豊臣秀頼の謎at SENGOKU
豊臣秀頼の謎 - 暇つぶし2ch293:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 15:41:57 k74Q/ss4
みんな、1611年に秀頼と家康が会ったときに
 アホだと思ってた秀頼のオ-ラに圧倒され、
自分の生きているうちに豊臣家滅亡させておかないとやばいって思った話は、
 スル-ですか。


294:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 16:33:18 E/hagV4Z
>>293

あれは、自分が老齢である事で秀頼の若さに嫉妬したとか、次男秀康亡き後の家康の息子達(忠輝は除く)は、
脆弱(貧弱)な秀忠と、幼い三兄弟(尾張、紀州、水戸藩祖)しかいなかった点。秀頼が2メートル近い巨漢だった為。
まぁ、カリスマはその大木から自然と血統の流れで少しは出ていたんだろな。そりゃ、20前後の巨漢な青年を70歳の
老人が見ればびっくりするだろ。圧倒される感じでね。で、家康は大阪の陣に踏み切った訳だが最近では、秀忠が積極的
に本多父子や金地院などの謀略を利用して潰そうとしたみたいだね。実際、大阪の陣で大阪城で秀頼に味方する大名が
一人もいなかった点は徳川家康の器量のが遥かに上だと諸大名も思ってたんだろう。しかも、秀頼って、秀吉の子供じゃない
って事も薄々、皆知ってたんぢゃないかな。秀頼の最後の大名としての臣は、加藤清正と浅野幸長だけ。両人の死後は彼の
運命は死しか残って無かった。

295:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 17:39:14 VGcQUiGF
秀頼が落ち延びて鹿児島に潜伏してたってのはどうなんかね?

296:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 17:45:09 lCep5Acw
最新のDNA鑑定の結果では、身長170~175cm、体重65~70㎏、やや肩幅が広く、筋肉質な体型。
顔は丸顔で眉毛が太く、鼻はだんご鼻ということぐらいはわかっている。
家康のDNAと照合してみたらおもしろそうだ。

297:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 18:17:53 k74Q/ss4
秀吉がちっちゃかったのに秀頼が大きいのは、なぜって言うのは、
 栄養の部分が大きかったんじゃない。
それは、戦後の日本人の身長の伸びを見れば明らか。
 戦前までは、
デブ巨体=金持ちの象徴
 だったんじゃない。
好きなだけ好きなもの食べれる人なんて限られていた訳だし。


298:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 19:07:13 2mEOwn5W
秀吉もさほど貧乏な生まれではなかったような?
血縁者の出自から考えると、土豪クラスだった可能性が高いみたいだし。
実際問題として、自分で農耕もし多少の経済的なゆとりもある土豪クラスが
一番体に良いもの食ってるよな。

299:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 19:11:59 3AF2sUPk
>>290
288の質問に答えておこうか。
家綱には息子がいなかった。だから正之に野心があるならば、彼か彼の息子をその後継者として擁立させれば
容易に主家のっとりは可能だった。

実際、家綱の後には宮将軍を擁立しようという動きもあったくらいで、近親で実権も握っていた正之の家系に宗家が
移ることは十分にありえる仮定。正之が望まなかったから実現しなかったが。

少なくとも、実子のいない秀長には無理な方法だな。
で、秀長が秀次から天下を奪って、その政権をどうやって維持するんだ? 誰に継がせる?

300:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 20:45:15 btAM5OrC
ピザの遺伝子とオクレの遺伝子が戦ったら
ピザの遺伝子が勝つような気がする。

301:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 20:46:19 k74Q/ss4
>>298
体によい食べ物って言うのは、飽食の現代人が考える発想で、
 少なくても身長が伸びる事とは関係ないよ

302:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 20:53:02 oIpCj0WG
>>299
他の老中はそれを眺めてるの?ありえなくない?
そうやって将軍家を巧く操ろうとして、弾き出された老中も多いというのに、
保科正之がそれ以上の存在とは残念ながら思えんが。

秀長とは固有の武力という点と外様の五大老に張り合いうるという時点で桁が違う。

303:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 00:38:45 jls1R+Ox
巨体デブ家康のDNAの秀頼。

304:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 00:44:51 Etchl89+
URLリンク(kakutei.cside.com)

家康ってデブデブ言われてるが年をとってからデブになっただけだぞ。元々は、若い時から武芸に励んで
乗馬、弓、剣術に優れていたと言われる。もっとも、今の人間から見たらピザには変わり無いがw

305:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 00:45:08 jls1R+Ox
>>298
残念ながらそれはない。せいぜい雑兵あがりがいいところ。

ただ秀吉の親父の弥右衛門が蜂須賀小六の親父の部下だったことは
考えられる。たとえ苗字なしの極貧の小作人出だとしてもね。

306:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 13:11:18 EIfbh80W
いや、でも実際問題、出自が明らかになってないんだから
小作人か土豪かもわからないじゃないのか。
そしたら出自が明らかになってない奴ら全員小作人出身になっちまう

307:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 13:16:31 eP4lHFTj
秀頼が誰の子かということと、
豊臣家が滅んだことは全く関係なし

308:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 13:20:23 xvbbYPvj
>>294
>脆弱(貧弱)な秀忠
増上寺を掘り起こした時に、歴代将軍の遺骨も調べられたけど、
秀忠は身長160センチほどで、骨太のいかにも戦国武将って感じだったそうだよ。
時が経つ程、徳川将軍の骨は公家化し骨の細い弱弱しいものになっていったそうだけど、
一番古い秀忠の骨はきちんと残っていたらしい。
秀忠以降は公家化が進んだにせよ、秀忠は戦国武将としての
平均値はあったんじゃないか?

309:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 13:28:25 nXtOw4W/
骨によると、体格はしっかりしていて、鉄砲傷もあり、勇猛だったのではと想像できるらしいよね。
信玄のように、体が弱くて安全な本陣でしか指揮を取らなかった人でも将としては有能な訳で
大将としての能力って、本人の身体能力とか、勇敢さだけじゃないんだよね。

310:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 14:05:08 x5KGsU/z
>>304
信玄に敗れて、糞を漏らした直後に書かせた自画像では
家康は随分、痩せてるよね。その時点では、さほど太ってなかったと思う。
おそらく秀吉に屈する前後では太っていたが
その後、健康問題を真剣に考えるようになり養生訓に彼自身が書いてるように
肥満は健康に良くないという意識を持って老後はダイエットを実行していたのだろうと思う。

311:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 14:18:27 Fgg92Kz+
秀吉を油断させるために肥満を装い
死んだらすぐに痩せて長生きしただけでしょ

312:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 15:06:31 5GDLb40+
家康は徐々に太っただけの話でないかい?
信玄と戦ってた時は激務だろうし、げっそりしてて、秀吉と手を結んでからは40代入って太りだしたのだろう

>>311 秀吉死後痩せて長生きって????

当時は多少太ってるが健康の証だろう。今とは食糧事情も違うし。

家康が健康の為に鷹狩りや、薬飲んだりしたのが長生きの証ならともかく、ダイエットとはw

313:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 16:17:46 jls1R+Ox
秀忠が骨太??

314:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 17:04:57 8Vmtn6QB
>>302
実際にそうやって主家乗っ取りに成功した一橋家の例があるのだが。
定信が止めねば、治済はもう少しで大御所になるところだったし、他の御三家・御三卿にも養子・嫁を送って
そのほとんどの乗っ取りに成功。

少なくとも、秀長より実現性の高いのは間違いない。
固有の武力を持とうが、五大老に張り合えようが、秀長が豊臣乗っ取って、誰に継がせるんだ?
その答えをまだ聞いていないよ。秀長が死んでおしまいになるなら、そんな意味のないことを秀長がするわけがない。

315:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 18:13:59 xKoH7J+D
だから秀次が秀長を扱いきれるかと言ってる、
正確に言うと自分の配下と秀長の配下の調整まで全部。

それができなきゃ争いが起きる可能性を否定する事などできない。
秀吉の下だけですら武断派・文治派でわかれてるのに、それにさらに秀長の直属の配下の権力が強まって、
さらに秀次の側近の権力も強まる、実際それも秀吉の虐殺に繋がった一つの要因だし。
これに江戸時代とは比較にならないほどに強力な外様大名の圧力が加わってくる情勢。

これらが丸く収まると思う根拠が欲しいんだが。
秀長が天下を奪って後継を誰に・・・とかそういう問題ではない、まず自身の身の安全の確保の問題。
それは既に>>228の時点で言ってる。

上記に比べれば徳川家内での後継争いは所詮家康・秀忠・家光が100年かけて創り上げた箱庭の中での
争いに過ぎない、誰が継ごうが彼らにとっては可愛い子孫が継ぐ訳で。

316:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 18:20:34 8Vmtn6QB
>だから秀次が秀長を扱いきれるかと言ってる、
>正確に言うと自分の配下と秀長の配下の調整まで全部。

だからそれは、秀忠と家康の関係にもあてはまるだろ、と言ってる。
駿府に発言力の強い大御所(及びそのブレーン)がいて、江戸の将軍はやりくい立場ではあったが、それでも両者はうまく
機能して、同族争いなど起こっていない。
代替わりのたびに同族間の争いが起こっていたら、それは当事者がよほど愚かな場合のみだ。

317:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 18:30:08 xKoH7J+D
え、本気で叔父と甥の関係が嫡子と先代の関係と同等だと思ってるの?
売り言葉に買い言葉で出た発言だと思ってわざとそこはスルーしてたんだが本気?

だとしたらもういいや、俺から何も言う事はない。

318:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 18:36:55 8Vmtn6QB
少なくとも、キミが主張している内容では差はないね。
実際に、後継者を指名しいったんは引退した先代が、再び実権を獲り戻したのが秀吉と秀次の例だ。
実績の大きい同族者の扱いが難しいのは、それが先代自身でも先代のブレーンでも違いはない。
違いがあるなら、どこがどのように変わってくるか具体的に指摘したら?

言ったろ。まじめに書き込むならまじめに応対すると。

319:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 23:22:04 x5KGsU/z
武田家の勝頼と穴山梅雪の関係に似てるだろうな
もしくは勝頼と武田逍遙軒信綱の関係の方が、もっと近いかもしれない。
明らかに主君の勝頼より発言力が大きく心の底から勝頼を見下し
諸将の前でも御一門筆頭の座を明らさまにして尊大に振舞ってた。
そして、俺こそが武田家の家督を継ぐべきだという気持ちが噴出して
あっさり勝頼を裏切って織田家に信濃・甲府を献上してしまった。
でも人間のあくの強さとか考えると、穴山のような酷い事を秀長がするはずないし
人間ができてるから、きちんと甥の秀次に従って立ててただろうという事は
想像に難くない。多分、自身は以前よりも目立たないように発言も差し控え
官位なども返上して家督を子供(養子)に譲って出家した可能性も相当高い。

320:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:07:45 11duRH82
>>319
それが現実的かも。
しかし出家してそこまで実務から身を引いてしまったら結局外様連中を抑えられない、
かといって出家しても信玄のように号をつけただけでは出家の意味が無い。

難しい所だな。

321:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:44:16 swns4syd
>>320
もちろん外様を押さえつけられないんだけど
高台院のように諸大名への影響力は持ち続けただろうと思うよ。
本人の意思とか無関係にね。

322:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:48:20 11duRH82
なんだか本気で複雑な体制になってしまいそうだな。
収拾つかないまま次の世代へ持ち越してしまいそう。

323:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:51:12 swns4syd
もし北条政子のように外戚が生きていたら
たとえば淀君の父(浅井)や叔父が生存して家を保っていたら
豊臣政権内に侵食してきて官職や軍権を一族で抑え
家康なんか出る幕もなく
逆らおうモンなら七族まで誅殺したんじゃないかな。
実質的な日本の王が淀君になって、彼女の庇護下で秀頼が安穏と生活を送れた可能性もなきにしもあらず。

324:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:54:52 swns4syd
というよりかネネが子供を産めば済むだけの話だったな。
外戚の浅野氏が我が身を盾にしてでも絶対に北政所政権を守り通す事は想像に難くない。

325:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 09:09:27 FcUGzuwB
ねねがこっそり浮気して他の男の子を秀吉の子として産めばよかったんじゃね?

326:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 13:47:45 oOV4QP/L
それじゃまったくもって元の木阿弥だろ
淀より味方する大名は多そうだが

327:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:51:52 b77EETCH
外様を抑えるというが、要は家康を抑えられるかどうかが一番のポイントだろう。
他はまだなんとかなるとしても。

秀長が生存していたとしても、せいぜい前田利家くらいの働きくらいだったかと。
家康が恐れていたのはあくまで秀吉だったしな。

328:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 23:27:17 jNIboLTh
釣ってるのかなあ。秀長と前田が同じ程度って。なんか反論するのも馬鹿馬鹿しい。

329:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 18:17:14 cYIRN6jK
とどのつまり、秀吉が種なしだったのか、ねねが石女だったのか
どっちだろうか

330:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 09:21:40 66H5iMqV
前者あるいは両方
ねねだけに原因があるとは考えにくい
あれだけの女とやったのに茶々しかデキてないんだし

331:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 18:47:20 zHEFt0Da
南殿は?

332:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 00:26:56 vzmziUu0
無精子症ではなかったんだろうな。一応、精子はいるものの数が極端に少ないか
精子の活動が極端に悪いかのどっちかだろう。だから運がよければ妊娠はする。
しかし、いずれにしても続けて二度も妊娠するほど受精率が高いなら上記のような
男性不妊の定義には当てはまらなくなる。相当数打って当たる程度の確率でしか妊娠できない
男性不妊の精子で同じ女が立て続けに妊娠するのは医学的見地から見てありえない。
それほど受精率が高いのなら、初期の段階で正妻であるねねが妊娠しているはず。

333:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 00:50:37 2h0fg/5z
なんとなくだが鶴松は秀吉の子っぽいが秀頼は違う気がする。
鶴松が成長してれば日本史も変わってただろうね…。

334:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 00:58:55 2vlXehgc
 鶴松が生きててもまだ10代だから関が原には間に合わない。政治的
影響は飾り程度で、実権もへったくれもなかっただろう。関白にするに
は幼すぎて朝廷も許可しないだろし。ただ鶴松も秀頼も生きてれば淀の方
がどちらか一方を三成に貸した可能性がある。そうすれば関が原で東軍に
ついた大名が西軍について西軍が勝利した可能性もあったかもしれないな。

335:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 01:26:11 ncn0BE/U
鶴松が生きてたら朝鮮征伐自体が起きてない。
また秀次を関白にもしてなければ、彼に切腹させる事もなかった。
さらに言えば、三成が武功派武将に、あそこまで嫌われなかった。
秀吉は鶴松が死んだ後、半狂乱になって豊臣政権を自ら破壊する行為ばかりしたが
それらの愚行が無ければ人心も豊臣政権から離れず
家康の豊臣政権を切り崩す戦術があそこまで上手くいかなかったろう。
秀次一人が生きてるだけでも家康は傍若無人な行為はしずらい。

336:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 01:32:24 ncn0BE/U
しかし鶴松が死ななければ秀次の関白就任も後継者の道も全く無いわけだが
秀吉は彼をどうする気だったんだろう?
公卿の一人として右大臣程度のポストを与えてそのまま置いておくか
もしくは、どこかしかるべき土地に数十万石を与えて三好秀次か
豊臣秀次か分らないが大名としてあげるか
もしくは、どこかの大名の養子として送り込み、蒲生秀次とか吉川秀次とかにして
地方へ追っ払っただろうか?


337:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 06:50:10 vCy3AaSb
~たら
~れば
~たら
~れば

こればっかだね

338:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 09:16:51 yOKLV4vd
利家はまだ秀吉死後豊臣を守るために家康に対抗しようとしたが、このスレでは秀長はとてもそんな器じゃないっていってる意見が
あるようだ。
秀頼がいなくて秀長が長生きしたとしても、秀長は豊臣家をまとめることもできずに秀次と不毛な同族争いして家康を喜ばせるだけだろう、
なんていってるくらいだ。

やたら秀長を過小評価している意見には首をかしげるが。

339:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 16:34:23 ncn0BE/U
秀長は調整能力に長けた武将だったよね。
まだ、新生で先祖代々の家来も居らず
信長が次々とつけた武将を配下にさせられ
蜂須賀党のような、おそらく気性の荒い山賊みたいな人から
秀吉を上司とすら思ってない与力武将から内政のために登用した奉行系の
人まで様々雑多に居たのに、秀吉自身は東奔西走で安土・京・岐阜・尾張
その他様々な戦地に走り続け、その間の残された武将を喧嘩もさせず
丸くおさめ、なおかつ戦地でも、それらの扱いづらい部下を持ちながらも
並以上の戦績を収めた。これは十分に名将の評価は与えうるし
利家と比べても全然ヒケを取らない。
大軍を率いる武将の格というか能力から言えば
信長、秀吉、家康>利家、秀長>越えられない壁>秀次と見て良いと思う。
また、家内をまとめる調整能力を見れば、秀吉にすらヒケをとらないかもしれない。
治めるのが難しいと言われた大和の国を大規模な一揆や大虐殺も伴わず
なんとか統治する所までこぎつけたんだからね。
利家の方が徹底して一向宗の弾圧や圧政をして不器用な統治の仕方だったとさえ思う。

340:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 18:55:24 fL4v10al
>>338
上の方の論争は秀長の能力や勢威を過小に評価してるもんじゃないよ。
まあ327はおかしいけど。

341:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 18:56:18 nUb86iJF
「秀長」ではなく「小一郎」というほうがピンとくるのは俺だけかな?

342:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 19:12:47 yOKLV4vd
>>340
そうかな。
秀長vs秀次をしきりに主張していた意見があったが、あれこそおかしいだろ。
327はどこがおかしいのかさっぱりわからんが。

343:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 23:33:38 /kDUz6Ep
しょうがないだろ、どの時代でも派閥争いは起こるもんだ。
ましてあの豊臣政権の状況で、当主が秀次じゃ。秀長がいくら優秀でも無理ある。

上で秀長が隠居してしまうかもしれないと言う意見があったがそれが一番ありえそう。

344:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 23:35:07 /kDUz6Ep
あぁ>>327はありえないので無視。

345:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 11:21:41 yu0sIai0
都合が悪いから無視、でしょ。

346:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 11:23:34 yu0sIai0
つまり秀長には豊臣家をまとめる力がないというわけか。
秀次と協力しあうのも無理な狭量な男と。
輝元を支えた両川のような立場は期待できないってわけね。

それこそ過小評価だろ。

347:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 11:45:08 Vrz9jZWn
張良や黒田官兵衛のように賢い者は
「天にニ日なし」を良く知ってただろうから
主君に少しでも自分が猜疑心を持たれる可能性を感じたので
身を韜晦して隠遁したのだろうと思う。
秀吉と秀長は肉親の上に精神的にも裏切る事や猜疑心を持つ事自体が
ありえない関係だったかもしれないが、秀次と秀長がそうだったとは
思いがたいからね。もし秀次が項羽のように親族にだけ物凄く甘いと
定評のある人物であれば親族は身を韜晦する必要もないが
多分、そんな事はないと思うので、秀長はおとなしく隠遁したでしょう。
それを持って無能なんて評価はできない。
それだったら上記の張良や黒田如水が無能で、ハンゾウや項伯や秀次が
優秀だという結論になってしまう。

348:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 11:56:23 Vrz9jZWn
でも、隠遁という話であれば秀次自身が一番すべき人物だったんだよね。
秀頼誕生を大袈裟に喜び、自らは「日本国を守るために防人をしたい」などと
九州か北海道への赴任を願い出るなり
「政治に疲れました、もう出家して余生を穏やかに過ごしたい」などと隠遁を申し入れれば
秀吉は喜んで認めてたんじゃないだろうか。
それでも、三成あたりが秀吉に何かを吹き込んで隠遁した秀次を殺害させる可能性はあるだろうけど
秀吉が死んだ後に偽書まで作って秀次を殺すほどの大胆な事を三成はできる人間でもないだろうから
多分、秀次自身は寿命を全うできたでしょう。

349:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 18:03:12 ozehYDIg
>>327が秀長の存在感を前田利家と同じ程度としているのは過小評価じゃないのか?


350:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 19:21:10 2CjrU6R8
おねも旦那の留守中に浮気でもしてがきをうんどけばよかったんだな

351:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 11:47:29 PLcnFcku
秀吉は医学的見地から見ても面白い研究材料かも。
彼の死因一つをとっても、そうだし
実年齢に関しても疑わしい部分があるし
秀吉のSEX回数に比しての極端な子の少なさや
弟の秀長も子が出来なかった点や、秀吉が多指症であった点からも
秀吉の遺伝形質や染色体異常に関しても、彼のDNAが万一採取できたら
面白い研究結果が出るんじゃないかと思える。

352:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 18:50:15 Ai4bJlPM
小一郎には一応娘がいる。
でもって秀次の弟で秀保というのをその娘の婿として養子にしていた。

彼のDNAは採集不能だろう。
墓も骨も家光のアホがどっかに投げ捨てちまった。

353:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 10:06:33 7syHOwE1
たまたま兄が種無しだったのに合わせて子が少ないから小一郎も種無しって感じではあるけど、
小一郎は兄と違って側室などの浮ついた話も聞かないし、
経歴をたどってみる限り、実は忙しすぎて子を作ってる暇が無かっただけなのでは・・・と思う事がある。

354:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 23:17:16 nheKVNFi
>>327
狡兎死して走狗煮らる、の例はたしかにあるものの、漢の高祖はその代表例で、あそこまで
功臣が粛清されていった新政権は珍しい。

秀次が、高祖ほどに周辺を切り捨てていくと定評のある人物であればともかく、歴史を顧みれば
身内に優しく一族で盛り立てていく方がむしろ一般的。強大な敵が残っているならなおさらに。
まして秀長は調整能力に長けた武将で、その実績はキミが>>339で書いてあるとおり。

秀長なら秀次を立てながら、豊臣家を支えて家康に対抗していくだろうと思う。が、仮に隠遁
するとすれば、自分が何をしても家康には敵わないときっぱり諦めた場合かな。
高台院のパターンだね。

>>349
全然。
秀吉でさえあれほど手を焼いた家康を、秀長なら翻弄できる、とはとても思えないからね。

355:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 03:01:43 cLWw89vL
いや、あくまで秀吉存命時は家康は完全に抑えてただろ。
秀長が総大将として100%実力を振るえるのであれば、秀吉と同じく家康を抑えることは可能だと思われる。

だが秀次の政権であってあくまで秀次の補佐としてという程度のものならば
それは難しいかもしれないし、変に秀長が秀吉同様の権力を持てば、史実の秀吉と秀次のように、
軋轢が生まれてしまう事もありうるわけで、彼の性格を考えると、そうなる前に隠遁する可能性も高いと言う事。

前田利家と比較する方がおかしい、実績が違いすぎ。

356:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 08:15:40 z9zDO/mg
秀長云々じゃなくて家康にたいする過剰評価なんだな。
家康ならなんでもできるなんて考えてそうだ。


357:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 13:44:23 Hfl/xEGL
秀吉によって意図的に家康に対抗する位置に置かれた部分もある前田ですらあれだけ家康を
掣肘できたんだから秀長ならいっそうでは。






358:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 08:21:11 vWF/TJEg
>いや、あくまで秀吉存命時は家康は完全に抑えてただろ。

どのへんが?
戦場では(局地戦とはいえ)負けて、搦め手でなんとか和睦させ、臣従させるのにも妹を送って母親まで送って、それでようやく
挨拶に来た家康を、半ばだまくらかして臣下の礼を取らせてとりあえずまとめて、その後も細心の注意を払い最重要人物として
扱っているぞ。秀長や利休たちの尽力もあったから知ってるはずだろ。

三河から切り離したり、石川数正を引き抜いたり、いろいろ揺さぶりをかけたものの徳川家はまったく弱体化せず、朝鮮出兵も
拒絶され、結局豊臣政権の中でも別格の存在のまま、最期も家康を筆頭とする五大老に秀頼のことを託す形にせざるをえなかった。
家康の最期と比べればどれだけ不安定な政権状況だったかわかるはず。

秀吉&秀長でさえ、そこまでするのが精一杯だったのに、秀次&秀長で、状況が好転する理由がないだろ。

359:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 10:33:07 do1GiG3v
逆に家康の側が史実と違い後継体制の移行が順調におこなわれた豊臣家に
どのような形で政権奪取をおこなえるんだろうかという疑問があるんだが。
つか家康がそういう動きをおこなえるもんなんだろうか。状況や条件は史実よりも
厳しくなってるのに。

360:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 10:36:17 do1GiG3v
それと家康は秀長と東国取次という役割も含めて政治的に近いという事実もあるし。


361:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 21:33:29 cYPKoKuR
>>358
というか秀次の存在はこの場合マイナスにしか働かんと思われる。

存在する以上は秀次があくまで君主であって、秀長はそれ以上の能力は出せない。

362:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 21:54:25 kkXGe7RN
スレ違いの話題はいつまで続く?

363:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 22:03:47 cYPKoKuR
スレタイ通りの話題がちゃんと出てくるまで。

364:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 22:38:45 NFM07Y+z
自演ぽいのが続く

365:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 23:43:33 LL4CAUFn
「羽柴秀頼」と呼ばれることが殆ど無いのが不思議でならない。
本姓で呼ばなきゃいけない理由でもあるのだろうか
平頼綱みたいに名字が不明もしくは使ってなかったというなら話は別だけど。

366:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 00:00:32 1U57xFsZ
>>352
家光って秀吉の墓だけでなく秀長の墓も荒らしたの?


367:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 02:34:44 VnyQHHxF
秀長VS秀次の「たら、れば」を必死に論じている人たちは
何が楽しくて続けてるの?

368:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 06:18:46 L+EBTGuj
秀長も最近再評価されてるけれども、基本的に温厚な官僚的な行政官タイプだと言われている。
秀長の司令官としての力量も、政治的戦略的なお膳立てを秀吉がしっかりした上での物だからな。
参謀も黒田官兵衛とか蜂須賀とか居るわけで。それに重要な政治的な判断も秀吉が行う訳だしね。

秀吉死後の豊臣家の政治的難色を乗り切るのは、もっと実行力の有るタイプの政治家が必要だと思う。
仮に秀長が長生きしていたとして、秀吉死後の派閥争いを押さえきれるのだろうか?正直、三成一人押さえられたか疑問だよ。
利家と大差無い役回りでないのかね?

369:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 07:42:39 +viUpYFu
旭姫を送ったのは家康が先に長子の於義丸(後の秀康)を人質に送ったからその返礼という形なんだが
朝鮮出兵でも渡海こそしなかったものの名護屋城の普請や大船の建造、
九州での出陣など大小様々な賦役を課せられてる
秀吉が豊臣政権下の家康を優遇したのは事実だが別にそれは家康を持て余してたとかそういうわけじゃなく、
変な言い方だが家康の人間性と実力を信頼してのことだろ
本当に邪魔ならそれこそ難癖つけて攻め滅ぼしてるよ

370:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 09:02:58 6uFoqYk2
家康厨がいうことだから

371:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 12:34:57 RknJFRGQ
>>367
その話はとっくに終わってる訳だが。

>>368
秀長は紛れも無く豊臣正規軍の総司令官になるわけだぞ、
その時点で何が変わるか、考えてみればわかりやすいだろう。

372:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 12:46:37 vVQwaXyD
>秀長は紛れも無く豊臣正規軍の総司令官になるわけだぞ

反対むなしく朝鮮出兵で総司令官を任されることになる
秀長の立場では武断派も文治派も顔を立ててやらねばならんから
ストレスによって確実に病没するので秀吉より長生きできない
何も変わらないな

373:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 13:33:00 0kkDnABo
秀長の権勢は補佐役というイメージなど抽象的なものであったが研究によって明らかにされてきたものも多い。
その一つは、西日本全般における軍事指揮権や服属地への仕置き等の権限であり
例えば四国九州征伐において長宗我部島津などの戦後処理を秀長が行い秀吉がそれをそのまま
追認しているのもその一例である。
東日本に関しても北条外交について家康に意向を申し送ってるのがわかる書状などがあり、病がなければ
西と同様の権限を与えられていた可能性は高い。


374:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 04:08:35 iJW/mFNW
確かに高いな、しかもそれが居なくなってしまったから、換わりに家康に東国を任せる形になった。

それが結果的に家康と東国とのつながりを強めてしまった。

375:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 05:11:18 WLwzEBvP
当時の大阪城の事を想像すると、大阪城の豊臣家を動かしていた人は誰なんだろうかと思う。
名目はもちろん秀頼が当主なのは間違いない。
家老の守り役は片桐且元なのも間違いない、家老類としては大野治長兄弟や片桐兄弟とかが判断してたようにも見えるが。
淀君が女城主だったんじゃないのだろうか?。
あと有楽斎と信雄も親類としていたそうだが、権限があったのか無かったのか。(こいつらは大坂の陣の前に逃げ出してるから責任なんぞ無かっただろうけど)

仮にも家老で宰相であるはずの片桐兄弟が最終的に追い出されてるし、結局、淀君が政治判断の決定権もってたのだろうけど。
こんな物が豊臣家なのかって疑問も有るな。淀君の私物のような状態な感じが読み取れる。

秀頼哀れ(´д⊂)

376:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 08:29:44 Bqn1kSfZ
>>369
いくら天下人でも、いくら邪魔な存在でも、誰でも難癖つけて滅ぼせるほど簡単じゃない。大物であればなおさら。
隙あらば弱体化させようとは狙っていたが、政治的に家康が巧みに交わし、表向きは協力して、重用せざるをえない形に
持っていっただけ。
信長に難癖つけられた時に、信康さえ死に追いやったほどの家康なら、そのへんはお手の物だろう。

実際に秀吉死後の家康の行動には、無駄もなければ迷いもない。
天下獲りのため、秀吉の死をずっと待っていた者の行動だね。その家康の人間性を、秀吉もかなりの部分は見抜いていたから
諸大名に牽制させようとして合議制の形にもっていったわけで。あまり役にはたたなかったが。

377:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 18:16:12 WLwzEBvP
秀頼の立場は選択肢が少ないんだよね。
淀君とか侍女共に囲まれて育てば、どんなボンボンができるか誰でもすぐ解る。
仮に他家に預けられて男らしく厳しく育てれば、淀君の言うことなど聞かない、しっかりした政治家になる可能性もあったが。
利家や家康に預けて育てるとかの選択肢も、秀吉が死んだ時点で厳しい。
他家に預けられた秀頼が病死でもしたもんなら、毒殺と疑われて、大変な事になる。
そんな可能性が有るだけで他家に預けることも出来ない。

結果、秀頼は、15才になれば天下を秀頼に帰すなどと言う約束を信じさせられて育ったとか。
淀君は家康を豊臣家の家老程度にしか思わずに、単純に、天下を家康に奪われたと思って恨んでたのだろう。
まともな譜代の家臣が居ないことがここまで尾を引く物か。滅びる原因は内に有りだな

378:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 21:57:47 QpaazcPq
すべては淀の責任ってか?
あと淀君って呼び方は不快に感じるひと
結構いるみたいだからわざとじゃなければ
やめたほうがいいかも。

379:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 08:44:15 dewO3jbP
天皇に挨拶しない不届き者を征伐する、という理由で朝鮮に出兵した秀吉だぞw
秀吉くらいの独裁者になれば気に喰わない相手にいくらでも難癖はつけれるわけで
それこそ大坂の陣における方広寺鐘銘事件程度の言い掛かりでも構わない
存命中の秀吉が家康の本性を見抜いてたというのも疑わしいな
後世の我々からすれば家康が律義者なんて笑止千万だが、
当時の家康は巧みにそれを韜晦してた
太閤遺訓でもしつこいくらい「内府は律義者だから~」を連呼してる
家康のことを秀吉が警戒していたとする積極的な史料を自分は知らない



380:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 19:36:19 g52H93Ko
だからといって全くの無警戒ではないだろ。
徳川は一応豊臣家の臣下だが、石高は日本最大の大名だぞ。

381:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 02:08:01 o/zi5jKb
>>377
家康に預けていれば立派な三法師2号が出来ただろうに。

382:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 02:19:55 iPUiEBCb
家康にそんな度量は無いだろ
頼朝の命を救った清盛の愚は避けようとするはず
度量というか性格的なものかもしれないが

383:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 19:57:29 vE4nKGY5
>>365正確に言うと豊臣氏は継いでないよね。
豊氏長者になってないから。
>>378
淀君の君は遊女を意味してるからな。徳川は汚いな。

384:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 23:38:50 aRZWPPpI
坂 崎 直 盛 宇喜多秀家の従兄弟だが、東軍について改易された男。
浪人中に自ら坂崎って名前にしたらしいが、実際は秀家が同じ宇喜多姓を
名乗るなって事だったらしい。後の、大阪城の千姫略奪事件も凄いものがあったなw
東軍は痛い奴が多かった。よって、負けた。

385:384
07/01/10 23:39:39 aRZWPPpI
誤爆した。すまん。

386:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 14:14:35 ICgy3iiF
「君」は遊女の「君」説もどうかなと思うが、結構最近説だしな、田端泰子って学者が言い出したことらしいが。
高貴な婦人を「君」ってつけるのは珍しくないし、まあ、呼び名だから時代で意味が変わっていくの物だが。
手元の小説の山岡荘八の徳川家康にも「淀の君」で通して有るね。

387:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 14:21:38 fIXFqYS7
逆にいえばいつごろ呼ばれてた(呼ばれ始めた)のか分かれば
その時代の意味って考えてもいいんじゃない?
秀吉存命時に淀君って呼んでるなら尊称、江戸時代に入って
からなら卑称の可能性が高い、とかさ。

388:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 18:33:22 7gYlPeB7
江戸時代の摂関家の姫が~君とされることもあるから、
卑称とは限らないと思うけど。

389:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/12 13:29:44 eJ9kyqm6
維新後の徳川誹謗の流れの学説かもしれんね、
呼び方が悪いから徳川悪いなんて言う論理の>>382みたいな子も現れるくらいだしw。

390:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/12 13:58:43 rWdD8DPd
結局淀君の呼称の初出及び定着時期っていつ頃なのかね。
本人死亡後だとしたら、良し悪しは別にしてそう呼ばれ始めた
背景なり理由なりが何かあったんだろうとは思えるけど。

ちなみにここでいう背景とか理由は彼女に対する個としての
意識を向けない範囲まで含めて、ね。

391:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 12:24:02 Socw3rl5
>>379
その「しつこいくらい」「連呼」している不自然さをみて、キミはなにも感じないのか。

信長存命時の秀吉は、家康に負けず劣らず律儀で、織田家に絶対の忠誠を尽くしていたぞ。
表面上いくら律義者を装っていても、一度目の上のたんこぶが取り除かれた場合野心ある者はどう動くか、
それを身をもって証明してみせた秀吉自身が、家康を警戒しないと、本気で思っているのか?
現に義元が死んだ途端に今川家に手の平返した家康だぞ。

それから難癖をつけて滅ぼす場合は、確実に勝てる見通しがついた上で動かないと、むしろ自分の命取りになる。
大阪の陣の場合は、すでに有力大名のほぼすべてが徳川家に従っていたという確固たる既成事実に加え、
豊臣家があくまで徳川政権を認めず、臣従することを拒否したから言いがかりが成立した。
徳川政権下での一大名家としての豊臣家なら存続することは十分可能だったが、秀頼や淀にそこまでする外交力が
なかっただけ。


392:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 15:03:15 FQq6Pyor
秀吉はもちろん家康も信用しきっていた訳ではないと思う。

でも他の外様に比べればまだ信用できる存在だった訳だ。
で、結局もっと疑わしいそいつらの抑えの意味でも、家康を信頼しないと、
成り立たなかった。

この時点で無理がある気がする。

393:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 16:49:53 kJrsloVU
家康が秀頼立てた、事例も多いぞ。官位なんか秀忠の一個上を与えてたり。
秀吉の約束に従って千姫を嫁にやったりって、なかなか出来ないぞ。
当時天下人の立場の家康が、前天下人の子供の秀頼に官位や嫁をやるのは、懐柔してるようにも見えるが、結局次世代に不安を残すし
自分が死んだ後が心配で、とてもやれることでは無いと思う。

まあ最終的に死ぬ前に憂い絶ったが、それまでの15年は軽くはない。
これが律儀と言われてる処だろう

394:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 05:04:47 H3WRUmTu
で、秀頼のパパは誰なのよ

395:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 10:56:44 dAB1GCG8
その後、数代に渡って豊臣家が続いてたならともかく、
結局、秀頼の代で終わってしまってるし、自身は秀吉の子として生まれ、死んで行ったのだから
あんまり父親を特定する意味もないんじゃないか・・・?何かが変った、変ってたと思えない。

むしろその辺の考証は斎藤道三・龍興の方が面白い、スレ違いだからしないけどな。


396:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 18:29:36 UjW82/BM
そもそも性格的に、律儀な一面が家康にあったのはたしかだろう。
自分が認めた相手(義元、信長、秀吉)には、実直に仕えている。

しかしその対象はあくまで個人に対してであって、家に対してじゃない。
当人が死ねばそこまで。義理はなし。

397:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 21:45:54 l3gbdjWn
むむ・・

398:人間七七四年
07/02/12 19:06:56 x4zHCgiR
秀頼については、ひ弱なひょろひょろ説と、デブ説があるけどどっちの方が信憑性ある?

399:人間七七四年
07/02/12 19:28:51 nzqP3mXA
美丈夫との説もあるぞ。家康は成人した秀頼と対面して自分が死ねば天下を取り返されると脅えて豊家滅亡を決意したらしい

400:人間七七四年
07/02/12 19:33:50 x4zHCgiR
美丈夫設かぁ。
秀頼がひとかどの人物であったとする方が話としては俄然面白くなるね。
実は死んでいない説もあるそうだし。

401:人間七七四年
07/02/12 19:51:03 nzqP3mXA
死んでない説は架空だとしても家康は大阪が浪人集めだす前は豊家を50万石以下程度で存続させる意思だったからね。もちろん国替えは必須条件だが。

402:人間七七四年
07/02/15 10:08:56 vPh2evz1
鎌倉にある秀頼の娘と秀吉の家族の墓を掘り起こして、遺骨を調べれば何かわかるかも。
子孫もいないし、やろうと思えばできそうなんだが

403:人間七七四年
07/02/15 10:36:09 HCf+uFj6
てかそんな簡単に浮気できるもんなの?
そこらへん疑問。

404:人間七七四年
07/02/16 22:09:21 n4BENox4
秀頼が大坂城に拘ったのも、自分が秀吉の子で無いという疑惑が有ったからかも。
母親の貞操に不安というのは、子供として想像するのもかなり嫌な事だが・・・

大坂で戦って、死んでやるという事が秀吉の子供のしての義務だと思ったのか(血を関係なく生き方として)

と妄想してます

405:人間七七四年
07/02/16 22:21:18 EkVjj5Px
>>401
せいぜい10万石では?
しかも豊臣姓を返上させて。

406:人間七七四年
07/02/16 22:23:14 v1hoMcIN
>>405
返上はいいけど、その後の本姓はどうする?

407:人間七七四年
07/02/17 00:26:21 s113/BEm
>>405
ヒント→大和一国

408:人間七七四年
07/02/23 21:32:00 gM+DHk9g
>>404
あながち妄想でもないかもしれない。
夏の陣では淀や治長よりも秀頼の方がやる気満々だったと思われる説もあるし。
国替えを断固拒否したのも淀ではなく秀頼だったはず。

409:人間七七四年
07/02/23 21:42:52 1+AQ+jsn
淀って人は浅井、柴田、豊臣。兎に角想像力を掻き立てられる素材だからね

410:人間七七四年
07/02/23 23:28:27 iCv1DPfk
家康との会見以外は一歩も城を出なかったというが
政務や武芸の稽古すら皆無に等しいし
秀頼は普段なにをして時間を潰していたんだろう?

