07/01/21 21:44:22 CLRUvkvJ
>>この後、清代になると鳥銃の配備率は全軍の6割に達するそうで。
そのソースは何?ちょっと見て見たいんだが。
346:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 22:58:39 U7JM0Hl6
>>345
学研の「戦略戦術兵器事典 中国中世・近代編」
火縄銃が明に伝わったのは1548年に倭寇から獲得したものが最初だが、10年後の
1558年には早くも年1万丁が生産され、清代には兵士の6割強が所持するまでに普及
したという。
347:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 01:42:35 sfxzWpO3
清代といっても長いからな~
348:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 13:22:48 85Mawt+0
>>344
その本は初めて知ったんですけど
劉永華「中國古代軍戎服飾」のイラストをそのまま使ってるような・・・
URLリンク(www.amazon.co.jp)
でも面白そうなので探してみます。
情報サンクス。
349:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/23 13:37:44 IBDHZqwl
倭寇と戦ってた頃の鳥銃はこんな感じだったらしいですね。
黄仁宇『万暦十五年』より
「部隊の装備や武器は各府県がそれぞれ別々に供給していた。
このような情況では、武器の質が保たれえないのも当然である。
戚継光は自著の中で各地で製造された鳥銃の銃身は暴発の危険性があり、
そのため兵士たちはびくびくして両手で銃を持とうとせず、精確に
照準を合わせられなかった、と明記している。弾丸と口径の合わない
大砲や、導火線の点火しない大砲もあった」
朝鮮の役を経て17世紀にはまともな鉄製の銃が配備されるようになった
ようですが。
350:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/23 18:36:24 n6vaX9qt
17世紀にはもうダメポな明。
内部腐敗進行中のオスマン帝国。
引きこもり日本。
351:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/24 09:55:33 VP8GKrff
スペインとかもダメポ
352:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/24 18:17:54 BB4uAX81
海上覇権はオランダに獲られたもんな。
353:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 18:32:28 3EpwUgnV
オスマンのイェニチェリが最強軍団の有力候補なのは判るんだけど、普通の歴史本読んでも将軍にこういうのがいたとかいまいち判りません。
いい本あったら紹介希望。
354:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 19:04:08 gioGO0I6
つうかやけに持ち上げられてるイェニツェリって何がそんなに強かったの?
355:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/27 10:54:11 4mSZBgh5
ヨーロッパ諸国が束になってかかってきても勝てなかったオスマン軍の中で、
最精鋭とされているからね。そりゃあ強いでしょうよ。
356:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/27 13:03:34 AnCCVPAw
345ではないんだが近衛兵みたいなものなのか?
357:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/27 13:34:41 n/VxDDC1
>>353
普通はスルタンや宰相が将軍的役割では
358:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/27 20:57:25 iixZdkeY
>>354
厳しい軍律と高い錬度。
そして、いち早く銃器の組織的運用を取り入れたこと。
実績も十分にあるけれど、結局はスレイマン1世の軍事的、政治的な能力によ
るところが大きいのかも知れん。
359:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/28 19:02:13 mmtT+x/E
そんなに強くて結構西欧と交流もあったのに先進国の
地位を逃すとは何をやっていたのか。>トルコ
360:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/28 20:55:35 adyu5mZB
なぜ西欧が独走状態になってしまったかは、
世界史上の重大な研究テーマの一つだからね。
興味があるなら本格的に研究してみる価値はあるだろうし、
世界史板あたりにはそれをテーマにしたスレとかも多分あるだろう。
361:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/01 18:39:09 mwItyz75
世界史板「人大杉」でみれねーよ。
362:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 05:24:19 kj7hU/FN
>>359
イェニチェリのコントロールが効かなくなった
近代化しようとする→イェニチェリ反乱→廃位のループ
363:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 22:50:08 IxeyrZJi
>>353
ランシマン『コンスタンチノープル陥落す』(みすず書房)なんかはどうでしょうか?
オスマンの戦の雰囲気を知るには最適の一冊かと思いますが。
しかし、巨砲も含む最強軍団二十万の包囲攻撃を、たった五千で一時は挫折させかけた
コンスタンティノープルの頑丈さも凄い。
364:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 00:43:07 MrNSVBec
>>363
ありがとう。
でも、古い本で入手難なのね・・・。
365:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 14:12:36 rHAfXlRJ
>>364
雰囲気だけで良いのならば、塩婆の「コンスタンティノプールの陥落」
ローマ人の物語のおかげで、ちょっと大きい本屋なら簡単に手に入るが強み
366:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 15:38:11 p44Q1t28
ハンガリー包囲失敗がトルコ凋落の始まりだが、肝心のハンガリー城ってのが堅城なのか縄張りとかわからんのが痛い。
367:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 19:22:24 m1Gf0bpB
>>365
い、いやだ…塩だけは勘弁してくれ…
368:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 20:01:51 seNuOT8L
ナメクジ乙
369:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 21:48:43 /7MZs31H
あ、世界史板じゃなかったなここ…
>353 新紀元社の「オスマン・トルコの軍隊」じゃ駄目か?
370:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 23:32:10 O16PzH2E
>>367
わがままな奴だなw
371:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/06 20:58:00 BU6KOk+e
>>366
それはウィーン攻囲では。
「ウィーン都市地図集成」って本にオスマン朝軍が掘った対壕や
防壁の位置まで載ってた気がします。
372:人間七七四年
07/02/28 05:35:11 ZBB3sbR0
自倭乱朝鮮七載, 喪師数十万, 餉数百万, 中朝与属国無勝算, 至関白 死而禍始息
373:人間七七四年
07/02/28 06:10:11 O/rLcUO1
前後七載、喪師數十萬、糜餉數百萬、中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死、兵禍始休、諸倭亦皆退守島巣、東南稍有安枕之日矣。秀吉凡再傳而亡。
だろ?
374:人間七七四年
07/02/28 19:04:38 O/rLcUO1
自倭亂朝鮮七載、喪師數十萬、糜餉數百萬、中朝與屬國迄無勝算、至關白死而禍始息。
は、明史列伝の朝鮮の方か。
>>373は明史列伝の日本方ね。
しかし、微妙に字が違うだけなんだね。
375:人間七七四年
07/03/08 23:10:13 9sFoJmMM
火器が発達した時代である16世紀とはいえ、
モンゴル、オイラト、トゥルクメンといった騎馬民族が依然最強クラスだろう
明は、アルタン・ハーンに北京を包囲されて、手も足も出せなかったし
(李成梁も姑息なことやって体面を繕っていた)
モスクワ大公国も、クリム汗国にモスクワを攻略されて、貢納をおさめていたくらいだ
チャルディラーンの戦いで、オスマン朝がサファヴィー朝のキジルバシを破ったとはいえ、
まだまだ騎馬民族の力は衰えていないと思う
17世紀後半ですら、ジューンガルのガルダンが暴れまわっていたぐらいだしさ
やっぱ、チベットのチャンタン高原を突破するほどの騎馬民族の機動力は一大脅威だと言わねばなるまい
376:人間七七四年
07/03/11 18:04:58 8gfIiuQO
当時の日本の鉄砲の数は多いのですが、ヨーロッパは大砲が桁違い。
アルマダの海戦(1588年)のときの英西両国の軍備は、
スペイン イギリス
兵力 8050人(水兵) 15292人
約19000人(陸兵)
船 ガレオン艦20隻 ガレオン艦98隻
(内・大型6隻) (内・大型2隻)
武装ガレオン艦補助艦102隻 武装商船99隻
ガレアス艦4隻
ガレー船4隻
大砲 ペリエ砲326門 ペリエ砲 43門
キャノン砲163門 キャノン砲 55門
カルバリン砲635門 カルバリン砲1874門
大砲の射程距離は、ペリエ(短距離)・キャノン(中距離)・カルバリン(長距離)。
結果は長距離砲を多用したイギリスが勝ちました。
1隻あたりの大砲搭載数は船の型により違うので、詳しいことはわからないのですが、
だいたい少ないので5門、多いので40門前後のようです。ただし、搭載数が多いのは
船足が遅いそうです。
377:にゃんこ
07/03/11 22:43:05 FPhwk49v
360>
マックスウェーバーは、「火力よりも規律」と言ってるね。
弾が鉛のマスケット銃は当たったら威力はすごいけれど、速射ができないしね。
隊を小隊・中隊・・・・と数学合理的に分け、数学合理的に戦術を駆使できる
ためには、兵士を機械のように動かす規律が必要なんだな。
(ここで言う規律とは、「略奪すんなゴルア」という意味よりも、「右向け右、命令通り
動けゴルア」という意味で。)
378:人間七七四年
07/03/12 01:03:50 zwAtSztu
ざっとスレ見せてもらったけど、かなり面白いね
しかしこの手の問題でいつも痛感するのが、軍事史の発展のいびつさ。
欧米で発達したから、欧州中心にならざる得ない。
日本や中国、あるいはトルコ、インドなどの軍事史の研究は進んでいないから(少なくとも日本では)
どうしても欧州の事柄が判断基準になってしまう。
日本での軍事に関する研究は近代以降が中心で、それ以前については、論文で取り上げらることもあるけど、総合的に纏めたのはほとんどない。
去年、「日本軍事史」って本が出版されたけど、これも何か纏まりがなかった。
誰か、欧州やイスラーム世界、印度、中央アジア、東アジアを纏めた軍事史の本でも出してくれないかな
379:人間七七四年
07/03/12 01:20:51 XrVOjAZQ
中世欧州の軍には兵站の概念が無かったとかかなり恥ずかしい事を書いていてしかも誰もそれに突っ込んでないのは何で?
380:人間七七四年
07/03/12 01:48:45 XrVOjAZQ
J.F. Verbruggen, The Art of Warfare in Western Europe During the Middle Ages: From the Eighth Century to 1340 - 必読・
P. Contamine, War in the Middle Ages - ドライで退屈だが、為になる。特に中世における歩兵の中心的役割と傭兵集団の重要さについての章は秀逸。
M. Prestwich, Armies and Warfare in the Middle Ages: The English Experience - 中世の軍隊の兵站、組織、編成、戦術について詳しく書かれている。
K. DeVries, Infantry Warfare in the Early Fourteenth Century: Discipline, Tactics, and Technology - 中世の歩兵?規律と戦術?イカれてるのかこいつは!(笑)
K. Fowler, Medieval Mercenaries: The Great Companies - 14世紀に集中しているが、著者の書く傭兵集団のプロフェッショナリズム、訓練と有用さは中世初期と後期にも当てはまる。
取り合えず中世の軍に兵站が存在しなかったと思ってる人はルイ9世や獅子心王の遠征を調べると宜しいかと。
強度の強い電波だと解るから。
381:人間七七四年
07/03/12 02:33:12 XrVOjAZQ
>>378
それも問題だけど欧州の研究成果が日本にちっとも伝わってこないのも問題。
30年前に破棄された説を信じてる人間が日本にはごろごろいる。
382:人間七七四年
07/03/12 11:17:42 cU9WCxfj
>>376
その海戦って、可燃物大量搭載して火を点けた船団をスペイン艦隊に向けて放った為、
スペイン艦隊は緊急回避すべく個々で離脱せざるを得ず、
バラバラになった艦を各個撃破(3隻沈没2隻大破)しただけでしょ。
スペイン艦隊が壊滅したのはその後神風が吹いたからだし。
383:人間七七四年
07/03/12 17:19:59 00ioDMZt
>>321
>ケネス・スオーブ米ポールステート大準教授は「日本と朝鮮の間
>の戦争だとの見方はやめるべきだ」
秀吉のスローガンが「仮道入明(道を仮(借)りて明に入る)」で、朝鮮は単なる
通り道にするつもりだったということは常識レベルだと思っていたのだが、他国の
歴史家の間ではそうでもなかったのかな?
384:人間七七四年
07/03/12 19:49:07 EgqrlaFj
韓国でのシンポジウム、だったからじゃないの?
