06/12/05 02:45:01 zHq5STIs
(´;ω;`)
201:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 02:16:41 +Emq0scB
全大阪が泣いた。
202:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 11:58:53 xfgUKgpV
>秀次の末娘は大坂の乱後に首を刎ねられたんだよな。
どういうこと?秀次の妻子は全員川原で処刑されたんじゃなかった?
203:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:30:23 CrM0tQYj
>>202
スレリンク(sengoku板:112-番)
204:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:37:10 j9+qzvpX
転載だけど。
> 119 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [sage] 投稿日:2006/12/03(日) 15:35:42 ID:loKjQsao
> >>116
> 秀次の末娘お菊は秀次事件の生き残り。
> 正確には、秀次の娘は四人のうち三人が生き残っている。
> 一人は真田幸村に嫁いでいるし、一人は梅小路氏に嫁いでいる。
> 母親は殺されているけど、娘は一人を除いて助命されたわけ。
>
> お菊は母方の祖父に預けられて成人して結婚。
> 大阪の陣で夫が大阪方についたので、彼女も密書を届けたりと夫のサポート。
> ↑無駄骨だったらしいけど。
>
> 大阪の陣で養父や夫が死んで、養家に身を隠したけど、
> 残党狩りで見つけ出されたお菊は処刑されてしまいました、と。
ついでに秀次の妻子は皆殺しじゃないよ。
第二(?)の正室の池田輝政の妹の若政所は助命されて池田家に返されているし、
↑にあるように女児は4人中3人は助命されている。
そして、生き残った女児2人は大阪の陣では大阪方に着いている。
205:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:42:33 L6R3G75Y
>>168
むしろ秀頼がいたからこそ
豊臣の世から徳川の世への天下の移行が最小限度の被害でスムーズ
にいったんだと思う。
むしろ秀頼が誕生せず秀次健在のほうが秀吉没後の天下は
不安定な状況が続き、家康も突出する機会が無くで
もっと乱れた世になっていたろう。
206:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:42:55 VjK5DxX3
>>164
長浜時代の二人の子も同一人物の妾が産んだ子で
ちと疑わしいんだよね。
207:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 01:42:08 niLFB6zg
>>205
確かに・・・秀次がいれば家康は場合によっては幕府を開けなかったかもしれないが、
じゃあ豊臣は安泰かといわれるととてもそうは思えんな・・・。
208:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 07:05:44 PrGLNZSf
少なくとも秀次であれば、北政所派と淀派に分裂するようなこともなかっただろうな。
そもそも淀派という勢力自体起こらなかっただろうし。秀頼が生まれていなければ。
209:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 07:19:39 e1XP0VYF
もし、織田信雄が天下を取ってれば30年以内に政権は瓦解して
第二次戦国時代は確実に起きただろうと思う。
豊臣秀次は印象が薄くて分らないが器量人だったのだろうか?
織田信雄や足利義昭より器量人であれば文句無く天下は磐石に治まり
戦国時代から天下泰平の世に確実に移行していっただろうし
また、それだけの器量がなければ、たとえ秀吉に殺されずとも
大老や奉行を御していくこともできず、派閥争いや権力闘争や
群雄割拠が再度起こり戦国の世に戻っていったことは想像に難くない。
肝は自派閥をどうせ作っていったであろう家康を断罪・征伐できるかどうかが鍵
家康を成敗できるほどであれば否応なしに天下は沈静化していったはずだし
結局、成敗できなくて放置・黙認という事であれば室町幕府と同じになる。
210:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 08:58:31 UaLzWENe
秀次は蒲生氏郷が「あの阿呆」呼ばわりだったからなぁ。
蒲生と前田が長生きしていたら蒲生の言う通り前田の天下だったのかも。
(形としては北条執権家に近い形態だったかも知れないが。)
秀長と堀秀政が長生きしていたら秀次でも支えられたかねぇ。
211:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 09:21:35 e1XP0VYF
慶喜政権も直接瓦解するきっかけになったのは第二次長州征伐で長州に勝てなかった事だし。
いや、むしろ第一次長州征伐で厳罰処分を下し、国替えしてれば
もうしばらく徳川政権は持っただろうと思う。
しかし日本全体にとってはもっと悲惨な状況になった可能性が否めないけど。
212:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 14:24:09 Gc53KXrY
秀頼自身は被害者?加害者?
213:霧夜エリカ ◆Erika.Q1tw
06/12/08 14:35:15 T8NEmIHX
秀チャンカワイーーー☆
214:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 18:49:41 MM//tzUy
>>212
彼は必要な時に必要なことをせず、決断すべき時に決断しなかっただけの人。
だから加害者といえるほど「何かをした」わけでもなく、
また被害者と主張できる筋合いもなかった。
そういう人物に対しては、私は評価が低い。
215:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 19:19:49 5T1gZs42
まあ側室やら妾やらがわんさかいる状態で若い時分に子ができなかったんだから
(長浜時代に子があったが早死にしたと伝えられるとしても)、
秀吉がほぼ男性不妊に近い状態だったことは確かだろうな。
家康なんかは子の母が特定の妻妾に偏らないように、意図的に
一種の産児制限までしてる。
産婦人科医や不妊治療の経験者なら、淀の妊娠が奇跡だってことが
わかるんじゃないか?
216:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 21:05:07 81dE/bPc
竹生島奉加帳に、秀勝(石松丸)と南殿の名前があることから、秀勝=秀吉の実子だと推測されてるだけじゃ?
長浜の妙法寺に秀勝の墓があることについて、小和田哲男氏は、秀勝の戒名は子供につける戒名なのか、どうか疑問視してるらしいね
217:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 23:45:08 ahgA4Klg
>>215
完全な種無しである無精子症よりも、精子の数が極端に少ない人や精子の活動が極めて悪い
男性不妊の人の方が多いといえるよ。秀吉はこれにあたるだろう。
だからあれだけの数の女性と関係しながら、片手に余るほどの数しか女性を妊娠させられなかった。
若い時分よりずっと一緒だった正妻でさえ一度も妊娠することができなかったのに
老齢になってからの妾が、それも一度だけならまだしも、同じ女性が立て続けに
二回も妊娠というのは不自然の極み。だから浮気相手の子確定。
218:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 02:28:25 HKi74jHx
秀吉は高貴な女性が好きだからな。
時々案外普通に淀殿妊娠したんでないかと思うときも有る。
当時の高貴な女性って、「男の中の男の娘」で、本人も武芸に秀でているから
男性ホルモン濃度がかなり高そうなんだよな。
タイプ別にするとダイアナ妃みたいな。
非常に美人だけど、男装したら普通にカッコイイ兄ちゃんに見えるタイプ。
こういう人は、大抵、妊娠しにくい。
相対的に女性ホルモンが減るので
性周期が不確定で排卵の回数が極端に少なかったりしがち。
といっても、男性側の精子の出来が良く夫婦仲が良かったら
一生の間に2,3人は妊娠可能な場合が多いんだけどね。
あまり沢山子供が出来ても家督争いがややこしくなったりしがちだし
その位で普通は丁度いいんだろうけど。
こういうタイプを何人も抱えても、一人に裂ける時間が充分確保できないなら
誰も妊娠させることができず、不能のレッテルを貼られる可能性大。
秀吉の好みがそういう妊娠しにくいタイプの女性だったのが問題で
実はちょっと精子の出来が悪い程度だったのだとしたら
安産家系の淀殿ならなんとかなるかも?
219:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 07:52:25 1j0V6Fdm
つか南殿との子まで不倫の子認定したら
もう何でもありじゃね?
220:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 07:54:10 inEeNx2C
秀吉は何かしらの遺伝的欠陥があったかもしれないな
多指症だし、弟も種無しだったし
秀吉の性機能に関して何かしらの先天的欠陥があったと見る方が医学的だと思う。
221:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 12:42:44 oyhZ63pg
>>218
逆だろ。
そんなこと言ったら農民なんて子無しだらけで、お公家さんは子沢山ということになるぞ
222:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 12:46:26 181E4nty
つーか、男性ホルモンが多いと妊娠し難いだなんてどこで聞いたんだよw
全然関係ねーよw
武芸の教育を受けたからって男性ホルモン増えねーし。
223:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 13:39:05 1AwCd02k
よくもまあデタラメをだらだらと書けるものだw
224:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 23:13:19 kLVhb4tG
>>210
秀長が長生きしてたらまぁ基本的に実力面では一切問題はなかったろうな、
強いて言えば秀次が秀長に対していらん事考えないのと、秀長が秀次に従順であることが前提だけども。
なんと言っても存在がでかすぎる、頼れる叔父様なんていうレベルではなく、
要所の大和に100万石を持ち、日本中の大名に慕われ、信長家臣時代の中小部隊から
槍と采配を振り続け、10万の兵力を指揮出来る実力はそれ自体が比類ない。
この人物を秀次がどこまで扱っていけるか、というのは難しい、
明らかに自分以上の実力を持つ配下を認めて上手く使っていくのもこれまた
大変な器量が必要なことだからね。
また秀吉がいなくなると、どう見ても日本中に自分以上の存在がいない事が明白な中で、
秀長と言う人物は抑えていける人物なのか?というのも結局はわからん。
曲がりなりにも戦国時代を生き抜いてきた人物。
家康のように、実は野心家だったなんて事も無いとは言い切れない。
万が一そうだった場合、堀辺りじゃ止め得ないだろう、まして秀次なんぞ赤子の首を捻るより簡単。
225:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 00:14:16 IX4NcVQK
>日本中の大名に慕われ
待て待て、秀長は意図的に裏方に徹していた部分があるから、当時のひとたちにも正当に評価されていない傾向がだいぶあるぞ。
本人もそれをよしとしていた部分があるし。
それにあくまで、秀吉あっての秀長だろう。補佐役として有能でも、トップとしても優秀かどうか、またみながついてくるかどうかは不明。
226:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 01:15:08 2bV4EmdZ
秀吉が閨閥の出来る事を読めてなかったのが痛い。
色々遺言を残したが、秀頼を北政所の養子にする事や
自分の菩提やら位牌は大阪城内の一室で北政所が管理する事や
淀や他の妾に対して北政所に絶対服従する旨も遺言すべきだった。
北政所が内政や大阪城の内務を取り仕切れば三成を押えつけられ
武断派と文治派の両方に対する重しの役目も出来た。
実際に秀吉は戦争と政務で、ほとんど近江には居なかったが
その留守の間、北政所が家中を万全に取り仕切り身内同士の争いや
謀反などが起きなかったのだから、秀長も秀次も大政所も千利休も死に
家中を治める人間として北政所しか居ないという事に思いが浮かばなかったのは
呆けてたためだろうか?
227:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 01:21:25 aQoGC3xn
もう間違いなくボケてたか精神異常になってたかどっちかだと思ってる。
228:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 01:30:35 twA+gZUH
>>225
慕われていたってのは恐怖も意味もあるのでそれで十分。
また四国・九州平定戦のように秀吉なしでも確実に実力を見せてる合戦もあるので、
大和100万石の実力が揺るぐ理由は無い。その時点で秀次とは次元が違いすぎる。
もちろんそこから諸侯がついてくるかどうかは話は別なので、秀長が天下を取れるかと言うと話は別だが、
もうこうなってる時点でこのスレ的にはNGだろうと思うので、
まずは秀次が偉大すぎる叔父を扱いきれるかどうかということ。
229:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 01:45:11 Ya7DOhB9
>>226
北政所は過大評価されてるけど、
意外とそんなに能力があった人ではないと思う。
夫と同様、トップには向いてない人。
230:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 01:56:50 twA+gZUH
いや大きく違うところがある。それは、トップに向いてないという自分を客観的に見れてる点。
もしもこの点を見誤る人物だったとしたら夫が天下取った時点でもっと権勢を誇って自滅していたことだろう。
231:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 02:02:48 IKDLn2K7
名無し議論スレにて・・・というのは何ですか?
教えてください。
232:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 02:02:53 aQoGC3xn
淀よりマシなんじゃねーの?
233:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 10:45:49 2bV4EmdZ
北政所が大阪城の主になってれば、家康も野望を全面に押し出して政権獲りにいったかどうか怪しい。
しかし、家康が政権獲りに奔走しゴリ押しで豊臣家の領地を家康親派の大名に分け与えたとしたら
案外、北政所は抵抗もせず家康の好きなようにやらせてた可能性も否定できない。
芳春院のように家康に敵しえる人物が豊臣家には居ないと悟って
緩やかに家康に政権が譲渡されるのを生温かく見守ってしまった可能性もあるとは思える。
淀君のように後先を見ず、「絶対に天下は譲らん!」「全面戦争だ!」とは
やらなかった気もする。
234:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 10:59:41 2bV4EmdZ
源頼朝の妻だった北条政子のように
豊臣旗下の子飼いの武将の既得権益を守るために
徹底して鬼になり、後鳥羽上皇と戦った彼女のように
徳川家康を敵として戦う旗印となり
徳川家を崩壊させて万全な豊臣体制を築いた可能性もあるが
北条政子ほどの器量を北政所が持ってたかどうかは妄想の域を出ない。
235:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:00:45 iT29+GS3
大阪の陣が起きてから驚いて大阪に向かって追い返されたような人じゃなかったか
236:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:02:51 yEB3Id1k
高台院が北条政子より器量あるかどうかはわからないけど、
「豊臣の天下」というものに固執していたかどうかだなーと思う。
今回の大河じゃないけど、「私とうちの人とで作り上げた豊臣家」だという
認識だと、そこまで豊臣という家が天下人であるというこだわりがあるわけもないし。
見性院のように「夫あっての一族」という見解だと、夫の死後さっさと
家を出る事にためらいはないという可能性もある。
個人的な考えだけど、高台院はそこまで豊臣の天下を欲していなかったんじゃないかな。
夫の出世は喜びだけど、それはあくまで夫あってのものであり
その後は誰が天下をとっても自分のあずかり知らぬ場所での話し、みたいな印象がある。
237:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:25:18 twA+gZUH
>>235
それ大蔵卿局じゃねw
238:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 14:13:34 2bV4EmdZ
結局、北政所が行なったのは、自分の子飼いである浅野・加藤・福島・秀秋の
命の保証、所領安堵、既得権益の確保に微力を尽くした程度で終わってしまったのは残念。
豊臣家の天下に対しては覚めた目で見てただろうけど自分が可愛がった大名達を守る意識だけは
しっかりと持ってただろうし、実際に、それに沿った言動をしてたしね。
239:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 14:23:37 2bV4EmdZ
高台寺の隣にある高台寺掌美術館(入館料300円)では
秀吉が小田原陣中から北政所へ送った手紙やら
成人した秀頼が正月に北政所へ送った手紙を展示してたけど
それから推察すると淀君と北政所は激しく対立していたというよりは
将軍職が徳川家に奪われて以降は、淀君は秀頼を北政所(徳川家康に手厚く保護されていた)に
頼らせる事によって、秀頼の身の保全を保ちたい気持ちが表れてるように見受けた。
240:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:03:22 aLbhNYsE
>>198そうですね生まれてこなければ、豊臣政権は秀次が引き継ぐから安泰していたと思う
241:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:06:22 aLbhNYsE
>>208それは間違いないと思う
242:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:17:15 aLbhNYsE
>>232マシどころか雲泥の差です
243:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:21:08 aLbhNYsE
>>236そんな考えに至ったのは秀頼が淀から生まれてきたからだと思う
244:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:32:25 ZmcFShTl
>>242
しかし、北政所も言われているほど聡明ではないような。
結局子飼いの加藤、福島、小早川も改易だし
秀吉の墓も掘り返され、豊国神社も破壊されるしね。
せめて国松の遺体ぐらい引き取ればいいのに
側室の京極竜子が引き取って埋葬してるを考えると
北政所って意外に存在感のない人だと思う
245:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:46:46 twA+gZUH
っていうか当たり前、あくまで先代の正室というだけなんだから。
それにしては「意外に存在感があった」人であって、本末転倒だ。
246:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 17:30:17 yEB3Id1k
高台院って、子飼いの武将から慕われていたせいか
必要以上に存在や価値を誇張されている感じがあるな。
(子飼いの武将SUGEEEEE=その母代わりもSUGEEEEE!!みたいなノリか?)
秀吉の恋女房であった事は事実だろうけど、
秀吉亡き後はその辺の妻子と変わりないと思う。
247:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 19:19:23 Ya7DOhB9
よーするにネネは素人のオバサンだった
248:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 19:58:15 2bV4EmdZ
>>244
家康の本性を見抜けなかった点では普通のババアと言われても仕方ないかも。
しかし家康が豊臣家の家臣の大半を騙す程の超一流の役者だったと考えれば
ネネがどうこうより家康が超人だったと考えざるを得ない。
249:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 21:35:51 aLbhNYsE
>>248いや最初から知っていたらしい、ただ」淀殿が秀頼を生んだから豊臣政権がどうでもよくなったみたいだ
ある資料で、秀吉の死後次に天下を取るのは徳川だから徳川の味方をしろと子飼いの武将に言ったと書いてあった
250:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 21:38:54 2bV4EmdZ
>>249
いや。そうじゃないよ。秀頼うんぬんに関してはある程度悟ってたとしても
子飼いの加藤・福島・秀秋の改易を読めなかった点に関してだよ。
まさか改易されると知ってたら北政所は間違っても子飼いの大名たちに「家康に味方しろ」だなんて言ってないよ。
251:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 21:50:22 Y71Xw9CL
加藤も福島も家康の時代に改易されたわけじゃないし
秀秋は跡継ぎがいなかったし、そこまで北政所が面倒見られるかなぁ
西軍についたとしても新体制で後の代までの家の保証は無理じゃない?
252:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 21:51:10 aLbhNYsE
>>250素人考えですまないが、多分子飼いの武将は徳川に味方していなかったら
滅ぼされていたと思う
253:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 22:16:45 153WVUS7
改易させたのは家康の息子だろ。
つか家康自身も、もともと改易させるつもりがなかったっていう説もあるし
254:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/11 16:15:54 4YNunU3C
前田利長の場合は逆じゃなかったか。年常か?
255:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/12 22:23:56 t1s30Cjr
「こんな巨漢が秀吉の子であるはずがない」って意見はよくあるが
治長や三成って巨漢なの?
それとも他の巨漢が父親なの?
256:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/12/12 22:26:20 hOPcJ25q
浅井長政は巨漢で肥満気味だったそうで。
257:中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
06/12/12 22:27:45 ojQiwknP
浅井長政が巨漢
258:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 00:38:47 i+4Xx5dL
お市の方も体格よかったらしいが
259:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 00:47:59 N13WuH67
お市は小柄で細身だったという説もあったはず。
末娘のお江がまさにそんなに体型。
260:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 13:35:43 w5tvQeX9
浅井長政は男前だったという説は?
261:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 14:14:01 Sm//0/z7
身長や体重ならある程度は客観的に見られるとしても、美醜になると個人の
美意識の問題を含むから結局良く分からんとしか言いようがない。
女性だと分かり易いけど例えば現代だって「肥満で巨漢」でも力士みたいな
感じなら男前といって問題ないわけだし。
262:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 15:07:00 rz5Av01H
現在も貧しい国では肥満体の女性の方が美しいと評価されたりする。
アフリカでは太ってる女性の方が持てたと思った。
また平安女性の美の基準にもふくよかとかとかも(黒い長髪もだが)あったはず。
五月人形や金太郎モデルから判断すると武士も福福しい方が恰幅が良いと
判断されただろうと思われる。
秀吉のように背が低くて痩せてるのは見た目で損をしたと思う。
曹操は呂布から「このガリガリ野郎!」と罵倒された記録があるので
当時の中国でも痩せてる事は格好良くないというイメージがあったのかもしれない。
中国で痩せてる方が美しいという風に解釈され始めたのは清代からだと思われる。
清の皇帝は、それまでの王朝の皇帝と違い痩せてる者が多く
チャイナドレスとなった清の女性の服装も痩せてる女性には似合うが
太ってる女性には似合わない。それまでの中国女性の服装とは180度
コンセプトが違うので、多分そこで美的感覚の逆転現象が起きたのだろうと思われる。
ちなみに江戸中期は胸や尻のデカイ女性は鳩胸、出尻と呼ばれて馬鹿にされた。
263:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 15:13:31 4mxqjOZy
>>260
杉浦日向子の本で読んだけど、江戸時代は力士がモテたらしいから、
戦国時代でも色白デブ=かっこいいって認識だったのでは?
つーか江戸期に作られた講談の方が多いだろうから、デブ長政=かっこいいってのは江戸時代の認識かもな
264:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 16:19:19 odlAROXd
長政、肖像画でもピザってたよな。
265:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 20:25:17 w5tvQeX9
ほう、そうですか。
ドラマなどに登場する長政は現代の感覚での男前で設定されているのか
わりと細面のイケメン風だよね。実際はピザ・・・そして秀頼もピザ。
こうなってくると戦国一の美女と誉れの高い市も怪しいものがあるような。
肖像画を見る限りは、はかなげな感じで美しいと思うが。
>>262
横槍入れてすまんが、清の宮廷婦人の服装は現在のチャイナドレスとは程遠いよ。
体の線がぼやけるほどダブっとしているし、漢服に比べて洗練されてない。
やはり遊牧民の実用性重視の防寒服なんだなと思わせる垢抜けない形態のデザイン。
266:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 20:27:18 ciIY/neT
当時、梅毒が蔓延し子種が無い男が多かったらしいね
女好きの秀吉もしかり
夫が梅毒であるという事実を知るのは長年連れ添った寧々
となると、当時秀頼は秀吉の子であると認識されていなかったのでは?!
関が原の正則、清正ら寧々子飼いの武将の離反
うなずけるな
267:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 20:54:41 Sm//0/z7
>>265
上でも言われているように、現代の感覚でピザだろうと当時の基準でどうだったかは
また別の話、てのがテンプレ解答。
市も同じで現代人から見てどうあれ、当時の人にとっては美人だったのも知れない。
むろん直接見たわけじゃないから結局はわからんのだが…というかこのての議論は
たいていそんな決着にしかならんから正直あんまり意味ないと思うんだけどな。
268:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 21:24:12 odlAROXd
昔はピザが良いと言われてたけど
オクレ体型は昔も今もダメダメだな。
269:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 21:28:49 SopapHeW
>>259
お市は小柄どころか長身だよ。
着物着てもおはしょりが作れなかったとか。
巨漢の長政と長身のお市の娘の茶々も大柄だったらしい。
270:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 22:46:44 98XY8az8
信長も比較的長身だし、家系なんでしょ
271:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/14 06:41:37 cFZSmZWw
>>228
秀次が秀長を抑えていくというより、秀長が秀次を守り立てていかなきゃならない立場だろ。
叔父と甥が争うケースとは、叔父が自分の子に継がせたい場合がほとんど。
なんのために秀吉が秀次を後継者にしたんだ? 一族の中に他に有力な後継候補がいなかったからだろ(秀頼誕生までは)。
秀長が秀次を押しのけて天下を奪ったとしよう。で、その天下は誰に譲るんだ?
そう考えれば秀長の方こそ、秀次を大事にしなければならない立場。それほど秀長も愚かじゃないよ。
272:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/14 18:58:07 4MrPMHbS
秀頼デケーーーーーーーーーyyyyyyyyyyyyyyyyy
273:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/14 22:29:45 tVN3xJdz
>>271
秀吉という天才が上にいればこそその論も当てはまるが、
秀次がそれに及ぶ事はあり得ない、その下にいるうちに秀長の心境に何が起こるかなんて、
誰にもわからんと思うが。秀長は秀次の弟を養子にしてるし。
また、秀次の周りにも勢力が出来てくる訳で。
家康があそこまで牙をむくとは当時の誰も予想できなかったろうし。
274:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 22:47:08 epO3Gu+B
で、その秀次の弟に天下を譲るために、秀長が秀次から天下を奪うというわけかい?
