豊臣秀頼の謎at SENGOKU
豊臣秀頼の謎 - 暇つぶし2ch588:人間七七四年
07/07/05 13:28:15 VckjC+zV
当時の噂は「あれだけ好色な殿下のお子様を淀殿だけ連続して産むのはおかしい、何か有るんじゃないか」
という程度のもので、大野個人の名前は挙がってなかったんじゃないの
つうか大野治長は最後大坂の陣で豊臣家に殉じたから特に記録に残り、
遡って秀頼の父親だったんじゃないかと疑われてるだけで、
関ヶ原以前は大蔵卿局のコネで何とか大名になったというだけの小者に過ぎない
実際に秀頼が密通によって生まれた子であったとしても他の別人の子供であった可能性もある

589:人間七七四年
07/07/05 13:32:44 g+Xo95VB
あーそっか
だったらただのやっかみでスルーできる程度のレベルだな

家康や他の大名たちも秀頼が秀吉の子だって疑ってなかったんだろうか
真実がどうかよりもそっちの方が重要な希ガス

590:人間七七四年
07/07/05 13:34:33 qG+A49kb
秀吉死後なら大野を可愛がっていたかもねw
でも秀吉生前は無理じゃないかな。
そんなことが簡単にできるなら京極殿だって黙っちゃいないんじゃ?
どうにか馬の骨男の胤をしこんで秀吉の寵を争ったかもしれない。
ほとんど関心をもたれていなかった側室達も豊臣の嫡男になれるならと
必死で胤をしこんだかもしれない。
逆に淀殿しか秀吉の子供を産んでないから、当時の奥制度もある程度
秩序が保たれていたんじゃないかと思えるんだけど。

591:人間七七四年
07/07/05 14:14:01 Ct4p1fAh
鶴松の死が1591年9月22日、秀頼の出生が1593年8月29日だから
確かに他の側室がそれを実行する時間はあるんだよな。

鶴松の時点で疑われていたとしたら逆に「疑いがあってもあの扱い」
を間近で見ることになったわけだし。

592:人間七七四年
07/07/05 14:30:29 g+Xo95VB
「淀しか子供生んでない」不自然さが
逆説的に秀頼が秀吉の子供であることの証明になりうるということか

593:人間七七四年
07/07/05 15:32:31 hKCjxj1x
じゃあ、子沢山の大名の子供達のほうが逆に怪しいかもしれないな

594:人間七七四年
07/07/05 15:51:59 g+Xo95VB
実際、秀康は家康から自分の子供じゃないのでは、と疑われてたと言うしな
まあ秀康の母親は淀とかとは全然立場が違うから一概には言えないが

595:人間七七四年
07/07/05 16:15:14 XKt3mD+5
吉宗のパパは紀州藩主だったとされてるけど
ママンが他の男と作った子供である可能性は否定できないよね。
百姓が農閑期のアルバイトとして城内で奉公してただけだし。

596:人間七七四年
07/07/06 11:35:04 jkXurG3i
秀吉にしてみたら中途半端に実家に権力のある側室なら
淀殿や京極殿みたいに実家が事実上なくなってなんの後ろ盾もない姫に
子供を産んでもらったほうがありがたかったかもな。
三の丸や加賀殿に子供が生まれて嫡男になれば、どうしたって生母の
実家が重用されしゃしゃりでてくるし、織田や前田が台頭すると
血縁者の少ない豊臣家の命取りになりかねない。
そういう意味でも秀吉が淀殿や京極殿を寵愛したのかもしれないと思ったし、

597:人間七七四年
07/07/06 15:12:20 uSNRWrpa
でも本当は秀吉は寧々が子供を産んでくれれば一番嬉しかったろうと思うよ。
なんだかんだ言ってもとても正妻を大事にしてるし気も使ってるじゃない。
彼女の実家の浅野家に対しても重用してるしね。
なかなか老人になってから糟糠の妻に手紙を頻繁に出して御機嫌取りなんてできるもんじゃないって
彼の好きな能やら田楽踊りなんかも綺麗な側室じゃなくて寧々としばしば仲良さげに
あーだこーだ言いながら観賞してたし、政治向きな発言も多いに許し
留守中の城の仕置きは寧々と秀長に任せっきりにしてたようだしね。

