重要な日ならそれ以前に信長は何かやった記録があるのか』と聞いてるの。
295:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 10:43:21 dk/mqMa0
○あ、当然293は>>282.>>283.>>288へのレスだ。
>>291>>292○本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛にあらず○
一 黒田官兵衛は、謀叛を企めるような立場、性格ではない。
むしろ、荒木村重の謀叛のとき、牢屋から助けてくれ、織田への人質も殺されてないので感謝していた。
二 黒田官兵衛が謀叛を企み、謀叛日を知っていたのなら、毛利との条約はもっと早く締結できた。
三 光秀、その重臣と連絡をとった形跡が全く無い。書簡も残ってない。
これほどの大謀叛を企むのに、連絡役がないということがあろうか?
四 中国大返しの奇跡は、兵らが追撃を恐れて、命がけで逃げたから。
誰でも命の危険があれば、走るだろう。
五 何より官兵衛には信長への怨恨などが無い。信長が死んでも殆ど禄や立場に関係なかった。
ただの軍師である。むしろ信長が生きていた方が才能を認められて出世しやすい。
キリシタンになったのも、信長にアピールしたかったからではないか?
六 なにより変のその後、これといった動きが無い。大禄も秀吉から貰っていない。
天下を取らせたのなら、もう少し秀吉に何かアピールできるのではないか?
「何より、日記、手紙などの文書的証拠など黒田官兵衛黒幕説には皆無である。
その近臣にもない」これをどうするつもりだ?
証拠品を出してみろ。
296:人間七七四年
07/03/12 10:54:55 ykKlgIwR
>>295
だから>>283も六月一日に何かやった記録はあるのか?って聞いてるじゃん。
297:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 11:06:28 dk/mqMa0
○六月一日の記録はまだ調べてない。
だが信長がこの氏神の神社拝殿をを天正になってから新築したり、
幾つかの特権を与えていると、もっと重要な記録が残ってる。
かなり重んじてないとそんなことはしない。
それに祭りに参加した記録がある。
当然、この六月一日の「用意日」行事も知ってるはず。
かなり重んじていた。これで充分だろ?
298:人間七七四年
07/03/12 11:11:31 ykKlgIwR
>>297
普通、自分の氏神の重要な日なら毎年何か行事をやるはずだろ。調べてないんじゃなくて記録なんてないんじゃないのか?
ところで阿弥陀寺については?
299:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 11:13:07 dk/mqMa0
○そういえば、六月二日が茶会説の重要証拠があるとか言っていた人間がいたな。
そろそろ、それを出してもらおうか、ぞな?
300:人間七七四年
07/03/12 11:15:40 ykKlgIwR
まもなく○も時間切れか。このペースでしか書き込めなくてよく論戦なんて言えたよ。
言っとくが>>297では不充分。過去の六月一日、信長の動向が確認できなきゃ『六月一日が特別な日』なんて信じることはできん。
301:人間七七四年
07/03/12 11:21:06 lhnrIpAR
ねえねえ、
いきなり皆の話ぶった切るけどさ・・・
皆、「本能寺の変」とか言ってるけど
これって近代日本が教育のために都合よくつけたタイトルでしょ。
誰も言わないから質問するけど、
信長は本当に本能寺で死んだのかね。
皆、死んだことを前提にしてるけど。
初歩的な質問でスマンが、
まずこれについて答えていただけないかな。
302:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 11:23:57 dk/mqMa0
>>298「阿弥陀寺? 質問の意図が不明だが?」
行方不明の信長の死体が、実は僧侶によってそこに運ばれていたという説についてか?
もしそうなら、京都を制圧した秀吉に言わないはずが無い。
信長の死体を僧侶が隠すなどありえない。褒美にもなることだ。
また信長の家族も探したはずだ。
結果、大徳寺で信長は死体を木で作って葬儀をした。
当時、死体の無い葬儀はよほどのことがないとしないだろ?
303:人間七七四年
07/03/12 11:30:26 rNhvjHwq
「信長之代、五年、三年は持たるべく候。
明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候」
毛利の外交僧として織田方との折衝にあたっていた安国寺恵瓊が、
天正元年に信長の将来の没落を予言したとされる文言である。
本能寺の変から遡ること八年と半年ほど前、
彼は当時の信長のどこに、その萌芽を見つけたのだろうか。
304:あぼーん
あぼーん
あぼーん
305:あぼーん
あぼーん
あぼーん
306:人間七七四年
07/03/12 14:48:57 ykKlgIwR
>>302
阿弥陀寺は織田家の菩提寺として信長の帰依を得ていた。>>297でいう神社だけが特権を与えられていたとは言い難いのでは?
その神社の名前は?与えらた特権とは?
307:あぼーん
あぼーん
あぼーん
308:あぼーん
あぼーん
あぼーん
309:人間七七四年
07/03/12 17:47:28 eNIQHZO7
>○信長が六月十四日とかの京都の祭りを知ってるなら、六月一日も知ってるよ。
>京都の人にでも聞いてみたら。常識というよ。
>少しは辞書くらい見ろよ。これらはひとつの関係がある日だぞ。
京都の人にとって常識なら、○は確実に分かってるんだよな。
早く証拠を出してくれんか。
一番重要なこの部分をぼかして、他の奴らの意見をただ否定するだけじゃ議論にも何にもならんだろ。
ところで、天に二日なく、地に二王なしって礼記から出し続けてるよな、○。
続きの
家無二主、尊無二上、示民有君臣之別也。(坊記第三十)
の意味は分かってるのか?
それ以前に、続きがあるって知ってるのか?
