日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真相。at SENGOKU
日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真相。 - 暇つぶし2ch150:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/22 10:39:16 G5wIMtqR


○巨大な真実の暗号は一見、値打ち、価値の無いものの中に隠される。
特に絶対権力者の目を逃れるためには、、、
木の葉を隠すには、木の葉の中、手紙を隠すにはつまらない手紙の中、、、

>>146○天動説の時代、天動説を語る学者らは尊敬され、地動説の学者らは刑務所に送られたが、
宇宙時代に、天動説を語る人間はあんただけ。


151:人間七七四年
07/02/22 14:20:47 WJ6tDlry
>>150
>>146のどこに天動説を語ってるの?字が読めないの?

152:人間七七四年
07/02/22 14:29:29 WJ6tDlry
>>149
>○私は全てその偉い先生らが著書で得々と語っていたことを参考にしている。


読むだけ読んどいて自分の都合のいいものだけ拾い上げただけだろ。それを証拠に都合悪い質問には答えない(意味不明のレスを返す)じゃん。

だからもう本を読むんじゃなくて偉い先生らに直接自説をぶつけてこいってば。何で2chでは威勢良く書き込めるのに、直接とかになると腰が引けちゃうわけ?
ちゃんと説明しないと『やっぱり○は大して自信の持てない自説を語ってるだけ』って思われちゃうよってゆうかみんなが思ってるよw?

153:人間七七四年
07/02/22 18:30:04 4wW3j++U
はいリンク集
URLリンク(homepage2.nifty.com)

某有名人もいるよ。ガンバレ~


154:人間七七四年
07/02/22 23:43:35 kEBXLJ21
ホント、ホモが多いんだね。
「本能寺の変」関連の書籍、論文等に全く取り上げられていない自費出版の三文小説家なんて相手にしなさんな。

独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。


155:人間七七四年
07/02/23 00:59:41 /eIpaxry
>149
>真の暗号は一見価値無いものの中に隠される。

>しかも「聖戦、マハーカーラの女」における本能寺の変の証拠品は、
>それまで誰も値打ちがないと見向きもしなかった物、
>建物、絵の中にこそ発見されたのである。

>150
>巨大な真実の暗号は一見、値打ち、価値の無いものの中に隠される。

「壮大な、本物の聖戦のドラマだったんだわ。
『日光東照宮』は『光日照』と並べれば、ミツヒデと三文字も使って読める。
天海は光秀……。そして残る文字は『東宮』、皇太子の尊称。『東宮』と『光日照』。
皇統譜最大の聖戦を戦った男二人の名を朝廷は此処に残したのよ。
光秀の友情、忠節に感謝して。だって光秀の最後の状況の意味と
あまりにぴったり一致するもの。
暗号にもなってるわ。日と東の字を、下に一文字飛び越えさせるだけだもの」
(『聖戦 マハーカーラの女』より)

博くんの論理に従えば
日光東照宮は「誰も値打ちがないと見向きもしなかった、価値の無い建物」となる。

156:人間七七四年
07/02/23 06:15:43 z/HImuD8
 冷静沈着な明智光秀が、織田信長を暗殺した本当の理由は?
 頭脳明晰な人物だから、主人殺しが自己の破滅に結びつくことなど容易に想像できたはずなのに、彼に似つかわしくない大胆な行動を選択したの何故だろうか?
 そうした歴史の謎を解明する手がかりを、何年か前の安土城発掘調査が与えてくれたと思う。
 安土城が、当時の城塞の役割である、軍事拠点、行政拠点という役割を超えて、絶対天子のご在所として、信仰の中枢ともされようとしていた。
 それを覗わせる宗教的な遺物が多数発見されたというニュースが何年か前伝えられていた。

 織田信長は、当時の絶対王政期の西洋の文化に深く惹かれていたという。
 ひょっとして彼の理想イメージの中には、軍事も行政も産業も宗教もひとつの権力に統括し、絶対的に効率的に支配する、絶対王政というものがあったのではないかと思われる。

 古より人間社会の求心力は二つある。
 ひとつは道徳の中心である宗教的権威であり、もうひとつは物理的強制力の中心である軍事行政権力である。
 両者は相互補完しあいながら、時には相反しながら、人類の歴史を形作ってきた。

 機械的功利的合理主義的志向の西洋人が、両者を合体させ、絶対王政という、より強力な権力を創出させることを選択したのは自然の成り行きだと思うが、おそらく同様の機械的合理主義者の織田信長にとっても、西洋のような一元支配体制は理想的なものだったのだろう。

 道徳的求心力である宗教権威と軍事行政権力の合体。
 しかし、織田信長がこれを追求するということは、日本民族の宝である皇室を追放し、天皇制の廃棄を目指すことを意味する。
 流行と不易という、バランス感覚の優れた智将明智光秀にとって、千代に渡る日ノ本の民族の宝を無に帰するような、織田信長の計画を見抜き、黙認することができなかったのではないだろうか?

 時代の革命児といわれた織田信長の暗殺事件=本能寺の変はこうして生まれたのではないか。

 ある意味、歴史上は、英雄扱いの織田信長だが、本当のところは、自己中心的な、思い込みの激しい、ただのバカサヨという側面も多分にあったのだろう。
 単純バカの思考回路では、物事を遂行する障害が、絶対的な一元化により低減でき、効率的なシステムに思えるのだろう。
 しかし実際は、幾多の宗教裁判にみられるように、真実を歪曲させ、人々をバカの壁に幽閉しやすく、本質的な未来創造力を大きく損なうマイナスの作用のほうが、経年変化で大きくなるものでもある。

 古の日本人の知恵は、そうした権力の一元化の弊害を阻む、天皇制という二重構造を選択してきた。軍事行政権力としての競争勝利者である権力と、道徳的求道者である皇室という権威を対極に置いてきた。
 日本人は宗教に依存しないのに、宗教心は深く、道徳心が深い民族であるが、常に、物理的権力と遊離させたところに、天皇制という精神的求心力をもち、物理的権力の傲慢を牽制してきた成果だといえる。
 そうした奥深い意味を感じ取ることができず、分かりやすさを第一に、天皇を廃止し、民族の知恵をないがしろにしようとしたのが織田信長ならば、、

 本能寺の変という”天誅”で処刑され、抹殺されたのも、当然の報いだと思う。

 今日、信長を意識した連中がでかいカオをしているが、調子に乗ったあの連中が、同じように民族の逆鱗に触れた時、連中を待っているのは同じ黒焦げの結末だろう。



157:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/23 10:44:40 6AWPlYKA
○「昔から、軍事力とは厄介なものだった」

>>151○たとえ話の解釈の仕方も知らんのか?
>>155○私は日光東照宮が価値が無いなどと言っていないぞ。
他にも名前の候補が幾つかあったにもかかわらず、そうとも読める名前が使われていると指摘しているのだ。

>>156○精神的宗教的支柱と軍事的権力支柱? 日本権力の二元性?
いや、なかなかなだね。いきなりで驚いたが。
君のですか? それとも何かに書かれてあるもの?
○他の人でこの156番に反論したい人は書いてみてほしいね。
反論の説も読んでみたいぞ。

158:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/23 10:52:06 6AWPlYKA
>>154○つまんないプロパガンダ工作をするひとだね。

○「レッテルはり」
「ライバル、弱者などにホモ、レズ、サド、マゾ、ロリコン、痴漢、精神障害者、性病など
他人が嫌がるレッテルを、噂などで貼り付け、社会的に陥れる心理的戦法」

○「いかなる嘘、出鱈目でも何回も繰り返し言っていれば、正真正銘の真実になる」アドルフ・ヒトラー。
しかし、一般市民が証拠もなしに平気でやると大変な犯罪になるぞ。

159:人間七七四年
07/02/23 14:15:18 IwQ6Fo44
>>157
例え話で書いてるつもりだったの?だったら完全に見当違いだね。
つまり君は朝廷黒幕説が地動説に等しく『常識』だと言いたいわけだろ。現在本能寺の黒幕については『諸説あるがどの根拠も決定的なものがなくハッキリしない』ってことになってるよな。
『朝廷黒幕説』を『地動説』にしたいなら尚更2chでクダ巻いてる場合じゃない、直接偉い先生方に会いに行きなさいよ。
あ、そうだ。○≠大庭だったな。だとしたらお前は『他人の褌で相撲をとる』コバンザメだもんな。そんな根性あるわけねーか。

160:人間七七四年
07/02/23 17:53:36 pvbup6ne
あんな宗教ドップリな話を例えに出してどうするよw
学会や研究会で定説を覆してもムショ行きにはならないから安心して行っておいで


161:人間七七四年
07/02/23 18:19:50 TZc4mmqJ
博くんは本能寺の変当日にゴタゴタに巻き込まれた二条新御所の「親王様・若宮様」のことはどう考えてんのかね?
巻き込まれたにしちゃ黒幕側が謀反当日に随分危ないとこにいたもんだね


162:人間七七四年
07/02/25 12:06:29 wbsw3P+4
ホント、ホモが多いんだね。
「本能寺の変」関連の書籍、論文等に全く取り上げられていない自費出版の三文小説家なんて相手にしなさんな。

独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。

それでも付き合う奴は、正真正銘のホモだね。
とにかく、誰も相手にしないことだよ。
どこまで続けられるか見守る(放置する)ことも一興だろう。

163:人間七七四年
07/02/25 13:07:29 Nlrs1v6g
>>162
ホモだが何か?

