上杉景勝at SENGOKU
上杉景勝 - 暇つぶし2ch2:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 04:18:25 devgG8+x
2

3:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 05:55:01 9mL4MWSl
(  ´ω`)

4:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 06:42:44 4CG7fJ59
( Θ ~ Θ )

5:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 10:59:40 vD9pHMb3
( /● ω ●\ )

6:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 11:13:53 sWbZdqJo
ね~笑って!








(●ω・`)
打倒上杉!

7:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 13:29:00 /yx9JR7z
やっと景勝すれがたったか(・ω・)
大いに語ろうぜ

8:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 13:33:48 IgGriT3K
秀吉の妹と結婚していたら会話がやヴぁいな・・・

9:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 13:51:23 o+MO6stc
景勝は秀吉に好意を持っていたのか?



10:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 14:53:57 rMDXdXfz
菊姫との間に息子が生まれたらよかったのにな

11:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 17:43:10 B0ZXslXw
驚いて死ぬ奴があるか

12:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 19:18:07 E+X4Sl+K
景勝がどっかの庭の縁側みたいなところで、飼っていた猿が
突然景勝の頭巾を奪って、木に登ってから景勝に向かって
お辞儀をした。そのとき景勝がにっこりとほほえんだらしい。
そして、それが景勝が笑った姿を家臣が見た最初で最後だったらしい。

13:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 20:53:53 Y9XpyjZz
家康公とホントにやりあう気があったんだろうか?
なぜ家康を追撃しなかったのか?関が原の戦いも変わってただろうに・・・。

14:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 20:59:26 0x1U69n0
まぁぶっちゃけ上杉も外様だし、そこまでして肩入れする理由も無い。
家康の大勢力とぶつかったらマジでそこで死ぬ可能性もあるわけだし。

そんな危険を冒すより、せっかくのチャンスだし近くの小勢力を攻めて領土増やした方が良い、
本能寺の時も御館の乱もそうだったが景勝はこういう嗅覚は長けてる。

失敗しちゃったけど。

15:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 22:21:48 Y9XpyjZz
反徳川であることは間違いないわけで・・・。
仕掛けてきたから戦う、撤退した相手を攻めるのは上杉兵法にあらず。てな所ですかね?

16:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 22:32:09 zDsZc9l6
同時代の他の武将二代目と比べて、かなり頑張ったほうだと思う。
家も残ったし。

17:堀田道空
07/01/18 22:35:32 uG8gCv8r
>12
サイボーグみたいな景勝が一度だけ笑ったことがあるって知ってたけど、なるほどそんなエピソードが!
なんか人間味があってホッとした。

18:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/01/18 22:38:37 P68m0J40
猿が媚び笑いしたから、ってこと?

19:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 00:46:31 m47Snhl7
>>15
別に元々は反徳川というほどでもなかった、家康から吹っかけられただけ。
だから帰ってくれたものをわざわざ追う理由も無いし勝てる見込みも無い。
それより近場の小勢力襲った方が得だというだけのこと。

上杉兵法だのは忘れた方がいいかと。

20:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 10:55:13 rU1gafqF
義光は釣り師だな。
庄内領土を争うという低次元の戦いに、上杉をひきずりこんだ。
これが戦後、家康の怒りを買い、30万石の中小大名へ転落する結果になる。
北条氏康のように米沢の防備を固くして動かなければ、70万石程度の
減封で収まっただろう。

21:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 11:05:51 O1STEBkz
そんな情けないこと上杉家がする訳ないだろう
分かってても堂々と立ち向かう

これが上杉クオリティー

22:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 12:32:48 wQUtqfqv
URLリンク(www.m-network.com)

23:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 01:38:26 ZfC6K8pf
>>21
義光に叩きのめされて追い返される方がはるかに情けない。

24:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 11:25:18 bZzAiQei
どうなんだろうね?秀頼から会津征伐の許しを得られてるし、軍資金まで・・・。
家康とは事を構えず、領土拡大目指すしかなかったんだろうね。(ちょっと解せないけど・・・。)
関が原があっけなく終わった不運・・・、減封されたけどお家存続したから正解なのかな。


25:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 23:31:12 8c7Y7GL9
>>23
直江だけどね。

関が原で、あっさり徳川に付いた奴らより、
上杉みたいな方が信頼できそうな気がするな。

26:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 00:49:29 MXPaJwKw
俺は逆だわ、徳川攻めてたらともかく、
帰ってくれたのを幸いにさっさと最上に侵攻してる辺り、賢いとは思うが信頼は出来ない。

27:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/31 17:12:16 o/17RXc2
まぁ、家残しただけいいじゃん。三十万石になったけど、その後実質五十万石くらいになったんだし。

28:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/31 23:52:25 Q6vAMwTt
>>27
吉良の倅が跡を継いで半分にされるまではそれなりに豊かみたいだったからな。


29:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 10:00:04 en8DDMLV
謙信のことはどう思ってたんだろう

30:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 00:11:47 W1fnpb1Y
誰が?

31:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 10:13:56 MuSujSU/
>>29
どう思ってたんだろうねぇ…
謙信の差し金で実父が殺された、なんて話もあるけどね。

32:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 10:22:06 vIKuR9x/
それならやっぱりアナル専門店に行かなきゃダメだよ

33:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 12:30:32 qOCjNUHG
謙信コンプレックス

34:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 17:49:00 iwiK9Wph
景勝と菊姫夫婦の血統背景ってすげぇよなと思う。
なんせ上杉謙信の息子(但し義理だがw)と武田信玄の娘の二世カップルなんだから。
男子でなくても良かったのでふたりに子供居て欲しかったなぁ(´・ω・`)

35:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 01:52:38 Lv199wcB
>>34
ロマンがあるな。
すごい子供が生まれそうw

武田が滅びた後も菊姫を大事にして、
菊姫の弟も仕官させてやった景勝はいいやつだ。

しかし菊姫を粗略に扱ったら怖いよなあ…。
信玄に呪われそうw

36:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 08:04:04 bNepGNUc
粗略だったから子が出来なかったんじゃまいか?

37:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 08:18:06 VIz0MLw6
>>31
だったら養子にしないんじゃないか?
自分が頃した男の子供なんて恐くて側に置いとけない。
あーでも秀吉なんか自分が頃した男の身内とか次々側室にしてたっけ。

38:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 08:36:53 Ikbw4SWd
実父が水遊び中に事故死とかカッコ悪いから暗殺説をでっち上げてみた

39:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 11:37:29 LcfN1MXT
本能寺の変がなければ確実に滅んでたよな
毛利はまだまだ余力があったけど

40:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 12:09:09 QcrAcawq
毛利の方が先に滅んだよ
別に上杉の方が強いと言うわけじゃないけど
信長が先に毛利潰そうと決めたからな

41:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 17:48:05 8dAlBpEb
本能寺がなければ上杉家が先に滅んだと思われ。
根拠としては信濃口から森長可が越後に侵入していて現在の上越市の隣の妙高市(旧新井市)まで攻め込んでいたため。
北陸口は魚津城を落としたところで天然の要害である親不知子不知があるので簡単に進軍はする事は不可能。(街道が整備された江戸時代でさえ加賀藩はこの区間を通るのにかなりの時間と労力を費やしてる)

42:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 17:50:22 o/6BAlo5
>>35
武田信清は米沢でもかなり厚遇されてるし、記録にも菊姫が亡くなる際に医師を手配したり、景勝以下家中皆悲しんだとある。

43:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 17:51:42 Yt45XRRU
上野から滝川軍も進んでるな。

44:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 18:53:53 8juZtYpG
奥州から、蘆名も攻めてくるよ
蘆名は信長と親しくしていた


45:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/06 19:02:03 Zz41tNPr
運も実力のうちっていうだろ
それなりの運が景勝に味方してたんだよ


46:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 00:00:27 /vk0Lm13
>>45
ま、そういうこと。
本能寺の変で助かったのも家康に歯向って敗れたのも敗戦後に減封ながらも生き残れたのも、
持って生まれた運命っちゅうやつね。
信長も同じ様に運命だったわけで。
信長の場合、時代によって急成長し、時代によって切り捨てられた感がある。

47:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 04:15:29 2cz4XOaM
関ヶ原前は120万石だったっけ?
佐竹家にも言えることだが家康側についていたとしても、比較的江戸に近い国でそんな強大な大名家を家康が残しておくとは考えにくい。何だかんだ因縁をつけて取り潰したんじゃないかね。
負けて減封は正解だったんじゃないかな。

48:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 04:37:19 lYcMgSk3
三成が挙兵しなかったらどうなってたんだろう。
領地全て没収?

49:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 04:42:58 Mqv8IMES
しかし上杉家の信用ってのは当時の戦国では絶大だからね

もともと家康のヤカラ討伐の照準も前田家だったわけだし
家康自身も上杉に対して警戒はなかったと思うよ
上杉は売られた喧嘩は買うけど、自らは進んで戦争をふっかけない
また裏切ったり野心を持たないという精錬潔癖なお家柄だからね。



50:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 04:47:10 bZW9Yc9i
お家のため服従というか家康につくのでは?

それでも大幅減封は避けられないか

伊達さえいなけりゃ
義宣と挟み打ち実現?

51:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 04:55:29 Mqv8IMES
大阪夏の陣で、それを物語る話がある

真田の流したデマで藤堂高虎が裏切ったという噂が広まった
高虎は今まで平然と主家を変え出世してきた大名なだけに当然、強い疑惑を持たれた
その疑惑を払拭する為に藤堂軍は不利な状勢でも豊臣方に果敢に攻め込み活躍したそうだ
しかし同時に多くの重臣を討ち死にさせ、
そこまでしなければ藤堂高虎の負のイメージを払拭出来なかったんだろうね。

しかし上杉家はというと、徳川の攻撃要請の使いが来ても景勝はじめ家臣団は無視し
全員で大坂城を睨めつけてたそうだ
それを使いの者から聞いた家康も、さすが上杉家の者と、ただ笑ってるだけだったそうだ
そこには、上杉家に裏切りなどあるわけないという、絶大の信頼の証しがあったんだろうね


52:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 04:57:59 wU29zqcm
>>49
そんなお家柄存在しない、景勝は長尾の一族らしく裏切りと謀略から身を上げた人物。
むしろそれこそ景勝の魅力なのに、くだらんフィルターかけんな。

53:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 06:52:51 BIHXA4KA
上杉自体が元は長尾景虎が上杉憲政の養子になって継いだだけだからね。
しかも、その上杉憲政を処刑してるんだから、恩知らずとしかいいようがない。

謙信の親父で越後守護代の長尾為景は主君たる越後守護の上杉房能を殺害し
自分が越後守護になろうと京都の公家に贈り物したりしてるからね。

54:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 07:15:35 bM3EbdZ5
長尾ってのは随分荒っぽいのが揃ってるな。関東管領を三代で二人も殺してるしw
謙信も景勝も為景と同類として見る方が魅力を感じる。

そういえば景勝は御館の乱前までは長尾姓だったって説を読んだんだけど
御館の乱前に謙信の養子として上杉姓を名乗っていたことを示す史料ってあるのかね?
弾正少弼の官位を譲るって書状も自分で捏造したものだし。

55:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 09:53:59 NiiRn2Fx
政景の血は梟雄の血だったのかもな

56:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 11:11:56 2cz4XOaM
>>54
>弾正少弼の官位を譲るって書状も自分で捏造したものだし。

へぇ~初耳。

57:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 11:38:25 bM3EbdZ5
>>56
官位譲渡に関する謙信書状は1620年の景勝自筆の書状と筆跡が同じ(新潟県史)

58:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 12:57:54 2cz4XOaM
>>57
そーなんだ。謙信と違って景勝はそうゆう謀略に長けてそうではあるな。
兼続の存在もあったんだろうけど。

59:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 13:44:59 if0KihQA
御館の乱の時は、妹だけでも助け出せなかったものなんだろうか。

60:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 16:26:58 y4IN0El5
それもそうだな
でもそれだけ感情を消したということじゃないのか。
でないと、景虎も倒せないしな

61:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 19:23:27 NiiRn2Fx
自決したんじゃないの。妹さん

62:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 19:37:42 dJ/EOJom
お市の方の例からも分かり易いように当時は旦那殺して再婚させるのも
珍しくないから使い道あるものをわざわざ殺そうとしたとは考え難いよな。
助けられれば助けただろう。

63:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/07 22:39:22 wU29zqcm
>>58
謙信の死亡時でも兼続はまだ16~7、
いくらなんでも謀略に参加するには早すぎる。

景勝のそばに仕えてた記録が見え始めるのも本能寺直前ぐらいからだったはず。

64:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/08 17:46:14 kfdArEME
じゃぁ景勝の知恵って事?


65:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/08 17:55:14 UHMNH4Hf
それなりに功績が無いとそれこそ何処の馬の骨とも知れないのが
ポっと出てきて直江の名籍嗣ぐとか無理だと思う

兼続本人の功績ではなく例えば信州出身といわれる母親が
信濃衆の取りまとめに一役かったなどの可能性も一応無くはないけど

66:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/08 21:20:04 wE0+Q/iw
>>64
じゃないのかな、捏造云々自体あまり詳しくないのでアレだが。

67:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/08 21:47:08 OYTsKhCH
上杉景勝


68:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/08 22:16:44 6Gocuth5
>>63
兼続は若い頃から頭脳明晰で、仙桃院に見込まれて景勝の小姓になったんじゃねったっけ?

69:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/08 22:23:49 +88QuPN+
で、それはどんな史料に書かれてたんだ?
調べて分からないならまだしも調べてすらないってのは無しだぜ?

70:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/08 22:40:29 UHMNH4Hf
薪炭吏は世を忍ぶ仮の姿、
実体は忍びの一族であったため
兼豊以前の事蹟は残されておらず
また元服などカタギの通過儀礼に囚われず
幼少時から実戦投入されていたのです
、、、なんつってな

71:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/09 01:33:31 5LPNx+yX
コイツ、直江がいなかったら何もできなかったんじゃね?

72:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/09 01:37:46 EcleZTrG
失礼な!
飯も食えるし、子供だって作れる!

73:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/09 08:22:13 Vr1p/fmD
年収1200万円から年収300万円への転落。
上杉家臣も苦労しただろう。

74:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/09 15:39:37 HVWEh8tg
でも好意でついてきたんだから仕方ねーだろ

75:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/09 15:53:12 NRVPOuG8
ついていかなきゃ浪人だから

むしろ会津移封で切り捨てられた
中越国人衆(´;ω;`)かわいそうです

76:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/09 16:02:09 HVWEh8tg
>>75
>ついていかなきゃ浪人だから
30万石で窮屈するより、他家に仕官したほうがよいのでは?

77:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/09 16:07:18 NRVPOuG8
全国的に浪人増えてるのに?

せめて最上相手に勝ってれば各大名からの引きも多かったろうけども
村上とか旧臣からの物乞いで食い繋いでたくらいだし

78:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/09 23:49:51 EcleZTrG
景勝もついてきて苦戦した部下に
報いれないんだから辛かっただろうね。

79:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/10 02:08:45 esdlG0rU
ついて行ったと言えば、その中に前田慶次もいたんだよな。

80:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/10 02:10:25 vqqJqBKm
脅迫には屈しないとか謙信のまねごとをしてみたんだよ

81:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/10 03:13:01 xo1xcbuh
>>59
道満丸と憲政爺が降伏の使者に訪れた時に実は華渓院と弟妹も連立っていて
その時に斬られたように思える

篭城方にしてみれば嫡男である道満丸よりも景勝の実妹(これも本当は
姉だと思うが)の説得の方が効果的と思うのが自然なのが1つ

それから正嫡である3兄妹の戒名は伝わっているものの
妾腹の遠山氏女の戒名が伝わってない、つまりその後の行方は
不明としても少なくとも落城時は落ち延びていただろうと
実際、他の多くの例を見ても男児は命運を共にすれども女児は
落ち延びさせることが多かった

勿論華渓院が景虎方に人質として斬られた可能性も完全には否定できないが
鮫ヶ尾城ならともかく御館落城時ではまだ人質としての有用性はあるとみるのが自然だし

ま、何れにせよ空想だがね

82:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/10 08:31:01 yGbDfRte
笑ったのが生涯一回のみってのは架空のことだろうが、
やはり謙信を意識して振る舞ってたんだろうな。

83:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/10 15:20:08 esdlG0rU
謙信が昏睡状態に陥った時、景勝にすぐさま本丸に潜り込むよう入れ知恵したのは兼続だっけか?

84:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/10 21:09:16 ZpOD9zQP
>>82
いつしか 笑わなく なってしまったんだよ


85:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 02:06:49 gT7kBI9F
政景が死んでから笑わなくなった、なんて話も聞いたことあるな。

謙信の命令で殺されたのかもしれないが、
本当に酔って溺れ死んだとすると
ものすごく情けない死に方な気がする。
戦中とかでなく溺れ死んだ武将って他にいる?

86:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 02:30:55 rxWJNDZ0
まず間違いなく謙信の謀殺正当化の為の捏造だろうけどね、溺死とかありえん。
政景は何かと謙信にとって都合の悪い部分に居る人物だし、家督相続でもいざこざあるし。

しかしそう考えると景勝は謙信を尊敬どころか、恨んでた可能性も高いな。
御館の乱も実は謙信や上杉に対する復讐から来てたとしたら熱すぎる。

87:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 08:47:43 X1HELVVZ
>>82
威圧感出すのに一切笑わない必要はないからなあ
実際信長にせよ謙信にせよそういう逸話はないし
普通ならまずある種の精神疾患が疑われるんじゃないかと
PTSDとか適応障害とかもしくは高機能自閉症など
刀剣収集とかアスペルガーボーダー的な印象を受ける


88:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 14:02:52 xobxXN6o
謙信の指図というか宇佐見の単独行動なんじゃね?

89:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 14:36:59 kmDvvVXI
>>85
赤座直保。関ヶ原で寝返ったのに戦後改易、加賀藩に拾ってもらったが
のちに氾濫した川で溺死

90:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 14:58:50 X1HELVVZ
宇佐美なんてとっくにいません
永禄二年の侍衆御太刀之次第で既に琵琶嶋弥七郎の名前が見られますから
宇佐美家文書も偽文書が多く確認されていますし


91:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 15:05:10 rxWJNDZ0
まぁいずれにしろ謙信本人だろうが謙信の部下だろうか
父親殺された息子からすれば関係ないかと。

92:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 15:37:39 X1HELVVZ
だから暗殺事件自体捏造の可能性が高い
というより逆に暗殺事件を記録する真っ当な資料が一切無いんですよ
なにせ通説で犯人とされた人間自体が当時存在してないんだから


93:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 15:41:35 X1HELVVZ
故に景勝から謙信への恨みは存在せず
景勝政権の謙信に対する冷淡さは
景勝が上田衆の傀儡だったからでは
というのが個人的な憶測です
上田長尾家中には府内長尾への長年の
怨念がありますし

94:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 15:49:23 rxWJNDZ0
暗殺事件をまっとうに記録してたら舟遊びで死んだなんて話が出てくる訳ねーだろ。

95:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 16:00:53 X1HELVVZ
上田長尾に対する処置の寛大さからも暗殺は考え難いですがね
本来の家法に則るならば継嗣元服まで所領半返しの上で
要地である坂戸城は奉行による城代管理でもおかしくないんですから
山吉豊守死去後の三条城に神余親綱が入ったように

96:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 16:29:25 rxWJNDZ0
黎明期ならともかくそこそこ国がまとまってくるとそういう過去の存在が一番厄介。

どこの大名も似たようなことしてるよ、信長みたいに隠す事も無く佐久間や林を追い出したみたいなのもあるけど。

97:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 16:38:40 X1HELVVZ
上田長尾といえば景勝の実兄が享年10歳と言われつつも
義景という実名を持っているのは一考の余地があるかもしれませんね
上条政繁室や上杉景虎室との出生順といい、どうも不審な所が多いようで

98:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 16:52:51 +lqBlCsU
存在価値 無し


99:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 17:13:49 xobxXN6o
引き上げた政景の遺体の肩に刀傷があったってのも捏造?

100:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 17:26:37 I9Au12Hz
100(*`_゚)

101:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 22:43:23 g5NuIJSr
米沢藩や紀州徳川絡みの2次史料は誇張捏造が多過ぎて
どう判断していいやらわからん

たしか国分彦五郎が死んだというので遺族が遺体確認したら
それが長尾政景だったって話だっけ
それで一体どこから宇佐見定行が出てくるんだろ
国分が政景を斬ったと言われるならまだしも

102:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/11 23:50:46 G0JfBqSq
>>96
何10年も前の恨みで処罰するとか信長クラスの既知外だけだろw









あ、家康も孕石主水を切腹させたか

103:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/12 00:05:55 qsomAM1H
俺はセフィロスだけは未来永劫許さないぞ。

104:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/12 01:04:46 4QG8ABG6
>>102
信長の佐久間追放がキチガイじみてるのは否定せんけど、
国がまとまらない時期で、味方が一人でも必要な時期は利用しても、
国がまとまってくると、そういう時期の主要人物が逆に目の上のタンコブになってきて
邪魔になってくると言うのは珍しくないよ。

105:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/12 06:27:43 S6JEFWmy
まぁこの時期、謙信が政景を消さなきゃならなかった理由がないもんな

106:人間七七四年
07/02/12 11:29:47 XhnF/XBz
>>105
たしか、川中島の合戦とか、2度目の上洛の時は春日山の留守を任せてたからなあ。
わざわざ謀殺しなきゃならんような人物にそんなことはさせないだろう。

107:人間七七四年
07/02/12 13:59:20 S6JEFWmy
>>106
だよね。かつては刃向かってたけどその後はよく仕えてきてた訳だし。
謙信は信長とは違って遠い過去を根に持って処罰するようなタイプじゃなさそうだしね。キレたらその場で勢いで斬っちゃう感じっぽい。神様に『短気を治したい』てお願いした記録もあるみたいだし。

108:人間七七四年
07/02/12 17:37:38 uZHQqoSN
>>95
景勝元服までは城代管理だよ。>坂戸城
城代は黒金上野介。ちゃんと返してるし通常措置だろうから謀略的とも思わんけど。

109:人間七七四年
07/02/12 18:46:52 GUg/BMwy
黒金氏って上田衆でしたっけ。
川中島には来てたと思うけど。
ググっても事蹟がひっかからないや。

110:こんな名無しでは、どうしょうもないよ。
07/02/12 21:19:44 PUrMPbtb
>>87
ここにはまだ来てないけど、謙信関連スレ見ているとあっちこっちに
同じ長文を貼っている人が、その界隈の住人だと思われる。

111:人間七七四年
07/02/13 21:16:18 GxT4lH/X
>>109
府中長尾の旗本格だったはずだが。
城代以後はほぼ上田衆並の景勝旗下
御舘の乱の最中でも安堵したり訴訟事捌いたりしてるから、元々奉行ぽいポジションだったらしい。

112:人間七七四年
07/02/13 21:50:17 qVMS6h1L
>順位 苗字 人口
>13089 黒金 約460 越後の豪族、出自不詳、上杉家臣。現在、新潟県柏崎市に多い。

これじゃなんもわからんなあ
例によって他国からのスカウト組か?
「黒金」は「鉄」に通ずる気もするけど



・・・サンカだったりして

113:人間七七四年
07/02/15 03:03:29 Tclbohgf
同一人物なのかは知らんけど、天と地とでは栃尾で拾ったアブレ者だったな。(姓は鉄)
鬼小島と馬廻の双壁みたいな猪キャラ
大河だと伊東四郎がやってたのか…ちょっと見たいぞw

114:人間七七四年
07/02/15 11:03:46 PDgCI3y1
>>99
その証言をしたとされる国分彦五郎の母は政景の死から71年後の寛永12年に死去。
当時既に元服した息子がいたとすると、年齢的にかなり無理があると思うんだけど
「国分威胤見聞録」が成立したのはいつなんかね?

115:人間七七四年
07/02/15 21:20:54 cayFGp5K
国分威胤って18世紀末の米沢藩士やん
鷹山改革後期の真っ只中
ぶっちゃけ論外じゃね

116:人間七七四年
07/02/15 23:24:31 Y0S5bugp
確か昔やってた戦国ものの大河で
28歳頃の景勝さんの配役が
当時50を軽く超えてたであろう里見浩太朗だったりして
腹を抱えて笑った記憶がある。
ちょWWW貫禄ありすぎだっつーの。その28歳WWW

117:人間七七四年
07/02/15 23:45:06 xTb3/2+N
>>116
『利家とまつ』だな

118:人間七七四年
07/02/16 00:42:41 fvBHnwXc
子供がいないのに側室を持たなかったのは、
菊姫に遠慮したのか謙信譲りで女に興味なかったのか

119:人間七七四年
07/02/16 18:43:50 Retjey3L
>>116
「上条恒彦」の景勝もかなり老けてたw

120:人間七七四年
07/02/17 21:11:32 ei9QclAR
このスレを眺めて
景勝は愚直といわれてるが謀略家のような感じの印象に変わった。

121:人間七七四年
07/02/17 23:03:17 wH109bce
米沢藩の史料捏造力は300諸侯一!!













本当は御公儀のほうが上だけど

122:人間七七四年
07/02/18 00:57:51 efX1xOgV
景勝は悪くないよ傀儡だから悪いのは全部与板衆だよ派のおれが来ますたよ

オキニの長範くんだって米沢奉行になれたのはその死の前年
結局は嫌続以下世代交代するまでなれなかったんだから
それも長年の功績に酬いる名誉職的な感じ

つーか景勝に愛されたのも所謂尻働きじゃなく
能吏としての才覚なんじゃないかな本当は

123:人間七七四年
07/02/18 02:49:58 vRZtPx5f
景勝自身は暗愚ってイメージはないけど、個人的に父親の死が謙信の策略とは思えず、
景勝が謙信を憎んでいたという説は信じがたかったので(創作だろうが謀反人の息子を養子に
してくれて謙信に感謝してるという逸話もあるようだし)上田衆の傀儡説っていうのは興味深い
書状が捏造なら謙信は景虎を後継者にしようとしてたのかな?