俺も漢籍については分からないけど、これで表してるのは要するに主君と家臣はきっちり分けられてないと駄目だって事だろ。
訳そのものは間違ってるかもしれないけど、○の言ってる「二日」ってのとは意味が全く違うのは明らかだよな。
光秀が「二日」に本能寺襲撃したってのと、これを合わせたら明らかに違うと思うんだけど。
光秀が読み間違ったとでも言う気か?
○は、ただぼかして言ってるだけで肝心の部分は何一つ言ってない。
××は△△である。なぜなら~って感じに、きちんと理由を書いてくれ。
310:人間七七四年
07/03/12 19:37:09 R/FjPn7L
核心に触れられると話しを逸らす○博に一々吊られるなよ。
311:人間七七四年
07/03/13 00:03:05 hPm23tH9
>14日の祭りを知っていたから1日の事も知っている。
…って何言ってるか分かんね。
祭りが13日だろうと14日だろうと、毎年六月にあるってのは信長は前から知ってるだろ、そりゃ
それが1日とどう繋がるんだ?
牛頭と六月一日をセットで知っていたとしても、「知ってる」と「行動する」は天地の差なんだけどな
んで博ちゃんは、1日が重要な日なら13日~15日より重要な日を知ってるよな?人に辞書を使え言うなら調べてあるわけだ
で、その時の信長の行動記録は?
312:人間七七四年
07/03/13 07:29:56 JNyMC5xl
>297
>六月一日の記録はまだ調べてない。
くせに
>209
>六月一日は信長の氏神とされる神に関係した日であり、
>当然何らかの祝いをするだろう。
なんて言っていたんだな。ふざけた輩だ、全く。
313:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/13 10:27:12 P8Ve5cF+
>>306○ちゃんと津島牛頭天王社とかには、幾つかの税免除の特権を与え、祭りは必ず観にいったとか。
この前、祭り紹介書に書いてあったぞ。
>>309○それが君に歴史の基礎知識が無いから、事件の前後を見れないんだよ。
「上総介」「岐阜」「安土」「天主」「吾が国王であり,内裏である」「第六天魔王ノブナンガと号す」
「生き神、総見寺」「京都大馬ぞろえ時の格好、まるで中国の皇帝」と材料は揃っている。
○光秀とその周囲としては、当然織田の大軍を前に自分らは失敗するかもしれない。
しかし、わかる人らには思いをわかってもらいたい、との気持ちが「二日の行動にある」
とみるべきだろう。おそらくその意も入って京都も六月二日を選んだと思う。
○「天に二日無し、土に二王なし」
どの辞書にも「天に太陽がひとつしかないように、一国に二王はいるべきでない」
一国に二人の王がいるはずはない、のたとえと書いてあるよ。
×「地」じゃないだろ?
>>312○六月一日、さして事件に重要でもない日。君は競走馬の尻尾を熱心に調べる輩に似ている。
また六月二日茶会説の根拠はどうした?
>>311○本能寺の変事件において六月十五日、安土城謎の炎上にまさる重要な日は無いな。
この日が何の日か知らないんだろ?
314:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/13 10:51:47 P8Ve5cF+
>>309○というか、全く辞書一つ見ない君の怠惰に呆れる。
○「阿弥陀寺」どこの阿弥陀寺?京都かな?
菩提寺なら、ますます信長の死体を隠すはずがないな。
>>309○というか、光秀は後世に「天正十年、第六の月の二日の変」と残るだけで、
満足だった、という見方もあるな。
たとえば狂歌だったか、はっきり本位を言わず、におわせるという表現もある。
「主を殺し、国を奪うは美濃、尾張、昔は長田、今は山城」
みのおわりは「身の終わり」、長田山城は地名に見せて実は人を表しているとは知ってる。
「昔より、主を内海の野間なれば」「内海に、討つ身をかくす」
という織田信孝の辞世句もあったろ?
>>311○その信長の最も重要な日というのは?信長の生誕祭か?
315:人間七七四年
07/03/13 13:19:34 XW5eR0Vu
>>313
祭り紹介書を根拠にしてしまうの君は?
>>314
阿弥陀寺が織田家の菩提寺なのは知ってんだろ?『阿弥陀寺が信長の死を隠した』という記録は別にない。
六月一日が大して重要な日ではない!?今まで君が言っていた話と矛盾してきてしまうが…?
316:人間七七四年
07/03/13 13:24:33 XW5eR0Vu
>>314
その
「昔より主を内海の野間なれば報いを待てや羽柴筑前」
の辞世の句。これは信長殺害黒幕は秀吉ではないかとされる根拠のひとつにされてたりするな。「主」はどう考えても信孝じゃないもの。
秀吉の主は信長と秀信だからな。
317:あぼーん
あぼーん
あぼーん
318:あぼーん
あぼーん
あぼーん
319:人間七七四年
07/03/13 20:32:29 H6IFKeay
荒らしうざい
320:人間七七四年
07/03/13 23:37:01 JNyMC5xl
>195
「六月一日の茶会」
この日は特別な神の祝日、用意日で、祝いをする理由はある。
>209
>六月一日は信長の氏神とされる神に関係した日であり、
>当然何らかの祝いをするだろう。
>260
>そもそも安土城とも六月一日は関係しているだろ?