411:人間七七四年
07/02/24 00:21:18 gcxVC/lW
>>408
若気の至りって奴よ
まあオチンチンに毛が生えたころから侍女と槍まくって思い残すことはないだろうね

412:人間七七四年
07/02/24 00:23:32 gcxVC/lW
>>407
京大坂に隣接する国をまるまるやるかよw


413:人間七七四年
07/02/24 02:08:35 RcWCCXD5
仮にも武士の子なんだから武芸の稽古は結構してただろう、ニートじゃないんだし。
書道が好きだったってどっかの本に書いてあったな。

城から一歩も出ないのは、江戸の将軍もそうだだしね。
まあ豊臣家は秀頼にしか存続の証は無いからね。
戦乱の次代でも無いのだし、それはそれは大切に扱われていただろう。

414:人間七七四年
07/02/24 02:18:03 TdpYYtEG
そもそもその「城」てどの範囲なんだろうな。
「大坂城」って意味なら、その広さや設備だけで日常生活には十分な気もするんだが。

415:人間七七四年
07/02/24 08:02:32 x/b65K1j
>>403
大野は浅井家の時代から茶々に付き従ってたから十分あり得る


416:人間七七四年
07/02/24 10:35:01 pMgI+sMc
秀頼しかいなんだから、もしもの事があったら大変だものな

417:人間七七四年
07/02/24 17:55:37 0IlGcVez
かまぼこ王・秀頼

418:人間七七四年
07/02/27 02:39:50 UfAUsnAb
>>42
遅レスだけどワロス
ひょっとしたら毎回口に出していたのかもしれん

「あれ、おっかしいな~毎回飲ませているのに~」って感じで

淀殿はフェラを拒否したのだろう

419:人間七七四年
07/02/27 02:52:36 JdR97uEz
>>412
実際に実現させない条件で釣ろうとする2ちゃんねらー家康の常套ともいえる手段

420:人間七七四年
07/03/01 00:38:51 +QWLGTyc
>>123
その発想はなかったわ

421:人間七七四年
07/03/01 04:24:23 MVBwedSN
>>418
今昔物語に使用後の蕪を食べた娘が身篭ったという話があったね

422:人間七七四年
07/03/31 04:14:51 dPJV9yip
でっぷり太っていたのは祖父の長政に似たからか

423:人間七七四年
07/03/31 07:49:43 O2topJbj
この人に何か特筆すべき事績はある?

424:人間七七四年
07/04/01 12:39:13 qp6OWRmJ
あの家康があらゆる手段を講じて外に出そうとしたのにたったの一度しか外出させられなかった
現代社会を悩ます引き篭り問題の解決がいかに難しいことなのかを四百年前に証明した事績がある

425:人間七七四年
07/04/01 18:33:33 TTcM/GY2
重圧かけて自殺に追い込むことが引き籠もり問題解決の糸口かよふざけんな氏ね




と、釣られてみる

426:退屈@親父
07/04/02 21:28:54 +7f6TVp6



age






427:人間七七四年
07/04/02 23:06:41 /7UFMeS7
>>383
秀吉の後継者なのに長者をついでないだとwwww


428:人間七七四年
07/04/03 17:46:54 xeJPGqUR
「君」ってつけるのは別に卑称じゃないんじゃない?
姫君とか若君って呼び方も戦国時代の前からあるし
源氏物語でだって「紫の君」って出て来る位だし
元は身分が高い人がつけてたのを
遊女やらが憧れでつけ始めたのかもしれん

あと戦に負けた平家の女性が遊女になったとき
教養として身につけてた琴やらをやり始めたのが
芸者の発祥とも言うし、貴族的な文化を受け継いでるのかも

429:人間七七四年
07/04/03 17:55:25 Slb0IYVW
卑称かそうじゃないかはどうでもいいが、一体いつ頃から淀君って呼ばれるようになったんだろう。
少なくとも同時代の史料では淀君どころか位の高い武家女性を「~君」と呼んだ例もないようだし
後世の俗称であろうことは想像に難くないが、具体的な典拠がよく分からん。

430:人間七七四年
07/04/04 01:20:52 TJbWz5/0
>>428
>「君」ってつけるのは別に卑称じゃないんじゃない?

「小谷の方」を「小谷君」と、「松の丸殿」を「松の丸君」と呼ばないことに疑問を抱いてほしい。

431:人間七七四年
07/04/08 09:05:33 or6XOV2s
「茶々君」か「淀殿」であって、「淀(城)の女主人」に「淀殿」はNGだということでは?

432:人間七七四年
07/04/08 09:06:34 or6XOV2s
>>431
スマン間違えた。

「茶々君」か「淀殿」であって、「淀(城)の女主人」に「淀君」はNGだということでは?

433:牟田 ◆MAEDAxMYTY
07/04/22 09:46:56 VFZaMDPA
スケトウダラなどの白身魚のすり身を主原料とし加熱により木の板(臭みのないモミ、シラベなどの木が好まれる)の上にゲル化させて製造した魚肉練り製品が好きだったらしいね。

434:人間七七四年
07/05/03 18:08:51 XVNehw33
たしかに秀頼は秀吉の子供ではないと思う。
秀吉には沢山の側室がいたが南殿と淀殿を除いては誰も秀吉の子供を生んでいない。

宣教師たちも秀吉には子種はないと疑っていたし、
何よりの証拠は秀吉死後の側室たち。
他家にとついで子供を生んでいるのが何人もいる。
お種さん(伊達正宗側室)や前田利家の娘摩阿姫など。


435:人間七七四年
07/05/03 22:25:42 0B4iNi2Y
タイミング受精とか、情報が知れ渡ってる現代でさえ結婚10年目に子供がでけた、て事もあるし…分からんわい

436:人間七七四年
07/05/04 00:33:36 d6+7qEmY
筑前による婦女暴行の結果できた人物なのか、
大野との恋愛の結果できた人物なのか

437:人間七七四年
07/05/14 15:47:31 vL7o1LCh
後世の人間に「あいつは子種が無かった」といわれるのって悲惨だなw
偉人でもそういう説が出てくると評価が下がる気がする

438:人間七七四年
07/05/16 19:14:27 Mi60HufR
父親候補は秀吉と大野ぐらいしか思いつかない…

439:人間七七四年
07/05/16 19:41:47 T8kGRvYg
とりあえず三成や家康の線は実証的にもほぼ完全に否定されてるな

440:人間七七四年
07/05/16 20:26:07 BXyBtQt+
家康実父説ってどんな根拠から発生したんだろう?

441:人間七七四年
07/05/16 22:10:15 VT7AVtxA
>>433
ユーモアのセンスがあまり…

442:人間七七四年
07/05/16 22:15:40 O43VrOl0
URLリンク(www.thecount3.com)

443:人間七七四年
07/05/16 23:20:50 Q50XxDsU
>>439
三成はともかく家康だったらそもそも関ヶ原も大坂の陣も起きないだろ

444:人間七七四年
07/05/17 04:15:51 nsIeSZIN
家康は実の子でも容赦ないけど、まあ秀吉の子だろうな。
南殿の間にも子がいるしそこまで否定したら
もう何でも自分の都合のいいように解釈できないか?

445:人間七七四年
07/05/17 14:47:08 AqfY6bbH
DNA鑑定でも数百年前の遺体ではきちんと信頼できる結果は出ないらしい
だからこの件に関しては永遠の謎だな

446:人間七七四年
07/05/17 23:28:07 f/reZSbR
血液型から分からないかね?
一応血液型は分かるらしいぞ(遺物から調べて分かるらしい)

明らかに生まれない血液型ならそれでも1つの証拠になりそうな気がするが。

447:人間七七四年
07/05/17 23:35:01 8IgnChdQ
>>443
自分の子供だと気づいていなかったら同じかと

448:人間七七四年
07/05/20 14:38:46 oGlyQC6G
いつかタイムマシンで(ry

449:人間七七四年
07/05/20 19:07:44 kynSVUG3
>>440
言われているほど仲が悪くなかったとかその程度

450:人間七七四年
07/05/31 00:59:50 LMQQeBQl
>>440
それが事実ならば家康が大阪を攻めても秀頼には手心を加えるかもしれない
もしくは大阪城を出ても悪いようにはしないかもしれない。

・・・・と大阪方に思わせるための流言が発端じゃね。

451:人間七七四年
07/05/31 01:53:16 PXHE8IEV
母親同様に知名度は異常なまでに高いけど
この人物に特筆すべき事績なんてあるの?

452:人間七七四年
07/05/31 02:44:01 IApVLAWt
家康に殺されたというのが彼の最大の事績だと思われ

453:人間七七四年
07/06/05 02:22:26 QT4BRB3i
秀吉は本当にちゃんと子作りしていたのか?
側室といっても、
実際は臣下筋から預かった人質で、ヤッてなかったとか…

454:人間七七四年
07/06/05 03:30:43 kAdMbngz
っていうか秀吉ってなんかおかしくね?
指は6本あるし、顔はサルだし、子はいなさすぎるし、
遺伝子がおかしかったのかも知れぬ


455:人間七七四年
07/06/05 06:25:59 1mRY8ABL
猿と言うよりネズミに似てたって言うが


456:人間七七四年
07/06/05 07:52:49 qLzPdHP2
つーか中田氏してなかったんじゃねえのか?
それかマジに完全なる突然変異、進化か退化かわからんけど

457:人間七七四年
07/06/05 11:53:58 neiaKc9/
偉丈夫 こんな単語はじめてみた
大丈夫とは違うのか?

458:人間七七四年
07/06/05 13:12:46 IQKDAQEy
家康は秀頼を高く評価している

459:人間七七四年
07/06/05 13:14:25 A/WvG2mO
各種の才能はありそうだが、
使ったことは皆無なんだろうなあ。

460:人間七七四年
07/06/05 13:18:49 BIpj1cPG
>>457
ググレ(・ω・)

461:人間七七四年
07/06/05 13:39:22 IQKDAQEy
秀頼はかまぼこを食い過ぎだというのは事実か?

462:人間七七四年
07/06/05 14:14:02 e3Iji6U9
>>458
評価も何も、評価できるような事は何もしていないがな>秀頼
評価に見えるとすればそれは家康の孫娘の婿へのまなざしだろ。
自分の孫の婿を悪く見ようとはしないものだからな、人情として。

463:人間七七四年
07/06/05 14:48:11 CwIWRPeB
>>462
大勢いるウチの一人にすぎないけどね。w


464:人間七七四年
07/06/05 15:04:39 IQKDAQEy
>>462
秀頼は父秀吉には及ばんがなかなかの男 (家康談)
秀頼が初めて牛を見て驚き、世間の笑いものになった
しかし家康は、誰でも初めて見たら驚くだろう、と言って 評価を変えなかったのも面白い

465:人間七七四年
07/06/05 15:12:08 zF6HWXTM
秀吉の姉の日秀だけは子沢山だけど
弟の秀長、妹の朝日(三度結婚したが)に子供が居ないのはおかしい。
日秀と秀吉は弥右衛門の種と言われ、秀長と朝日は竹阿弥の種という説もあるが
もしかしたら日秀だけが種違いの姉で秀吉、秀長、朝日は父方の遺伝子異常で生殖能力に問題があったのかなと思えなくもない。

466:人間七七四年
07/06/05 15:43:49 CwIWRPeB
>>464
三成の柿パスの話もあるし、家康って相手の立場をよく理解する人だったようだね。


467:人間七七四年
07/06/05 15:44:55 CwIWRPeB
>>465
秀長には娘がいたはず

468:人間七七四年
07/06/05 15:52:40 QT4BRB3i
>>465
三好さんが精子たっぷり体質だったんだろう。
秀次は父親に似たんだな

469:ピザ頼
07/06/05 18:33:37 IZzjLtmN
浅井長政
URLリンク(www.shimogo-kyosaikai.org)

豊臣秀頼
URLリンク(sans-culotte.up.seesaa.net)

お市
URLリンク(www.biwa.ne.jp)

470:人間七七四年
07/06/06 01:08:26 B9KjSpTG
秀頼って頼朝から取ったんだろうな。頼朝のことを天下友達とか言ってたからな。
次男がいたら秀朝だったかな。つか本来鶴松が秀頼で秀頼は秀朝だったのかもな。

471:人間七七四年
07/06/06 01:35:26 HhJ0XG9v
>>462
>評価も何も、評価できるような事は何もしていないがな
家康もそう思ってたから侮っていたが、
実際会ってみたらなかなかの傑物で驚いた、という話でないの?
何もしてないが素質だけは色々とあったのかも知れぬ
開花する前に摘み取られてしまっただけで

まあ秀頼が大物だったほうが物語的には盛り上がるな

472:人間七七四年
07/06/06 05:28:02 f71Zm31i
秀頼が大物だったら堀を埋められてないよな。

473:人間七七四年
07/06/06 07:08:56 /gVUpkyg
>>472
最近の研究では、秀頼がわざと堀を埋めるのを黙認したと言う見方が強くなってますね
大坂の陣も家康と秀頼が前もって打ち合わせされていた出来レースというのも最近の研究結果でほぼ決まったようです
淀には全く発言権が無かったようで、陣の最中、家康に用意されたルートで淀を残して脱出したようです
この出来レースを知っていたのは秀頼と幸村の二人だったようで家康が晩年書き残した『家康語録』にも残っています


474:人間七七四年
07/06/06 07:21:45 c/CMghQx
ありゃ家康が上手だっただけだべ
才覚があっても所詮若造だし、戦国の世を生き残った海千山千の家康の前じゃ赤子同然でしょ

475:人間七七四年
07/06/06 12:11:23 gIv8gIly
その赤子を殺すために方広寺の鐘銘なんて子供の言い掛かりみたいな難癖を付ける家康・・・
大坂の陣の時の家康は寿命が近い焦りも有ったんだろうが、
関ヶ原の時に見せたような用意周到さが欠けてるような気がする
のこのこと前線に出てきて真田・毛利に殺されそうになってるし

476:人間七七四年
07/06/06 13:24:15 gtN77NH1
国家安康君臣豊楽

これは家康の名をまっぷたつにして、豊臣を君として楽しむと読めるWW

477:人間七七四年
07/06/06 13:31:14 t83GXptv
>>475
相手のレベルに合わせたんじゃないの?