124:人間七七四年
07/02/18 11:28:52 VUV6uP92
当人が聡明であれど権力基盤を掌握されていれば
傀儡の地位に甘んじざるを得ないからね
足利義輝なんてよく言われるけども

景勝とて春日山で養育されていたわけで
時を経て坂戸に戻ってすぐ全権掌握できるかといえば
一般的な話としても世にそこまで忠節に篤い家臣ばかり
というわけでもなく

125:人間七七四年
07/02/18 12:33:58 7aP5o8Mc
藩政を私していた与板衆から景勝定勝2代かけて
全権を取り戻したとみれば中々の名君じゃね

126:人間七七四年
07/02/18 12:58:02 6s3ghjep
直江景綱好きの自分としては樋口を勝手に直江にした景勝はうんこ

127:人間七七四年
07/02/18 13:38:20 7aP5o8Mc
直江氏の通字「綱」をあっさり捨て去ってることだし
文字通り名実共に樋口の乗っ取りだな

128:人間七七四年
07/02/18 17:58:03 CgazmHy6
歴史街道の大谷吉継との逸話は感動したな。
小田原合戦後の東北の検地で大谷の不手際から発生した一揆に対して嫌な顔
をせずに兵を出してあげた景勝。「なぜ助けたのか」との問いに
「不慣れな東北で難しい検地を私利私欲なく行っている大谷に男をみたから」
とのこと。
上杉景勝・・・あんたこそ男だよ!

129:人間七七四年
07/02/18 20:26:09 Iv1++7s1
実は女だがな。

130:人間七七四年
07/02/18 21:49:45 7aP5o8Mc
ついに来たか景勝女性説wwwww

131:人間七七四年
07/02/18 23:51:05 Xm8Vip25
もはや何でもありだな。

132:人間七七四年
07/02/19 00:13:06 9DiPUkqA
368: 2007/02/02 18:43:43 en8DDMLV [sage]
『新潟県史』を読んでたら長尾氏の系図で
景勝が「景虎姪也」になっててワロタw
まさか景勝にまで女性説が?w

133:人間七七四年
07/02/19 00:18:01 OJU6qwbB
動機としては女謙信が武将になるより女景勝が武将となるほうが必然性があるから
というのも義景が早世し政景が急死したため景勝がいなければ上田長尾は無嗣断絶
謙信が肉親の情でそれを受け容れることも充分有り得る

134:人間七七四年
07/02/19 00:25:18 j0TL007v
とはいえ片方が女で御館の乱おきるか?

135:人間七七四年
07/02/19 00:29:32 qNRqMDCi
じゃあいっそ氏秀も女でw

136:人間七七四年
07/02/19 02:33:45 c+EOuckp
もう上杉は全員女でいいよ
景家も直江も斎藤も女

137:人間七七四年
07/02/19 02:43:42 4fdBw4Ro
柿崎景家が女だったら超ミステリアスすぎ。
伝承はノータリン猛将なのに、残ってる一級史料はほとんど内政外交関係。
しかも外交ではがっつり成果を出してる。
これで女ってのは妄想ふくらみまくるな。モロにツンデレじゃないかwww





まあ、夫婦一緒に描かれた肖像画が残ってる時点で可能性ゼロだけどな。

138:人間七七四年
07/02/19 11:29:40 4uiST3iO
上杉全員女って…三毛猫かよ

139:人間七七四年
07/02/19 16:40:14 hgCY+OoR
>>137
女性の方が景家公なんじゃね?

140:人間七七四年
07/02/19 21:22:58 4fdBw4Ro
うはwww
そうかwwwww

子供いるわけだもんなwwwww

141:人間七七四年
07/02/25 22:30:09 ugAt5zoT
景勝は男色家だったという設定の歴史小説を読んだ事があるのだが
何か史料に記述されて残ってるのだろうか?
そのような話を聞いたことが無いんですけど。。。

142:人間七七四年
07/02/25 23:56:04 QU6xP/H4
>>141
女だから当り前だ。

143:人間七七四年
07/02/26 00:51:01 HNOYswQm
結局このスレもその流れか

144:人間七七四年
07/02/26 02:29:41 Bt6iIVtM
>>141
兼続とウホッな関係だったんじゃないの?
どの史料にあるのかは知らんが。

145:人間七七四年
07/02/26 09:00:59 Tyi8zTV4
史料なんて無いよ
謙信からの類推
つーか 兼続神格化企画の一環かも

146:人間七七四年
07/02/26 12:23:36 SSIaMjir
というか当時の男色は武将として極まっとうな性癖だから逆に、男色が駄目でした、
とでも史料に残らない限り同性との肉体関係もあったと考えるのが普通じゃないか?

147:人間七七四年
07/02/26 15:31:17 HNOYswQm
男色を嫌っていたという史料が残ってるのは細川忠興?

148:人間七七四年
07/02/26 17:02:26 Vu0Eg+/D
豊 臣 秀 吉

149:人間七七四年
07/03/03 01:28:35 t5sXZvNa
>>144
清野長範ともしました

>>147
かれはガチで気違いだからなあ・・・

150:人間七七四年
07/03/03 16:20:25 drDlu9vU
150ゲトー

151:人間七七四年
07/03/11 20:52:10 Qw/8q5f+
上杉景勝は、坂戸城から三の丸の屋敷。
景虎の屋敷は二の丸。



152:人間七七四年
07/03/12 02:18:08 ykKlgIwR
>>151
それが謙信は跡目を景虎に継がせようとしていたという根拠のひとつにされてたりするね。
でも弾正少弼を景勝に譲ってるってのはどうしてなんだろ?
どこかで『越後を景勝に、関東管領を景虎に』て話も聞いた気がするが…

153:人間七七四年
07/03/12 03:12:17 8NsvgRhP
実はそれが結構不思議なんだよなぁ。何で屋敷の位置が跡取りの証拠になるんだろう。
江戸城だと跡継ぎは西の丸(綱吉は三の丸)だったりするし、本丸からの距離って
そんなに大事な要素だったのか?

154:人間七七四年
07/03/12 03:41:54 HyCZMAfp
それは家によって違うだろう
徳川家は規模が違いすぎるので例としては不適切かと。

155:人間七七四年
07/03/12 04:11:44 ykKlgIwR
謙信は景虎を後継者にするつもりだったって説の根拠って居住地以外にあるのかな?
どう考えても血の繋がってる景勝の方が相応しいと思うんだけど…
まぁ当人たちにもわからなかったから御館の乱が起きたわけだが

156:人間七七四年
07/03/12 11:22:07 Gxk+4pvi
影虎は軍役課されてなかったけど
景勝は他の家臣と同様に軍役を課されていたっていうのを
どっかで見たような気が

157:153
07/03/12 14:52:17 8NsvgRhP
>>154
それは分かるんだが、春日山城は(少なくとも建築物のレベルでは)確かな
史料や発掘された証拠などが存在しないし、その状況で「二の丸」「三の丸」を
跡継ぎ問題の証左としてるということは、その位置関係が当時は凄く重要な
事項なのかと思ってさ…家によって違うならそもそも証拠にならないんじゃ。
それとも”長尾氏は”代々そういう風習になってた、という事なのか?

>>156
そもそも人質で来てる人間に軍役を課せる戦力があるとは思えないんだが。

158:人間七七四年
07/03/12 17:16:41 VwCTL+rB
信濃衆や河田氏は余所者だけど軍役有りだな

159:人間七七四年
07/03/12 17:27:12 VwCTL+rB
軍役を課したかったら上条政繁みたいにさっさと養子から養子に出されるだろうし

160:人間七七四年
07/03/12 17:31:19 /w3zLpK1
少なくとも畠山義春には軍役がありましたが
上条上杉なんて定憲の死によって何十年も途絶えた名跡を
わざわざ引っ張り出してきたが
実質のところ所領給付の名目でしょう

人質の意味が無くなった点では景虎も
義綱が1968年の能登復帰戦に失敗して上杉を離れた後の義春も
条件としては基本的にあまり変わらないと思われ

161:人間七七四年
07/03/12 18:02:22 PRujxa3k
上田長尾氏との確執とかが謙信の中にはあったのかもしれない。
長尾政景誅殺説を真実とするとその子景勝を後継にするのは
憚られたのではとも思う。
また、御館の乱でも家臣団の割れ方も真っ二つに近く、家臣団が血縁の景勝を
支持できない理由に謙信の後継指命が景虎と暗黙に示されていたのではと
考えられる。
しかし、一説には謙信はたいへんな姉思いだったともいわれているし、
それ以上に余ほど政景が嫌いだったのではと説得力の無い話をしてみる。



162:人間七七四年
07/03/12 18:08:51 8NsvgRhP
俺はむしろ逆じゃないかと思ってる。

景勝vs景虎→家臣団真っ二つ、じゃなく家臣団が割れたせいで
景勝の対抗馬としての景虎が担ぎ出されたんじゃないかと。

163:人間七七四年
07/03/12 20:28:23 jlNwujS7
上杉景勝の男色相手で有名なのは誰と誰?

164:人間七七四年
07/03/12 20:36:55 0cZ+I68+
景勝は菊姫一筋!!

…だったらいいなあ……

165:人間七七四年
07/03/12 20:37:41 Y5a+g4nF
>>162
そこまで景勝が本命ならそれこそもっと後継者として行動させてもらえてただろうし、
そもそも謙信も景虎を養子にとる必要性からして無い。

むしろこれほどに近い血縁でありながら謙信存命時にはまるで後継者としての動きが無いあたりが不自然。
謙信が死んで乗っ取りの好機と見て行動したというほうがずっと合点がいく。

166:人間七七四年
07/03/12 20:47:20 8NsvgRhP
>>165
俺は別に景勝が後継者だったとは思ってないし。
どっちが本命だったかは分からないが、謙信の生前から家臣団の間に
この二人を担いでの対立みたいなのがあったんじゃないかと思ってる。
景勝を先に出したのは、単に景勝の方が景虎より先に後継者になれる
位置や背景にいたから。

167:人間七七四年
07/03/12 21:26:08 /w3zLpK1
一応養子に先に入ったのは景虎ということになっていますが

それから通説では景勝が義兄ということになってますけども
景勝が1556年生まれですから仮に全て年子とすると
1557年生まれの長女畠山夫人
1558年生まれの次女景虎夫人となり
道満丸が1571年なので12歳で懐妊ということになる
これは当時としても例が無いわけではないがやはり少々苦しい

一方2女の生まれ順が逆という説もあるが
畠山義春が養子に入ったのは畠山義綱能登復帰戦助成の
ための人質とみるのが自然なので1568年で景虎入越が1570年
輿入れで理由なく長幼の序を違えることは考え難く
やはりこの2人は定説通り

となると景勝が末子になると思われます
おそらく義兄を討ち家督を得たという儒教的価値観に反する記述を
米沢藩の公式文書から避けるためではないかと

168:人間七七四年
07/03/12 21:31:44 8NsvgRhP
ていうか別に景虎の対抗馬として景勝が担がれた、でも構わないんだけどね。
要するに二人の対立から家臣が割れたんじゃなく、家臣が割れたから二人が
擁立されたんじゃないか、と言いたいだけだし。

169:人間七七四年
07/03/12 21:35:34 Y5a+g4nF
>>168
そういわなきゃダメだよ、意味が全然違う。

170:人間七七四年
07/03/12 21:36:30 8NsvgRhP
あ、ちなみに
>先に後継者になれる位置や背景
は単純に子供のいない謙信の甥でバックに上田長尾があるなら
狙える位置だろう、というだけ。特に深い意味は無い。

171:人間七七四年
07/03/12 22:41:41 jlNwujS7
上杉景勝の男色相手で有名なのは誰と誰?


172:人間七七四年
07/03/13 00:38:49 iNxWXSPn
仙桃院の名が綾というのは、何かの史料に残ってる? それとも創作?

173:人間七七四年
07/03/13 02:02:48 7u8K+Pz2
>>153
>57 :名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/02/07(水) 11:38:25 ID:bM3EbdZ5
>>56
>
官位譲渡に関する謙信書状は1620年の景勝自筆の書状と筆跡が同じ(新潟県史)

ついでに言えば、本丸を占拠した景勝は、本丸から二の丸めがけて鉄砲や矢を
放っている。素直に考えれば、三の丸より二の丸、二の丸より本丸の方が、高い
位置にあったことになるよね。

血縁についても、景勝が甥なら、景虎は姪の婿。

174:人間七七四年
07/03/13 02:14:23 n08cFYGt
甥は生まれた時からだが、婿は結婚してからじゃないか?

175:人間七七四年
07/03/13 02:43:17 7u8K+Pz2
そりゃあそうだが、姪の婿なら単なる養子と言うよりも
立場は強いよ。



176:人間七七四年
07/03/13 02:48:55 7Zl8kA6/
甥<義理の甥ってこと?

177:人間七七四年
07/03/13 02:57:14 7u8K+Pz2
そういうことだね。



178:人間七七四年
07/03/13 05:25:36 XW5eR0Vu
そうなんだ。単純に血の繋がる景勝の方が立場は上かと思ってた

179:人間七七四年
07/03/13 12:27:07 4nGsoF6J
官位譲渡書状捏造にしても、
政景暗殺事件捏造にしても、
出生順入れ替えにしても、
これほどの稚拙な捏造をいくつもやらなければならないという時点で
家督継承の正当性が非常に疑わしい。
やはりクーデターに近い後継争いだろう。

180:人間七七四年
07/03/13 13:28:48 XW5eR0Vu
俺の気持ち的には景虎に継がれなくて良かったと思う。

181:人間七七四年
07/03/13 13:44:16 veB3jaE6
もし、景虎が継いでいたら、上杉家は北条家の傀儡的な位置に置かれ、
後の織田との戦いは無く、逆に武田攻めにあたっていたと思われ、
武田氏消滅後、織田傘下に入り、奥羽攻めに組み込まれたか、
北条と共に織田の次のターゲットとされたか、次第によっては織田軍団の展開が
変わり、本能寺の変が起こらなかった可能性さえある。
たらればにきりは無いのだが。


182:人間七七四年
07/03/13 14:27:48 cSvXVrwJ
上杉景勝の男色相手で有名なのは誰と誰?