と、六月一日の特別さを語っておきながら
>297
>六月一日の記録はまだ調べてない。
という博くんの研究の杜撰さが明らかになった。それを指摘されると、
>313
>六月一日、さして事件に重要でもない日。
>君は競走馬の尻尾を熱心に調べる輩に似ている。
と、不勉強さは棚に上げて他人を中傷する博くん。まさに人間の屑である。
321:人間七七四年
07/03/14 05:50:09 ezUrBCZW
一冊の自費出版(しかもその内容は完全に盗作)でフリーライター・歴史研究家を称しているような○博クンが
人間の屑なのは分かりきっていたこと。
その屑に吊られるなよ。
322:人間七七四年
07/03/14 09:02:47 m84/hD+z
>>314変の当時の話してたのに信長の生誕祭ってw
てか信長にとって『最も』大事なんて言ってないけど?
博ちゃんが重要だと言っていた六月一日、つまり鉾流しの事だろ?
調べれば鉾流しと一緒に書いてある。もっとも祭りに関して信長が「見物」「踊った」以外の記録がないなら調べても無駄。変には何の関係もないし
六月一五日?
天正から500年も逆のぼれば、信長に繋がる事の一つや二つは当然あるけどそれがどうしたよ?
平とか氏を入れたら信長は365日重要視せにゃならんな
323:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/14 10:23:48 bV9clim2
>>315>>320○「どうも言い方が悪かったようだな」
六月一日は、ある神を氏神にしていた信長とか、当時の人々には行事、茶会とかを行う理由になる日。
安土城霊地とも関係がある。しかし、現代における本能寺の変の動機研究などには、それほど重視せずともいい日。
なぜなら、もっと重要な神の日があるので。
>>321○馬鹿言え。「聖戦、マハーカーラの女、本能寺の真因」が、全てのオリジナル。真伝さ。
だから題名とか、副題、証拠品とか一番いいものを取っているだろ。
国家、文部省、公的研究所、民間歴史研究家は、しっかり一九九七年二月以降と、以前に分けて、
本能寺関係書籍、参考書、朝廷説を調べるんだな。
そうすれば書き方、描き方が一九九七年二月以後はがらりと変わってるのに気づくだろう。
書き直されてる参考文献もあるしな。
>>322○鉾流し?そうじゃないだろ、京都における六月一日だろ。
○信長の栄華権力の象徴、安土城の炎上消失した日と、
他の日を比べるなよ。この日が何の日かも知らないのか?
○そろそろ六月二日茶会説の根拠文書を出せよ。
324:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/14 10:41:54 bV9clim2
>>316「昔より主を内海の野間なれば、」
○しかし、このときは織田信孝は秀吉を非難、誹謗したかったわけだからね。
主筋を討つ不忠者にしたかったわけだから。
当時は主の血筋の子は、家臣にとって主という見方もあった。
本能寺黒幕説の根拠にはならない。
325:人間七七四年
07/03/14 11:21:22 iKTlsips
>○ちゃんと津島牛頭天王社とかには、幾つかの税免除の特権を与え、
>祭りは必ず観にいったとか。
>この前、祭り紹介書に書いてあったぞ。
これが○の根拠??
天正元年二月の木下祐久書状は?
天正三年九月二十三日の信長印判状案は?
上記二つを否定して出所不明な紹介書を採用するとはねw
そりゃ学会に発表出来ないわ
326:人間七七四年
07/03/14 14:22:54 R0ArlsOo
>>324
>当時は主の血筋の子は、家臣にとって主という見方もあった。
え?!
327:人間七七四年
07/03/14 22:40:19 5ZagSPbe
>323
>そうすれば書き方、描き方が一九九七年二月以後はがらりと変わってるのに気づくだろう。
2001.3 『真説 本能寺』発売
2001.3 『本能寺の変の群像』発売
2002.7 その時歴史が動いた「本能寺の変~信長暗殺!闇に消えた真犯人~」放送
(2003.10 『謎とき本能寺の変』発売)
2004.1 『信長と十字架』発売
2004.4 その時歴史が動いた「信長暗殺を命じた男~新説・本能寺の変 浮上した黒幕~」放送
2006.2 『信長は謀略で殺されたのか』発売
…二十一世紀には朝廷黒幕説は過去の遺物となっていた。これが真実。
328:あぼーん
あぼーん
あぼーん
329:あぼーん
あぼーん
あぼーん
330:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/15 10:16:45 I9cy0l8c
>>325○それらの手紙に光が当たり始めたのは「聖戦、マハーカーラの女」が信長無神論を打ち砕いたから。
それまではルイスフロイスの記録「信長は無神論者であり、人は死ねば土灰になるだけといった」
を皆が鵜呑みにしていた。それゆえ、注目などされなかった資料なのだ。
○さらに本能寺研究においては信長が牛頭天王や別の神を信じていた、
それがどうした?勝手だろ、となる。
問題はきちんとそれを利用し、大和朝廷と交戦した証拠があるかどうかだからな。
「聖戦、マハーカーラの女」には、唯一、その証拠が挙げられている。
>>327○これらの色々と出た番組、黒幕説は最新の
「信長は謀略で殺されたのか? 本能寺の変謀略説ヲ嗤う」
藤本正行著が全て打ち砕いてるだろ。
細川家への明智光秀自筆の手紙、美濃野口城主西尾光教あての「{信長}親子の悪逆天下の妨げ」とか
を背景に突発的な怨恨か野望の思い付きだと、論を述べてる。
しかし「聖戦、マハーカーラの女」の著者は、藤本氏の著作の朝廷説部分には間違いがあると
述べている通りだ。
331:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/15 10:59:44 hnL2vkh/
○本能寺の変朝廷説への反論は次のとうりである。
一「細川家への光秀自筆の手紙、子供のためにした」がある。
二 信長討伐の勅命、令旨が出ていない。
三 親しい吉田兼見の日記に「謀叛」とある。
四 誠仁親王が二条城という戦場に近い場所にいた。
五 陰謀の防諜、密告の危険について触れられていない。
○これらの反論はまさに何も知らない人には完璧だろう?