478:人間七七四年
07/06/06 15:10:49 c/CMghQx
わざわざそんなことしてやる理由がないだろw
実際はどうだったかわからんけど、家康には秀頼>秀忠に思えたんだろうなあ
だから自分の生きてるうちにとかなり無茶なことやってる
年取って弱気になってたのかもしらんが、確かに秀忠は覇気のあるタイプではなさそうだし

479:人間七七四年
07/06/06 16:03:48 jZuPaiHa
どう考えても秀忠は政治家として日本史上何本の指かにに入るほど超優秀。
秀頼ごときが比較してもらえるような存在じゃ無い。

鐘銘事件なんてやさしい『警告』だよ?牢人を既に集め始めていた豊臣家への。「火遊びは大怪我するから止めておけ」って
逆に物事を穏便に収めようとした知恵って言ってもいい。「反省」して「恭順」してくれればそれで事は済んだのだもの。
それをせず滅亡へ突っ走ったのが豊臣家の愚。

480:人間七七四年
07/06/06 18:47:10 gIv8gIly
秀頼との優劣はともかく、家康個人における存命中の秀忠の評価はそんなに高くない
将軍職は譲っても重要な用件は本多親子を通じて駿府の家康に伝えられ、そこで大御所に裁決されてた
更に秀忠は関ヶ原の時の醜態で軍事上の無能を天下に曝け出した後だったからな
家康が秀忠には豊臣家は扱いかねると見て強引な手で豊臣家を除こうとしたというのは有り得ない話じゃない
家康死後に秀忠が大大名改易みたいな辣腕を発揮できたのも家康が死ぬ間際に豊臣家を潰してくれたおかげ

481:人間七七四年
07/06/06 19:14:29 f71Zm31i
>>476
秀頼って酷いヤツだな

482:人間七七四年
07/06/06 22:32:56 HhJ0XG9v
>>479
秀忠が抜きん出た政治感覚持ってたことには同意するけど、
家康的にはそれでもまだ何か物足りなかったんじゃないのかな
筋金入りの戦国武将だし、秀頼のような強い相手にでも
分を弁えず噛みつく見境のなさの方が怖かったのかもしれない
ちょっとした歪みがきっかけで絶対的な優位が呆気なく崩れる瞬間を
何度となく目の当たりにしている御仁なのだし
秀頼に放置できない危険なものを感じたのは間違いないでしょう

鐘銘事件が優しい警告だったとは俺には思えないな
淀や秀頼が大人しく恭順することを期待するような楽天家じゃないでしょう
稚拙で強引だが効果的な、二人の性質を完全に見越した万全の計略だよ、あれは

483:人間七七四年
07/06/06 23:02:54 XYi2UoID
羽柴家に対しては武力攻撃と族滅を断行したわけだが
なぜ他の大名家を改易するに当たってはそうしなかったのか?
大坂の乱には羽柴家潰しの他に「公共事業」という現代的側面があったが
徳川は小早川家・加藤・福島・最上などを滅ぼす際になぜ戦をして
「公共事業」による経済効果を発生させようとしなかったのか?



484:人間七七四年
07/06/06 23:14:49 WoXVf09a
アホかお前は?改易=皆殺しと考えているのか?
豊臣は幕府の命令を全く聞かずに浪人を雇って武装篭城したから処罰しただけだ
その他大名には改易にしても滅ぼしてなどいない
加藤も福島も最上も子孫がちゃんと生き残っている
小早川は当主が死んで血筋が絶えたのでなくなっただけだ

485:人間七七四年
07/06/06 23:22:44 gIv8gIly
大坂の陣は幕府にとっても参陣した諸大名にとっても非常な負担になったわけだが
何十万の兵力動員して豊臣家潰しても得られる領地はたった60万石で割に合わない
戦後も褒賞の少なさに腹を立てた松平忠直がキレちゃったりと色々大変だったんだぞ
「公共事業」だなんてとんでもない

486:人間七七四年
07/06/07 00:10:32 56UWO5WK
最初から潰す気ならあんなにダラダラ引っ張らないと思うが

487:人間七七四年
07/06/07 00:34:49 yikreNsL
徳川○康さん
「最初はぁ潰すつもりはぁ、なかったんだけどぉ。
あいつの息子、見た瞬間にやばいかもこれって思ったんだよねぇ」
以心○伝さん
「だってぇダチの○康がマジやべぇ、あいつに潰されちまう。お前さぁ喧嘩売っとけよ。
なんとかしろって。言われてぇ。ホントマジ勘弁して欲しかったしぃ」

488:人間七七四年
07/06/07 01:18:17 PZvMrcPl
家康がもっと早い時点で秀頼を処分しなかったのは
浅野幸長と加藤清正への遠慮からだと思うよ。
だから二人が死ぬやありとあらゆる難癖を秀頼に付け始めた。

もしあと5年早く大阪の役を始めれば肥後の清正、紀州の幸長が大阪方につき
下手したら尾張の正則まで大阪方につく。そうなれば尾張以西の西国大名の何割かは大阪方へ
また全国の浪人衆は喜び勇んで最寄の大阪方大名へ馳参する。

関ヶ原AGAINの可能性が無かったとは言えない(そうなれば幕府が勝っても秀忠政権の権威はボロボロになる)

489:人間七七四年
07/06/07 01:23:16 2GHwyE72
>>488
> 尾張の正則

広島やがな。

490:人間七七四年
07/06/07 01:51:36 nAGTCMS3
5年早く、5年遅い。

大坂の陣開戦を聞き福島正則がこう言ったらしいな。

491:人間七七四年
07/06/07 04:42:26 PZvMrcPl
どういう観点で見ても正則は裏切り者のヘタレだから何も発言する資格はないな。
清正は早く死んだおかげで正則のように末代までの汚名をかぶらずに済んで、或る意味ラッキーだった。

492:人間七七四年
07/06/07 04:44:56 PZvMrcPl
古田織部みたいに秀頼に殉じて大阪城落城後すぐに腹でも切ってれば良かったのにね。
結局、死に際を間違えて川中島に移封されるなど受け入れ難い恥辱を得てから腹を切ったので世間の笑い者で終わったw

493:人間七七四年
07/06/07 05:14:25 JJBla47o
大坂の陣の時は福島家に仕えてるというだけで笑いものになったそうだが、
後年幕府に因縁付けられて改易された時は割と世間は同情的だったらしい>正則

494:人間七七四年
07/06/07 05:15:42 yikreNsL
古田織部は秀頼の子を匿ったしな。ある意味偉い。
福島は毛利と同様に救援物質とか金品、武将も大阪方に派遣してるし、許してやれよ。
司馬遼太郎も福島正則は立場上出陣できなかったって言ってるし。

495:人間七七四年
07/06/07 06:21:32 uVi7qqdV
>>493
弱い立場になると途端に日本人は同情的になるからな
秀頼が落ち延びた伝説が当時から囁かれてたってのは、
豊臣方に同情的な人間が多かったってことの証だろうし

496:人間七七四年
07/06/08 00:07:53 KX+JW692
>>485
>幕府にとっても参陣した諸大名にとっても非常な負担

それこそが公共事業的側面たるゆえんである。
幕府や全国の大名家が大金を支出することによって
現代でいうところの軍需産業などが活性化する。
羽柴家などは毛利元就のように調略を仕掛けるだけで潰せたが、
あえてあのような大規模軍事作戦を決行したのはそのためだと考えられる。

497:人間七七四年
07/06/08 00:14:45 glj5bfmP
>>484
幕府および徳川家に恨みを抱く者たちを生かしておいたから
江戸幕府は後にあっけなく崩壊したのだ。
毛利や島津を族滅しないでそのまま存続させるなんて
何を考えているのかと言わざるを得ない。
小早川も加藤も福島も最上も、生かしておいても何ら利点がない。
弟たちまでも容赦なく殺し尽くす恐怖政治の権化・源頼朝公ならば
主家はもちろん一族郎党にいたるまで皆殺しにしてしまうだろう。

498:人間七七四年
07/06/08 00:32:36 Ll0OF/Xs
そんなこと言い出したらキリがない

499:人間七七四年
07/06/08 04:14:59 20Bf9xyq
>>496
そんな危険な公共事業をしなくとも「名古屋城築城」
「江戸城の石垣、総堀の賦役」などの公共事業で
家康は外様大名の財産を散財させて景気対策を行なったが
それの方が100倍賢いよね?

その後も「木曽三川の堤防工事」「参勤交代」「大名家の鉢代え」など徳川家は常に外様大名の蓄財を許さず
大名家に散財させて公共事業を行なった。

そのため大名や武士どもは貧窮にあえいだが町民どもはどんどん豊かになっていった。

500:人間七七四年
07/06/08 11:48:09 bQTNFebO
> 大名家に散財させて公共事業を行なった。

最近の研究では幕府の命による「公共事業」に参画する事は、大名家にとっても
軍役に順ずる「お家の名誉」と捉えられていた、とされている。

501:人間七七四年
07/06/08 13:38:55 3gEMjGYH
2chで「最近の研究では」と言われてもフーンという感じ
お家の名誉ってそりゃ幕府に普請命じられて露骨に嫌な顔は出来なんだろw
表向きは「有り難き幸せ」と言いながらも内心では舌打ちってのが本当のところ
散財の為のお役目は避けれらないんだから、それならせめて軽めの普請が良いと
便宜を図ってもらうために幕閣に賄賂というのは日常茶飯事だったらしいがね

502:人間七七四年
07/06/08 17:58:54 20Bf9xyq
木曽川堤防工事では薩摩藩武家がいくつも破産して切腹しまくったからな
今でも彼等の墓が木曽川の方にあったはず。
どうせ従うなら喜んでやらせていただきますと言った方がそりゃ将軍への印象はいいよ。
でも薩摩隼人は誰しも幕府を恨んだし必ずこの恨みはいつの日か晴らすと
肝胆を舐めてたみたいよ。

503:人間七七四年
07/06/08 19:15:16 A44TMxpt
朝鮮で不毛な終わりなき殺し合いをさせられて餓死寸前に追い込まれるよりも
都市や河川の整備をした方が遥かに世のため人のためになるいいことだよ
豊臣にはそういう発想がないからすぐに不満が爆発して内部崩壊を起こす

504:人間七七四年
07/06/08 19:28:23 3gEMjGYH
都市の整備や堤防の建設みたいな公共事業は豊臣政権でも普通にやってたけどね


505:人間七七四年
07/06/08 19:29:10 UF95F/xl
小さい頃から栄養のあるものをたらふく食わされていれば
ガタイはよくなるよ。
秀吉の場合は超貧乏だったから小さい頃、満足に食事が
出来なかったから成長できんかった可能性が高い。

506:人間七七四年
07/06/08 20:00:20 bQTNFebO
> 豊臣政権でも普通にやってたけどね
大阪以外は普通にやってない。普請は軍政の延長線上ばかり。
民生の異常な軽視は豊臣政権の特徴。

507:人間七七四年
07/06/08 20:13:03 3gEMjGYH
そりゃ豊臣政権の政権基盤が畿内だったからな
大坂だけっつうかまあ大坂が中心なのは事実なんだが、
京街道や大和街道の整備や宇治川・淀川の治水なんかにも手を出してかなりの成果を挙げてる
関西における今にまで続く秀吉人気はこれらの公共事業に拠るものも大きい
無益な侵略戦争をした分相対的に民に還元される分は少なかったろうが、やることはちゃんとやってたよ


508:人間七七四年
07/06/08 20:50:47 20Bf9xyq
秀吉の建築道楽のために日本中の名木・大木が切り倒されて今も癒し難い痛手になってるんだよな。
樹齢数千年の屋久杉とか秀吉の命令でバンバン切り倒されたし
世界的に見ても貴重な自然遺産が失われたと思う。

509:人間七七四年
07/06/08 20:53:11 wg+eRV49
>>503
秀吉は、大名たちの知行地を加増して上げたかったんだよ。
徳川みたいに大名たちの力を削ぐために海外出征したわけじゃない。
そこのところを勘違いしていると思うぞ。

510:人間七七四年
07/06/08 21:03:33 MoGaALXg
縄文杉をバンバン切り出して建築用の資材にして
屋久島の自然形態が変化したのは秀吉の頃じゃなくて
江戸時代中期以降のことなんだけどな
有名なウィルソン株にせよ秀吉の時代じゃなくてそれ以降に伐採されたものだという研究者も居るくらい
無知乙

511:人間七七四年
07/06/08 21:03:35 20Bf9xyq
秀吉の素晴らしい点は経済政策があるよね
多くは丹羽長秀から召し上げた長束正家や
堺・近江・京・博多らの茶道つながりの商人どもが献策し
秀吉が果断に実行したものが多い。
特にゴールドラッシュに沸いた豊臣時代に金は死蔵してたら
たんなる金属でしかないという卓越した経済感を持ち
持ってる金は常に商人どもに貸し出しで大きな商売をさせ
畿内の街道整備、神社仏閣の復興、聚楽第、大阪城、伏見城、名護屋城の建設
運河の造成で持ってる金銀をばらまきまくった。
そのため関西地区は史上未曾有の好景気で沸き返った。
しかし逆に太閤検地、五公五民などで百姓は今まで以上に貧しくなり
ろくに公共事業も行なわれない機内以外の地区は所得格差拡大のために
貧民層が増えた。


512:人間七七四年
07/06/08 21:05:33 20Bf9xyq
>>510
無知はおまえだ↓

URLリンク(ja.wikipedia.org)

513:人間七七四年
07/06/08 21:07:41 MoGaALXg
そこでWikipediaっすかw
URLリンク(www.bunpei.jp)
なんかを見てね

514:人間七七四年
07/06/08 21:29:44 YhltPetv
大坂の乱ほどまどろっこしい戦は他にあるまい
一気に大坂城内に突入して城主とその取り巻き連を討ち取りゃよかったんだ
千姫や常高院を犠牲にするのはやむを得ないだろ
北条貞時だって平頼綱一家を根絶やしにした際に
自分の娘を犠牲にしているのだ

515:人間七七四年
07/06/08 21:40:44 u/a69fAi
ウィキでも本格的伐採は1640年よりと書いてあるのはスルーなんだろうか。
随分偏った読み方するなあ

516:人間七七四年
07/06/09 00:27:38 bbC6r46R
「樹齢数千年の屋久杉とか秀吉の命令でバンバン切り倒されたし」の
「樹齢数千年」の部分を当然のように消し去り
拡大解釈して人を罵倒する ID:MoGaALXgも普通に気が狂ってるよ。

517:人間七七四年
07/06/09 01:07:18 RbrZvu19
自然保護なんて観念自体存在しない時代に行われた自然破壊の是非を云々しても意味はあるまい

518:人間七七四年
07/06/09 01:14:25 nw/vEirH
日本史上「自然保護」の概念が無かったのは近代から近現代の一時期だけだ。

519:仙台藩百姓
07/06/09 02:23:31 3hnLZ469
言うに事欠いて自然保護とは呆れたものだお( ^ω^)プピー
おっと、思わず失笑が漏れてしまったお( ^ω^)プピー

520:人間七七四年
07/06/09 08:13:56 qxJsDWcC
>>519
伊達家家臣のスレへぜひお越しください。
スレリンク(sengoku板)l50

521:人間七七四年
07/06/23 23:02:30 72fm0Jnk
治長は淀殿を秀吉の側室になる前から
親しくしていたとは思う。
愛人関係かどうか別として…。

522:人間七七四年
07/06/27 07:57:11 Cj55Vl3G
いったい誰の子だったのかしら?てか秀頼の子が天草四郎説ってどう?