385:人間七七四年
07/03/12 21:06:15 Q5wH1a7w
>>376
大砲は野戦ではまだまだ使えないと思うよ(攻城戦、海戦で威力を発揮したのは勿論だけど)。
戦国時代(16世紀~17世紀初)、野戦では小銃火力の方が重要でしょ。
野戦での大砲の本格的活用は、グスタフ・アドルフのレザー・ガンの登場まで待たないと。
まっ、野戦での大砲の活用も、石田三成が関ヶ原で大砲を使用していることを考えると、戦国日本の方が進んでいただろうけど。
つーわけで、当時の陸戦世界最強は、充実した小銃火力(軽く十万挺以上)と卓越した白兵戦能力(鋭利無比な日本刀、人馬の区別なく切り伏せる腕前)、そして騎馬民族並の機動力(清正、小西の快進撃は伊達じゃない)をもつ戦国日本で間違いない。
386:人間七七四年
07/03/12 21:54:45 CF4Wgo0Q
属国が「宗主国をぶっつぶしにいくから道貸して」なんて言う他国の軍に通行許可なんか出すわけない
そんな可能性があるのは日本が明より強いと思われる場合だけ
当時の日本の明国感がどうなのかはわかんねけど現在の人間からすれば無謀としか
他国の人間ならなおさら理解できんだろう
387:人間七七四年
07/03/13 00:52:02 pl+jIo9/
日本勢の機動力の高さは足軽主体だから?
388:人間七七四年
07/03/13 15:36:23 JO8wUlpy
>>385
釣れますか?
389:人間七七四年
07/03/13 15:47:58 JO8wUlpy
>>野戦での大砲の本格的活用は、グスタフ・アドルフのレザー・ガンの登場まで待たないと。
この時点で無知からくる妄想だが、
>>まっ、野戦での大砲の活用も、石田三成が関ヶ原で大砲を使用していることを考えると、戦国日本の方が進んでいただろうけど。
これは酷い。
たった一回、限定的に使用されただけで「日本の方が進んでいた」と言うのは知能が低すぎる。
>>充実した小銃火力(軽く十万挺以上)
数だけでは大した意味は無い。
兵の士気、指揮系統の確かさ、訓練と実践経験の多さ、資金と食料の確保。
そういう物が揃ってこそ、強いかどうか判断されるべき。
数比べで「最強」を判断するのは、短絡的。
>>白兵戦能力(鋭利無比な日本刀、人馬の区別なく切り伏せる腕前)、
これも酷い。
釣りか?とおもうほど。
>>そして騎馬民族並の機動力(清正、小西の快進撃は伊達じゃない
騎馬民族並みの機動力!つまり一日に100kmは進撃出来ると言いたいわけだ!
390:人間七七四年
07/03/13 20:12:50 bMWwjJXO
>>387
戦略機動力は大砲を装備しない事と糧秣が少なくてすむ事
(固形分は同量であるが西洋はそれに加え、同じ量が倍のワインとビールを必要とする
行動日数については人夫と駄載限定の日本に対し、馬車が使える西洋とは同程度である)
戦術機動力は日本は密集陣形を組まないからである。
391:人間七七四年
07/03/13 20:50:20 kH7b9Jey
>>389
騎馬民族並みの機動力が、一日に100kmってどこから出てきた数字だ?
1231年の金侵攻時のモンゴル軍が、漢中から鄧州まで500kmを進軍するのに1ヶ月だから、
文永の役の小西軍の機動力とほぼ同等なんだが。。。
392:391
07/03/13 20:54:34 kH7b9Jey
「文永の役」は「文禄の役」の間違い
393:人間七七四年
07/03/14 13:48:36 /zI/lYEe
>>391
漢中から鄧州って険阻な山岳地帯と強固な関が無数にある地帯なので、
標準的なモンゴル騎兵の行軍速度の例としてはふさわしくないのでは?
394:人間七七四年
07/03/14 14:59:26 VlVrJHnr
モンゴル軍進軍速度
1220年ホラムズ侵攻 プハラ→サマルカンド 250kmを5日間
1221年ホラムズ侵攻 メルブ→ニーシャプール 350kmを12日間
1231年ウゲデイの金国遠征 漢中→鄧州 500kmを1ヶ月
1241年バトゥのポーランド侵攻 スィドロフ→ワールシュタット 450kmを20日間
秀吉軍の進軍速度
1582年中国大返し 高松→摂津富田 160kmを6日間
1583年大垣大返し 大垣→木之本 53kmを5時間
1592年小西行長の朝鮮侵攻 釜山→漢城 400kmを20日間
395:仙台藩百姓
07/03/14 15:13:10 KQt5pn6C
53kmを5時間←恐ろしい速度だお(;^ω^)
396:人間七七四年
07/03/14 15:28:32 8G8s7mC8
秀吉軍凄いな・・・
397:人間七七四年
07/03/14 16:39:07 /zI/lYEe
>>394
敵地で戦闘を行いつつ進軍した例と、ほぼ自領内での純然たる行軍(中国大返しや
大垣大返し)などを同列に並べても意味が無いのでは?
398:人間七七四年
07/03/14 16:50:38 VlVrJHnr
>>397
敵地で戦闘を行いつつ進軍した小西行長の速度だって、モンゴル軍とほぼ同等じゃん
399:人間七七四年
07/03/14 16:54:06 /zI/lYEe
>>398
それについては別に文句はない。上の二つを入れるのが変だって言ってるだけ。
400:人間七七四年
07/03/14 16:56:19 /zI/lYEe
399補足。
二つの「大返し」だけじゃなくて、モンゴルの例も状況がまちまちすぎて
列挙する意味がほとんどない。
401:人間七七四年
07/03/14 17:02:27 /zI/lYEe
>>395
夕方~夜間に一万五千人が移動した速度としては驚異的だな。
これは走りぬいた将兵が凄いというのもあるが、沿道で食糧や松明を周到に
手配した手腕の方が見事といえるだろう。なにしろ気が立った兵士に食糧を
渡す時の対応マニュアルみたいな物まで作って沿道の村人に指示してるぐらいだ。
当時ここまで気配りの効いたバックアップ体制を作れた秀吉や石田三成の手腕は
素晴らしい。
402:人間七七四年
07/03/14 17:29:48 rNuu0mor
>>400
んなこと言ったてなあ
そういう手がかりから考えるしかねーじゃん
それに、中国大返しは予想外の状況下での出来事だし、
大垣大返しにしたって自領内というほど安定した状況下でのことでもないじゃん、
むしろ一連の戦場というべきだろ、あの一帯は
403:人間七七四年
07/03/14 17:43:43 /zI/lYEe
>>402
戦場で沿道ずっとかがり火を焚いて握り飯配ったりできるもんか?
まあそれはいいとして、列挙するんならせめて同じような状況のやつを
抽出して対比させるとかすればいいじゃん。
といっても、戦国時代の日本とモンゴル帝国の戦いで「同じような状況」
なんてないから最初から比べる意味があんまりないんだけどね。
「騎兵中心の軍勢と歩兵中心の軍勢でどっちが機動力高いか」みたいに、
常識的なところから推理していく方がまだマシ。
404:人間七七四年
07/03/14 17:54:25 QlC8Y/yI
いずれにせよ、比較対象がモンゴルとかナポレオンとかローマくらいしかないんだけどw
405:人間七七四年
07/03/14 18:01:56 C6XW9YL5
戦国時代の標準的な行軍速度は一日に20~25キロ程度。
モンゴル軍は、軍の多数を占める軽騎兵に限るなら、一日70キロ程度
だったと言われているな。
406:人間七七四年
07/03/14 18:08:26 /zI/lYEe
一日20キロ程度というのは、古代ローマ軍でも現代の自衛隊の訓練などでも
大体同じだな。歩兵が一日に移動できる常識的な速さってのはその程度なの
だろう。
407:人間七七四年
07/03/14 18:20:25 /zI/lYEe
ちなみに近代ヨーロッパ騎兵の標準的な行軍速度は1日60キロ前後。
モンゴル騎兵の70キロというのは、速いといっても常識外れに速い
というわけでもない。
結局単純な行軍速度なんてもんは騎兵か歩兵かによる部分が一番大きく、
あとは兵站の効率とか、道路整備の技術あたりで多少変わるかなってとこ
だろう。
そういう意味で歩兵主体の日本軍が>>385が言うように「騎馬民族並の機動力」
を発揮できるというのはいささか荒唐無稽に過ぎると思うがどうか?
408:人間七七四年
07/03/14 18:35:18 rNuu0mor
状況は違えど
ウゲデイの金国遠征と小西行長の朝鮮侵攻は同じくらいじゃん
上のようなのは参考に出来ると考える者と考えない者の見解の相違だろ
モンゴル軍の一日に70キロっていうのも、>>394のに一つも出てきてないし
推論より史実の方が重要じゃん、状況の差はあれどもさ
409:人間七七四年
07/03/14 19:23:45 qR2AduDy
馬も餌バカ喰いするから草原とそうじゃないかじゃ全然違うでしょ
410:人間七七四年
07/03/14 19:31:13 QlC8Y/yI
馬が草食ってりゃ生きられると思っているのはちとなんだな。
蒙古馬はかなり特殊で雪下の苔食っても生きられるが。
411:人間七七四年
07/03/14 19:52:57 8S8uoAYE
オスマントルコのイェニチェリ鉄砲隊や大砲の前では、豊臣秀吉&徳川家康の軍団も雑魚同然。
プギャー
412:人間七七四年
07/03/14 19:56:22 8S8uoAYE
オスマントルコ>>>ハプスブルク家>>フランス>>明>>日本
413:人間七七四年
07/03/14 20:01:41 8S8uoAYE
オスマントルコ軍に戦国日本がどうすれば勝てるか考えて見ろ、織田信長軍団でもオスマントルコ軍相手では分が悪過ぎる。
414:人間七七四年
07/03/14 21:29:52 O1qUfBIB
つーか… お ま い ら 詳 し す ぎwwwwww
415:にゃんこ
07/03/14 23:13:21 InwmZIHu
一級史料「天正記」によると、中国大返しは、半分ガセらしい。
多くの兵が脱落して、秀吉本陣についていけなかった。だから、秀吉は、
摂津衆や四国遠征軍を主力として、山崎で戦った。
つまり、主力は連れて来たのではなくて、現地調達。もちろん、それで勝てる
と踏んだ秀吉はすごいが。
416:人間七七四年
07/03/15 01:09:03 iP8oQkE5
>1583年大垣大返し 大垣→木之本 53kmを5時間
こいつらは化け物か?
武装したままでフル+クォーターマラソンして5時間って
417:人間七七四年
07/03/15 02:17:22 hdmj5e9n
昔の人は偉かった
418:人間七七四年
07/03/15 07:05:20 GG5ZeW7S
>>418
武装は外して現地で用意してたか先に輸送させてたんじゃね?
マニュアル配布してまわってるくらいだし
419:人間七七四年
07/03/15 11:23:20 QL6TySho
>>416
まさか数万の大軍がいっせいに大垣、木之本間に到着したわけでもあるまい。
それこそキロ単位で長蛇の列を成していたはず。
先頭が大垣に到着した時点では後尾は大垣からかなり離れていた地点にいた→取って返すぞ!→後尾がそのまま先頭になる。大返し開始時点からかなりフライング
420:人間七七四年
07/03/15 11:47:27 k3eA8DHI
>>408
「機動力」の話をしてるときに、敵と交戦しつつ進軍した例で比較しても
仕方ないだろ。敵の抵抗度合いによって進軍の速さは全然変わる。
421:人間七七四年
07/03/15 13:05:43 RvcohfXj
>>419
それはないかと
美濃に3日ぐらい駐留してるし
しかし美濃周辺の問題はすぐに片付いたわけだから
兵の大半は翌日あたりに近江に引き返させ
秀吉と供廻りが高速で後を追ったんじゃないかな
いくらなんでも万単位が移動するには早過ぎる
ただの想像だけどさ
422:人間七七四年
07/03/15 20:12:25 HySOaEnP
>>420
機動力(これもどういう意味でのことなのか、いまいち曖昧だが)の話というよりも、
騎馬民族の一日に100kmってのが問題なんだろ
俺の持ってる世界史の図説に、一日に100km(一説には350km)、ってのが出てくるが、
どういう状況(どこからどこまで、とか)でのことなのか書いてないのでよくわからん
423:人間七七四年
07/03/15 23:34:58 7eheZqQ5
>>415
「一日に十里歩いて一人前」てな事も言われていた時代みたいだから、距離などに無理があったようには思えない。
兵士脱落の理由は、信長の死が伝え洩れたとかそういう事なのかな?
