上杉謙信とその周辺の国の確執at SENGOKU
上杉謙信とその周辺の国の確執 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/07 18:57:05 XiB3iLUW
僕は2をとるために生きている

3:石川県代表
06/10/07 19:00:38 DzUbIQ7+
そりゃ 仕方ないさ

戦国時代だもん

アチラさんも、したくてしてる戦じゃないんだしさ・・

なんくるないさ^^

4:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/07 19:02:25 880ooGuI
ウチの近所のあった城に住んでた城主は謙信の威光のお陰で
ここら一帯を統一する事ができた(最上氏の謀略ですぐ奪われるんだが)
謙信の影響力って凄かったんだなってのが素直な感想。

5:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/07 19:05:16 LfHBEhAZ
新潟の英雄といったら田中角栄

6:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/07 19:06:47 9IcoMEm0
前田が好きな武将の一人というコテコテ石川県民だが

上杉に攻められてそのままだったら恨んじゃってたかもしれないけど
前田がここまでにしてくれたから別に悪く思ってないよ
いいんじゃないでしょか

7:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/07 19:34:04 D4l8sDkU
攻められようが悪政でもしてないかぎりは恨まないわな

8:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/07 19:50:19 DzUbIQ7+
そもそもさ

韓国人じゃないんだから

そんな何百年も前のこと恨んでる奴なんかいねーよな

これだから信玄厨は・・

9:akira!
06/10/07 19:58:36 JvNi4Ael
恨んでいるとかいうのではなく、イメージを教えてください。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/08 17:56:03 MJPAhnfM
埼玉北部
武田信玄と有名な合戦をした人。
以上

11:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/08 18:23:18 X2TxAJLZ
>>8
お前に愛国心がないだけ

12:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/08 18:36:15 DAhk4Lzh
春は上杉
冬は北条。

13:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/08 22:59:37 m6MLAS8j
芦名、伊達、蒲生、上杉、蒲生、加藤、保科、松平

14:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/09 11:56:42 qkOU6jEF
>>11
日本人以外書き込まなくていいから

15:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/09 22:36:09 l7w109u7
そういや、光秀の子孫と信長の子孫がうん百年ぶりに和解って
10年くらい前にTVやってたな

16:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/12 22:44:07 iBaRSyB6
>>1
突っ込んでほしそうだから一応突っ込むね。
>手取川で織田信長をも撃破した
その戦には信長出陣してません。

>義に生きた上杉謙信について、悪いことを聞く事が余り無いように思います。
人身売買にアル中と、悪いうわさだらけです。

17:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/30 14:53:48 7tHI4Vf3
人身売買は武田とか九州とかの方が上だし。

18:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 23:40:18 JqlHlrgl
>16

信長出陣してなくたって織田軍の顔ぶれみれば信長いなくてもそんな変わらないんじゃない。
信長怖くって出てこれなかったんだよ。
織田軍、この時は ほんとびびりまくりながら進軍したんだろうなぁ。
秀吉は はなっから勝てないと呼んで柴田と意見がわかれたんだよ。

19:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 00:28:03 v09/nYGh
>>6
富山県民は前田家に対していい感情を抱いていないんだけどね。
加賀藩に税を納めて更に富山藩にも納めるといった二重課税を強いられていたから。
そのせいで富山県民は財産を隠し持つようになり更に石川県に対抗心を持つようになっちまったわけで。
高岡市民ぐらいじゃないかな、前田家にいい感情を抱いてるのは。
高岡は利長のおかげで銅器と漆器の街として今でも繁栄してっから。

20:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 00:39:19 33riclex
どこツツきゃ「義」なんて言葉が出てくんのかねぇ。

上野も越中も北信も、キッチリ領土化しとるやんけ。
武田と北条と織田に蚕食されて全部喪失したけど。

上杉の「乱取り」は、周辺大名の中でも群を抜いて酷いよ。
出兵時期が、越後の食料が不足する晩春の「端境期」に
集中している。動物並の「蛮族」としか言いようがない。

武田は、収穫前の「青田刈り」が多い。
上杉に比べれば、多少は政治的な意味がある。領主の顔を
潰して調略を容易にするためとかね。

21:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 00:45:18 xBJy5UKM
キッチリ領土化してないけど

22:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 00:53:41 TAmDNlC1
他の大名の場合は統治している領土。
謙信の場合、ヤクザが食い物にしてるだけ同様のシマ。

23:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 01:22:14 4pEHu8i3
まず成田長泰に謝れよバカwww
子々孫々まで謝罪と賠償しるwwwww

24:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/29 03:07:13 CPswGGoW
手取川の戦いも、織田は戦とも思ってないようだぞ。

25:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 19:13:33 BpFtiEgp
山形から

最上・伊達・上杉の三つの内の一つというかんじ

26:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 19:30:25 JxKrWwni
上杉って中国の北方騎馬民族みたいな感じか。

27:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 19:57:31 +mvUEOXS
同族長尾一族のいる群馬県の白井・厩橋・・総社や栃木県の足利あたりでは救世主だろ。
また上総や安房の里見ゆかりの地や常陸佐竹や岩槻太田、宇都宮あたりも悪い気はしないだろう。
なんせ関東管領上杉という名族を引き継いだ謙信の越山を要望し続けたんだから。


28:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 20:09:23 i9psqKsa
厩橋付近は風見鶏を続けてた一番顕著な辺りだよ。

里見・佐竹辺りその辺りの反北条からの評価は越相同盟の時点で地に落ちてる。
義もクソもあったもんじゃない。

29:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 20:58:32 d7nU+Mz1
義に厚いというのは事実かもしれんが謙信の場合は大名間の義だけで
領民、兵士下々のことは全く考えていない。
これが本当の義といえるのかねw



30:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 21:26:28 tPS01mTN
義ってそういう面があるんじゃないの?