183:人間七七四年
07/03/13 14:33:06 +ppfNrhs
ここでピーチクパーチク言ったところで通説が覆ることはまず無いけどな。
なんせ上杉家が今なお存続してんだから。
御当主が認めない限りそれ以上話は進めようがない。
米沢市だって今更そんな話困るだろ。観光収入に響く。

184:人間七七四年
07/03/13 14:54:43 pp08MVKN
>>183
景勝後継者説って既に通説なの?
そうだと断言してるものの方が少ない気がするからまだまだ議論の最中なのかと思ってたよ。
米沢市民がどう思っているのかは知らんけど

185:人間七七四年
07/03/13 16:02:06 OnzvqzpC
>>184
そりゃあ府内家累代の名乗りである長尾弾正左衛門尉に基く
弾正少弼の継承というのは有力な物証だったから。

少なくとも一次史料の裏付けが全く無い分割相続説よりは
越相断絶による景虎廃嫡、顕景入嗣及び改名というのは
非常に説得力がある。
一次史料覆っちゃったけどね。

186:人間七七四年
07/03/13 21:50:51 oL9LKgCN
>>越相断絶による景虎廃嫡、顕景入嗣及び改名

時期が中途半端で俺は違和感ある、この説。
越相断絶から景勝を名乗り始めた時期まで5年もたってるのと、
上杉憲政が景虎を推してる辺りから、残念ながら景勝は
謙信存命時には上杉を継ぐような動きは全く無かったのではないかと思う

謙信が急死してる辺りからもクーデターの方が納得できる。

187:人間七七四年
07/03/13 22:44:20 XW5eR0Vu
確かに…
上杉憲政は北条氏に関東を追われてる。天文11年には常陸の鹿島神宮に北条氏追討を願った願文を奉納したらしいから北条氏に対する遺恨は相当なものであるはず。
その憲政が北条氏の出身である景虎を推したのはやはり『景虎を後継者に』という謙信の意向を知っていたから、とすれば自然ではあるな。

188:人間七七四年
07/03/13 22:50:39 oL9LKgCN
それか、北条嫌いの憲政ですら納得するほどに、
景勝を継がせる訳には行かないわけがあったか・・・だな。

最も謙信はともかく仇敵という意味では長尾も北条並みではあるわけだが。

189:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/03/13 22:59:57 GLkL2Zjq
>>173を踏まえて、謙信はトロイカ体制を望んでいたんじゃないのかな。

190:人間七七四年
07/03/13 23:59:21 7u8K+Pz2
謙信とすれば、上田長尾氏を完全に信用もしてないし、
対等の立場と認めるわけにもいかないが、完全につぶす
には大きすぎる相手で、適当に機嫌を取りつつ(養子に
する)臣従を促すしかなかったと思う。

とりあえず、景虎に家督を譲っても景勝の妹(姉)と縁組
していれば、最低限の協力は得られると考えたのかもね。


191:人間七七四年
07/03/14 00:15:59 VbfOZrdn
政景の死後とかに潰すチャンスはあったでそ?

192:人間七七四年
07/03/14 00:31:22 bqwRFcb9
そりゃ無理矢理潰そうとすれば潰せたろうけど、
内憂外患の状況でそこまで同族で争ってる訳にもいかんだろう。
んなことやってたらあっという間に他国につけこまれる時代だ。

193:153
07/03/14 00:39:11 Ci3LwO9m
>>173
良く分からないんだが、より本丸に近い、高い位置にある方が後継者に近いと当時は
考えられていた、と受け取ればいいのか?
単純に位置関係の話だけされても分からん。
なんで官位譲渡の書状の話がここで出てくるのかも分からん。

どうも話がずれてる気がするんだが、二の丸、三の丸に居住していた事が証拠として
挙げられるけどそれは後継者を考える推論に用いて良いものなのか、という疑問だから
この時点では後継者が景勝であるか景虎であるかはあんまり関係ないと思うんだけど。

二の丸への居住には継承の優位性がある→景虎後継者説の根拠の一つ、にはなるが
景虎が後継者→二の丸には優位性がある根拠、じゃそもそも話の順序がおかしいし。

194:人間七七四年
07/03/14 00:58:47 bqwRFcb9
住んでたところの話はよくわからんけど、
そもそも長尾家の後継じゃなくて上杉家の後継者は誰なのか?と言う話である以上
上杉憲政が推した方だわな、謙信だってこの人の養子だからこそ上杉家を名乗ってた訳で。

さらに官位譲渡が捏造だったとするとそもそも謙信は景勝を後継者候補として見ていたかどうかも怪しい。

195:人間七七四年
07/03/14 01:03:13 VbfOZrdn
>>192
政景死後は上田の領土はほとんど謙信が直轄地化してたんじゃないの?

196:人間七七四年
07/03/14 01:06:02 FOzZjJld
戦時の春日山城と平時の江戸城を一緒にしてどーすんの
極端な話、例えば大手門に後継者を配したら真っ先に討たれるでしょ

197:人間七七四年
07/03/14 01:12:22 Ci3LwO9m
>>196
そこは謝る。単に知識がないからとりあえず有名な城の名前出しただけだから。
別に江戸城はどうだっていい。

198:人間七七四年
07/03/14 01:20:46 FOzZjJld
憲政が景虎を後見した事実に対する言い訳が
何一つ根拠の無い分割相続説だろうね
関東管領職に実体が無い以上景勝後継説の亜流に過ぎないもの

もしも謙信が景虎を管領職に押し込めるつもりだったのなら
御館の政庁に留めただろうね
それこそ春日山参勤の必要が無いわけだし

199:人間七七四年
07/03/14 02:07:11 9oEaDDZ6
>>195
政景死後、上田衆は解体され、信濃等の前線に飛ばされている。
血縁の甥とはいえ、その実家に対する仕業をみると、
素直に後継扱いとは言い難い。

200:人間七七四年
07/03/14 02:21:42 VbfOZrdn
>>199
後継とは上杉家のことですか?
あくまで>>190へのレスだけど、上田衆がそんな状態だった以上、
そのままほとんど抵抗無く上田長尾の力を削ぐことなんて簡単に出来たと思うんですが。
あえてそれを肉親への温情もあってしなかったのでは?

201:人間七七四年
07/03/14 02:44:21 bqwRFcb9
そんな甘い話ではなく敵国との情勢下で単純に内乱を長引かせられなかったのと
身内である以上他の家臣への影響も考えた謙信の妥協点と見るべきだろう。

202:人間七七四年
07/03/14 02:51:09 VbfOZrdn
内乱なんて起こってたっけ?
身内であっても河田長親と長尾景信みたいなのもいるんだけど。

203:人間七七四年
07/03/14 02:53:18 H0W5ElNI
一般的に本丸への屋敷の近さは家中の序列だよな。
そりゃ、家中の序列から言えば、2の丸>3の丸だわな。

204:人間七七四年
07/03/14 03:08:21 oTGxp8Zd
>>200
上杉に限らず、他の戦国大名の例をみても敵対的同族を
完全に解体するとか、追放するとかできてないよ。

たとえば、島津氏も最後まで争った薩州家を取り
潰したりできなかった。
薩州家に義久の娘を嫁がせ、その外孫を家中序列で
義弘の上席に置いている。
領地だった出水を本家直轄にできたのも、関が原前後に
豊臣がらみのどさくさでのことだし。

それを考えたら、謙信が上田長尾を存続させつつ、徐々に
力を削ぐ方向にもっていくしかなかったというのも、自然
だと思う。


205:人間七七四年
07/03/14 03:18:21 oTGxp8Zd
>>193
混乱させてすまんかった。

>>173の前半は>>152へのレス。

>より本丸に近い、高い位置にある方が後継者に近いと当時は
>考えられていた、と受け取ればいいのか?

そのとおり。
わざわざ、下位の者に上位の者を見下ろす場所に
住まわせるのは、不自然だよ。



206:人間七七四年
07/03/14 03:22:36 H0W5ElNI
相続について、景勝のが有力だったなら、葬式すぐに春日山城を奪うなんてことする必要ないな。
まってりゃいいわけだし。
葬式中から襲撃準備して武力で本丸奪取して、越後を内乱に陥れてまで家督相続する意味ない。本命だったなら。

むしろ、本命は景虎だったから、こういう無理矢理なやり方せにゃならなかったんだろ。

207:人間七七四年
07/03/14 03:29:26 VbfOZrdn
>>204
別に一気に解体するとは言ってない。
というかその例なら景虎の家督相続直後の府内と上田の対立と比較すべきでは?
状況は違えど政景の死がその例で言う「どさくさ」に当たるのではないかと。
一度は上田衆をほぼ直轄化してるわけだし。徐々に力を削ぐという割には随分とぬるい気がしますが。
上田のご機嫌を取るなんてレベルですかね?

208:人間七七四年
07/03/14 23:42:11 oTGxp8Zd
>>207
戦国大名の支配体制を知れば知るほど、謙信の上田
長尾氏と景勝への配慮が見えてくるんだよね。

>上田衆をほぼ直轄化してるわけだし

ここのところなんだが、多分景勝元服まで謙信が領
地・上田長尾の家臣預かったという形をとったんじ
ゃないだろうか。
長い歴史を持っている一族は、血縁・姻戚・利害関
係が複雑で、反乱を起こしたから追放・領地没収・
皆殺しとしなかなかいかないんだよね。
それどころか、機会を見て一度没収した領地を縁者
に返還する例も多い。

ここは、上杉家臣団の内情に詳しい人の解説を希望
する。


209:153
07/03/15 00:08:26 39u4+XPZ
>>205
その意味でいいのね、返答ありがとう。

ただ
>素直に考えれば、三の丸より二の丸、二の丸より本丸の方が、
>高い位置にあったことになる
に関しては、春日山城の場合景勝屋敷の方が高いんじゃないのかな?

正確な高度は分からないけど、天守閣跡から見下ろした時、南東にある
景虎屋敷跡より南西の下がった尾根上にある景勝屋敷跡の方が高い位置
にあるように見えたんだけど。

210:人間七七四年
07/03/15 00:42:38 S78tjTUX
>春日山城の場合景勝屋敷の方が高いんじゃないのかな?

えっ、そうなの?




211:人間七七四年
07/03/15 00:45:22 YnNRWYTY
>>208
>戦国大名の支配体制を知れば知るほど、謙信の上田
>長尾氏と景勝への配慮が見えてくるんだよね。

これは同意なんだけど、その配慮が何のための配慮かということで。
少なくともご機嫌取りなんて下手に出たものとは思えないのよ。

追放・領地没収・ 皆殺しなんて極端な話ではなくとも、
上田長尾を上杉家中の最大勢力として残す理由は無かった。
情勢が緊迫していたとはいえ、上田のゴタゴタは
「徐々に力を削ぐ」最大のチャンスだった筈なのにしていない。
先に挙げた例だけど、母方一族の上杉景信なんてのは力を大幅に削られて、
元々家来だった筈の古志衆は河田長親に従って越中の前線に飛ばされてるわけで。
そんなことをあえてしなかったのは、恩を売ろうとしたか個人的感情かで
元々削る気が無かったからじゃないかね。

212:人間七七四年
07/03/16 13:01:01 crRCGeQ+
>>209-210
高低差では明らかに景勝屋敷の方が高いよ。
本丸からの距離も近いし、高さも本丸より3~5m低いくらいじゃなかろうか。
それに比べ三郎景虎の屋敷跡は本丸から15m以上低い。距離も景勝屋敷よりもある。
本丸からの距離や高低差や利便性等を考えて屋敷の位置を見ると三郎景虎よりも直江家の扱いの方が上だね。



213:仙台藩百姓
07/03/16 13:36:07 7mlKzq9b
直江屋敷は本丸に次ぐ場所という印象だお( ^ω^)
峯の頂きに沿っていて景観もいいし面積も広いお
景虎屋敷は中腹の土手っぷちで日当たり悪そうだお

214:人間七七四年
07/03/16 15:48:37 X50asbvQ
そりゃ景虎屋敷は後からの増設だもの
まさか他を追い出すわけにもいくまいに

それから景虎屋敷付近の米蔵は土塁の堅固さから弾薬庫説があるそうですね


215:人間七七四年
07/03/16 15:51:26 X50asbvQ
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
これわかりやすいわ

どっちかというと愛しの三郎ちゃんをおなかに抱え込んで外敵から護ってる図、みたいw

216:人間七七四年
07/03/16 16:36:14 8ZSITWZD
逆に解釈すれば人質として外とのアクセスが悪い場所に置いたようにも見えるな。
景虎に屋敷が与えられたのっていつ頃だっけ?