424:人間七七四年
07/03/15 23:54:28 3xoHaxQR
>>422
つーか一日100kmってのは大げさだろ。普通は70km程度と言われている。350kmなんてのは
馬の生物学的能力から見ても無理。東京~名古屋間より長いじゃないか。
その世界史図説ってどの出版社が出してる何年度版のもの?
425:人間七七四年
07/03/16 00:07:59 Ig7deXuV
>>423
>「一日に十里歩いて一人前」
これって江戸時代の旅行者の話だろ。一人頭数十kgにもなる鎧&武器&荷物を持った
兵士と同列に語れるものでもない。
426:人間七七四年
07/03/16 00:23:51 Gagz9rDa
故・会田雄二先生はシナ戦線で毎日40㌔くらい行軍させられていたらしいが・・・。
文字通りフル装備で。
427:人間七七四年
07/03/16 00:38:58 o1z8i66k
人間一時間で4kmほど歩く
当時の普通の人で一日8時間程度が標準=32km
健脚の人で一日10時間程度=40km
休まず長時間歩く強行軍で一日14時間程度が限界=56km
428:人間七七四年
07/03/16 00:46:28 Gagz9rDa
名前間違えた。「会田雄次」先生だ。orz
429:人間七七四年
07/03/16 02:47:19 2vaX/jvv
>423
いつどこの時代も 逃亡兵や傷病兵 隊列に付いていけなくなったものは常に出る
増してひたすら前進前進歩け歩けの強行軍ならなおさら
一例を出すなら アウステルリッツ戦役におけるナポレオンのフランス軍は、
ドーバー沿岸から墺仏国境までの移動時に、全軍の30%以上を途中脱落で失っている
430:人間七七四年
07/03/16 10:07:50 nzsFoQpe
>>422
一日に350kmって駅伝制による通信速度の数字だろ
431:人間七七四年
07/03/16 12:05:46 AiSLcV8p
>>426
旧軍の標準行軍速度は一日20km。「強行軍」は40km。ただし強行軍は会敵が
予想される時は慎むことになっていた。戦争末期の常に無理を重ねざるを得ない
状況では、本来あまりやらない強行軍を頻繁に行ってたということもあるかも
しれないけどな。
432:人間七七四年
07/03/16 22:08:00 HO9CVTLj
>>424
東京書籍の15年前のやつ(古いねw)
一日100km(どこからどこまででのことなのか書いてないんだよな、推測なのかな)っていうのは、
15年位前の認識ってことになるのかも
その後、モンゴル馬、替え馬についてとか、モンゴル軍の装備についてとか、
なんらかの新しい知見が加わって50~70km?位に修正されたのだろうか
350kmってのは、>>430が書いてるとおり駅伝の特急便のことだと思うが、まあ、どうなんだろ
ところでモンゴル軍には、中央アジア産のアーカル・テッケ種(大宛の汗血馬はこの種なんじゃないかと言われている)なんかもいたのかも
なんでも1935年の記録で、アーカル・テッケは、アシュハバード→モスクワ、
途中にほとんど水のない砂漠が1000kmほどある4000km以上の道程を、84日で走破した馬
コサック騎兵の馬もこれだったとか
433:人間七七四年
07/03/16 22:49:25 o1z8i66k
>コサック騎兵の馬
馬匹は通常子馬で西ヨーロッパの馬と比較すると一回り小さい。しかしそのぶん長距離に耐えまた糧秣も少なく済んだ。
URLリンク(ww1.m78.com)
434:人間七七四年
07/03/17 00:11:34 qdobPpDl
指揮官の質はどうだろうか
戦国期の日本なら
軍神上杉謙信、武田信玄、北条氏康、毛利元就、島津義弘など名指揮官に枚挙にいとまが画内が
欧州の軍勢はいわゆる名将の類いが居ない
ゆえに日本軍こそ世界最強であるといっても過言ではないと思う
435:人間七七四年
07/03/17 00:14:16 pT1nfYjR
ひどい餌だ・・・
436:人間七七四年
07/03/17 00:20:25 qdobPpDl
指揮官の質は考慮に入れるべきだと思うが
下克上の世界を生きた戦国大名と温室育ちの中国欧州貴族じゃあ
実力は違って当然だろう
437:人間七七四年
07/03/17 00:25:44 88srA1VZ
日本軍は歩兵主体の軍隊で、戦国期から何百年も前の
モンゴル帝国軍よりたいした事はないよ。
純粋に軍事的に考察すると機動力もない日本軍なんて評価にすら値しない。
同時代のスペイン・ポルトガルが外洋を横断できる海軍を保有していた事を考えると、
日本の海上勢力なんて日本の近隣しか動かせないから対したものですらない。
軍事力において必要なものはそれは機動力なのだが、
機動力の存在しない狭い日本でしか暴れられない日本の軍隊など、
軍事的に考えたらたいしたことないぜ。
438:人間七七四年
07/03/17 00:29:44 svJDV3pu
欧州において
100度の戦い負け無しという上杉謙信のような人材が居たか
居ないだろ
くやしかったらそういう欧州の名将をあげてみてほしい
当時の日本は英雄や名将が割拠していたわけなんだから
強いのは当たり前。
439:人間七七四年
07/03/17 00:35:54 88srA1VZ
上杉謙信なんて100度の戦いで何も得られないのだから、
その実名将でもなんでもないだろ。
ワーテルローの戦いで
活躍したアーサー・ウィーズリーは一度の戦いで全てを決めた。
無駄に100回も戦う奴より、
一度の戦いで全ての大事を成し遂げる奴の方が天才に決まっている。
440:人間七七四年
07/03/17 00:38:05 88srA1VZ
上杉謙信が戦術的天才である事は認めるにしても、
戦いって戦略的目的を達成させるのも大事じゃん?
謙信は何度も高いながら戦略的敗北を繰り返すのだから、
指揮官としてはあまり優れてない。
徳川家康の方が戦略家としては凄い。
441:人間七七四年
07/03/17 00:47:33 /iFqkDHz
>>438
メッキだらけの謙信と違ってルーデルはガチ
442:人間七七四年
07/03/17 00:48:27 svJDV3pu
トップが織田信長で
指揮官が謙信と仮定するなら問題は無いだろ
443:人間七七四年
07/03/17 01:01:06 88srA1VZ
信長ってトップに向いてないと思う。
人心を把握するのはお世辞にも上手いとはいえないし、
直ぐに敵を作るから何度も戦う必要性がでてきそうだ。
実際に謀反を起こされたからな。
トップに必要な能力って戦の上手さより部下の使い方だろ?
漢高祖劉邦も部下の使い方が巧みだから項羽に勝てた。
劉備も人使いに巧みだから、多くの英雄を得た。
孔明なんて魅力に乏しいから劉備みたいに多くの英雄を得る事は不可能に近かった。
444:人間七七四年
07/03/17 01:05:06 88srA1VZ
信長より秀吉の方が上だと思うな。
秀吉は多くの英雄を従わせる事ができたんだからな。
朝鮮戦役の際に多くの英雄を配下において動かす事はできたのは、
やはり秀吉個人が人を巧みに従わせられるからだと思う。
軍事の世界において上の立場になれば上の立場になるほど、
個人の武勇なんて必要はなくなるし、
作戦に関与する必要性はなくなる。
ほかの人に任せればいいから。
俺は他人を使うのも才能だと思っているし、
実際に天下をとった人間は多くの英雄を従わせる力をもつている。
445:人間七七四年
07/03/17 01:13:17 /iFqkDHz
なんか薄いな
446:仙台藩百姓
07/03/17 01:45:30 275ig+1c
日本は世界最弱だお( ^ω^)
兵站の弱さと占領統治の下手さは日本の御家芸だお
局地的勝利はできようが戦争自体は勝てないお
戦うだけ無駄
447:人間七七四年
07/03/17 02:04:28 8PWC3qso
戦で100度勝っても寸土も得られず
精強日本軍こそ軍神謙信の生き写しよ
448:人間七七四年
07/03/17 02:39:57 VoAbZETQ
>>444
その秀吉が史実で負けている以上
信長がトップであるべきだといっているんだがね
449:人間七七四年
07/03/17 03:01:55 iqQuhZOH
秀吉の外征は、兵站の手抜きっぷりを見ると本気だったとは思えないな。
余剰兵力を処理するための棄民政策も兼ねていたのではなかろうか?
450:人間七七四年
07/03/17 03:39:42 e1HKkU27
西欧でもナポレオン時代だって食料は基本現地調達だったのに、
わざわざ食料まで渡海させてる秀吉軍が”兵站の手抜き”というのは理解しがたい。
451:人間七七四年
07/03/17 04:43:01 PAkCrZo3
>漢高祖劉邦も部下の使い方が巧みだから項羽に勝てた。
劉邦は何度も部下の献策を無視して失敗し、部下に尻拭いをさせてる。
特に晩年はひどいもんですがなにか?
>劉備も人使いに巧みだから、多くの英雄を得た。
劉備に出来たのは人材の確保のみ。
人材の適材適所には失敗してますがなにか?
452:人間七七四年
07/03/17 04:43:36 iqQuhZOH
>>450
戦力ならまだしも、兵站を直接比較することに意味があるとは思えない。
大事なのは結果的に充足しているか否かで、遠征軍の物資は明らかに欠乏をきたしていた。
にもかかわらず、秀吉の国内政策を見ると遠征軍を全面的に支援してたとは言い難い節がある。
状況を把握しきれてなかっただけの可能性も否定しないが。
453:人間七七四年
07/03/17 12:58:20 e1HKkU27
>>452
>遠征軍の物資は明らかに欠乏をきたしていた
当時でも食料武器自体が欠乏していた、わけじゃないよ。
撤退直前の文禄二年3月3日の時点で漢城には兵糧は5週間分あったよ。
ただ土民の蜂起が原因で釜山からの輸送が困難だから撤退しましょう、
…という軍情報告があって、飢える前に秀吉の撤退命令が出たのよ。
で、なにが現地で欠乏してたというの???
454:人間七七四年
07/03/17 18:21:30 S9L+Rlsf
少なくとも
同時代の欧州諸国と比較して 兵站能力は半世紀は先に行ってたのは確か>秀吉の唐入り
16世紀に10万以上の軍を渡海侵攻させて長期活動させる能力なんて欧州諸国のどこももっちゃいねぇ
455:人間七七四年
07/03/17 22:59:41 hvz7w51/
なんか急に荒れてない?
456:人間七七四年
07/03/17 23:08:49 OpnVPGqs
学問上の議論はおおいに結構。
ただ欧米人はいくら意見が違っても
その後も仲良くつきあえるのに比べ、
日本人は人間関係そのものまで険悪になってしまいがち
457:人間七七四年
07/03/17 23:41:00 oVxH+wiJ
荒れた原因は>>385と>>389だと思うよ
このあたりからやたらとテンションが高くなった
458:人間七七四年
07/03/18 01:59:08 CPQWtw8X
この程度じゃ2ちゃんでは荒れたうちに入らんようなw
459:人間七七四年
07/03/18 12:53:24 Lqkfr2N5
>>398
弱体化著しい李氏朝鮮と比べてどうするつもりだ。
460:人間七七四年
07/03/18 13:57:25 t81pNhWf
欧米人だって学説違うだけで個人攻撃してることはよくあるような…
まだ互いにデータ提示しあってる間はリアルでも喧嘩とはいわないと思われ。
461:人間七七四年
07/03/18 17:45:29 yloskvsZ
>>442
ほぼ100%謀反を起こされるなw
462:人間七七四年
07/03/18 18:44:15 /sFs/YVn
>戦力ならまだしも、兵站を直接比較することに意味があるとは思えない。
こういう輩が先の大戦で兵站を軽んじたんだろうな
463:人間七七四年
07/03/18 23:40:14 n43ISOeV
>>454
ポルトガルがはるばる東南アジアまで来てマラッカを完璧に滅ぼしてたりとか知らないだろ。
後、あちこちに植民地を作ってたりとか
464:人間七七四年
07/03/19 00:43:54 E1cSPNRh
>>463
そこら辺の“兵站”の認識自体がすでに違う。
465:人間七七四年
07/03/19 00:45:34 5dgLoX7T
>>463
あのぅ、、、陸軍十数万を海峡を越えて送り込む補給と、
ポルトガル艦隊20数隻1000人程度のソレを同じレベルで考えろと??