523:人間七七四年
07/06/27 18:23:27 y//7/TZx
秀頼に関するレスって誰が種付けしたのかってのがほとんどだよなw
みんなそんなに興味あるの?
つかわかったところで何になるんだ。

524:人間七七四年
07/06/28 03:05:48 iUZO8gZB
>>523
>つかわかったところで何になるんだ。

それを言ったら歴史スレの存在自体を否定する事になるだろw
推理小説読んだりRPGをするのが何になるんだという愚問と一緒。

525:人間七七四年
07/06/28 03:27:37 RdW5vt7E
山岡荘八みたいに
「秀頼は秀吉の子供じゃなくて淀君が密通して生んだ不義の子、
だから家康がそれを殺して政権を奪っても無問題」
という風に気休めにする人も居る

526:人間七七四年
07/06/28 03:53:29 Rhm5w9XB
石田三成のお子であったとか・・

527:宇喜多直家信者
07/06/28 04:30:42 BMI26Zi5
>>526 それはない

528:人間七七四年
07/06/28 06:07:15 LNndRBX5
秀頼の生年月日から仕込んだ時期を計算すると、
秀吉が淀殿のそばにいなかった時期になる…
という説を聞いたことがある

529:人間七七四年
07/06/28 06:46:47 RdW5vt7E
秀頼の誕生日からの逆算で石田三成父親説が完全に消えたんだよ
(その頃三成は朝鮮出兵で渡海中)
秀吉は肥前名護屋に淀を呼び寄せてるし、自身もたびたび大坂に帰阪してる
秀吉が淀にタネを仕込むことは十分に可能

530:人間七七四年
07/06/28 08:06:29 zYJmWomq
当時から秀頼が秀吉のタネじゃない説はあったらしいが、
家康がそのこと持ち出して陥れようとかしなかったところを見ると、
本気でそんな流説信じてる人間は少なかったんじゃないかなーとか思う

531:人間七七四年
07/06/28 09:41:21 2QJkT8Nv
家康は豊臣家が徳川家に服従するのを
10年以上待ち続けたんだよ。
自分も老いてきて豊臣家が服従する姿勢を見せないから
豊臣家を滅ぼすに至った。
多分喜び勇んで起こした戦でもなかったと思う…。

ちなみに大野治長に徳川家の家臣になった治純がいるけど
残念ながら彼のことがよく知られていないんだよね…。

532:人間七七四年
07/06/28 09:58:41 ZU4zDzDO
治長自信徳川の旗本の身分ももってなかったっけ?

533:人間七七四年
07/06/30 15:29:12 efhtlPIC
どんな言い訳をしても家康擁護は難しいな。
事実関係としては主君から涙を流して託された遺孤を惨殺した事実は変わらないしね。

534:人間七七四年
07/06/30 15:36:46 tVXJmA+e
>>533
しかし秀吉も最後はかっこわるいよな。劉備が孔明に託したみたいに、
「秀頼を頼みまする。しかしこの子が天下人の器でないようならこの子に
変わって天下を治めてくだされ」とか言ってたら家康は天下を奪えなかったんじゃ
ないかと妄想してみる。

535:人間七七四年
07/06/30 15:51:04 rNApb5RF
>しかしこの子が天下人の器でないようならこの子に変わって天下を治めてくだされ
林羅山の豊臣秀吉譜ではそのように遺言したことになっておりまするw
いくら幕府の御用学者とはこんな根も葉もない捏造をして学者としての良心が咎めなかったんだろうか

536:人間七七四年
07/06/30 20:01:44 efhtlPIC
あははは

秀吉「秀頼を頼みまする。しかしこの子が天下人の器でないようならこの子に
変わって天下を治めてくだされ」


秀吉の死後


秀吉に「この子が天下人の器でないようならこの子に変わって天下を治めてくだされ」と
言われたから俺が天下人!アイアムボス。俺の権力天下一いいいいぃぃぃぃぃぃ!」

と完全正当化しちゃったわけかw


537:人間七七四年
07/06/30 21:38:09 efhtlPIC
最悪でも秀頼の息子を御家人・旗本として取り立てて数百石を与え家を継がせるだけでも
後世の史家からの評価が全然違ったものになったのにね。
実際、残酷な易姓革命のイメージが強い中国でもそういう例が多い。
最も過酷な時代の一つだった三国時代でも漢の献帝や蜀の劉禅も食い扶持を与えられ
天寿を全うしてるものなあ。

538:人間七七四年
07/06/30 22:04:23 9VfLEyJg
>>535
>いくら幕府の御用学者とはこんな根も葉もない捏造をして学者としての良心が咎めなかったんだろうか
どうゆう意味?これが事実なら家康にとってマイナスイメージだからわざわざ捏造するとは思えない。
とゆうことは本当に秀吉はこう遺言したのか?それなら逆に家康尊敬するわw

539:人間七七四年
07/06/30 22:39:54 K6Y1h63a
>>537
淀殿が無駄な抵抗しなけりゃそうなってたかもナ。

540:人間七七四年
07/06/30 23:46:49 Wmwky73G
>>533
天下人の哀願はいかなる状況においても降伏しか意味しない
秀吉が泣きながら頼み込んだ時点で家康からすれば
「こいつは俺に降伏した」と軽蔑の対象にしかならない
降伏した分際で妻子がでかい態度を取り続ければ家康だって激怒するのは当たり前だろう

541:人間七七四年
07/06/30 23:59:38 9VfLEyJg
>>539
「君臣豊楽 国家安康」に言い掛かりをつけて戦を始めるあたりどう見ても
徳川側から滅ぼしにかかってます。淀が悪女で馬鹿というのこそ江戸時代の
捏造ではないのか?そうでもしなけりゃ徳川に正当性がなくなるからな。

542:人間七七四年
07/07/01 00:03:19 UuEeieCY
>>538
何でこの捏造話が家康にとってマイナスイメージなんだ?
家康の豊臣家からの簒奪&主君秀頼を弑逆したことを、
古代中国の易姓革命に無理やり当てはめて擁護する話なんだが
如何にも頭でっかちの腐儒が考えそうな逸話でしょ

543:人間七七四年
07/07/01 00:28:35 KuuXogZG
>>542
>この子が天下人の器でないようならこの子に変わって天下を治めてくだされ
と頼まれたら普通は実行できなくない?本当にやっちゃったら家康はひどいやつだってことに
なるのが一般的な感覚では?だからそんな遺言が本当にあったとしても幕府側の
人間なら隠すだろうと思うのだが。

544:人間七七四年
07/07/01 00:36:30 UuEeieCY
実際に家康は酷い奴だからなw
羅山の創作では秀頼が天下人の器でないならば、という条件付でも
秀吉は家康への政権交代を承認してることになる
秀吉に秀頼の補佐を頼まれ、それを承知しながらも死後に露骨に遺訓を反故にして、
最終的には秀頼殺した史実よりは断然マシだと思うぞ
幕府が隠そうとしたのはむしろ秀吉の遺言の方だろう


545:人間七七四年
07/07/01 00:43:16 oXalIFw4
遺言とかwwwボケ爺の妄言だろ。
家康が守る必要などどこにも無い、だいたい秀吉自身が主君の織田家から
簒奪したようなものなんだから文句言う資格もない。そもそも戦国なんだから
やられるほうが悪い。


546:人間七七四年
07/07/01 00:53:00 UuEeieCY
おいおい、話の流れを読んでからレスしろよ
家康本人は豊臣家からの簒奪なんて大して気にしなかったろうが、
その後幕府の政権を運営していく人々にとって
家康の露骨な簒奪は如何にも都合が悪かったんだよ
幕府が儒教的論理で大名・旗本たちに主君への盲従を配下に強いながら、
その創始者が倫理糞喰らえだったら示しが付かない
だから古代中国の聖王の逸話をコピペして道徳的な非難を避けようとしたわけだ

547:人間七七四年
07/07/01 00:59:34 EOnugmn7
>そもそも戦国なんだからやられるほうが悪い。
でも実際見てみると、ガチで理屈抜きの下克上した奴って少ないんだよな
みんななんだかんだで小細工弄して自分の正当性主張してる
戦国だから下克上は当たり前、やられるほうが悪い、
なんてのは如何にも後世の人間の思い込みだと思う
やっぱり下克上なんて当人にとっても世間にとっても恥ずべき行いだったんだろ

548:人間七七四年
07/07/01 01:58:00 Au3Tgw8P
主殺しの明智光秀なんか当時でも圧倒的多数の人に全否定されてるものな。
冷静に見れば光秀の大義名分なんかいくらでもあるし
そんなに悪逆非道な人だと思えないが「全否定」だもんな。
当時も下克上が全面的に肯定されてたなんて全然思えない。

549:人間七七四年
07/07/01 06:31:29 F7vIArFx
下克上にまっとうな理屈がある例なんてある?

秀吉の奪い方は見事だとは思ったが、理屈に叶ってるとはやはり思わない、
結局、信孝も秀頼も同じく天下を取る器じゃなかった、嫌なら分相応の所に収まれとしか思えない。

むしろ関ヶ原から16年も生かしておいたことにこそ問題を感じる、家康の温情なのか不手際なのかは知らんけど、

光秀が否定されたのは、味方するに値しないその後の不手際の一点に尽きる。

550:人間七七四年
07/07/01 06:56:40 EOnugmn7
ないよ
だからあれこれ言い訳して自分の正当性主張する必要があったんでしょ
家康だって関が原のときは「秀頼のため」という大義名分掲げてたんだから

551:人間七七四年
07/07/01 10:03:22 Au3Tgw8P
>>549

>むしろ関ヶ原から16年も生かしておいたことにこそ問題を感じる

単に浅野幸長、加藤清正の死没を待ってただけでしょw
彼らが生きてれば20~30%の確率であるかもしれないが
大阪方につく、そうすると福島正則や池田輝政なんてやつらも大阪方につき
再度、西日本の大名や徳川の治世に不満な大名が大阪方についで
「関ヶ原リターンズ」になる。
もう寿命も近いし家康はその事態だけは絶対に避けたかったというのは
非常によく理解できる。


552:人間七七四年
07/07/01 10:03:48 S2dI0UyO
承久の乱の鎌倉幕府や後醍醐に反旗を翻した時の足利なども
あくまで「君側の奸臣を取り除く」を大義名分として戦っている
だからって奸臣を取り除かれた君がそのまま君臨することなどありえない
「君側の奸臣を取り除く」は「自分が天下を取る」と同義の言葉だ
ただ直接言うと生々しいから言葉を変えているだけで当時の常識といっていい
だから家康が関ヶ原で「君側の奸臣を取り除く」と言った時には
一部の教養のないバカを除けば「俺が天下を取るけどいいな?」と言われたと理解している
それで多くの大名の支持を得て勝利したのだから正当性は問題ない
むしろ豊臣の悪あがきは日本史上でも稀有な部類に入るといっていい
こんなのに絡まれた家康のほうが可哀想だ

553:人間七七四年
07/07/01 11:44:04 Au3Tgw8P
>>522
絡みついたのは家康の方だろw
鐘銘問題とかストーカーの極致だわなw
伏見城呼び出しやら淀や秀頼の出仕を執念深く
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも粘着質性格全開で
絡みついてる家康のザマは尋常じゃねえ!