164:人間七七四年
07/02/25 13:13:07 lCVeqOoy
てか>>162が、いっつもageてる理由が分からん


165:人間七七四年
07/02/25 21:30:01 r9V5lh1z
>157
>私は日光東照宮が価値が無いなどと言っていないぞ。

>149
>真の暗号は一見価値無いものの中に隠される。

>しかも「聖戦、マハーカーラの女」における本能寺の変の証拠品は、
>それまで誰も値打ちがないと見向きもしなかった物、
>建物、絵の中にこそ発見されたのである。

>150
>巨大な真実の暗号は一見、値打ち、価値の無いものの中に隠される。

博くんの論理に従えば、
日光東照宮が価値ある建物であれば、
日光東照宮に隠された暗号は真実の暗号ではなく、
博くんが強引なアナグラムででっち上げた偽の暗号となる。

166:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/26 10:15:14 lyoaJ06D
>>159○「聖戦、マハーカーラの女」が全てのオリジナル。
だから「聖戦」とか、その他も「神の日」「花のもと」とかの、一番いい証拠品を取ってるだろ?
○他の犯人などの説に証拠品など全く出てないよ。

>>161○「二条城に織田信忠が篭城したことについては前にも述べた」
一 内裏と同じ禁裏で、不敬のきわみになるので尊王家光秀には思いもよらなかった。
二 完全武装の万を越す軍隊相手に要害でもない地で、軽装備の千やそこらの人数の篭城は
自殺行為になるので、思いもよらなかった。
三 二条城までは木戸か何かの要害が途中にあったので、別方面に行くと予想していた。
○というか、普段どこにも行かないのに、その事件日に限ってどこか遠くにいたら疑いをかけられないか?

>>162○つまらないプロパガンダ工作をするなよ。
考えたらどの出版社だって、自費出版だぜ。
しかも明らかな間違い本に巨費を投じている会社もある。
博君はホモでもないし、差別的扱いだと本当のホモの人たちが怒るぞ。
○「真実は、人が隠そうと沈黙しても、一人で来る」ソフオクレス「オイディプス王」
って名言をしらないのか?


167:人間七七四年
07/02/26 10:27:11 bJgcD6Tc
中身のないコメントをするのに、なぜいちいち人称を変えるのかねぇ?



168:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/26 10:38:32 lyoaJ06D
○一部分だけ抜き取っての、基礎知識の無い論議、意見だ。
国家、歴史家の諸氏がこじつけと勘違いしては困るからしっかり書いておくよ。
基礎として、まず、明智光秀の愛宕山連歌会参加の「里村紹巴」は前関白近衛前久の子飼い。
誠仁親王と光秀の間を頻繁に連絡した神官「吉田兼見」は近衛家の家礼。

その近衛前久は、二条城篭城の織田信忠攻撃にすぐに屋敷を貸し、屋根から狙撃させている。
そして、誠仁親王が二条城から出てくるとき、里村紹巴は出てきて輿を用意した。
さらに近衛前久は羽柴秀吉から逃げ、最後は徳川家康の元まで行く。

○さて、そこで「日光東照宮陽明門」という言葉について考えてみよう。
なぜ、あそこに、家康の墓所にああいう豪華な門があるのかは謎なのだ。
前に「東宮」{皇太子の尊称}「光日照」ミツヒデと読めると述べた。
では「陽明とは」?じつは辞書には「陽明家。貴族の近衛家の別名」
と言葉があるのだよ。
そして「門」御門、みかど、帝のこと、と言葉があるのは周知の事実だ。
「東宮、みつひで、近衛家、みかど」、そしてそこには光秀天海説もある。
光秀ではと噂のある僧侶天海が東照宮の全てを作ったともされる。
○そして光秀の辞世漢詩初句には「逆順無二門」と門が出ているのだ。
そのまま読めば無二の門、、、これをどう取る?
まさに不思議、奇妙な一致ではないか?
だから「朝廷説」と断言するの「聖戦、マハーカーラの女」は指摘しているのだよ。

勿論、これも本能寺の変の「聖戦、マハーカーラの女」の朝廷説の証拠品があってこそ、
初めて言われることにすぎないが、、、、、

169:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/26 10:53:48 ZGgdD2L+

>>167○ついでに明智光秀の辞世漢詩にある「一元」という言葉について調べたら、どうだい?

170:人間七七四年
07/02/26 11:54:39 jjzf1HvB
>>168「東宮」「光日照」ってw
偉大なる東照大権現様の神号を分断するとは、家康も泣いておるぞw
てか方広寺の鐘事件?w


171:人間七七四年
07/02/26 12:15:18 bJgcD6Tc
>>169
江戸中期に製作されたといわれている「明智軍記」の中に掲載された
小栗美作の辞世の句に似せた光秀辞世

「順逆無二門 大道心源徹 五十五年夢 覚来帰一元」

になにか「人称」変更に意味があるのかい?

おまけに最後の行の「覚来帰一元」は「帰一元」がひと括りで「一元」
では意味をなさないんだけどね。漢詩の読み方も知らないでよくひとに
質問できるね~

ところで、ID変わってるから○の偽者か?
それとも○が複数いるということか?

172:人間七七四年
07/02/26 12:15:42 aGWEyaFM
何このMMR

173:人間七七四年
07/02/26 16:58:01 qXdcLTNV

                _,.. -─   ─-、 しァ
          /!/ヽ‐'"         / イ⌒ヽ
         ,l_/           l l  / /!   ヽ
         |l         /lハ//  V| !   ハ
         | l       /  イ    ヽヽ/Vl !
         | ハVヽト`ー- ' イ/   ,ィ/!  \ ∧l |
        、ト、 \ ヽー- '  _,..ィ/ // ハ ト、   l!
         \  ヽ_,.メ、<イ_/__,.._-=ニ-ヽ _,/
          ヽi`、|  、‐rッヾ =|二|-=_rッァ `}',.}
           { ヽ!    ̄ シノ! ヽヽ  ̄  //リ
           ヽヽ!`ー--‐'´/|  ` ー--‐ ' /./      ん? 六月二日?牛頭天王?
            \!     ヾ_,.      /‐'
           _ィニlヽ    __    ,イiヽ、      たまたま なんじゃない?
       _,. -‐'"   l | \   `二´   ,r' l !  `ヽ、._
  _,. -‐ '"      l |   \       /   | l      `` ー- 、._
‐'"      _,. -‐  ̄`ヽrァr--`‐─'‐‐-r ,! !           `` ー-
    _,.ィ´     ヽ、._ ヽ        ./ /i  l
ァ‐/ /         \_ノ!        l / l  ',
 /   {       `ヽ、  }!ヽ!       /V !   ヽ
 !   ヽ      \  Y |  ` r====r'´  |    〉

174:人間七七四年
07/02/26 18:17:08 FS2syJjA
ホント、ホモが多いんだね。
「本能寺の変」関連の書籍、論文等に全く取り上げられていない自費出版の三文小説家なんて相手にしなさんな。

独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。
独りでやらせとけ。

それでも付き合う奴は、正真正銘のホモだね。
とにかく、誰も相手にしないことだよ。
どこまで続けられるか見守る(放置する)ことも一興だろう。


175:人間七七四年
07/02/26 22:05:36 9PY2JSTX
>166
>考えたらどの出版社だって、自費出版だぜ。

さぁ、今日もまた博くんの迷言が飛び出したぞ!

176:人間七七四年
07/02/26 23:52:17 UNpH4NBB
>>174
うざい

177:人間七七四年
07/02/27 00:17:10 3gGOEJCZ
博くんは朝廷を黒幕に仕立て上げようとしている大逆者に違いない。
そうでなければ、言葉を分解してまで無理やり結びつけようとしないだろう。

それにしても博くんの挙げるところの黒幕連中は戦いに巻き込まれそうになったり、
遁走したりと計画性に乏しすぎるな。
これも朝廷および公家を貶める博くんの詭弁に違いない。

178:人間七七四年
07/02/27 04:52:40 MbAiNPua
朝廷が黒幕だったら信長親子を殺害した後光秀に官軍の御墨付きを与えれば普通によかったと思うけど。
『朝廷は過去の失敗から慎重になっていた』とかって、凄く苦しい理由だよな。
とにかく○の説は妙にひねくれてる(曲解)。その辺がイマイチ信じられない理由。

179:人間七七四年
07/02/27 07:33:33 ItKdVuzM
>>178>朝廷が黒幕だったら信長親子を殺害した後光秀に官軍の御墨付きを与えれば

正式な信長追討の綸旨など発布しても、
滅亡が時間の問題の反織田勢力には何の効力も無いし、
それを名目に朝廷は信長に取り潰されるだけ。
あくまで極秘に暗殺を履行せねばならなかった。
しかも、その機会は天正十年、織田軍団が四方に遠征している時しか無かった。
この機会を逃せば、
朝廷は信長に確実に取り潰される。
暗殺は急を要する。
光秀には、非公式だが明確な正親町天皇の信長打倒の意志は、
近衛前久から伝わっていた筈だ。
信長暗殺後、朝廷は光秀の正当性を保障する何かを発布したらしいが、
信じられない速さで中国道を駆け上がってきた秀吉に光秀が呆気なく討たれた為、
朝廷はその証拠を抹消している。
でなければ、光秀共々その責任を問われるからだ。
信長暗殺に関わった近衛前久は徳川家康を頼ってトンズラしている。


180:人間七七四年
07/02/27 07:58:54 wvVxG72e
>>177
穴だらけで戦いに巻き込まれるのは朝廷が
政、謀にはある程度精通してるが、軍略は素人同然だから
と言ってみる


181:人間七七四年
07/02/27 08:37:57 azwHhk8x
しかし近衛ってば、明智軍に屋根貸したせいで醍醐まで逃げるハメに…
もし黒幕だったらアホだ。少しも後の事考えないアホーだ

182:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/27 10:29:09 HW3xn+io
>>170○「国家安康」
家康の名を二つに割って呪うとかの論理を造ったのは金地院崇伝と南光坊天海。
とくに天海ではないかとは言われてるな。
家康は偉大かもしれんが宗教などの知識はどうかな。

>>171○その小栗美作が光秀の後の人物で、光秀の漢詩を参考にした可能性が高いと前に言ったろ。
また漢詩の解釈は君のようにひとつではない。前にあった有名な漢詩などの意味を踏まえ、色々な意味が
かぶせられることがある。
なんにせよ「一元」に特別な意味があることは無視出来まい。

>>177○馬鹿言え、なんで私が大逆者なんだ?。
天照大御神が聖戦に勝ったという歴史の真実は、
国家守護神たる天照大御神、その守護神たる太元帥明王の価値を高め、
そのお血筋と日本民族に箔を与え、
ひいてはその長い歴史、芸術品にも信仰と敬虔さが見られるとの箔を与えるに違いない。
あ、私は別に国粋主義者、右翼ではないぞ。歴史の真実をただ研究しているだけだ。
大逆者とは国家鎮護の守護神たる太元帥明王を破壊し、大場和男などという名前を発明する君だろう。
ちなみにこの前映画「レッド・ドラゴン」で「大和」と書いた看板を真っ二つにジャッキー・チェンが叩き割って、
踏んづけていたが、あんたがやらせたんじゃないだろうな?