豊臣家を割って、弱体化させてまで。
そこまで秀長が愚かだとは思えないがな。
豊臣家全体で考えてみなよ。
275:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 02:19:18 Ctk0cr2l
>>274
他の凡百の武将だったら、むしろそれまでの経歴で見ても裏切るなんて思わない。
だけど俺は秀長と言う人物の実績は決して人がいいだけの弟ではないと思うんだよ。
愚かじゃないどころか、秀吉に勝るとも劣らない能力を持っていたと思うんだよね。
それに比べて秀次は排除すべきではなかった、という以上の存在ではないのはもう明らかだし、
古今東西見てもここまで実力のかけ離れた身内同士で完全に巧く行ったケースって少ないんだよね、
そして必ず秀長に頼らなければ、大老らは抑えきれないのも事実な訳で、
そうである以上秀長が事実上の指導者になるのは目に見えてる。
そうなった時に秀次とその周辺の人物関係もあるという事。
276:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 10:24:35 6ud9nYeo
だから秀長の方に、秀次を押しのける理由がないってことだよ。
秀吉にしても、秀頼が産まれなければあくまで秀次に後を託すしかなかったわけで。
秀頼が誕生したからこそ、秀次を排除してもかまわなかった。これも叔父甥の関係。
秀長が天下を奪ったとして、ではその後継者を誰にするか。秀吉があれだけ悩んで、身内の中ではまだマシな方だった秀次に
決めたその苦労を、また秀長がするだけのこと。今度は秀次という選択肢がひとつない状態で。
家康と秀忠も、能力的にはかなりかけ離れているが、それでも誰かを後継者に指名し、その者を守り立てていかなくてはならない。
家康が天下を奪ったのと、秀長が奪う場合とはまるで意味が違う。自分の首を絞めるだけ。
277:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 03:26:04 Ao/X+6WW
>>276
秀次は・・・というより秀次の周囲の人物が秀長を排除にかかる可能性があると言う事。
秀長が事実上秀次の上に位置してる限り、当然秀長の配下らの方が秀次の配下より力を持つ、
その中で諍いが起こらないとは思えない。
実際関ヶ原だって、豊臣家臣同士の争いが無ければああも家康に漬け込まれる事は無かった訳で。
278:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 03:28:10 Ao/X+6WW
要するに当人同士の仲などこの際関係ない。
それだけで言うなら争う理由などあるわけない。
でもそれは一大名、一武将同士での話、天下人とその宰相ともなれば話は全然変わる。
279:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 05:54:31 g7h6j5wG
>>277
だからそうならないように、年長者の秀長が、後見役に徹するだろ。
秀次派と秀吉派がいがみあったのは、あくまで秀頼が産まれて秀吉が秀次をないがしろにしようとしたため。
キミは秀長を高く評価しているようだが、それならなおさら、息子溺愛した最晩年の秀吉並の判断力しかないということはないだろう。
秀次をたてるように、一歩身を引くさ。そうしなければ、豊臣政権自体が危ないのだから。それがわからぬ秀長でもあるまい。
関ヶ原はそもそも家康に対抗できる存在が豊臣家中にいなかったため。
それでも、後継者が秀頼ひとりしかいなかったから、織田家の跡目争いのように豊臣家VS豊臣家という構図にはならずにすんだ。
(本当は家康としてはその方がさらにつけこみやすかっただろうに)
280:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 22:39:04 S/DHp4UU
隠居でもして引っ込むのならともかく、実務に顔を出す以上、そう簡単な事じゃない。
実際そういう身内の争いは大抵、本人同士は大して関係ないもんだ。
応仁の乱もそうだし。
281:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 23:59:13 g7h6j5wG
応仁の乱は完全に後継者争いじゃないか。
秀長に息子でもいるなら、秀次を排除する理由(及び豊臣家が2派に分かれる理由)はあるが、そうじゃないから
秀次を立てざるをえないといってるんだろ。代わりがいないんだから、後継者争いになる余地がない。
そもそも、代替わりで一族の長老格の実力者が若い後継者を補佐するのはよくあることで、うまく機能した例はいくらでもある。
叔父甥でいうなら、保科正之はその好例だ。
282:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/19 06:51:05 hezfzAuB
天下人とその宰相では規模が違うといってる。
たかだか一大名家ならば俺もこんな事は言わない。
家臣団を見る限り豊臣家ならば大丈夫と出来る根拠が薄すぎる。
283:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/19 06:52:56 YZiJQ4YY
>>281
>応仁の乱は完全に後継者争いじゃないか
とんでもない、そんな単純な戦じゃないよ。
たしかに発端は室町将軍家と河内畠山家の後継者争いだけど、
あれほど長期間の大乱になったのは別の要因が絡んでいるため。
284:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 14:42:50 w0AyvJqQ
浅井長政
URLリンク(www.shimogo-kyosaikai.org)
豊臣秀頼
URLリンク(sans-culotte.up.seesaa.net)
お市
URLリンク(www.biwa.ne.jp)
どうみても、祖父の隔世遺伝が強いな。父親は、誰であっても
長政の遺伝子が強かったら結局、ピザには変わりは無いとw
285:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/21 21:16:48 i2+xqj9U
>天下人とその宰相では規模が違うといってる。
>たかだか一大名家ならば俺もこんな事は言わない。
ひょっとして保科正之知らないのか?
幼い将軍家綱を補佐し天下を治めた叔父(家光の実弟)だぞ。まさしく天下人とその宰相そのものなんだが。
それと応仁の乱が様々な思惑があったため(それと当事者たちにことを収拾する力がなかったため)あれだけ長続きしたのは事実だが、
それが豊臣家とあの時代にもあてはまる根拠は?
実際に、家康という出色の人物がいたから、豊臣家が揺らいだ後も元の戦国に戻ることなくわずかな混乱で天下は治まっている。
応仁の乱とは時代背景も何もかも異なっているんだが。
286:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/22 03:06:20 X3zJ8ZvT
保科正之が宰相?
いくらなんでも過大評価しすぎでしょ。
100歩譲って宰相だったとしてもこの状況下での秀長と、
比較できる人物じゃないだろう。
んで応仁の乱と情勢が違うというけど、情勢が変わったのは
関ヶ原や大阪の陣を経た事で家康が大名家の植え替えに成功してるからでしょ、
破壊する側の家康はそういう合戦を望むところだけど、
まだまだ外様が元気なあの情勢で豊臣側がそれをやったら応仁の乱より
酷い情勢になる可能性すらある。それで豊臣家がもつのか?
287:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/22 23:12:12 5PEnS2IG
おそらく中学生くらいなんだろうが、キミが負けず嫌いだというのとはよくわかった。
それと本当に保科正之のこと何も知らないってことも。
知らないなら、少しは調べてから書き込もうよ。まじめな書き込みにはまじめに応対するからさ。
それと、大名家の国替えの話なんて誰もいってない。後半の文章は(も)意味不明だ。
288:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 02:35:54 oIpCj0WG
保科正之が家光や家綱に信頼されたのもわかるし、政治的に優れていたのはわかるが、
それでこの状況下での秀長と比較対照にするには過大評価が過ぎるだろう。
一体何が出来るの?、そんなに保科正之を評価するなら彼が裏切った場合
家綱の治世がどうなるかを聞かせて欲しいところ。
秀長が裏切った場合は秀次を潰すくらい造作も無いだろう。
289:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 08:49:14 3AF2sUPk
>秀長が裏切った場合は秀次を潰すくらい造作も無いだろう。
それはそのまま豊臣家滅亡の道だと何度も説明しただろ。
家康が秀忠を裏切って潰すのは造作もない。だがそれになんの意味がある?
キミがいっているのはそれと同じ。
元百姓の成り上がりであるだけに
・譜代の家臣がほとんどいない(有力大名はほとんどが元同僚か、かつての敵。いいとこ与力くらい))
・一族&後継者が極端に少ない(子がいないのも致命的だが、一族でまともだったのは秀長と長政くらいしかいない一族)
これが豊臣家及び豊臣政権のウィークポイントであり秀吉&秀長が苦労してきたところ。
それをふまえた上で、秀長が秀次を追い出すことがありえるかどうか考えてくれ。
本人の意思とは無関係に派閥ができるといったが、それも家康秀忠親子に当てはまる関係だよ。秀長はそこまで愚かじゃないと思うな。
290:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 12:41:55 oIpCj0WG
>>289
保科正之はどこいったんだよ。
291:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 12:49:18 ZjVuXOr7
会津
292:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 13:07:46 EcOEo4dw
豊臣秀頼のスレはどこ行ったんだよ?
293:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 15:41:57 k74Q/ss4
みんな、1611年に秀頼と家康が会ったときに
アホだと思ってた秀頼のオ-ラに圧倒され、
自分の生きているうちに豊臣家滅亡させておかないとやばいって思った話は、
スル-ですか。
294:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 16:33:18 E/hagV4Z
>>293
あれは、自分が老齢である事で秀頼の若さに嫉妬したとか、次男秀康亡き後の家康の息子達(忠輝は除く)は、
脆弱(貧弱)な秀忠と、幼い三兄弟(尾張、紀州、水戸藩祖)しかいなかった点。秀頼が2メートル近い巨漢だった為。
まぁ、カリスマはその大木から自然と血統の流れで少しは出ていたんだろな。そりゃ、20前後の巨漢な青年を70歳の
老人が見ればびっくりするだろ。圧倒される感じでね。で、家康は大阪の陣に踏み切った訳だが最近では、秀忠が積極的
に本多父子や金地院などの謀略を利用して潰そうとしたみたいだね。実際、大阪の陣で大阪城で秀頼に味方する大名が
一人もいなかった点は徳川家康の器量のが遥かに上だと諸大名も思ってたんだろう。しかも、秀頼って、秀吉の子供じゃない
って事も薄々、皆知ってたんぢゃないかな。秀頼の最後の大名としての臣は、加藤清正と浅野幸長だけ。両人の死後は彼の
運命は死しか残って無かった。
295:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 17:39:14 VGcQUiGF
秀頼が落ち延びて鹿児島に潜伏してたってのはどうなんかね?
296:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 17:45:09 lCep5Acw
最新のDNA鑑定の結果では、身長170~175cm、体重65~70㎏、やや肩幅が広く、筋肉質な体型。
顔は丸顔で眉毛が太く、鼻はだんご鼻ということぐらいはわかっている。
家康のDNAと照合してみたらおもしろそうだ。
297:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 18:17:53 k74Q/ss4
秀吉がちっちゃかったのに秀頼が大きいのは、なぜって言うのは、
栄養の部分が大きかったんじゃない。
それは、戦後の日本人の身長の伸びを見れば明らか。
戦前までは、
デブ巨体=金持ちの象徴
だったんじゃない。
好きなだけ好きなもの食べれる人なんて限られていた訳だし。
298:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 19:07:13 2mEOwn5W
秀吉もさほど貧乏な生まれではなかったような?
血縁者の出自から考えると、土豪クラスだった可能性が高いみたいだし。
実際問題として、自分で農耕もし多少の経済的なゆとりもある土豪クラスが
一番体に良いもの食ってるよな。
299:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 19:11:59 3AF2sUPk
>>290
288の質問に答えておこうか。
家綱には息子がいなかった。だから正之に野心があるならば、彼か彼の息子をその後継者として擁立させれば
容易に主家のっとりは可能だった。
実際、家綱の後には宮将軍を擁立しようという動きもあったくらいで、近親で実権も握っていた正之の家系に宗家が
移ることは十分にありえる仮定。正之が望まなかったから実現しなかったが。
少なくとも、実子のいない秀長には無理な方法だな。
で、秀長が秀次から天下を奪って、その政権をどうやって維持するんだ? 誰に継がせる?
300:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 20:45:15 btAM5OrC
ピザの遺伝子とオクレの遺伝子が戦ったら
ピザの遺伝子が勝つような気がする。
301:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 20:46:19 k74Q/ss4
>>298
体によい食べ物って言うのは、飽食の現代人が考える発想で、
少なくても身長が伸びる事とは関係ないよ
302:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 20:53:02 oIpCj0WG
>>299
他の老中はそれを眺めてるの?ありえなくない?
そうやって将軍家を巧く操ろうとして、弾き出された老中も多いというのに、
保科正之がそれ以上の存在とは残念ながら思えんが。
秀長とは固有の武力という点と外様の五大老に張り合いうるという時点で桁が違う。
303:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 00:38:45 jls1R+Ox
巨体デブ家康のDNAの秀頼。
304:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 00:44:51 Etchl89+
URLリンク(kakutei.cside.com)
家康ってデブデブ言われてるが年をとってからデブになっただけだぞ。元々は、若い時から武芸に励んで
乗馬、弓、剣術に優れていたと言われる。もっとも、今の人間から見たらピザには変わり無いがw
305:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 00:45:08 jls1R+Ox
>>298
残念ながらそれはない。せいぜい雑兵あがりがいいところ。
ただ秀吉の親父の弥右衛門が蜂須賀小六の親父の部下だったことは
考えられる。たとえ苗字なしの極貧の小作人出だとしてもね。
306:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 13:11:18 EIfbh80W
いや、でも実際問題、出自が明らかになってないんだから
小作人か土豪かもわからないじゃないのか。
そしたら出自が明らかになってない奴ら全員小作人出身になっちまう
307:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 13:16:31 eP4lHFTj
秀頼が誰の子かということと、
豊臣家が滅んだことは全く関係なし
308:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 13:20:23 xvbbYPvj
>>294
>脆弱(貧弱)な秀忠
増上寺を掘り起こした時に、歴代将軍の遺骨も調べられたけど、
秀忠は身長160センチほどで、骨太のいかにも戦国武将って感じだったそうだよ。
時が経つ程、徳川将軍の骨は公家化し骨の細い弱弱しいものになっていったそうだけど、
一番古い秀忠の骨はきちんと残っていたらしい。
秀忠以降は公家化が進んだにせよ、秀忠は戦国武将としての
平均値はあったんじゃないか?
309:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 13:28:25 nXtOw4W/
骨によると、体格はしっかりしていて、鉄砲傷もあり、勇猛だったのではと想像できるらしいよね。
信玄のように、体が弱くて安全な本陣でしか指揮を取らなかった人でも将としては有能な訳で
大将としての能力って、本人の身体能力とか、勇敢さだけじゃないんだよね。
310:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 14:05:08 x5KGsU/z
>>304
信玄に敗れて、糞を漏らした直後に書かせた自画像では
家康は随分、痩せてるよね。その時点では、さほど太ってなかったと思う。
おそらく秀吉に屈する前後では太っていたが
その後、健康問題を真剣に考えるようになり養生訓に彼自身が書いてるように
肥満は健康に良くないという意識を持って老後はダイエットを実行していたのだろうと思う。
311:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 14:18:27 Fgg92Kz+
秀吉を油断させるために肥満を装い
死んだらすぐに痩せて長生きしただけでしょ
312:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 15:06:31 5GDLb40+
家康は徐々に太っただけの話でないかい?