598:人間七七四年
07/07/06 17:17:09 jkXurG3i
>>598 もちろんそう思う。
正室の出自が問題なのではなく、嫡子か庶子かが問題なわけで
ねねに子供がいたらどんなに淀殿の出自がよくても庶子扱いしか受けなかったはず。
現に秀頼誕生当初は秀次がいたので庶子扱いされ、ねねの元には置かれず
淀殿の元に置く事を許しているし。
淀殿への厚遇は手柄をたてた家臣への褒美みたいなもんじゃないかな。
ねねには「ねねが一番。淀はお拾いの母だから2番」みたいな手紙を書いていて
子なしで若くもない妻が一番だよ、と書いているからお世辞かもしれないけど
長年連れ添ってくれた妻への本音じゃないかな。

だからねねが淀殿への嫉妬から秀頼を疎んじていたなんていう
後年の検証は納得がいかない。
豊臣の後継者である秀頼を可愛がったと思うし、期待していたはず。
淀殿のことだって内心面白くないにしても、秀吉同様に豊臣家にとって
手柄をたてた淀殿を認めざるを得ないと思う。秀吉のフォローが
あれだけあるんだから、正室としての誇りも保たれていただろうし。
秀頼の側近である新派と、旧秀吉派(ねね派)の家臣団の政権闘争や思惑が絡んで
あんな結果になったんじゃないかと思うんだ。

599:人間七七四年
07/07/06 17:29:26 uSNRWrpa
ねねが幸長、清正、正則、秀秋らに「家康殿に味方せよ」と言ったのは
後世の創作だという説もあるね。
普通に無関心もしくは秀頼の味方だったとか。


600:人間七七四年
07/07/06 17:39:07 pks2ZdPb
>>598
実際世話焼いてたし、淀殿もねねのこと結構頼ってたしね。
家康との二条城での会見のときとか。
淀殿とは険悪な仲ではなかったし、
秀頼のこともそれなりに可愛がってたと思う。
疎んじていたとは思えない。

601:人間七七四年
07/07/06 17:53:57 uSNRWrpa
家康としては関ヶ原の論功行賞で、ねねに食邑を与えとけば
豊臣家正室からの許可もあって豊臣家功臣を粛清したと言い訳できると思ったんじゃないかな。
いわば天皇家の御料地を与えるのと同じ感覚だと思う。

602:人間七七四年
07/07/06 22:38:38 60YSUb6A
秀吉死後なら淀殿と大野が愛し合っても不思議ではないw。


603:人間七七四年
07/07/06 23:56:28 L5GhfMz+
>>600
そもそも側室は所詮借り腹で、子供はあくまでも正室の子として扱われたからね
ねねも秀頼と一緒に過ごした時期があったはず
秀吉が死んであっさり表舞台から退いちゃったから淀殿が前面に出てきたわけだけど
家臣たちの間では秀頼の母親はあくまでねねという意識があったのかもしれない

604:人間七七四年
07/07/07 09:52:06 5r4Nd+IS
秀頼のことを思って大阪城をでて、家康に身近で秀頼のサポートをまかせる
作戦にでたのかもしれない。あくまで家康に臣従の立場をとらせているように
思う。それと秀頼側近に対する威嚇という意味もあったかも。
家康殿がいるからには、好きにはさせませんぞ、という。
淀殿が君臨し、政治に介入していたということを示す史料もない。
秀頼の御袋様ということで敬われていただけのようだ。

605:人間七七四年
07/07/07 12:11:38 fnx9fFe1
ねねは旦那が生きてる間は家政を中心として
政治向きの仕事も忌避せずそつなくこなしてたが
秀次の死、朝鮮征伐、夫の死を通して虚無感というか
もう政治向きな事には関わりたくないと単に思っただけだったかも
ねねの実家が北条家のような実力者だったら本人の意思と関係なく
北条政子のようになってたのかもしれないが
ねねにとっては子供も居ないし親戚筋や実家に天下を獲らしたい人も居ないし
秀頼にはちゃんと淀殿もついてるし、自分が居ても単なる邪魔者だと思ったんじゃないかな。


606:人間七七四年
07/07/07 12:58:09 fnx9fFe1
秀吉が秀次を信頼し切れず殺害した所までは仕方ないけど
秀頼の補佐人に自分と年齢のたいしてかわらない利家を選んだのは失敗だったな。
利家の命数まで知ってたら当然、秀吉は別の人を補佐人にしたのは間違いない。
最も信頼して可愛がってた秀家あたりに一時的に関白就任を許して秀頼を
秀家の後釜にすえるよう頼むとか出来なかったんだろうか