大谷吉継の三成に殉じた義とか
真田雪村だか信繁だかの豊臣に捧げる義とかって
平和や民や一兵卒には名誉以外何も与えていないだろ。
義とは何かを与えるんじゃなくて何かに報いる行為だしな。
それに人がついてくるかどうか、じゃないかね。

31:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 21:32:02 i9psqKsa
まぁその大名相手にも全然報いてないけどね。

関東は完全に裏切ってるし。

32:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 09:12:55 kwTp0CfP
つまり、信玄>>>>>>>>>>>>>謙信

33:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 20:26:39 fVgp/t4/
これだから信玄厨は…なんでもかんでも無理やり貶しやがる。
同族長尾一族がいた総社・白井など上州勢は上杉憲政を越後に逃すのを手伝ったりしてたし、その憲政が捨てた上州では長野氏などが死守していた。そういう人たちは謙信の越山を待望していた。
反北条の古河公方配下なども集まり絶頂期を迎え小田原へ進軍。言わば皆さんの期待に答えたわけだ。
ただ過度な期待を謙信に持ち過ぎてた。
謙信と言えども留守の越後は心配だし冬には戻らないとならない。
そういう事情を無視してまで関東勢は謙信に要望してくる。
なんとか越山してきても労多くして利少なしにも関わらず。利根川周辺の者達は冬には北条に靡くのも仕方がない。中国でも超大国晋と楚に挟まれた弱国鄭や宋・陳といった国々は常に裏切りを働いていたが生存する為には仕方がなかった。
これを謙信の責任に押し付けるのは酷だろう。

34:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 20:36:25 YdFAFuYt
>>29
当時の日本には下々に対して行う義などない
西洋の思想に感化された現代の感覚で語るのは無意味

35:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 20:39:28 kZc0YzZk
別に謙信なんかに義なんてないと思うが
アル中に人身売買、いたずらに戦争ばかり引き起こし、兵や家臣に裏切られまくりの失政三昧じゃん
一方武田信玄は信玄堤やら堤防などの良政を敷き、家臣団の統率も人望も段違い
どう見ても信玄の足元にも及ばんよ、謙信は
人間的に見ても信玄>>>>>>>>>>>>>>>>>>謙信

36:石川県人
06/12/31 20:39:51 h33ofHJ9
石川県の人間は謙信にはいいイメージ持ってるよ。
石川の人間はかってに新潟を同じ北陸に属する近県と思いこんでるわけだし、
北陸の英雄だと誇りに思ってるよ。
ノブヤボをするときも上杉家が多いね。
でも新潟の人からすれば自分たちが北陸なんてつゆほどにも思ってないみたいだけどね。

あと前田家には悪いイメージ持ってる。
所詮は織田家から派遣されたよそもので、
百姓の持ちたる国、加賀に入る時に一向宗大量串刺しなど酷いことして入ってきた。
江戸時代は全国でも屈指の酷い取立て。
維新の攘夷派を虐殺して幕府を支持するも、結局は薩長軍に占領される。
しかも維新以降、前田家は石川県を去り東京の屋敷に移住してしまった。

37:石川県人
06/12/31 20:53:15 h33ofHJ9
あと、あくまで金沢人としての意見で
本当の能登の地元の人はどうか知らんが、
能登畠山氏とその家臣どもの
小物同士のコセコセとした争いをぶっとばしてくれたのは
むしろ胸がすく思いだ。
ああいう小物同士のコセコセとした争いがなんかいかにも石川県人の気質で嫌いだな。
維新の時もコセコセした争いしてるときに薩長の英傑たちにぶっばされたしね。

こういう引っ込み思案で粘着質で身内同士暗く固まったり策謀めぐらせたり
小物ばかりで大物が出にくいのが石川県人の気質。
ついでに自虐的なところも気質だな。

銭屋五兵衛のような英雄が出ても地元の策謀ですぐに潰しちゃうし、
森善朗は小物だ、松井秀喜は地元の英雄だが、やや暗いしね。

38:石川県人
06/12/31 21:01:49 h33ofHJ9
あと富山は石川同様に英雄が出にくい土地だな。
いつも大勢力に翻弄されてるイメージがある。
気質も石川県人に輪をかけて暗くてコセコセしてるように感じる。
富山の英雄と言えば藤子不二雄か。
夢のある藤子不二雄Fはともかく
粘着な藤子不二雄Aがいかにも富山人っぽい。

39:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 21:45:01 54Jc4OEv
越相同盟を結ぶ時、上杉は北条に関東を荒すなと念押ししてなかったか?


40:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 02:19:35 2o+AAFdZ
お前に言われたくないわという感じだろなw

41:ゲド戦記の英雄
07/01/01 03:12:55 wwUZ8GDV
相越同盟黙秘録
謙信『この度の同盟誠にめでたきこと!』
氏政と愉快な仲間達『そうですな、これで関東は平和ですな!』
謙信『で、一つ忠告しておきたいんだけど。関東さ、荒らしたらダメだからね』氏政と愉快な仲間達『ちょwwwあんたさんざん荒らしたじゃんwwwしかも後始末もテキトーだしwww』
謙信『だってさ…俺って軍神じゃん?正治とかしたらダメっぽいじゃん?』
氏政と愉快な仲間達『うはwwwこの人マジでバカかもしれないwww』

42:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 03:35:32 TWhRqr7i
新年早々そんな糞レス出来るのが
厨の厨たる由縁か

43:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 06:06:53 oqEXeCu+
手取川の戦は小競り合い程度だし歴史を動かすような戦でもない。

44:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 12:50:21 nKuPtooG
手取り川の戦いに信長も秀吉もいたんじゃないかって勝手に思っています
勝家の責任にして恥を隠した。

45:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 13:33:00 KHqjXZsD
謙信は難癖つけてあちこちに喧嘩売ってるからなぁ
北条や武田相手ならまだ逃げてきた誰かのために、だからマシだけど
越中侵略は「武田と音信してるから」という言い掛かりに等しいもの
信長との同盟だって、別に織田方から信義違反があったわけでもないのにそれまでの共通的だった一向衆と組んで攻撃
さらに北条と後になって仲直りして、謙信を頼っていた豪族達をあっさり見捨てる。そしてその北条相手には土地問題で強欲ぶりを発揮した挙句救援に手を抜いて北条から見捨てられる破目に
軍神というより疫病神でしょ、これって

46:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 13:52:57 7rKdmvse
しょうがないよ、謙信はバカだから
自分で自分のこと軍神軍神言ってるだけでいい加減誰からもまともに相手されてないの気付けよバカw

47:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 14:10:47 KHqjXZsD
いや、自分で軍神といってたわけじゃない。毘沙門天信仰にハマってただけ
そんな恥ずかしい名前をつけたのは後世の厨レベルな奴でしょ
江戸期でさえそこまで酷くなかったはず

48:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 14:15:15 AiS7eeHG
あくまでも否定したいみたいだな・・・ここまでくるとキモイ

49:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 14:04:48 vJ29cju1
>>20
お前は低脳だな
長尾景虎は関東管領の上杉憲政の養子になって
上杉政虎となって関東管領職を譲り受けた史実も無視している
上杉家の養子となり、関東管領に就任した政虎が管領として
関東を治める為に、関東に出兵するのは理の当然だろう

50:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 14:12:35 vJ29cju1
>>45
アホですかw
謙信の越中、能登、加賀への出兵は、北条氏政を叩く際に、加賀まで
進出してきた織田信長を叩く事で、後顧の憂いを取り除いて
北条征討の為の合戦に過ぎません

謙信にとっての第一義とは、関東管領として関東の秩序を回復する
事にあり

それを理解しない限り、上杉謙信の事は理解出来ないであろう

51:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 16:08:57 ST4Hucf7
それで関東諸大名の反対押し切って北条と組んでりゃ世話無い。

52:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 20:39:22 jTKoi9F5
反対してたか?

53:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 23:04:33 ST4Hucf7
代表的なのは里見、このため里見義弘は武田信玄と組んで謙信にも刃向かう姿勢を見せてる。

それ以外でも関東の大名は基本的に北条家に対抗するために
頼りにしてたんだから、和睦なんかされる事を喜ぶはず無い。

54:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 23:52:19 vJ29cju1
>>51
武田信玄に対抗する為のは仕方がなかった
信玄の方が謙信より戦略と治世が上だからな
しかし謙信は佐竹義重の要請を受けて北条氏政
追討の大遠征を行う直前に脳溢血で死亡

55:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/02 23:57:53 vJ29cju1
常陸の佐竹義重は、最後まで謙信側でした
つーか佐竹氏は関東における反北条の中心

56:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 01:21:50 PPiWTtS8
謙信という人は、中央の情勢がどうであろうが、我が道を行くんだよな。


57:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 05:35:29 xbVbA3S1
佐竹がねぇ・・・。まぁいいけど。

58:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 06:31:07 EHcUEBSo
石川・富山には英雄がいないから、
謙信のような大物武将にあこがれる。
蹂躙されたことなど気にしてません。
むしろ何でもっと早く占領してくれなかったかと思ってます。

59:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 06:37:04 xbVbA3S1
そういうのはあるねw

前田利家とかってやっぱりあまり好かれてないのかな。

60:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 14:37:25 5Xx+30qX
義、という言葉は「我を美しくする」と字体を解ける
つまり謙信にとっての義とは自己の美意識の事で
民衆や他の大名豪族に対する義ではないんだよ

61:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 15:03:42 Ck368e2P
後顧の憂いを、とか~と戦うためとかの理屈で謙信を弁護した気になってる奴、正気か?
結局、自分の都合での盟約破りじゃんか……

62:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 18:48:54 EHcUEBSo
>>59
好かれてないという事もないが、
前田利家も上杉謙信もよそものであるという事で共通してるし、
それだったら謙信の方が魅力的ではあろう。

63:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 20:18:21 YXuc3kIY
>>60
大きい羊が 美。
我、羊とならん、が義。

64:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/03 20:40:49 5ZQ6zd6r
>>61
関東管領である上杉謙信の任務は、関東の秩序も維持することだろう
北条氏政が下野出陣して、佐竹義重に属する諸大名を討ち、佐竹側に
属する結城晴朝から、謙信に関東への出陣要請が来ていた事は
井上鋭夫氏の研究によって既に判明している

