戦国期日本と海外諸国の戦力比較 at SENGOKU
戦国期日本と海外諸国の戦力比較 - 暇つぶし2ch159:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 17:55:43 BVyqqTQM
>>158
だからそれは結局半島南部までくらいしか、
補給が効かなかったということでしょうが。

160:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 18:12:55 77K+vQH4
>>159
半島南部に補給が効いたことだけでも、当時の欧州の軍隊には絶対不可能なことだろ。
欧州の軍隊は北アフリカでは、海岸線から離れて進軍することなんか不可能だったし、
海岸付近の都市をたまたま攻略しても1年と保持できなかった。

161:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 18:19:02 77K+vQH4
>>160
ごめん。
「1年と保持できなかった」は訂正。
現地の勢力の弱い小さな都市なら、中には何年か保持できた例もあるかも知れない。

162:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 19:01:40 BVyqqTQM
1535年にカール5世がチュニスを落してハフス朝を屈服させたり、
当時の欧州勢は北アフリカでも互角に戦っているように思うけど?

163:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 22:30:27 O8wwHERj
>>157
>どなたか欧州の軍隊が歩騎混合部隊と衝突した戦いがあれば教えてください。
歩騎混合部隊とは?
歩兵と騎兵を持つ軍のこと?



164:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 22:45:39 BVyqqTQM
>>163
多分、戦術上の最小単位となる部隊の中に、
騎兵と歩兵が混在しているような編成の部隊、って事でしょう。
最近のレスでは私がそういう部隊をさして、
「歩騎混合部隊」って言い方をしているから。

165:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 23:03:12 O8wwHERj
>>164
なるほど、戦術上の最小単位となる部隊でという意味ですね。

そんな軍隊ほとんど存在しないでしょう。
必要に応じてそういった編成になることはありますが
それが一般的な編成である軍隊というのはほとんど聞いたことがありません。
中世ヨーロッパの「ランス」や「Compagnies d'Ordonnance 」はあくまで動員上の単位であって
戦術上の単位ではありませんから。

ヨーロッパでは古代から現代(ヨーロッパに限らず)まで中央に歩兵、両翼に騎兵という陣形が基本になってます。
こういった陣形を組む上で歩兵は歩兵、騎兵は騎兵で集中させることは必然です。
これは現代の軍隊でも同じです。

166:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 23:33:34 Qm1KsyLM
>>154
「長期間の内戦」とカッコ付きで書いたのは、ドイツ諸侯軍の兵站に関しての事。
言葉足らずでスマンね。

167:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 00:16:20 dsRWW8p+
>>156
私としては一戦場で完全に歩兵と騎兵を分離する方が運用しにくいと思ってますが。
機動力が高い分、防御がダメな騎兵ろ防御は無敵だが機動力は無きに等しい密集歩兵
では、余りにも両者の能力に差が有りすぎます。
これらの組み合わせは滅多に上手く行く事はなかったように思いますが?
一度出したら引っ込みの付かない騎兵を投入するタイミングを逃した挙句、無用の長物と
化す。

それよりも一部隊がある程度のオールマイティな能力を持ち、攻守双方に用いれる部隊を
複数有す方が使い勝手が良いと私は思います。

168:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 00:24:43 cCrQOfeN
>>167
騎兵と歩兵を一体にすると両者の利点が相殺されて意味の無いものになりますよ。
16世紀以降の軍は騎兵連隊、歩兵連隊というように兵科ごとに部隊を作っています。
騎兵と歩兵がごっちゃになった大隊や連隊というものは存在しないでしょう。


169:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 06:33:10 pg8yfKHv
>>164
そう、「どなたか」っていうのは君のことを指していた。

で。>>165の言うように
>古代から現代(ヨーロッパに限らず)まで中央に歩兵、両翼に騎兵という陣形が基本に>なってます。

ヨーロッパは基本的にそんな感じだと思う。
戦国日本やたぶん東南アジア・中国は違ったと思うけど。

けどそれって別に欧州のそういう軍隊がそうじゃない軍隊より強いからって分けじゃないと思う。
実際に戦ってみてそれが強かったからそうしてるってわけじゃなく
昔からそういう軍隊同士で戦ってるから、それが普通だからそうしてるんじゃないかな。

集中的運用が必然とか有効とか言うのは机上の空論じゃない?
備が迂回して攻撃する場合の話とか読んでてそう感じた。
兵科の集中運用の有効性を否定するわけではないけど。

170:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 06:52:48 pg8yfKHv
>>164
そう、「どなたか」ってのは君のことを指していたw

で。>>165
>ヨーロッパでは古代から現代(ヨーロッパに限らず)まで中央に歩兵、両翼に騎兵という陣形が基本になってます。

欧州では昔からそうなんだよね。俺の知る限りでは。
実際に集中運用をした部隊がそうでない部隊に勝ったから、強かったから集中運用をしたってわけではなくて、
欧州ではみんなが集中運用がいいと考えたからそうしてるだけで。
実際にそれが効果的だったってことが戦争で証明されたことはたぶんほとんどない。

そういう意味で集中運用がどうの、っていうのは机上の空論の臭いがする。
特に、備が迂回攻撃をした場合についての両者のレスからそう感じた。

だから実際に戦った場合どうなったかが知りたかったんだ。
探せばありそうだけどね。
モンゴル対鎌倉日本とか、ある意味そうかな。


171:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 07:55:22 fgOAMcw9
確かに鎌倉日本は、騎兵の集中運用によってモンゴルを圧倒したからな・・・

172:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 08:29:14 hGTVLC8y
現代の軍隊も同じ様な編成だというのは理解している。

当時のヨーロッパの軍隊の一番の問題点は、女子供連れの軍隊だったと言う事。
行軍速度を比較すれば、行軍速度の速い側が常に自分が望む戦場、自分が望む地形を簡単に得る事ができる。
(孫子の兵法で言えば「後の先」。)
戦いたくない時は戦わない、戦いたい時に戦いたい地形で戦えるというイニシアチブを常に握っている。

173:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 09:10:53 uHl8erzV
>>170
西欧でも中世の初期は騎士に従者がついて部隊を作っていたが、
東ローマやイスラム圏との戦いを経て兵科ごとの運用になっていますよ。
中国も春秋時代には戦車が歩兵を引き連れる編成だったが、
戦国時代には騎兵と歩兵に別れる編成になった。
洋の東西を問わずにそのような変化をしている以上、
その方が効果的だったからと見て間違いあないでしょう。

174:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 09:23:54 dsRWW8p+
>>168
現実運用では戦闘団が良く編成されますな。

175:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 09:34:53 uHl8erzV
兵站に関しては、当時の日本の戦が直接的な対外干渉を全く受けずに、
100年以上も内戦状態が続くという、
かなり特殊な条件で行われていたことを念頭に置くべきでしょう。
確かに互いに密接な外交関係を持っていたとはいえ、
国外で戦うことが多かった欧州の軍隊と同列に考えるわけにはいかない。

176:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 14:15:30 EGxPiKE/
>>174
戦闘団は戦術上の最小単位ではなく最大単位です。
単独で戦闘を行なえるための諸兵科混合部隊であって、これらが多数集まって
さらに上の部隊を構成することはまずありません。
あと、戦闘団は全体の速度を合せるために機械化しています。
徒歩の歩兵と戦車では防御にしか使えませんよ。

>>170
>欧州ではみんなが集中運用がいいと考えたからそうしてるだけで。
実際にそれが効果的だったってことが戦争で証明されたことはたぶんほとんどない。

カンネーがなぜ現代でも最も理想的な包囲撃滅戦として研究されるか考えてみればわかるのではないでしょうか?

177:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 14:43:11 n1BxHZzK
>>176
カンネーのローマ軍は歩騎混合だった故に包囲撃滅されたんですか?





178:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 14:43:13 fgOAMcw9
>>175
戦国時代の日本は統一された国では無かったし、欧州の国の概念も現在とはまったく異なる。
欧州の軍隊が「国外で戦うことが多かった」というレベルでなら、日本の軍隊も同様に
「国外で戦うことが多かった」だよ。

当時の欧州の軍隊には、欧州の外で機能するような兵站システムは皆無だった。
モロッコに攻め込んだポルトガル軍は、上陸してからわずか1ヶ月程度で兵站不足に陥って壊滅し、
海岸から大して離れていないフェズに到達することすらできなかった。
一方の秀吉軍は、朝鮮上陸から約1ヶ月で漢城を攻略し、その1ヶ月後には平壌も征服だろ。

179:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 15:51:19 dsRWW8p+
>>176
戦闘団隷下でも臨編的に中隊を各として各兵科小隊~分隊を付ける事は行われてますが?
後、機械化の機動力といいますが、密集方陣よりも高い機動力を持てばその点は充足していると思いますが?

180:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 15:54:48 uHl8erzV
>>178
一国内に多くの勢力が割拠する内戦と、互いに深く関係するとはいえ、
多くの国があい争う多国間戦争を同じに語ることは出来ませんって。
欧州ではまず国々で言語からして違うし。

具体的なことを言えば例えば街道。
日本では奈良・平安・鎌倉と緩やかであってもほぼ全土を支配した政権の下、
全国的な街道が整備されたが、欧州ではローマ崩壊以後、
統一的な政権が出来なかった為、国境を越えた街道整備はほとんど出来なかった。
欧州の軍隊はそういう条件で他国へ遠征し、何年も戦わなくてはならなかった。

それから、オスマン帝国にも対抗し、
ソンガイ王国を滅ぼしてサハラ以南にまで勢力を伸ばした当時のモロッコと、
まともな軍隊すらない事実上の明の属国朝鮮を同じに語るのは全くナンセンスだと思いますが?

181:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 16:07:08 uHl8erzV
>>179
臨編的に、とか言い出したらきりがないと思うが。
どのみち、最小単位が各兵科ごとなら、その最小単位を複数組み合わせて、
その場に応じて必要な作戦単位を作ることが可能だけど、
最小単位そのものが騎馬と歩兵の混成では、
その部隊は騎兵の機動力もなく、歩兵の防御力もない部隊になるだけ。

182:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 16:56:30 fgOAMcw9
>>180
例えばイタリア戦争やオランダ独立戦争の際のスペイン軍についてだが、イタリア南部の
ナポリ王国はハプスブルク領だし、ネーデルランドもハプスブルク領。
自国の君主の領土で戦う軍隊を、「他国へ遠征」というのはおかしいだろ。

それと、ネーデルランドやイタリアで戦ったスペイン軍は、スペインからの兵站の供給で
支えられていたわけではない。
兵站に関してスペイン軍は、その地その地で略奪を行い、自給自足をしていた。
こんな補給システムしか持たない軍隊が、欧州の外で万単位の部隊を何年も維持すること
なんか不可能だろ。

183:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 17:53:39 uHl8erzV
>>182
あの、イタリア戦争は別にナポリ王国領で起こった戦いではありませんが。
むしろ北イタリアの方が主戦場では?
それにイタリア戦争ではフランス軍も戦っていますよ。

184:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/16 21:54:26 dsRWW8p+
>>181
そう断言できる根拠をお聞かせ願いたい。
備形式と欧州形式が戦った事がない以上、断言できる事ではない。

>その部隊は騎兵の機動力もなく、歩兵の防御力もない部隊になるだけ。
逆に言えば、騎兵以上の火力・防御力、密集歩兵以上の機動力という事にならないかな?

因みにいうと備はどちらかというと編制ではなく編成的な存在ですので

185:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 02:48:57 r0aKhje9
>>184
181ではありませんが・・・

>そう断言できる根拠をお聞かせ願いたい。
備形式と欧州形式が戦った事がない以上、断言できる事ではない。

これは181の発言のどの部分の根拠について言っているのですか?

>逆に言えば、騎兵以上の火力・防御力、密集歩兵以上の機動力という事にならないかな?