信玄と戦ってた時は激務だろうし、げっそりしてて、秀吉と手を結んでからは40代入って太りだしたのだろう
>>311 秀吉死後痩せて長生きって????
当時は多少太ってるが健康の証だろう。今とは食糧事情も違うし。
家康が健康の為に鷹狩りや、薬飲んだりしたのが長生きの証ならともかく、ダイエットとはw
313:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 16:17:46 jls1R+Ox
秀忠が骨太??
314:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 17:04:57 8Vmtn6QB
>>302
実際にそうやって主家乗っ取りに成功した一橋家の例があるのだが。
定信が止めねば、治済はもう少しで大御所になるところだったし、他の御三家・御三卿にも養子・嫁を送って
そのほとんどの乗っ取りに成功。
少なくとも、秀長より実現性の高いのは間違いない。
固有の武力を持とうが、五大老に張り合えようが、秀長が豊臣乗っ取って、誰に継がせるんだ?
その答えをまだ聞いていないよ。秀長が死んでおしまいになるなら、そんな意味のないことを秀長がするわけがない。
315:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 18:13:59 xKoH7J+D
だから秀次が秀長を扱いきれるかと言ってる、
正確に言うと自分の配下と秀長の配下の調整まで全部。
それができなきゃ争いが起きる可能性を否定する事などできない。
秀吉の下だけですら武断派・文治派でわかれてるのに、それにさらに秀長の直属の配下の権力が強まって、
さらに秀次の側近の権力も強まる、実際それも秀吉の虐殺に繋がった一つの要因だし。
これに江戸時代とは比較にならないほどに強力な外様大名の圧力が加わってくる情勢。
これらが丸く収まると思う根拠が欲しいんだが。
秀長が天下を奪って後継を誰に・・・とかそういう問題ではない、まず自身の身の安全の確保の問題。
それは既に>>228の時点で言ってる。
上記に比べれば徳川家内での後継争いは所詮家康・秀忠・家光が100年かけて創り上げた箱庭の中での
争いに過ぎない、誰が継ごうが彼らにとっては可愛い子孫が継ぐ訳で。
316:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 18:20:34 8Vmtn6QB
>だから秀次が秀長を扱いきれるかと言ってる、
>正確に言うと自分の配下と秀長の配下の調整まで全部。
だからそれは、秀忠と家康の関係にもあてはまるだろ、と言ってる。
駿府に発言力の強い大御所(及びそのブレーン)がいて、江戸の将軍はやりくい立場ではあったが、それでも両者はうまく
機能して、同族争いなど起こっていない。
代替わりのたびに同族間の争いが起こっていたら、それは当事者がよほど愚かな場合のみだ。
317:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 18:30:08 xKoH7J+D
え、本気で叔父と甥の関係が嫡子と先代の関係と同等だと思ってるの?
売り言葉に買い言葉で出た発言だと思ってわざとそこはスルーしてたんだが本気?
だとしたらもういいや、俺から何も言う事はない。
318:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 18:36:55 8Vmtn6QB
少なくとも、キミが主張している内容では差はないね。
実際に、後継者を指名しいったんは引退した先代が、再び実権を獲り戻したのが秀吉と秀次の例だ。
実績の大きい同族者の扱いが難しいのは、それが先代自身でも先代のブレーンでも違いはない。
違いがあるなら、どこがどのように変わってくるか具体的に指摘したら?
言ったろ。まじめに書き込むならまじめに応対すると。
319:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 23:22:04 x5KGsU/z
武田家の勝頼と穴山梅雪の関係に似てるだろうな
もしくは勝頼と武田逍遙軒信綱の関係の方が、もっと近いかもしれない。
明らかに主君の勝頼より発言力が大きく心の底から勝頼を見下し
諸将の前でも御一門筆頭の座を明らさまにして尊大に振舞ってた。
そして、俺こそが武田家の家督を継ぐべきだという気持ちが噴出して
あっさり勝頼を裏切って織田家に信濃・甲府を献上してしまった。
でも人間のあくの強さとか考えると、穴山のような酷い事を秀長がするはずないし
人間ができてるから、きちんと甥の秀次に従って立ててただろうという事は
想像に難くない。多分、自身は以前よりも目立たないように発言も差し控え
官位なども返上して家督を子供(養子)に譲って出家した可能性も相当高い。
320:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:07:45 11duRH82
>>319
それが現実的かも。
しかし出家してそこまで実務から身を引いてしまったら結局外様連中を抑えられない、
かといって出家しても信玄のように号をつけただけでは出家の意味が無い。
難しい所だな。
321:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:44:16 swns4syd
>>320
もちろん外様を押さえつけられないんだけど
高台院のように諸大名への影響力は持ち続けただろうと思うよ。
本人の意思とか無関係にね。
322:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:48:20 11duRH82
なんだか本気で複雑な体制になってしまいそうだな。
収拾つかないまま次の世代へ持ち越してしまいそう。
323:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:51:12 swns4syd
もし北条政子のように外戚が生きていたら
たとえば淀君の父(浅井)や叔父が生存して家を保っていたら
豊臣政権内に侵食してきて官職や軍権を一族で抑え
家康なんか出る幕もなく
逆らおうモンなら七族まで誅殺したんじゃないかな。
実質的な日本の王が淀君になって、彼女の庇護下で秀頼が安穏と生活を送れた可能性もなきにしもあらず。
324:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 00:54:52 swns4syd
というよりかネネが子供を産めば済むだけの話だったな。
外戚の浅野氏が我が身を盾にしてでも絶対に北政所政権を守り通す事は想像に難くない。
325:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 09:09:27 FcUGzuwB
ねねがこっそり浮気して他の男の子を秀吉の子として産めばよかったんじゃね?
326:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 13:47:45 oOV4QP/L
それじゃまったくもって元の木阿弥だろ
淀より味方する大名は多そうだが
327:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:51:52 b77EETCH
外様を抑えるというが、要は家康を抑えられるかどうかが一番のポイントだろう。
他はまだなんとかなるとしても。
秀長が生存していたとしても、せいぜい前田利家くらいの働きくらいだったかと。
家康が恐れていたのはあくまで秀吉だったしな。
328:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 23:27:17 jNIboLTh
釣ってるのかなあ。秀長と前田が同じ程度って。なんか反論するのも馬鹿馬鹿しい。
329:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 18:17:14 cYIRN6jK
とどのつまり、秀吉が種なしだったのか、ねねが石女だったのか
どっちだろうか
330:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 09:21:40 66H5iMqV
前者あるいは両方
ねねだけに原因があるとは考えにくい
あれだけの女とやったのに茶々しかデキてないんだし
331:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 18:47:20 zHEFt0Da
南殿は?
332:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 00:26:56 vzmziUu0
無精子症ではなかったんだろうな。一応、精子はいるものの数が極端に少ないか
精子の活動が極端に悪いかのどっちかだろう。だから運がよければ妊娠はする。
しかし、いずれにしても続けて二度も妊娠するほど受精率が高いなら上記のような
男性不妊の定義には当てはまらなくなる。相当数打って当たる程度の確率でしか妊娠できない
男性不妊の精子で同じ女が立て続けに妊娠するのは医学的見地から見てありえない。
それほど受精率が高いのなら、初期の段階で正妻であるねねが妊娠しているはず。
333:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 00:50:37 2h0fg/5z
なんとなくだが鶴松は秀吉の子っぽいが秀頼は違う気がする。
鶴松が成長してれば日本史も変わってただろうね…。
334:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 00:58:55 2vlXehgc
鶴松が生きててもまだ10代だから関が原には間に合わない。政治的
影響は飾り程度で、実権もへったくれもなかっただろう。関白にするに
は幼すぎて朝廷も許可しないだろし。ただ鶴松も秀頼も生きてれば淀の方
がどちらか一方を三成に貸した可能性がある。そうすれば関が原で東軍に
ついた大名が西軍について西軍が勝利した可能性もあったかもしれないな。
335:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 01:26:11 ncn0BE/U
鶴松が生きてたら朝鮮征伐自体が起きてない。
また秀次を関白にもしてなければ、彼に切腹させる事もなかった。
さらに言えば、三成が武功派武将に、あそこまで嫌われなかった。
秀吉は鶴松が死んだ後、半狂乱になって豊臣政権を自ら破壊する行為ばかりしたが
それらの愚行が無ければ人心も豊臣政権から離れず
家康の豊臣政権を切り崩す戦術があそこまで上手くいかなかったろう。
秀次一人が生きてるだけでも家康は傍若無人な行為はしずらい。
336:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 01:32:24 ncn0BE/U
しかし鶴松が死ななければ秀次の関白就任も後継者の道も全く無いわけだが
秀吉は彼をどうする気だったんだろう?
公卿の一人として右大臣程度のポストを与えてそのまま置いておくか
もしくは、どこかしかるべき土地に数十万石を与えて三好秀次か
豊臣秀次か分らないが大名としてあげるか
もしくは、どこかの大名の養子として送り込み、蒲生秀次とか吉川秀次とかにして
地方へ追っ払っただろうか?
337:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 06:50:10 vCy3AaSb
~たら
~れば
~たら
~れば
こればっかだね
338:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 09:16:51 yOKLV4vd
利家はまだ秀吉死後豊臣を守るために家康に対抗しようとしたが、このスレでは秀長はとてもそんな器じゃないっていってる意見が
あるようだ。
秀頼がいなくて秀長が長生きしたとしても、秀長は豊臣家をまとめることもできずに秀次と不毛な同族争いして家康を喜ばせるだけだろう、
なんていってるくらいだ。
やたら秀長を過小評価している意見には首をかしげるが。
339:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 16:34:23 ncn0BE/U
秀長は調整能力に長けた武将だったよね。
まだ、新生で先祖代々の家来も居らず
信長が次々とつけた武将を配下にさせられ
蜂須賀党のような、おそらく気性の荒い山賊みたいな人から
秀吉を上司とすら思ってない与力武将から内政のために登用した奉行系の
人まで様々雑多に居たのに、秀吉自身は東奔西走で安土・京・岐阜・尾張
その他様々な戦地に走り続け、その間の残された武将を喧嘩もさせず
丸くおさめ、なおかつ戦地でも、それらの扱いづらい部下を持ちながらも
並以上の戦績を収めた。これは十分に名将の評価は与えうるし
利家と比べても全然ヒケを取らない。
大軍を率いる武将の格というか能力から言えば
信長、秀吉、家康>利家、秀長>越えられない壁>秀次と見て良いと思う。
また、家内をまとめる調整能力を見れば、秀吉にすらヒケをとらないかもしれない。
治めるのが難しいと言われた大和の国を大規模な一揆や大虐殺も伴わず
なんとか統治する所までこぎつけたんだからね。
利家の方が徹底して一向宗の弾圧や圧政をして不器用な統治の仕方だったとさえ思う。
340:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 18:55:24 fL4v10al
>>338
上の方の論争は秀長の能力や勢威を過小に評価してるもんじゃないよ。
まあ327はおかしいけど。
341:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 18:56:18 nUb86iJF
「秀長」ではなく「小一郎」というほうがピンとくるのは俺だけかな?
342:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 19:12:47 yOKLV4vd
>>340
そうかな。
秀長vs秀次をしきりに主張していた意見があったが、あれこそおかしいだろ。
327はどこがおかしいのかさっぱりわからんが。
343:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 23:33:38 /kDUz6Ep
しょうがないだろ、どの時代でも派閥争いは起こるもんだ。
ましてあの豊臣政権の状況で、当主が秀次じゃ。秀長がいくら優秀でも無理ある。
上で秀長が隠居してしまうかもしれないと言う意見があったがそれが一番ありえそう。
344:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 23:35:07 /kDUz6Ep
あぁ>>327はありえないので無視。
345:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 11:21:41 yu0sIai0
都合が悪いから無視、でしょ。
346:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 11:23:34 yu0sIai0
つまり秀長には豊臣家をまとめる力がないというわけか。
秀次と協力しあうのも無理な狭量な男と。
輝元を支えた両川のような立場は期待できないってわけね。
それこそ過小評価だろ。
347:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 11:45:08 Vrz9jZWn
張良や黒田官兵衛のように賢い者は
「天にニ日なし」を良く知ってただろうから
主君に少しでも自分が猜疑心を持たれる可能性を感じたので
身を韜晦して隠遁したのだろうと思う。
秀吉と秀長は肉親の上に精神的にも裏切る事や猜疑心を持つ事自体が
ありえない関係だったかもしれないが、秀次と秀長がそうだったとは
思いがたいからね。もし秀次が項羽のように親族にだけ物凄く甘いと
定評のある人物であれば親族は身を韜晦する必要もないが
多分、そんな事はないと思うので、秀長はおとなしく隠遁したでしょう。
それを持って無能なんて評価はできない。
それだったら上記の張良や黒田如水が無能で、ハンゾウや項伯や秀次が
優秀だという結論になってしまう。
348:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 11:56:23 Vrz9jZWn
でも、隠遁という話であれば秀次自身が一番すべき人物だったんだよね。
秀頼誕生を大袈裟に喜び、自らは「日本国を守るために防人をしたい」などと
九州か北海道への赴任を願い出るなり
「政治に疲れました、もう出家して余生を穏やかに過ごしたい」などと隠遁を申し入れれば
秀吉は喜んで認めてたんじゃないだろうか。
それでも、三成あたりが秀吉に何かを吹き込んで隠遁した秀次を殺害させる可能性はあるだろうけど
秀吉が死んだ後に偽書まで作って秀次を殺すほどの大胆な事を三成はできる人間でもないだろうから
多分、秀次自身は寿命を全うできたでしょう。
349:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 18:03:12 ozehYDIg
>>327が秀長の存在感を前田利家と同じ程度としているのは過小評価じゃないのか?
350:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 19:21:10 2CjrU6R8
おねも旦那の留守中に浮気でもしてがきをうんどけばよかったんだな
351:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 11:47:29 PLcnFcku
秀吉は医学的見地から見ても面白い研究材料かも。
彼の死因一つをとっても、そうだし
実年齢に関しても疑わしい部分があるし
秀吉のSEX回数に比しての極端な子の少なさや
弟の秀長も子が出来なかった点や、秀吉が多指症であった点からも
秀吉の遺伝形質や染色体異常に関しても、彼のDNAが万一採取できたら
面白い研究結果が出るんじゃないかと思える。
352:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 18:50:15 Ai4bJlPM
小一郎には一応娘がいる。
でもって秀次の弟で秀保というのをその娘の婿として養子にしていた。
彼のDNAは採集不能だろう。
墓も骨も家光のアホがどっかに投げ捨てちまった。
353:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 10:06:33 7syHOwE1
たまたま兄が種無しだったのに合わせて子が少ないから小一郎も種無しって感じではあるけど、
小一郎は兄と違って側室などの浮ついた話も聞かないし、
経歴をたどってみる限り、実は忙しすぎて子を作ってる暇が無かっただけなのでは・・・と思う事がある。
354:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 23:17:16 nheKVNFi
>>327
狡兎死して走狗煮らる、の例はたしかにあるものの、漢の高祖はその代表例で、あそこまで
功臣が粛清されていった新政権は珍しい。
秀次が、高祖ほどに周辺を切り捨てていくと定評のある人物であればともかく、歴史を顧みれば
身内に優しく一族で盛り立てていく方がむしろ一般的。強大な敵が残っているならなおさらに。
まして秀長は調整能力に長けた武将で、その実績はキミが>>339で書いてあるとおり。
秀長なら秀次を立てながら、豊臣家を支えて家康に対抗していくだろうと思う。が、仮に隠遁
するとすれば、自分が何をしても家康には敵わないときっぱり諦めた場合かな。
高台院のパターンだね。
>>349
全然。
秀吉でさえあれほど手を焼いた家康を、秀長なら翻弄できる、とはとても思えないからね。
355:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 03:01:43 cLWw89vL
いや、あくまで秀吉存命時は家康は完全に抑えてただろ。
秀長が総大将として100%実力を振るえるのであれば、秀吉と同じく家康を抑えることは可能だと思われる。
だが秀次の政権であってあくまで秀次の補佐としてという程度のものならば
それは難しいかもしれないし、変に秀長が秀吉同様の権力を持てば、史実の秀吉と秀次のように、
軋轢が生まれてしまう事もありうるわけで、彼の性格を考えると、そうなる前に隠遁する可能性も高いと言う事。
前田利家と比較する方がおかしい、実績が違いすぎ。
356:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 08:15:40 z9zDO/mg
秀長云々じゃなくて家康にたいする過剰評価なんだな。
家康ならなんでもできるなんて考えてそうだ。
357:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 13:44:23 Hfl/xEGL
秀吉によって意図的に家康に対抗する位置に置かれた部分もある前田ですらあれだけ家康を
掣肘できたんだから秀長ならいっそうでは。
358:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 08:21:11 vWF/TJEg
>いや、あくまで秀吉存命時は家康は完全に抑えてただろ。
どのへんが?
戦場では(局地戦とはいえ)負けて、搦め手でなんとか和睦させ、臣従させるのにも妹を送って母親まで送って、それでようやく
挨拶に来た家康を、半ばだまくらかして臣下の礼を取らせてとりあえずまとめて、その後も細心の注意を払い最重要人物として
扱っているぞ。秀長や利休たちの尽力もあったから知ってるはずだろ。
三河から切り離したり、石川数正を引き抜いたり、いろいろ揺さぶりをかけたものの徳川家はまったく弱体化せず、朝鮮出兵も
拒絶され、結局豊臣政権の中でも別格の存在のまま、最期も家康を筆頭とする五大老に秀頼のことを託す形にせざるをえなかった。
家康の最期と比べればどれだけ不安定な政権状況だったかわかるはず。
秀吉&秀長でさえ、そこまでするのが精一杯だったのに、秀次&秀長で、状況が好転する理由がないだろ。
359:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 10:33:07 do1GiG3v
逆に家康の側が史実と違い後継体制の移行が順調におこなわれた豊臣家に
どのような形で政権奪取をおこなえるんだろうかという疑問があるんだが。
つか家康がそういう動きをおこなえるもんなんだろうか。状況や条件は史実よりも
厳しくなってるのに。
360:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 10:36:17 do1GiG3v
それと家康は秀長と東国取次という役割も含めて政治的に近いという事実もあるし。
361:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 21:33:29 cYPKoKuR
>>358
というか秀次の存在はこの場合マイナスにしか働かんと思われる。
存在する以上は秀次があくまで君主であって、秀長はそれ以上の能力は出せない。
362:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 21:54:25 kkXGe7RN
スレ違いの話題はいつまで続く?
363:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 22:03:47 cYPKoKuR
スレタイ通りの話題がちゃんと出てくるまで。
364:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 22:38:45 NFM07Y+z
自演ぽいのが続く
365:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 23:43:33 LL4CAUFn
「羽柴秀頼」と呼ばれることが殆ど無いのが不思議でならない。
本姓で呼ばなきゃいけない理由でもあるのだろうか
平頼綱みたいに名字が不明もしくは使ってなかったというなら話は別だけど。
366:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 00:00:32 1U57xFsZ
>>352
家光って秀吉の墓だけでなく秀長の墓も荒らしたの?
367:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 02:34:44 VnyQHHxF
秀長VS秀次の「たら、れば」を必死に論じている人たちは
何が楽しくて続けてるの?
368:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 06:18:46 L+EBTGuj
秀長も最近再評価されてるけれども、基本的に温厚な官僚的な行政官タイプだと言われている。
秀長の司令官としての力量も、政治的戦略的なお膳立てを秀吉がしっかりした上での物だからな。
参謀も黒田官兵衛とか蜂須賀とか居るわけで。それに重要な政治的な判断も秀吉が行う訳だしね。
秀吉死後の豊臣家の政治的難色を乗り切るのは、もっと実行力の有るタイプの政治家が必要だと思う。
仮に秀長が長生きしていたとして、秀吉死後の派閥争いを押さえきれるのだろうか?正直、三成一人押さえられたか疑問だよ。
利家と大差無い役回りでないのかね?
369:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 07:42:39 +viUpYFu
旭姫を送ったのは家康が先に長子の於義丸(後の秀康)を人質に送ったからその返礼という形なんだが
朝鮮出兵でも渡海こそしなかったものの名護屋城の普請や大船の建造、
九州での出陣など大小様々な賦役を課せられてる
秀吉が豊臣政権下の家康を優遇したのは事実だが別にそれは家康を持て余してたとかそういうわけじゃなく、
変な言い方だが家康の人間性と実力を信頼してのことだろ
本当に邪魔ならそれこそ難癖つけて攻め滅ぼしてるよ
370:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 09:02:58 6uFoqYk2
家康厨がいうことだから
371:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 12:34:57 RknJFRGQ
>>367
その話はとっくに終わってる訳だが。
>>368
秀長は紛れも無く豊臣正規軍の総司令官になるわけだぞ、
その時点で何が変わるか、考えてみればわかりやすいだろう。
372:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 12:46:37 vVQwaXyD
>秀長は紛れも無く豊臣正規軍の総司令官になるわけだぞ
反対むなしく朝鮮出兵で総司令官を任されることになる
秀長の立場では武断派も文治派も顔を立ててやらねばならんから
ストレスによって確実に病没するので秀吉より長生きできない
何も変わらないな
373:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 13:33:00 0kkDnABo
秀長の権勢は補佐役というイメージなど抽象的なものであったが研究によって明らかにされてきたものも多い。
その一つは、西日本全般における軍事指揮権や服属地への仕置き等の権限であり
例えば四国九州征伐において長宗我部島津などの戦後処理を秀長が行い秀吉がそれをそのまま
追認しているのもその一例である。
東日本に関しても北条外交について家康に意向を申し送ってるのがわかる書状などがあり、病がなければ
西と同様の権限を与えられていた可能性は高い。
374:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 04:08:35 iJW/mFNW
確かに高いな、しかもそれが居なくなってしまったから、換わりに家康に東国を任せる形になった。
それが結果的に家康と東国とのつながりを強めてしまった。
375:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 05:11:18 WLwzEBvP
当時の大阪城の事を想像すると、大阪城の豊臣家を動かしていた人は誰なんだろうかと思う。
名目はもちろん秀頼が当主なのは間違いない。
家老の守り役は片桐且元なのも間違いない、家老類としては大野治長兄弟や片桐兄弟とかが判断してたようにも見えるが。
淀君が女城主だったんじゃないのだろうか?。
あと有楽斎と信雄も親類としていたそうだが、権限があったのか無かったのか。(こいつらは大坂の陣の前に逃げ出してるから責任なんぞ無かっただろうけど)
仮にも家老で宰相であるはずの片桐兄弟が最終的に追い出されてるし、結局、淀君が政治判断の決定権もってたのだろうけど。
こんな物が豊臣家なのかって疑問も有るな。淀君の私物のような状態な感じが読み取れる。
秀頼哀れ(´д⊂)
376:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 08:29:44 Bqn1kSfZ
>>369
いくら天下人でも、いくら邪魔な存在でも、誰でも難癖つけて滅ぼせるほど簡単じゃない。大物であればなおさら。
隙あらば弱体化させようとは狙っていたが、政治的に家康が巧みに交わし、表向きは協力して、重用せざるをえない形に
持っていっただけ。
信長に難癖つけられた時に、信康さえ死に追いやったほどの家康なら、そのへんはお手の物だろう。
実際に秀吉死後の家康の行動には、無駄もなければ迷いもない。
天下獲りのため、秀吉の死をずっと待っていた者の行動だね。その家康の人間性を、秀吉もかなりの部分は見抜いていたから
諸大名に牽制させようとして合議制の形にもっていったわけで。あまり役にはたたなかったが。
377:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 18:16:12 WLwzEBvP
秀頼の立場は選択肢が少ないんだよね。
淀君とか侍女共に囲まれて育てば、どんなボンボンができるか誰でもすぐ解る。
仮に他家に預けられて男らしく厳しく育てれば、淀君の言うことなど聞かない、しっかりした政治家になる可能性もあったが。
利家や家康に預けて育てるとかの選択肢も、秀吉が死んだ時点で厳しい。
他家に預けられた秀頼が病死でもしたもんなら、毒殺と疑われて、大変な事になる。
そんな可能性が有るだけで他家に預けることも出来ない。
結果、秀頼は、15才になれば天下を秀頼に帰すなどと言う約束を信じさせられて育ったとか。
淀君は家康を豊臣家の家老程度にしか思わずに、単純に、天下を家康に奪われたと思って恨んでたのだろう。
まともな譜代の家臣が居ないことがここまで尾を引く物か。滅びる原因は内に有りだな
378:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 21:57:47 QpaazcPq
すべては淀の責任ってか?