217:人間七七四年
07/03/16 18:07:31 X50asbvQ
まあそうとも言えますが

ただ大軍で攻め込むには砦の下をたどる狭い道を通らなければいけないのに対して
落ち延びるのにはなんとかそのまま谷を下れなくも無いと思うんですがどうなんでしょうか
実際御館の時は落ち延びたことだし

むしろ御館からどうやって落ち延びたかが疑問だわ
あんな何もないとこを

218:人間七七四年
07/03/20 04:59:50 QjQrZwJ6
空文化した管領職の行方が内乱の原因というのは無理あるわな
それだと景虎を担ぐ側のメリットが殆ど無い
それでも上野に勢力のある北条親子や河田伯耆はともかく
阿賀北の加治氏なんて皆無だ

219:人間七七四年
07/03/20 10:47:50 NYt7sMAn
>>216
越後入国直後、景勝は改名後の天正3年。


220:関連スレ
07/03/20 10:55:35 rgHhVQ+H
【何故負けた?】上杉景虎【御館の乱】
スレリンク(sengoku板)


221:人間七七四年
07/03/20 15:18:19 T6HZG7lB
景勝はほとんど笑わないうえ、常に刀に手をかけてたらしいよね。家臣みんなビクビクもんだったろうな…

222:人間七七四年
07/03/20 18:29:43 IvOnJIOk
実家に帰るまでが落ち延びですから。
まず谷越えだったら歩いているうちに見つかるでしょ。

223:人間七七四年
07/03/22 05:36:29 TAUm1+FC
謙信が景虎と景勝のどちらを後継者にと考えていたか結局わからないが、
俺は景勝が継いでよかったと思う。

224:人間七七四年
07/03/22 17:52:27 HRF8k9ow
まあ、微妙だ罠。
実家の北条の動向しだいか。

対北条、対豊臣、対徳川で随分扱いが変わると思う。

225:人間七七四年
07/03/22 18:24:52 06rZvrAh
>>223
謙信は景虎に関東管領を継がせるつもりだったらしい。

226:人間七七四年
07/03/22 21:32:07 Se5t7p05
それなら『輝』を偏諱したのではないかと思うけども
もしくは管領上杉の通字である『憲』
『虎』は幼名の虎千代から引きずっていて本人も思い入れがあるようで
署名にも「虎」とだけしたためたものもあるし

景虎以外『虎』を書き出した臣下は1人もいなくて
景虎を譲った元亀元年に謙信を号するようになるなど
公職としてよりも私的な思い入れが感じられる
国人連合の盟主である戦国大名の後継はともかく
府内長尾家の後継者としては見られていたんじゃないか
それゆえの府内長尾一門の支持であり栃尾本庄の支持かと

227:人間七七四年
07/03/23 01:15:47 VAjUGDgL
>>226
作法として、公方様から拝した「輝」の字を他人にあげて良いの?

228:人間七七四年
07/03/23 11:47:33 SAPb9GM9
白井長尾輝景が謙信による偏諱かどうかというのは意見が分かれるようですね。
一方政の字はいくつか見られるようで直江景綱も政綱を名乗った時期があったようです。
直江大和が謙信以外の偏諱を受けるとは考え難いので。

229:人間七七四年
07/03/23 23:47:21 /cf2pKCz
参考までにどうぞ。

足利義晴の時代にも、義の字を受けた武将として、大内義隆、
晴の字を受けた武将に長尾晴景などがいる。
義の字を受けようとする者は、幕府に500貫以上の献金を要し、
諱の下の文字は300貫とされた。



230:人間七七四年
07/03/24 00:06:25 LHEduT5z
義輝死んでるし
つーかゲン悪くて貰いたくないな

231:人間七七四年
07/03/24 00:58:05 +ATKKhhY
それを言うなら「顕」だって

232:人間七七四年
07/03/24 01:09:02 sm75XP72
顕景の「顕」の字は、誰からの諱?

233:人間七七四年
07/03/24 01:14:17 +ATKKhhY
忌み名じゃないけど祖父の代でヌッ殺した関東管領と被るじゃん。
特に上田は関東管領家との繋がりが深かったらしいし。
そういうのは気にしないもの?

234:人間七七四年
07/03/24 02:03:34 jzXQBO/L
景勝の「勝」の字は誰からもらったもの?

235:人間七七四年
07/03/24 10:26:44 Rp9gS/ZW
上杉家中の『顕』と武田家中の『昌』は戦国史上の謎だな。
仏教縁起かなんかなんだろうか。
もしくは裏紋みたく裏忌み名みたいなものがあったとか。

236:仙台藩百姓
07/03/24 11:52:30 FAXpHsAc
>>234
武田勝頼( ^ω^)

237:人間七七四年
07/03/24 12:24:53 LHEduT5z
それだと上下関係逆だろ
烏帽子親の下の字を上に受けることはあっても逆は無い

甲越は対等同盟なので勝景とするのが自然
つーかそもそも勝頼から貰ってたら1575年の弾正少弼景勝がウソってことになるが
いいのか?

238:人間七七四年
07/03/25 00:10:59 3LKPdVuq
景勝から「勝」の字を貰ったのは、嫡男定勝と直江の婿の勝吉だけでおk?

239:人間七七四年
07/03/25 15:06:57 tkeh4SmB
北条高広の次男に北条勝広という御館の時に
北条一族で唯一景勝方についたのがいたハズなんだが
早々に讒言で成敗されてるので事跡がよく判ってない

ひょっとしたら本庄繁長の末子の大宝寺義勝もそうかもしれない
阿賀北本庄氏は身内の上田衆信濃衆以外で最も厚遇された一族なので
尤も本庄氏に復姓した時にさっさと勝の字を捨て去って充長と名乗ってたり
よくわからん

240:人間七七四年
07/04/06 00:23:55 kiYVKAjo
上杉景勝の男色相手で著名な人物は誰と誰ですか?

241:人間七七四年
07/04/06 00:39:39 9VqcbEpI
新発田の反乱を平定するのに相当手を焼いたようだが
そんなに相手が手強かったのかな

242:人間七七四年
07/04/06 00:41:26 MBvrtoPc
織田が強すぎて、その対処に追われていたから。
本能寺で織田の脅威が無くなった後はきっちり平定してる。

243:人間七七四年
07/04/06 00:59:23 ZfwcdePj
嘘だよそれ
本能寺後も水原満家やら菅名綱輔やら討たれてんじゃん
結局新発田が落ちたのは1587年になってから

244:人間七七四年
07/04/06 08:44:01 2niPv/LY
景勝の「勝」は柴田勝家の「勝」に由来する

245:人間七七四年
07/04/13 18:39:09 DmzcB85q
×織田が強すぎるから
〇織田は数が多いから

246:人間七七四年
07/04/13 19:20:44 fOIXyDFZ
強いと数が増える
弱いと数が減る

247:人間七七四年
07/04/15 21:08:46 WWstSxuW
本能寺の頃の景勝家臣団てどんなのがいるのだろ?

248:人間七七四年
07/04/15 22:07:40 fJz5Axsd
本能寺の頃なら御館戦勝処理の頃とあんまかわらんやろ
会津移封頃になると序列上位はもうほとんど上田衆と信濃衆しかいなくなるけど

249:人間七七四年
07/04/16 03:36:58 WIYs0TWv
>>248
上田・信濃以外の連中はどこ行ったの?初歩的な質問でスマソ

250:人間七七四年
07/04/16 09:55:22 l6FQTShd
死んだ

251:人間七七四年
07/04/20 04:04:48 mdcWevLb
>>249
御館の乱であぼーんするなり弱体化するなりしたり、会津に行く時越後に残ったり。

つーか上田・信濃衆に囲まれながら上位に食い込んでる本荘に萌える

252:人間七七四年
07/04/20 19:23:36 wCHBhhF7
ここはその辺に詳しそうな人がいるみたいだな
色部とか中条とか、揚北の連中とかはどうなったの?

253:人間七七四年
07/04/20 20:32:09 mM6LUSZd
色部も中条も、歴代当主の墓が米沢にあるぞ

254:人間七七四年
07/04/27 10:26:42 3yWmQyuN
兼続2009年大河主役決定age

景勝は誰がやるんだろうな。

255:人間七七四年
07/04/27 10:59:26 QvjOgUn3
どっかで景勝は北村弁護士が適役と書かれていてワロタ

256:人間七七四年
07/04/27 11:00:06 NdneXNIY
>>254
兼続より遥かに重要な問題だな。

257:人間七七四年
07/04/27 13:37:14 UctOvMjA
「支える女たち」が強調されてるのが気になるな。
景勝が菊姫の尻にしかれてたらショックだ。
大河で景勝時代の上杉が見られるのは嬉しいが、不安材料多いなあ。

258:人間七七四年
07/04/29 18:08:27 mZ7LK7cm
としまつの里見景勝は渋かったけど、年とりすぎで違和感あったな。
今度は兼続の少し上の俳優で頼みます。

259:人間七七四年
07/04/29 18:49:19 xHOZ+Oa4
いつもむっつりしている怖い人だったらしい

260:人間七七四年
07/04/29 19:36:59 UK9Ac6bh
俺の中での景勝像は的場浩二
的場は大河に頻繁に出てるから可能性はそれなりにあるんではないかな、と
次点で松重豊
彼も頻繁にNHKのドラマに出てるから可能性はあると思う
ただ身長が高いので兼続役の俳優とのバランスを考えると的場より低いかな
大穴で柳場敏郎
寡黙な役は踊る大捜査線でやってるから心配はないが黙っていて周りに恐怖心を与えれるほどの強面ではないのでイマイチ

261:人間七七四年
07/04/30 00:39:35 7hkdSKtT
>>260マジっぽいね

262:人間七七四年
07/04/30 00:40:27 FXMeoxYs
>>257
>景勝が菊姫の尻のしかれてたらショックだ
武田の姫好きなので菊姫も好きだけど、それは見たくないなw
あと、菊姫自害説の採用もして欲しくない。

>>260
松重豊、いいねいいね! 時おり片頬で笑って欲しいぞ。
でも、松重はNHK朝ドラの次期シリーズ「ちりとてちん」で
ヒロイン(風林火山のミツ)の父親役だが。

263:人間七七四年
07/04/30 08:04:04 f67yRYzX
密かに初代仮面ライダーとか似合いそう

264:人間七七四年
07/05/01 16:45:39 r2/1PQek
>>263
いくらなんでも歳取り過ぎだ
10年前くらいなら可能性はあったろうけど

265:人間七七四年
07/05/06 20:32:17 U7vII20h
里見景勝はかっこよかったけど年取りすぎて笑い止まらなかったw
五大老の中でも若輩のはずなのに利家・家康よりもおじさんだった
その割りに直江は青年で慶次は及川だしめっちゃ笑顔だし
かっこよくて演技上手くてよかったけどアレが景勝か聞かれると絶対違う

266:人間七七四年
07/05/06 22:45:42 CQYfVEAP
>>265
利家が景勝を接待する回の、「何か申せ景勝!」はワロタw
里見さんの演技は決して悪くなかった(むしろよかったと思う)んだけど、
問題は景勝とは違った事だな。

天地人は一年ずっと出ずっぱりだから、ちゃんと「景勝」な人がいい。
クレジットも二番手…いや、お船の次の三番手かな。

267:人間七七四年
07/05/07 23:12:01 9rzqjVIZ
景勝は肖像画とか人相のわかる記述ないのか~?
うpして。
教えて。

268:人間七七四年
07/05/07 23:36:52 g01Oaj4s
カンニング竹山

269:人間七七四年
07/05/08 15:38:30 6RstoR4N
>>262
菊姫の尻(;´Д`)ハァハァ

270:人間七七四年
07/05/08 16:02:30 DY701VOE
>>267
URLリンク(www8.ocn.ne.jp)

271:人間七七四年
07/05/18 02:02:52 y+eK0d2f
>>270
山口達也みたいな顔かな?
URLリンク(www.geocities.com)

272:人間七七四年
07/06/22 22:33:45 gvi3PD2L
age

273:人間七七四年
07/06/22 23:14:56 zktgOMie
>>363
>>364
子猿の媚びお辞儀であのだらしない吹き笑い、場面かわって秀吉顔面どアップ。

もっとやせてくれれば壮年役から、むりか。



274:人間七七四年
07/06/22 23:19:13 zktgOMie
>>263
>>264
だった。

275:人間七七四年
07/06/25 18:19:30 Dc2yPG38
壮年の謙信公→渡辺謙
景勝公→役所広司か豊川悦司
直江兼継→浅野忠信
前田利益→阿部寛
伊達政宗→榊英雄
最上義光→生瀬勝久

こんな感じがいいなぁ


276:人間七七四年
07/06/27 14:30:35 tsafbE6G
おれはさ やくざの親分、殺人班集めて戦国映画とったら 少しリアリティー出るんじゃないかって思うんだが?

277:人間七七四年
07/07/26 13:18:24 8p4+9xGP
筆跡が景勝自身のものだから弾正少弼譲は捏造と上の方のレスにあるが、
当の三郎景虎自身が、謙信の死後間もない時期に、
景勝のことを「少弼」と呼んでいる芦名盛氏書状があるよ。

景勝が勝手に自分で名乗った官途ならば、
すでに敵対していた景虎が、第三者宛の手紙にそんなこと書く必然性が全く無い。

それに景勝が官途を譲られたあと、
謙信の生前と考えられる時期に「少弼」と署名した書状も残っている。
したがって新潟県史料の官途譲与謙信書状は景勝の自筆であるにしても、
それは、正当に譲られた事実を明確に残すために書状にしたと考え得る。

…という論文もまたある。
だいたい勝手に捏造した後ろめたいドス黒い書状なら、普通自分で書くだろうか。


278:人間七七四年
07/07/26 13:36:04 ltyCjfnz
>>277
自筆で書いたら、犯行を自白するようなもんだもんな。
後ろ暗い所があるなら、普通はやらんわなw

279:人間七七四年
07/08/11 12:41:17 j4mDtI8N
景勝に似て無口なスレだなw

280:人間七七四年
07/08/15 01:06:25 k8jAw8UD
誰がうまいことを言えと言ったwww

281:人間七七四年
07/08/15 07:55:37 gcJL9os3
家臣ですらめったに喋った事を聞かない、ってのも凄いな。
ある種の精神疾患だったんじゃなかろうか。

282:人間七七四年
07/08/15 18:49:41 7zQgMoqL
>>281
側近政治がまかり通ってたんでは?