607:人間七七四年
07/07/07 13:10:30 5r4Nd+IS
秀頼が幼少だから豊臣の政権を牛耳るには先代の正室のねねがいなければ
かなりやりやすかったという側面はあると思う。
後家の発言権は意外と強い時代だったからね。
ねねを慕う有力家臣がいたのも事実だし、豊臣ではねねの親族が
取り立てられていたし、新秀頼派と旧秀吉派の豊臣の家臣間同士の争いが、
結果的にねねを排除しようとする方向にいったとは考えられるかな。

ただどっちの派も秀頼への臣従の意は変わらないわけで、
豊臣大事、豊臣安泰のアプローチの仕方が異なるのと
立身出世の欲も絡んで、関ヶ原で対決することになり、東軍に
豊臣恩恵派がつくなんてことになっていったのだと思う。

ねねは隠居しちゃったけど、いざという時は秀吉の正室として
駆り出されているし、家康がご機嫌取りをしているぐらいだから、
まだまだ豊臣への影響力は強いものだったということはわかる。
それは秀頼とはまだなにかしらパイプを持っていたということなんじゃないかな。
豊臣と完全に切れていたとは考えにくい。

ねねだって豊臣の存続ということを一番大事に思っていたと思うよ。
大阪の陣の寸前に、ねねが間に入って家康に交渉して
秀頼の処遇を家康に一任すれば豊臣の存続は可能だったと思う。
ぶなんなところで高家として生き残っていたかもしれない。

608:人間七七四年
07/07/07 13:23:07 fnx9fFe1
交流はあったみたい。
高台寺所属の掌美術館に秀頼(直筆)がねねにあてた手紙が残ってる。
文意は時節の挨拶を親し気にする他愛のない文章だったように記憶してる。
URLリンク(www.kodaiji.com)


609:人間七七四年
07/07/07 13:25:54 fnx9fFe1
おそらく秀頼は漢字が書けたのに(揮毫とかするくらいだから)
あえて、ねねが読みやすいようにかな文字で書いてある所に
心配りというか気遣いが感じられる(いや、もしかしたら当時は女性への手紙は仮名文字が普通だったのかもしれないが)

610:人間七七四年
07/07/07 13:31:38 YGVBQxvc
秀吉の遺言に従って大坂を出たわけだけど
その後も>>608のように秀頼・淀とのやりとりは続いてるし
邸宅の修築・増築なんかも秀頼名義で行ってるそうだから
関係はきわめて良好だと思う。
ねねも豊臣の存続を願ってたことは確かと。

611:人間七七四年
07/07/07 15:25:56 JFJadjx5
そりゃ自分の夫の家の滅亡を願うわけはないわな。
ただのし上がった後の覇王としての秀吉しか知らない淀と違って、
ねねは名家だろうと勢力が大きかろうと実力で排除してきた秀吉を見てきてるわけで、
その秀吉が死んだ後の豊臣家に天下を治める実力が無い事も冷静に分析できたんだろね。

612:人間七七四年
07/07/07 22:41:31 Lg7efh8g
伝統ある名家の出でもないし、一代でのし上がった秀吉を間近で支えてたわけだからな
権力の世襲という概念自体重んじていなかったのかもしれない
ある意味で最も戦国時代的な考え方のできる女性だった可能性がある

613:人間七七四年
07/07/07 23:55:34 hcelmKRH
>伝統ある名家の出でもないし

スレ違いだけど、羽柴(木下)は実際にはかなり高貴な家のはず。
秀吉や秀長の幼少期にはすっかり零落していたには違いないけど、
まるっきりどこの馬の骨ともわからない出自の人物が
関白や太政大臣などの最高官職に就けるはずは無いし、
主君・織田信長に養子をくれるように頼み込めるわけが無い。
元々は、少なくとも織田家と同格(もしくはそれ以上)の家柄だったはず。

614:人間七七四年
07/07/08 01:06:56 UkFQ//YV
で、どこを縦読み?