なりませんね。防御に回ったとき騎兵が、攻撃に回ったときに歩兵がそれぞれ足を引っ張ることになります。
少し話がずれるかもしれませんが、第二次大戦の後半にM4中戦車に変わって新型のM26重戦車が投入されました。
その際、M26を各小隊に一両ずつ配備した第3機甲師団ではあまり成果を挙げず、
M26単独で小隊を編成した第9機甲師団では成果を挙げました。
まぁ、この例だけをもって言うのもなんですが集中投入のほうがその兵科や兵器の長所を活かせると考えられます。

ところで気になったのですが歴史上、備のような編成をとった軍隊が他に存在しますか?
知っている限りは見当たらないのですが。

186:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 07:57:15 H4QCHOCS
>>184
相手が密集方陣のみ、或いは騎兵部隊のみなら、
騎兵以上の火力・防御力、密集歩兵以上の機動力で勝てるかもしれないが、
相手は歩兵部隊と騎兵部隊を組み合わせ、互いにその長所を活かすように編成されている。

上でも少し話が出たように、
例えば密集方陣に対しては正面から戦っては全くかなわないので迂回しなければならないが、
迂回をする為には機動力が必要、しかしその機動力では騎兵部隊に及ばない。

187:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 10:13:51 Uv5LpmC8
>>185
聞いた事はない。というより、西洋以外の部隊編制研究はあまりなされていないか、していても殆ど知られていない。

>>186
問題は数千規模で分かれた各兵科部隊を有機的に運用できるかで、大抵の場合は投入のタイミングが難しい上
金のかかる騎兵を意味のない時期に投入して大損害か勝敗の決した時点で投入する事になっています。

備の規模が数百なのはそれが一人の将が自在に進退できる最大の数である為で、そのなかで汎用性が高く各兵科
部隊が有機的な行動をとれる部隊配置を行う事は合理的なのでは?

188:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 10:45:01 Uv5LpmC8
>>187
ああ、中国は文物が豊富だから多少は解る。
日本は戦士階級が存続したまま近世軍隊(火砲の充実・兵科の成立、部隊編成化)
へ脱皮した存在だから似たような例を探せばよいかと


189:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 10:50:02 H4QCHOCS
>>187
16世紀から17世紀の欧州の騎兵連隊は、大体500から1000くらいで組織され、
一人の指揮官で十分に指揮出来る規模です。
当然複数の連隊があり、数千規模の騎兵部隊を一気に投入しなければならないわけでもありません。
つまり投入のタイミングに関しては特に優劣はなく、そして機動力に関しては騎馬のみの方が上。

ちなみに、迂回云々について備の側が迂回を試みる場合のみ検討していましたが、
騎兵のみの部隊も当然迂回を試みます。
確かに銃兵と槍兵を組み合わせた陣形なら、正面からの騎兵の攻撃を支えることは出来るでしょうが、
側面に迂回されては無力ですし、機動力に劣るがゆえに迂回されることを回避するのも非常に難しい。
仮に備の中の騎兵のみで迎撃しようとしても僅か数十騎では数百の騎兵を抑えることは出来ません。
数百の敵騎兵部隊の迂回を阻止したかったなら、
こちらも同様に数百規模の騎兵のみの部隊を運用するしかない。

それから、騎兵がいるのに歩兵と一緒に行動させてその機動力を殺してしまうのは、
有機的な運用ではありません。それは有機的な運用が出来ない部隊配置というものです。

190:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 11:35:36 Uv5LpmC8
>>189
備も複数ある事をお忘れなく。
また側面迂回する騎兵隊が備に対し更に側面迂回となると時間の浪費は確実ですし
その間に別の備が展開し更に迂回・・・などという展開すら想定されます。
そうなると迂回を続ける騎兵隊とそれに対抗し後続の備を展開させ、また迂回された備
がどう動くかも興味深いです。

191:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 11:40:29 Uv5LpmC8
更に欧州の会戦では先ず騎兵は側面にいる騎兵と交戦した後にそれを打ち破った後に
歩兵戦列の側面を突いていますから、この辺の騎兵の機動力と備の機動力の差はもう
少し慎重に考える必要があるかと。

192:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 12:00:38 H4QCHOCS
>>190
タイミングに特に優劣がないことはご理解いただけたと思いますが、
そうであるなら、問題が迂回という機動力が重要な行動である以上、
その点で劣る備は基本的に不利、それに連隊は100名くらいの中隊複数で編成されていますので、
さらに柔軟な運用も可能です。
そしてより問題なのは、側面でそのような攻防が行われている間に、
相手の密集方陣も前進してくること。

それから「側面迂回する騎兵隊が備に対し更に側面迂回」って何のことを言っているんです?

>>191
なぜそれで、もう少し慎重に考える必要が生じるのですか?
騎馬隊の機動力に対抗できる相手方の騎馬隊が存在しないのだから、
話は単純になるだけです。

193:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 12:47:06 shHBRMEd
騎兵投入のタイミングなんていうのは指揮官の能力に拠る部分ですので
騎兵を集団で運用するというシステムの部分とはあまり関係無いですよね
備支持の方(おそらく同一の方だとは思いますが)はなぜ騎兵+歩兵の備システムのほうが
優れているのかを述べていただけませんか?
私は騎兵の長所は戦術面での機動力と敵陣の突破力であると思うので
騎兵に歩兵をつけたところでその長所が強化されることは無いと思います

194:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 13:34:04 Uv5LpmC8
>>192
その密集方陣が前進するまでの間までにどの位の時間が掛かるかが問題です。
戦術的機動戦を行うからにはかなりの戦力を翼に投入する事ですから数的には上になるでしょうし・・・
その場合、防御力のない騎兵のみで対抗できるかと

>それから「側面迂回する騎兵隊が備に対し更に側面迂回」って何のことを言っているんです?
翼面に迂回する騎兵隊が翼の備に当たった際にそれを迂回、その迂回までの間に後続の備が展開し
それを迂回するために更に迂回・・・という流れ

>騎馬隊の機動力に対抗できる相手方の騎馬隊が存在しないのだから、
>話は単純になるだけです。
備の防御力・火力に対抗できない騎馬隊が存在しないというのもそうではありませんか?
まぁ、逃げるのでしたら宜しいでしょうが

>>193
騎馬と歩兵が別の指揮官に率いられている事に起因する意思疎通の問題。
一人の指揮官に様々な兵科があれば、咄嗟の判断での投入時に迅速に対応できる。
騎兵投入は指揮官の判断に頼る比重が大きすぎる。

195:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 14:06:49 WCbGlkfd
騎兵がどんなにスピードがあっても、それだけでは側面迂回なんかできないよ。
相手に向きを変える時間もあたえず、側面に回りこむことなんか不可能。
騎兵が側面迂回を成功させるためには、味方の歩兵が敵を拘束していることが絶対条件。
でも、テルシオでは動きが鈍すぎて戦国の軍隊を拘束することなんかできないから、
結局は騎兵も側面迂回なんかできないだろうな。

196:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 14:14:49 H4QCHOCS
>>194
>翼面に迂回する騎兵隊が翼の備に当たった際にそれを迂回、その迂回までの間に後続の備が展開し
>それを迂回するために更に迂回・・・という流れ
そのような互いに機動力が必要な行為を行うからこそ、
より機動力が優れた騎兵部隊のほうが有利になるのです。
そして、備の火力・守備力といっても側面に回りこまれてしまえばお終い。

それから、最小単位の中の複数の兵科を一人の指揮官が率いるのは、
指揮が煩雑になるだけ、槍兵には槍兵、銃兵には銃兵、騎兵には騎兵の最適なタイミングがあり、
その全てを一人の指揮官が指揮するのでは咄嗟の判断なぞしにくくなるだけです。

197:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 14:19:57 H4QCHOCS
>>195
数百人の部隊が向きを変えるのはそれほど簡単ではないと思いますが。

198:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 14:39:44 WCbGlkfd
>>197
騎兵が機動力だけで敵の側面に回りこむなんてことが可能なのなら、それこそ騎兵は
戦場では絶対無敵な存在ということになってしまう。
でも実際の戦史ではそんなことはないし。
槍兵だけで構成されたスイス軍と対した時も騎兵は側面迂回なんかできなかったし、
機動力なんか皆無のボヘミアの戦車隊と戦ったときも無理だった。
現実に側面迂回を成功させるには、数多くの条件を充たしている必要があるんだよ。

199:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 14:55:07 H4QCHOCS
>>198
それは多くの場合相手側にも、
騎兵部隊がいて同様の機動力で迂回を阻止しようとするからです。

それから、スイスのパイク兵との戦いも、戦車隊との戦いも、
いずれも騎兵の正面突撃が最強と信じられていた時代の話。
そのような戦法を取る相手との戦いを経て、真正面からの突撃を放棄して、
より機動力を重視する側面迂回という戦法取るようになったのが16世紀くらいの欧州騎兵。
歴史上の順番を無視して語られては困ります。

200:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 16:43:01 WCbGlkfd
騎兵の側面迂回なんか大昔からある普通の戦法。
スイス軍に対してだってラウペンの戦いとかでは試みてる。
でも、それだけでは勝てなかった。
騎兵が側面迂回を成功させるためには、敵を拘束する必要があるなんてことは、
紀元前からの鉄則だろ。

201:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 18:07:50 o2p8LAjd
結構忘れられていますが密集方陣の強みは側面や背後に対しても防御力をもつことですよ。
なぜ、19世紀になっても騎兵には密集方陣で対抗したか考えてみてください。

三兵戦術は騎兵、歩兵、砲兵で構成されますが(これはそれぞれ時代に合せて置き換えてみてください)
それぞれの特徴を最大限に生かすことが大事です。これらを生かすにはある程度それぞれが独立していなければなりません。

>>195
上三行は同意なのですが下三行はおかしいと思います。
テルシオにしろ何にしろ前進する歩兵隊にたいしてどういう対応を想定しているのですか?
下手にちょこまか動くと騎兵に襲われますよ。
移動中の部隊ほど騎兵に脆いものはありませんから。





202:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 20:34:03 H4QCHOCS
>>200
そりゃあ、騎兵は翼側に置くなんて古代には普通でしたが、
中世では正面からの突撃が普通でしょう。
ラウペンの戦いも確かにスイス軍が包囲されかかったのは事実ですが、
16世紀の場合のように、予め騎兵隊が翼側に置かれ最初から迂回が狙われていた、
わけではないのでは?

203:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 20:42:10 H4QCHOCS
それから忘れてもらっては困るのですが、
備の側はただ騎兵が来るのを待ち受けていればよいわけではありません。
敵方陣が迫る前に、自分たちの方が迂回を達成しなければ、
結局密集方陣に押しつぶされるだけ。

204:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 20:46:19 I8kW+4iW
一方の軍にだけは、随分と都合の良い展開だねぇ。

205:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 22:50:49 0rlSk0k7
欧州厨ボコボコだなww

206:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 23:14:45 2Y8WJOjL
>>205
煽りはいいので具体的な反論をお願いします。

207:170
06/12/18 00:12:05 brFz5F3l
>>206
具体的って、なあ・・・・。
机上の空論なんだよ。どっちも。
お前らの頭の中で戦わせてるだけじゃん。

その前に具体的な戦いを挙げてくれよ。


208:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 00:21:14 cD3J+wZi
軍隊経験も無く、戦争経験も無い人間が用兵とか戦術についてコマゴマと語ってもイタイだけだからな。

209:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 18:36:02 Nh8+IxBQ
>>207
当時の日本のような編成の軍はほとんど見受けられないから、
具体的な戦例を出すのは難しいでしょう。

だから理屈で、机上の理論で考えることにってしまうわけだが、
だとしても、機動力で劣る備が、
迂回を試みるにしろ、相手のそれを阻もうとするにしろ、
不利だというのはかなり明白だと思いますが。

210:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 19:56:12 ymAleJPY
日本と欧州じゃ地形が違うよーな

211:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 20:29:03 rLO8hyQR
>>210
機動力
騎兵>備>密集方陣
火力・守備力
密集方陣>備>騎兵
上記の関係にある備が
軽戦車、中戦車、重戦車の中戦車という他者よりも優位な存在なのか
戦闘機、双発戦闘機、爆撃機の双発戦闘機という中途半端な存在なのかという問題化と


212:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 21:44:20 c6CaLbyH
戦略面のマイナスを戦術面のプラスで補えるのは、偶然や幸運があっても一度か二度だけ。
戦略的な機動力は日本側が遥かに上。
これを凌ぐのは、革命フランス軍の登場以降。

そもそも、布陣に何時間もかかるようなテルシオなどは最初から戦力外と言うべき。
それとも、日本の指揮官には宋の襄公しかいないとでも?
(逆に言えば、あの程度の密集陣の構築に何時間もかかるような頭の悪すぎる練度の低いノロマの集団。)

まあこんな事を言っても、自説に不利な部分は相変わらず完全スルーするんだろうけどね。

213:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 22:34:59 v6lSM39r
>>212
戦略機動でヨーロッパの方が上というレスはどこにありましたか?

214:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 22:53:17 rLO8hyQR
>>196
備は一列に並んではおらず何段かに組まれています。
それらが相互に連携するのであっさり側面には迂回できなません

鉄砲組・槍組・騎馬隊にはそれぞれ組頭などの指揮官がいます。
それを統括するのが備の侍大将な訳で

敵と接触時に大体一列に並んでいればよいというのが備の厳密な操典
を持たないが故の利点でしょう
陣形的に言えばただ兵科ごとに並んでるだけですから

215:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/21 19:01:39 nRO7BF5l
>>212
戦略的な機動については、
朝鮮出兵を唯一の例外として、全て国内戦しかない戦国時代の日本の例を、
そのまま国家間戦争に持ち込むのは問題だろうと既に述べております。

>>214
それがどうしてあっさり迂回できない理由になるんです?
仮に>>195のように向きを変えて側面攻撃を防ぐなら、
むしろ一塊になっていたほうが有利なのですが。

216:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/21 20:50:09 8Pqp/OPL
>>215
先備を迂回しようとする騎兵に脇備が展開する。

217:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/21 23:16:21 hNZY+g6e
>>215
なるほど、欧州の軍隊の戦略的機動力が何故に低かったのか理解できないと言うわけですね。

218:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/22 07:05:02 01ON8sDV
>>216
いや、普通迂回を試みるなら最初から脇備を迂回しようとするでしょう。

>>217
戦略的機動に何より重要なのは兵站と補給、
日本国内では見事だった当時の日本の軍隊のそれが、
朝鮮半島では著しく制限されてしまった事実に注目するべきでしょう。

219:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/22 16:47:07 W2cfGjty
>>218
朝鮮半島でも3週間で漢城まで進軍してるんだから、戦国日本の兵站と補給は、
かなり効果的に機能したというべきだと思う。

220:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/22 20:01:47 mjn7uhQL
釜山→ソウル間、約450㎞を三週間か・・・。
バルバロッサ作戦開始後一ヶ月でドイツ軍が進軍したのは約350㎞だから、それを上回るな。

・・・まあ、面積とか軍の規模とかは比較にもならんが、時代が300年以上違うんだからそれは仕方ないか。

221:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/22 21:26:45 hfImOZ5t
>>218
いや、先鋒にいくつかある備を幾つか纏めたもの(一手と仮称)の最翼部にいる一手を
の前備を迂回しようとして脇備に妨害されるとか

222:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 07:36:28 Jg03iKNf
>>219
ところが兵站が続かず、ずるずると後退したでしょう。
自軍の兵站能力を超えて無理な進軍をし、戦線を維持できなくなるようでは、
まるで話しにならない。

>>221
よく分からないが、その妨害しようとする脇備は、
当初はどこに配置されているのを想定しているので?

223:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 07:58:00 LzCqplsb
>>222
普通に戦線を維持して明との講和に持ち込んでるじゃん

224:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 08:09:49 Jg03iKNf
>>223
朝鮮半島の最南部でね、つまり、そのあたりが兵站の限界だったということ。

225:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 09:48:18 LzCqplsb
平壌から南下する明軍に対し、漢城から北進して大勝した挙句に講和。
しっかりと兵站が機能してるだろ。

226:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 10:56:10 Jg03iKNf
>>225
全く逆、戦に勝ったにもかかわらず漢城を放棄しているでしょう、
それこそ正に兵站が行き詰っていた証拠。
そうでないなら、なぜ勝ったのに撤退しなければならないの?

227:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 11:39:15 LzCqplsb
>>226
講和が成立したから推移を見守るために朝鮮駐屯軍に規模を減らしたんだろ。
兵站が行き詰っていたら、明に対して朝鮮半島南半分の支配を認めるように要求するわけないじゃん。

228:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 12:58:56 Jg03iKNf
>>227
漢城放棄の前に講和なんて成立していません。
そして、半島南部の支配しか条件に掲げなかったことこそ、
そのあたりまでしか兵站が続かないという現実を認識した証拠でしょう。

229:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 13:35:50 LzCqplsb
>>228
朝鮮半島の南半分って広大な土地だよ。
対馬海峡越しに兵站線を維持して、兵糧を朝鮮に負担させている明軍と戦い、
それだけの面積を実効支配下に収めたまま講和に持ち込んだんだから、日本の
兵站能力は当時の世界ではトップだろ。

230:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/23 14:24:16 fys0ZEVh
>>226
漢城が譲ったのが他の政治的配慮からではなく
兵站が理由だったと言えるわけを説明してください。

231:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 16:20:33 Jg03iKNf
>>229
広大な領域って、
あの、当時日本軍が確保していたのはほとんど海岸線沿いのみですよ。
せっかく苦労して攻略した、慶尚南道南部の海岸から僅か20km程度の晋州すら、
放棄している。

>>230
理由も何も、漢城が食糧不足だったのは事実な分けで。
というか、他にどんな政治的配慮がありえると思っているのです?

232:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 17:57:39 5PganQb4
当時の日本の兵站の限界について語っても、それが当時のヨーロッパの軍隊の優位性を示す証拠にはなりませんよ。
むしろ、実態を知っていたならば、その逆の考えしか浮かばない。

233:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/23 22:59:18 fys0ZEVh
>>231
申し訳ない。不勉強なことに私はその事実を知りません。
できればその事実を示す資料をお教えください。

234:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 01:46:07 BGkW0iOS
明が日本側に講和使を送ったのは1593年4月8日。
日本軍の漢城撤退はそれを受けての4月18日。
明との講和交渉では、日本側は日明交易の再開を要求すると共に、日本側の譲歩する点として
漢城を含む朝鮮半島北半分の返還を提示だろ。
日本軍の漢城撤退なんて政治的配慮以外の何ものでも無いじゃん。
漢城撤退の理由が食糧不足なんて、どこから出てきた話だ?

235:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 08:04:25 iNLZGfAg
>>232
日本国内でならね、ところがひとたび国外へ出るや、
まともに戦えたのは1年程度、その後は海岸線沿いにへばりついていだけ。
これでは到底当時のヨーロッパに優越していたとはいえません。

>>233-234
漢城の諸将が連署して秀吉に送った3月3日付けの書状で、食糧不足を訴えているでしょうが。

だいたい和平交渉の途中で、相手がその条件を飲むかどうかも分からないのに、
こちらだけ一方的に兵を引くのはあまりにも弱腰だし、
仮にそうだったとしても、領有を主張している南部4道すら放棄して海岸線まで引いた理由は?
さらにいうなら、もし兵站も大丈夫だったなら、
そもそもなぜその段階で和平交渉に応じる必要があったのか。

236:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 08:30:15 BGkW0iOS
>>235
南部4道は放棄していない。
晋州城の朝鮮軍を壊滅させ、南部4道をほぼ制圧したという実績を作ったから、
それに満足して交渉期間中の駐屯軍の規模を縮小したんだろ。
日本があの段階で講和に応じたのは、明を交渉に引きずり込むことが成功したので、
朝鮮半島北部と引き換えに日明交易を復活させるため。

237:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 08:58:51 iNLZGfAg
>>236
放棄していなかったなら、
なぜ日本軍は慶長の役でその4道に対して攻撃を仕掛けているの。

238:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 09:04:53 iNLZGfAg
>>236
それから当初は明征服を掲げていたのに、
日明貿易復活で手を打つとは随分戦争目標を縮小したものですが、
戦が予定通りに進んでいたなら、そこまで縮小する必要はないでしょう。

239:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 09:27:38 BGkW0iOS
大体、当時のヨーロッパには1年間、海岸線沿いにへばりつくことすら出来なかっただろ。

1573年10月9日、スペイン国王の弟ドン・フアンはイタリア兵1万3千、スペイン兵9千、ドイツ兵5千を率いてチュニスへ侵攻。
1573年10月11日、住民が逃げ去った後で老人しか残されていなかったチュニスの征服に成功。
この後、スペインがチュニスに駐屯させることが可能だった守備兵力はイタリア兵4千、スペイン兵4千の計8千。
1574年7月11日、シナン・パシャ率いるトルコ軍4万がチュニスに到着。
1574年9月13日、チュニス駐屯スペイン軍が降伏。

あきらかに全ての面で朝鮮出兵時の日本軍の方が、同時期のヨーロッパより優越しているじゃん。

240:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 10:40:13 iNLZGfAg
>>239
チュニスはね。
しかしトリポリは1510年にスペインが占拠してから1551年に奪回されるまで西欧側が確保していたし、
アルジェにも1529年まで10年以上に渡って要塞を確保していた。

241:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 15:14:44 BGkW0iOS
>>240
そんなの単に現地にまともな軍事力を持った勢力が存在しなかったから。
アルジェに駐屯していたスペイン軍は僅か200だし、トリポリの場合だってマルタ騎士30と傭兵630に過ぎない。
当時のヨーロッパが北アフリカで複数年に渡って維持可能な兵力なんてその程度。

ハイルッディンの攻撃を受けたアルジェのペニョン城は、16日間の砲撃の後に陸兵1500の突撃により陥落。
一方のトリポリは、ドラグト率いるトルコ軍6000の包囲によって陥落。
秀吉軍が朝鮮半島で戦った明軍とは規模が違いすぎるだろ。

242:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 20:46:28 GrKZ25Fv
桁が二つも三つも違うんだな

243:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:00:34 kWKnkce0
>>221
先鋒一手、前備後方、本陣備の側面
wikiの備を参照するなら、図3の旗本部隊の右備・左備が該当するかな?

244:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 10:06:39 upykgj/W
>>241
そりゃあ、もともと当時の欧州は兵の動員自体、
同時期の日本より圧倒的に少ないうえに、本国で互いに争いつつ、
海を越えてイスラムとも向き合ってたのだから、
派兵兵力が少なくなるのは当然でしょう。

兵力的には日本のほうが非常に有利だというのはまぎれもない事実だし、
そのことを否定するつもりはありませんよ。

245:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 20:37:57 3mn5eAjt
データ的には、当時の日本の人口はフランスやドイツと大差無い。
大き目のものを採っても、その約1,5倍程度。
だが、ドイツ+フランス(の人口)を超える事は無い。
しかし、動員可能な兵力は、その二国の合計を遥かに超える。

当時は「国家の軍隊」など存在しない。
「貴族の私兵」や「大名の私兵」(明では「軍閥の私兵」)しか無かった。
ある意味、システム的には似通った点が多かったが、日本だけが(人口との比率的には)より多くの兵員を動員する事ができた理由。
それこそが大きな問題点かも知れない。

246:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 08:15:15 uV1QeuPC
>>245
戦国時代の日本の人口は約1200万人、
同時期のスペインは面積は1.5倍ほどにもなるのに人口は600万人程度。
フランスとドイツの人口も大して変わらなかったと思ったが?

247:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 11:04:20 PTHqr1O5
当時の人口は資料によって随分違うね。
日本の人口が1600年当時で2600万人とするのもあるし、3000万人とするのもあるよ。
ちなみにこっち(URLリンク(jp.encarta.msn.com))ではフランスの1700年の人口が2100万人。
(100年で人口5倍増加なんてアリエナイから、こっちを元にすると1600年頃は1500~2000万人程度?)