554:人間七七四年
07/07/01 12:05:16 0xovtYaE
秀吉の子供が淀殿の産んだ子供二人だけ、と思い込んでいるのは間違いだぞ。
当時の5才までの子供の死亡率は50%以上。
3歳までなら70%ともいわれていた。
現にお捨が3才頃で亡くなっている。
ねねも他の側室も妊娠、出産まではできても、流産、死産で
無事育ったのが秀頼ただ一人、と考えた方が自然だ。
だから淀殿が妊娠したことに秀吉自身も疑問をもたず、
全面的自分の胤だと信じ盲目的に愛情を注いだ、と納得できる。
でも極端に秀吉に子胤が少なかったとか、遺伝的に弱い精子だったという
ことは充分考えられる。
淀殿は安産・子沢山のお市の血を引く鉄の子宮を持った女だったんだな。
妹の於江与もその血を濃く受け継いでいるし。

555:人間七七四年
07/07/01 12:36:39 61xPEezZ
しかし実際に幼くして亡くなった鶴松が記録に残ってる以上、
秀吉に記録に残っていない子供が居たというのは無理が有るんじゃないの
特に天下人となってからは尚更だろう
可能性が有るとすれば長浜時代とかその辺じゃね
南殿に秀勝を生ませたと言われてるのもこの頃だし

556:人間七七四年
07/07/01 13:34:09 0xovtYaE
秀勝のものといわれている位牌が残っているんだけど
戒名からそんな幼少期に亡くなった人物のものではないそうだ。

当時は殿様の子どもであっても、死産や生後まもなく亡くなったら
墓もつくらず、位牌もないほうが当たり前だったから
天下人になってからもそういうケースならいちいち記録に
残さなかったと考えられるよ。そんな必用もないし。

いろいろ取りざたされてるけど、秀吉があれだけ溺愛したというのは
自分の子供と確証がもてるだけの環境で淀殿が妊娠し、妊娠しても
然るべきという思いがあったからだと思う。

女好きといわれた秀吉だけど、正式な側室は記録に残っているだけで
15~16人。実は戦国大名にしてはさほど多いほうではない。
そのうち加賀殿みたいに大阪城内におかずに囲っていたのも
いたし、ほとんど夜伽をさせずに人質感覚で側においただけの側室も
いたかもしれない。

精力も衰えたであろう晩年の秀吉がそういう方面で寵愛をしたのは、
淀殿と京極殿がメインだったのかもよ。この二人は陣中まで呼んでるしな。

557:人間七七四年
07/07/01 13:51:16 GYi9YXXq
>>541
>「君臣豊楽 国家安康」
そりゃ交渉決裂した後の最終局面ジャン手遅れ。

558:人間七七四年
07/07/01 13:56:00 GYi9YXXq
>>553
相手は反抗する気マンマンなんだから
臣従させるか滅ぼすかどちらかしかないだろ。

559:人間七七四年
07/07/01 14:53:54 srFLASXA
>>552
正当性に問題があったから言葉遊びで糊塗する必要があったんでしょうに
誰もが真意に気づいても、それは気づかないフリをしているという暗黙の了解が前提
当時の家康には後年と違って豊臣を旗頭にしなければ諸将をまとめることなんてできなかったんだよ
だからその後十数年に渡って豊臣の存続を黙認するしかなかった
大阪の陣でも正当性なんてねじふせられるだけの力を持つに至っていたからみんな従っただけ
そこが家康のヒドさであり、すごさでもある

560:人間七七四年
07/07/01 14:56:09 Au3Tgw8P
家康厨って仮定の話や妄想に基づいた話が多いよな。

561:人間七七四年
07/07/01 15:02:04 61xPEezZ
スレが荒れるから相手が厨だと思ってもあんまり挑発しなさんな

562:人間七七四年
07/07/02 20:25:57 m/TyUIGU
結局、秀頼のパパは大野でおk?

563:人間七七四年
07/07/02 21:05:16 +8cN2TqL
秀吉に決まってるだろ?
そんな怪しげな胤の子ならとっとと抹殺されてただろうに。

564:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/07/02 21:05:50 Pfg6pPka
秀頼の誕生日は文禄2年(1593)8月29日。
十月十日前を推定すると、文禄元年(1592)10月20~30日。

石田三成…文禄の役で朝鮮に渡海、このころ辛州山城の激戦で負傷。
大野治長…肥前名護屋城まで従軍、ちなみにこの時淀殿も肥前名古屋城にいる。

個人的には、秀頼は大野治長の子ではないと思っているが、治長がこの頃
淀殿と行動を共にしてるのが気になる。
あと、この年治長は所領1万国を領したと言う。
しかし言っておくが、俺は信じてないぞ。秀頼は秀吉の実子と思っている。 

565:人間七七四年
07/07/02 21:20:18 qrF5+hH4
当時から秀頼の種を疑う巷説は流布してたわけで、
にも関わらず猜疑心の強い秀吉が大野治長や淀殿を追求しなかったのは、
よっぽど秀頼が自分の子だということに自信があったんだろうな

俺も秀頼は秀吉の子だと信じているが、秀吉の自信が何に根ざしていたのかは気になる

566:人間七七四年
07/07/03 08:38:59 U656fk6c
淀殿周辺に秀吉かもしくは北政所の配下の侍女がいたからじゃないか?
大奥みたいに厳格に体系化されていなかったから、不義密通とか
何が何でも子種を!と無茶なことしでかさないように監視役として。
淀殿は淀城にいたし、北政所の管理下にもいなかったから当然そのぐらい
したんじゃないかな。

567:人間七七四年
07/07/03 09:09:03 U656fk6c
>>564 妊娠期間は10月10日というけど、一ヶ月は28日単位で計算するんだ。
つまり40週にあたる丸9ヶ月で、正常分娩の時期を迎える計算になる。

その計算だとその二人はどこにいたんだろう?

568:人間七七四年
07/07/03 11:26:44 SdR+72jL
秀吉が亡くなってからの淀殿と治長が
愛人関係と言われても否定できない気がする…。

569:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/07/03 20:30:28 MowoNZgM
>>567 それでも変わらんぞ。


570:人間七七四年
07/07/04 01:46:08 AE8MCcoW
じゃあ、秀頼のパパは家康なのか?

571:人間七七四年
07/07/04 01:51:18 bjZI2/V5
家康は秀頼のおじいちゃんだなも。

572:人間七七四年
07/07/04 01:57:15 HOW56scA
万が一秀頼が家康の息子だったら、秀頼と千姫の結婚は叔父と姪の結婚になるな
古代貴族みたいでキモイw

573:人間七七四年
07/07/04 02:40:28 AE8MCcoW
>>572
天皇陛下を侮辱するなお

574:人間七七四年
07/07/04 12:19:14 yrRx/MaB
伊達成実の両親は叔父と姪だよ
この辺の時代でも別に問題視されてないんじゃない?

575:人間七七四年
07/07/04 12:33:18 2pyNQyrG
一代限りの近親婚なんて心配するほどの障害児は生まれてこないよ。
何代にも続く近親婚で初めて弊害がでてくるもんだ。

576:人間七七四年
07/07/04 12:51:34 HOW56scA
長宗我部盛親が兄である信親の娘を娶って家督を継ぐよう元親が決めた時、
家臣の比江山親興&吉良親実らが「同姓を娶るは畜生道と言われております、何卒御再考を」と諫言したと伝わってるから、
当時でも叔父・姪の近親婚を倫理的に問題視する意見は普通に有ったと思われる
あと秀頼&千姫は茶々、小督を通じての従兄弟同士でもあるからな
血のつながりの濃さは普通じゃない

577:人間七七四年
07/07/04 16:04:19 2pyNQyrG
そういえば将軍吉宗が先代の養女を後室に迎えようとしたら、
「血はつながらなくても形式上は兄妹になるので」
と大奥から猛反対をされ、やむなくその姫は島津藩に輿入れさせたという
エピなかった?実際の血の濃さよりも、形式にこだわったのかもしれない。

578:人間七七四年
07/07/04 16:13:25 AE8MCcoW
五代将軍の徳川綱吉が激しく儒教、朱子学の教えを国民に強いて
士農工商くまなく儒教的な道徳観念を持たされた結果じゃないの?
吉宗は終生綱吉に感謝して尊敬はしてたみたいだけど
朱子学自体は屁のように思ってたと思う。

579:人間七七四年
07/07/04 19:28:14 loWBCrcV
秀吉お気に入りの侍女が実家に帰って結婚してしまい、
激怒した秀吉が侍女とその家族を殺してしまったことがあったらしい。

そんなに嫉妬深い性格だったら、
茶々と治長が噂になることすら許されなかったと思う。

580:人間七七四年
07/07/05 01:37:46 XKt3mD+5
嫉妬っていうより自分の威厳が傷付けられたと思ったんじゃないの?
自分の侍女が自分の裁可も受けないで勝手に自分すら知らないよその男の奥さんになってたわけだから。
むしろ先に結婚したい旨、申し送っておけば笑って許してたかもしれない。
ちなみに大名が自分の侍女を家臣に与え事自体は少しも珍しくないしね。


581:人間七七四年
07/07/05 01:43:08 g+Xo95VB
家臣への愛妾の下げ渡し自体は結構やってたみたいだしね、秀吉
まあ実際どれだけの女と実際に関係結んでたかはわからないけど

582:人間七七四年
07/07/05 02:23:01 XKt3mD+5
当時の奥の監視体制がどれほど厳しかったか知りたいよね。
江戸時代の大奥は結構、間男が入り込んでたと聞いた
特に歌舞伎役者とか美男の誉れの高いのは出入り業者を装って通わせていたとか
堕胎専門医の中条流が大流行し、その丸薬が飛ぶように売れた事も記録されている。


583:人間七七四年
07/07/05 09:29:52 qG+A49kb
男日照りの女中衆ならまだしも、現役で殿様のお相手をする側室たちには
監視の目が厳しかったんじゃない?
それにその手のプロの男たちと情事をすることはあっても
家臣の男を引っ張りこむことはしないんじゃ?

余談だけど相撲取りもかなりもてたみたいだね。
歌舞伎役者同様、男芸者といわれて、
そっちの営業も大事な仕事だったみたい。

584:人間七七四年
07/07/05 11:26:03 VckjC+zV
とりあえず江戸時代の大奥に比べれば全然警戒は緩かったと思われる

585:人間七七四年
07/07/05 11:42:24 XKt3mD+5
秀吉が小田原攻めに行った時に大阪城内の風紀が乱れてネネ自ら侍女たちに仕置きをした事もあったと聞いた
漫画の「へうげもの」でも(創作だとは思うが)そういう描写がある。
淀は淀城に居て浅井時代からの侍従で周りを固めてたなら完全監視は難しいと思う。

586:人間七七四年
07/07/05 12:59:05 rEAAxQ/U
近臣者ならわからないよね
淀が生まれたときから自刃するまで側に仕えた
大蔵卿局。
彼女の息子とかなら平気で淀と謁見できそうだし
誰にも疑われない
当時は、のいの江戸城大奥のような
厳密な男子禁制は引かれてなかったのだし。
逆に、厳密な男子禁制に守られていた江戸時代の将軍は、
子無しが多いしなw

587:人間七七四年
07/07/05 13:22:34 g+Xo95VB
密通可能かどうかよりも、むしろ淀が密通したという噂があれだけ流れてて、
それに対して秀吉や他の連中が何のリアクション起こしてないってのが謎
少なくとも大野治長自身は真偽はともかく噂が流れた時点でタダじゃすまないと思うんだが


588:人間七七四年
07/07/05 13:28:15 VckjC+zV
当時の噂は「あれだけ好色な殿下のお子様を淀殿だけ連続して産むのはおかしい、何か有るんじゃないか」
という程度のもので、大野個人の名前は挙がってなかったんじゃないの
つうか大野治長は最後大坂の陣で豊臣家に殉じたから特に記録に残り、
遡って秀頼の父親だったんじゃないかと疑われてるだけで、
関ヶ原以前は大蔵卿局のコネで何とか大名になったというだけの小者に過ぎない
実際に秀頼が密通によって生まれた子であったとしても他の別人の子供であった可能性もある

589:人間七七四年
07/07/05 13:32:44 g+Xo95VB
あーそっか
だったらただのやっかみでスルーできる程度のレベルだな

家康や他の大名たちも秀頼が秀吉の子だって疑ってなかったんだろうか
真実がどうかよりもそっちの方が重要な希ガス

590:人間七七四年
07/07/05 13:34:33 qG+A49kb
秀吉死後なら大野を可愛がっていたかもねw
でも秀吉生前は無理じゃないかな。
そんなことが簡単にできるなら京極殿だって黙っちゃいないんじゃ?
どうにか馬の骨男の胤をしこんで秀吉の寵を争ったかもしれない。
ほとんど関心をもたれていなかった側室達も豊臣の嫡男になれるならと
必死で胤をしこんだかもしれない。
逆に淀殿しか秀吉の子供を産んでないから、当時の奥制度もある程度
秩序が保たれていたんじゃないかと思えるんだけど。

591:人間七七四年
07/07/05 14:14:01 Ct4p1fAh
鶴松の死が1591年9月22日、秀頼の出生が1593年8月29日だから
確かに他の側室がそれを実行する時間はあるんだよな。

鶴松の時点で疑われていたとしたら逆に「疑いがあってもあの扱い」
を間近で見ることになったわけだし。

592:人間七七四年
07/07/05 14:30:29 g+Xo95VB
「淀しか子供生んでない」不自然さが
逆説的に秀頼が秀吉の子供であることの証明になりうるということか

593:人間七七四年
07/07/05 15:32:31 hKCjxj1x
じゃあ、子沢山の大名の子供達のほうが逆に怪しいかもしれないな

594:人間七七四年
07/07/05 15:51:59 g+Xo95VB
実際、秀康は家康から自分の子供じゃないのでは、と疑われてたと言うしな
まあ秀康の母親は淀とかとは全然立場が違うから一概には言えないが

595:人間七七四年
07/07/05 16:15:14 XKt3mD+5
吉宗のパパは紀州藩主だったとされてるけど
ママンが他の男と作った子供である可能性は否定できないよね。
百姓が農閑期のアルバイトとして城内で奉公してただけだし。

596:人間七七四年
07/07/06 11:35:04 jkXurG3i
秀吉にしてみたら中途半端に実家に権力のある側室なら
淀殿や京極殿みたいに実家が事実上なくなってなんの後ろ盾もない姫に
子供を産んでもらったほうがありがたかったかもな。
三の丸や加賀殿に子供が生まれて嫡男になれば、どうしたって生母の
実家が重用されしゃしゃりでてくるし、織田や前田が台頭すると
血縁者の少ない豊臣家の命取りになりかねない。
そういう意味でも秀吉が淀殿や京極殿を寵愛したのかもしれないと思ったし、