しかし、「聖戦、マハーカーラの女」の証拠を使えば簡単に反論できるものばかりだ。
前に書いたろう?当然、覚えているだろうね?
332:人間七七四年
07/03/15 11:50:47 mrZYAVl2
皆さん、意味のある著書を読もうね
本日発売!
著者:桐野作人 (歴史作家)
書名:だれが信長を殺したのか―本能寺の変・新たな視点―
版元:PHP研究所
頁数:292頁
定価:760円+税
333:人間七七四年
07/03/15 15:27:07 aAcK/ieE
>>331
だから何でその証拠でもって学界なりしかるべき所で発表しないかが本能寺以上に謎な訳でwww
334:人間七七四年
07/03/15 15:30:16 Fleu1waE
>>331
読んだこともないし読む気もないからここに理由書いて
335:人間七七四年
07/03/15 15:40:56 DZEoG3eO
祭りの案内書を持って学会にいくのは、いくら何でも気が退けるのかね?
336:人間七七四年
07/03/15 18:34:48 /x37KUgp
桐野先生新著の版元煽り文
決断をためらう明智光秀の、背中を押した影の男とは?
「ときは今天が下しる五月哉」。挙兵三日前、
愛宕百韻で本能寺急襲のひそかな野望を詠んだといわれる光秀だが、
いまだこのとき、謀叛を決断していなかったことが新発見の書状で明らかになった。
そんな光秀を追いつめた張本人はいったいだれ!?
足利将軍か、朝廷か、はたまたバテレンか。黒幕説飛び交うその裏で、
一人の男の影が浮上した。斎藤利三。他家を出奔し明智家家老にまでなった勇者には、
信長を許せない複雑な事情があった。
長宗我部元親、三好康長、羽柴秀吉、織田信孝。四国情勢をめぐって
濃密に絡み合う人間関係に、翻弄される光秀、そして信長の誤算とは!
337:人間七七四年
07/03/15 19:08:42 uXzemylR
>>334
今だかって○博が核心に触れる質問に明確に答えたためしはない。
ただ「聖戦、マハーカーラの女」を読めの一転張り。
自費出版の鼻糞小説なんか一々相手にするなよ。そんなに暇なのかい?
相手にするのはアンタも同類ってことだよ。
338:人間七七四年
07/03/16 01:21:16 mqVBuVFP
【博くん迷言集】
日本史板「【明智】惟任日向守・其之弐【光秀】 Ⅱ」より
>294
>「聖戦、マハーカーラの女」出版以後のテレビ特集、文献、小説をよく調べてみろ。
>朝廷説+近衛前久が格段に多くなっているから。それもそのはず、、、
>432
>そもそも「聖戦、マハーカーラの女」が出た後、朝廷説の本が多く出たと確認しろよ。
朝廷黒幕説の嚆矢となった桐野作人氏の『信長謀殺の謎』が出たのは1992年11月。
『聖戦 マハーカーラの女』が出たのは1997年2月。
むしろ便乗して出したのは…。
>766
>君の言う一流学者の先生らは一九九七年二月以来、本能寺の変の動機論文は出していない。
>というか、出せない。的外れの論文が歴史に残るほど学者に恥はないからな。
が全くの嘘なのは>327で明らか。
339:人間七七四年
07/03/16 04:09:00 wK/g/24v
正直、○の説は俺にはわからない。
結構前から○のレス読んできたけど、俺にはどうしても曲解としか思えないとこばっか。
「そこはおかしいんじゃないかなぁ…」て思ったとこだらけだし、それに対する質問の回答も『?』。そして昼前には消えてまた次の日まで現れない、と。
もしかしたら偉い研究者にはわかるのかもしれないけど決してそういうところには行かない。論戦を望んでるというわりには。
この繰り返しで何だか飽き飽き。
きっとマハー何とかを買ってもらいたい一心で宣伝してるんだろうけど、何故だかまったく読みたいという気が起きない。
そもそも1997年に結論が出てるならそれ以降に次々と他の説を採る本やTV番組がいっぱい出てきてる。これはやっぱり朝廷黒幕説が真実だと認められていない証左だと、単純に思うんだが。
340:あぼーん
あぼーん
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341:あぼーん
あぼーん
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342:あぼーん
あぼーん
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343:あぼーん
あぼーん
あぼーん
344:人間七七四年
07/03/16 07:15:11 LUJOMKwc
>>338
『第六天魔王信長』著者:藤巻一保。学研文庫。
91年「第六天魔王と信長」で刊行、01年、加筆、文庫化。
信長はかつて、信玄からの手紙の「天台座主沙門信玄」という署名に対抗して
自分のことを「第六天魔王信長」と名乗ったという。そもそも第六天とは何であり、
そこの天魔、魔王とはどういった存在であるのか、その辺について詳しく解説している。
また過去の資料の解釈から、信長に関する信じられないような新説が次々と出てくるところが面白い。
まあ、本当かどうかは別にして(~_~;。
信長といえば延暦寺焼き討ち、本願寺との死闘などから仏罰などものともしない無神論者という
イメージが一般的である。一方で信長の過去の発言や行動には、ところどころ不可思議なものが
見受けられる、とし、また織田氏の出自と氏神、津島牛頭天王社とのかかわり、竹生島弁才天勧請、
その他をうまく結びつけて、これらを分析心理学者ユングの説を用いて、実にユニークな解釈をして
くれているのだ。
それにしても魔王を掘り下げていくうちに牛に行き着くところは興味深いですね(謎)。
345:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/16 10:31:31 /EoOxD3+
○だから、しっかり「聖戦、マハーカーラの女」の出版された一九九七年二月と
その前後に分けて調べろよ。
A「第六天魔王と信長」悠飛社だったと思うが、九一年。フロイスの無神論、
