06/12/17 22:22:23 QFicK/ps
豊臣恩顧の大名だった清原和博氏だったが、関が原から、徳川方についていたのであった。
しかし、家康の冷遇に耐えかね、秀頼公に忠義を尽くす事を決断したのであった。
大坂の冬の陣で、岸和田城から、出陣 東軍を後方から、急襲後、岸和田城に篭城。
この報を聞き、西軍諸将では、異変が起きていた。
まず、毛利家の重臣に上り詰めていた上宮高校出身の黒田博樹氏は、
「金のためなら、東軍に組みするのが普通。だが、世の中、金だけでは、ない。」
と毛利を説得し、毛利を西軍に寝あがらせる事に成功。
同じ苗字ってだけで、黒田家も呼応する事に。
そして、広島では、PL学園で、清原和博氏の先輩、小早川家の末裔、小早川毅彦が、
小早川家の残党を集め、関が原の裏切り者の汚名をそそごうとしていたのであった。