つか兵站補給の話で、陸軍と海軍をまぜこぜにしてる人ははじめて見たよ…
466:人間七七四年
07/03/19 00:49:38 5dgLoX7T
げ!!20秒未来の人がいる!?
467:某研究者
07/03/19 02:07:49 HejkaUFj
西欧軍
騎兵
3クオーターアーマー・ピストル・サーベル
歩兵
コルスレット(半身鎧)パイク ハルバード(少数士官のみ)
照門も無い精度の低い火縄銃
軽量砲・重砲(少数)
騎馬武者
当世具足 槍 十文字槍・大身槍・薙刀・管槍・馬上筒(此れは少数か)
足軽
貸し具足 パイクと同等の3.5mの槍 管槍(此れは普及率はどうなのかだが)
精度の高い火縄銃
大筒(西欧の軽量砲と同等)
銃や大筒は日本の砲が数も多く
精度も高いだろうが
騎兵のピストルは西欧の方が圧倒的に多いだろうが
グスタフの様に歩兵の銃撃で敵騎兵を混乱させてから
突撃すればだろうし
日本の場合はグスタフの軍同様に
歩兵は騎兵に随伴していた訳だろうか
468:某研究者
07/03/19 02:10:06 HejkaUFj
城の性能差と言うのはどうなのかだろうし
日本側は塹壕を掘って攻略と言う事は
出来たのかだが
野戦陣地は信長の使った様な土塁や塹壕を
多用すると言う事に成るのかだが
此れは城同様に塹壕で攻略される危険も
有るのかどうかだが
艦艇に関してはコピー品は
何隻か作られているだろうし
スペイン船を撃沈したと言う記録も
有るだろうか
469:某研究者
07/03/19 02:11:51 HejkaUFj
日本側は騎兵のホイルロックピストルと
此れを止められる程度の胸甲が
作れれば良いだろうが
バフコートの様な物迄
装備出来るのかだが
白兵武器は槍を使用し続けた方が
良いかも知れぬが
470:人間七七四年
07/03/19 02:58:44 rQhZOX4v
>>467
長柄隊の槍は5m弱~6m強ありますよ
471:人間七七四年
07/03/19 04:21:04 m2JNCm6+
兵站能力云々はともかく、
20万にのぼる兵隊を短期間に渡海上陸させ、長期駐留、
概ね軍組織を堅持して7年間戦いつづけたという能力は
物心いずれの面からも、
外国はどうか知らないが、400年以上も昔にしては驚嘆に値する。
わずか数ヶ月で完成させたという臨時の拠点名護屋城址を見ると、
当時のエネルギーが伝わってくる。
472:人間七七四年
07/03/19 08:12:27 rH+K8y0/
>>453
5週間というのは、城の備蓄としてはかなりギリギリのラインに思える。
473:人間七七四年
07/03/19 15:09:25 2nvYwgPz
前近代で十数万の軍隊が海上補給だけで維持するのは不可能
朝鮮ではどの程度現地徴発していのだろう
474:人間七七四年
07/03/19 15:26:19 K/GUfUFQ
>>472
根拠は?
475:人間七七四年
07/03/19 15:32:41 D5jjPdSp
>>453
>ただ土民の蜂起が原因で釜山からの輸送が困難だから撤退しましょう
要するに補給が続かずに撤退ってことだべ?
無くなってから撤退するのと、無くなる前に撤退するという違いはあるけど。
476:人間七七四年
07/03/19 15:57:52 5dgLoX7T
>>473
文禄の役のときなんか平壌城占領時に10万石接収してるし、
黒田長政も2万石秀吉渡海のために集めてほめられてる。
文禄の役は急進撃で蓄積されていた税を各城ごとどんどん占領したし、
当初はほぼ食料は現地調達、と考えていいと思うな。
で、秋には占領地域に税をかけた。
国内と同じ四公六民で半分は現地部隊残り半分は集積が基本で。
まぁ足りなくなると各部隊独自で強制買い上げ徴収やらやってたみたいだけど。
ただ、壱岐対馬にいる部隊は国内からの補給だし、
釜山に国内米送れって秀吉の指示もあるし渡海輸送は行われていた。
問題はどの程度の量が?なんだけど、それはよくわからないっぽい。
まぁ少なくとも両役を通して釜山には物があふれていたからかなりの量だと思うけど。
477:人間七七四年
07/03/19 16:20:07 5dgLoX7T
>>475
いちお秀吉は「米は釜山に送ってあるから」って現地軍をなだめてるし、
すくなくとも渡海軍の物資が欠乏していた(飢えた部隊)事実はないね。
本当に物資が欠乏した侵略軍はロシア攻めナポレオン軍みたいになるはずだよ。
あと明と休戦交渉が行われる前提のひとつが撤退だったし、
各部隊しらべたら、兵の充足率が6割を切ってボロボロだったこととか、
(これは米主食にする軍の最大の問題、脚気でへってた)
補給というよりは、ほかの(政治とか)理由で撤退した、と考えるのが適当かと思うな。
つか嫌戦感情は当時でも日本国内外で広まってたしね(やる気があるのは秀吉だけ)
で、朝鮮国王の激が飛ぶと各地でレジスタンスが起こって占領地の補給が…
っていうのは、近代でもおこってる侵略軍に共通の問題だから、
軍としての兵站能力で考慮すべき点かどうか、はどうなんでしょ??
478:某研究者
07/03/19 20:08:04 RUFx1GOB
朝鮮から挑発し尽くした後は
明に攻め込んで食料を調達すると言う
方向も有った訳だろうが
武将達が本土から離れて戦う事に
不安を覚えたと言う
可能性も有るだろうし
自分たちを見殺しにして本国の領土を秀吉が
奪うのではないかと言う不安も
有ったかも知れぬが
479:某研究者
07/03/19 20:10:02 RUFx1GOB
>長柄隊の槍は5m弱~6m強ありますよ
大概の足軽の槍は3.5m程度だっただろうし
6mの槍を装備した部隊等は何処迄有ったのか
どうかだが
480:人間七七四年
07/03/19 22:50:59 1whD5NRL
>>474
飢餓というのは個人の食料が欠乏した状態だが、
>452で述べたのは軍の備蓄が欠乏してるということだ。
五週間というのが具体的にどのくらいなのかはソースを持たないのでわからないが、
平時の五週間分だとすれば一二回まとまった軍事行動を行えば飛んでしまう量だ。
むろん撤退も軍事行動なので、余裕がある状態とは言い難いように思う。
備蓄量と消費量を定量的に示せといわれたら無理なのでごめんなさい。
481:人間七七四年
07/03/20 00:12:47 4twHopV3
>>480
遠征先の最前線で平時も何もない気がしますが…
”平時の量”がどれくらいをさすかわかりませんが、
まぁつい一月二六日には碧蹄の戦いが目前であった後なので、
常に戦闘を意識した話(報告)ではないでしょうか。
さらに一週間後に楊州から漢城用の兵糧集めてますので、
実際の撤退直前には兵糧はもっとあったと思われます。
(つまり撤退しない選択もありえたかと)
ただ漢城釜山間の街道の実情は数百人程度の護衛がないと
小荷駄が運べないほどパルチザン?が跋扈していたので、
それが撤退の主原因だったとは思われますが…
482:人間七七四年
07/03/20 05:08:54 tqpUortm
>>479
「長柄」と「持槍」は別物だと認識していますか?
武田家の備を見て貰えればわかるんだが、
最前線の槍部隊が「長柄隊」、その後ろに徒侍、さらにその後方に「持槍隊」が居る
なお武田家の長柄は、長柄としては標準的な5.4mほどの槍
まあ、持槍ですら3.5~5m程あるんだが
483:人間七七四年
07/03/20 11:07:03 pO9t5ftj
>>476
>まぁ少なくとも両役を通して釜山には物があふれていたからかなりの量だと思うけど。
大戦末期の日本で空襲や徴兵による人手不足で物流が崩壊して、港には穀物が山積みで
芽が出てたりしたのに国民の多くが飢えていたのと似たようなもんかな。
484:人間七七四年
07/03/20 11:22:56 pO9t5ftj
>>477
>軍としての兵站能力で考慮すべき点かどうか、はどうなんでしょ??
それで作戦行動に支障を起こすわけだから当然考慮しなきゃだめだろ。
米ばっか食ってて脚気が蔓延というのも含めて。
485:人間七七四年
07/03/20 13:51:10 4twHopV3
>>483
秀吉政権は日本→釜山までの補給を担当し、釜山から先は現地部隊独自で担当していました。
先の現地部隊の批判は、兵士が足りないから小荷駄隊護衛に人が割けない事情が大きかったと思います。、
黒田如水が「秀吉本人か家康利家が渡海していればこんなことには…」という批判をした、
という話が残っているくらいなので、
当時から前線指揮官の(補給を含めた)戦略的判断に問題があったのは事実かもしれません。
でもまぁ、秀吉軍が内地からの補給を重視していた遠征であったに違いはないと思います。
>>484
レジスタンス対策なんて軍の兵站の評価に考慮しますかね…
少なくともスレタイの当時の軍の能力比較で考慮する必要はないかと。
あと脚気対策なんて英国海軍(それも秀吉時代の100年後)くらいに初めてとられたんで、
日本でビタミンが発見されるまで、どこの国も知らなかったことですよ。
逆にほかの伝染病、赤痢チフスが大流行しなかったのは、米偏食のおかげかも。
(朝鮮海軍ではチフスで全軍一割程度の死者を2回ほど出ています)
でもまぁこれは兵站というよりは保健衛生の問題で混ぜて考えるのは…
486:人間七七四年
07/03/20 14:08:24 pO9t5ftj
>>485
>あと脚気対策なんて英国海軍(それも秀吉時代の100年後)くらいに初めてとられたんで、
>日本でビタミンが発見されるまで、どこの国も知らなかったことですよ。
日本以外の国には脚気はほとんどなく、最初は細菌による風土病と思われていたぐらい。
対策も何も、西洋などのように肉や野菜中心の食生活ならそもそも発生しない。
つまり、「各国の軍隊が長期間戦ったとしてどっちが勝つか」という架空の話をする
場合は、他国の軍隊は少なくとも脚気にはならないのに対し日本の軍隊は常に脚気の
心配をしなくてはならない。
脚気で実際に兵が4割以上も損なわれる(>>477の記述より)というのは到底無視できない
ファクターだろう。戦闘で3割も損耗したら全滅と判定されるぐらいなのに。
487:人間七七四年
07/03/20 14:20:03 pO9t5ftj
>>485
>レジスタンス対策なんて軍の兵站の評価に考慮しますかね…
ある目的を果たしたい時にそれを妨げる要素を効果的に排除できるか
どうかというのが目的達成の能力というものではないのか?
あるところに物資を送りたいが、十分な量が送れないとする。その原因が
道路が悪いのならば道路を整備し、人手が足りないなら十分な人数を手配し、
レジスタンスに邪魔されるんなら効果的な護衛手段を講じる。
こういう努力を全てひっくるめたのが兵站というものだ。
488:人間七七四年
07/03/20 15:04:35 LDh0glzi
>486
正味3割減ってもまだ日本軍のほうが多いがな
かの30年戦争の最盛期でも 西欧諸国の最大動員数はせいぜい10万ちょいってところ
1600年以前なら 欧州最強のスペインですら5万も揃えば良いトコ
関ヶ原で日本全国まとめりゃ30万動いてた当時の日本諸侯とは桁が違うわいな
489:人間七七四年
07/03/20 15:23:07 4twHopV3
>>486
ちょっと話の焦点があいまいなのですが、なにを批判されているのでしょう?
”秀吉渡海軍の物資が朝鮮前線で欠乏していなかった”もしくは
”秀吉渡海軍の兵站は当時としては最先端だった”という主張に対してですよね?
上の欠乏に関しては>485のとおり、現地部隊担当の補給線の問題
(現地軍の兵士数が足りないために運べない)
が大きく当時でも現地指揮官について批判が出ています。
ですが文禄の役では「物が全然ないよ」という記述はありません。
これは秀吉も嘆いているように「日本が小国」なために
出せる兵士の限界を超えていたのが実情ではないでしょうか??