615:人間七七四年
07/07/08 02:17:11 uVPlodk3
>>613
あんたは井沢元彦かw

616:人間七七四年
07/07/08 07:54:42 Hx1kp2HN
大体木下家はおねの実家じゃ。

617:人間七七四年
07/07/08 10:05:04 CpJP06fw
秀吉は百姓の出身かもしれないけど、当時の武士は百姓兼任の場合が多い。
足軽クラスならとても扶持米だけでは食べていけないから百姓しながら
生活していた。
百姓も貧富の差が激しくて豪農だと武士の下っ端より裕福な生活が
できたし、身分制度が確立する前は、百姓が蔑まれていたとかでは
ないみたいだよ。江戸時代の農民とはイメージが違うそうだ。
秀吉が信長の家臣になっていた時点で苗字がないのはおかしいから
ねねと結婚する前にすでに木下姓であったという解釈もある。

618:人間七七四年
07/07/08 12:17:29 1o8DlmKz
秀吉死後なら淀殿と大野が愛し合っても不思議ではないw。

619:人間七七四年
07/07/08 13:29:37 c0lwjulX
>>617
一族の数が少ない
百姓兼任の武士出身の藤堂高虎は親戚結構いたのに・・・

620:人間七七四年
07/07/08 18:00:57 8tftJF2j
そういえば、この人は苗字で呼ばれることが皆無に近いよね。
平頼綱みたいに本姓だけで苗字が無い(はっきりしない)ならともかく
羽柴という苗字がちゃんとあるんだから。

621:人間七七四年
07/07/08 22:38:03 wPSGanAh
数百年の歴史を持つ源平藤橘と突然出てきた豊臣を同じように扱うことに
当時の人々が違和感を感じるのも無理はない
豊臣の天下が数百年も続けばそのうち違和感はなくなるかもしれんが
15年で権力喪失→30年で宗家滅亡では豊臣を苗字扱いしたところで誰も困らない
苗字が羽柴から豊臣に変わったと人々が考えても実害はないし
江戸幕府だってそれをただす必要もない

622:人間七七四年
07/07/08 23:30:28 aeVJtmrS
父親である秀吉も、
「羽柴秀吉」じゃなく「豊臣秀吉」という呼ばれ方が
一般的なんだからそれに倣っただけだと思うが

623:人間七七四年
07/07/09 01:37:29 h/Bn+1qf
つうか>>621は何が言いたいかわからん

624:人間七七四年
07/07/09 02:48:01 6pAy2YBg
通称としては問題なすってことでしょ


625:人間七七四年
07/07/09 08:01:01 P6ybMyjk
「秀頼の首」(木崎國嘉 共同出版社)が事実なら、DNA鑑定で秀頼が
秀吉の子かどうかの検証は可能じゃないか?
秀吉の骨は明治になって、破壊された豊国神社に無造作に剥き出しになった棺
に入って放置されているのを埋葬しなおしたというから存在する。
両者の墓を暴いてまで調査の許可がおりるとは思えないけど。

626:人間七七四年
07/07/09 08:18:58 h/Bn+1qf
数百年前の遺体相手では信頼できる鑑定結果は無理っす

627:人間七七四年
07/07/09 08:27:06 P6ybMyjk
でもハトシェプスト女王は父親のミイラともDNA鑑定やって血縁関係の可能性
があったこともあって確定したんじゃ?
赤の他人か違うか程度の鑑定なら骨から鑑定できるんじゃないの?

628:人間七七四年
07/07/09 08:32:15 wkFueev2
>>627
乾燥地域は1000年以上たっても条件さえ良ければ上手くDNAが残る事もあるが、
日本のような湿潤地帯は、よほどちゃんと保存されていないと、100年前の遺体ですらDNAの採取は難しいと思う。

629:人間七七四年
07/07/09 09:01:37 h/Bn+1qf
URLリンク(www.japangenomics.co.jp)

>太古の昔の「骨、ミイラ」等からDNAが発見されることから、
>どのようなサンプルでもDNA抽出が可能であると思われがちですが、
>そういったものは、親子であるかどうかなどを照合する際に用いられる核DNAではなく、
>ミトコンドリアDNAを用いて行われてい ます。
>ミトコンドリアDNAにおける鑑定は、ルーツを辿るような広域の鑑定は可能ですが、
>検査できる範囲が限られているため、親子鑑定などにおいては 、
>結果らしい結果が得られないことも多いため、
>核DNAとミトコンドリアDNAは、それぞれ別物の鑑定手段だとお考えください。

