06/12/10 13:02:51 yEB3Id1k
高台院が北条政子より器量あるかどうかはわからないけど、
「豊臣の天下」というものに固執していたかどうかだなーと思う。
今回の大河じゃないけど、「私とうちの人とで作り上げた豊臣家」だという
認識だと、そこまで豊臣という家が天下人であるというこだわりがあるわけもないし。
見性院のように「夫あっての一族」という見解だと、夫の死後さっさと
家を出る事にためらいはないという可能性もある。
個人的な考えだけど、高台院はそこまで豊臣の天下を欲していなかったんじゃないかな。
夫の出世は喜びだけど、それはあくまで夫あってのものであり
その後は誰が天下をとっても自分のあずかり知らぬ場所での話し、みたいな印象がある。