で、細かいことですが…
当時の西欧では行軍するだけで1割は損耗していたのが実情でした。
そのような(保健衛生上も含めて)損耗と、戦闘での死傷者とを同じレベルで評価するのは…
>>487の”こういう努力を全てひっくるめたのが兵站というものだ”
というカッコイイ占めについては、
まったくもって「人力しかない16世紀の話でソレか!?」としか、返す言葉がないのですが…
490:人間七七四年
07/03/20 18:24:56 pO9t5ftj
>>489
>これは秀吉も嘆いているように「日本が小国」なために
>出せる兵士の限界を超えていたのが実情ではないでしょうか??
当時の日本の人口は世界でも有数、戦闘員の人数に至っては明を除けば
トップクラスですよ。
>まったくもって「人力しかない16世紀の話でソレか!?」
ローマ人が紀元前に実現していたことだし。
491:人間七七四年
07/03/20 18:28:39 pO9t5ftj
>>489
>当時の西欧では行軍するだけで1割は損耗していたのが実情でした
さて、1割の損耗と4割の損耗、どっちが多いですか?
戦闘での損耗も他の理由での損耗も軍隊の機能が喪失するという意味では同じこと
だし、むしろ何で区別する必要があるのかわからない。
492:人間七七四年
07/03/20 18:44:27 pO9t5ftj
>>488
なんで3割損耗で全滅と判定されるかというと、そのぐらい減ってしまうと
指揮系統やら役割分担がぐちゃぐちゃになってしまい、軍が機能しなくなって
しまうから。
社員1000人の会社で、いきなり300人が辞表を出したときのことを想像すると
なんとなくわかるんじゃないだろうか。
特に封建制の軍隊の場合、指揮官Aが死んだからといってAが率いていた家来
(総大将直属の部下ではなくA個人の家臣)を別の指揮官Bの部隊に簡単に
編入するわけにもいかないため、軍の建て直しには非常な困難が伴う。
最初から700人しかいない軍隊と、1000人いたのが300人減って700人になった
軍隊では同じ人数でも全然違うのよ。
493:人間七七四年
07/03/20 18:55:12 pO9t5ftj
>>489
>ちょっと話の焦点があいまいなのですが、なにを批判されているのでしょう?
↓これらの考え方。兵站というものを限定的に見過ぎ。
>>477
>軍としての兵站能力で考慮すべき点かどうか、はどうなんでしょ??
>>485
>レジスタンス対策なんて軍の兵站の評価に考慮しますかね…
494:人間七七四年
07/03/20 19:54:41 D2s3gLx5
オランダ駐留のスペイン軍とか病気&逃散でボロボロじゃね?
495:人間七七四年
07/03/20 20:00:40 xWjkljJo
オスマントルコ軍VS戦国日本は?、まあ明相手で朝鮮でてこずった戦国日本じゃオスマントルコ軍には勝ち目がないと思うけど。
496:人間七七四年
07/03/20 20:06:02 LDh0glzi
>492
全滅判定は4割じゃなかったけ?
まぁそれはいいとして
戦闘での損耗と行軍損耗では意味が全然ちゃうだろ
行軍時に損じるのは概ね下級の兵卒 栄養状態や装備の質・待遇が多少なりとも良好な各級指揮官・古参兵の消耗はさして多くはならんわけで
故に指揮系統まで逝かれるなんてことにはなかなかならん
戦闘時に指揮系統がどうこうなるのは 基幹要員も兵卒もおおむね平等に損耗していくからだ
強行軍で大いに兵を減じている部隊がそのまま再編されて会戦突入 なんて事例は 探せばままあること
っつーか 極端に単純化してみりゃ
行軍で3割前後消耗する15万の軍隊と
行軍で1割前後消耗する5万の軍隊
同じだけの距離と時間行軍したあと殴り合えばどっちが勝つかっつー話にならーな
497:人間七七四年
07/03/20 20:59:45 YlLlj+/S
いや、そもそも脚気は精米された白米を食べるようになった江戸時代になってからはやったんだけどなあ。
「江戸患い」て別名があるくらいだし。
戦国時代はまだまだ玄米が主力だから、脚気の罹患率が4割に達するというのはちと想定に無理がありすぎる。
それ言うなら、壊血病とか欧州側にも問題はあるよ。
498:某研究者
07/03/20 21:20:17 AdzoAUug
歩兵槍は3.5m
騎兵槍は2.5m程度と言う
事だったかも知れぬし
6mの槍は少数の兵が使用して居たのでは
無いのかだが
499:人間七七四年
07/03/20 21:33:16 Uw6HHBEW
>>495
オスマントルコもマルタを陥せなかったね
500:某研究者
07/03/20 21:43:20 AdzoAUug
>長柄槍・・・長さは3間(約5.4m)の物が主流だが、織田家では3間半(約6.3m)上杉家や北条家では2間半
> (約45.m)の長槍を使っている。
> 兵の弱い家ほど接近戦を嫌い、柄を長くした槍を使っているようだ。
6mの槍等を大量に使用して
何か問題は出ないのかだが
マケドニアファランクスの様に機動性の低下を招くと言う事は
無いのかだが
501:某研究者
07/03/20 21:50:11 AdzoAUug
西欧軍とやったら6mの槍を用いても
ハルバードを持つ士官や
下馬騎兵に踏み込まれて
アウトと言う事は無いのかだが
502:人間七七四年
07/03/20 21:54:51 r+2GP1Jl
>>499
俺はイェニチェリと戦国日本の軍勢どちらが強いか根拠に出来る史料も知識もないが、
さすがにマルタ攻防戦をあげるのはちょっとダメだと思う
503:人間七七四年
07/03/20 21:58:50 Uw6HHBEW
>>500
密集陣、組んでない限り問題はないかと
>>502
渡洋の一点のみで言っただけですから
504:502
07/03/20 22:19:55 r+2GP1Jl
sageわすれスマン
>>502
そうでしたか、失礼しました
しかし日本でオスマン海軍の文献ってないかな?
一応。近代オスマン海軍と海運の研究書は読んだけど、軍事的記述は余りかかれてなかった。
505:502
07/03/20 22:20:39 r+2GP1Jl
げ、間違えた
>>502でなく>>503です
506:某研究者
07/03/20 22:23:54 AdzoAUug
篭城戦では完全鎧を着た騎士に
オスマンの歩兵は不利だったと言う
事だっただろうし
レパントでもトルコは大砲に敗れたのでは無く
重装兵に近接戦闘に持ち込まれて
敗れたと言う事だっただろうか
507:人間七七四年
07/03/21 01:34:58 f8ityCeq
>>500
45.mって凄くねwww
508:人間七七四年
07/03/21 01:36:51 f8ityCeq
>>500
45.mって凄くねwww
509:人間七七四年
07/03/21 03:25:37 rML3u9je
>>500
45.mって凄くねwww
510:仙台藩百姓
07/03/21 04:54:30 /75uQhGK
つまり北条や上杉が最弱ということかお( ^ω^)
接近戦を嫌うあまり45mまで伸ばしたと
511:名無し三等兵
07/03/21 06:55:20 FvzHRAcl
これで鉄砲隊とも戦えると
512:人間七七四年
07/03/21 07:19:58 ScFHHnca
>>498
馬鹿か?
長柄は備の最前線に陣取るつってるだろ、
それが少数でどうするよ
想像で話す前に、備の図絵でも見てこい
513:人間七七四年
07/03/21 10:05:23 nGLeVyZ9
>>496
戦闘時だって、装備がよく後方で指揮を取っていることの多い指揮官クラスの損耗は
一般兵より確率低いし、平等に損耗していくということにはならないだろ。
514:人間七七四年
07/03/21 10:06:58 nGLeVyZ9
>>477
脚気のせいで兵の充足率が6割を切ってたって、何の資料に書いてあるの?
515:人間七七四年
07/03/21 10:20:58 nGLeVyZ9
>>497
兵糧米としては、玄米と比べると炊くのに必要な時間が短く、食べやすくて腹を壊しにくい白米が
主流だったというのをどっかで読んだ記憶があるが定かではない。
516:人間七七四年
07/03/21 11:11:08 iYjvtt0f
ちなみに玄米を大量に食べる場合、各種ミネラルを含む野菜などの
副食物を十分にとらないとミネラル欠乏症になる。
517:人間七七四年
07/03/21 17:17:01 SM4zDnkB
>>514
書き方が悪かったかなぁ、、これだと脚気で4割減った、ともとれますね…
当時は兵員充足率が6割だったが、それは戦闘での損耗や脚気などで、
けっして物資が欠乏していたわけではない。
…ってつもりだったんですが。
当時の”腫気”は症状から脚気と見られています。
当時は水があわないため、と考えられていて、
伊達政宗によると「発症したら十人中八人は死ぬ」状況だったようです。
小西行長の部隊でも鳥目が多く発生していたようで、
遠征軍の食事内容はビタミン不足、新鮮な食物よりは貯蔵品ばかり主食だったかと。
>>493
>兵站というものを限定的に見過ぎ。
16世紀前提で今の兵站の定義からどうのこうの、というのは…
は、おいといて、つか「遠征軍で欠乏していたのは何なのか」、
ソレを具体的に挙げていただければ、話は簡単なんですよ。
「物がある」って記録より、「あれが足りない!!」ってほうが
記録には残りやすいですから簡単ですよね??
518:人間七七四年
07/03/21 18:53:16 nGLeVyZ9
>>517
脚気限定じゃなくていいけど兵の充足率が6割切ってたってのは何の資料に載ってるの?
反論とかじゃなくて、単純に読んでみたいから教えてくれるとうれしい。よく、「戦闘では連戦
連勝だったけど補給が続かなくて負けた」みたいなことを書いてある本を見るけど、4割も兵士
が減ってたってことは結構戦闘でも苦戦してたのかな?
519:人間七七四年
07/03/21 19:03:40 nGLeVyZ9
>>517
>「遠征軍で欠乏していたのは何なのか」、
>ソレを具体的に挙げていただければ、話は簡単なんですよ。
小荷駄の運用に支障が出れば(>>481)、現地調達できない必需品が全部不足するような気がするが。
食料はまだしも現地で購入or略奪ができなくもないかもしれないけど、弾薬は無理っぽいし。
520:人間七七四年
07/03/21 19:33:41 nGLeVyZ9
ソレを具体的に挙げていただければ、話は簡単なんですよ。
文禄元年に漢城にいた石田三成が長束正家に送った手紙にはこうある。
***
大明国へ年内乱入事、先手へ申遣、跡々の衆可押詰之由令相談候之処ニ、小西(行長)都(漢城)へ
罷越、さきさき兵糧己下も之無、其上赴寒天如何之由申候、又跡之路次無人にて通路不輙候付而
(たやすからず)、先被仰付国都へ入渡所務申付静可申通、各致相談、得、御掟候事
***
小西行長が「さきさき兵糧己下も之無」と報告してるようだな。
521:人間七七四年
07/03/21 20:38:49 ESCriXee
>>518
そんな妄想資料あるわけないじゃんww
522:人間七七四年
07/03/21 21:05:27 SM4zDnkB
>>518
文禄二年三月二十日に漢城の日本軍の調査してます。以下実数(定員)。
小西行長6626(18700)加藤清正5492(10000)鍋島直茂7644(12000)
大友吉統2052(6000)毛利吉成1425(2000)
>>520
なるほど。たしかに回戦初年度の進撃に兵站がついていかなかったのは否定できませんね。
ですが、当時どころか鉄道ができるまでは、あの進撃スピードを支えられないような気はします。
けっして「当時としては兵站が優秀だった」ことを否定できるものではないのでは?
そして2年目以降、たとえば漢城撤退一ヵ月後に普州城攻めをする状況は
”遠征軍は物資不足”だといえますかね?