あと淀君って呼び方は不快に感じるひと
結構いるみたいだからわざとじゃなければ
やめたほうがいいかも。
379:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 08:44:15 dewO3jbP
天皇に挨拶しない不届き者を征伐する、という理由で朝鮮に出兵した秀吉だぞw
秀吉くらいの独裁者になれば気に喰わない相手にいくらでも難癖はつけれるわけで
それこそ大坂の陣における方広寺鐘銘事件程度の言い掛かりでも構わない
存命中の秀吉が家康の本性を見抜いてたというのも疑わしいな
後世の我々からすれば家康が律義者なんて笑止千万だが、
当時の家康は巧みにそれを韜晦してた
太閤遺訓でもしつこいくらい「内府は律義者だから~」を連呼してる
家康のことを秀吉が警戒していたとする積極的な史料を自分は知らない
380:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 19:36:19 g52H93Ko
だからといって全くの無警戒ではないだろ。
徳川は一応豊臣家の臣下だが、石高は日本最大の大名だぞ。
381:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 02:08:01 o/zi5jKb
>>377
家康に預けていれば立派な三法師2号が出来ただろうに。
382:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 02:19:55 iPUiEBCb
家康にそんな度量は無いだろ
頼朝の命を救った清盛の愚は避けようとするはず
度量というか性格的なものかもしれないが
383:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 19:57:29 vE4nKGY5
>>365正確に言うと豊臣氏は継いでないよね。
豊氏長者になってないから。
>>378
淀君の君は遊女を意味してるからな。徳川は汚いな。
384:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 23:38:50 aRZWPPpI
坂 崎 直 盛 宇喜多秀家の従兄弟だが、東軍について改易された男。
浪人中に自ら坂崎って名前にしたらしいが、実際は秀家が同じ宇喜多姓を
名乗るなって事だったらしい。後の、大阪城の千姫略奪事件も凄いものがあったなw
東軍は痛い奴が多かった。よって、負けた。
385:384
07/01/10 23:39:39 aRZWPPpI
誤爆した。すまん。
386:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 14:14:35 ICgy3iiF
「君」は遊女の「君」説もどうかなと思うが、結構最近説だしな、田端泰子って学者が言い出したことらしいが。
高貴な婦人を「君」ってつけるのは珍しくないし、まあ、呼び名だから時代で意味が変わっていくの物だが。
手元の小説の山岡荘八の徳川家康にも「淀の君」で通して有るね。
387:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 14:21:38 fIXFqYS7
逆にいえばいつごろ呼ばれてた(呼ばれ始めた)のか分かれば
その時代の意味って考えてもいいんじゃない?
秀吉存命時に淀君って呼んでるなら尊称、江戸時代に入って
からなら卑称の可能性が高い、とかさ。
388:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 18:33:22 7gYlPeB7
江戸時代の摂関家の姫が~君とされることもあるから、
卑称とは限らないと思うけど。
389:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/12 13:29:44 eJ9kyqm6
維新後の徳川誹謗の流れの学説かもしれんね、
呼び方が悪いから徳川悪いなんて言う論理の>>382みたいな子も現れるくらいだしw。
390:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/12 13:58:43 rWdD8DPd
結局淀君の呼称の初出及び定着時期っていつ頃なのかね。
本人死亡後だとしたら、良し悪しは別にしてそう呼ばれ始めた
背景なり理由なりが何かあったんだろうとは思えるけど。
ちなみにここでいう背景とか理由は彼女に対する個としての
意識を向けない範囲まで含めて、ね。
391:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 12:24:02 Socw3rl5
>>379
その「しつこいくらい」「連呼」している不自然さをみて、キミはなにも感じないのか。
信長存命時の秀吉は、家康に負けず劣らず律儀で、織田家に絶対の忠誠を尽くしていたぞ。
表面上いくら律義者を装っていても、一度目の上のたんこぶが取り除かれた場合野心ある者はどう動くか、
それを身をもって証明してみせた秀吉自身が、家康を警戒しないと、本気で思っているのか?
現に義元が死んだ途端に今川家に手の平返した家康だぞ。
それから難癖をつけて滅ぼす場合は、確実に勝てる見通しがついた上で動かないと、むしろ自分の命取りになる。
大阪の陣の場合は、すでに有力大名のほぼすべてが徳川家に従っていたという確固たる既成事実に加え、
豊臣家があくまで徳川政権を認めず、臣従することを拒否したから言いがかりが成立した。
徳川政権下での一大名家としての豊臣家なら存続することは十分可能だったが、秀頼や淀にそこまでする外交力が
なかっただけ。
392:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 15:03:15 FQq6Pyor
秀吉はもちろん家康も信用しきっていた訳ではないと思う。
でも他の外様に比べればまだ信用できる存在だった訳だ。
で、結局もっと疑わしいそいつらの抑えの意味でも、家康を信頼しないと、
成り立たなかった。
この時点で無理がある気がする。
393:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 16:49:53 kJrsloVU
家康が秀頼立てた、事例も多いぞ。官位なんか秀忠の一個上を与えてたり。
秀吉の約束に従って千姫を嫁にやったりって、なかなか出来ないぞ。
当時天下人の立場の家康が、前天下人の子供の秀頼に官位や嫁をやるのは、懐柔してるようにも見えるが、結局次世代に不安を残すし
自分が死んだ後が心配で、とてもやれることでは無いと思う。
まあ最終的に死ぬ前に憂い絶ったが、それまでの15年は軽くはない。
これが律儀と言われてる処だろう
394:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 05:04:47 H3WRUmTu
で、秀頼のパパは誰なのよ
395:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 10:56:44 dAB1GCG8
その後、数代に渡って豊臣家が続いてたならともかく、
結局、秀頼の代で終わってしまってるし、自身は秀吉の子として生まれ、死んで行ったのだから
あんまり父親を特定する意味もないんじゃないか・・・?何かが変った、変ってたと思えない。
むしろその辺の考証は斎藤道三・龍興の方が面白い、スレ違いだからしないけどな。
396:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 18:29:36 UjW82/BM
そもそも性格的に、律儀な一面が家康にあったのはたしかだろう。
自分が認めた相手(義元、信長、秀吉)には、実直に仕えている。
しかしその対象はあくまで個人に対してであって、家に対してじゃない。
当人が死ねばそこまで。義理はなし。
397:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 21:45:54 l3gbdjWn
むむ・・
398:人間七七四年
07/02/12 19:06:56 x4zHCgiR
秀頼については、ひ弱なひょろひょろ説と、デブ説があるけどどっちの方が信憑性ある?
399:人間七七四年
07/02/12 19:28:51 nzqP3mXA
美丈夫との説もあるぞ。家康は成人した秀頼と対面して自分が死ねば天下を取り返されると脅えて豊家滅亡を決意したらしい
400:人間七七四年
07/02/12 19:33:50 x4zHCgiR
美丈夫設かぁ。
秀頼がひとかどの人物であったとする方が話としては俄然面白くなるね。
実は死んでいない説もあるそうだし。
401:人間七七四年
07/02/12 19:51:03 nzqP3mXA
死んでない説は架空だとしても家康は大阪が浪人集めだす前は豊家を50万石以下程度で存続させる意思だったからね。もちろん国替えは必須条件だが。
402:人間七七四年
07/02/15 10:08:56 vPh2evz1
鎌倉にある秀頼の娘と秀吉の家族の墓を掘り起こして、遺骨を調べれば何かわかるかも。
子孫もいないし、やろうと思えばできそうなんだが
403:人間七七四年
07/02/15 10:36:09 HCf+uFj6
てかそんな簡単に浮気できるもんなの?
そこらへん疑問。
404:人間七七四年
07/02/16 22:09:21 n4BENox4
秀頼が大坂城に拘ったのも、自分が秀吉の子で無いという疑惑が有ったからかも。
母親の貞操に不安というのは、子供として想像するのもかなり嫌な事だが・・・
大坂で戦って、死んでやるという事が秀吉の子供のしての義務だと思ったのか(血を関係なく生き方として)
と妄想してます
405:人間七七四年
07/02/16 22:21:18 EkVjj5Px
>>401
せいぜい10万石では?
しかも豊臣姓を返上させて。
406:人間七七四年
07/02/16 22:23:14 v1hoMcIN
>>405
返上はいいけど、その後の本姓はどうする?
407:人間七七四年
07/02/17 00:26:21 s113/BEm
>>405
ヒント→大和一国
408:人間七七四年
07/02/23 21:32:00 gM+DHk9g
>>404
あながち妄想でもないかもしれない。
夏の陣では淀や治長よりも秀頼の方がやる気満々だったと思われる説もあるし。
国替えを断固拒否したのも淀ではなく秀頼だったはず。
409:人間七七四年
07/02/23 21:42:52 1+AQ+jsn
淀って人は浅井、柴田、豊臣。兎に角想像力を掻き立てられる素材だからね
410:人間七七四年
07/02/23 23:28:27 iCv1DPfk
家康との会見以外は一歩も城を出なかったというが
政務や武芸の稽古すら皆無に等しいし
秀頼は普段なにをして時間を潰していたんだろう?
411:人間七七四年
07/02/24 00:21:18 gcxVC/lW
>>408
若気の至りって奴よ
まあオチンチンに毛が生えたころから侍女と槍まくって思い残すことはないだろうね
412:人間七七四年
07/02/24 00:23:32 gcxVC/lW
>>407
京大坂に隣接する国をまるまるやるかよw
413:人間七七四年
07/02/24 02:08:35 RcWCCXD5
仮にも武士の子なんだから武芸の稽古は結構してただろう、ニートじゃないんだし。
書道が好きだったってどっかの本に書いてあったな。
城から一歩も出ないのは、江戸の将軍もそうだだしね。
まあ豊臣家は秀頼にしか存続の証は無いからね。
戦乱の次代でも無いのだし、それはそれは大切に扱われていただろう。
414:人間七七四年
07/02/24 02:18:03 TdpYYtEG
そもそもその「城」てどの範囲なんだろうな。
「大坂城」って意味なら、その広さや設備だけで日常生活には十分な気もするんだが。
415:人間七七四年
07/02/24 08:02:32 x/b65K1j
>>403
大野は浅井家の時代から茶々に付き従ってたから十分あり得る
416:人間七七四年
07/02/24 10:35:01 pMgI+sMc
秀頼しかいなんだから、もしもの事があったら大変だものな
417:人間七七四年
07/02/24 17:55:37 0IlGcVez
かまぼこ王・秀頼
418:人間七七四年
07/02/27 02:39:50 UfAUsnAb
>>42
遅レスだけどワロス
ひょっとしたら毎回口に出していたのかもしれん
「あれ、おっかしいな~毎回飲ませているのに~」って感じで
淀殿はフェラを拒否したのだろう
419:人間七七四年
07/02/27 02:52:36 JdR97uEz
>>412
実際に実現させない条件で釣ろうとする2ちゃんねらー家康の常套ともいえる手段
420:人間七七四年
07/03/01 00:38:51 +QWLGTyc
>>123
その発想はなかったわ
421:人間七七四年
07/03/01 04:24:23 MVBwedSN
>>418
今昔物語に使用後の蕪を食べた娘が身篭ったという話があったね
422:人間七七四年
07/03/31 04:14:51 dPJV9yip
でっぷり太っていたのは祖父の長政に似たからか
423:人間七七四年
07/03/31 07:49:43 O2topJbj
この人に何か特筆すべき事績はある?
424:人間七七四年
07/04/01 12:39:13 qp6OWRmJ
あの家康があらゆる手段を講じて外に出そうとしたのにたったの一度しか外出させられなかった
現代社会を悩ます引き篭り問題の解決がいかに難しいことなのかを四百年前に証明した事績がある
425:人間七七四年
07/04/01 18:33:33 TTcM/GY2
重圧かけて自殺に追い込むことが引き籠もり問題解決の糸口かよふざけんな氏ね
と、釣られてみる
426:退屈@親父
07/04/02 21:28:54 +7f6TVp6
age
427:人間七七四年
07/04/02 23:06:41 /7UFMeS7
>>383
秀吉の後継者なのに長者をついでないだとwwww
428:人間七七四年
07/04/03 17:46:54 xeJPGqUR
「君」ってつけるのは別に卑称じゃないんじゃない?
姫君とか若君って呼び方も戦国時代の前からあるし
源氏物語でだって「紫の君」って出て来る位だし
元は身分が高い人がつけてたのを
遊女やらが憧れでつけ始めたのかもしれん
あと戦に負けた平家の女性が遊女になったとき
教養として身につけてた琴やらをやり始めたのが
芸者の発祥とも言うし、貴族的な文化を受け継いでるのかも
429:人間七七四年
07/04/03 17:55:25 Slb0IYVW
卑称かそうじゃないかはどうでもいいが、一体いつ頃から淀君って呼ばれるようになったんだろう。
少なくとも同時代の史料では淀君どころか位の高い武家女性を「~君」と呼んだ例もないようだし
後世の俗称であろうことは想像に難くないが、具体的な典拠がよく分からん。
430:人間七七四年
07/04/04 01:20:52 TJbWz5/0
>>428
>「君」ってつけるのは別に卑称じゃないんじゃない?
「小谷の方」を「小谷君」と、「松の丸殿」を「松の丸君」と呼ばないことに疑問を抱いてほしい。
431:人間七七四年
07/04/08 09:05:33 or6XOV2s
「茶々君」か「淀殿」であって、「淀(城)の女主人」に「淀殿」はNGだということでは?
432:人間七七四年
07/04/08 09:06:34 or6XOV2s
>>431
スマン間違えた。
「茶々君」か「淀殿」であって、「淀(城)の女主人」に「淀君」はNGだということでは?