>>175○ヒットしなきゃそこらの草野球と同じと
酔っ払った編集者が言っていたらしい。


183:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/27 10:43:56 HW3xn+io

>>177.>>180○なんで博君が朝廷や公家を貶めなくてはならんのだよ?
そもそも本能寺の変が起きたときは、まだ光秀が負けるなどとは思っていなかったことだし。
光秀はほとんど不敗だった。だから近衛前久は館をすぐに貸したのだろうし、、、、
他にも勝算があったと思われる。
美濃でも内乱がすぐ起こったし、、、

>>173○これだけではなく他にも幾つか傍証が出ているし。
連歌会では、ちゃんと五月二十八日の雨を初句に詠んでるし、、、
「ときは今」とこれからの時に注目しろと意志をこめているとも、、、


184:人間七七四年
07/02/27 10:47:45 ntQ+1sJJ
信長謀殺したけど、結局秀吉家康がそれに取って代わっただけという陰謀論?
間抜けが過ぎます

185:人間七七四年
07/02/27 11:25:11 MbAiNPua
>>179
朝廷を取り潰す?
朝廷は一向一揆その他とは違うだろ。そう簡単に潰せるもんじゃないんじゃないか?
それに朝廷の御墨付きを与えれば…は信長親子殺害後。さすがに求心力も薄れて光秀に味方する勢力も出てきたんじゃないか?兵力が地方に分散していて畿内が手薄ならなおのこと。

186:人間七七四年
07/02/27 12:16:00 azwHhk8x
博ちゃんの話だと近衛はますますおバカ。
調略が進んでからの戦なら不敗だってのもアテにはなるだろうけどなぁ

屋根を貸す時も、どっちに転んでも損にならない態度…どっかの館にでも逃げ込んでガタガタ震えてりゃ良かたに


187:人間七七四年
07/02/28 01:18:55 Ty9b36/W
>182
>ちなみにこの前映画「レッド・ドラゴン」で「大和」と書いた看板を
>真っ二つにジャッキー・チェンが叩き割って、踏んづけていたが、
>あんたがやらせたんじゃないだろうな?

ジャッキー・チェンに演技指導できるような人間が2chを見てると思う、
その想像力の逞しさは素晴らしいが、思うだけにとどめないので、
博くんのイタさは増すばかり。

>ヒットしなきゃそこらの草野球と同じと
>酔っ払った編集者が言っていたらしい。

草野球で全打席三振した博くんに言われてもなぁ。

>183
>そもそも本能寺の変が起きたときは、
>まだ光秀が負けるなどとは思っていなかったことだし。
>光秀はほとんど不敗だった。だから近衛前久は館をすぐに貸したのだろうし、、、、
>他にも勝算があったと思われる。
>美濃でも内乱がすぐ起こったし、、、

傍から見ればタダの謀反人である光秀が負けないと思った根拠は?

188:人間七七四年
07/02/28 07:10:23 lLFNjoMY
○博クンに質問です。
はたして本当に信長は、六月一日に名器披露の茶会を開いたのでしょうか?

その答え次第で○博クンの勉強の程が判定できます。
心してお答え下さい。

189:人間七七四年
07/02/28 07:14:03 lLFNjoMY
>>179
>草野球で全打席三振した博くんに言われてもなぁ。

三角ベースじゃないの?

190:人間七七四年
07/02/28 07:15:02 lLFNjoMY
>>187
>草野球で全打席三振した博くんに言われてもなぁ。

三角ベースじゃないの?


191:人間七七四年
07/02/28 09:55:28 bx09ih3z
>>183
わざわざ、自分の意見を返すのはいいが
キバヤシにまでコメントしなくてもいいぞ

192:人間七七四年
07/02/28 10:01:43 68XjhvJp
そもそも光秀の句として伝わるものが後世改竄されたものだというちょっとした歴史ヲタでも知ってる基礎知識すらないのにねぇ……

193:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/02/28 10:07:28 qjQxMAYO

○悪いな、今日はちょっと野暮用でパスさせてもらう。
また過去スレで答えている質問もあるぞ。

194:人間七七四年
07/02/28 23:57:02 lLFNjoMY
○博クンに質問です。
はたして本当に信長は、六月一日に名器披露の茶会を開いたのでしょうか?

その答え次第で○博クンの勉強の程が判定できます。
心してお答え下さい。


195:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/01 10:22:44 BwqAE6Un
「中央は真空状態ではなかった。安土には親衛隊がいたし、京都にも」
>>185○しかし、信長は隣の中国の戦国時代、秦などのやり方を参考にしていたふしもあるしな。
隣の中国に王朝はあったが、、、、
○魏は後漢の献帝に禅譲させるという形で新王朝を興した。
>>187○どんな人間、大物、小物でも簡単に、パソコンひとつでここにアクセスできるしな。
○しかし、人のふんどしで相撲をとったといわれないだけましでは?
○過去スレに書いてあるだろ。背後には朝廷勢力だけではなく、キリスト教導入に危惧する仏教、神道勢力があった。
そうなら簡単には負けないと光秀は思ったろう。
>>192○漢詩。どう見ても朝廷説が出る前の、謀反人のさして重視されてない辞世句をわざわざ改竄、偽造する必要は無い。

>>194○「六月一日の茶会」
この日は特別な神の祝日、用意日で、祝いをする理由はある。
四十人ちかい廷臣が来ている。「仙茶集」という茶書に信長が披露した目録がある。
つくもなすび、じゅこうこなす、円座かたつき。名物開きの茶会の後、酒宴になった。
博多の豪商島井宗叱、神谷宗湛が参加している。
というか、この日に茶会が無かったといったら、嗤われるぞ。

196:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/01 10:41:50 BwqAE6Un
ドラマ「三十億円のダイヤ強奪事件」

ダイヤ、ダイヤ、言っていたせいか、ついドラマの話を聞いてしまった。
なかなか、薀蓄のある言葉を言っていたそうだぞ。
○「宝石の鑑定人にテストは無い」
○「店主はみんなシロウト」
○「店は一流、宝石は三流」
○「後から偽物騒ぎになり、店が潰れるのはよくあること」
○「真実はひとつしかない」
○「五十五カラットのダイヤは一級なら十億円、でも大きな傷があれば一千万円」
○「しかし、本物のダイヤはある」
○「嘘で塗り固められた宝石の世界で初めて出会った本物だった」

宝石だけではなく、どこか別の世界のことも言っている様ではないか。

○さあ、そろそろ日本史二千年最大のダイヤが本物であることを認めたらどうなんだ?
朝廷説が違うというのなら、
きちんと反論する史料、資料、学者、論文論理、根拠となる証拠品を揃え、
ここに書くべきだ。





197:人間七七四年
07/03/01 10:43:19 cByjXmeQ
>>195
秦のやり方を参考にしていたとは具体的にどゆこと?

198:人間七七四年
07/03/01 10:46:35 cByjXmeQ
>>196
朝廷説だという証拠をここ2chでしか晒せないのは何故?
知識ある人に見られるとダイヤが偽物だと見破られてしまうから?

199:人間七七四年
07/03/01 12:57:10 sPv+vB1m
>>195背後には朝廷勢力、仏教、神道勢力があったってもなぁ
そのキリスト教を導入してた当の信長が死んじまったんで大義は薄くなるし。もし生きてたら余計マズイし
味方するなら天が傾いた方に
普通は様子見だろうな。光秀、見通し甘すぎ


200:今川氏真
07/03/01 14:17:14 VCfXAt3f
すいません、わたしが信長をやりました
つい、カッとなって…

201:人間七七四年
07/03/01 23:39:29 Va6XKhAQ
>>195
>「仙茶集」という茶書に信長が披露した目録がある。

ハイ妄想、残念でした。
昭和11年に『茶道全集』において『仙茶集』の「御茶湯道具目録」を翻刻した
吟松庵こと松山米太郎氏は、それを六月一日付けの、後日に予定された茶会の「予告状」と
紹介しており、天正2年には信長が津田宗及に対し前日に「目録」を送り茶会を開いていた
実例もある。

そもそも、勧修寺晴豊も山科言経も「名器」が披露されたなんて記していない。
ただ単に点て出しのお茶と茶受けの菓子が振舞われただけのこと。
それを大げさな茶会に仕立てた張本人は桑田忠親だが、晩年には自ら疑問をも提起している。
「六月一日の茶会」を得意げに騙るのは、そうした経緯を把握していない小説家に多く見られる
現象と言える。

最近ではかの桐野作人氏も、
 『イエズス会日本年報』は、信長が茶道具を本能寺に運び込んだことについて
 「三河の国主(家康)やその他の諸侯に見せるため」だったとしていた。
 私もこの点は拙著で触れたが、そのときは家康に茶道具を見せるなら、安土の方が
 都合がよいのではないかと書いて否定してしまったのであるが、やや早計だったかもしれない。
として、六月二日の家康や宗及そして松井友閑らの動向に再注目しているよ。
つまり、茶会は六月二日ではなかったのかとね。

>この日は特別な神の祝日、用意日で、祝いをする理由はある。

アぁーやっちゃったね。恥ずかしいね。




202:人間七七四年
07/03/02 00:16:55 3TfZMauz
>195
>どんな人間、大物、小物でも簡単に、パソコンひとつでここにアクセスできるしな。

そして博くんは「アクセスできる」=「アクセスしている」と勘違いする、と。


>中央は真空状態ではなかった。安土には親衛隊がいたし、京都にも

にも関わらず、

>背後には朝廷勢力だけではなく、キリスト教導入に危惧する仏教、神道勢力があった。
>そうなら簡単には負けないと光秀は思ったろう。

と謀反を起こして、朝廷からも仏教、神道勢力からも助けを得られず敗れ去った、と。
博くんの手にかかると、黒幕たちだけでなく光秀までも貶められてしまうな。
…実はこれこそ博くんの真の目的なのかもしれないが。

203:人間七七四年
07/03/02 00:23:01 BK91rf5U
馬鹿は辛抱強く頑張れば諭せるが、電波はどうやっても諭せないぞ?