だそうです
まあ自分も面白そうだから駄目元でもやってみれば良いと思うけどね
豊臣家なら子孫が居ない分反対もあんまり無さそうだし

630:人間七七四年
07/07/09 10:12:44 P6ybMyjk
頭髪は残っていなかったのかな?
将軍家の墓を調査した時は秀忠のすね毛まで残っていたという。
骨同様にそこまで古いと髪の毛からのDNAの採取は難しいの?
聞いてばかりでごめんなさい。

631:人間七七四年
07/07/09 13:12:06 tfyxkOhy
ミトコンドリアDNAは母系遺伝で母から子供には遺伝されるけど
父から子供には遺伝されないよ。
(理由は卵子にはミトコンドリアが存在するが、精子には存在しないから)

632:人間七七四年
07/07/09 13:47:22 P6ybMyjk
>>631
なんだ、じゃあ科学的に秀吉と秀頼に親子関係があったかどうかは
証明できないんだ。
永久に謎のままだね。

633:人間七七四年
07/07/09 14:05:24 tfyxkOhy
>>632
いや・・・ミトコンドリアDNAは無意味だけどY染色体を
何かしらの方法で取り出せれば父子鑑定は可能だと思います。
ただし400年前の遺骨から抽出する事が可能かどうかという問題と
その遺骨が本当に本人のモノかどうかが問題になると思われます。

634:人間七七四年
07/07/09 14:22:32 P6ybMyjk
>>633
あそか、秀頼の首かどうかの確定がないんだよな。
寺ではそういうことで埋葬しちゃったみたいだけど。
江与の遺骨はあるので、そのあたりから母方の血縁関係を調べて淀殿の子供と
はっきりさせて、それから秀吉との鑑定をしないと意味ないな。
でも江与も火葬されて埋葬されていたし、鑑定はどっちにしても難しいだろうな。

635:人間七七四年
07/07/09 21:59:22 anXqbUM5
明治まで太閤秀吉の棺が無造作に放置されてたってのもすごい話だな 
だーれも全く手出さなかったのか? 
雨ざらしでも腐ったりしなかったのか?
てか本当に秀吉の骨なのか?

636:人間七七四年
07/07/10 06:52:03 UPXtBy5t
>>635
うん、秀吉の墓付近にまさに無造作に放って置かれていたらしい。
たぶん盗掘されて放って置かれたんじゃないか?
家光の時代に豊国神社は破壊寸前までいって、一部を残し取り壊されたんだって。
ねねが泣きついて本殿や墓は残されたそうだけど、子孫もいないので
荒れ放題のまま放置され続けた。立ち入り禁止区域みたいになってたそうだ。
明治時代になって明治天皇が日本の歴史に貢献した人物ということで
保護を始めるまで手付かずで秀吉の遺骨も丁寧に埋葬されなおしたとか。
指が6本あったかどうか確認して欲しかったな。

637:人間七七四年
07/07/19 20:59:59 j1U1AVsS
子孫もいないって、親戚はいたんじゃないか?木下家定の家系は江戸期にも大名になってなかったっけ?
どうでもいいような下級武士のこいつらが出世できたのも秀吉の縁だろ?ヒデーやつらだ。

638:人間七七四年
07/07/20 07:56:48 SoFNmkdy
>>637
だって豊臣関係は徹底的に潰されたんだから。
旧豊臣派の大名だって有力大名たちはなんだかんだでお取り潰しや改易。
なんとか生き残った親族だって徳川への恭順を誓ったからなのに
秀吉の墓を建て直したなんていうことを幕府に発覚したら
難癖つけられお取り潰しになるかもしれない。
結局誰も触ることができずに放置。

639:人間七七四年
07/07/20 13:08:12 sNpJ5TuM
あれ、津軽は豊国大明神祀ってなかったけ?

640:人間七七四年
07/07/20 19:05:11 SVRn0aWj
津軽や南部は現代でいったら北朝鮮みたいな場所なので
誰もここを潰して自分の支配下に置こうなどと馬鹿な考えを抱かない

641:人間七七四年
07/07/21 10:54:35 Ibxm3wsT
名将の子には必ず不運な者が生まれるってのは誰の言葉だったか
やっぱり上の代が偉大だとプレッシャー凄いだろうな

642:641
07/07/21 12:18:38 Ibxm3wsT
やべえ、書き込むスレ間違えた


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