国内からの物資輸送が順調に行われていたから、のような気がしますが。
523:人間七七四年
07/03/21 21:17:08 rML3u9je
>>514
>各部隊しらべたら、兵の充足率が6割を切ってボロボロだったこととか、
>(これは米主食にする軍の最大の問題、脚気でへってた)
・これは(充足率6割に対しての「これは」)~で~だった
お前の書いた文章を要約すると、「充足率が6割を下回ったのは、脚気で減ったからだ」
>これだと脚気で4割減った、ともとれますね…
「とも取れる」じゃなくて、「としか取れない」だボケ
「これは」で充足率6割云々を指定し、「~で」って原因を限定しておいて何言ってんだお前
日本史なんてやんなくていいから、先ずは、日本語を勉強してからこい
524:人間七七四年
07/03/21 21:50:45 SM4zDnkB
>>523
む? 括弧のなかの文章は補足の意味合いで使っただけですが…
まさか「兵の消耗は補給の欠乏の結果ではない」という意図の書き込みが
「6割」とか「脚気」だけ焦点になるとは思いませんでしたので。
ご面倒でしょうが、発端のレスから呼んでいただけると、
おいらの意図もわかっていただけるかと。
525:人間七七四年
07/03/21 22:11:00 nGLeVyZ9
>>522
「兵站が追いつかないほどの進撃をしてしまう」ことそれ自体が兵站軽視を示していると思うのだがどうか。
そもそも>>481
>ただ漢城釜山間の街道の実情は数百人程度の護衛がないと
>小荷駄が運べないほどパルチザン?が跋扈していたので、
>それが撤退の主原因だったとは思われますが…
撤退の主原因を「小荷駄が運べないこと」と書いてるのは君自身だよね(文体から見て。違ってたらごめん)
小荷駄が運べないのに物資が欠乏せず、物資が欠乏してもいないのにそれを撤退の主原因にするってのは
明らかに矛盾してるじゃないか。
526:人間七七四年
07/03/21 22:12:55 nGLeVyZ9
>>524
>まさか「兵の消耗は補給の欠乏の結果ではない」という意図の書き込みが
>「6割」とか「脚気」だけ焦点になるとは思いませんでしたので。
書き方が悪いってことだ。そもそもそういう意図を伝えたいんならなんで脚気の話なんて
書いたんだ?必要ないだろ。
527:人間七七四年
07/03/21 22:26:40 nGLeVyZ9
>>522
>文禄二年三月二十日に漢城の日本軍の調査してます。以下実数(定員)。
>小西行長6626(18700)加藤清正5492(10000)鍋島直茂7644(12000)
>大友吉統2052(6000)毛利吉成1425(2000)
その資料名を教えてくれ。読んでみたいから。
その年の二月に秀吉が出した朱印状で、「漢城の兵糧備蓄は一万四千石しかなく、
このままでは三月までしかもたない」という内容のものがあるので、漢城にいた実際の
人数がわかれば兵糧の「○日分」を、平時の消費量(一人一日三合)で計算しているのか、
戦時の消費量(一人一日六合)で計算してるのかがわかるんだ。
528:527
07/03/21 22:30:10 nGLeVyZ9
ちなみに上の話のソースはこれ
URLリンク(www.lib.kobe-u.ac.jp)
「備蓄が一万四千石しかない」云々は、朱印状の中に書いてあるわけではなさそうなので、
そこは訂正。
529:人間七七四年
07/03/22 00:27:54 odL1WquK
>>523
>括弧のなかの文章は補足の意味合いで使っただけですが…
何を補足しようとした文章なんだよ?
直前の文章ではなく、遥か彼方の、ある文章に対する補足の文章だと言うなら、その文章を引用してみろ
括弧内の脚気云々で補足される様な文章なんてない、あるなら引用しろ
日本語が不自由なだけならまだしも、何でそんな小学生みたいな嘘つくわけ?
530:某研究者
07/03/22 00:35:34 4zVnvEtR
>長柄は備の最前線に陣取るつってるだろ、
>それが少数でどうするよ
最低でも最前列は長槍なのかも知れぬが
マケドニアファランクスの様に
全部が長槍と言う事では
無い訳だろうか
(まあ長槍足軽も
精鋭の短槍兵や下馬した騎馬武者に踏み込まれて
やられている例も多かったのか
どうかだが)
531:某研究者
07/03/22 00:58:42 4zVnvEtR
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>備の戦闘隊形は西洋のテルシオやマウリッツなどの陣形と異なり厳密な操典はなく又、密集隊形を採らずに各部隊を一列横隊(場合によっては二列)ごとに並べるもので、その配置も戦況に伴い頻繁に変更を行った。
前列の槍隊の一部がやられた時は
後列が此れを素早く埋められたのかだが
騎馬武者が下馬して此れを埋めたと言う
可能性も有る訳だろうか
532:人間七七四年
07/03/22 01:36:45 AX/oBWF5
>>527
書いてあるとおりの期日に三奉行が監査して全軍が五万三千人とした結果の一部ですが…
抜粋数値は旧陸軍参謀部のをそのまま書き写しました。元文書は図書館でも探して…
533:人間七七四年
07/03/22 01:39:00 AX/oBWF5
>>526>>529
まぁそこはそれ、”痴者”の書くことですからご勘弁を。
脚気は蛇足はご指摘とおりですね。相手にわかりにくい文章だ、というのも同じく。
まぁ発端は、
「秀吉の外征は、兵站の手抜きっぷりを見ると本気だったとは思えないな(>>449)」
から>>450>>452>>453>>472>>>>476>>477の流れなのですが、
脚気を出しちゃったのは(この話題と関係なく)同時代の大軍では必ず流行していた
チフス赤痢が渡海軍では大問題にならなかったのはなぜか気になっていたので思わず…
まぁ秀吉渡海軍は同世代の軍隊とはかなり異質だったと思いますね。
534:人間七七四年
07/03/22 02:31:48 sZ88jg7o
>>533
お前言い訳ばっかりだな。
535:人間七七四年
07/03/22 08:09:36 odL1WquK
>脚気を出しちゃったのは(この話題と関係なく)
補足云々はやっぱり嘘か
息をするのと同じような感覚で、すぐバレる嘘をつくなよ
恥ずかしくないのか?
536:人間七七四年
07/03/22 08:53:56 IXIfJVzr
>>530-531
>URLリンク(ja.wikipedia.org)
>当初は足軽の主力
>長槍(当初は長さ二間、その後二間半から三間へと至る)
>鉄砲隊や士大将の護衛といった防御任務へと転換した
>長柄足軽は他の足軽と較べても戦時における動員が多い
お前が引用したページに載っていた記事ですがw
自分に都合の良いところしか見てないですよね
えっと、なんでしたっけ?
537:某研究者
07/03/22 09:50:58 P5A/PaW+
槍は基本的に同じ長さで統一されて居るのか
どうかだが
10mの槍を使う足軽も居たと言うが
此れは3.5m程度の槍を持つパイク兵と戦ったら
無敵なのかどうかだが
ハルバード兵や下馬騎兵には対抗出来るのかだが
(此れは日本側の下馬騎兵や精鋭歩兵等が
対応すると言う可能性は有る訳だろうか)
信長の場合は騎馬武者も長い槍を使用して居たと言う事は
無いのかだろうし
本田忠勝等は6m等の槍を使用して居たと言うが
騎乗時は別の短槍を用いて居たと言う可能性も
有るのかどうかだが
(騎馬武者も下馬時は3-10mの槍を
使用して居たと言う事は無いのかだが
乗馬時は2m程度なのだろうか)
538:人間七七四年
07/03/22 09:58:28 LfIbQONm
元寇の時も朝鮮出兵の時も日本の武士達って完全に個人プレーに
走っちゃってて、統率って何でつか?状態。
それでもある程度戦果をあげちゃうとこが凄いがw
539:某研究者
07/03/22 12:16:01 P5A/PaW+
10m等の十文字槍等が
使われたのかだが
6mの管槍なら有ったと言う情報も
有っただろうか
540:某研究者
07/03/22 12:17:45 P5A/PaW+
石の方が弓より威力は有るかも知れぬし
石の射程に入れば弓兵は石を投げたと言う事かも知れぬが
槍兵も石を投げたのかどうかだが
或いは石を投げる専門の兵は
居たのかどうかだが
鉄砲足軽も石の射程では石を投げたのか
どうかだが
541:某研究者
07/03/22 12:38:10 P5A/PaW+
URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)
>石が有用な武器であったのは、弓が貫通力をもって敵を殺傷するのと違って、弾丸の衝撃力によって敵を倒す武器であったからである。
>すなわち、弓(矢)は急所に貫通しなければあまり意味がなかったのに対して、石は、命中さえすれば致命傷を負わすことができたばかりか、腕や足に命中しても、その骨を砕いて戦闘不能に陥らせることができたからである。
>投石の威力を増す武器が「投石具(sphendone)」であった。長さ100~150cm。重さ0.1kg程度。形状はあたかも眼帯のごときもので、
>中央の石受けに石ないしは鉛弾を包み、両端を握りしめて頭上でふりまわし、加速度をつけたところで片方の端をはなす。
>ロドスの投石兵は、ペルシアの弓兵の射程をも凌ぐほどだったとクセノポンは報告している(『アナバシス』第3巻 第4章 第16節)。
>たしかに、投石具による投石の射程は100~150mと、弓の射程と変わらなかった。
日本の投石は此所迄は飛ばぬのかも知れぬが
銃は兎も角弓よりは威力は高いと言う
事なのだろうか
542:人間七七四年
07/03/22 15:09:40 IXIfJVzr
>>567
士卒はともかく、長柄は統一されているだろう
理由は考えればわかる
というか10mの長槍のソースをくれ
wiki以外でみたことないぞ、それ
できるならば史料でよろしく
543:人間七七四年
07/03/22 17:32:48 odL1WquK
ロングパス
544:人間七七四年
07/03/22 17:47:32 odL1WquK
>>542
マジレスすると某研は
独り言→自分のレスを引用して、それに対して更に独り言→エンドレス
で自スレを埋めるスクリプトみたいな固定だから、会話をしようと試みるのは無駄
ソース
古代~近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装等 5
スレリンク(army板)
板のデフォ名無しが某研究者かと錯覚するくらいの独壇場
545:某研究者
07/03/23 01:25:41 0uF+fa2R
足軽の100mからの銃砲撃で
西欧歩兵は壊滅し
騎兵は足軽の6mの槍で阻止された後
近距離から銃撃され
壊滅すると言う事なのだろうか
546:人間七七四年
07/03/23 03:08:51 G7fRzwA4
>>544
ちょwこれww
547:人間七七四年
07/03/23 03:38:18 CisTua09
>>544
おすすめ2ちゃんねるで飛んできた。
うっわ某研懐かしい数年ぶりに見たわーとか微妙に感動してたが、
一気に有り難みが失せたww
なにこの某研群生地wwww
548:人間七七四年
07/03/23 08:26:53 /H4tjbdW
某研てスクリプトだろ?
549:人間七七四年
07/03/23 09:51:48 LX0fysZ4
>>544
某研レス数:243/328(レス数/総レス数)
某研発言率:74%
3/4を一人で埋めてるのかよwwwww
550:人間七七四年
07/03/23 18:11:49 QJh3UDUg
ちょwうぇw
551:人間七七四年
07/03/23 19:59:10 Cc06rr4Z
「戦国期日本と某研究者の戦力比較」スレになりますた。
552:人間七七四年
07/03/23 23:20:33 hoCvuiRH
朝鮮の役で鉄砲装備率が上がったっていう資料を見た覚えあるんだけど、
6割から8割だとか。
槍部隊は朝鮮ではあまり活躍していないとか。
553:人間七七四年
07/03/24 00:02:58 xLtQu16u
>>551
そりゃ某研の勝ちだろ。人間は自然現象には勝てない。
554:人間七七四年
07/03/24 01:54:26 0jJGR+Hv
とりあえず、「日本軍が欧州に攻め込んだ場合」と「欧州が日本に攻め込んだ場合」はホーム側の圧勝で異論はあるまいが……
どういう条件で、くらい決めて話さないと意味無いんじゃね?
100平方キロの土地に同人数集めて戦った場合とか、数は揃えられるだけ揃えていいとか、
気候は温帯か寒帯か、地形は平原か山岳か森林かジャングルか、とか。
あるいは、ヨーイドンで中東に侵略した場合どっちが大戦果を挙げるかとか(このへんで政治の話が入りそうだが)。
……日本VS海外諸国だと、イロコイ族からモンゴル騎兵まで含めて相手にせにゃならんのか。
100平方キロの平原で、欧州1万対日本1万とかで話せばいいんじゃねと思うが。
既にどっかでやってそうだな。
555:某研究者
07/03/24 03:20:48 bJI1m5Vj
朝鮮侵攻軍16万の内
銃兵は4万だっただろうから
1/4程度は銃を装備していたと言うが
射手は1万程度だったと言う事かも知れぬが
残りは槍が大半であり
騎馬武者は1割程度と言う事かも知れぬが
他には大阪冬の陣で使用されたと言う
300程度の大筒は有ったのかどうかだが
556:人間七七四年
07/03/24 04:57:28 qbZuX9Gn
>>554
「戦力を比較するスレ」なのに、
何で「どっちが強いだの勝つだの」どうでもいいことを決めたがってんの?