204:人間七七四年
07/03/02 02:58:54 sW5e1co7
諭せないまま何年も同じことを繰り返してます

205:人間七七四年
07/03/02 03:10:34 BK91rf5U
だって電波だもん

206:人間七七四年
07/03/02 07:18:11 bUysK17e
>>201
中国への出陣を命じられていない筒井順慶も6月2日には上洛途中だったしね。
やはり茶会は6月2日に行なわれる予定だった可能性が高いね。

207:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/02 10:15:43 337qwB6S
>>201○六月一日の茶会○について
「イエズス会日本年報」キリスト教宣教師が信長と貴族の関係を詳しく知っていたと思えない。その資料を出すのは?
家康、諸侯相手の茶会なら安土城に呼びつけ堂々たる舞台で披露するのが威圧、権威には効果的。本能寺などしけた寺に、
壊れやすい高価な名茶器を多数持ち込む必要も無い。相手は貴族、その関係行事と見るのが常識。
○どれほど高位の貴族が六月二日、本能寺に来たと思っているのか?
関白、前関白、太政大臣、勅使、ほとんど皇族以外の全ての高官。彼ら相手にそこらの茶器と菓子で相手をするのか?
むしろ権威、力を見せ付けるには名器を惜しげもなく披露することだろう。
○大茶会の予告状なら、正式な茶会の日付が礼儀として必ず書かれるはず。それが無い。
それは六月一日とみるのが自然。
○博多の豪商、茶器のすきもの、島井宗室、神谷宗湛が茶会が二日なら、その日に来るはず。
しかし六月一日に参加している。しかも変のとき名器を持ち出したという。
何故、ある場所を彼らが知っていたのか?
 披露されていたからに他ならない。

208:人間七七四年
07/03/02 10:22:45 buoOvttR
電波に何を言っても無駄、と証明するスレはここでつね?

209:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/02 10:36:04 337qwB6S

>>201○六月一日は信長の氏神とされる神に関係した日であり、
当然何らかの祝いをするだろう。
また光秀の五月二十八日愛宕山連歌会の雨も関係している。寅薬師に。
○言経卿記には「数刻御雑談、茶子、茶これあり、大慶々々」とあるが
この大慶内容は書かれていないのは何故なのか。
またこの日の日記は末尾が消去されているとなっている。
○さらに信長が数刻も雑談に何も用意を、酒など出さないのも不自然である。
○何よりも高価な名茶器を数十点も出陣前のあわただしいときに京都まで持っていくのは、
ただの披露以外に、なにか大規模なお祝い事があったことをにおわせる。
そして来たのは多くの貴族、それに足止めされ、囲碁観戦のあと寝て、
光秀軍が来る。
信長がただの目下の家康、諸侯相手の茶会にそんな用意をするはずが無い。

>>202○なんで私が光秀を賤しめるのか?。
他の人間らが動員二十万人の覇者を恐れ、こびへつらう中で、
ただひとり、朝廷のため、その文化のために戦った男の忠義は高く評価されるべきだろう。


210:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/02 10:47:39 337qwB6S

>>201○というか、その「イエズス会年報」の内容が伝聞証拠にすぎないだろう?
変に関係した誰それから聞いた情報と書いてないだろう?
イエズス会黒幕説の確実な証拠があるならともかく、全く変に関係していない集団であるのは
証明されている。




211:人間七七四年
07/03/02 10:50:44 buoOvttR
信長が一宣教師をもてなすために自分と息子達で給仕までした話も知らないで
信長が家康を厚く歓待するわけない、とか完全に願望で話してるな

212:人間七七四年
07/03/02 12:07:10 sW5e1co7
>>207
あの時期になって改めて家康を威圧する意味がわからない。

213:人間七七四年
07/03/02 12:12:48 sW5e1co7
>>207
それほどの高位の貴族らを茶菓子でもてなすのも信長が力を誇示する方策だったととれなくもないと思うが?
「お前らなぞこの程度よ」ってな。

214:人間七七四年
07/03/02 12:58:16 NQAVpBTx
信長はほとんど酒を飲まなかったらしいし金平糖なんか好きだったみたいだから、振舞うなら菓子でもいいような気がす


215:人間七七四年
07/03/02 14:48:18 sW5e1co7
>>207
名物が披露された=名物のある場所を知っていた、の解釈は強引。
相手を威圧する為の名物なら相手に置き場所を悟られるようなことはしないだろう。
ハイハイそれでも内通者がいたとか言うんだろ?その時はそのソースも出せよ。

216:人間七七四年
07/03/02 18:34:38 bUysK17e
証拠はと問われると、証拠がないのが証拠だと言い張るのが○大庭博の常套手段。

>>207
久しぶりの上洛だから、公家たちが挙って信長に面会を求めたことに何ら不思議はない。
それに難癖つけても誰も賛同しないよ。

>○大茶会の予告状なら、正式な茶会の日付が礼儀として必ず書かれるはず。それが無い。
 それは六月一日とみるのが自然。

まず実例を挙げてごらん。


>○博多の豪商、茶器のすきもの、島井宗室、神谷宗湛が茶会が二日なら、その日に来るはず。

だから一日の晩は本能寺に泊まってたんじゃん。言ってることが矛盾してるよ。
あるいは島井宗室、神谷宗湛に公家たちの相手をさせたのかも知れないしね。
その上で二日に宗及や友閑を呼び寄せ、家康他を招いて茶会を催すつもりだったんだろう。




217:人間七七四年
07/03/02 18:45:34 bUysK17e
>>209
>○六月一日は信長の氏神とされる神に関係した日であり、
 当然何らかの祝いをするだろう。

では実際に信長がそれを行なった例(何年に) を挙げてごらん。

>○言経卿記には「数刻御雑談、茶子、茶これあり、大慶々々」とあるが
 この大慶内容は書かれていないのは何故なのか。

昔話しの「めでたし、めでたし。」と同じこと。別に他意は無し。

>またこの日の日記は末尾が消去されているとなっている。

勝手な妄想ご苦労さん。そういう事は、実際に自分で原本を見てから言おうね。




218:人間七七四年
07/03/03 02:46:06 TR1FrVuF
相変わらず

>出陣前のあわただしいとき

とか

>足止めされ

とか愉快なことを書いているな、博くんは。

219:人間七七四年
07/03/03 17:28:10 OuxBxA/0
【歴史的難儀】本能寺の変の真犯人が判明【解決】
スレリンク(sengoku板)

220:人間七七四年
07/03/04 13:10:16 A9tLQ/fE
茶会について
URLリンク(dangodazo.blog83.fc2.com)


221:人間七七四年
07/03/05 06:00:09 vTB0XOxM
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説

説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。

前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。

本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。


222:人間七七四年
07/03/05 06:01:09 vTB0XOxM
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。

あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。

223:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/05 10:25:13 F6ct6R0j
「六月一日の茶会」について
>>211>>212○家康には褒美で駿河をやっている。だが、それで武力が大きくなったと警戒されはじめたともされ、
威圧の理由はある。
>>213○だから非常識なんだろ。日本の中心にいる関白、太政大臣、勅使など高官をそこらの茶器と菓子で接待?
物笑いになるぞ。彼らはまた日本文化の中心、
彼らに天下一の名物を自慢せずに、誰に自慢するのか?
>>215○「名物の警備、梱包」これ厳重である。置き場所も普通は盗難を恐れ秘密だろ。
それを持ち出されている。披露されていたから、だろ。
>>216○「六月二日に茶会」があるなら、その日に貴族皆が来て挨拶、贈り物をしてもいい。
しかし、それをしたのは一日。
○「茶会の日付」これを予告状に入れないのは、非常識。六月一日とあればその日だよ。
○「信長がこの氏神の祭り」によく参加したり、見たりは「信長公記」にあるだろ。
○「大慶」ただの茶と菓子で大慶、大慶はよほどの接待と見るべき。
でなきゃ何か書かれてるはず。


224:人間七七四年
07/03/05 10:28:00 cIfYPTes
>>223
お前は以前披露されたことのある物の今ある場所が分かるのか?

225:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/05 10:42:17 F6ct6R0j
>>216○「千利休」
そんな名物四十種の大茶会が六月二日ひらかれるなら、第一人者、千宗易などが呼ばれてないのは?
何か彼らが六月二日にあると書き残すか、京都にいなくてはならないはずだが? 

○{島井らが泊まったのは]遠方から信長に招待されたのと、疲れたからだろ。
それになんで島井宗室、神谷宗湛が貴族の茶会の相手をするのか。
彼らの目的は茶の名物のみ、その収集家じゃないか。
それをゆっくり見れるのが六月一日最適といわれていたからだろう。
○{貴族は占い}があって吉日凶日なんてものがある。会えない日は会えない。
前年も占いで譲位を断られ、信長もそれを受け入れている。
それがこぞって本能寺を訪問しているのは良日、吉日と、信長との話し合いで決まったからだろう。
つまり六月一日を選んだのは貴族。と見るべきで、信長が合わせた。
で、次の日、光秀軍が来た。この貴族の重んじる占い、吉日など考えると、六月一日が茶会でも全く不自然ではない。
○名器自慢の信長を確実に二日まで本能寺にいさせるためには、六月一日茶会は最適な行事である。


226:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/05 10:51:29 F6ct6R0j
>>221「黒田官兵衛は本能寺の変の黒幕にあらず」

○官兵衛はキリシタンであり、キリスト教の布教を許した信長を討つのは矛盾する。
○これほどの大事を行う以上、明智光秀、あるいはその重臣と連絡を取るのが常識だが、
その形跡、交流が全く無い。面会。手紙など。
○一時味方していた筒井順慶が態度を変え始めたとき、秀吉の軍師が黒幕で味方との話は、
光秀が引き止めるには最適のネタだが、その話は全く出ていない。
○軍師黒田官兵衛はこの当時、秀吉にそれほどの影響力や、大事を企める立場には無いだろう。

227:人間七七四年
07/03/05 11:53:49 0K9jt85A
>>223
>>211>>212○家康には褒美で駿河をやっている。だが、それで武力が大きくなったと警戒されはじめたともされ、
威圧の理由はある。


?どこで誰が言ってるの?