資料が入手しやすい日本でさえ、ものによって倍以上の差があるんだから、人口議論は不毛なものになりそう。

248:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 19:49:03 MQDg9COP
つーか、あの李氏朝鮮ですら当時の人口が600~700万人とか言ってるんだから、それ以下って事は無いようなw
(ちなみに韓国では1000万人になっているらしいが。)

もっとも、イングランドみたいに北過ぎて食い物がロクにとれないところは仕方ないかも知れんが。

249:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 09:19:52 POlWnMHF
>>248
その朝鮮の人口ってのも当てにならないのよ、
多いほうも少ないほうもどっちもね。

250:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 21:00:16 SZliei5B
やっぱ、人口についての話は不毛なのか。

251:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 22:47:33 hLJI2swy
じゃ、「軍事史学」に載っていた。近世の日本と欧州の兵站。
馬車を用いない分、積載能力は欧州が上だが人の消費量は食物は双方とも一日1kg程度だが、
欧州はそれに加え、同量のワインか倍量のビールを必要とする(日本の場合は兵が支給された
米で勝手に酒を作る)。その為、筆者は兵站能力はほぼ同じとしている。

ただ個人としては馬車を用いない分、不整地踏破能力は日本の方が上だし、調理器具も欧州では
麦を石臼で粉にし、かまどで焼くという皇帝を必要とする分、日本が上であろう。更に、大砲を用い
ない点も換算すると戦略機動力においても日本の方が上かと

但し、継戦能力には大きな差はない

252:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 23:22:06 Qk+Bs0ve
欧州厨は逃げたかww

253:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 08:45:44 x1TRcFr7
>>252
戦術面でも兵站面でも答えられていないのは、
日本最強さんのほうだが?

254:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 09:53:33 RxBKGZjL
>>253
古代ギリシャの模倣から始まったというその時点で既に時代遅れという気が

255:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 12:16:43 PfNeBJC8
>>251
三十年戦争時のヴァレンシュタインの軍隊の場合、軍勢約60000の中兵士は約15000程度。
残りの45000の大半が兵士の女房と子供達。
こういった現実を計算に入れていないのではないかと思われ。

256:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 01:01:17 sSIUkQLn
16~17世紀当時の欧州軍隊の兵站は、脅迫による供出と略奪による現地調達
以外に何かあったっけ?
あっても一般的な例では無く、一部の例外だよな。

257:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 09:16:01 FnORHiQZ
>>256
それは敵地に入ってからであって、その点は日本もそれ程変わらないというのが「軍事史学」の記事の内容。
理由としては長大な兵站線を特に陸路において維持するには、例えば釜山~漢城を陸路補給するためには
前線の兵に対し人夫のみでその約1.3倍の人員を必要とするとか・・・

現に小田原の陣においても北条領内の住民は乱暴狼藉の禁制を手に入れる為に豊臣軍に対し、食糧を供出
していた。これは「脅迫による供出と略奪による現地調達」の中間に位置するものではないかと

258:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 21:18:14 Pw9fPZmh
それが無ければ豊臣軍が軍を維持できなかったとでも?

259:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 22:12:33 FnORHiQZ
>>258
うん、小田原の陣の特に内陸部は上記の他にも城を攻略してその備蓄米を接収していた様だし
朝鮮の役でも前者は上手くいかなかったから、後者の備蓄米がなくなると釜山から補給可能な
南部に日本軍は撤退してますわな

260:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 15:04:49 xxOsxv7/
兵站が問題なのは、それが部隊の進軍速度を決定する要素だからだろ。
敵国の奥深くに侵攻した部隊を何年間も支えることが可能な兵站線なんか、当時の如何なる国も保有していないよ。

261:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 16:20:43 DeUJkEi/
>>260
そーね、行軍速度に差はあるが継戦能力には大きな差はない

262:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 18:32:02 FvSPF+JP
>>258
だからそこ、朝鮮では1年あまりで戦えなくなってしまったんじゃあないか。

>>260
もちろんそうでしょう、だから国外で何年も戦わなければならなかった、
当時の欧州の軍隊は略奪等に頼らざるを得なかった。

263:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 20:34:08 qVjse9s5
ドイツの軍隊はドイツ国内で補給もままならず略奪しまくりだったわけだがw
これを当時の国家の枠組みで「国内」じゃなくて「国外」だというのなら、日本のそれも「国外」の戦争が大半だったわけだが。

264:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 20:48:15 DeUJkEi/
>>263
当時のドイツというより神聖ローマ帝国は当時の日本みたいなもんだから皇帝といえども直轄領と
同盟諸侯領以外は敵地ですわ

265:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 21:07:38 FvSPF+JP
>>263
国外で戦うことが頻繁だったから、
国内戦に限定すれば維持可能な兵站線の構築も、
おろそかになっていたって事でしょう。

>>264
宗教上の対立、それも一切の異端を認めない一神教上の宗派対立が絡むから、
分裂の度合いははるかに高いけどね。

266:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 21:21:15 DeUJkEi/
日本の場合、食糧の配給は半分が現物でもう半分が金銭での支給との事。
で、その半分を目当てに方々から商人が来て売り買いを行ったというから
後方からの輸送も商人がかなりかんでいるのではないかと

267:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 21:27:22 xxOsxv7/
>>262
アルマダの海戦でスペインが用意できた兵站は半年分が精一杯だったけどな。

268:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 22:17:43 qVjse9s5
>>266
商人が軍隊の略奪品の買取とか後方輸送なんかに絡んでいるのはどこの国でも同じ。
人が集まる場所には商売のチャンスがあるからね。
もっとも、儲かったのは極少数になるんだろうけれど。

269:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 22:56:36 DeUJkEi/
>>268
ただ、日本の大名と契約している商人が西欧の傭兵団における酒保商人の如く
補給の総てを仕切っていたとは考えられないんですよね。
少なくとも戦術レベルの補給は侍自身が行っていたのは確かなようですし
くっつくではなく後方地域の輸送を大名との関係が深い大商人。
前線で売り買いするのは地元の中小商人という具合に棲み分けでもしてるのかな?

小田原城の対陣じゃ、京からも商人が来たというけどこれは既に後方地域みたいな
もんですし・・・

270:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 11:31:12 cE3+Fk7O
>>267
それが多いか少ないかは戦略目的を確認しないとなんともいえないね。

271:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 15:37:15 s2jvmFC5
兵糧を準備できる体制でも、それを前線まで行き届かせる様な大規模な補給部隊は
特にそれが内陸である限り、つい最近に至るまで存在し得ない
やれるとしたら生産設備すら追従させないと、モンゴルみたいに

272:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 17:58:50 ikAWBkZe
西洋の学者も7世紀から15世紀まではアジアに遅れてることを認めてる

273:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 18:20:59 wIorwYWD
俺が読んだのは、「~18世紀まで」だったが


274:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 21:57:33 jr8NTrMh
>>272-273
ところでその劣っていたと思っているであろう対象のオスマン朝あたりは議論の対象にしないのか?

275:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 22:57:51 s2jvmFC5
>>274
正味良く解らんが常備軍を有し、鉄砲を早期より大量に用いてた点以外は同時代の欧州
と余り変わらんようだね

276:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 22:50:41 bYjUuFxC
>>三十年戦争時のヴァレンシュタインの軍隊の場合、軍勢約60000の中兵士は約15000程度。
残りの45000の大半が兵士の女房と子供達。
こういった現実を計算に入れていないのではないかと思われ。

これのソースは何?

277:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 22:50:14 J8Menbz+
>>276
「傭兵の二千年史」p101、102より
「(前略)~輜重隊は酒保商人とその配下、女子供、旅芸人らの非戦闘員でむせ返っていた。
その数はべらぼうに多く、ランクツヒルネ一連隊六千人とすると、ほぼその同数の民間人が連隊の後をぞろぞろくっついていくのである。
(中略)もちろんこうした輜重隊~十七世紀の三十年戦争の時には軍本体の一倍半にもなったのである。(後略)」

278:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 03:54:48 W66LPX+j
>>276
ド素人はすっこんでろWW

279:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 17:00:27 4MnwTT8v
>>274
俺が読んだのは、「西洋の学者もアジアに遅れてることを認めてる」対象は、日本や中国といった東アジアだったが

280:コピペ
07/01/09 21:31:07 63Y0gtSm
サファヴィー朝

16世紀末までサファヴィー朝の兵力の大部分はキジルバシとよばれる遊牧トゥルクメンの部族兵であり、トルコ式の合成弓や
騎槍、刀剣等で武装して、おそらくモンゴル帝国の時代とほとんど変わらない騎兵戦術で戦った。
アッバース大帝の国政改革以前、国土はシャー(大王)の直轄領のほかに50余州に分かれ、キジルバシの部族長たちが
各地のヴァキール(総督)として半独立的に統治し、500~3,000の兵力を保持して有事に従軍する義務を負った。
シャーは直属の戦力として、キジルバシから選抜された親衛隊であるコルチ(箭筒士)を有していた。シャー・イスマーイールの
治世にはコルチの兵力は1,000~3,000名で、キジルバシと合わせても野戦に動員できるのは2万人ほどであった。16世紀
半ばにコルチは5千名まで増員されていたが、王朝全体の兵力はたいして増加していなかったようだ。
戦闘隊形は右翼・左翼・中軍に分かれる伝統的なもので、通常はシャーの軍勢が中軍となり、両翼にキジルバシが配置された。
サファヴィー朝軍の圧倒的多数は中央アジアの伝統的な騎射兵であったが、シャー・イスマーイールの父・ハイダルの代から
すでに火器の使用された記録がある。イスマーイールは攻城戦にマスケット銃や大砲を使用しており、シャー・タフマースプは
1528年のウズベク族との会戦で、荷車を連ねた防御陣地の背後からカルヴァリン砲や旋回砲を発射している。火器の入手源は
ヴェネチア、ポルトガル、ロシアなどであった。またチャルディランの戦いの翌年に、オスマン・トルコの脱走兵の技術を利用して
2千挺の小銃を生産したこともある。


281:コピペ
07/01/09 21:32:18 63Y0gtSm
サファヴィー朝は西のオスマン帝国、東の遊牧ウズベク族から攻撃を受けており、16世紀中はほとんど常に守勢に回っていた。
チャルディランの会戦で大敗北を喫してから、サファヴィー朝軍はオスマン・トルコの侵攻に焦土戦術で対抗するようになり、
ゲリラ的に輜重隊を襲うほかは戦わずにトルコ軍を消耗させた。東部ではウズベクの野戦軍と互角に戦っている。
16世紀末にアッバース大帝が即位すると、シャーの私兵的集団であったチェルケス人やグルジア人の「ゴラーム」が台頭し、
またイラン系定住民の兵士からなるトフェングチ(銃兵隊)とトプチ(砲兵隊)が設立された。Kenneth Chaseによると、当初
ゴラームは騎兵で銃兵隊は歩卒だったが、のちにゴラームも小銃を装備するようになり、銃兵隊に馬が支給されるに及んで
両者とも竜騎兵のような存在になったという。
17世紀初頭には10,000~15,000のゴラーム、12,000の銃兵隊、12,000の砲兵隊が最大で4万近くの常備軍を形成し、
その他に10,000~20,000のキジルバシと補助兵が召集可能だった。

ペルシャ語は詳しくないので表記が間違ってるかも


282:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 21:56:56 jX+mkaZ3
>>277
追加
URLリンク(www.h3.dion.ne.jp)
URLリンク(maideriapress.web.fc2.com)
流民集団といった方がよいな

283:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 22:17:49 O4r0+sFM
軍隊と言うよりはキャラバン。
キャラバンと言うよりは武装難民集団・・・か。

284:276
07/01/10 02:05:42 wxDBjErW
いや、多数の非戦闘員を含んでいたソースことではなく
ヴァレンシュタイン軍の6万のうち1万5千が戦闘員でそれ以外の4万5千が
非戦闘員だったという事に関してのソース。
この数字がどこから出てきたのか気になった。

285:276
07/01/10 02:06:21 wxDBjErW
訂正
ソースこと→ソースのこと

286:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 11:05:21 SKneZZc0
ド素人なんだが質問いいかな?
アレならするーしてくれ
15~16世紀当初、軍事力で最強と呼ばれていたのはどの国になるの?
やっぱりオスマントルコ?
世界史の知識はほぼ皆無だが昔、三戦板の武田対イェニチェリスレで
やけに押されていたので気になってたのだが
空気よまんですまんね

287:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 11:20:28 dUv9j4Gq
書き込んだのは俺ではないが、三十年戦争で誰もが三万より多くの兵を戦場に投入した事がないからでは?

288:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 15:05:26 GOgKkwy9
>>286
明だろ。
中国の経済力や人口の多さは圧倒的。
オスマン帝国ですら比較にならない。

289:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 20:19:32 KLZNkDW1
>>288
あまり詳しくないが、明代の中国の人口は数千万程度で、人口減少期だった
と読んだことがある。
同時期の日本の人口の倍程度じゃなかったかと思うが。
(飛躍的に増えたのは、清代に入ってから。)

290:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 22:38:46 NWkoGM7a
巨大さでは明帝国に及ばないが、軍事技術ではオスマン帝国ではない
だろうか?コンスタンチノープル攻略時点で巨大砲を持っていたり、
指揮者の手足の如く動く軍隊であったりと、技術の高さは並みじゃな
い。

291:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 23:10:40 LGhiUHKn
しかし、この時代(16世紀後半)は、イェニチェリの腐敗もはじまり、軍事
的にも(上でボロクソに書かれている)ヨーロッパ諸国の軍隊にさえ何度か
大ボケかましていたような・・・
もっとも、17世紀後半には失敗はしたけれども、ウィーン攻囲戦を行う等、
大国らしい軍事力は十分にあったはず
ちなみに、19世紀前半まで、ヨーロッパ諸国の国際通貨はオスマン朝のター
リーが使用されていた

292:290
07/01/10 23:48:02 NWkoGM7a
>>291
あ、そうか…そうすると最強はやっぱり明帝国か。何せ数が多いし、火力も
強いし。団結さえ固まってれば負けないだろう。
話は変わるが、鄭和艦隊の規模と運用能力(同時代の他国を遥かに凌ぐ)を
見るに、明が海軍でも最大最強になる契機はあったと思われる。スペイン程
度の地力で無敵艦隊が造れる訳だし。

293:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 01:20:26 4GFVzLxw
オスマン帝国では16世紀半ばのバヤジット皇子の反乱以来
民間に銃器が流出してその辺の野盗や農民まで鉄砲で武装していたらしい。
火縄銃一挺が「牛一頭の半分の値段」で買えたそうだ。

で、そうして銃の扱いに慣れた連中を「セクバン」や「レヴェンド」
と呼ばれる不正規兵として雇うようになった。
日本や西欧だけでなくトルコでもそうした雑兵的な連中が
出てくるというのが面白い。
実際火縄銃ってのはイェニチェリのようなエリート部隊でないと
使いこなせないというものでもないし。

294:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 03:45:57 94Epfb2s
オスマン帝国の最盛期っていわゆる日本の戦国期とほとんどかぶるでしょ
トルコがダントツとしか思えないんだけど。明とか傾きだして久しい時期じゃん

295:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 14:28:20 P453MK5v
>>292
ジャンクの戦闘力は結構高いよ。
正規軍ではなく一地方の武装勢力に過ぎない鄭成功の海軍力でも、オランダの
東インド会社に勝利できたんだから。
現実にアヘン戦争までは東アジアの海を支配するのはジャンクだった。

296:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 18:33:27 81sCq9Au
まあ普通に考えれば、西の横綱がオスマン帝国、東の横綱が明ってことだろうかね。
ただし、圧倒的に強いかと言うとそうでもなく、引退が近いんじゃないかって感じ。

297:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 19:37:17 Afp3d2Vg
>>926
まとめありがと
他の人もド素人の質問に丁寧にどうも
読み応えありました
ところでその両横綱どうしはぶつかったりはなかったの?

298:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 20:31:47 kb1BXC49
>>289
URLリンク(ww1.m78.com)
明の永楽帝(在位1402~1424)の時の人口は六千六百万人、
同時期、足利義満の時代の日本の人口は千五百万人

16世紀頃から内乱と外敵によって人口が減少しはじめ、
順治帝(在位1643~61)の頃には二千百万人
同時期(江戸初期)の日本の人口は二千七百万人で、中国より多い

その後、領土拡大と水田技術の普及により
康熙帝 (在位1661~1722) 二千四百万人
乾隆帝 (在位1735~1795) 一億七千七百万人
道光帝 (在位1820~1850) 四億千三百万人
・・・と、爆発的に増えていく。
してみると、秀吉の明国征服というのもあながち荒唐無稽でもなかったのかもね。

299:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 20:40:16 qZNpzICr
>>298
それあくまで統計上の事なのでホントにそんだけ減った訳ではない。
殆どは流民化したという意味

300:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 20:52:42 kb1BXC49
>>299
流民化した分は国力に入らないから、ここでの国力議論にはさしつかえなし

301:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 21:01:47 UA+SW16k
そもそも秀吉の明征服が荒唐無稽とか言ってるのは家康厨と朝鮮人だけだろ

302:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 21:19:54 brqu0ZfV
普通に荒唐無稽だけどな
文禄慶長役調べれば調べる程そう思う

当時、異文化圏への侵攻占拠が如何に難しかったかがね
しかも明や朝鮮の日本への認識・認知からして無謀だったと言わざるを得ない

303:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 21:23:25 M2XggWLw
秀吉の気持ちも分からんでもない
日本を手中におさめ、なおかつ強大な軍事力を抱えてたわけで
それを利用して次は他国を攻めたいのは当たり前じゃない?
国土を広げたいと思いたくなるだろう

304:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 21:26:49 qZNpzICr
>>303
国内戦の延長としか考えてない点がどうも・・・

305:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 21:36:03 +6TSzBBH
>>304
延長として考えていないってのも、短所でもあり長所でもあるんだよねえ。
避難民の定住や保護などを秀吉は命じてるし、実際、戻ってきてる。

ありえないかもしれんが、国力の疲弊を嫌がった明が朝鮮を切り捨て、
南四道の割譲を認めていたら、案外、うまくおさまったかもしれん。

306:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 22:01:27 qZNpzICr
>>305
南岸に張り付いてる状態でそれを求めるのは虫が良すぎるかと

307:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 22:05:45 brqu0ZfV
あのさ、明が朝鮮を切り捨てる云々の前に、明は日本を辺境の異民族程度の認識しかなく、
秀吉は対等、もしくは自分の方が上と言う認識、そんな外交折衝が上手くまとまる訳がない。
しかも日本側は小西・宗等が改竄した外交文書と明側の特使に直接伝えたのとは、
内容が天と地程違ってるし(役前に行なわれた対朝鮮外交も同様)、
外交に関して信用度が全くなく、結果、明・朝鮮側から蛮族扱い
外交なんて無理

秀吉なんて朝鮮は琉球と同じで宗氏が(琉球は島津)支配してたと思ってたんだし

308:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 22:17:08 +6TSzBBH
だから、ありえない話として、
朝鮮が領土割譲した場合、案外、その国内戦の延長の認識が戦後統治をうまく
はかどらせたかも、と書いただけで。
明が南四道を割譲する可能性を論じたわけではないよ。


309:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 22:20:57 brqu0ZfV
朝鮮統治に失敗してたんだが?
有り得ない、可能性0の話をする意味がわからん

310:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 23:15:08 P453MK5v
>>307
現場が外交文書を改竄したという点では明側も同様なんだが・・・

311:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/12 00:20:04 lgjZsGuv
>>310
徐一貫に代表される「明の使節」の事なら、あれは宋応昌が明勅使に仕立てあげたので違う
実際彼らは何の権限も役職もない、加藤清正が小西行長らへの対抗意識の為、
朝鮮から「勅使」として連れ帰ってるだけ
南禅旧記でも読めばいい、文禄役後の名護屋における日明交渉が詳細に書かれてるから


312:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/12 15:10:51 l/uykONj
歴史的に見れば、日本と支那の戦争は「共倒れ」という結末が多い。

313:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 02:06:53 j22HdhXN
朝鮮征伐で日本軍の補給が難航した原因の一つとして
朝鮮の道路事情の劣悪さをあげることができるね。

どれくらい劣悪かというと遠距離の輸送業務では
牛馬車の運用すら支障をきたすほど劣悪で経済担当者からは
国の発展の為には道路を整備するべきだという意見が度々出るほど。

しかし道路を整備すれば有事の時に敵の移動を助けることになるから
整備しなくていいという国防担当者の反対におされてそのまま放置という
結果に。

だから朝鮮では大規模な物資輸送は沿岸の海運に頼っていた。

事実、日本軍は劣悪な道路の為に補給に苦労することになる。

しかし反撃の為に各地から召集された朝鮮軍や救援に来た明軍も
日本軍以上に移動に苦労したりしてるから必ずしもいい選択だったとは
言えないね。

314:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 08:56:16 2/twAc1F
>>277
それは戦闘員の他に同数くらいの非戦闘員がいたということ。
つまりこの場合になら、6万の軍勢にはほぼ同数の非戦闘員がいただろう、
という推論の根拠にはなっても、
6万の内戦闘員が1万5千だけという話のソースにはならない。

315:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 09:08:37 2/twAc1F
>>279
それは、経済力や文化の成熟度に関してでしょう。
兵力はともかく軍事技術に関しては16世紀の段階で東アジアはイスラム圏や欧州に比べて、
明らかに立ち遅れていた。
急速に銃を装備した日本が追いつきつつあった程度。

>>292
銃器の組織的使用をほとんど知らない明の軍隊では、
オスマンはもちろん欧州にも日本にもほとんど対抗できないよ。
現に朝鮮の役では数が優勢な状況で戦術的に日本にボロ負けしている。

316:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 10:45:49 jLtD6NDr
>銃器の組織的使用をほとんど知らない明の軍隊

戚継光が北方辺境で用いた陣立を見れば分かるけど
銃・砲の組織的な運用は行なわれていたんですよ。
だが敵軍に多数の銃器がある状況で戦ったことがまったくなかった。
この頃までにポルトガル人や倭寇を通じて伝来していた火縄銃も
銃身が鋳銅で数発撃つと加熱して暴発の危険があったり
「三眼銃」などの旧式火器が依然として多数配備されていたりと
かなり難があった様子(火器以外の装備は割と良質だったらしい)。

317:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 11:24:21 2/twAc1F
>>316
旧式の砲の運用はともかく銃の運用といえるほどのものでしたかね?

まあ、いずれにしても、
その状況では、オスマンにも欧州にも日本に対しても圧倒的に分が悪い。
せいぜい兵力でどこまで押し切れるか、といったところかと。

318:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 13:44:17 eDH1SfOZ
>>316
鉄砲対応の防具もなかった様ですし
明代の防具は鱗板を張り合わせたものと聞きます。

319:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 18:21:32 cs/Yp2Fg
>>318
無知を自慢するなよ。

320:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 01:56:15 UyBmn9uq
>>318
そうですね。綿甲が銃弾を防げたという話は何かでちらっと読んだけど
ソースがよく分からないし。
明軍の装甲について下瀬頼直は「矢も立たず刀にて少しも切れず」と書き残してるし
フロイスも似たようなことを書いてるので従来の武器に対しては
充分な防御効果はあったのだろうけど。

>鱗板を張り合わせたもの

綿甲のことですか?