すれたいのかんじがむずかしくてよめなかったの?
557:某研究者
07/03/25 06:44:14 0hOOClYW
マラトンの戦いの様に
西欧歩兵が火縄銃の射程に入った瞬間に
全速で突入して来たら
此れを阻止出来るのかだが
槍の長さの差で阻止は可能なのかだが
騎兵が直前で下馬して突入して来たら
此れを長槍兵では阻止出来るのかだが
この様な運用は実際には行われて居らぬ訳だろうし
日本側の銃砲撃で西欧軍が壊滅すると言う
事だろうか
558:某研究者
07/03/25 06:57:56 0hOOClYW
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>17世紀初頭には1:1(=槍:銃)となっていた。
この時点では日本の銃兵は1/4だろうし
総兵力は兎も角銃兵の比率は圧倒的に
西欧軍が多いだろうが
西欧軍の銃は当たらないので
日本側の槍兵の数が物を言う可能性が有る訳だろうが
チェレゾーレの様に近距離の射撃に持ち込まれたら
其の限りでは無い訳だろうが
近距離でそう一斉に銃を放てるのか
どうかだが
559:某研究者
07/03/25 07:02:18 0hOOClYW
西欧の歩兵が近接する前に
(此れはマラトンの様に高速移動は
しないかも知れぬが)
高精度の火縄銃で打撃を出来るだけ与え
西欧軍の近距離での銃撃時のダメージを
出来る限り抑え
パイクより長い槍兵で撃退すると言う
方向だろうか
(敵騎兵は銃撃と槍で
抑える訳だろうか)
560:某研究者
07/03/25 07:14:19 0hOOClYW
URLリンク(mltr.e-city.tv)
>パイク+銃に対して剣をメインとした歩兵が勝利した事例としてはスコットランド高地人の「ハイランドチャージ」がある.
>これは剣と盾を装備した歩兵がパイクの密集陣に正面から突撃,パイクを盾で受け止めてから穂先を剣で切り落として無力化するという豪快な戦術だ.
>これも銃剣の普及で有効性が低下した.
この様な戦術を使われると
火縄銃の精度の優位や
長槍の優位が
損なわれる可能性も有るだろうが
ハイランダーしか使わなかった
戦術なのだろうか
561:某研究者
07/03/25 07:19:41 0hOOClYW
ローマ兵も似た様な戦術だろうが
長槍兵に対して全力で突進はしたのだろうか
(まあローマ兵も全身を防護出来る盾は持たないので
相手の投げ槍や弓を避ける為に
高速で移動したと言う可能性は有るだろうが
ギリシャ兵はマラトン以外では高速移動したのかだが
マケドニア歩兵はマラトンの様な高速移動は無理なら
射撃を長時間受け続けた可能性は有る訳だろうか)
562:某研究者
07/03/25 07:21:55 0hOOClYW
攻城戦や塹壕戦では
日本側は城・陣地に対して塹壕は掘ったのかどうかだが
トンネルは掘っていた訳だろうが
何れが有効な戦術なのだろうか
563:某研究者
07/03/25 07:24:02 0hOOClYW
城の耐久性は西欧・日本何れが上なのかだが
日本側の城壁も傾斜しているから
大砲に対する防御力は有るのかも知れぬが
日本側も兵力の割りに
大筒の門数は少ない(18万で300門)と言う意見も有るが
関ヶ原で大筒1000門が使われたと言う意見も
有る訳だろうか
564:人間七七四年
07/03/25 08:02:45 BApwTAp2
信玄なら楽勝
565:人間七七四年
07/03/25 17:26:02 aFEk7wkG
オスマン軍と秀吉軍の兵站を比較すれば、あきらかに秀吉軍の方が上。
オスマン軍がペルシアへ遠征した時なんか、かなりの高官まで餓死している。
ヨーロッパ方面でもペルシア方面でも、逃げ回るカール5世やサファヴィー朝軍を補足できず、
大した戦果も無いまま、補給が切れて撤退というパターンを繰り返していた。
566:人間七七四年
07/03/25 18:10:07 GJyGDxPM
兵站に難があって対した戦果もないまま引き上げたのは、
朝鮮出兵も大して変わらないと思うが。
567:某研究者
07/03/25 23:01:20 dlOGsjil
明軍に兵糧を焼かれたから撤退と有るが
何処の兵糧なのかだが
補給の続くルートから海上に抜けて
北京急襲と言うのは
無理だったのかどうかだが
半島南部の城砦群迄には兵糧は
十分供給されていた訳だろうか
568:某研究者
07/03/25 23:52:04 dlOGsjil
ナポレオンの縦隊突撃と言うのも
銃砲劇を避ける為に
可也高速で敵に対して
突入していたと言う事は無いのかだが
569:人間七七四年
07/03/25 23:56:31 n9MGwj6I
「だろうか」でレス抽出すると凄いんだがw
570:人間七七四年
07/03/26 01:34:48 gXDczbTx
>>565
カール5世って逃げ回ってたっけ?
571:某研究者
07/03/26 01:44:16 20148173
トルコが野戦を申し込んだが
断ったと言うが
この段階ではピストル騎兵も余り居ないので
トルコ騎兵に勝てなかったと言う
事かも知れぬし
ニコポリスの二の舞に成る事を
恐れたと言う事かも知れぬが
572:某研究者
07/03/26 01:47:29 20148173
トルコ弓騎兵に重騎兵・カラビニエやリッターで
勝てるとは思えぬし
アドルフやリチャードの騎兵の様に
歩兵の銃撃の援護下で戦うと言う方向しか
無いのかも知れぬが
ニコポリスの様な騎士の勝手な独走を
恐れたと言う可能性も有るだろうか
573:人間七七四年
07/03/26 11:35:45 h91v0JA6
>>554
>100平方キロの平原で、欧州1万対日本1万とかで話せばいいんじゃねと思うが。
現実にありえない想定で話しても不毛だと思う。そんなことを言い出したらこのスレの
意義が無くなると言われそうだが、元々不毛なテーマだと思うし。
574:人間七七四年
07/03/27 05:30:57 wRAg0doh
>>566
「戦局は明と朝鮮の敗勢だったが、秀吉が死んだお陰で戦争が終わった」
というのが、朝鮮出兵についての明史の見解。
575:人間七七四年
07/03/27 07:05:03 PjYYpgnB
>>574
事実として戦闘には勝っているからそれはそうでしょう。
ところが、戦闘に勝っているにもかかわらず、
海岸線にへばりつく程度にしか進軍できなかったことこそが、
いかに兵站が乏しい状況だったかを如実に表している。
576:人間七七四年
07/03/27 09:14:22 /9gU4pp1
実質明・朝鮮を倒したようなもんだしな
577:人間七七四年
07/03/27 13:00:43 mDCadCdM
>>576
どっちの国も既に崩壊寸前の状態だったけどな。
朽ちかけた家に相撲取りがやってきて壁や柱をぶっ壊したようなもんか。
578:人間七七四年
07/03/27 15:19:02 SD66D9//
>>575
占領地だけで兵站語るなら、清が当時一番兵站がいかしてた軍隊になるな。
579:人間七七四年
07/03/27 16:36:33 ZsIfr/M+
秀吉が死ななかったら勝てたとはいえないまでも朝鮮ぐらいとれたかもしれん
580:人間七七四年
07/03/27 17:23:10 mDCadCdM
>>578
最盛期の清は、軍事的にも政治的にも当時の世界最高峰国家の一つと言っても
別に間違いじゃない。末路は悲惨だったが。
581:人間七七四年
07/03/27 18:52:08 ZQRuZfUN
戦時にあっては兵站、平時なら流通・通信のシステム。
これがダメだと巨大版図の獲得も維持も不可能。
582:人間七七四年
07/03/27 18:55:47 +Jrkvv5U
TVドラマの話しですまないが、「康熙王朝」や「雍正王朝」だと、遠征遠征連戦連戦の清の苦しい台所事情が描かれていて泣けるw
583:人間七七四年
07/03/27 20:46:33 PjYYpgnB
>>578
一番かどうかはともかく優れていたとはいえるでしょう。
兵站だけで敵地を占領できるわけではないが、
兵站がなければ敵地深部までの侵攻は不可能。
特に朝鮮の役の場合は戦闘そのものでは日本軍のほうが勝っているのだから、
にもかかわらず、づるづると退いて最終的に海岸線近くの拠点しか守れなくなっていたのは、
正に兵站に問題があったからとしかいえないでしょう。
584:人間七七四年
07/03/27 22:46:57 SR6cdimP
つーか
「15万以上の大軍を」
「完全な敵地に」
「完全渡海侵攻」
なんて事例 それ以前の世界戦史上全て見渡しても精々元寇くらいしか見当たらんわけで
そういうことが可能だと思った秀吉の判断を云々言うのはともかく
世界初ともいえる事例に果敢に挑戦し ある程度戦わせ得た当時の日本の能力は間違いなく史上に特筆されるべきものだろ
ノウハウの蓄積ゼロ そもそも当時の技術的限界とも思われることを実行し
>戦闘そのものでは日本軍のほうが勝って
>最終局面でも海岸線近くの拠点を確保しえた
ってことは充分以上に評価に値すると思うがなー
585:人間七七四年
07/03/27 23:00:50 sfkMMXQP
康熙帝即位から乾隆帝の治世終盤までの間に中国の人口は約3倍に増えてる(9000万→3億)。
これは、治安が向上して、戸籍から逃れていた人々を国がきちんと把握できるようになったというのも
大きいが、実際に食糧生産が急激に伸び、多くの人々がとにもかくにも食っていける状態になったと
いうこともあらわしている。兵站とはイコールではないが、まあ参考までに。
(もっとも、この極端な人口増加により、十八世紀終盤からは慢性的な食糧不足に悩まされていくことに
なるんだけど)
どの国も多かれ少なかれそうだが、特に中国の歴史は、多くの人間を食わせることができたやつが天下を
取り、王朝が衰退して食わせられなくなると滅亡するという繰り返し。その分、王朝を樹立するような勢力は
民や兵を食わせることには相当な神経を使っている。
586:人間七七四年
07/03/27 23:02:24 sfkMMXQP
>>584
戦略目標を達成できなかった戦争は全て「負け」ですよ。能力に見合った目標を立てられ
なかった時点で。
587:人間七七四年
07/03/27 23:20:20 ZQRuZfUN
諜報能力と情報分析力が足りなかったね。
588:人間七七四年
07/03/27 23:41:58 SR6cdimP
>586
いや勝ち負けとはまた別の問題でだな……
そもそも どこまでが可能でどこからが限界なのかというコトそれ自体がノウハウ皆無で分からんわけで
それを事前に予知して作戦を立てるなんてことは神様の所業だろ……
果敢に挑戦して敗れたとはいえ その挑戦自体の価値が下がるわけじゃねーだろうと
つーか このスレの意義に則って海外の国と比較するなら
そもそも十万を集めることすらできなかった同時期のスペインとかと比べてどんだけ上に行ってるのか っつー話にもなるわいな
589:人間七七四年
07/03/28 00:05:06 A97ZrotZ
>>586
「中華帝国をのっとる」なんて勝利条件立てた秀吉が悪いって事?