>>213○だから非常識なんだろ。日本の中心にいる関白、太政大臣、勅使など高官をそこらの茶器と菓子で接待?
物笑いになるぞ。彼らはまた日本文化の中心、
彼らに天下一の名物を自慢せずに、誰に自慢するのか?


安土城のような居城を建てる力を持ちながら貴族たちに対しては物笑いになるくらいの接待をした方が貴族たちに自分の方が力が上、お前等に手間暇なんかかけてやるかという威圧、意思表示になると思うが。


>>215○「名物の警備、梱包」これ厳重である。置き場所も普通は盗難を恐れ秘密だろ。
それを持ち出されている。披露されていたから、だろ。


?意味がわからないが持ち出されたのは名物が24時間晒しっぱなしだったからってことか?いつものことだか文章がおかしくて理解できん。

228:人間七七四年
07/03/05 12:04:27 0K9jt85A
>>225
>○{島井らが泊まったのは]遠方から信長に招待されたのと、疲れたからだろ。
それになんで島井宗室、神谷宗湛が貴族の茶会の相手をするのか。


遠方から来て疲れるのはわかりきっていること。六月一日に茶会するをならそれよりもっと早くに来てるんじゃないか?前日に貴族に会うのに何の不自然が?


>つまり六月一日を選んだのは貴族。と見るべきで、信長が合わせた。


お前、今まで六月一日は信長の氏神の特別な日って言ってたんじゃないの?つまり信長サイドが六月一日に一方的に決めたみたいなこと言ってたのに今度は貴族が決めたっての?


229:あぼーん
あぼーん
あぼーん

230:あぼーん
あぼーん
あぼーん

231:人間七七四年
07/03/05 15:55:17 1U6E43kf
>>230 自分の妄想を正当化させたいが為の史実の歪曲。

>信長死後に朝廷が復権しようとするだろう
秀吉を関白にしてその正当性を保障することで、
朝廷は古来からの自己保存機能を発揮してるだろうに。

>実際は朝廷の力は衰えるばかり
それは信長勃興前の話。歴史認識は支離滅裂だな。

>信長に対抗する闘争心すら無かった
信長の再三に渡る譲位要求を、正親町天皇は頑強に拒否し続けている。
事実誤認も甚だしい。

>本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
だから誰よ?
蛇足は冗長だが結論は曖昧だろ。
はっきりさせろ。

232:人間七七四年
07/03/05 16:16:03 uAapteq4
隠れ在日の明智(土岐)にやられた信長無念

233:人間七七四年
07/03/05 18:32:26 71mTc+Jw
>>223
物笑いになるぞって…

そこらの茶器と菓子って何で決め付けるよ?
菓子っても色々あるじゃん。供物用とか接待用とか唐菓子とか
南蛮菓子だったら超高級品しょ?

博ちゃん頭カタいな~


234:人間七七四年
07/03/05 19:17:07 vTB0XOxM
>博ちゃん頭カタいな~

硬いんじゃなくて腐ってるの。

235:人間七七四年
07/03/05 19:54:13 uAapteq4
信長公の朝鮮討伐計画を知った在日の謀略だよ。

236:あぼーん
あぼーん
あぼーん

237:あぼーん
あぼーん
あぼーん

238:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/06 10:26:30 NlfRIAzy
「相手は、日本の中心にいる高官連中だぞ」
>>227○昔何かで読んだが、信長が安土で自分で家康のお膳を運ぶほどの接待をしたのは、
あれだけ尽くした家康に駿河一国しかやらなかったからとあった。なぜ駿河一国だったかというと、だな。
○馬鹿言え。そんな簡単な接待を高官にしたら侮辱になるぞ。この時点では、おそらく信長が朝廷に何かの返事をしにいった、か、譲位要求の希望が通った時点だろ。
信長はかなり上機嫌だったというし、数刻相手をした。侮辱的な言葉もない。
○名器は普段は警備で見ることもできないだろう。だが、島井らは持ち出している。
それはどこかの部屋で披露され、あり場所が解っていたから。
仮説だが、二十四時間そのまま披露した部屋に置きっぱなしだったかもな。
警備兵はいたろうし、天下人の茶器を盗む奴もいないだろう。必ず死罪だから。
また名器にはそれなりの箱書きがあるし。どこに持ち込んでも解るぞ。

>>228○なんでそれほど親しくもない博多の島井、神谷が泊まれるだろうと甘えて前日から来るよ。
六月一日茶会、好きな名物もたっぷり見れるぞといわれたから、ぴったり来たんだろ。
本能寺に泊まれたのは信長からの予想外のサービスだろ。
○日を信長が決めたとは一度も言ってないぞ。双方の話し合い、おそらく占いなど持ち出し、
貴族主導で決めた、と見るべきだと言ったろ。
それより六月一日、何の日か知ってるのだろうね?

239:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/06 10:33:20 NlfRIAzy
>>236.>>237○「本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛ではありえず」○

なんで明智光秀が自分の全財産、キャリア、家族、多くの兵、重臣{とくに斉藤利三}、
の命を犠牲にしてまで、さして親しくも無い羽柴秀吉、黒田官兵衛に天下をとらせなくてはならないのか?
そこまで尽くす必要、恩義は無い。

仮にだが、そんなつもりなら犠牲の多い平地決戦などせず、
篭城し、ほどよいところで自身、家族は逃亡という手もある。
家臣の命は助かるし、持ち出すものは秀吉との話し合いで持ち出せるのでは?
共謀ならね。

240:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/06 10:41:17 NlfRIAzy
○「時には証拠が無いのが証拠である」○

明智光秀が単独犯なら、木曾義仲のごとく武力を誇示し、朝廷の有力者を人質に取り、
無理やりに征夷大将軍となり、「光秀は官軍、彼に味方せよ」、との勅命を出させてもいいはずである。
どうしても己を正当化し、援軍が欲しいなら、であるが。

また京都の有力者から金子を献上させ、略奪も軍資金名目で出来たはずだ。
しかし、そんなことは全くしていない。
これは尊皇家だったからである。


241:人間七七四年
07/03/06 12:21:18 JqgryK38
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説

説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。

前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。

本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。



242:人間七七四年
07/03/06 12:21:57 JqgryK38
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。

あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。


243:人間七七四年
07/03/06 13:09:12 XdY0iLhh
>>238
>なんでそれほど親しくもない博多の島井、神谷が泊まれるだろうと甘えて前日から来るよ。

親しくもない島井が、京に来たのは信長から「茶会するからおいで♪」って招待されたからだろ?
島井は信長が凄く凄く欲しがってた「楢柴肩衝」を所有していたから。
島井を呼ぶ=「楢柴肩衝」を売って♪

招待したんだから泊めるだろ普通。信長、楢柴肩衝でご機嫌だし

焼け跡から発見された「つくも茄子」もあるし、本能寺に行かず安土城→光秀→島井に渡った「新田肩衝」もあるし
諸説色々だけど

博ちゃんの説は強引すぎ。どうしても島井を火事場ドロボーにしたいらしい


244:人間七七四年
07/03/06 14:22:28 fqKkqoyg
>>238
六月一日が信長の氏神の特別な日なら、もちろん信長は毎年その日に何かやってんだよな?
いい加減その記録を出してくれないか?

245:人間七七四年
07/03/07 01:11:54 3K1DbWBs
>238
>昔何かで読んだが、信長が安土で自分で家康のお膳を運ぶほどの接待をしたのは、
>あれだけ尽くした家康に駿河一国しかやらなかったからとあった。
>なぜ駿河一国だったかというと、だな。

駿河一国なのは当然の話なので別に語らなくてもいいぞ。

>そんな簡単な接待を高官にしたら侮辱になるぞ。

信長より位が上なのは前久だけだがな。

>名器は普段は警備で見ることもできないだろう。だが、島井らは持ち出している。
>それはどこかの部屋で披露され、あり場所が解っていたから。
>仮説だが、二十四時間そのまま披露した部屋に置きっぱなしだったかもな。
>警備兵はいたろうし、天下人の茶器を盗む奴もいないだろう。必ず死罪だから。
>また名器にはそれなりの箱書きがあるし。どこに持ち込んでも解るぞ。

ネタだよな?

>239

言っていることのほとんどが朝廷黒幕説にも該当すると早く気づくように。

>240

義仲と光秀を比較だなんて、ネタだよな、当然?

246:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/07 10:16:09 rICQy17B
○「茶会は六月一日にあったのか?」
>>243○おいおい、話をそらすな。テーマは六月一日に茶会があったかどうか。
六月二日が茶会予定だったかどうか、だろ。二日茶会の根拠となる文書を示せよ。
○また島井は楢柴肩衝を持ってきていたかどうかは解らないぞ。
それに京都には金持ちが楽しく泊まれる場所はいっぱいあるぞ。何も本能寺に泊まらなくとも。
>>244○信長公記では六月十五日にはけっこう参加してるし、
そうなら一日も確実に関係している。だろ?

>>245○だから?
 目下貴族には侮辱的な扱い、安物の接待をしてもいい、とはならないだろ?
○{朝廷、貴族と光秀の関係}は、黒田官兵衛、秀吉との関係と全く違うだろう?
何より、光秀の城は京都に近く、その家臣は近畿付近の土豪、元足利幕府衆が多く、
その親戚関係といい、京都抜きには語れない。


247:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/03/07 10:27:31 rICQy17B
>>245○「木曾義仲と光秀の比較」
そういうのを人格と行動が一致していないと俗にいうんだよ。
仮設となるが従来のごとく、怨恨、野望で光秀が信長を討ったとする。
すると光秀は理由はどうあれ、自分のため、その利益目当てに恩義ある主君を討ったエゴイストとなる。
すると勝つためには何でもする人格、利己主義となるだろう。
当然、生き残るため、勝つためには人質でも何でもしていなくてはならない。
しかし、汚い手段は何もしていない。
むしろ天王山で戦うなど明らかに京都防衛の軍の動きだ。

○これに対抗するような説としてノイローゼ説がある。
しかし、光秀の軍の動きは防衛と見ると的確だし、すぐに安土城を陥落させ、
京都では吉田兼見、内裏、五山に銀献上など、別に頭脳に問題があるとも思えない。


248:人間七七四年
07/03/07 10:35:19 rICQy17B
>>241>>242○「本能寺の変の黒幕は、黒田官兵衛にあらず」○

もし黒田官兵衛が全て本能寺の変を仕組んだとすると、当然信長殺しの仇となる。
それが光秀か、その重臣など関係者の口から次男織田信雄、三男織田信孝に漏れた場合、
当然命は無い。なら当然、ばれる前にこの二人を殺すのが筋である。
もし次男、三男も死んだ場合、織田家の混乱は計り知れない。
乗っ取りには好都合だったろう?
本能寺の変の後、すぐにこの二人を殺すチャンスは黒田官兵衛にはいくらもあった。
が、なにもしていない。
つまり、全く関係なかった。


249:あぼーん
あぼーん
あぼーん

250:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/07 10:38:57 rICQy17B
○二四八番を書いたのだが、何で名前が人間七七四年に?
混線か?