433:牟田 ◆MAEDAxMYTY
07/04/22 09:46:56 VFZaMDPA
スケトウダラなどの白身魚のすり身を主原料とし加熱により木の板(臭みのないモミ、シラベなどの木が好まれる)の上にゲル化させて製造した魚肉練り製品が好きだったらしいね。
434:人間七七四年
07/05/03 18:08:51 XVNehw33
たしかに秀頼は秀吉の子供ではないと思う。
秀吉には沢山の側室がいたが南殿と淀殿を除いては誰も秀吉の子供を生んでいない。
宣教師たちも秀吉には子種はないと疑っていたし、
何よりの証拠は秀吉死後の側室たち。
他家にとついで子供を生んでいるのが何人もいる。
お種さん(伊達正宗側室)や前田利家の娘摩阿姫など。
435:人間七七四年
07/05/03 22:25:42 0B4iNi2Y
タイミング受精とか、情報が知れ渡ってる現代でさえ結婚10年目に子供がでけた、て事もあるし…分からんわい
436:人間七七四年
07/05/04 00:33:36 d6+7qEmY
筑前による婦女暴行の結果できた人物なのか、
大野との恋愛の結果できた人物なのか
437:人間七七四年
07/05/14 15:47:31 vL7o1LCh
後世の人間に「あいつは子種が無かった」といわれるのって悲惨だなw
偉人でもそういう説が出てくると評価が下がる気がする
438:人間七七四年
07/05/16 19:14:27 Mi60HufR
父親候補は秀吉と大野ぐらいしか思いつかない…
439:人間七七四年
07/05/16 19:41:47 T8kGRvYg
とりあえず三成や家康の線は実証的にもほぼ完全に否定されてるな
440:人間七七四年
07/05/16 20:26:07 BXyBtQt+
家康実父説ってどんな根拠から発生したんだろう?
441:人間七七四年
07/05/16 22:10:15 VT7AVtxA
>>433
ユーモアのセンスがあまり…
442:人間七七四年
07/05/16 22:15:40 O43VrOl0
URLリンク(www.thecount3.com)
443:人間七七四年
07/05/16 23:20:50 Q50XxDsU
>>439
三成はともかく家康だったらそもそも関ヶ原も大坂の陣も起きないだろ
444:人間七七四年
07/05/17 04:15:51 nsIeSZIN
家康は実の子でも容赦ないけど、まあ秀吉の子だろうな。
南殿の間にも子がいるしそこまで否定したら
もう何でも自分の都合のいいように解釈できないか?
445:人間七七四年
07/05/17 14:47:08 AqfY6bbH
DNA鑑定でも数百年前の遺体ではきちんと信頼できる結果は出ないらしい
だからこの件に関しては永遠の謎だな
446:人間七七四年
07/05/17 23:28:07 f/reZSbR
血液型から分からないかね?
一応血液型は分かるらしいぞ(遺物から調べて分かるらしい)
明らかに生まれない血液型ならそれでも1つの証拠になりそうな気がするが。
447:人間七七四年
07/05/17 23:35:01 8IgnChdQ
>>443
自分の子供だと気づいていなかったら同じかと
448:人間七七四年
07/05/20 14:38:46 oGlyQC6G
いつかタイムマシンで(ry
449:人間七七四年
07/05/20 19:07:44 kynSVUG3
>>440
言われているほど仲が悪くなかったとかその程度
450:人間七七四年
07/05/31 00:59:50 LMQQeBQl
>>440
それが事実ならば家康が大阪を攻めても秀頼には手心を加えるかもしれない
もしくは大阪城を出ても悪いようにはしないかもしれない。
・・・・と大阪方に思わせるための流言が発端じゃね。
451:人間七七四年
07/05/31 01:53:16 PXHE8IEV
母親同様に知名度は異常なまでに高いけど
この人物に特筆すべき事績なんてあるの?
452:人間七七四年
07/05/31 02:44:01 IApVLAWt
家康に殺されたというのが彼の最大の事績だと思われ
453:人間七七四年
07/06/05 02:22:26 QT4BRB3i
秀吉は本当にちゃんと子作りしていたのか?
側室といっても、
実際は臣下筋から預かった人質で、ヤッてなかったとか…
454:人間七七四年
07/06/05 03:30:43 kAdMbngz
っていうか秀吉ってなんかおかしくね?
指は6本あるし、顔はサルだし、子はいなさすぎるし、
遺伝子がおかしかったのかも知れぬ
455:人間七七四年
07/06/05 06:25:59 1mRY8ABL
猿と言うよりネズミに似てたって言うが
456:人間七七四年
07/06/05 07:52:49 qLzPdHP2
つーか中田氏してなかったんじゃねえのか?
それかマジに完全なる突然変異、進化か退化かわからんけど
457:人間七七四年
07/06/05 11:53:58 neiaKc9/
偉丈夫 こんな単語はじめてみた
大丈夫とは違うのか?
458:人間七七四年
07/06/05 13:12:46 IQKDAQEy
家康は秀頼を高く評価している
459:人間七七四年
07/06/05 13:14:25 A/WvG2mO
各種の才能はありそうだが、
使ったことは皆無なんだろうなあ。
460:人間七七四年
07/06/05 13:18:49 BIpj1cPG
>>457
ググレ(・ω・)
461:人間七七四年
07/06/05 13:39:22 IQKDAQEy
秀頼はかまぼこを食い過ぎだというのは事実か?
462:人間七七四年
07/06/05 14:14:02 e3Iji6U9
>>458
評価も何も、評価できるような事は何もしていないがな>秀頼
評価に見えるとすればそれは家康の孫娘の婿へのまなざしだろ。
自分の孫の婿を悪く見ようとはしないものだからな、人情として。
463:人間七七四年
07/06/05 14:48:11 CwIWRPeB
>>462
大勢いるウチの一人にすぎないけどね。w
464:人間七七四年
07/06/05 15:04:39 IQKDAQEy
>>462
秀頼は父秀吉には及ばんがなかなかの男 (家康談)
秀頼が初めて牛を見て驚き、世間の笑いものになった
しかし家康は、誰でも初めて見たら驚くだろう、と言って 評価を変えなかったのも面白い
465:人間七七四年
07/06/05 15:12:08 zF6HWXTM
秀吉の姉の日秀だけは子沢山だけど
弟の秀長、妹の朝日(三度結婚したが)に子供が居ないのはおかしい。
日秀と秀吉は弥右衛門の種と言われ、秀長と朝日は竹阿弥の種という説もあるが
もしかしたら日秀だけが種違いの姉で秀吉、秀長、朝日は父方の遺伝子異常で生殖能力に問題があったのかなと思えなくもない。
466:人間七七四年
07/06/05 15:43:49 CwIWRPeB
>>464
三成の柿パスの話もあるし、家康って相手の立場をよく理解する人だったようだね。
467:人間七七四年
07/06/05 15:44:55 CwIWRPeB
>>465
秀長には娘がいたはず
468:人間七七四年
07/06/05 15:52:40 QT4BRB3i
>>465
三好さんが精子たっぷり体質だったんだろう。
秀次は父親に似たんだな
469:ピザ頼
07/06/05 18:33:37 IZzjLtmN
浅井長政
URLリンク(www.shimogo-kyosaikai.org)
豊臣秀頼
URLリンク(sans-culotte.up.seesaa.net)
お市
URLリンク(www.biwa.ne.jp)
470:人間七七四年
07/06/06 01:08:26 B9KjSpTG
秀頼って頼朝から取ったんだろうな。頼朝のことを天下友達とか言ってたからな。
次男がいたら秀朝だったかな。つか本来鶴松が秀頼で秀頼は秀朝だったのかもな。
471:人間七七四年
07/06/06 01:35:26 HhJ0XG9v
>>462
>評価も何も、評価できるような事は何もしていないがな
家康もそう思ってたから侮っていたが、
実際会ってみたらなかなかの傑物で驚いた、という話でないの?
何もしてないが素質だけは色々とあったのかも知れぬ
開花する前に摘み取られてしまっただけで
まあ秀頼が大物だったほうが物語的には盛り上がるな
472:人間七七四年
07/06/06 05:28:02 f71Zm31i
秀頼が大物だったら堀を埋められてないよな。
473:人間七七四年
07/06/06 07:08:56 /gVUpkyg
>>472
最近の研究では、秀頼がわざと堀を埋めるのを黙認したと言う見方が強くなってますね
大坂の陣も家康と秀頼が前もって打ち合わせされていた出来レースというのも最近の研究結果でほぼ決まったようです
淀には全く発言権が無かったようで、陣の最中、家康に用意されたルートで淀を残して脱出したようです
この出来レースを知っていたのは秀頼と幸村の二人だったようで家康が晩年書き残した『家康語録』にも残っています
474:人間七七四年
07/06/06 07:21:45 c/CMghQx
ありゃ家康が上手だっただけだべ
才覚があっても所詮若造だし、戦国の世を生き残った海千山千の家康の前じゃ赤子同然でしょ
475:人間七七四年
07/06/06 12:11:23 gIv8gIly
その赤子を殺すために方広寺の鐘銘なんて子供の言い掛かりみたいな難癖を付ける家康・・・
大坂の陣の時の家康は寿命が近い焦りも有ったんだろうが、
関ヶ原の時に見せたような用意周到さが欠けてるような気がする
のこのこと前線に出てきて真田・毛利に殺されそうになってるし
476:人間七七四年
07/06/06 13:24:15 gtN77NH1
国家安康君臣豊楽
これは家康の名をまっぷたつにして、豊臣を君として楽しむと読めるWW
477:人間七七四年
07/06/06 13:31:14 t83GXptv
>>475
相手のレベルに合わせたんじゃないの?
478:人間七七四年
07/06/06 15:10:49 c/CMghQx
わざわざそんなことしてやる理由がないだろw
実際はどうだったかわからんけど、家康には秀頼>秀忠に思えたんだろうなあ
だから自分の生きてるうちにとかなり無茶なことやってる
年取って弱気になってたのかもしらんが、確かに秀忠は覇気のあるタイプではなさそうだし
479:人間七七四年
07/06/06 16:03:48 jZuPaiHa
どう考えても秀忠は政治家として日本史上何本の指かにに入るほど超優秀。
秀頼ごときが比較してもらえるような存在じゃ無い。
鐘銘事件なんてやさしい『警告』だよ?牢人を既に集め始めていた豊臣家への。「火遊びは大怪我するから止めておけ」って
逆に物事を穏便に収めようとした知恵って言ってもいい。「反省」して「恭順」してくれればそれで事は済んだのだもの。
それをせず滅亡へ突っ走ったのが豊臣家の愚。
480:人間七七四年
07/06/06 18:47:10 gIv8gIly
秀頼との優劣はともかく、家康個人における存命中の秀忠の評価はそんなに高くない
将軍職は譲っても重要な用件は本多親子を通じて駿府の家康に伝えられ、そこで大御所に裁決されてた
更に秀忠は関ヶ原の時の醜態で軍事上の無能を天下に曝け出した後だったからな
家康が秀忠には豊臣家は扱いかねると見て強引な手で豊臣家を除こうとしたというのは有り得ない話じゃない
家康死後に秀忠が大大名改易みたいな辣腕を発揮できたのも家康が死ぬ間際に豊臣家を潰してくれたおかげ
481:人間七七四年
07/06/06 19:14:29 f71Zm31i
>>476
秀頼って酷いヤツだな
482:人間七七四年
07/06/06 22:32:56 HhJ0XG9v
>>479
秀忠が抜きん出た政治感覚持ってたことには同意するけど、
家康的にはそれでもまだ何か物足りなかったんじゃないのかな
筋金入りの戦国武将だし、秀頼のような強い相手にでも
分を弁えず噛みつく見境のなさの方が怖かったのかもしれない
ちょっとした歪みがきっかけで絶対的な優位が呆気なく崩れる瞬間を
何度となく目の当たりにしている御仁なのだし
秀頼に放置できない危険なものを感じたのは間違いないでしょう
鐘銘事件が優しい警告だったとは俺には思えないな
淀や秀頼が大人しく恭順することを期待するような楽天家じゃないでしょう
稚拙で強引だが効果的な、二人の性質を完全に見越した万全の計略だよ、あれは
483:人間七七四年
07/06/06 23:02:54 XYi2UoID
羽柴家に対しては武力攻撃と族滅を断行したわけだが
なぜ他の大名家を改易するに当たってはそうしなかったのか?
大坂の乱には羽柴家潰しの他に「公共事業」という現代的側面があったが
徳川は小早川家・加藤・福島・最上などを滅ぼす際になぜ戦をして
「公共事業」による経済効果を発生させようとしなかったのか?
484:人間七七四年
07/06/06 23:14:49 WoXVf09a
アホかお前は?改易=皆殺しと考えているのか?