それいっちゃ”軍”の能力比較なんてできないんじゃぁ…
それに>>574だと、明から見ると「遠征軍自体は負けてなかった」ってことになるね。
「勝手にやってきて勝手に暴れて勝手に帰った」
…っていうのは、なんというか政治的に評価に困るね。
590:人間七七四年
07/03/28 00:10:42 lVUsFf+K
なんかえらく兵站の問題ばかり強調してる人がいるが、
原因はそれだけじゃないでしょ。
中国国境付近まできたところで明の援軍が来てそれから
向こう側の攻勢が始まったんだから、何も兵站だけの問題だけじゃないでしょ。
朝鮮戦争の時も、あの辺りまで押し返したところで
中共の援軍が来て国連軍は押し返されたわけだしさ。
591:某研究者
07/03/28 01:44:46 7mZfs+3h
日本側も篭城後に敵が疲弊した後の追撃に
もう少し拘っていたらだろうが
秀吉が死なずに島津が可也長期に戦っていたら
篭城・追撃を繰り返して
明軍は壊滅していた訳だろうが
清正は篭城は兎も角追撃は何故
やらなかったのだろうか
592:人間七七四年
07/03/28 02:38:00 YHSG7eAH
>>586
その屁理屈だとバトゥも欧州諸国にに負けちゃったんだね
593:某研究者
07/03/28 03:44:00 7mZfs+3h
進撃して敵の城を落とすのでは無く
敵地に城を築いて
攻めて来る敵を撃退してから
疲弊する敵を追撃し包囲殲滅し
空と成った城を占領して
又同じ事を繰り返すと言う
パターンも有っただろうか
594:某研究者
07/03/28 03:47:37 7mZfs+3h
まあ敵地に早期に城等
築けるのかだろうし
敵に宣戦布告して
味方領内の城と戦わせ
敵が弱った所で
此れを追撃し包囲殲滅すると言う
方向も有る訳だろうか
595:人間七七四年
07/03/28 06:13:44 dn/5UafH
>>592
バトゥがロシア平原から叩き出されていたなら、そう言えるな。
596:人間七七四年
07/03/28 07:41:21 fRd3eu1x
戦国日本は騎兵の能力や補給や対外戦争に問題がある、織田信長でも明を相手に朝鮮出兵しても、勝てないと思う。
武田、上杉騎兵も外国の騎兵に比べて見劣りする。
597:人間七七四年
07/03/28 09:56:32 YHSG7eAH
>>595
じゃあ日本軍が負けたことにならないな
わかってるんならいいんだよ
598:人間七七四年
07/03/28 11:52:18 STWMCQHH
半島から叩き出された日本
ルーシーを切り取ったモンゴル帝国
599:人間七七四年
07/03/28 15:42:27 B9/tQ4nA
>>592
戦略目標が「欧州諸国の征服」だったなら達成できなかった以上は負け。
当たり前の話だ。戦争の勝敗の基準にそれ以外のものはない。
仮に欧州遠征が他の目的を達成するための手段であり、最終的に当初の目的が
達成されていたなら中途で撤退しても勝ちだけどな。
或いは「西方で可能な限りの領土を切り取る」というのが目的だったなら、
部分的勝利ということも言える。バトゥの遠征に関して言えば、これが一番
近いかな。
>>597
秀吉の朝鮮出兵を考えた場合、戦略目標は「明の征服」なわけで、明に辿り着き
さえせずに撤退した以上は単なる負け以外の解釈はない。
600:人間七七四年
07/03/28 15:50:19 B9/tQ4nA
>>588
負けた戦争に「挑戦の価値」なんてものはない。スポーツやゲームならそれも
いいけど。
・兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず
・国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ
・百戦百勝は善の善なるものに非ず
601:人間七七四年
07/03/28 15:58:33 B9/tQ4nA
>>589
「『軍』の能力」は「与えられた任務を遂行できるかどうか」で判断するもの。
だから「虎とライオンどっちが強い」的な単純比較は成立しないし与太話の域を
出ることは無い。
602:人間七七四年
07/03/28 16:52:47 A97ZrotZ
>>601
ここはスレタイ見ればわかるけど、「あえて与太話する」スレ。
つか「戦争は政治外交の一手段」だから、”戦争に負けても政治的に勝った”例は多いけど。
(小牧の戦い、七年戦争、匈奴vs漢etc..)
こういう場合の負けた軍の能力はみんなへぼかったって判断するの??
603:人間七七四年
07/03/28 21:58:01 STWMCQHH
関係ない城に攻撃しかけた揚句、確固撃破されて死んでりゃそうなるな
604:人間七七四年
07/03/28 23:03:14 Y0banFWa
ポルトガルも、1578年に海峡を越えたモロッコに2万5千もの大軍を送り込んだことがあるよ。
出港してから2ヶ月後には兵站不足に陥り、あっさりと全滅したけど。
スペインも、1588年に海峡を越えたイングランドに侵攻を試みたことがあるな。
こちらは、上陸することすらできなかったが。
605:人間七七四年
07/03/29 00:54:05 V5O/hQx5
スピキオは成功してるがな
606:人間七七四年
07/03/29 01:22:59 s5WVwLJV
>>604
スペインなら、1601年(5回目)にはアイルランド南部に上陸成功させてるよ。
反乱軍と合流できなくて孤立して降伏したけど…
607:人間七七四年
07/03/29 01:48:23 YN5Bzu0o
確か、昔の日本の馬はサラブレッドみたいなのじゃなくて
もう少し小さい馬しかいなかったんですよね。
ああいうおっきい馬が輸入されたのは江戸とか明治ぐらいで。
速度も鎧を着て騎乗すると全然でなかったとか。
日本の騎兵はやはり外国よりは劣っていただろうと思います。
608:人間七七四年
07/03/29 02:17:11 Z2n28R27
サラブレッドを比較の対象にする時点で煽り臭がするな。
長くてたったの3000メートルしか走れない馬が戦争に使えるかアホ。
それに江戸時代は馬の小型化が進んだ時代だ。
609:人間七七四年
07/03/29 02:38:12 cHEOZjqK
15~19世紀あたりの馬について良い文献って何かありますか?
日本に限らず欧州や中国についても網羅したようなもの
610:人間七七四年
07/03/29 03:48:09 b+5707KL
>>607
骨格から推定するに、
欧州やモンゴルの馬に比べて小さいとは言えません
611:人間七七四年
07/03/29 04:30:55 V5O/hQx5
>>608
発想と文章の構成から漂うゆとり臭が本命
612:人間七七四年
07/03/29 06:27:45 m4RRniVV
馬の話はもうええやん
613:スーパーキセルンルン ◆.//fH73A1o
07/03/29 06:34:51 aHu1BvXO
>>585
人頭税廃止が人口爆発の要因なんだが。
それと18世紀後半からしばらくは、地球が寒冷化して、日本でも飢饉の連続だった訳だけど。
614:人間七七四年
07/03/29 21:07:22 34BMVNac
>>612
いや、馬は重要だろ
軍隊の移動、物資の輸送、情報収集、伝達
いずれも速さが大事だと思うが、内燃機関や有線、無線通信のない時代では、
それらの速度を保証するのは馬と船だと思うぜ
馬と船の速度は、広大な面積を支配し、各地を一つに結びつける帝国の根幹なんじゃないかとも思うし
615:人間七七四年
07/03/30 12:51:06 JtEff4V3
「朝鮮渡海日記」での明軍の描写のなかに
「馬の大きさけしからず候男もけしからず大き候」とあるけど
大柄の馬を選りすぐってたのかな?
616:人間七七四年
07/03/31 08:34:07 Da9Ime4P
>>584
とりあえず、
海上輸送は順調だったのだから、完全渡海侵攻を強調する必要はないでしょう。
617:人間七七四年
07/03/31 09:41:05 DP5v8hy2
>>616
「海上輸送は順調だった」から「完全渡海侵攻を強調する必要はない」
…という論理の展開についていけないのですけど…
618:人間七七四年
07/03/31 15:26:28 Da9Ime4P
それが秀吉軍の補給にとって特に障害になることではなかったのだから、
別段特にで強調する必要はないだろうと。
619:人間七七四年
07/03/31 18:17:00 DP5v8hy2
>>618
「数年の間、陸軍を保持するための物資海上輸送が順調」
…っていうのはすごい補給能力ことだと思うのですが…
>>584はそう言ってるのでは??
620:人間七七四年
07/04/01 08:51:19 uXVhcuK7
海上輸送をあまり強調すると、
海上輸送は順調だったが陸上輸送が破綻していた、
という実体がつかみにくくなると思うが。
実際はむしろ陸の上を輸送するほうが大変だったわけだから。
621:人間七七四年
07/04/01 14:27:52 GK3FFgBz
19世紀まで陸上輸送は人力か家畜しかなかったんだから、
陸上補給のそれを比較するのは難しくないかなぁ…
622:人間七七四年
07/04/01 21:47:53 H82OEJ2M
三国志の蜀は(ry
623:人間七七四年
07/04/02 12:57:57 6LHdEVyF
>>621
ローマ帝国みたいに土地を占領する度に徹底的に道路の整備を行った
勢力や、中国の歴代王朝のように食糧集積地のネットワーク作りに腐心した
勢力など、陸送に工夫をこらしていた勢力はいろいろある。
というか、そうやって輸送システムを整えない限り巨大帝国なんて作れない。
624:人間七七四年
07/04/02 13:13:19 gsNCNRjn
秀吉の時代、朝鮮半島の位置にグレートブリテン島があって、イングランド王国
そのまんまの戦力を持ってたとしたら……
・英国が日本に攻め込む
→ 日本の方が兵力・小銃数で圧倒し、日本の勝ち
・日本が英国に攻め込む
→ 制海権を英国が握っていて日本は兵員・物資の輸送が滞り英国の勝ち
こんな感じの結果になるかな。
625:人間七七四年
07/04/02 16:17:47 vybUi3hg
>>623
ローマのインフラ整備は平和時の国内だけ、だよ。戦争中にはそんなことしとらん。
(第二次ポエニ戦争直前の北イタリアなんて、なんも手をつけとらんでしょ)
だいたい戦争最中に補給用の道作るような作戦できるのは第二次大戦以後じゃない?
16世紀の軍隊、とくに朝鮮の役でインフラ整備まで兵站に含めるのはいかがなものか?
>>624
英国艦隊が来るとしたらポルトガルのマラッカ征伐(18隻兵800人)見たいな感じじゃないかなぁ…
逆倭寇みたいになって日本はえらい悩むと思う。
626:人間七七四年
07/04/02 17:45:25 gsNCNRjn
>>625
>ローマのインフラ整備は平和時の国内だけ、だよ。戦争中にはそんなことしとらん。
なんでそんな小学生がつくような嘘を言うかな。
実際のところは、征服戦争には常に大量の工兵隊を随伴し、真っ直ぐで堅牢な道を
作りつづけていた。ある意味、道路を作るために戦争をしてたと表現してもいいぐらい。
そのあたりのことをコンパクトにまとめてあるサイトがあるので読むといい。
URLリンク(www.shigaku.or.jp)
627:人間七七四年
07/04/02 18:05:47 6LHdEVyF
「大量の工兵を連れて」というよりは「ローマ兵=工兵」という方が正確かも。
628:人間七七四年
07/04/02 21:39:56 vybUi3hg
>>626
ちゃんとそのリンク読みなよ…「兵士たちに常時仕事を与えるためでもあった」とかいてあるじゃん。
平和な時期に自軍がコントロールしている地域で駐屯軍が道路や水道等の土木作業した、のよ。
これは日本だってやてtる街道整備とか天下普請とかとおなじじゃん。
遠征できる補給能力とはまったく別問題じゃないかな??
でもおいらが勉強不足なのかもしれないから、
戦時に、たとえ冬の休戦期でも、公共インフラ作ってる例があったら教えてくだされ。
629:人間七七四年
07/04/02 21:48:58 6LHdEVyF
>>628
平時に工事、戦時に工事だよ。有名な話。
なにしろ日頃から工事ばかりしてるため、工兵としての錬度がおそろしく高い。
土地奪う→道作る→土地奪うというサイクルで領土を広げ、
占領地が本格的に安定したら「〇〇街道」と呼ばれるような
大規模幹線道路を作る。
630:人間七七四年
07/04/02 22:38:01 K8z+FzM6
まぁ
高台の砦落とすために城壁の高さまで土盛っちゃったり
島に攻め込むってんで島まで続く突堤作っちゃったりしてるのがローマ軍だからなw
超長期に渡る包囲戦とそれを維持するための兵站補給・道路整備に関しては世界戦史上でも屈指の軍隊だわ
補給戦の能力を測るなら間違いなく16世紀西欧も日本も明も相手にならんわいな
631:アレクサンドロス
07/04/02 23:22:29 DpSVr+xC
>>630
>島に攻め込むってんで島まで続く突堤作っちゃったりし
それはローマじゃなくて俺のテュロス征服だろ!
632:人間七七四年
07/04/02 23:27:44 aQlp1Gwm
共和制時代なんかだと、財務官(戦時には軍の補給を司る)につくことが超エリートコースだったしなあ。
他の時代・国々で後方任務を担当する人が軽視されがちだったのとは対照的。
まあ現代の日本では財務省の役人はエリートだけど、それはまた別の話。