251:あぼーん
あぼーん
あぼーん

252:人間七七四年
07/03/07 10:41:29 JiLhZwh/
>>250
>○二四八番を書いたのだが、何で名前が人間七七四年に?
 混線か?

キミの脳味噌と同じさ。


253:人間七七四年
07/03/07 12:26:30 ufF8FNNi
○よ! ほかのスレにも目を通せよ
ゲーム廚の莫迦スレコピぺの「官兵衛黒幕説」にイチイチ反応しなさんな

254:人間七七四年
07/03/07 14:18:52 Ur4v2JhY
>>246
>>244○信長公記では六月十五日にはけっこう参加してるし、
>そうなら一日も確実に関係している。だろ?


??
>>244に対する解答にしては意味不明なんでもう一度聞くよ。
六月一日が信長の氏神にとって特別な日なら当然その茶会以前にも信長は毎年その日に何かやってるんだよな?その記録はあるの?

255:人間七七四年
07/03/07 14:27:19 A9tVAYbT
>>254
信長公記の天正9年版を見てみた。
5月24日に越中の松倉城にいた河田豊前が病死した。
6月5日に滝川一益の取次ぎで北条氏政から馬が3頭届いた。
以上。
何も起こってないね。

256:人間七七四年
07/03/07 21:26:15 Dzoc58XA
話をそらすってか、博ちゃんの六月一日茶会説の根拠の一つ島井宗室の火事場ドロに反論しただけw
楢柴肩衝なら島井の枕元にあっても不自然じゃないし、楢柴肩衝以外の物を持ち出したんなら銘くらい出してくり

金持=いつも豪華で楽しいとこに泊まる
ってのは偏見すぎ。現に本能寺に泊まってるし
その根拠っては言えんかもだが島井宗室の遺訓でも読んどくれ


257:人間七七四年
07/03/08 00:17:49 j+jx3sYF
>246
>目下貴族には侮辱的な扱い、安物の接待をしてもいい、とはならないだろ?

相変わらず極論しか言えないヤツだ。
位のことに触れただけで、どうしてここまで突き抜けるのやら。

「自分の全財産、キャリア、家族、多くの兵、重臣{とくに斉藤利三}、の命」が犠牲になるかも
しれないのに、「そこまで尽くす必要、恩義」が朝廷に対してあったのか?

>247
>当然、生き残るため、勝つためには人質でも何でもしていなくてはならない。
>しかし、汚い手段は何もしていない。

博くんが考える汚い手段とは何だよ?
二股をかけかねない朝廷を武力ではなく金銭で懐柔したとも考えられるな。

>むしろ天王山で戦うなど明らかに京都防衛の軍の動きだ。

隘路で大軍を迎え撃つという兵法の常識をいまだに理解できないようだな。
とか書くと籠城戦をした方が有利、とか言い出すからな、博くんは。

まぁ、博くんの知識が足りないのは
>226
>官兵衛はキリシタンであり、キリスト教の布教を許した信長を討つのは矛盾する。
などを見ても明らかな訳だが。

258:あぼーん
あぼーん
あぼーん

259:あぼーん
あぼーん
あぼーん

260:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/08 10:32:25 21TYKcBG
>>254○「六月一日、六月十三日天王山決戦の日、六月十五日安土城謎の炎上」。
密接に信長の氏神と関係しているじゃないか?
>>256○そもそも安土城とも六月一日は関係しているだろ? それも解らないとは?
過去レスをもう一度読めよ。
>>256○国一国の価値があるともされる名器をなんで旅行先の枕元に置く? 非常識だろ。
○金持ちが遠方への旅行、しかも遊興目的だろ? いろいろと調べてくるさ。
抜け目ない商人ならね。旅館、遊び場所、ビジネス相手。

>>257○「接待」というか、君が非常識だろ。せっかく来た高位の客相手に、
天下人はそれなりの高価な接待はするさ。
○「主義・思想」自分の信じる神聖な神、過去の文化文明を否定された、侮辱されたというだけで、
過去にはどこぞの国の多くの人間が自爆テロしたり、怒り狂って戦争してるが?
○「汚い手」高位の人間を人質を取り、征夷大将軍になり、勅命で無理やり味方をさせる。
木曾義仲がやってるだろ。金銭による懐柔だけでは弱いな。
○「犠牲」そこが君の非常識だろ。ふつうは平地大決戦は勝っても負けても犠牲が大きく、褒美も賠償も自腹。
従って優勢な相手にはまず篭城、攻城戦に持ち込んで様子を見る。
○黒田官兵衛はキリシタン。それはNHKによれば間違いではないとさ。



261:あぼーん
あぼーん
あぼーん

262:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/08 10:49:50 21TYKcBG

○「一例だが」例えば一向宗の門徒を見ろよ。彼らのなかには信長と戦って、全財産、家族、命まで失った人間はいっぱいいたぞ。
またそれが予想できた人間もいただろ。
しかし、彼らは信長を殺すために戦った。何故だ? その理由は?

○「本能寺の黒幕は黒田官兵衛にあらず!!」○
もし黒田官兵衛の策略により、信長が殺され、秀吉が天下を取ったと仮定する。
秀吉にとって官兵衛は大恩人になるだろう。すると取る手は二つしかない。
一 大手柄と能力を認め、養子縁組や親戚にし、大領を与え、味方にする。
二 信長殺しがばれると天下人として不味いので、口封じに暗殺する。
この二通りしかないのは過去、中国などでよく言われること。

しかし、官兵衛はどうにもなっていない。
ただ後に豊前中津に、十二万五千石を与えられただけである。たったこれだけ、と言えなくもない。
他の大名に比べると少ないとさえいえる。
つまり、別に大手柄も、なにもなかった、となる。


263:あぼーん
あぼーん
あぼーん

264:あぼーん
あぼーん
あぼーん

265:あぼーん
あぼーん
あぼーん

266:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/08 11:07:38 21TYKcBG

○「本能寺の変の黒幕は、黒田官兵衛にあらず!!」

黒田官兵衛は、徹底的に京都、明智残党を調べまくった三男織田信孝から
全く無視されている。


267:あぼーん
あぼーん
あぼーん

268:人間七七四年
07/03/08 11:16:45 Xt06Us05
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。

あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。



269:人間七七四年
07/03/08 11:21:19 E5MtFHv8
このティロリロリーン説をコピペしてるやつもいい加減ウザイんだが。

270:人間七七四年
07/03/08 13:00:33 A8XijaQn
>>260
>>254○「六月一日、六月十三日天王山決戦の日、六月十五日安土城謎の炎上」。
密接に信長の氏神と関係しているじゃないか?

『信長の氏神』だよね?
もう一度聞くよ。
『六月一日』が『信長』の『氏神』に関係する重要な日なら過去に信長は氏神に纏わる何らかの行動をしてるんはずだよね。その記録を教えてくれる?

271:人間七七四年
07/03/08 14:07:47 Zre50uXT
>○そもそも安土城とも六月一日は関係しているだろ?
つまり、安土城建設時の6月朔日を見たら良いんだな。
また信長公記から天正4年のを上げてみる。
6月5日に戦闘を停止して若江に泊まるってしか書いてない。
前の方を見たら、本願寺との戦闘をしていたってなってるな。天王寺での激戦だ。
というか、天正9年には何の記録も残ってないのは事実だろう。
6月1日に安土にいるだけでも良いってんなら、なぜ完成している天正4年には本願寺との戦いをしているんだ?
過去のレス見てもさっぱり分からんし、何が言いたいの?

272:人間七七四年
07/03/08 17:30:47 YSk97BEW
で結局、楢柴肩衝以外は持ち出さなかったのか。何だかなぁ…

信長公記で牛頭関係だったらコレとか?
天正六年
6月14日は祇園会の祭日であった。信長公も見物に立ったが、……
で、見物がおわると鷹野にいってお終い

京で祭り見物したけどそれがどしたって?


273:人間七七四年
07/03/08 23:53:19 gXyss3w2
>260
>「接待」というか、君が非常識だろ。

位のことを言っただけで非常識扱いとは、博くんの非常識ぶりに呆れ果てる。

>「自分の全財産、キャリア、家族、多くの兵、重臣{とくに斉藤利三}、の命」が
>犠牲になるかもしれないのに、
>「そこまで尽くす必要、恩義」が朝廷に対してあったのか?

と聞いているのに、宗教観の全然違う外国の話や、一向宗を持ち出して、
話をすり替えようとする博くんの詭弁っぷりに呆れ果てる。

>「汚い手」高位の人間を人質を取り、征夷大将軍になり、
>勅命で無理やり味方をさせる。木曾義仲がやってるだろ。

窮した末にな。しかも敗れ去った。ただの悪例だ。

>金銭による懐柔だけでは弱いな。

博くんの主観のみで強弱を語っても無意味。

>「犠牲」そこが君の非常識だろ。
>ふつうは平地大決戦は勝っても負けても犠牲が大きく、褒美も賠償も自腹。

博くんは相変わらず日本語の不自由なヤツだ。
隘路で迎え撃つ、と書いているのが読めないらしい。
それで良案を述べるのかと思えば

>従って優勢な相手にはまず篭城、攻城戦に持ち込んで様子を見る。

という下策。で、様子を見て、その先は?