283:人間七七四年
07/08/17 00:34:44 BZW0thB0
御館の乱直後からすでに直江と狩野の両頭体制なんだっけ?>側近政治

しかし兼続ってば本当に幸運というか。
乱後すぐ信綱事故死で直江継ぐし、狩野もあっけなく病死で20代にして単独執政。
あとはどこまでが景勝の意思で、どこまでが直江本人の意思だったのか、
もはやその境目さえ判然としない状態。
景勝はある意味傀儡ですべて直江が仕切ってた、とイメージしている人が多そうだが、
どうなんだろうか。
肝心カナメの関ヶ原では意見が割れて、なぜか舵取りしてた筈の直江の意見が通らなかった、とされるが。
いろいろ不思議でならない。

284:人間七七四年
07/08/17 10:50:46 kHhQj/2e
てか無口さだけで精神疾患を疑うってのもよく分からんな。
それとも他に症状としてあてはまりそうなものがあるのか?

285:人間七七四年
07/08/17 13:02:47 lv5FxLC2
>>284
ある種のコミニュケーション障害に当てはまらない事も無いな。

286:人間七七四年
07/08/25 23:43:15 CqKH5IgH
景勝支持派の大物だった直江信綱、
謙信晩年の側近だった山崎秀仙は殺害され、
上条政繁は追放され、狩野秀治は病死。

直江の目の上の瘤だった人間は次々にみんな消えた。
偶然なんだろうが裏があったら恐い。
とてつもなく直江恐い。



287:人間七七四年
07/08/26 03:13:03 lrJM8Tn4
謙信周りの人物が消えていってるのは景勝自身の方こそ怪しいな・・・。
そもそもこの人は上杉の名を利用はしても本気で謙信を慕っていたかは若干疑わしい・・・。

288:人間七七四年
07/08/26 17:58:07 G0Cw/roM
謙信の晩年の側近たちで御館の乱後、数年で消えたのって
河田長親と魚津絡の守将たち、上にも出てる山崎専柳斉のぞくと
あと誰だろ
誰か怪しい死に方した人いたっけ

>本気で謙信を慕っていたかは若干疑わしい・・・。

やはり政景の死には何かしら含むものがあったのかね


289:人間七七四年
07/08/27 07:28:41 kbpJ86Rq
政景の死自体が事故死か謀殺かも
景勝がそれをどう捉えたかも全く分からんのじゃ
仮定しようも無いな。

290:人間七七四年
07/08/27 19:22:41 KPFUdZlo
まぁそりゃ景勝に聞いてくるしかないわな、答えそうに無いけどw

政景の死に関してもそうだし、
自分という身内が居るのに氏秀に幼名の景虎の名を与えて後継者としている事も、どう思ったのだろう?と思うし。
謙信の志を継ぐ気であったのであれば景虎はともかく何故上杉憲政まで殺したのだろう?という疑問もある。

291:人間七七四年
07/08/27 19:53:43 TauJm4iA
軍役帳で政景は家臣扱いだが景勝は一族の第一位にいる事、
弾正少弼は景勝に譲られていること(三郎景虎も認めている)を考えると
少なくとも越後国主の座は景勝の方が優位な気がするが
三郎景虎が後継者扱いってのはどうかね?


292:人間七七四年
07/08/27 23:18:31 j7D7OEV7
>>291
あまりツッコんでる人がいなくて今まで不思議だったのだが、
越相同盟が成立するまでの経緯で、北条家は、
氏政の子を謙信の養子とすることを同盟条件として決めて、それ以後、
初めて長尾輝虎(謙信)を「山内殿(山内上杉)」と呼び、
関東管領として認めている。その後、養子は弟の三郎に代わったが、
謙信の姪をその養子にめとらせることも三郎の越後入り前からの約束(上杉文書)。

つまり、何が言いたいかというと、
・三郎を養子にすること
・謙信の姪と結婚させて名実ともに上杉一族とすること
・そのうえで関東管領山内上杉家は三郎が継承すること
この3点は同盟成立までに両家の合意事項として定められていたことなのでは?

しかし、1571年10月の氏康死去、同年12月の越相同盟破棄(甲相同盟復活)
1573年7月の信長による義昭追放(足利幕府の滅亡)・・・
という諸事情の変遷によって、北条家との関係も、管領職の意義も変化し、
謙信にも三郎の扱いについて頭を悩ませるところがあったのではなかろうか。
このまま当初の約定どおりに関東管領を継承させたところで、
もはや有名無実どころか、幕府による正式な役職でもなく、
コストばかりかかって実益を生まないポストであることは本人が誰よりよくわかっている。


293:人間七七四年
07/08/27 23:30:35 j7D7OEV7
(上の続き)同盟決裂後、
北条征伐のために謙信が掲げた願文を読むと、氏政のことを、
「父を裏切り弟とその忠義の士(遠山親子)を捨てた」と非難していて、
そこからも謙信が自ら初名を与えた三郎に対し愛情を抱いていたことが推察できる。
では、だから「後継者は三郎」とし、
すべてを三郎に譲るつもりだったかと考えると、今度は景勝の存在が大き過ぎる。

1574年の関東計略失敗によって、謙信の関東方面での力は大きく後退。
同年12月に出家して法印大和尚となり、父の33回忌を盛大に行っている。
その直後1575年1月に甥の顕景を景勝と名乗らせて弾正小弼を譲っている。
(この官途移譲の捏造説はすでに論破されているので却下)

もしも謙信が国主の座もあわせて三郎に与えるつもりであったならば、
ただでさえ家中屈強の上田長尾家を率いる顕景に対して、
こうした処遇をしてやる必要は全くない。
そのまま上田衆の顕景にしておけばいい。


294:人間七七四年
07/08/27 23:42:34 j7D7OEV7
(また続き)一門筆頭の地位は与えたにせよ、
あくまで景勝は家臣の立場で景虎に仕えさせる予定だった、
と言う人があるかも知れないが、これほどの地位補強をしてやり、
「御中城様」と呼ばせ、家中最大クラスの兵力を持たせておくことは、
景虎を次期当主とするならば非常に危険なことではないのか。

そうなると、国主まで含めて三郎に跡目を譲ろうとしていたと考えるのは
やはり違うのではないか、という考えに傾いてしまう。
要は関東管領職が実際消えたあと、
三郎をそれに代わるふさわしい地位としてどう保ってやるか、
謙信は非常に悩んでいたのではないかと考えるのだが、どうか。
理想は足利幕府復活で関東公方・管領復活、三郎就任、、、だろうが、
それほどの時間がもう自分に残されてはいないことを、謙信はわかっていたとも思う。

さらに、上田長尾と古志長尾の長年の敵対関係を思えば、
うかつに景勝を世嗣指名したところで古志長尾の反発は十分想定されただろう。
長くてスマン、書いてて訳わからなくなって来たが、こう書き出してみると、
御館の乱は本当に起きるべくして起きたとしか言い様がない。



295:人間七七四年
07/08/28 12:20:12 KErVfZ8w
関東管領は上杉顕定以来官途を名乗らず、四郎・五郎といった仮名で通している。
(謙信は山内上杉を継ぐ前に任官されたから例外)
よって景虎が最後まで「三郎」だったのも、謙信が関東管領職を景虎に譲るつもりだったから
という可能性はある。

296:人間七七四年
07/08/29 01:45:46 rfZlm+Wr
上のを読んでちょっと気になったのが弾正小弼について、
これは正確には二種類に分別できるんだけど。

一つ目は長尾家が代々自称で名乗っていた弾正(忠、左衛門)と
まだ関東管領になる前の謙信がその自称を将軍に認めてもらって官位の形で確立させた弾正小弼。
為景らが名乗っていた自称の方に関しては景虎(三郎)が名乗る必要性は全くないし、
官位の方を名乗るのであれば全く別の形で改めて朝廷に働きかける必要がある。

弾正小弼・・・というか正式な官位は当たり前だが正式な朝廷からの任官がなければ
本来ならば名乗る事が出来ない役職(自称が多いが)
謙信に関してですら、上杉の姓を継いだ事による蔭位制から認められたに過ぎず、
(弾正小弼は本来多数の人物が名乗れるものでは無いが、謙信が任官された時期は松永弾正小弼がまだいる)
まして謙信個人の意思で誰かに名乗らせる事が出来るような類のものでもない。

逆に景勝は為景の孫であり、父・母共に長尾の縁者なので、
たとえ謙信が認めていなくとも自称である長尾家の名乗りであれば弾正を名乗る資格はあったし、必要もあった。

そして自称で名乗ってる官位で相手を呼ぶこと自体は敵だろうと、当時珍しい事じゃない、
三郎自身が景勝を弾正小弼と呼んでいても、本人が名乗っていたのであればなんら不自然は無い。
だが、たとえ謙信が景勝に弾正小弼を譲る意思があったとしても、朝廷の動きが全くないのであれば
どのみち自称に過ぎず、官位としての意味は持たない。本当に譲る気があったのであれば
あれほど朝廷・幕府を尊重していた謙信がこの事を知らないとも忘れていたとも思えない。

以上の事から景勝が弾正小弼を本当に謙信から受け継いでいたかはかなり疑わしいのだがいかがか。

297:人間七七四年
07/08/29 13:25:01 2YTZ4qTl
>>296
朝廷からは正式に移譲が認められていなかったんじゃないかと?
謙信の事だから、ちゃんと正式に申し立てているんじゃないか?

298:人間七七四年
07/08/30 00:59:55 B2mknL1r
>>296
>弾正小弼・・・というか正式な官位は当たり前だが正式な朝廷からの任官がなければ
>本来ならば名乗る事が出来ない役職(自称が多いが)
>謙信に関してですら、上杉の姓を継いだ事による蔭位制から認められたに過ぎず、

謙信が弾正少弼に叙任されたのは1552年
まだ長尾景虎の時代だよ
上杉家の名跡を継いで、上杉政虎と名乗ったのが1560年

なにやら話の展開が途中わかりずらいのだが、要は、
・為景の孫である景勝が、長尾として名乗る資格と必要があったのは
 長尾家が代々自称してきた弾正左衛門尉
・景虎は上記を名乗る必要は全くない
・自称の官名を第三者が呼ぶこともあるため、景虎が景勝を書状で
「少弼」と呼んでいても景勝が官途を譲られていた証拠にならない
・朝廷に正式に奏請されて認可されたものでなければ自称と同じ
・謙信が景勝に自身の官途を譲ったとは思えない

…という理解でいいんだよな。

299:人間七七四年
07/08/30 02:52:04 SACEDOqw
>>298
松永については確かに書き方が悪かったので、訂正します。

松永久秀が足利義輝に相伴衆に任命されて弾正小弼に叙任されたのが
1560年頃、長慶存命の頃。幕府相伴衆として官位を正式に任官されている。(多聞院日記etc)

なので、1552年の時点で長尾景虎への正式な任官があったとするのであれば、
1560年頃に松永久秀に正式に移ってしまった事になるので、認識がおかしくなると言う事。
だからこの段階では蔭位によって家格に対して相当の位階が認められたという解釈。

正式な任官ではないという言葉を使ったので、誤解が生じたかもしれないが、
あくまで謙信に関して言えば正式に将軍・朝廷に働きかけた上で、
長尾家が代々名乗ってきた「弾正」を正式な官位として名乗ろうとしたが、
長尾家は弾正左衛門尉や弾正忠や左衛門などを名乗っていて、そもそも自称・通称なので
細かい分類は難しい。なので蔭位によってまず相当の位階を認めてもらい、
その位階として弾正少弼を名乗れる権利をもった、と言う事だと思う。
当然正式な手順を踏んでいるし、まして自称ではない。
だが、景勝からすれば利用できる名乗りであればどれでも良いわけで。

だからこそ、景勝に譲ったのであればこれらを一切無視して、
一通の書状だけで譲ると言う認識自体を他ならぬ謙信が持っていたとは思えないと言う事。
逆に管領は世襲制なので、本人の意思があれば良い。

300:人間七七四年
07/08/30 06:25:03 B2mknL1r
>尾家が代々名乗ってきた「弾正」を正式な官位として名乗ろうとしたが、
>長尾家は弾正左衛門尉や弾正忠や左衛門などを名乗っていて、そもそも自称・通称なので
>細かい分類は難しい。なので蔭位によってまず相当の位階を認めてもらい、
>その位階として弾正少弼を名乗れる権利をもった、と言う事だと思う。

蔭位というのは父が正式に叙任された最高の位階までは
その子も叙任されるという律令政以来の制度
(その名残として室町末期・戦国大名では父の最高の官位を子が名乗るのが一般に行われていた)
長尾家の自称していた弾正左衛門尉に対する蔭位という考え方は相当な矛盾がある

>一通の書状だけで譲ると言う認識

父が既に正式に叙任された官名を自ら子に譲る場合、朝廷(もしくは滅亡してるが将軍家)に
どういう働きかけが必要なのか、自分はよく認識してないので、
一般的な例を教えてもらえないだろうか。


301:人間七七四年
07/08/30 21:44:32 ptHtcLhw
こっちで聞いたらレスが来るかも?