321:拾い物
07/01/14 05:45:52 Hn7TGtjO
885 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/06/29(木) 14:35:48 0
昨日の朝日新聞の夕刊に「倭乱と東アジア」短期連載の記事が載ってけど、
「壬辰倭乱」をテーマにした韓国でのシンポジウムが6月19日~22日迄
やっていて、韓国・日本・欧米の学者30人の歴史学者が議論してて、その中で
目を引いたのは、ケネス・スオーブ米ポールステート大準教授は「日本と朝鮮の間
の戦争だとの見方はやめるべきだ」と言って戦争構図は明を中心にした東アジア
の支配体制・秩序への秀吉の挑戦。日本と明との戦争であり、明は当初は内乱の
為に兵を送れなかったが、朝鮮の要請ではなく自分の利益のために参戦した。
886 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/06/29(木) 14:47:15 0
上の続き
また、明軍は弱いと言うイメージがあるが、明を倒した清によって作られたもので、
当時は武器も優秀で精強だった。一方の秀吉軍は戦乱で鍛え上げられた世界
最強の軍団。両者の激突は16世紀最大の戦争だった、スオーブス準教授
(中国軍事史)位置付けた。あとはオランダ・ライデン大学のW・J
ポート教授(日本思想史)は「朝鮮征伐は、当時の日本の実力者の間で広く
共有されていた」正気を失った秀吉の暴走との見方に否定的な考えを示した。
後は読んでチョ。

322:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 07:26:43 CMWn7jO+
>>321
他はともかく明が精強といっている人は現実を知らないとしか思えない。
或いは東アジア地域限定で、その中では精強だという意味なのか。

323:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 10:02:20 YNJcDn3n
>他はともかく明が精強といっている人は現実を知らないとしか思えない。

朝鮮の役に出てきた連中は明軍の中では精鋭だから、それを基準にすると
そういう極端な結論になってしまう。

当時の明の状況ってのは、衛所制による百万の正規軍がまったく使い物に
ならなくなる一方で、李成梁や戚継光など国境防備を任された軍人が
「家丁」「健児」などと呼ばれる自ら訓練した私兵をコアにして
モンゴルや女真とまともに戦える軍団を作っていた。

要するに、明国内のどの部分に注目するかでまったく異なった評価になってしまう。
フロイスも書いてるけど、江南の官軍と戦った倭寇やポルトガル人の情報から
明軍恐れるに足らず、と思われていたので小西行長が和平を提議すると人々は
いたく失望したとか。

妥当な評価は「国境付近の軍団は強いがその他は全然だめ」ぐらいのところでしょう。

324:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 12:11:46 CMWn7jO+
その朝鮮の役に出てきた精鋭ですら、
戦術的には日本軍に敗れたというのも事実だけどね。

325:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 14:46:45 Qxh0Vc1+
>>324
華北の平原で騎馬民族と戦うのとは全く異質な戦争であるということを
理解していなかったゆえの失敗でしょうね。
水田の多い渓谷で騎兵軍を展開してかえって左右から側面攻撃されたり。
「鳥銃」に対しても大型砲で挑発し銃弾が尽きたところで前進するといった
消極的な方策しかなかったらしい。
(当初は大規模な倭寇程度の認識だったというから、戚継光が南方で
戦ったような刀槍・弓矢で武装した連中を想定していたのだろうか)
明の騎兵軍は右翼・左翼・中央という戦闘隊形で、フロイスによれば
「彼らは三日月型の戦列を敷いて敵を包囲し、中央で(敵)を捕捉する
という戦法を取る」とされている。これは東は中国から西はロシア、
トルコまで広く見られる軍事的伝統であり、この時代そうした諸国は
いずれも歩兵を中心とした圧倒的火力をもつ軍隊に対し苦戦している。
(皮肉なことに、モンゴルにとっての戚家軍が正にそういう存在だった)
とはいえ、朝鮮の役で戦った李家軍などは騎兵の装備や錬度も低くなく
オスマン朝にまで「圧倒的に分が悪い」とは思いませんね。
16世紀後半ならロシアやトルコ等オリエント型帝国の軍隊に引けは
とらないでしょう。

326:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 17:54:09 Lp7CA9gZ
だね
明軍は弱くない秀吉軍団が強すぎるだけ

327:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 18:14:43 rD5lW+qe
「明史」のシメが「無勝算」だもんな。

328:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 20:28:37 m1ZbuR/W
>>325
オスマン朝の軍隊こそ当時最も発達した
「歩兵を中心とした圧倒的火力をもつ軍隊」なわけだが。

それから火器がイスラムやヨーロッパに比べて未発展すぎ。

329:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 13:54:05 AlYKXY4w
>>328
16~17世紀のオスマン朝の登録された兵力は、従者共々騎兵として戦うティマール保持者
いわゆるシパーヒーが10万ちょっとで、スルタンの常備軍であるカプクル軍団は
イェニチェリの歩兵が約1~5万、六連隊衆騎兵が5千~2万、砲兵隊が2~8千。
通常の戦役では歩兵と騎兵の比率が1:3程だったようです。
要するに当時のトルコは騎兵を中心とした軍隊であり、鑓や鉄砲で武装した歩兵が主力の
日本や西欧とは明らかに対照的です。
ロシアやサファヴィー朝などと同じく火力は限られた数のエリート部隊に担われていた。

330:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 14:05:18 AlYKXY4w
>火器がイスラムやヨーロッパに比べて未発展すぎ

李氏朝鮮ほど悲惨な状況ではなかったと思いますけどね。
低品質でもマッチロック銃は生産されてるし、フランキ砲や
紅夷砲も輸入している。散弾を発射する野戦砲もあったらしい。
一応16世紀の水準には達してる軍備だと思いますが。
(朝鮮は指火式銃筒や巨大な矢を発射する大砲など14世紀レベル)

331:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 14:09:13 XOYqYqrQ
>>328はあっさり撃破されたなww

332:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 18:29:51 0OLbaGZG
明がオスマンの銃(魯密銃)を輸入して使うようになったのっていつからだったっけ?

333:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 20:23:44 eDRj8IA0
>>329>>330
当時のオスマン朝軍で騎兵の比重の方が大きかったというのは正直知らなかった、
イェニチェリ軍団の印象が強すぎたかも知れない。

しかし、当時の明軍にはイェニチェリ相当するような、
火縄銃を大量装備した精鋭軍団もなかった点で不利だし、
砲も最新式のものは輸入に頼っており配備は遅れていたという点で、
結論に変わりはないと思うがいかがか。

334:拾い物
07/01/16 22:06:42 0OLbaGZG
296 :世界@名無史さん :2006/10/03(火) 09:06:44 0
フアン・ゴンザレス・デ・メンドーサ 『シナ大王国史』 第二部第一巻

ビレイ(巡撫)はこの日からエスパニャ人たちに何度か見物に出かけることを許可し、そして一行を
特別に歓待することを部下に命じた。そのひとつは、月の初めの何日かにわたって全国内でいっせいに
おこなわれる習慣になっている閲兵の儀式に一行を連れて行ったことで、これはまことにたいへんな
見ものであった。
この閲兵は市の城壁に接している広場で次のようにしておこなわれた。およそ二万名の槍兵(ピケーロ)
と火縄銃手(アルカブセーロ)がラッパと太鼓の音にあわせてじつに機敏に行動した。まず合図と同時に
進軍隊形をつくり、つぎの合図では密集隊形となり、そのつぎの合図では火縄銃隊が本隊から散開して
整然と射撃をおこない、ふたたびもとの位置にもどった。これが終了すると槍隊が散開してまことに巧妙に
目標に襲いかかった。その有様を見てエスパニャ人たちは、この軍隊が世界のどの軍隊よりも優秀であり、
もしもかれらの士気が旺盛で、その訓練と兵員数と同様に優っているならば、容易に全世界を征服する
ことができるであろう、とおもったほどである。

↑16世紀半ばの福州での記録だそうだが、ピケーロってパイク兵のことだろ?
何でいきなりパイク&ショットの編成になってるんだ?

335:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 22:26:52 0OLbaGZG
ポルトガルの宣教師の見聞がどの程度かは知らんが、こういう証言もあるって事で。
福州(現在の福建省)なら、倭寇対策に精兵を配置していた時期かも知れんね。

336:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 14:59:51 QbkxCYPM
>>333
精鋭かどうか不明ですが火器が大量配備される軍団はあったようです。

「練兵実記」という本に薊州を防衛していた軍の編成が載っていますが
歩兵の最小単位は12名の「隊」で、火縄銃を用いる「火器手隊」と
槍などの近接兵器で戦う「殺手隊」の二種類があった。

火器手隊・・・隊長1名、鳥銃手10名、火兵(炊事兵)1名
殺手隊・・・隊長1名、藤牌手(刀と大盾)、狼筅手、長槍手、?手、大棒手各2名、火兵1名

3隊が37名の「旗」、3旗が112名の「局」、4局が449名の「司」を構成する。
2司(火器手と殺手)が899名の「部」、3部が2699名の「営」となる。
こうして構成された歩兵旅団には1080挺の鳥銃と216張の弓が配される。

その他に騎兵旅団の「騎営」と、フス派の戦車に似た「偏箱車」で陣地をつくる「車営」があり
3109名の車営には145台の偏箱車、8門の大将軍砲、256門の佛狼機砲、512挺の鳥銃を配備。

337:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 15:00:35 QbkxCYPM
黄仁宇『万暦十五年』より

「敵を迎え撃つ時は、騎兵が前方で敵軍を阻み、戦車が戦闘隊形をつくるに十分な時間を稼ぐ。
そして敵軍が接近してくると、騎兵は戦車隊の中へ退却する。敵の騎兵が百騎以下の場合、
この混成旅団はがんとして交戦しない。大軍の敵騎兵が襲撃してきて、火器の射程の中およそ
二百五十尺以内に入った時に初めて、仏朗機・鳥銃・「火箭」などの一斉射撃を加える」
「火器がその威力を発揮したあとは、歩兵が戦車の後ろから跳び出し、肉弾戦の波状攻撃を
加える。その際、ラッパの音で歩調が合うよう指揮をとる。敵の攻勢が挫かれ、その隊形が
乱れ始めると、騎兵も全員、戦車の後ろから出撃する。この騎兵は、事実上むしろ馬上の歩兵
とも言うべく、地上の歩兵と同様、鴛鴦陣の隊形をとり、さまざまな武器を手に戦う。隊伍を組んで
突撃し烈しく迅速に相手を圧倒するモンゴルの騎兵戦法を、戚継光は真似しなかった」

まあ軽騎兵部隊が相手で敵側に銃がなかったから有効だったんでしょうけど。
朝鮮の役で出てきた連中はほとんど騎兵でこんな感じじゃなかったようですし。

>>334
下のほうのコメント書いたの自分なんですけど
16世紀半ばの江南にそんな部隊があったってのは何か唐突な印象で・・・
パイクと銃の編成がスペイン本国の陸軍と似すぎているような気も・・・
よく分からないです。

338:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 18:35:08 Szd/dwMB
>>337
可能性としては、
1)実際にそのような部隊だった。
2)実際には違うが、書いた人間がそのように脳内変換してしまった。

戚継光らの(倭寇対策の)部隊は、長槍と鳥銃だけじゃなくて何種類かの武器で編成されていたような。

339:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 14:10:39 WEP9KNIF
江南で倭寇と戦った時の鴛鴦陣は
先頭二人が刀と盾(倭寇が長柄をもった兵の懐に入り込むのを防ぐ)
その後ろに狼筅二人(倭寇を押さえ込む)
その後ろに長槍四人(倭寇を刺す)
その後ろに三叉の槍二人(後方・側面を警戒)
みたいな感じでしたね。

日本では刀より槍や弓矢、鉄砲がメインウェポンだったとかいわれてるけど
大陸では日本刀を振り回す連中が脅威でこのような陣形が生まれたのは興味深いです。

340:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 20:31:35 XntOCh/j
>>339
朝鮮の役でも「恐ろしいのは鳥銃と刀剣」と言ってるし
近距離は手槍で至近距離は日本刀という具合じゃないの?

341:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 22:44:51 FnJw6AGr
明でも清でも「倭刀」として正式軍刀に採用されているんだよな。
(後、苗刀に。)
この辺り考えると「日本刀は実戦ではあまり使われなかった」説はどうかと思うのだが。
倭寇の日本刀のインパクトもあったとは思うんだが、どうだろう?

342:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 23:42:26 FnJw6AGr
於兵仗局戊字等庫發舊倭刀三、五千把、為馬上精兵之用。
(「爝火録」卷三(大清順治元年、明崇禎十七年五月朔) より抜粋)

と、こんな感じで。
南明の福王の下に付いた史可法が軍を整えているところの様子から。
時期的には、清が順から北京を奪った頃だけど、南明諸政権にその報が届いているかどうか。
・・・多分スレチガイです。スミマセン。

343:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 13:42:12 kxg3YKFr
こんなのがあった
URLリンク(www.hi.u-tokyo.ac.jp)

槍や弓矢も装備していたらしい

344:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 14:03:51 U7JM0Hl6
参考までに明軍の軍装と編成をうpしてみる。

URLリンク(vista.rash.jp)
URLリンク(vista.rash.jp)

この後、清代になると鳥銃の配備率は全軍の6割に達するそうで。
編成上は日本軍とも充分戦える気がする。

345:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 21:44:22 CLRUvkvJ
>>この後、清代になると鳥銃の配備率は全軍の6割に達するそうで。
そのソースは何?ちょっと見て見たいんだが。


346:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 22:58:39 U7JM0Hl6
>>345
学研の「戦略戦術兵器事典 中国中世・近代編」

火縄銃が明に伝わったのは1548年に倭寇から獲得したものが最初だが、10年後の
1558年には早くも年1万丁が生産され、清代には兵士の6割強が所持するまでに普及
したという。

347:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 01:42:35 sfxzWpO3
清代といっても長いからな~

348:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 13:22:48 85Mawt+0
>>344
その本は初めて知ったんですけど
劉永華「中國古代軍戎服飾」のイラストをそのまま使ってるような・・・
URLリンク(www.amazon.co.jp)

でも面白そうなので探してみます。
情報サンクス。

349:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/23 13:37:44 IBDHZqwl
倭寇と戦ってた頃の鳥銃はこんな感じだったらしいですね。
黄仁宇『万暦十五年』より

「部隊の装備や武器は各府県がそれぞれ別々に供給していた。
このような情況では、武器の質が保たれえないのも当然である。
戚継光は自著の中で各地で製造された鳥銃の銃身は暴発の危険性があり、
そのため兵士たちはびくびくして両手で銃を持とうとせず、精確に
照準を合わせられなかった、と明記している。弾丸と口径の合わない
大砲や、導火線の点火しない大砲もあった」

朝鮮の役を経て17世紀にはまともな鉄製の銃が配備されるようになった
ようですが。

350:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/23 18:36:24 n6vaX9qt
17世紀にはもうダメポな明。
内部腐敗進行中のオスマン帝国。
引きこもり日本。

351:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/24 09:55:33 VP8GKrff
スペインとかもダメポ

352:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/24 18:17:54 BB4uAX81
海上覇権はオランダに獲られたもんな。

353:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 18:32:28 3EpwUgnV
オスマンのイェニチェリが最強軍団の有力候補なのは判るんだけど、普通の歴史本読んでも将軍にこういうのがいたとかいまいち判りません。
いい本あったら紹介希望。

354:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 19:04:08 gioGO0I6
つうかやけに持ち上げられてるイェニツェリって何がそんなに強かったの?

355:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/27 10:54:11 4mSZBgh5
ヨーロッパ諸国が束になってかかってきても勝てなかったオスマン軍の中で、
最精鋭とされているからね。そりゃあ強いでしょうよ。

356:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/27 13:03:34 AnCCVPAw
345ではないんだが近衛兵みたいなものなのか?

357:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/27 13:34:41 n/VxDDC1
>>353
普通はスルタンや宰相が将軍的役割では

358:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/27 20:57:25 iixZdkeY
>>354
厳しい軍律と高い錬度。
そして、いち早く銃器の組織的運用を取り入れたこと。

実績も十分にあるけれど、結局はスレイマン1世の軍事的、政治的な能力によ
るところが大きいのかも知れん。

359:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/28 19:02:13 mmtT+x/E
そんなに強くて結構西欧と交流もあったのに先進国の
地位を逃すとは何をやっていたのか。>トルコ

360:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/28 20:55:35 adyu5mZB
なぜ西欧が独走状態になってしまったかは、
世界史上の重大な研究テーマの一つだからね。
興味があるなら本格的に研究してみる価値はあるだろうし、
世界史板あたりにはそれをテーマにしたスレとかも多分あるだろう。

361:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/01 18:39:09 mwItyz75
世界史板「人大杉」でみれねーよ。

362:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 05:24:19 kj7hU/FN
>>359
イェニチェリのコントロールが効かなくなった
近代化しようとする→イェニチェリ反乱→廃位のループ

363:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 22:50:08 IxeyrZJi
>>353
ランシマン『コンスタンチノープル陥落す』(みすず書房)なんかはどうでしょうか?
オスマンの戦の雰囲気を知るには最適の一冊かと思いますが。
しかし、巨砲も含む最強軍団二十万の包囲攻撃を、たった五千で一時は挫折させかけた
コンスタンティノープルの頑丈さも凄い。

364:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 00:43:07 MrNSVBec
>>363
ありがとう。
でも、古い本で入手難なのね・・・。


365:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 14:12:36 rHAfXlRJ
>>364
雰囲気だけで良いのならば、塩婆の「コンスタンティノプールの陥落」
ローマ人の物語のおかげで、ちょっと大きい本屋なら簡単に手に入るが強み

366:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 15:38:11 p44Q1t28
ハンガリー包囲失敗がトルコ凋落の始まりだが、肝心のハンガリー城ってのが堅城なのか縄張りとかわからんのが痛い。

367:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 19:22:24 m1Gf0bpB
>>365
い、いやだ…塩だけは勘弁してくれ…

368:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 20:01:51 seNuOT8L
ナメクジ乙

369:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 21:48:43 /7MZs31H
あ、世界史板じゃなかったなここ…

>353 新紀元社の「オスマン・トルコの軍隊」じゃ駄目か?

370:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 23:32:10 O16PzH2E
>>367
わがままな奴だなw

371:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/06 20:58:00 BU6KOk+e
>>366
それはウィーン攻囲では。

「ウィーン都市地図集成」って本にオスマン朝軍が掘った対壕や
防壁の位置まで載ってた気がします。

372:人間七七四年
07/02/28 05:35:11 ZBB3sbR0

自倭乱朝鮮七載, 喪師数十万, 餉数百万, 中朝与属国無勝算, 至関白 死而禍始息


373:人間七七四年
07/02/28 06:10:11 O/rLcUO1
前後七載、喪師數十萬、糜餉數百萬、中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死、兵禍始休、諸倭亦皆退守島巣、東南稍有安枕之日矣。秀吉凡再傳而亡。

だろ?

374:人間七七四年
07/02/28 19:04:38 O/rLcUO1
自倭亂朝鮮七載、喪師數十萬、糜餉數百萬、中朝與屬國迄無勝算、至關白死而禍始息。

は、明史列伝の朝鮮の方か。
>>373は明史列伝の日本方ね。
しかし、微妙に字が違うだけなんだね。

375:人間七七四年
07/03/08 23:10:13 9sFoJmMM
火器が発達した時代である16世紀とはいえ、
モンゴル、オイラト、トゥルクメンといった騎馬民族が依然最強クラスだろう
明は、アルタン・ハーンに北京を包囲されて、手も足も出せなかったし
(李成梁も姑息なことやって体面を繕っていた)
モスクワ大公国も、クリム汗国にモスクワを攻略されて、貢納をおさめていたくらいだ
チャルディラーンの戦いで、オスマン朝がサファヴィー朝のキジルバシを破ったとはいえ、
まだまだ騎馬民族の力は衰えていないと思う
17世紀後半ですら、ジューンガルのガルダンが暴れまわっていたぐらいだしさ
やっぱ、チベットのチャンタン高原を突破するほどの騎馬民族の機動力は一大脅威だと言わねばなるまい

376:人間七七四年
07/03/11 18:04:58 8gfIiuQO
当時の日本の鉄砲の数は多いのですが、ヨーロッパは大砲が桁違い。

アルマダの海戦(1588年)のときの英西両国の軍備は、

     スペイン               イギリス

兵力     8050人(水兵)           15292人
      約19000人(陸兵)

船    ガレオン艦20隻            ガレオン艦98隻
     (内・大型6隻)           (内・大型2隻)
     武装ガレオン艦補助艦102隻       武装商船99隻
     ガレアス艦4隻
     ガレー船4隻

大砲     ペリエ砲326門             ペリエ砲 43門
      キャノン砲163門            キャノン砲 55門
     カルバリン砲635門           カルバリン砲1874門


 大砲の射程距離は、ペリエ(短距離)・キャノン(中距離)・カルバリン(長距離)。
結果は長距離砲を多用したイギリスが勝ちました。
 1隻あたりの大砲搭載数は船の型により違うので、詳しいことはわからないのですが、
だいたい少ないので5門、多いので40門前後のようです。ただし、搭載数が多いのは
船足が遅いそうです。

377:にゃんこ
07/03/11 22:43:05 FPhwk49v
360>

マックスウェーバーは、「火力よりも規律」と言ってるね。
弾が鉛のマスケット銃は当たったら威力はすごいけれど、速射ができないしね。
隊を小隊・中隊・・・・と数学合理的に分け、数学合理的に戦術を駆使できる
ためには、兵士を機械のように動かす規律が必要なんだな。
(ここで言う規律とは、「略奪すんなゴルア」という意味よりも、「右向け右、命令通り
 動けゴルア」という意味で。)


378:人間七七四年
07/03/12 01:03:50 zwAtSztu
ざっとスレ見せてもらったけど、かなり面白いね

しかしこの手の問題でいつも痛感するのが、軍事史の発展のいびつさ。
欧米で発達したから、欧州中心にならざる得ない。
日本や中国、あるいはトルコ、インドなどの軍事史の研究は進んでいないから(少なくとも日本では)
どうしても欧州の事柄が判断基準になってしまう。
日本での軍事に関する研究は近代以降が中心で、それ以前については、論文で取り上げらることもあるけど、総合的に纏めたのはほとんどない。
去年、「日本軍事史」って本が出版されたけど、これも何か纏まりがなかった。

誰か、欧州やイスラーム世界、印度、中央アジア、東アジアを纏めた軍事史の本でも出してくれないかな

379:人間七七四年
07/03/12 01:20:51 XrVOjAZQ
中世欧州の軍には兵站の概念が無かったとかかなり恥ずかしい事を書いていてしかも誰もそれに突っ込んでないのは何で?


380:人間七七四年
07/03/12 01:48:45 XrVOjAZQ
J.F. Verbruggen, The Art of Warfare in Western Europe During the Middle Ages: From the Eighth Century to 1340 - 必読・

P. Contamine, War in the Middle Ages - ドライで退屈だが、為になる。特に中世における歩兵の中心的役割と傭兵集団の重要さについての章は秀逸。

M. Prestwich, Armies and Warfare in the Middle Ages: The English Experience - 中世の軍隊の兵站、組織、編成、戦術について詳しく書かれている。

K. DeVries, Infantry Warfare in the Early Fourteenth Century: Discipline, Tactics, and Technology - 中世の歩兵?規律と戦術?イカれてるのかこいつは!(笑)

K. Fowler, Medieval Mercenaries: The Great Companies - 14世紀に集中しているが、著者の書く傭兵集団のプロフェッショナリズム、訓練と有用さは中世初期と後期にも当てはまる。

取り合えず中世の軍に兵站が存在しなかったと思ってる人はルイ9世や獅子心王の遠征を調べると宜しいかと。
強度の強い電波だと解るから。

381:人間七七四年
07/03/12 02:33:12 XrVOjAZQ
>>378
それも問題だけど欧州の研究成果が日本にちっとも伝わってこないのも問題。
30年前に破棄された説を信じてる人間が日本にはごろごろいる。


382:人間七七四年
07/03/12 11:17:42 cU9WCxfj
>>376
その海戦って、可燃物大量搭載して火を点けた船団をスペイン艦隊に向けて放った為、
スペイン艦隊は緊急回避すべく個々で離脱せざるを得ず、
バラバラになった艦を各個撃破(3隻沈没2隻大破)しただけでしょ。

スペイン艦隊が壊滅したのはその後神風が吹いたからだし。

383:人間七七四年
07/03/12 17:19:59 00ioDMZt
>>321
>ケネス・スオーブ米ポールステート大準教授は「日本と朝鮮の間
>の戦争だとの見方はやめるべきだ」

秀吉のスローガンが「仮道入明(道を仮(借)りて明に入る)」で、朝鮮は単なる
通り道にするつもりだったということは常識レベルだと思っていたのだが、他国の
歴史家の間ではそうでもなかったのかな?

384:人間七七四年
07/03/12 19:49:07 EgqrlaFj
韓国でのシンポジウム、だったからじゃないの?

385:人間七七四年
07/03/12 21:06:15 Q5wH1a7w
>>376
大砲は野戦ではまだまだ使えないと思うよ(攻城戦、海戦で威力を発揮したのは勿論だけど)。
戦国時代(16世紀~17世紀初)、野戦では小銃火力の方が重要でしょ。
野戦での大砲の本格的活用は、グスタフ・アドルフのレザー・ガンの登場まで待たないと。
まっ、野戦での大砲の活用も、石田三成が関ヶ原で大砲を使用していることを考えると、戦国日本の方が進んでいただろうけど。

つーわけで、当時の陸戦世界最強は、充実した小銃火力(軽く十万挺以上)と卓越した白兵戦能力(鋭利無比な日本刀、人馬の区別なく切り伏せる腕前)、そして騎馬民族並の機動力(清正、小西の快進撃は伊達じゃない)をもつ戦国日本で間違いない。

386:人間七七四年
07/03/12 21:54:45 CF4Wgo0Q
属国が「宗主国をぶっつぶしにいくから道貸して」なんて言う他国の軍に通行許可なんか出すわけない
そんな可能性があるのは日本が明より強いと思われる場合だけ

当時の日本の明国感がどうなのかはわかんねけど現在の人間からすれば無謀としか
他国の人間ならなおさら理解できんだろう

387:人間七七四年
07/03/13 00:52:02 pl+jIo9/
日本勢の機動力の高さは足軽主体だから?