豊臣は幕府の命令を全く聞かずに浪人を雇って武装篭城したから処罰しただけだ
その他大名には改易にしても滅ぼしてなどいない
加藤も福島も最上も子孫がちゃんと生き残っている
小早川は当主が死んで血筋が絶えたのでなくなっただけだ
485:人間七七四年
07/06/06 23:22:44 gIv8gIly
大坂の陣は幕府にとっても参陣した諸大名にとっても非常な負担になったわけだが
何十万の兵力動員して豊臣家潰しても得られる領地はたった60万石で割に合わない
戦後も褒賞の少なさに腹を立てた松平忠直がキレちゃったりと色々大変だったんだぞ
「公共事業」だなんてとんでもない
486:人間七七四年
07/06/07 00:10:32 56UWO5WK
最初から潰す気ならあんなにダラダラ引っ張らないと思うが
487:人間七七四年
07/06/07 00:34:49 yikreNsL
徳川○康さん
「最初はぁ潰すつもりはぁ、なかったんだけどぉ。
あいつの息子、見た瞬間にやばいかもこれって思ったんだよねぇ」
以心○伝さん
「だってぇダチの○康がマジやべぇ、あいつに潰されちまう。お前さぁ喧嘩売っとけよ。
なんとかしろって。言われてぇ。ホントマジ勘弁して欲しかったしぃ」
488:人間七七四年
07/06/07 01:18:17 PZvMrcPl
家康がもっと早い時点で秀頼を処分しなかったのは
浅野幸長と加藤清正への遠慮からだと思うよ。
だから二人が死ぬやありとあらゆる難癖を秀頼に付け始めた。
もしあと5年早く大阪の役を始めれば肥後の清正、紀州の幸長が大阪方につき
下手したら尾張の正則まで大阪方につく。そうなれば尾張以西の西国大名の何割かは大阪方へ
また全国の浪人衆は喜び勇んで最寄の大阪方大名へ馳参する。
関ヶ原AGAINの可能性が無かったとは言えない(そうなれば幕府が勝っても秀忠政権の権威はボロボロになる)
489:人間七七四年
07/06/07 01:23:16 2GHwyE72
>>488
> 尾張の正則
広島やがな。
490:人間七七四年
07/06/07 01:51:36 nAGTCMS3
5年早く、5年遅い。
大坂の陣開戦を聞き福島正則がこう言ったらしいな。
491:人間七七四年
07/06/07 04:42:26 PZvMrcPl
どういう観点で見ても正則は裏切り者のヘタレだから何も発言する資格はないな。
清正は早く死んだおかげで正則のように末代までの汚名をかぶらずに済んで、或る意味ラッキーだった。
492:人間七七四年
07/06/07 04:44:56 PZvMrcPl
古田織部みたいに秀頼に殉じて大阪城落城後すぐに腹でも切ってれば良かったのにね。
結局、死に際を間違えて川中島に移封されるなど受け入れ難い恥辱を得てから腹を切ったので世間の笑い者で終わったw
493:人間七七四年
07/06/07 05:14:25 JJBla47o
大坂の陣の時は福島家に仕えてるというだけで笑いものになったそうだが、
後年幕府に因縁付けられて改易された時は割と世間は同情的だったらしい>正則
494:人間七七四年
07/06/07 05:15:42 yikreNsL
古田織部は秀頼の子を匿ったしな。ある意味偉い。
福島は毛利と同様に救援物質とか金品、武将も大阪方に派遣してるし、許してやれよ。
司馬遼太郎も福島正則は立場上出陣できなかったって言ってるし。
495:人間七七四年
07/06/07 06:21:32 uVi7qqdV
>>493
弱い立場になると途端に日本人は同情的になるからな
秀頼が落ち延びた伝説が当時から囁かれてたってのは、
豊臣方に同情的な人間が多かったってことの証だろうし
496:人間七七四年
07/06/08 00:07:53 KX+JW692
>>485
>幕府にとっても参陣した諸大名にとっても非常な負担
それこそが公共事業的側面たるゆえんである。
幕府や全国の大名家が大金を支出することによって
現代でいうところの軍需産業などが活性化する。
羽柴家などは毛利元就のように調略を仕掛けるだけで潰せたが、
あえてあのような大規模軍事作戦を決行したのはそのためだと考えられる。
497:人間七七四年
07/06/08 00:14:45 glj5bfmP
>>484
幕府および徳川家に恨みを抱く者たちを生かしておいたから
江戸幕府は後にあっけなく崩壊したのだ。
毛利や島津を族滅しないでそのまま存続させるなんて
何を考えているのかと言わざるを得ない。
小早川も加藤も福島も最上も、生かしておいても何ら利点がない。
弟たちまでも容赦なく殺し尽くす恐怖政治の権化・源頼朝公ならば
主家はもちろん一族郎党にいたるまで皆殺しにしてしまうだろう。
498:人間七七四年
07/06/08 00:32:36 Ll0OF/Xs
そんなこと言い出したらキリがない
499:人間七七四年
07/06/08 04:14:59 20Bf9xyq
>>496
そんな危険な公共事業をしなくとも「名古屋城築城」
「江戸城の石垣、総堀の賦役」などの公共事業で
家康は外様大名の財産を散財させて景気対策を行なったが
それの方が100倍賢いよね?
その後も「木曽三川の堤防工事」「参勤交代」「大名家の鉢代え」など徳川家は常に外様大名の蓄財を許さず
大名家に散財させて公共事業を行なった。
そのため大名や武士どもは貧窮にあえいだが町民どもはどんどん豊かになっていった。
500:人間七七四年
07/06/08 11:48:09 bQTNFebO
> 大名家に散財させて公共事業を行なった。
最近の研究では幕府の命による「公共事業」に参画する事は、大名家にとっても
軍役に順ずる「お家の名誉」と捉えられていた、とされている。
501:人間七七四年
07/06/08 13:38:55 3gEMjGYH
2chで「最近の研究では」と言われてもフーンという感じ
お家の名誉ってそりゃ幕府に普請命じられて露骨に嫌な顔は出来なんだろw
表向きは「有り難き幸せ」と言いながらも内心では舌打ちってのが本当のところ
散財の為のお役目は避けれらないんだから、それならせめて軽めの普請が良いと
便宜を図ってもらうために幕閣に賄賂というのは日常茶飯事だったらしいがね
502:人間七七四年
07/06/08 17:58:54 20Bf9xyq
木曽川堤防工事では薩摩藩武家がいくつも破産して切腹しまくったからな
今でも彼等の墓が木曽川の方にあったはず。
どうせ従うなら喜んでやらせていただきますと言った方がそりゃ将軍への印象はいいよ。
でも薩摩隼人は誰しも幕府を恨んだし必ずこの恨みはいつの日か晴らすと
肝胆を舐めてたみたいよ。
503:人間七七四年
07/06/08 19:15:16 A44TMxpt
朝鮮で不毛な終わりなき殺し合いをさせられて餓死寸前に追い込まれるよりも
都市や河川の整備をした方が遥かに世のため人のためになるいいことだよ
豊臣にはそういう発想がないからすぐに不満が爆発して内部崩壊を起こす
504:人間七七四年
07/06/08 19:28:23 3gEMjGYH
都市の整備や堤防の建設みたいな公共事業は豊臣政権でも普通にやってたけどね
505:人間七七四年
07/06/08 19:29:10 UF95F/xl
小さい頃から栄養のあるものをたらふく食わされていれば
ガタイはよくなるよ。
秀吉の場合は超貧乏だったから小さい頃、満足に食事が
出来なかったから成長できんかった可能性が高い。
506:人間七七四年
07/06/08 20:00:20 bQTNFebO
> 豊臣政権でも普通にやってたけどね
大阪以外は普通にやってない。普請は軍政の延長線上ばかり。
民生の異常な軽視は豊臣政権の特徴。
507:人間七七四年
07/06/08 20:13:03 3gEMjGYH
そりゃ豊臣政権の政権基盤が畿内だったからな
大坂だけっつうかまあ大坂が中心なのは事実なんだが、
京街道や大和街道の整備や宇治川・淀川の治水なんかにも手を出してかなりの成果を挙げてる
関西における今にまで続く秀吉人気はこれらの公共事業に拠るものも大きい
無益な侵略戦争をした分相対的に民に還元される分は少なかったろうが、やることはちゃんとやってたよ
508:人間七七四年
07/06/08 20:50:47 20Bf9xyq
秀吉の建築道楽のために日本中の名木・大木が切り倒されて今も癒し難い痛手になってるんだよな。
樹齢数千年の屋久杉とか秀吉の命令でバンバン切り倒されたし
世界的に見ても貴重な自然遺産が失われたと思う。
509:人間七七四年
07/06/08 20:53:11 wg+eRV49
>>503
秀吉は、大名たちの知行地を加増して上げたかったんだよ。
徳川みたいに大名たちの力を削ぐために海外出征したわけじゃない。
そこのところを勘違いしていると思うぞ。
510:人間七七四年
07/06/08 21:03:33 MoGaALXg
縄文杉をバンバン切り出して建築用の資材にして
屋久島の自然形態が変化したのは秀吉の頃じゃなくて
江戸時代中期以降のことなんだけどな
有名なウィルソン株にせよ秀吉の時代じゃなくてそれ以降に伐採されたものだという研究者も居るくらい
無知乙
511:人間七七四年
07/06/08 21:03:35 20Bf9xyq
秀吉の素晴らしい点は経済政策があるよね
多くは丹羽長秀から召し上げた長束正家や
堺・近江・京・博多らの茶道つながりの商人どもが献策し
秀吉が果断に実行したものが多い。
特にゴールドラッシュに沸いた豊臣時代に金は死蔵してたら
たんなる金属でしかないという卓越した経済感を持ち
持ってる金は常に商人どもに貸し出しで大きな商売をさせ
畿内の街道整備、神社仏閣の復興、聚楽第、大阪城、伏見城、名護屋城の建設
運河の造成で持ってる金銀をばらまきまくった。
そのため関西地区は史上未曾有の好景気で沸き返った。
しかし逆に太閤検地、五公五民などで百姓は今まで以上に貧しくなり
ろくに公共事業も行なわれない機内以外の地区は所得格差拡大のために
貧民層が増えた。
512:人間七七四年
07/06/08 21:05:33 20Bf9xyq
>>510
無知はおまえだ↓
URLリンク(ja.wikipedia.org)
513:人間七七四年
07/06/08 21:07:41 MoGaALXg
そこでWikipediaっすかw
URLリンク(www.bunpei.jp)
なんかを見てね
514:人間七七四年
07/06/08 21:29:44 YhltPetv
大坂の乱ほどまどろっこしい戦は他にあるまい
一気に大坂城内に突入して城主とその取り巻き連を討ち取りゃよかったんだ
千姫や常高院を犠牲にするのはやむを得ないだろ
北条貞時だって平頼綱一家を根絶やしにした際に
自分の娘を犠牲にしているのだ
515:人間七七四年
07/06/08 21:40:44 u/a69fAi
ウィキでも本格的伐採は1640年よりと書いてあるのはスルーなんだろうか。
随分偏った読み方するなあ
516:人間七七四年
07/06/09 00:27:38 bbC6r46R
「樹齢数千年の屋久杉とか秀吉の命令でバンバン切り倒されたし」の
「樹齢数千年」の部分を当然のように消し去り
拡大解釈して人を罵倒する ID:MoGaALXgも普通に気が狂ってるよ。
517:人間七七四年
07/06/09 01:07:18 RbrZvu19
自然保護なんて観念自体存在しない時代に行われた自然破壊の是非を云々しても意味はあるまい
518:人間七七四年
07/06/09 01:14:25 nw/vEirH
日本史上「自然保護」の概念が無かったのは近代から近現代の一時期だけだ。
519:仙台藩百姓
07/06/09 02:23:31 3hnLZ469
言うに事欠いて自然保護とは呆れたものだお( ^ω^)プピー
おっと、思わず失笑が漏れてしまったお( ^ω^)プピー
520:人間七七四年
07/06/09 08:13:56 qxJsDWcC
>>519
伊達家家臣のスレへぜひお越しください。
スレリンク(sengoku板)l50
521:人間七七四年
07/06/23 23:02:30 72fm0Jnk
治長は淀殿を秀吉の側室になる前から
親しくしていたとは思う。
愛人関係かどうか別として…。
522:人間七七四年
07/06/27 07:57:11 Cj55Vl3G
いったい誰の子だったのかしら?てか秀頼の子が天草四郎説ってどう?
523:人間七七四年
07/06/27 18:23:27 y//7/TZx
秀頼に関するレスって誰が種付けしたのかってのがほとんどだよなw
みんなそんなに興味あるの?
つかわかったところで何になるんだ。
524:人間七七四年
07/06/28 03:05:48 iUZO8gZB
>>523
>つかわかったところで何になるんだ。
それを言ったら歴史スレの存在自体を否定する事になるだろw
推理小説読んだりRPGをするのが何になるんだという愚問と一緒。