光秀自筆の手紙は全く無視。
B「聖戦、マハーカーラの女」一九九七年二月。本能寺の変は解明されたと宣言。
光秀の辞世「一元」は太元帥明王、国家鎮護の守護神などへの信仰ではとかく。
勿論Aなど参考文献としてしっかり書く。
C「信長と牛頭天王についてのある書籍が出る」大元帥明王が破壊される。また信玄が臣下に修法が許されない
大元明王法を使うはずもなく。信仰は不動明王だろうと文句がつく。
D 国東博というホモのひとがドラマで出る。
E○一年「第六天魔王信長」と加筆修正、書き直されたされた本が学研から文庫で出る。
F「大場和男」オオバカズオという傑作なアダナを持った肥った人がドラマで出る。
ジャッキーチエンが「大和」という掲板を二つに割って踏んづける。
ま、しっかり国家、文部省、宮内庁、公的、民間歴史研究家は、どの本が本物か
調べたほうがいいな。
さまないと大場和男なんて名前が何時までも幅を利かすだろうし。
ま、しっかり数冊を読み比べるんだね。
さもないと本物の価値も解らないだろうし。
346:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/16 10:46:01 /EoOxD3+
○日本史二千年でただ一冊。
ダイヤの鑑定眼くらいしっかりしろよ。
○本能寺の変の真伝は「細川家への光秀自筆の手紙、子供らのためにやった」
ルイス・フロイスの「信長無神論」を全て破壊する。
というか、これを書いてない本を読むなんて?
336○桐野作人氏「斉藤利三犯人説?」
正直、朝廷説を否定した後で、証拠品があるとは思えない。
また利三は捕まっている。拷問されてるだろうから自白調書でも出たのか?
それくらい出ないと、、、、な。
>>339○本能寺の変は「朝廷説」と考えて、いろいろと調べればいいわけだよ。
そうすれば神仏を大事にしていた日本人の敬虔さと本当の心が解るだろう。
織田信長は、正直、若すぎた。
347:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/16 10:59:42 /EoOxD3+
○事件の起こったときは動かせない。
天正十年六月二日、早暁、本能寺の変。
第六の月、二日の変。
「天に二日無し、土に二王無し」中国礼記。
天に太陽がひとつしかないように、一国に、、、
「ときは今、あめが下知る五月かな」明智光秀。
五月二十八日、この日に降る雨は特別な名前がある。
明智光秀は土岐氏{ときし}出身であり、
時に特別な思いをこめていても不思議ではない。
348:人間七七四年
07/03/16 11:15:44 L2vj5AkF
まぁアホらしいんで○に論戦挑む気ないが、他の人への説明
>○それらの手紙に光が当たり始めたのは「聖戦、マハーカーラの女」が信長無神論を打ち砕いたから。
これは真っ赤な嘘、○が書状の中身と織田家研究を知らない証拠。
これらの書状は織田家のルーツを探る重要なもので、越前織田荘の織田剣神社にあるもんです。
内容は信長が織田剣神社を氏神として祭るように朱印を出したとあるんですね。
また、信長発給文書の研究にもあるように、信長は神社仏閣に対して保護してるのが多く、
○の言う「信長無神論」なるものは極一部が主張してたと言うのも憚るぐらいのもので、
○が打ち砕いたというのは説明するまでもないが妄想。
そして、これらは1970年代からすでに注目されており、○が三文小説から注目されたなんて大嘘です。
ちなみに織田氏の祖が藤原氏(正確には藤原氏を名乗っていた織田荘の荘官)の論拠は、
この剣神社文書に多数あるので御参考に。
織田氏の祖と思われる藤原信昌・将広父子の奉納文などあります。
ま、○がデタラメなのは説明するまでもないんですがw
349:人間七七四年
07/03/16 11:21:34 L2vj5AkF
追加
明智光秀の辞世の句は本人のではありませんw
織田信孝のは数種類あります。
ま、常識ですがね。
350:人間七七四年
07/03/16 14:13:41 gQoD2+Y7
D 国東博というホモのひとがドラマで出る。
E○一年「第六天魔王信長」と加筆修正、書き直されたされた本が学研から文庫で出る。
F「大場和男」オオバカズオという傑作なアダナを持った肥った人がドラマで出る。
ジャッキーチエンが「大和」という掲板を二つに割って踏んづける。
この辺読むと…うーん。本気で心配になりますね。
351:人間七七四年
07/03/16 16:18:57 3IU1pXP4
>>350
すまん、DとFが本能寺の変と何の関係があるのか、
いまいちこのスレの内容つかんでない俺にはさっぱりわからんのだが。
最近話題の黒田官兵衛説の妄想以上に、気持ち悪い妄想全開で、とても全部読む気がしなかった。
とりあえず、○というのが自分の本を売ろうと必死というとこまで理解した。
352:人間七七四年
07/03/16 16:25:12 gQoD2+Y7
いや、たぶんお薬が足りてないんだろうという意味です。
353:人間七七四年
07/03/16 18:15:45 YhvnypU/
何を言ってるのか解らないのでググってみた
以下Wikiから抜粋
『オヤジぃ。』2000年TBS系で放送
キャスト
神崎完一(55)田村正和神崎医院の医者。神崎すず(21)広末涼子 神崎家の次女。国東博(31)及川光博 すずが結婚しようとした相手。実はゲイでオカマバーに勤める。
『オヤジぃ。』2000年TBS系で放送
キャスト
進藤士郎(田村正和)そば屋「みゆき蕎麦」の店主。大場和男(石塚英彦)みゆき蕎麦で修行。士郎からは、名前を前から4文字取った「おおばか(大バカ)」と呼ばれている。
以下、大庭博の頭の中
続け様に自分に似た名が→しかも変な役→これは大変な本を出してしまった大庭博を貶めるために違いない
354:人間七七四年
07/03/16 18:20:17 YhvnypU/
間違った。大場和男の方は『おとうさん』2002年TBS系で放送だた
355:人間七七四年
07/03/16 22:47:14 wK/g/24v
>>346