597:人間七七四年
07/07/06 15:12:20 uSNRWrpa
でも本当は秀吉は寧々が子供を産んでくれれば一番嬉しかったろうと思うよ。
なんだかんだ言ってもとても正妻を大事にしてるし気も使ってるじゃない。
彼女の実家の浅野家に対しても重用してるしね。
なかなか老人になってから糟糠の妻に手紙を頻繁に出して御機嫌取りなんてできるもんじゃないって
彼の好きな能やら田楽踊りなんかも綺麗な側室じゃなくて寧々としばしば仲良さげに
あーだこーだ言いながら観賞してたし、政治向きな発言も多いに許し
留守中の城の仕置きは寧々と秀長に任せっきりにしてたようだしね。

598:人間七七四年
07/07/06 17:17:09 jkXurG3i
>>598 もちろんそう思う。
正室の出自が問題なのではなく、嫡子か庶子かが問題なわけで
ねねに子供がいたらどんなに淀殿の出自がよくても庶子扱いしか受けなかったはず。
現に秀頼誕生当初は秀次がいたので庶子扱いされ、ねねの元には置かれず
淀殿の元に置く事を許しているし。
淀殿への厚遇は手柄をたてた家臣への褒美みたいなもんじゃないかな。
ねねには「ねねが一番。淀はお拾いの母だから2番」みたいな手紙を書いていて
子なしで若くもない妻が一番だよ、と書いているからお世辞かもしれないけど
長年連れ添ってくれた妻への本音じゃないかな。

だからねねが淀殿への嫉妬から秀頼を疎んじていたなんていう
後年の検証は納得がいかない。
豊臣の後継者である秀頼を可愛がったと思うし、期待していたはず。
淀殿のことだって内心面白くないにしても、秀吉同様に豊臣家にとって
手柄をたてた淀殿を認めざるを得ないと思う。秀吉のフォローが
あれだけあるんだから、正室としての誇りも保たれていただろうし。
秀頼の側近である新派と、旧秀吉派(ねね派)の家臣団の政権闘争や思惑が絡んで
あんな結果になったんじゃないかと思うんだ。

599:人間七七四年
07/07/06 17:29:26 uSNRWrpa
ねねが幸長、清正、正則、秀秋らに「家康殿に味方せよ」と言ったのは
後世の創作だという説もあるね。
普通に無関心もしくは秀頼の味方だったとか。


600:人間七七四年
07/07/06 17:39:07 pks2ZdPb
>>598
実際世話焼いてたし、淀殿もねねのこと結構頼ってたしね。
家康との二条城での会見のときとか。
淀殿とは険悪な仲ではなかったし、
秀頼のこともそれなりに可愛がってたと思う。
疎んじていたとは思えない。

601:人間七七四年
07/07/06 17:53:57 uSNRWrpa
家康としては関ヶ原の論功行賞で、ねねに食邑を与えとけば
豊臣家正室からの許可もあって豊臣家功臣を粛清したと言い訳できると思ったんじゃないかな。
いわば天皇家の御料地を与えるのと同じ感覚だと思う。

602:人間七七四年
07/07/06 22:38:38 60YSUb6A
秀吉死後なら淀殿と大野が愛し合っても不思議ではないw。


603:人間七七四年
07/07/06 23:56:28 L5GhfMz+
>>600
そもそも側室は所詮借り腹で、子供はあくまでも正室の子として扱われたからね
ねねも秀頼と一緒に過ごした時期があったはず
秀吉が死んであっさり表舞台から退いちゃったから淀殿が前面に出てきたわけだけど
家臣たちの間では秀頼の母親はあくまでねねという意識があったのかもしれない

604:人間七七四年
07/07/07 09:52:06 5r4Nd+IS
秀頼のことを思って大阪城をでて、家康に身近で秀頼のサポートをまかせる
作戦にでたのかもしれない。あくまで家康に臣従の立場をとらせているように
思う。それと秀頼側近に対する威嚇という意味もあったかも。
家康殿がいるからには、好きにはさせませんぞ、という。
淀殿が君臨し、政治に介入していたということを示す史料もない。
秀頼の御袋様ということで敬われていただけのようだ。

605:人間七七四年
07/07/07 12:11:38 fnx9fFe1
ねねは旦那が生きてる間は家政を中心として
政治向きの仕事も忌避せずそつなくこなしてたが
秀次の死、朝鮮征伐、夫の死を通して虚無感というか
もう政治向きな事には関わりたくないと単に思っただけだったかも
ねねの実家が北条家のような実力者だったら本人の意思と関係なく
北条政子のようになってたのかもしれないが
ねねにとっては子供も居ないし親戚筋や実家に天下を獲らしたい人も居ないし
秀頼にはちゃんと淀殿もついてるし、自分が居ても単なる邪魔者だと思ったんじゃないかな。


606:人間七七四年
07/07/07 12:58:09 fnx9fFe1
秀吉が秀次を信頼し切れず殺害した所までは仕方ないけど
秀頼の補佐人に自分と年齢のたいしてかわらない利家を選んだのは失敗だったな。
利家の命数まで知ってたら当然、秀吉は別の人を補佐人にしたのは間違いない。
最も信頼して可愛がってた秀家あたりに一時的に関白就任を許して秀頼を
秀家の後釜にすえるよう頼むとか出来なかったんだろうか


607:人間七七四年
07/07/07 13:10:30 5r4Nd+IS
秀頼が幼少だから豊臣の政権を牛耳るには先代の正室のねねがいなければ
かなりやりやすかったという側面はあると思う。
後家の発言権は意外と強い時代だったからね。
ねねを慕う有力家臣がいたのも事実だし、豊臣ではねねの親族が
取り立てられていたし、新秀頼派と旧秀吉派の豊臣の家臣間同士の争いが、
結果的にねねを排除しようとする方向にいったとは考えられるかな。

ただどっちの派も秀頼への臣従の意は変わらないわけで、
豊臣大事、豊臣安泰のアプローチの仕方が異なるのと
立身出世の欲も絡んで、関ヶ原で対決することになり、東軍に
豊臣恩恵派がつくなんてことになっていったのだと思う。

ねねは隠居しちゃったけど、いざという時は秀吉の正室として
駆り出されているし、家康がご機嫌取りをしているぐらいだから、
まだまだ豊臣への影響力は強いものだったということはわかる。
それは秀頼とはまだなにかしらパイプを持っていたということなんじゃないかな。
豊臣と完全に切れていたとは考えにくい。

ねねだって豊臣の存続ということを一番大事に思っていたと思うよ。
大阪の陣の寸前に、ねねが間に入って家康に交渉して
秀頼の処遇を家康に一任すれば豊臣の存続は可能だったと思う。
ぶなんなところで高家として生き残っていたかもしれない。

608:人間七七四年
07/07/07 13:23:07 fnx9fFe1
交流はあったみたい。
高台寺所属の掌美術館に秀頼(直筆)がねねにあてた手紙が残ってる。
文意は時節の挨拶を親し気にする他愛のない文章だったように記憶してる。
URLリンク(www.kodaiji.com)


609:人間七七四年
07/07/07 13:25:54 fnx9fFe1
おそらく秀頼は漢字が書けたのに(揮毫とかするくらいだから)
あえて、ねねが読みやすいようにかな文字で書いてある所に
心配りというか気遣いが感じられる(いや、もしかしたら当時は女性への手紙は仮名文字が普通だったのかもしれないが)

610:人間七七四年
07/07/07 13:31:38 YGVBQxvc
秀吉の遺言に従って大坂を出たわけだけど
その後も>>608のように秀頼・淀とのやりとりは続いてるし
邸宅の修築・増築なんかも秀頼名義で行ってるそうだから
関係はきわめて良好だと思う。
ねねも豊臣の存続を願ってたことは確かと。

611:人間七七四年
07/07/07 15:25:56 JFJadjx5
そりゃ自分の夫の家の滅亡を願うわけはないわな。
ただのし上がった後の覇王としての秀吉しか知らない淀と違って、
ねねは名家だろうと勢力が大きかろうと実力で排除してきた秀吉を見てきてるわけで、
その秀吉が死んだ後の豊臣家に天下を治める実力が無い事も冷静に分析できたんだろね。

612:人間七七四年
07/07/07 22:41:31 Lg7efh8g
伝統ある名家の出でもないし、一代でのし上がった秀吉を間近で支えてたわけだからな
権力の世襲という概念自体重んじていなかったのかもしれない
ある意味で最も戦国時代的な考え方のできる女性だった可能性がある

613:人間七七四年
07/07/07 23:55:34 hcelmKRH
>伝統ある名家の出でもないし

スレ違いだけど、羽柴(木下)は実際にはかなり高貴な家のはず。
秀吉や秀長の幼少期にはすっかり零落していたには違いないけど、
まるっきりどこの馬の骨ともわからない出自の人物が
関白や太政大臣などの最高官職に就けるはずは無いし、
主君・織田信長に養子をくれるように頼み込めるわけが無い。
元々は、少なくとも織田家と同格(もしくはそれ以上)の家柄だったはず。

614:人間七七四年
07/07/08 01:06:56 UkFQ//YV
で、どこを縦読み?

615:人間七七四年
07/07/08 02:17:11 uVPlodk3
>>613
あんたは井沢元彦かw

616:人間七七四年
07/07/08 07:54:42 Hx1kp2HN
大体木下家はおねの実家じゃ。

617:人間七七四年
07/07/08 10:05:04 CpJP06fw
秀吉は百姓の出身かもしれないけど、当時の武士は百姓兼任の場合が多い。
足軽クラスならとても扶持米だけでは食べていけないから百姓しながら
生活していた。
百姓も貧富の差が激しくて豪農だと武士の下っ端より裕福な生活が
できたし、身分制度が確立する前は、百姓が蔑まれていたとかでは
ないみたいだよ。江戸時代の農民とはイメージが違うそうだ。
秀吉が信長の家臣になっていた時点で苗字がないのはおかしいから
ねねと結婚する前にすでに木下姓であったという解釈もある。

618:人間七七四年
07/07/08 12:17:29 1o8DlmKz
秀吉死後なら淀殿と大野が愛し合っても不思議ではないw。

619:人間七七四年
07/07/08 13:29:37 c0lwjulX
>>617
一族の数が少ない
百姓兼任の武士出身の藤堂高虎は親戚結構いたのに・・・

620:人間七七四年
07/07/08 18:00:57 8tftJF2j
そういえば、この人は苗字で呼ばれることが皆無に近いよね。
平頼綱みたいに本姓だけで苗字が無い(はっきりしない)ならともかく
羽柴という苗字がちゃんとあるんだから。

621:人間七七四年
07/07/08 22:38:03 wPSGanAh
数百年の歴史を持つ源平藤橘と突然出てきた豊臣を同じように扱うことに
当時の人々が違和感を感じるのも無理はない
豊臣の天下が数百年も続けばそのうち違和感はなくなるかもしれんが
15年で権力喪失→30年で宗家滅亡では豊臣を苗字扱いしたところで誰も困らない
苗字が羽柴から豊臣に変わったと人々が考えても実害はないし
江戸幕府だってそれをただす必要もない

622:人間七七四年
07/07/08 23:30:28 aeVJtmrS
父親である秀吉も、
「羽柴秀吉」じゃなく「豊臣秀吉」という呼ばれ方が
一般的なんだからそれに倣っただけだと思うが

623:人間七七四年
07/07/09 01:37:29 h/Bn+1qf
つうか>>621は何が言いたいかわからん

624:人間七七四年
07/07/09 02:48:01 6pAy2YBg
通称としては問題なすってことでしょ


625:人間七七四年
07/07/09 08:01:01 P6ybMyjk
「秀頼の首」(木崎國嘉 共同出版社)が事実なら、DNA鑑定で秀頼が
秀吉の子かどうかの検証は可能じゃないか?
秀吉の骨は明治になって、破壊された豊国神社に無造作に剥き出しになった棺
に入って放置されているのを埋葬しなおしたというから存在する。
両者の墓を暴いてまで調査の許可がおりるとは思えないけど。

626:人間七七四年
07/07/09 08:18:58 h/Bn+1qf
数百年前の遺体相手では信頼できる鑑定結果は無理っす

627:人間七七四年
07/07/09 08:27:06 P6ybMyjk
でもハトシェプスト女王は父親のミイラともDNA鑑定やって血縁関係の可能性
があったこともあって確定したんじゃ?
赤の他人か違うか程度の鑑定なら骨から鑑定できるんじゃないの?

628:人間七七四年
07/07/09 08:32:15 wkFueev2
>>627
乾燥地域は1000年以上たっても条件さえ良ければ上手くDNAが残る事もあるが、
日本のような湿潤地帯は、よほどちゃんと保存されていないと、100年前の遺体ですらDNAの採取は難しいと思う。

629:人間七七四年
07/07/09 09:01:37 h/Bn+1qf
URLリンク(www.japangenomics.co.jp)

>太古の昔の「骨、ミイラ」等からDNAが発見されることから、
>どのようなサンプルでもDNA抽出が可能であると思われがちですが、
>そういったものは、親子であるかどうかなどを照合する際に用いられる核DNAではなく、
>ミトコンドリアDNAを用いて行われてい ます。
>ミトコンドリアDNAにおける鑑定は、ルーツを辿るような広域の鑑定は可能ですが、
>検査できる範囲が限られているため、親子鑑定などにおいては 、
>結果らしい結果が得られないことも多いため、
>核DNAとミトコンドリアDNAは、それぞれ別物の鑑定手段だとお考えください。

だそうです
まあ自分も面白そうだから駄目元でもやってみれば良いと思うけどね
豊臣家なら子孫が居ない分反対もあんまり無さそうだし


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