>黒田官兵衛はキリシタン。それはNHKによれば間違いではないとさ。

>226
>官兵衛はキリシタンであり、キリスト教の布教を許した信長を討つのは矛盾する。



274:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/09 10:25:04 3a9SgAuJ
○「自分の本城に、何故安土を選んだか?」
>>270○その前に君が六月一日が何の日か答えねば、調べようがあるまい?
>.271○勘違いするな、安土城はこの神関係の霊地である。なぜ、あの場所に信長が城を造ったのか、歴史の謎なのだ。
そのように重んじている氏神ということ。
>>272○つまりは、ちゃんと行事を知っているということ。

>>273○京都でものを言うのはその位というもの。道で高位にあったら避けるくらいだ。
○自分の信じる神、文化、物のために全財産、命を懸ける人間、人種もいるということ。
その例である。つまり世は金銭、利欲主義の人間だけではないということ。
○勅命、地位がきくかはそのときの立場、状況、場所にもよるだろ。
無理やりでも征夷大将軍、朝廷の勅命、何も知らなければきく人間もいるだろ。
○隘路でも、その平地決戦というのがよほどの覚悟、因縁がないと当時の武将は犠牲が多いのでしない。
またあの天王山の場所は隘路でもそれほどの要害ではない。
○篭城の先は? 知らないのか? 謀略、交渉、敵の武将を裏切らせる、他で内乱騒動を起こす。
ゲリラで補給線を脅かす。有名な毛利元就が尼子相手にいろいろやっているぞ。

○何故嗤う? 黒田官兵衛はかなり有名なキリシタンであった。
洗礼名は「ドン・シメオン」ぞな。



275:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/09 10:37:00 3a9SgAuJ
>>268○「本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛にあらず!!」○

○本能寺の変を聞いたとき官兵衛は秀吉に「殿も御運が廻ってまいりましたな」
と言ったという。しかし、謀略で殺したのなら疑いを掛けられるのを恐れ、
そんなあからさまな、犯人めいたことをことを言うはずが無い。

○坂口安吾は黒田官兵衛を徹底的に調べた後、
「天才ではあるが、ただの戦争マニアで、野心は二流」と述べた。
官兵衛には出世の意欲、野心は無かった。

○張良は後にその才能を漢王朝に憎まれ、殺されたという噂がある。
仙人を目指して死んだともされる。が、豊臣秀吉は別に官兵衛の才能を妬んでもいないし、
警戒して殺してもいない。


276:あぼーん
あぼーん
あぼーん

277:あぼーん
あぼーん
あぼーん

278:人間七七四年
07/03/09 10:42:50 y4JDkiMa
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説

説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。

前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。

本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。


279:人間七七四年
07/03/09 10:43:30 y4JDkiMa
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。

あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。

280:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/09 10:59:17 3a9SgAuJ

>>278>>279何回も同じこと書くな。凶人かあんたは?

○本能寺の変の黒幕は、黒田官兵衛にあらず!!○

黒田官兵衛がキリシタンであり、ドンシメオンとの洗礼名を持っていたこと。
信長が西洋文明を重んじた、キリスト教布教を許したことに賛同、機嫌をとって、、、である。
つまり、信長に悪意、敵意を持っていた可能性は薄い。
それを隠していた説は、もう無意味である

281:あぼーん
あぼーん
あぼーん

282:271
07/03/09 13:04:52 NfyCzxOx
ティロリロリーンの黒田説と同じ位意味不明だな。

>安土城はこの神関係の霊地である。
「この」神関係って事は、先に神の名前を挙げてから書く物だろ。
どの神よ?牛頭なのか?刀の方か?それとも別の神?

>なぜ、あの場所に信長が城を造ったのか、歴史の謎なのだ。
○は「歴史の謎」が分かってるんだよな。で、それは6月1日と関係している。
もったいぶらないで、安土城と6月1日と信長の氏神がどう関係しているのか言ってくれないか?

>そのように重んじている氏神ということ。
「そのように」重んじているって事は、どう重んじているのかを挙げてから書く物だろ。
何で信長が重んじていたのか、具体的にはどう重んじていたのか書いてくれないか。

安土城と六月一日が関係しているって書いておいて、何故、どう関係しているのかは全く書いていないっておかしいだろ。
もうちょっと詳しく説明してくれんか。これだけで分かるのは、実際に調べた○だけだ。
理由を書かないで結論だけ書かれても、意味不明だよ。

283:人間七七四年
07/03/09 22:28:45 oErB2NQU
>>274
>>270○その前に君が六月一日が何の日か答えねば、調べようがあるまい?


六月一日が信長の氏神に関係する日だと言ってるのは○だろ?答えるべきなのは○だと思うんですが。
もう一度聞くよ。六月一日が信長の氏神に関係する重要な日なら毎年信長は何かやってるはずだよね。その記録はあるの?ないの?

284:人間七七四年
07/03/11 03:01:40 WcFq1+Je
官兵衛はキリシタンだが簡単に棄教もしたな

285:人間七七四年
07/03/11 03:13:20 dWIzEtSG
スレリンク(train板)l50
この春はJR発足20周年記念で、何と5日分8,000円

関連スレです

286:人間七七四年
07/03/11 11:19:15 o6OR0BkK
秀吉黒幕や家康黒幕はありうると思うんだが光秀は
利用されて殺されたんじゃあないかな?


287:人間七七四年
07/03/11 11:58:53 YsNaGBQx
単なる信長の油断だろ。光秀を甘く見過ぎ

288:人間七七四年
07/03/12 02:24:39 QdPKLU69
>274
つまらない一般論ばかり並べられてもなぁ。
議論から逃げているとしか思えないぞ。

>何故嗤う? 黒田官兵衛はかなり有名なキリシタンであった。
>洗礼名は「ドン・シメオン」ぞな。

>226
>官兵衛はキリシタンであり、キリスト教の布教を許した信長を討つのは矛盾する。



289:あぼーん
あぼーん
あぼーん

290:あぼーん
あぼーん
あぼーん

291:人間七七四年
07/03/12 05:29:10 R/FjPn7L
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説

説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。

前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。

本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。


292:人間七七四年
07/03/12 05:29:46 R/FjPn7L
本能寺の変の直後に秀吉が通常では考えられない速度で京へ戻る中国大返しは
あらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。

あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。


293:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 10:23:44 dk/mqMa0
○信長が六月十四日とかの京都の祭りを知ってるなら、六月一日も知ってるよ。
京都の人にでも聞いてみたら。常識というよ。
少しは辞書くらい見ろよ。これらはひとつの関係がある日だぞ。
○五月二十八日、その日の雨。
光秀はこの日の連歌初句に雨を詠む。
○六月一日、明智軍夕刻発進。
○六月二日、本能寺の変。
○六月十三日、天王山の戦い。
○六月十四日。
○六月十五日、安土城謎の炎上。
例えば安土城は、もともと薬師如来関係の霊地。
薬師如来は寅の日が縁日。
しかも仏教、神道などおいては日本の神はもともと分身するなどとの学問がある。

○六月二日の変、第六の月、ニ日の変
あるいは光秀は「事件」と後に書かれると思っていたかもしれないな。
「天に二日なし、土に二王、、、」中国礼記。
「安土」という名はどこから来たのか、いろいろ説はある。
しかし国土をあらわすのが、天下人なら普通ではないか?

294:人間七七四年
07/03/12 10:38:48 ykKlgIwR
>>293
話にならないな。『六月一日が何の日か』なんて聞いてない。
『六月一日が信長の氏神に関係する重要な日ならそれ以前に信長は何かやった記録があるのか』と聞いてるの。

295:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 10:43:21 dk/mqMa0
○あ、当然293は>>282.>>283.>>288へのレスだ。

>>291>>292○本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛にあらず○
一 黒田官兵衛は、謀叛を企めるような立場、性格ではない。
むしろ、荒木村重の謀叛のとき、牢屋から助けてくれ、織田への人質も殺されてないので感謝していた。
二 黒田官兵衛が謀叛を企み、謀叛日を知っていたのなら、毛利との条約はもっと早く締結できた。
三 光秀、その重臣と連絡をとった形跡が全く無い。書簡も残ってない。
これほどの大謀叛を企むのに、連絡役がないということがあろうか?
四 中国大返しの奇跡は、兵らが追撃を恐れて、命がけで逃げたから。
誰でも命の危険があれば、走るだろう。
五 何より官兵衛には信長への怨恨などが無い。信長が死んでも殆ど禄や立場に関係なかった。
ただの軍師である。むしろ信長が生きていた方が才能を認められて出世しやすい。
キリシタンになったのも、信長にアピールしたかったからではないか?
六 なにより変のその後、これといった動きが無い。大禄も秀吉から貰っていない。
天下を取らせたのなら、もう少し秀吉に何かアピールできるのではないか?

「何より、日記、手紙などの文書的証拠など黒田官兵衛黒幕説には皆無である。
その近臣にもない」これをどうするつもりだ?
証拠品を出してみろ。 

296:人間七七四年
07/03/12 10:54:55 ykKlgIwR
>>295
だから>>283も六月一日に何かやった記録はあるのか?って聞いてるじゃん。

297:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 11:06:28 dk/mqMa0

○六月一日の記録はまだ調べてない。
だが信長がこの氏神の神社拝殿をを天正になってから新築したり、
幾つかの特権を与えていると、もっと重要な記録が残ってる。
かなり重んじてないとそんなことはしない。
それに祭りに参加した記録がある。

当然、この六月一日の「用意日」行事も知ってるはず。
かなり重んじていた。これで充分だろ?


298:人間七七四年
07/03/12 11:11:31 ykKlgIwR
>>297
普通、自分の氏神の重要な日なら毎年何か行事をやるはずだろ。調べてないんじゃなくて記録なんてないんじゃないのか?
ところで阿弥陀寺については?

299:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 11:13:07 dk/mqMa0

○そういえば、六月二日が茶会説の重要証拠があるとか言っていた人間がいたな。
そろそろ、それを出してもらおうか、ぞな?