>>>339○本能寺の変は「朝廷説」と考えて、いろいろと調べればいいわけだよ。
だからさ、『朝廷黒幕説』に凝り固まったら周りが見えなくなるでしょ(なってるか、すでに)。
『朝廷黒幕説』が真実なら1997年以降にいろんな説を採った本やTV番組が出てくるはずないでしょうよ。まずはそこから片付けていかないとどんだけ語ろうと聞く耳は持ちません。
俺は未だにいろんな説が出回るのはどの説も決定的な証拠が無いからだと思ってる。もし○が全てを覆す証拠を持っているんなら、それを披露する場所は2chじゃない。堂々と偉い研究者に論戦を挑んできなさいよ。
356:人間七七四年
07/03/17 00:10:04 fsTIDl9F
>>353
351ですが、詳しい説明どうもです。やっと意味が理解できました。
自意識過剰のとんでもない勘違いの妄想か。
つーか、本能寺の変も歴史も関係無いし。
かなりやばい人だということはわかりました。俺も本気で心配になってきた。
357:人間七七四年
07/03/17 01:02:50 NpbfjQxF
ティロリロリーン説垂れ流すのやめれ
毒電波と同じなんだから
358:人間七七四年
07/03/17 10:47:35 HO32d/3T
でも、ここ見てるとティロリロリーンがまだまともに見えてくるよ。
だって、ティロリロリーンは所詮馬鹿でちょっと調子こいた歴史オタの中学生みたい。
「多角的に考察」とか覚えたての難しそうな言葉を、意味もわからず使ってみたい御年頃。
一方こちらの人は、いい年しておかしな妄想の世界で生きてるみたいだもん。
歴史の妄想ならまだしも、自分が世間から注目されてるという妄想はかなり痛い。
いや、ただ自分の本を売りたくて、なりふりかまわず必死なだけか。
359:人間七七四年
07/03/17 20:33:51 +KiKMV7g
>>355
>堂々と偉い研究者に論戦を挑んできなさいよ。
二度もその機会を与えられたのに無視して、いまだに2chで妄想を振りまいているんだから
言うだけ無駄だよ。
360:人間七七四年
07/03/17 23:50:41 Hv1qldYB
次回の○の書き込みにプロパガンダという単語が現れる確率は100%!
361:人間七七四年
07/03/18 18:12:43 tcCUbice
桐野氏の新著に「朝廷説は成立しない」とはっきり書かれてるな。
○はこの本をよく読んだ上で反論なりするように。
まあ反論の余地はないと思うけど。
個人的には変の原因は信長の四国政策の変更にあるという同氏の説は
十分説得力があると思う。
362:人間七七四年
07/03/18 20:29:21 apz6y6Ag
>345
>A「第六天魔王と信長」悠飛社だったと思うが、九一年。フロイスの無神論、
>光秀自筆の手紙は全く無視。
博くん、また嘘をついているな。
前者については文中で触れられているし、
本能寺の変を語った本ではないから後者に触れていないことを
指摘するのは筋違い。
>C「信長と牛頭天王についてのある書籍が出る」
題名は? 著者は? 出版社は? 刊行年は?
題名を挙げなければ博くんの捏造と言われるだけなのは
過去スレで明らかだから早急に答えろよ。
>E○一年「第六天魔王信長」と加筆修正、書き直されたされた本が学研から文庫で出る。
『聖戦 マハーカーラの女』の内容がパクられていると暗に言いたいのだろうが、
それを証明するのは博くんの仕事なので、しっかり調べろよ。
363:人間七七四年
07/03/19 00:12:24 RfZ7iZ/n
本能寺の本スレは↓
【歴史的難儀】本能寺の変の真犯人判明2【解決】
スレリンク(sengoku板)
364:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/19 10:13:46 oFqg6GyV
>>348「信長は完全な無神論者」について
「第六天魔王と信長」悠飛社
ルイスフロイスの記録に信長は「この世にあの世も前世も無い。人は死ねばただ灰、土になるだけ。
神仏は木石にすぎず」といったとある。比叡山焼き討ち前にも、仏像などは金や木にすぎぬといったとある。
これが常識だったのだ。これが書かれていない。
○本能寺に関しては第六天魔王が何か本能寺の変を引き起こしたように匂わせているぞ。
勿論明智光秀自筆の手紙は全く無視。
○第六天魔王{大自在天}は仏教破壊の神、なのに安土城天主五階に釈迦如来が描かれ、
他にも仏像があったことは無視。原書初版では安土城天主、泰山府君のことは殆ど書かれていない。
もちろん安土城霊地、牛頭天王と薬師如来の関係は全く気づいていない。これらは「聖戦マハーカーラの女」が最初。
○信長ほどの独裁者なら第六天魔王の像をそのまま安土に飾ってもいいだろう、の答えもない。
この本は十年間も放っておかれた。
「聖戦、マハーカーラの女」はちゃんと参考文献に入れているがな。
>>355>>>361○本能寺の変は「朝廷説以外は成り立たない!!!」
他の黒幕説には何ら「根拠、証拠品がない」のは周知の事実。
すでに「信長は謀略で殺されたのか? 本能寺の変謀略説ヲ嗤う」で藤本正行が論破しているぞ。
この本について、私以外の他の研究者には反論も証拠品も出ていない。
365:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/19 10:38:14 oFqg6GyV
>>362「聖戦、マハーカーラの女」の著者が文句をつけたのは、
確か1999年の十二月発売だったか新潮社の「信長、或いは戴冠せしアンドロギュヌス」
宇月原晴明とか言う書物である。これについて2○○○年の夏ごろに質問状を送った。
○信長の無神論は全く無視。
○安土城が薬師如来その化形身牛頭天王の霊地などは「聖戦」に告示している。
○信長が第六天魔王を崇拝していたというが五階に釈迦如来などある。
○六階の絵の神農は魔王ではないだろう。
○安土は雌雄同体の城とあるが、「聖戦」には安土山と隣の観音寺山で歓喜天形
女神と男神で一体となる神形とあり、まるでアレンジではないか?