388:人間七七四年
07/03/13 15:36:23 JO8wUlpy
>>385
釣れますか?

389:人間七七四年
07/03/13 15:47:58 JO8wUlpy
>>野戦での大砲の本格的活用は、グスタフ・アドルフのレザー・ガンの登場まで待たないと。
この時点で無知からくる妄想だが、
>>まっ、野戦での大砲の活用も、石田三成が関ヶ原で大砲を使用していることを考えると、戦国日本の方が進んでいただろうけど。
これは酷い。
たった一回、限定的に使用されただけで「日本の方が進んでいた」と言うのは知能が低すぎる。
>>充実した小銃火力(軽く十万挺以上)
数だけでは大した意味は無い。
兵の士気、指揮系統の確かさ、訓練と実践経験の多さ、資金と食料の確保。
そういう物が揃ってこそ、強いかどうか判断されるべき。
数比べで「最強」を判断するのは、短絡的。
>>白兵戦能力(鋭利無比な日本刀、人馬の区別なく切り伏せる腕前)、
これも酷い。
釣りか?とおもうほど。
>>そして騎馬民族並の機動力(清正、小西の快進撃は伊達じゃない
騎馬民族並みの機動力!つまり一日に100kmは進撃出来ると言いたいわけだ!


390:人間七七四年
07/03/13 20:12:50 bMWwjJXO
>>387
戦略機動力は大砲を装備しない事と糧秣が少なくてすむ事
(固形分は同量であるが西洋はそれに加え、同じ量が倍のワインとビールを必要とする
行動日数については人夫と駄載限定の日本に対し、馬車が使える西洋とは同程度である)

戦術機動力は日本は密集陣形を組まないからである。

391:人間七七四年
07/03/13 20:50:20 kH7b9Jey
>>389
騎馬民族並みの機動力が、一日に100kmってどこから出てきた数字だ?
1231年の金侵攻時のモンゴル軍が、漢中から鄧州まで500kmを進軍するのに1ヶ月だから、
文永の役の小西軍の機動力とほぼ同等なんだが。。。

392:391
07/03/13 20:54:34 kH7b9Jey
「文永の役」は「文禄の役」の間違い

393:人間七七四年
07/03/14 13:48:36 /zI/lYEe
>>391
漢中から鄧州って険阻な山岳地帯と強固な関が無数にある地帯なので、
標準的なモンゴル騎兵の行軍速度の例としてはふさわしくないのでは?

394:人間七七四年
07/03/14 14:59:26 VlVrJHnr
モンゴル軍進軍速度
 1220年ホラムズ侵攻 プハラ→サマルカンド 250kmを5日間
 1221年ホラムズ侵攻 メルブ→ニーシャプール 350kmを12日間
 1231年ウゲデイの金国遠征 漢中→鄧州 500kmを1ヶ月
 1241年バトゥのポーランド侵攻 スィドロフ→ワールシュタット 450kmを20日間

秀吉軍の進軍速度
 1582年中国大返し 高松→摂津富田 160kmを6日間
 1583年大垣大返し 大垣→木之本 53kmを5時間
 1592年小西行長の朝鮮侵攻 釜山→漢城 400kmを20日間

395:仙台藩百姓
07/03/14 15:13:10 KQt5pn6C
53kmを5時間←恐ろしい速度だお(;^ω^)

396:人間七七四年
07/03/14 15:28:32 8G8s7mC8
秀吉軍凄いな・・・

397:人間七七四年
07/03/14 16:39:07 /zI/lYEe
>>394
敵地で戦闘を行いつつ進軍した例と、ほぼ自領内での純然たる行軍(中国大返しや
大垣大返し)などを同列に並べても意味が無いのでは?

398:人間七七四年
07/03/14 16:50:38 VlVrJHnr
>>397
敵地で戦闘を行いつつ進軍した小西行長の速度だって、モンゴル軍とほぼ同等じゃん

399:人間七七四年
07/03/14 16:54:06 /zI/lYEe
>>398
それについては別に文句はない。上の二つを入れるのが変だって言ってるだけ。

400:人間七七四年
07/03/14 16:56:19 /zI/lYEe
399補足。
二つの「大返し」だけじゃなくて、モンゴルの例も状況がまちまちすぎて
列挙する意味がほとんどない。

401:人間七七四年
07/03/14 17:02:27 /zI/lYEe
>>395
夕方~夜間に一万五千人が移動した速度としては驚異的だな。
これは走りぬいた将兵が凄いというのもあるが、沿道で食糧や松明を周到に
手配した手腕の方が見事といえるだろう。なにしろ気が立った兵士に食糧を
渡す時の対応マニュアルみたいな物まで作って沿道の村人に指示してるぐらいだ。
当時ここまで気配りの効いたバックアップ体制を作れた秀吉や石田三成の手腕は
素晴らしい。

402:人間七七四年
07/03/14 17:29:48 rNuu0mor
>>400
んなこと言ったてなあ
そういう手がかりから考えるしかねーじゃん
それに、中国大返しは予想外の状況下での出来事だし、
大垣大返しにしたって自領内というほど安定した状況下でのことでもないじゃん、
むしろ一連の戦場というべきだろ、あの一帯は

403:人間七七四年
07/03/14 17:43:43 /zI/lYEe
>>402
戦場で沿道ずっとかがり火を焚いて握り飯配ったりできるもんか?

まあそれはいいとして、列挙するんならせめて同じような状況のやつを
抽出して対比させるとかすればいいじゃん。
といっても、戦国時代の日本とモンゴル帝国の戦いで「同じような状況」
なんてないから最初から比べる意味があんまりないんだけどね。

「騎兵中心の軍勢と歩兵中心の軍勢でどっちが機動力高いか」みたいに、
常識的なところから推理していく方がまだマシ。

404:人間七七四年
07/03/14 17:54:25 QlC8Y/yI
いずれにせよ、比較対象がモンゴルとかナポレオンとかローマくらいしかないんだけどw

405:人間七七四年
07/03/14 18:01:56 C6XW9YL5
戦国時代の標準的な行軍速度は一日に20~25キロ程度。

モンゴル軍は、軍の多数を占める軽騎兵に限るなら、一日70キロ程度
だったと言われているな。

406:人間七七四年
07/03/14 18:08:26 /zI/lYEe
一日20キロ程度というのは、古代ローマ軍でも現代の自衛隊の訓練などでも
大体同じだな。歩兵が一日に移動できる常識的な速さってのはその程度なの
だろう。

407:人間七七四年
07/03/14 18:20:25 /zI/lYEe
ちなみに近代ヨーロッパ騎兵の標準的な行軍速度は1日60キロ前後。
モンゴル騎兵の70キロというのは、速いといっても常識外れに速い
というわけでもない。

結局単純な行軍速度なんてもんは騎兵か歩兵かによる部分が一番大きく、
あとは兵站の効率とか、道路整備の技術あたりで多少変わるかなってとこ
だろう。

そういう意味で歩兵主体の日本軍が>>385が言うように「騎馬民族並の機動力」
を発揮できるというのはいささか荒唐無稽に過ぎると思うがどうか?

408:人間七七四年
07/03/14 18:35:18 rNuu0mor
状況は違えど
ウゲデイの金国遠征と小西行長の朝鮮侵攻は同じくらいじゃん
上のようなのは参考に出来ると考える者と考えない者の見解の相違だろ
モンゴル軍の一日に70キロっていうのも、>>394のに一つも出てきてないし
推論より史実の方が重要じゃん、状況の差はあれどもさ

409:人間七七四年
07/03/14 19:23:45 qR2AduDy
馬も餌バカ喰いするから草原とそうじゃないかじゃ全然違うでしょ

410:人間七七四年
07/03/14 19:31:13 QlC8Y/yI
馬が草食ってりゃ生きられると思っているのはちとなんだな。
蒙古馬はかなり特殊で雪下の苔食っても生きられるが。

411:人間七七四年
07/03/14 19:52:57 8S8uoAYE
オスマントルコのイェニチェリ鉄砲隊や大砲の前では、豊臣秀吉&徳川家康の軍団も雑魚同然。
プギャー

412:人間七七四年
07/03/14 19:56:22 8S8uoAYE
オスマントルコ>>>ハプスブルク家>>フランス>>明>>日本

413:人間七七四年
07/03/14 20:01:41 8S8uoAYE
オスマントルコ軍に戦国日本がどうすれば勝てるか考えて見ろ、織田信長軍団でもオスマントルコ軍相手では分が悪過ぎる。

414:人間七七四年
07/03/14 21:29:52 O1qUfBIB
つーか…  お ま い ら 詳 し す ぎwwwwww

415:にゃんこ
07/03/14 23:13:21 InwmZIHu
一級史料「天正記」によると、中国大返しは、半分ガセらしい。
多くの兵が脱落して、秀吉本陣についていけなかった。だから、秀吉は、
摂津衆や四国遠征軍を主力として、山崎で戦った。
つまり、主力は連れて来たのではなくて、現地調達。もちろん、それで勝てる
と踏んだ秀吉はすごいが。


416:人間七七四年
07/03/15 01:09:03 iP8oQkE5
>1583年大垣大返し 大垣→木之本 53kmを5時間
こいつらは化け物か?
武装したままでフル+クォーターマラソンして5時間って

417:人間七七四年
07/03/15 02:17:22 hdmj5e9n
昔の人は偉かった

418:人間七七四年
07/03/15 07:05:20 GG5ZeW7S
>>418
武装は外して現地で用意してたか先に輸送させてたんじゃね?
マニュアル配布してまわってるくらいだし

419:人間七七四年
07/03/15 11:23:20 QL6TySho
>>416
まさか数万の大軍がいっせいに大垣、木之本間に到着したわけでもあるまい。
それこそキロ単位で長蛇の列を成していたはず。
先頭が大垣に到着した時点では後尾は大垣からかなり離れていた地点にいた→取って返すぞ!→後尾がそのまま先頭になる。大返し開始時点からかなりフライング


420:人間七七四年
07/03/15 11:47:27 k3eA8DHI
>>408
「機動力」の話をしてるときに、敵と交戦しつつ進軍した例で比較しても
仕方ないだろ。敵の抵抗度合いによって進軍の速さは全然変わる。

421:人間七七四年
07/03/15 13:05:43 RvcohfXj
>>419
それはないかと
美濃に3日ぐらい駐留してるし

しかし美濃周辺の問題はすぐに片付いたわけだから
兵の大半は翌日あたりに近江に引き返させ
秀吉と供廻りが高速で後を追ったんじゃないかな
いくらなんでも万単位が移動するには早過ぎる
ただの想像だけどさ

422:人間七七四年
07/03/15 20:12:25 HySOaEnP
>>420
機動力(これもどういう意味でのことなのか、いまいち曖昧だが)の話というよりも、
騎馬民族の一日に100kmってのが問題なんだろ
俺の持ってる世界史の図説に、一日に100km(一説には350km)、ってのが出てくるが、
どういう状況(どこからどこまで、とか)でのことなのか書いてないのでよくわからん

423:人間七七四年
07/03/15 23:34:58 7eheZqQ5
>>415
「一日に十里歩いて一人前」てな事も言われていた時代みたいだから、距離などに無理があったようには思えない。
兵士脱落の理由は、信長の死が伝え洩れたとかそういう事なのかな?

424:人間七七四年
07/03/15 23:54:28 3xoHaxQR
>>422
つーか一日100kmってのは大げさだろ。普通は70km程度と言われている。350kmなんてのは
馬の生物学的能力から見ても無理。東京~名古屋間より長いじゃないか。

その世界史図説ってどの出版社が出してる何年度版のもの?


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