07/06/07 14:59:24 v72/Cgqm
家康も伊賀越えのときは死を覚悟してたというし
当時の感覚だとそういうことなんだろうな
164:人間七七四年
07/06/07 16:37:34 HY3gWJG8
>>162
そんなことより松平忠吉はどうしたの。
165:人間七七四年
07/06/07 20:40:55 gEeLqoP4
なんだかんだで秀忠が一番優秀だったんじゃないかって希ガス
「乱世の凡将、治世の能吏となりて主家に貢献せん」ってね。
166:人間七七四年
07/06/07 21:59:37 h1gBf8C/
きっちり徳川の土台固めをしたのだから優秀なのには同意なんだが
やっぱり家康が隅々までお膳立てしたイメージが強いんだよな。
167:人間七七四年
07/06/07 22:58:36 /1dGazcV
しかし家康息子の中じゃ一番優秀なのは揺るぎない
つか
岡崎信康、結城秀康、松平忠輝、徳川頼宣
この辺り纏めてDQN
168:人間七七四年
07/06/07 23:05:42 HY3gWJG8
もう土井利勝でいいよ。
169:人間七七四年
07/06/08 22:43:37 xlht08ZN
秀康をDQN扱いするのはさすがにあんまりだろ。
信康にしても母親の悪女っぷりのように
かなり誇張されてる気もするしな。
170:人間七七四年
07/06/09 01:33:35 w0n8QVti
キレて刀を抜くのはDQNだよ、例え戦国時代でも
まして次男の方は家康に敵対した家の家臣ばっか集めたり……
171:人間七七四年
07/06/09 03:26:14 Pqpc1GPI
あれだけ幼少時から冷遇されてたらグレる罠。
よくしてくれた兄貴は死ぬし跡継ぎは弟だし。
172:人間七七四年
07/06/13 21:04:09 CDy/uuqG
先日浜松に行った時に、信康最期の地・二俣城と信康が眠る清瀧寺に行った。
アクセス方法などをちょっと書いてみる。
浜松市街から電車で行く場合は遠州鉄道で新浜松(浜松駅前)から
終点の西鹿島駅へ。そこで天竜浜名湖鉄道(1時間に1本ぐらいしかない)に
乗り換えて1駅目の二俣本町駅で下車。隣の天竜二俣駅とまぎらわしいが
そこまで行かないように気をつけたい。駅を背中にしてやや左へ歩いて
大通りを渡ると二俣城入口の山道へ。看板が出ていた筈なのですぐわかるだろう。
10分ほど登るともう本丸に着く。天守台の上にも登れる。車で行く場合も
本丸入口付近に数台止められるスペースがあるので行きやすいだろう。
173:続き
07/06/13 21:09:49 CDy/uuqG
そこから清瀧寺まで徒歩で移動。竹藪の多い山道を10分弱登り下りする。
看板が出ているが少しわかりにくい。二俣城からだと寺の裏手に出る感じになる。
本堂は人気がなく静かだった。信康廟は残念ながら外門に施錠されていて
内部の様子は窺えず。外から手を合わせてきた。道に迷わなければ
両方見て一時間前後で駅まで戻れるだろう。上にも書いたが
天竜浜名湖鉄道は昼間でも1本逃すと1時間は次の電車が来ないので
帰りの時刻表はチェックしておこう。長文失礼。
174:Y ◆nzdGjBH722
07/07/21 03:55:06 6PRwBu1w
>>167
ってか家康が秀康や忠輝を遠ざけた理由の背景に覇気がありすぎるので、
信康の二の舞を恐れたのではないだろうか?
信康が有能かどうかはともかくとして、信康のように覇気がありすぎてイケイケな性格であれば
お家のしがらみや二元政治の対立から謀叛を起こそうとする。
家康が後継者に秀康ではなく秀忠を推したのも、こんな背景がありそうな気がするんだが・・・どうだろ?
175:人間七七四年
07/08/05 20:00:25 qmHjzgoS
結局信康の武田内通はでっちあげなの?
176:人間七七四年
07/08/10 18:46:26 q3i4CFR/
>>175
当然。
177:人間七七四年
07/08/12 23:09:07 FUoq6+O4
あんだけ武田勢ぶっ殺しといて今更内通って、武田勢がまず信用しなさそうw
178:人間七七四年
07/08/28 11:16:54 VaWe3IRL
信康を奉じる三河派と、家康がいる浜松派の抗争の結果が切腹劇。
酒井は信長にその報告に行っただけ。
酒井がミスって信康が切腹なら、普通酒井家は冷遇されてるよw
179:人間七七四年
07/08/28 22:22:20 xvcaulkz
>178
それは織田家みたいな絶対君主の考え方を他の大名家にも敷衍させてい過ぎだ
と思う。信長の家臣団みたいに絶対君主的なものなら気に染まない家臣を誅す
ることが(他家に比べれば比較的簡単に)できるけど徳川家はあくまで三河な
どの地侍の「党」を纏める「盟主」に過ぎないから酒井を切腹させるなんて無
理でしょう。酒井は三河で徳川家と勢力を二分する酒井家の当主だから江戸幕
府後の徳川家ならいざ知らず、その当時にはとてもそんな処断はできない。
極論言えば家康が命令を聞かず信長に逆らえば忠次は自分の処断を恐れ、酒井
家が信長と結んで徳川を潰す恐れもある。それだけ酒井家の三河での名声は大
きい。
180:人間七七四年
07/08/28 22:58:00 bDsQoeEi
自分で
>江戸幕府後の徳川家ならいざ知らず
と言っちゃってる矛盾に気づいてる?
181:人間七七四年
07/08/29 00:48:08 fKb31coq
>180
だから当時の徳川家の盟主としての力量で無理だったってこと。
三河遠江時代は酒井家という家を大いに憚っていた。
幕府成立後は徳川家と酒井家の力の懸隔ができすぎた。
小豪族の盟主時代から江戸将軍家への変遷に気づいてくれw
182:人間七七四年
07/08/29 00:59:48 2QVFb1BX
>幕府成立後は徳川家と酒井家の力の懸隔ができすぎた。
こんな自分の考えに過ぎないことを前提にされても困る
183:人間七七四年
07/08/29 01:07:49 2+/scD9c
信康の守り役は平岩だったから、酒井の責任云々は筋違い。
飽くまで酒井は、事の報告を信長に伝えただけ。