○「聖戦」で重視され、勝ったとする大元帥明王が、アンドロギュヌスでは魔王に破壊されている。
これは天皇陛下に失礼ではないのか? それに大元帥を使った武田信玄の信仰していたのは不動明王。
なんで大元帥明王が出ているのか?
○賞金レースで、その前にこんな酷似した本があっていいのか?
また歴史認識に間違いがある。
このとき編集者の話で文献に「第六天魔王と信長」があがり、酷似部分は載っていないと私は言った。
そのあと、パタッと手紙が途絶えた。
○その後すぐ十月に、「オヤジイ」の国東博出現、ホモ、ゲイボーイになる」
「おとうさん」の大場和男、あだな「大馬鹿」である。しってのとおり「和」だけでもヤマトと読む。
この脚本家は「幸福の王子」なる本を新潮社文芸部から出している。
いったい新潮社は査問委員会を作ってよく調べたのだろうか?
○国家、文部省、宮内庁、公的、民間研究家はそろそろ文献をよく調べ、誰が本能寺の変解明の本物か、
どうか調べたらどうなのか?
さもないと「大場和男、オオバカズオ」などという名が世にのさばることになるぞ。
ちなみに「大和」と入っているのはなぜなのか?
「聖戦、マハーカーラの女」では国家安康、右僕射家康、君臣豊楽などという字が重視されている。
366:人間七七四年
07/03/19 10:50:08 f9BKpEgD
>>361 私以外の他の研究者には反論も証拠品も出ていない。
○はいつの間にか研究者になってるよ(ワロタ
>>362 さもないと「大場和男、オオバカズオ」などという名が世にのさばることになるぞ。
とても薄ら寒い気持ちになるのは 気のせい?
前から何度となく「分裂症」っていう指摘受けてたけど正しそうだね
367:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/19 10:50:19 oFqg6GyV
>>360○実際、何かのプロバガンダ工作じゃないか。
○もし本能寺の変が「朝廷説ではない」、というのなら、
本人でなくていいから、その論文、証拠品、文献、資料、史料をここに提示してみろ。
出来ないだろう?
証拠なんてない。千年たっても出ない。朝廷説以外はね。
○ちなみに信長無神論、明智光秀自筆の手紙を打ち砕く証拠品は、
少ないが、確実に存在する。
368:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/19 10:59:25 oFqg6GyV
○「第六の月、二日の変」
この後の天皇の名前は「後陽成天皇」、
秀吉も妙に日輪の子、日吉丸など太陽を強調した。
>>366○ぐだぐた言わず、正々堂々と証拠品、資料をそろえ、反論し
てきたらどうだ?
もっとも基礎知識がないと、名茶器の鑑定は出来ないからな。
369:人間七七四年
07/03/19 11:05:27 f9BKpEgD
>>367 何かのプロバガンダ工作じゃないか。
「プロバガンダ」じゃなくて「プロパガンダ」ね
外来語の素養もないなんて…
それに意味もあまり判っていないみたいだね
プロパガンダ(Propaganda)は特定の思想・世論・意識・行動への誘導を
目的とした宣伝である
どうもレッテル貼り=プロパガンダと思ってるようだけど、
カードスタッキング(自らの主張に都合のいい事柄を強調し悪い事柄を隠蔽する)
っていう意味もあるんだよ。
まさしく○の行動そのものだね
370:人間七七四年
07/03/19 11:29:50 qH0CWE5A
>>369
上手い。座布団10枚。
371:人間七七四年
07/03/19 11:35:29 qH0CWE5A
>>365
>「聖戦、マハーカーラの女」の著者が文句をつけたのは、
確か1999年の十二月発売だったか新潮社の「信長、或いは戴冠せしアンドロギュヌス」
宇月原晴明とか言う書物である。これについて2○○○年の夏ごろに質問状を送った。
お得意の2Chでですか。
それでは誰も相手にしてくれなかったでしょうね。
372:人間七七四年
07/03/19 12:06:27 g1iWuZ++
つーか、専門の研究者に挑むのは避けて、小説家相手に攻撃?