戦国時代の官職
スレリンク(sengoku板)


302:人間七七四年
07/09/02 07:19:36 qA0He/en
>>300
基本的に戦国時代の官名なんて有名無実が多いので、
地方になればなるほどいい加減で、勝手に世襲してしまってたりする場合が多いが、
管領細川家の右京大夫のように、由緒も正しく世襲をしているような場合だと
それぞれがそれぞれで改めて正式に朝廷から叙任されてる。

謙信がそこらの地方大名と同じく、一度叙任されれば
後は勝手に名乗っていけば良いやと言う程度の人物ならともかく
あれだけ朝廷と幕府の権威を重んじた謙信ならば、
官位を譲る事を朝廷に働きかけていて当然だったのではないだろうか?

303:人間七七四年
07/09/02 13:17:14 0F3+3E5j
300です。官途の譲与について当時の通例がわからないままで申し訳ないが、
たとえ他家の一般的な例とは違っていたとしても、謙信ならば、
必ず朝廷か将軍に働きかけるはず、と言いたくなる気持ちはわかる。
そして、現存している史料にはそうした動きを示す内容のものがない。

従って、ではやはり景勝の弾正少弼の名乗りは自称なのだろうかと考えてみると、
普光寺文書の中に、次のような景勝の書状が残されている。
「御懇札具令披見候、随而今度従、上様御幕なと被下、官途させられ候、就之祝儀之趣祝着之至極~」
これは景勝が「御幕」「官途」を与えられたことに対し、
寺が贈った祝儀への礼状と目されている。この書状は2月4日付けであるらしく、
1月11日に譲与されたとする従来の説と時期的にも矛盾しない。
こうした史料が残っている以上、朝廷・足利家への手続きについては不明ながら、
少なくとも、景勝に譲与されたことが何らかの形で知らされた存在があることになる。
つまり、謙信に景勝への譲与の意思がなく、全く景勝の自称であった、という考えは
まず成り立たない、とするのが妥当だと思う。

それでも朝廷に認可を得ていないならば(たとえ周辺には告知したとしても)、
謙信には本当に譲る気などなかったのだ、と言われたら、それはもう答えようがない。
一時的に仮称させた、とでも考えるべきなのか(関連史料散逸の可能性もあるが)
いずれにせよ、これまでの研究者たちの論考でも
(上記の書き込みはそれに大きく基づくものです、念のため)
朝廷への奏上について論じているものは無かったように思うので、
そこが大きな論点だと思われるならば、調べていかれるとよいのではないか。


304:人間七七四年
07/09/02 13:28:00 0F3+3E5j
なお、296で、景虎の書状について、
自称の官名でも、そう呼ばれる例があるため、景虎が景勝を「少弼」と書いていても
それが譲与されたことの証にはならない、とのことだが、
確かに戦国末期、私称した官名を第三者が呼ぶケースはままある。

ただし、弾正少弼譲与は現にこうして家督継承の正当性に関する大きな論点であり、
それが謙信死後、景勝が勝手に名乗ったものであったならば、
すでに敵対関係にあった景虎が、
共同戦線を呼びかけている他国の大名に、それを使うだろうか?
(まして先方も「少弼」が景勝を指していると理解していることが前提になる。)

また、越相同盟が結ばれる過程で、北条家が最もこだわった点は、
謙信を「山内上杉家(関東管領)」として認めるか否か、という点で、
氏政の血縁を養子として送り込むなどの諸条件を定め、同盟がほぼ固まって、
初めて、それまでの「長尾」から「山内」へと宛名を変えている。
相続に関連する相手への呼称は、非常に重要で、慎重な姿勢がとられることがわかる。

こうして考えると、景勝の僭称をそのまま景虎が認めて使ったものとは到底思えない。

天正3年、春日山城内で(おそらく三郎たちも列席する形で)
官途譲与の披露のようなものがあったのではないだろうか。

305:人間七七四年
07/09/02 13:44:34 0F3+3E5j
連投すまん。自分の考えは>>292->>294にも書いたとおり、
三郎景虎の山内上杉家、関東管領継承は、
1570年、越相同盟締結時からすでに既定路線として認知されていたものであり、
その後の諸事情の変化と謙信の死によって、実際の相続まで至らなかった、
ただし、越後国主としての家督相続に関しては、
1575年、官途の譲与をはじめとする様々な権威づけ、地位の補強などから、
景勝を想定していたのではないか、つまり井上氏以来の
後継者2人説に結局のところ落ち着いてしまう。

謙信は倒れる前に、雲に乗って昇天する自身の肖像画を描かせるなど、
何か予感めいたものを感じていたのではないかと言われている。
景虎と景勝を上記のような状態で両立させておくことは双方にとって非常に危険であり、
一体何を考えていたのか、全くもってわからない。
実はこの義兄弟2人の仲が非常に良く、まさか抗争が起こるとは予想もしなかった、、、
なんてことは、ないだろうな多分

306:人間七七四年
07/09/02 16:05:03 AbH0M7fG
三郎景虎には景勝のように自分で従える軍も所領もないので
戦にはなるまいと謙信は思ってた…とか?
景虎が関東管領に、景勝が越後国主になって内乱も起きず上手く治まったとしても
北条との同盟が無ければ景虎はろくに権力の無い半隠居状態になりそうだよねえ。

謙信は自分がこんなに早くにポックリ逝くと思ってなくて
三郎景虎の処遇を決める前にうっかり死んじゃったのが一番ありそう。
どうしたら乱は防げたかね。

307:人間七七四年
07/09/02 23:02:55 qA0He/en
>>302
普光寺は上杉景勝・直江兼続らの生まれ育った土地、長尾政景お膝元、坂戸城傍の寺、言わば身内。
結局、1575年の譲渡に関する記録は全て景勝自筆のものばかりというのは
やはりどう考えても鵜呑みには出来ない。

またそれ以前に弾正少弼は上でも言ってる通り、上杉の姓を名乗る前から名乗りだしてる官位であって
上杉の家督とは直接関係無いし、謙信や景虎がこだわったとする記録も無い。
つまり弾正少弼が「家督継承の正当性に関する大きな論点」であるとする考え方自体が
景勝側からの一方的な視点ではないかと俺は考える。

そもそも謙信が「朝廷か将軍に働きかけるはず」としているのは、
あわせて言えば「大名家の家督相続と、朝廷内の役職は別」と言ってるものであって、
(だからこそ朝廷から許してもらう必要があり、それが形骸化すればするほど朝廷の権威は失墜する)
そこに上杉家の家督問題を混ぜてくる事はおよそ謙信ならば考えられないと言う事。

308:人間七七四年
07/09/03 00:16:25 PJB95YpT
普光寺文書も後付けの創作だと?
譲られてもいない官途を譲られたことに捏造して後世に残したいなら、
わざわざ自分で書状など書かず、寺への礼状など回りくどい手紙にせず、
もっと巧妙な方法はいくらでもあると思うのだが。
鵜呑みに出来ないと言われても、上杉家の編纂の手が入ったことが確実な史料ならともかく、
寺に残った一次史料を、信憑性についてどうこう語り合う能力は自分にはないので、
うさん臭いのと思われるならば傍証を集めて論考していかれてはどうかと。

それに景虎の書状は?307からすると、景虎が少弼と手紙に書いたのは
譲られた弾正少弼が重要性をもたないから気にもしなかった、ということ?
弾正少弼はまだ家督相続して間もない謙信が、越後国主としての権威を得ようと
莫大なコストをかけて得た官途じゃなかったか。
もっとも弾正少弼を譲ること=家督を相続させること、とは考えていないが。
(922からもう一度読んでくれ)
あくまでも、まず越相同盟以来の、景虎による山内上杉家継承が存在して、
では国主の座も合わせて全て譲ろうとしていたのか?と考えると、
景勝のあの時点での地位と兵力はネックになる、景虎後嗣説も景勝後嗣説も難しい、
結局妥当なところで2人説と考えざる得ないのではないか、と言っているまで。

どうやら景虎が後継者であったとお考えのようなので、
重要でないとおっしゃる弾正少弼譲与などに捕われず、ご自分の考えを1から展開してはどうかと。
では。ロムに戻ります。

309:人間七七四年
07/09/03 00:19:45 PJB95YpT
>(922からもう一度読んでくれ)

すまん292だった。なんか疲れたわ

310:人間七七四年
07/09/03 02:01:16 k3dMBqK8
>>308
景虎が後継者とも思ってない、またこの期に及んで越後国主と山内上杉を分割しようとしていたのであれば
何故景勝に上杉の姓を名乗らせる必要があったのか。と言う別の問題も出てくる。
そもそも分割して2人説なんてわざわざ内乱を誘発するようなのは馬鹿げてる。
この時点では結局謙信は後継問題に関してあまり動いていなかったと見るのが自然であり妥当だと考える。

景勝が謙信死後に弾正少弼を自称しているのであれば自称してる官位で呼ぶのは珍しくない、
正式な官位であればいずれにしろ朝廷から叙任される必要がある上に、
別に景虎が上杉家を継ぐために名乗らなければいけない必要はないため。

311:人間七七四年
07/09/05 14:14:35 5mtK+cFu
三郎は兵を持っていなかったので、
謙信は後継争いなど起こるとは思っていなかった。

しかし、景信などが三郎を担ぎ上げて兵を貸し、
北条も介入する事により、
謙信が予期しなかった後継争いが
起こる羽目になったに一票。

312:人間七七四年
07/09/06 21:53:01 bCJNJGTg
単に謙信がどっちつかずで、景勝も謙信の生前にあまり後継者として地固めをしてなかったと言うのでは
いまいちどちらも冴えない、が俺はそうは思わない。

謙信は後継問題にあまり手をつけないうちに急死してしまっただけで、
景勝はその隙を虎視眈々と狙っていて、事が起こった際には素早く状況を見抜き
見事に上杉当主の座を奪い取った戦国末期の戦国大名だったというのに一票

あの時点では後継などではなく単なる親族代表だったのではないかと思う。

313:人間七七四年
07/09/08 11:10:40 9YYoRDMr
>>310
主家の姓を名乗るなんて例は、ごまんとあるだろ?
領地を兄弟一族で分割した例も、その後に仲間割れした例も珍しくないぞ?

北条家を語るスレでもそうだが、三郎派は基本的な所を押さえずに発言する癖があるから注意した方がいい。

314:人間七七四年
07/09/08 16:35:04 sbUd1Lta
>>313
「景虎が後継者だと思って無い」と言う言葉からはじまるレスに対して、三郎派と言うのはいかがなものかと。
強いて派閥を分けるなら、謙信後継者未決定派、とでも言って欲しいんだが。

そこから既に間違ってるだけに突っ込んでるところも見当違い過ぎて
はっきり言って反論する気が起きない。

315:人間七七四年
07/09/09 06:26:02 k58T55lO
上杉家を語るスレでいわれてる、林泉寺の件はどうなんだろう
景勝が何らかの手を加えたとしたら
景勝のイメージが変わるんだけど(もちろん悪い方に)

316:人間七七四年
07/09/09 09:02:14 Rpfk2+Ep
意味わからん。
景勝が何かした根拠もなしに話す意味は?

317:人間七七四年
07/09/09 21:04:16 whZWYuWm
>>314
どこを間違ってると思っているのか知らないが、
>>310の越後国主と山内上杉の分割が、
内乱の誘発で、なかったはずだというような発想には、
根拠が弱いと言えるだろう。

織田、徳川、豊臣、毛利、伊達・・・・も、
次男以下にも分け与えている。

そして、謙信後継者未決定派、か。
まあ、戦国時代は、実力が無ければ生き残れない乱世だったわけで、
当初予定の後継者が、実力がないと判断されれば、
他の兄弟に変更されるという事も、他の時代よりも多かっただろう。

謙信自身も、実力が備わっていたから、兄の後を継いだわけだし、
武田、今川あたりでも、実力が備わっていなければ、後は継げなかった。
謙信にも、その考えが無かったとは言い切れないだろうが、
血筋、家臣団の大きさ、弾正少弼などを考えれば、
通常は、景勝が越後を継ぐべき人物であったと考えられるだろう。

三郎景虎正当説や、謙信後継者未決定説も、
完全に否定するには至らないだろうが、
全体を納得させたり、一般論とするには、やはり根拠が弱いだろう。

318:人間七七四年
07/09/10 23:13:25 Yk1lMwKp
>>317
謙信自身の意思を示す物が無いのに、その結論は強引過ぎる。
弾正少弼は朝廷になんら動きなし。そもそも上杉家の家督に関係する証拠もなし。
受け継いだ証拠もなし、これで信用するのはどう考えても不可能。
後継者未決定が一番客観的だとしか思えない。
まぁだからこそそこからのし上がった景勝だと思うわけだけど。

あと分割して2人説がありえないとしたのは、「頭首が2人」と言うのがありえないと言う意味、
土地を分けようとも分家が増えようとも、頭首を2人以上にする奴などいない。

そして~以降は俺のレスと接合点を見出せないのでレスできない。

319:人間七七四年
07/09/11 01:02:21 kA82ByEI
しかしなあ、後継者を考えてなかった、
家督相続に向けた下準備とか環境づくりに動いてなかった、ってあるんだろうか
前にも書かれてるが、死の1カ月前に自分の法体の肖像描かせて
辞世としか思えない対句を詠んでるんだし
(死期を知っていたかのよう、と高野山の坊さんに驚かれてるし)
予想外のポックリで実際は未決定、未公表だったのはそれはもちろんそうだけど


320:人間七七四年
07/09/11 01:56:58 cSTX589x
>>319
そもそも後継問題を気にするぐらいの一般的な大名家の頭首としての自覚があるのであれば、
まず妻帯を禁じて子供を作らない時点で明らかに異常なわけで。

それでも後継だけは気にした、というのはもちろんありうるけど、
それだけにそれならばはっきりした記録が無ければ、一般的な大名からの類推は難しいと思う。

321:人間七七四年
07/09/11 07:31:50 HUD6Vsns
俺景虎出奔時に政景と謙信で密約交わして
政景と仙桃院の子を跡継ぎにする代わりに
上田長尾は謙信に忠誠を誓うとと約束していたから
謙信自身は子を作らなかった派(妄想だけど)

322:人間七七四年
07/09/11 09:56:50 wNaJCrRv
>>320
逆にいえば当時の上杉周辺って、妻帯せず子供無しな上に後継者問題ノータッチの
ままでいられるような状況だったのか?