300:人間七七四年
07/03/12 11:15:40 ykKlgIwR
まもなく○も時間切れか。このペースでしか書き込めなくてよく論戦なんて言えたよ。
言っとくが>>297では不充分。過去の六月一日、信長の動向が確認できなきゃ『六月一日が特別な日』なんて信じることはできん。

301:人間七七四年
07/03/12 11:21:06 lhnrIpAR
ねえねえ、
いきなり皆の話ぶった切るけどさ・・・

皆、「本能寺の変」とか言ってるけど
これって近代日本が教育のために都合よくつけたタイトルでしょ。

誰も言わないから質問するけど、
信長は本当に本能寺で死んだのかね。
皆、死んだことを前提にしてるけど。

初歩的な質問でスマンが、
まずこれについて答えていただけないかな。


302:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/12 11:23:57 dk/mqMa0
>>298「阿弥陀寺? 質問の意図が不明だが?」
行方不明の信長の死体が、実は僧侶によってそこに運ばれていたという説についてか?

もしそうなら、京都を制圧した秀吉に言わないはずが無い。
信長の死体を僧侶が隠すなどありえない。褒美にもなることだ。

また信長の家族も探したはずだ。
結果、大徳寺で信長は死体を木で作って葬儀をした。
当時、死体の無い葬儀はよほどのことがないとしないだろ?




303:人間七七四年
07/03/12 11:30:26 rNhvjHwq
「信長之代、五年、三年は持たるべく候。
明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候」


毛利の外交僧として織田方との折衝にあたっていた安国寺恵瓊が、
天正元年に信長の将来の没落を予言したとされる文言である。

本能寺の変から遡ること八年と半年ほど前、
彼は当時の信長のどこに、その萌芽を見つけたのだろうか。




304:あぼーん
あぼーん
あぼーん

305:あぼーん
あぼーん
あぼーん

306:人間七七四年
07/03/12 14:48:57 ykKlgIwR
>>302
阿弥陀寺は織田家の菩提寺として信長の帰依を得ていた。>>297でいう神社だけが特権を与えられていたとは言い難いのでは?
その神社の名前は?与えらた特権とは?

307:あぼーん
あぼーん
あぼーん

308:あぼーん
あぼーん
あぼーん

309:人間七七四年
07/03/12 17:47:28 eNIQHZO7
>○信長が六月十四日とかの京都の祭りを知ってるなら、六月一日も知ってるよ。
>京都の人にでも聞いてみたら。常識というよ。
>少しは辞書くらい見ろよ。これらはひとつの関係がある日だぞ。
京都の人にとって常識なら、○は確実に分かってるんだよな。
早く証拠を出してくれんか。
一番重要なこの部分をぼかして、他の奴らの意見をただ否定するだけじゃ議論にも何にもならんだろ。

ところで、天に二日なく、地に二王なしって礼記から出し続けてるよな、○。
続きの
家無二主、尊無二上、示民有君臣之別也。(坊記第三十)
の意味は分かってるのか?
それ以前に、続きがあるって知ってるのか?
俺も漢籍については分からないけど、これで表してるのは要するに主君と家臣はきっちり分けられてないと駄目だって事だろ。
訳そのものは間違ってるかもしれないけど、○の言ってる「二日」ってのとは意味が全く違うのは明らかだよな。
光秀が「二日」に本能寺襲撃したってのと、これを合わせたら明らかに違うと思うんだけど。
光秀が読み間違ったとでも言う気か?
○は、ただぼかして言ってるだけで肝心の部分は何一つ言ってない。
××は△△である。なぜなら~って感じに、きちんと理由を書いてくれ。

310:人間七七四年
07/03/12 19:37:09 R/FjPn7L
核心に触れられると話しを逸らす○博に一々吊られるなよ。


311:人間七七四年
07/03/13 00:03:05 hPm23tH9
>14日の祭りを知っていたから1日の事も知っている。

…って何言ってるか分かんね。
祭りが13日だろうと14日だろうと、毎年六月にあるってのは信長は前から知ってるだろ、そりゃ
それが1日とどう繋がるんだ?
牛頭と六月一日をセットで知っていたとしても、「知ってる」と「行動する」は天地の差なんだけどな

んで博ちゃんは、1日が重要な日なら13日~15日より重要な日を知ってるよな?人に辞書を使え言うなら調べてあるわけだ
で、その時の信長の行動記録は?


312:人間七七四年
07/03/13 07:29:56 JNyMC5xl
>297
>六月一日の記録はまだ調べてない。

くせに

>209
>六月一日は信長の氏神とされる神に関係した日であり、
>当然何らかの祝いをするだろう。

なんて言っていたんだな。ふざけた輩だ、全く。

313:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/13 10:27:12 P8Ve5cF+
>>306○ちゃんと津島牛頭天王社とかには、幾つかの税免除の特権を与え、祭りは必ず観にいったとか。
この前、祭り紹介書に書いてあったぞ。
>>309○それが君に歴史の基礎知識が無いから、事件の前後を見れないんだよ。
「上総介」「岐阜」「安土」「天主」「吾が国王であり,内裏である」「第六天魔王ノブナンガと号す」
「生き神、総見寺」「京都大馬ぞろえ時の格好、まるで中国の皇帝」と材料は揃っている。
○光秀とその周囲としては、当然織田の大軍を前に自分らは失敗するかもしれない。
しかし、わかる人らには思いをわかってもらいたい、との気持ちが「二日の行動にある」
とみるべきだろう。おそらくその意も入って京都も六月二日を選んだと思う。
○「天に二日無し、土に二王なし」
どの辞書にも「天に太陽がひとつしかないように、一国に二王はいるべきでない」
一国に二人の王がいるはずはない、のたとえと書いてあるよ。
×「地」じゃないだろ?

>>312○六月一日、さして事件に重要でもない日。君は競走馬の尻尾を熱心に調べる輩に似ている。
また六月二日茶会説の根拠はどうした?
>>311○本能寺の変事件において六月十五日、安土城謎の炎上にまさる重要な日は無いな。
この日が何の日か知らないんだろ?



314:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/13 10:51:47 P8Ve5cF+

>>309○というか、全く辞書一つ見ない君の怠惰に呆れる。
○「阿弥陀寺」どこの阿弥陀寺?京都かな?
菩提寺なら、ますます信長の死体を隠すはずがないな。
>>309○というか、光秀は後世に「天正十年、第六の月の二日の変」と残るだけで、
満足だった、という見方もあるな。
たとえば狂歌だったか、はっきり本位を言わず、におわせるという表現もある。
「主を殺し、国を奪うは美濃、尾張、昔は長田、今は山城」
みのおわりは「身の終わり」、長田山城は地名に見せて実は人を表しているとは知ってる。
「昔より、主を内海の野間なれば」「内海に、討つ身をかくす」
という織田信孝の辞世句もあったろ?

>>311○その信長の最も重要な日というのは?信長の生誕祭か?


315:人間七七四年
07/03/13 13:19:34 XW5eR0Vu
>>313
祭り紹介書を根拠にしてしまうの君は?
>>314
阿弥陀寺が織田家の菩提寺なのは知ってんだろ?『阿弥陀寺が信長の死を隠した』という記録は別にない。
六月一日が大して重要な日ではない!?今まで君が言っていた話と矛盾してきてしまうが…?

316:人間七七四年
07/03/13 13:24:33 XW5eR0Vu
>>314
その
「昔より主を内海の野間なれば報いを待てや羽柴筑前」
の辞世の句。これは信長殺害黒幕は秀吉ではないかとされる根拠のひとつにされてたりするな。「主」はどう考えても信孝じゃないもの。
秀吉の主は信長と秀信だからな。

317:あぼーん
あぼーん
あぼーん

318:あぼーん
あぼーん
あぼーん

319:人間七七四年
07/03/13 20:32:29 H6IFKeay
荒らしうざい

320:人間七七四年
07/03/13 23:37:01 JNyMC5xl
>195
「六月一日の茶会」
この日は特別な神の祝日、用意日で、祝いをする理由はある。

>209
>六月一日は信長の氏神とされる神に関係した日であり、
>当然何らかの祝いをするだろう。

>260
>そもそも安土城とも六月一日は関係しているだろ?

と、六月一日の特別さを語っておきながら

>297
>六月一日の記録はまだ調べてない。

という博くんの研究の杜撰さが明らかになった。それを指摘されると、

>313
>六月一日、さして事件に重要でもない日。
>君は競走馬の尻尾を熱心に調べる輩に似ている。

と、不勉強さは棚に上げて他人を中傷する博くん。まさに人間の屑である。

321:人間七七四年
07/03/14 05:50:09 ezUrBCZW
一冊の自費出版(しかもその内容は完全に盗作)でフリーライター・歴史研究家を称しているような○博クンが
人間の屑なのは分かりきっていたこと。
その屑に吊られるなよ。

322:人間七七四年
07/03/14 09:02:47 m84/hD+z
>>314変の当時の話してたのに信長の生誕祭ってw
てか信長にとって『最も』大事なんて言ってないけど?
博ちゃんが重要だと言っていた六月一日、つまり鉾流しの事だろ?
調べれば鉾流しと一緒に書いてある。もっとも祭りに関して信長が「見物」「踊った」以外の記録がないなら調べても無駄。変には何の関係もないし

六月一五日?
天正から500年も逆のぼれば、信長に繋がる事の一つや二つは当然あるけどそれがどうしたよ?
平とか氏を入れたら信長は365日重要視せにゃならんな


323:本能寺の変、四百二十五年目の真実。
07/03/14 10:23:48 bV9clim2
>>315>>320○「どうも言い方が悪かったようだな」
六月一日は、ある神を氏神にしていた信長とか、当時の人々には行事、茶会とかを行う理由になる日。
安土城霊地とも関係がある。しかし、現代における本能寺の変の動機研究などには、それほど重視せずともいい日。
なぜなら、もっと重要な神の日があるので。

>>321○馬鹿言え。「聖戦、マハーカーラの女、本能寺の真因」が、全てのオリジナル。真伝さ。
だから題名とか、副題、証拠品とか一番いいものを取っているだろ。
国家、文部省、公的研究所、民間歴史研究家は、しっかり一九九七年二月以降と、以前に分けて、
本能寺関係書籍、参考書、朝廷説を調べるんだな。
そうすれば書き方、描き方が一九九七年二月以後はがらりと変わってるのに気づくだろう。
書き直されてる参考文献もあるしな。
>>322○鉾流し?そうじゃないだろ、京都における六月一日だろ。
○信長の栄華権力の象徴、安土城の炎上消失した日と、
他の日を比べるなよ。この日が何の日かも知らないのか?
○そろそろ六月二日茶会説の根拠文書を出せよ。




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