弱そうな相手だけ選ぶってかっこ悪いね。
「書物」なんて言って、知らない人に権威ある著作を相手にしたと思わせようとするのも卑劣。
373:人間七七四年
07/03/19 12:49:44 BhdbWJwN
光秀を影で操った真の暗殺の黒幕(=朝廷)が、
明々白々たる物的証拠を残すような間抜けな失態を犯すわけねーだろ。
JFK暗殺に例えると、
光秀はオズワルドにすぎんのだよ。
オズワルドの単独犯行説など笑止千万で論外な妄言と同様だ。
信長暗殺の闇は深いんだよ。
374:人間七七四年
07/03/19 20:46:06 HXChFHGo
こういう歴史は謀略で動くと信じこんでいるヤツって
どうしたらいいんだろうね。
「証拠がないのが証拠」とは実に都合がいい。
375:人間七七四年
07/03/19 21:54:51 HXChFHGo
連投スマソ。
鈴木・藤本の本にも、今度出た桐野の本にも
朝廷黒幕説では辻褄が合わないことがいくつも挙げられてる。
謀略論者はこういう客観的なことは無視して始めから謀略と
決めてかかっている。
「結論先にありき」でこれはもはや学問ではあるまい。
376:人間七七四年
07/03/19 22:39:18 eTobL/5i
宇月原氏の本はその後文庫化されてる。査問委員会なんてなかったんだろうし、質問状なんて相手にされてないんだろうなw
377:人間七七四年
07/03/20 00:45:50 zBtDo+uI
>365
ファンタジー小説に対して質問状。稀有な行動だな。
送られた側も意図をつかめずに、さぞ苦笑したことだろう。
しかも
>賞金レースで、その前にこんな酷似した本があっていいのか?
と書いているが、挙げている六項目のうち、
作品間で異なる項目が四つ、『聖戦 マハーカーラの女』のアレンジ扱いが一つ、
『聖戦 マハーカーラの女』に書いているらしいことが一つ。
…どこが酷似なんだ? 違う箇所の方が多いじゃねぇか。
博くんは算数もできないのか? できないから書いているのだろうが。
378:人間七七四年
07/03/20 03:32:02 T6HZG7lB
最近は官兵衛説のアイツをいじる方が楽しいな
379:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/20 10:15:45 4Lyk7iX+
○「光秀の行動を偉業と感じ、真実を後世に何とかして残そうとした人々がいた」
>>369○ちょっと打ち間違えたくらいのことで騒ぐ君は、競馬馬の尻尾の出来で大騒ぎする輩に似ている。
○カードスタッド、いやそんな卑怯な言葉があるとはな。知ってる君はさぞや?と思わせる。
何にせよ、「聖戦、マハーカーラの女」、その証拠は私が作ったものではない。
歴史上の本物なので、そんな言葉は必要ない。
>>371○いやいや新潮社本社、文芸部に手紙で数度。似たのがあるぞ、賞という公開レースで多くの応募者に失礼では?
とね。そしたら書きなおし文献、国東博、大場和男{ホームページでは大馬鹿という愛くるしいアダナで呼ばれている}だもんな。
>>372○博士だろうと教授だろうとこちらは逃げないさ。権威でも何でもここに書いてくれば?
もしここに書きたくなければこの掲示板に来いと実名+職名で書いてみろ。
>>373○何度書けば解るのかね? 光秀の行動を偉業と感じ、後世にその行いの真実を残そうとした敬愛した人々がいた。
彼らはそれで真実を暗号として残したのだ。
380:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/20 10:44:35 4Lyk7iX+
○藤本正行氏の「信長は謀略で殺されたのか? 本能寺の変謀略説ヲ嗤う」
においては、朝廷説は間違っている。防諜のところを詳しく言っているが、
○桐野作人氏の斉藤利三論は、これといった文書的証拠が無い。
勧修寺晴豊「晴豊公記」の「かれなと信長打談合衆也」を証拠とするなら、
藤本正行氏が、論破してるぞ。さしたる証拠にもならんとね。
そろそろ「カードスタッド」といわれたくなければ「聖戦、マハーカーラの女」
と勝負するしかなくなるぞ。研究者は皆、真相に気づいているからな。
○新潮社に査問委員会をつくるような甲斐性が無いというのなら、
国家、宮内庁、文部科学省、公的機関、民間研究家が動いて調べるしかないだろうな。
何しろ帝家代々の国家守護の大法大元帥明王が破壊され、ホモの国東博、
大場和男、オオバカズオ、参考文献書き直しだからな。そもそも十年前の話題にもならない本がいきなりの文庫化だもんな。
○なんで、あのファンタジー小説に歴史推理部分があるんだ?必要ないだろ?
しかも後ろの参考文献も似ているし、、、、安土城の部分も酷似。
結論は「歴史推理」では、「聖戦、マハーカーラの女」にはもう勝てないから。
○妙なこと書いていると、わざと天皇家の聖戦の歴史に傷をつけ、大元帥明王を破壊し、革命家を賛美するのが目的では?
と世間は疑いますまするぞ?
「朝廷説でないほうが矛盾が出る」
○勝ち馬信長についているほうが、光秀と家臣ははるかに有利。
○なんであの出陣前に信長は京都にいたのか?用件は。
○なぜ六月一日に貴族が大勢本能寺を訪れているのか?
○夜の京都の警備兵、盗賊よけの木戸をなぜ明智の大軍はやすやすと通過か?
○なぜ、安土城、財宝は無傷で手に入っているのか?
○安土城帰りの光秀を大勢の貴族が出迎えているのは?
○大阪の織田信孝軍の四散、美濃の安藤氏の都合のいい謀叛。
○光秀は何故、京都で略奪、朝廷などの人質をとっていないのか?
○光秀はなぜ、京都や篭城をせず、天王山で戦ったのか?
矛盾は斉藤利三説の方が多くなると思うが?