謙信が周囲の思惑も意見も完全に無視できるほどの独裁敷けてたなら話は別だが
妻子いません後継者も決まってません、じゃ家臣や同盟者にはきついだろ。

323:人間七七四年
07/09/11 23:52:30 cSTX589x
>>322
きついだろうな、でも実際問題妻子もいないし、御館の乱も起こった訳で。

324:人間七七四年
07/09/11 23:58:23 kzamFkmb
そこらへんも謙信が無能っていわれてる中の1点だな。

325:人間七七四年
07/09/12 01:00:21 N7AHL+S9
謙信が後継者を明言していなかったのは従来ずっと言われて来た通りで、
気になるのは内意として誰かを想定していたのか、いなかったのか、という点。

きつい、と言うか、家臣達はいずれ謙信が死去したら養子の誰かが跡を継ぐものと思ってたはず。
対関東政略に関しては景虎、家中統制に関しては景勝、
いずれも謙信にとっても上杉家中にとっても大事かつ有益な養子な訳で。
北条氏とのゆかりが深い関東方面の諸氏は、
景虎が関東管領職とともに上杉家の家督を継ぐことを望んでたろうし、
上田衆は当然、景勝が継ぐことを望んでいただろう。
上田長尾と宿怨の古志長尾では絶対に景勝擁立は阻止したいだろうし、
北条の子を跡目とするには抵抗を感じる勢力ももちろんあったろう。
水面下で両派いろいろ画策もあったんじゃないかと思う。

個人的には、謙信が政権後期に寵用した晩年の側近たちが大多数景勝派に属していて、
謙信の官僚機構を初期景勝がそのまま継承していたということから、
少なくとも景勝が後継者として、謙信の身近にいた彼等には
受け入れられる素地が作られていたのではないかと思っている。


脳内で誰かを想定していたのか、していなかったのか、と考えて妄想するのが楽しいわけで。


326:人間七七四年
07/09/12 02:08:55 6qlOiRW2
謙信はそもそも景勝の事をどう思ってたんだろう?

小さい頃は優しい手紙やかな手本なんかも残ってるし、
可愛がってた事がよく伝わってくるけど。
政景が死んでからはどうだったんだろう。

327:人間七七四年
07/09/12 02:19:12 Wr+ztgLJ
>>325
内意でも誰かを想定したのであれば隠す必要性が無いよ。
いやむしろ、後継者を決定したのであれば御家の安泰を意味するので政治的に積極的に宣伝すべき。
それをやってこそ初めて御館の乱のような事を避けることに繋がる。

側近らは単純に自分の立場を守るため、景勝の動きに乗っただけではなかろうか?
素地が出来てるなら、余計に後継者だと宣言しない理由が無い。
まして憲政が景虎の方へとついた事で、側近らは関東の外圧をより一層感じた可能性もある、
そこでいっそ上杉家の簒奪を画策した景勝の策に乗ったとする方が俺としては合点がいく。
憲政の殺され方も非常に不自然だし。

328:人間七七四年
07/09/12 06:54:56 Z1WsQp0M
逆に返せば謙信政権で重用された家臣から見たら
三郎景虎に付いて勝たせても自分達に有利にはならないと思われたわけだ。
謙信政権内で三郎景虎と景勝のどっちが信頼されてたかわかるな。

329:人間七七四年
07/09/12 06:55:17 dbMI4nrs
>>326
政景の死ってのが、実は景勝にとって痛そうな感じだな。
政景が生きていれば、すんなり景勝が後継者になり、
政景が仙桃院と共に裏で支えて、
内乱が起きる可能性は小さくなっていたかもしれない。

しかし、政景がいなかったために、若い景勝には任せられないとして、
景信などが、景勝に従おうとしなかったとも考えられる。

330:人間七七四年
07/09/12 21:40:07 yxiJ7Wgv
>>327
後継者は未決定、でも景勝が上杉家を継いだのは纂奪、っておかしいだろ。
謙信が何も残せずにポックリ逝き、後継者不明ってのは皆が言ってることだが、
本当に何の動きもなく、白紙だったと思っているならば、
どちらも上杉謙信の養子であった以上、
景勝にも景虎にも等しく正しい権利があり、纂奪だの、のし上がっただの、
あたかも不当に継承権を盗み取ったかのように言われるべきことではない。
ミスリードしたいのか?と思ってしまうよ。

>まして憲政が景虎の方へとついた事で、側近らは関東の外圧をより一層感じた可能性もある、
>そこでいっそ上杉家の簒奪を画策した景勝の策に乗ったとする方が俺としては合点がいく。

事実の経時的な流れを誤解してるよ。謙信の死去が3月14日、
謙信の側近たちが景勝を擁して諸将宛てに書状の発給や受け取りをしているのが3月末以降、
景虎が春日山城を出て憲政のいる御館に入ったのがそれから1ヶ月以上たった5月13日。
憲政が景虎についたと目されるのは、その5月の御館入城以来。
(3月末までに憲政が景虎方につくと公的に旗幟鮮明にしたなら話は別だが、その事実はない)
側近たちからすれば景勝派として活動している最中に景虎が御館に移り、
憲政を敵に回す状況になったのであって、憲政の動向に左右された訳ではない。

また、憲政がついたことで関東からの外圧を強く感じたと言うが、
(関東のどの範囲の、どういった外圧を言っているのか知らないが)
ならばいっそ関東の覇者北条家という巨大なバックをもつ景虎につこうと思うのが自然じゃないのか。
ちなみに、前管領だった憲政が景虎についたことを知り、
やはり景虎を担ぐべきだったと彼等が考え直したのであったなら、
初め景勝に属すと言いながら後で景虎に転じた人たちも実際にいるので、
乗り換えが不可能な状況だった訳ではない。

だいたい彼等の目に「簒奪」と映ったのならば、なぜそんな画策に乗るのか。
官僚という言葉を使いはしたが、吉江資堅、竹俣慶綱、鰺坂長実など、
いずれも謙信の信頼厚い上杉家きっての武将でもある人達なんだがな。

331:人間七七四年
07/09/12 22:50:51 Wr+ztgLJ
>>330
簒奪と言う言葉が嫌いならそこはどう変換しても良いよ、俺の好みなので。
ただこの言葉は正当な継承権を持ってる同士でも使う言葉だよ、
正しい権利があるとか無いとかは全くの見当違い。

どのみち謙信生存中に後継を決定していなかった事が明らかである以上、その時点で正当も不当も無い。
その後は奪い合いである事に違いは無く、景勝がそこで見事に勝ったことも変わらないので、
それ以上の意味は無い。

332:人間七七四年
07/09/12 23:31:33 Z1WsQp0M
纂奪は当主が亡く同格の正当後継者同士での争いの場合は使わない気がするが。

333:人間七七四年
07/09/13 17:12:07 LtC//36a
”好みで使ってるだけ”なら変な解釈でフォローはしない方がいいわな。

334:人間七七四年
07/09/13 20:15:44 mTHVKlqA
匿名で書き込むなら、言葉は正しく使ってもらいたい。

335:人間七七四年
07/09/14 01:56:47 lmBvuv+j
それにしてもこの時期の景勝の動きは凄い。
謙信の死後にわずか数日で春日山を制圧して優位な体制を築き、
家臣を従えて、更にその金銀で外交も抜かりなくこなしている。
これらの一つでも狂えば御館の乱はどうなっていたかわからない。

結局、後継に関しては謙信は考えていたかどうかすら怪しいが、
この見事な動きを目の当たりにすれば、家臣からすれば些細な事だったのではなかろうか。

もともと嫡流も本家も分家も長尾も上杉も越後も関東もあったもんじゃない家になってる訳で。

336:人間七七四年
07/09/14 07:03:01 83s650oO
>>331
見当違い?そのままお返しする。
嫌いだから突っ込んだ訳ではない。本当に簒奪した者は簒奪者と呼ぶべきだ。

歴史上、互いに正統な全く同等の権利をもち、その権利を主張して戦い、
勝利して継承者となった者で簒奪者と言われている著名人に誰がいるのかね。

一般には、簒奪といえば何らかの圧力によって地位を奪うこと、
その地位を継ぐ資格が無いと見なされている者が強引に就くことを指すようだが。

後継者問題は白紙とする君の言うところの景勝はこれに該当しない。
だから書き込むときは君の方が変換するべきだろう。

結果的に景勝の動きが見事で勝利したことには変わりないのだから、とは言っても、
そこに至る発端に、不当な匂いを感じさせる言葉を使うのであれば、
やはりミスリードを誘うものだと思うよ。



337:人間七七四年
07/09/17 16:14:05 IWU7VrNI
景勝にとっては面白くはないだろうけど、
関ヶ原と大坂の陣の間に何かドラマがあったなら、
もっと面白かったかな。

共に戦ってきた旧臣たちの死別は、
また1つのドラマだっただろうけど。

338:人間七七四年
07/09/24 10:29:32 AvXsN8QP
根本的に見てみると
生きている間に、家督相続しなかった戦国大名は、武田信玄と上杉謙信の
両名ぐらいしかいないんだな・・・・・・

どういう理由があるんだ?
そこに「御館の乱」や「信玄後の武田家の迷走」があるような気がする。


339:人間七七四年
07/09/24 19:06:53 S4shE4/i
馬鹿が使う言葉のソースは決まって「俺様ルール」
簒奪…君位を奪うこと

乗っ取りが簒奪で、下剋上が簒立

340:人間七七四年
07/09/24 21:29:21 4eP/NyAj
>>338
伊達も政宗と弟がそうじゃないか?
織田信長も嫡男と同時に死んだが、これは含まれないのかな?

341:人間七七四年
07/09/24 22:22:16 c3aN3VRJ
上杉景勝は関東管領の役職についてどう思ってたんだろう?そういえば。

342:人間七七四年
07/09/25 00:02:26 QxxB4Yav
自分がなれるなるなら、なりたかったんじゃないかな。
なれば、名実ともに上杉家の第一人者ということになる
わけだし。

どの大名だって、名目上とはいえ自分より高い官位
・官職、幕府の役職を一族や家臣に名乗らせるわけ
にはいかかない。自分がなれないのなら、もういら
ないって態度だったんではなかろうか。

珍しい例としては、島津家。
島津義久が当主だが、分家筋の義虎・忠辰に薩摩守を
名乗りを許している。本来、薩摩守護である義久を差
し置いて、薩摩守を名乗ることが出来たのは、いくつ
も例外的な条件を満たしていたからだ。

・義虎・忠辰の系統は、薩州家と呼ばれ初代から
代々薩摩の守を名乗っていて慣例化していた。
・分家筋とはいえ、最後まで守護の座を争った
本家に次ぐ有力者である。
・義虎は、義久の娘婿であり、忠辰は外孫であり、
島津渦中の序列はかなり高かった。義虎の序列は、
義久の次で義弘の上、忠辰は、義久の最有力後継
候補だった。



343:人間七七四年
07/09/25 00:45:13 G4fmoQSd
>>340
信長は生前に家督を譲ってる。

344:人間七七四年
07/09/25 03:27:20 vYHcd3PW
政宗も18歳で家督受け継いでるな、確か。

345:人間七七四年
07/09/25 11:07:42 v18Y27G9
>>344
それなのに家督争いは起こるわけか。
戦国時代だと仕方ないのかな。

346:人間七七四年
07/09/25 18:15:51 w8hNHMvN
長男でも愚鈍なら、その主に仕えて滅んだとき自分達も死ぬか路頭に迷うし
優秀な弟がいたなら、そっちに継いでもらった方が安心だし
家督争いになるのは仕方ないかもなぁ
謙信が生前に景勝・景虎どちらを世継ぎ認定してても
謙信死後には、家督争いが起きたかもしれない

347:人間七七四年
07/09/26 05:50:46 SXnRpifp
>>338
北条氏康、今川義元の2者も先代が現役のまま死んで、その後に家督相続じゃない?
珍しくもなく、いくらでもいると思うぞ。
それこそ名目上は譲ってても、実権は掌握してるのが大半だし。


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