謙信は氏政を討つ為に、乾坤一擲の大遠征((出陣予定日は3月15日)
直前の3月9日に脳溢血で倒れ、同13日に、49歳でその波瀾の生涯を
閉じたのである

65:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 10:28:37 hoOX73BZ
>>64
だからそれだとその北条と手を組んだり、一向衆という緩衝地帯が未だに存在していた信長を裏切ったりしたりする必要がそもそもないだろ
謙信だって普通の裏切り上等の戦国大名だってことだ
……ってか冷静に並べれば謙信ほど盟約相手に冷淡だった大名ってむしろ少ないんじゃね

66:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 12:26:56 7urTERrl
>>65
武田信玄が強かったからだよ
武田に対抗するには、北条氏康との同盟が必要だった
その後、信玄が病死、勝頼の長篠敗北で、武田家の圧力は
格段に減ったおかげで、謙信が北条討伐を行える情勢へと
天下が動き出した

そこで加賀ま進出して来た織田信長を叩いて、後顧の憂いを断ってから
北条討伐大遠征を決行しようした直前に、脳溢血で死亡

「能・越・加之儘に申し付け、越前も過半属手候条、此上者、至関左
山越為可成之」


能登、越中、越後、加賀を支配し、越前の半分も手に入れた
これらの山越えは、関東に出陣する為に行ったモノである

67:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 12:43:00 +Tq0Bskt
>>65
つまり信玄に勝てなかったために長年の同盟者信長を裏切った身勝手じゃんか
しかも再度侵略する相手は一度は盟約を結んだ北条。弁護の余地、あんの?

68:バナナマン
07/01/04 13:09:52 APWlaba+
よって謙信は加藤清正以下である

69:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 15:06:59 QGzsA2Um
だって氏康が死後に謙信との盟約を破れって遺言してるんだからしょうがないだろ。
駿河侵攻した信玄に憤った氏康が謙信に許しを請ってきたから氏康を許してやって越相同盟してやったんでしょ。
三国同盟を踏みにじった暴虐な晴信を最優先で討つための同盟なのに氏康死んだら破談なのは北条側にこそ不義がある。

70:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 15:25:31 oc3F05k1
>>69
その遺言は俗説だよ。

71:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 15:25:59 7urTERrl
>>68
おいおい、加藤清正のような雑魚と一緒にすんなよ
関東管領上杉謙信の第一義は、関東の治安維持だろう

72:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 15:30:42 7urTERrl
上杉家全体に反北条の機運が高かったのは、謙信死後に
上杉家の当主になったのが上杉景勝であった事で明白
氏康の子で謙信の養子になった景虎は、同じく謙信の
養子になっていた景勝に滅ぼされた

73:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 15:37:37 +IXy+iTk
景虎を立てようという連中も多かったのだから、
その説には納得しかねる。
むしろどうしてあれたけの連中が景虎を推したのかが疑問。
越後がほとんど半分に割れてるし。

74:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 15:59:08 7urTERrl
>>73
結局景虎は滅亡して、景勝が上杉家の家督を継承した

75:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 16:45:11 Z1e6FAfv
そりゃ景虎が関東管令、後北条総領に就くことを期待しちゃうだろ。
関東動乱の収拾、越後食糧不足の解消、越相同盟による対織田武田体制確立。が濡れ手だしな。

ついでに越後守護になれれば磐石だろ、反上田長尾とあいまってな。
専ら国内的要因。









しかも美形(*^_^*)だし。


76:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 19:15:32 Rc8afQkb
>>69
中風の末期で遺言が残せたとはとても思えない

77:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 19:32:06 7urTERrl
>>75
いくら屁理屈を述べ様とも上杉家の家督を継承したのは
上杉景勝です
そして上杉景勝は一貫として反北条氏を貫き、会津120万石の
大大名になり、豊臣政権において五大老の一人となりました
関が原の戦いにおいても、上杉勢は伊達や最上を圧倒する強さを
見せたモノの肝心の関が原で西軍が大敗した為に、30万石に減封
されて米沢藩が成立したました

また関が原の戦いの時、謙信&義重以来の盟友関係を重んじた
佐竹義宣は、徳川家康の上杉討伐に加わらず、側面から上杉家を
支援致しました

78:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 21:55:00 +IXy+iTk
>>77
そりゃどうでもいい話。
勝ったのは確かに景勝だが、
勝負がついたのは景勝に人望があったからとか、
反北条が高かったとかいうのは違うと思う。
単に景勝のやり口が景虎より優れていたからじゃないのか。
景勝は腹の座ったやり方で勝利者になったんであって、
景虎は景虎で支持派もいたってこと。

79:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 23:16:01 oc3F05k1
いやあ若い景勝にそんな技量があったとも思えん。
周囲が守り立てたんだろ。

80:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 03:15:01 +uxRooVE
上杉厨大暴れw
これ以上恥晒すなよクズw

81:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 09:53:12 IMuK0afw
北条の子が跡を継いだら、普通に家が北条に乗っ取られると思ったんじゃないの?
北条氏は中間搾取を抑えて軽税路線敷いてたから、中小領主の利権が侵害されるとかで嫌がりそうだ

82:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 23:47:10 F6Daplwm
あれ?長尾には国人から収税なかったんじゃなかったっけか。
国人一揆で功労があっただけの存在で。

83:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 08:50:26 a1TLg8Fz
手取川の戦いは行われていない


84:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 09:24:07 n2hJ+SlP
なんで北条は景虎を支援しなかったの?

85:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 11:32:07 sh474gS5
支援する気はあったんだろうけど
楽観視しすぎたんでしょ
景虎にも支持者がいるから大丈夫だ
とかなんとか

86:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:40:52 LWL/XAZp
支援はしたけど同盟の武田に妨害されて越後に兵を進められなかったんだよー勝頼のせいだなー

87:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 16:11:25 sh474gS5
>>85
いや武田は妨害はしていないでしょう

88:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 16:33:52 n2hJ+SlP
北条の救援を受けて兵を出したのに
肝心の北条が出動しないんだもんな。

89:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 18:02:52 JhQm4xLf
景虎は氏康の子ではなかったとか、あるいは妾腹の子だったという説もあり、
あんまり氏政には支援する意欲がなかったんだろうね。
季節が悪くなると武田にまかせて撤退している。

90:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 18:44:08 n2hJ+SlP
でも身内の人間が上杉の当主となれば北条にとっても
悪くないように思えるんだが、やっぱりそう単純なものでも
ないのかな。

91:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 19:03:20 JhQm4xLf
>>90
同族の争いとか所詮は上杉家臣に支えられた政権というのもあるが、
基本的には北条にとって悪くないと思うよ。

でも、とにかく北条にやる気がなかったんだよね。
何でかと聞かれてもよくはわからないんだが。
ひょっとすると当時の北条の能力では雪深い越後に遠征するのは難しかったんだろうね。
北条軍は温暖な関東での戦に適応してたのではないだろうか?
いや関東も寒いんだが雪はあまり降らないから。

92:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 19:05:26 JhQm4xLf
北条は案外、遠征が苦手なのかもしれない。
安房の里見氏すら滅ぼせないんだし。

93:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 21:50:45 513SHC6c
>>89
だから状況を楽観しすぎていたんでしょ

94:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 23:40:37 fsJEEzPU
越相同盟の頃って謙信かなり追い込まれてた

越中の門徒、信濃には武田、関東は後北条、越後国内では本庄が反乱
まぁ信玄にまんまと動き止められたって感じだが
信玄はちなみに駿河に進出するために謙信の動きを止めた
ただその駿河侵攻が後北条を敵に回した

まぁ確かにそれまでの後北条との確執考えれば義に反するのかもしれないけど
謙信もそんなこといってられない状況だったんじゃないかな
そんなときに後北条と利害が一致したってだけの話

まぁ同盟持ちかけたのは後北条であり、交渉をまとめて
ちゃんと成功させたのは後北条の外交能力の高さを褒めるべき

義、義といってもそれにこだわって滅んでしまってはしゃあない

95:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 00:12:25 xWn9hLjz
それはそうだな、小田原侵攻の失敗の後は第二次国府台合戦もあって、
一気に関東での勢力を失ってたからな。

それしかないといえばそうだったかも。
そもそも義ってどこから出た話なんだろうな。

96:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/13 13:31:03 zlp16JWf
>>95
甲陽軍艦だと思われ。

97:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/28 16:27:57 BoDiN/rG
謙信の戦争目的は略奪、とプロの研究者達が真顔で出すレベルだからな。義って何?w

98:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/28 18:23:51 C6xFa45C
武田信玄と北条氏康を両方いっぺんに相手してたからな
片方だけなら関東進出で関東一円のほとんどを支配下に置いたように、
どっちかを簡単に滅ぼせた

謙信は戦の天才

99:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/28 22:17:50 bMBsnIw7
wikiの上杉謙信項目の
「武田信玄と戦国最強の双璧をなし、
 自ら毘沙門天の転生であると信じ、(以下略)」
「(前略)電撃的かつ正確無比の速攻という軍略からか、軍神とも称される。」
の厨臭い部分に関して。
 自ら毘沙門天の転生であるとか信じていた確かな形跡なんてないだろ。
「(信仰厚い)俺がいればこそ毘沙門天も我が軍を勝利にお導き下さる。
 俺がいなければ毘沙門天(のご加護)もないぞ。
 わさわざ毘沙門堂にいかずともここで我を毘沙門天と思って、神文すればよい」
などと言っただけ。童門とかは神文させろというところを信長の総見院と勘違いしてるのか、
謙信が毘沙門天ではなく俺を拝めばいいと言ったように書き散らしているので、
それが流布されて、謙信は自分が毘沙門天だと思っていたかのような誤解を生んだだけ。

軍神の部分も、生前呼ばれたこともなければ、江戸期にもそんな呼び方をされてないんじゃないか。
武神の階なんかを読むと越後の国人たちが景虎をやたら「軍神じゃ。毘沙門天の生まれ変わりじゃ」
と崇敬して手弁当でどこまでも従軍していくようになったような描かれ方だが。

100:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 00:20:20 6lc5DYPm
>>98
小田原征伐ならもともと反北条だったけど屈服してた豪族が寝返っただけで、
謙信がどこか支配下に置いたなどという話は聞いた事が無いが。

その謙信が全く歯が立たないことが判ったので、さっさと寝返り直してるけど。

101:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 00:41:19 sx5Lafdx
>>100
上野沼田城・上野厩橋城・武蔵羽生城・下野唐沢山城・・。
越後軍が常駐していた主な城↑

102:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 00:59:31 UD1oAuPj
謙信は、武田が邪魔しなければ一両年で北条を滅ぼせたよ

103:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 02:08:52 6lc5DYPm
>>101
俺のレスと何の関係があるんだ?

104:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 02:12:55 6lc5DYPm
>>102
主要な支城を一つも落とさずに主城だけ落とせる道理はない。
実際信玄と違って、ちゃんと攻めれても居ない。
大磯付近に陣取った以上の記録は残ってない。

そして関東の兵力はゲリラ戦に自滅して瓦解、寝返り。
この状況で北条が何をされれば滅ぶのか

105:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 04:24:46 Pedj9UEF
ほうじょう→きたじょう
これで滅びる

106:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 10:26:05 Rh7PQ1g8
中国百度の信玄、謙信板とおまけの信長板もよろしく。

武田信玄吧
URLリンク(post.baidu.com)
上杉謙信吧
URLリンク(post.baidu.com)
織田信長吧
URLリンク(post.baidu.com)

107:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 11:58:20 usEZgM36
謙信の小田原城攻めでは激しい戦闘があったが、実際に戦ってたのは太田勢などの関東諸衆
謙信と子飼いの兵は進んで戦った形跡が無い。せいぜい敵前での弁当喰いとかの度胸試しエピソードがあるだけ
退却の直接の理由も佐竹や太田が「陣中に寝返りの動きがあるから」だし
北条氏の反撃と追撃戦をほとんど支えられず、再寝返りは続出するし
ちょっと崩れ方が異常
関東諸侯が謙信への「善意と期待」で参陣したのを被官化したと勘違いして酷使したのが悪かったんだろう

108:107
07/01/29 12:00:18 usEZgM36
×「陣中に寝返りの動きがあるから」だし
○「陣中に寝返りの動きがあるから」という進言だし

なんか佐竹や太田が寝返りしそうになったように書いてしまった
どちらも謙信が後北条と組んで関東諸侯を見捨てるまでは謙信に協力した勢力

109:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 12:36:56 sx5Lafdx
>>107
大坂の陣でも豊臣秀吉の小田原攻めでも、総大将の本隊は後方にいるもんだが。




110:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 12:41:09 usEZgM36
>>109
だけど豊臣本隊は戦ったじゃん
箱根攻めでは一柳直末などの大身の直臣が戦死しているほど
豊臣家ですらそれなのに、俄か管領が豪族を酷使したらそりゃ見放されるって

111:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 14:21:31 XKIWlL1D
>豊臣家ですら

どこの馬の骨でつか?
俄か関白ではないと?

112:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 14:32:57 noYJiRvP
>>111俄かだから、主君とその直轄軍が苦労をしてみせないといけないということだ
11万も集めて北条氏を倒せなかった上、他人に戦争やらせてばかり
おまけに成田氏が源氏の棟梁に対しても馬上礼を許された名家であることを知らず、勝手に怒って無礼を働いた
実力的にも成果を示せず、諸侯の面子を軽視する姿勢を見せればそりゃ離散しないほうがおかしい

113:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 17:33:02 sx5Lafdx
>>112
成田は失敗だと思うが、上野平井城・武蔵松山城を攻め落として小田原城に達したので戦果はあると思うよ。
越後軍8千で烏合の衆11万人を統率するから、越後軍が打撃を蒙ると味方が勝手に総崩れする場合がある。
または裏切りで、前面の北条軍と挟み撃ちに遭う



114:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 17:34:07 sx5Lafdx
だから最前線には立ちにくいかと

115:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 19:58:25 FAfjfdrH
成田って…そんなの信じてるの?

116:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 20:27:33 6lc5DYPm
>>113
>>越後軍8千で烏合の衆11万人を統率するから、越後軍が打撃を蒙ると味方が勝手に総崩れする場合がある。
または裏切りで、前面の北条軍と挟み撃ちに遭う

損害をこうむったからまさにその通りになったんじゃないの?

後10万以上の兵力で謙信自身が廃城にしてしまった捨て城の平井城と、
松山城主はもともと扇谷上杉家の上田家の城、それを取って喜ばれても・・・、
その辺は上野の緩衝地で初めからまだ北条領とは言えない場所。

117:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 21:12:44 sx5Lafdx
>>116
>上野の緩衝地

謙信が関東へ出陣する前は、三国峠まで北条領でしたよ。


118:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 21:15:33 6lc5DYPm
>>117
勢力優勢だった北条家に上野の豪族がなびいてただけ。
まだまだ安定には程遠い。直接支配なんて無論まだまだ。

119:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 21:20:44 sx5Lafdx
>>117
だったら緩衝地帯という表現は変だろ


120:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 21:43:51 6lc5DYPm
>>119
北条家がこの辺りに入って来たの自体1550年代からだし、
長尾家も当然、その後も行動を示している。
とは言えどちらも主力が来るには至ってない時期なので、
結局その地の豪族が日和見決め込んでる状況=緩衝地帯ということ。

121:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 23:08:48 sx5Lafdx
>>120
つまり謙信が関東へ出兵したから、上野国が緩衝地帯になったと
北条に一定の歯止めをかけたという意味では、謙信の成果になるのでは


122:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 23:30:40 Bo2b5CV6
どうでもいいが
11万5000なんて集まるとは思えない
実際は5、6万ぐらいだろ

123:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/29 23:40:44 gI5j5yh6
>>122
関東幕注文(上杉文書記載の250将)をもとに、各大名小名家の史料を検証するといいよ。
永禄7~8年の「関東味方衆」(上杉輝虎文書)で、関東25将・概算4千騎(兵は2万~3万)らしい。



124:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/30 01:17:37 QiCLSa7h
>>121
そうじゃない、小田原城攻めの前から既にそういう状況だったので小田原攻めの成果とするにはちょっと微妙すぎる。
しかも小田原攻めが終われば普通に北条にいってるだけにますます微妙。

結局この辺は、武田も混ざってくるので、落ち着いてた試しなんかないし、
要所である厩橋城でさえあっちいったりこっち行ったりしてる。

125:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/30 08:10:22 +ofapNwT
篭城戦は攻撃側が3倍の兵がいるといわれている
北条軍が最大で3万だったわけだから、9万あれば落とせる計算
百歩譲ってそれは無理だったとしても、北条軍の反撃を阻止できず占領地ほとんど奪い返されてるって言うのはちょっとなぁ……

126:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/30 12:40:07 OQ2ebVSx
謙信の目的は略奪・人攫いを領民にやらせて食わせること
味方からは略奪できないから、この意味では敵は多ければ多いほうが良い
だから戦略目的の一貫性もなくあちこちに喧嘩吹っかけてまわったんだろうW

127:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/31 14:23:01 49NrW9z7
>>126
略奪のための遠征説はここ一年ぐらいネットでよく聞く説だけれど、
一般の兵卒はそれでいいかも知れないが、
(それにしても略奪は、「出来たら役得」ぐらいなもので、
 実際には略奪を目的にした侵攻なんて難しそう)
それを率いる国人衆は何の利益にもならないのでは。

128:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/01 13:28:58 o6HK/e9e
>>127
だから国人層から反乱や離反が多発したんじゃないの?
川中島合戦の恩賞不足を愚痴った武将が殺されたり、その愚痴相手だった本庄が謀反したり
逆に謙信の戦略が安定して、北陸制圧一本槍に絞られる傾向が見えてからはこういった問題は目に見えて減少してるでしょ

129:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 02:32:30 yExKsNzd
神奈川県民的には上杉謙信(笑)って感じ。
小田原なめんな!!

130:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 07:54:16 /xBBN9LW
新潟出身神奈川在住の俺

131:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 09:34:52 M/4RXW43
上杉家はもともと神奈川出身だし、謙信の祖先の長尾家も
神奈川の長尾台が拠点だったんだろ?

132:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 11:14:36 FTIoVzuO
謙信軍が「相州亡国」といわれるほど略奪したからなぁ
地元出身なら尚更腹立つだろ
一応、弁護すると謙信も略奪を統制しようと制札を出してるが
11万の軍勢、しかも寄せ集めじゃあ明らかに謙信の能力を超えてる罠

133:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 11:19:44 yQuE41+E
え、謙信自ら奴隷市場を切り盛りしていたと文献にあるが
身代金は他に比べ格安だったとか

134:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/02 11:37:20 FTIoVzuO
>>133
それは小田城攻略の時の話
>>132は小田原包囲陣の時の事

135:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 00:09:35 2yuHyG+m
新潟(長尾)、茨城(佐竹)、千葉(里美)、群馬(長野)VS神奈川(北条)

136:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 07:50:45 XgrXlBkW
里『見』だ。二度と間違えんなよ

137:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 19:04:59 2yuHyG+m
北条「すまんね里三君」

138:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 22:38:39 IcaoudeY
藤木久志『雑兵たちの戦場』(朝日新聞社、1995年)を要約すると、

上杉謙信は関東に12回出兵していて、その内の10回は、
晩秋に出かけて年を超し、春か夏に帰る冬春型(長期越冬型)が多い。

明らかに戦いには季節性がある。

冬場の働き口などどこにもなく、まして飢饉・凶作の続いた戦国の村々に
とって、農閑期・端境期の戦場はたった一つの「口減らし」の場。

農閑期になると、謙信は戦争を正当化し、越後の人々を率いて雪の国境を
超えた。収穫を終えたばかりの雪もない関東では、かりに補給が絶えても
何とか食いつなぎ、乱取りもそこそこの稼ぎになった。




139:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 22:45:50 tWbOCgGo
>>137
北条w

140:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/03 22:48:46 MiZrmQGF
寒いところは大変だね

141:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 09:32:53 hl4iNRwR
なんで11万(笑)の軍勢が本当に集まったみたいな論調の奴が多いんだ?

142:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/05 02:54:18 ePcYffh2
手取川でも戦い起こってないし

143:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/05 14:01:14 f+aYbP4j
鎌倉九代記・関八州古戦録で11万3000と書いてあるからじゃないの?
他に7万とか9万とか諸説はあるけど
いずれにしても雑役夫とかの一時雇いの非戦闘員を入れたと仮定したとしても途方も無い数
せいぜい1万程度しか本隊兵力がいない謙信じゃあ統制不能なのも当然

144:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/06 19:18:37 o7nznIQv
>>133
そういう文献ってどこにあるんですかね?
謙信のことを調べようとすればするほど謙信マンセーのものばかり出てくるので
教えて頂ければ幸いです

145:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/19 02:16:39 mk6oH8sU
謙信の戦いには季節性があるっていうけど、それは昔から言われている
ことだ。川中島の戦いもそうだよ。

手取り川の戦いは、信長、秀吉ではなく柴田勝家と戦闘があったと思われる。
秀吉が勝手に戦線離脱したから、柴田軍は混乱して謙信との戦闘どころ
ではなかったのでは。

146:人間七七四年
07/02/19 08:49:52 //xZLte6
>>144
「別本和光院和漢合運」(「越佐史料」収録)
藤木久志「雑兵たちの戦場」にも解説が載っている。
武田信玄(「勝山記」「軍鑑」に高値で奴隷売買した例が満載)よりマシだと思うがね。

147:人間七七四年
07/02/19 10:30:28 F6+CLbt1
>>145
信長公記に記述がない
北陸の寺社にもまったく記録がない
手取川では戦闘がなかったんだろ

148:人間七七四年
07/03/03 03:05:27 1o5rbpm0
そうそう、兎ぶ長公記を見ないとwww

149:人間七七四年
07/03/03 15:03:06 VYpHoDh2
手取川合戦じたいの存在は怪しくても、
織田勢が撤退したのは事実だろ

150:人間七七四年
07/03/03 18:18:14 lej04zKJ
いずれにせよスレ違いだから、「手取川合戦」のスレへ移って論争したら。

151:人間七七四年
07/03/03 20:13:52 wTSEVXae
なんで奴隷の値段の高下でマシとかマシじゃないとかいえるんだ
やってることは同じなのに
これが贔屓を通り越した厨というものかw

152:人間七七四年
07/03/03 20:20:26 mcf419ec
五十歩百歩ほどの違いはある

153:人間七七四年
07/03/04 15:17:44 YnkHweJU
藤木久志氏は黒田基樹氏と「定本・北条氏康」を著している人だよね。
ところで後北条氏は関東管領上杉氏、里見氏、佐竹氏・・・の支配地域に
侵攻しおびただしい死傷者を出していることは不問なの。

時は400年以上も前の戦国時代、虐殺あり、謀略あり、寺院の焼き討ち
あり、何でもありだよ。


154:人間七七四年
07/03/04 15:46:02 qxuoaOST
藤木久志氏は略奪があったと言っているだけで
略奪を非難しているわけではない
もしかして現在の価値観で人狩りや侵略は
悪いことだと思っている?
昔はそれが普通なんだよ
朝起きたらご飯食べる
これと同じぐらいありふれた事だった

155:人間七七四年
07/03/04 15:57:21 knx6oqya
>>153
ナイーブな人だねって言われない?
それとも上杉や武田だけが悪く言われるのが我慢ならない?

156:人間七七四年
07/03/04 15:58:11 4PSstL7y
んなわけねーだろw
どこの土地の話しだよ
国に帰れ

157:人間七七四年
07/03/04 16:50:31 6pgAs2YS
>>91
一応氏照が越後に出兵している
追い返されたが
そして武田も金塊を納めてお引取り願った
あれは景勝の作戦がちだろう

158:人間七七四年
07/03/04 18:41:52 D7MrSMDk
信長が初上洛した時、礼銭とか無しで京洛から略奪しなかっただけで評判になるような御時世だからなぁ(それ以外では結構好き勝手やってたが)
略奪と無縁だった大名っていないんじゃない?
当時の価値観を考えると、やらなかったら清廉を通り越して異常

159:人間七七四年
07/03/04 19:22:50 hh8GjlM0
いや京の場合はちょっと特殊すぎるんで同列で考えるべきじゃないと思う。

160:人間七七四年
07/03/04 19:31:38 D7MrSMDk
>>159
何で?
まぁ織田軍の場合礼銭突っ返して町を焼いたこともあるから、そういう方向でも特殊っちゃあ特殊だが……

161:人間七七四年
07/03/05 13:39:22 NP4JQFqN
第四次川中島でも謙信は当初禁じてた略奪を途中から解禁している
兵士の士気を維持するためにも敵地でのご褒美は必須だった

162:人間七七四年
07/03/05 21:01:25 B+f7iMOY
上杉謙信は関東地方に略奪が目的でやって来る。義で行動しているわけではない。

藤木久志『雑兵たちの戦場』(朝日新聞社、1995年)を要約すると、

上杉謙信は関東に12回出兵していて、その内の10回は、
晩秋に出かけて年を超し、春か夏に帰る冬春型(長期越冬型)が多い。

明らかに戦いには季節性がある。

冬場の働き口などどこにもなく、まして飢饉・凶作の続いた戦国の村々に
とって、農閑期・端境期の戦場はたった一つの「口減らし」の場。

農閑期になると、謙信は戦争を正当化し、越後の人々を率いて雪の国境を
超えた。収穫を終えたばかりの雪もない関東では、かりに補給が絶えても
何とか食いつなぎ、乱取りもそこそこの稼ぎになった。


163:人間七七四年
07/03/05 21:36:02 opIsQPXm
なによくあることだ

164:人間七七四年
07/03/05 23:34:23 G44Nt1X/
ここも>>1の趣旨とズレ、つまらないスレになっちまったな。
信長、秀吉のスレへ遊びにいって来ようか。

165:人間七七四年
07/03/06 00:29:11 O0EHJMjp
>>157
なんかいろいろ誤認してるな
兵を出したのは氏邦(上州方面担当は氏照ではない)、
越後から追い返されたのは、武田が上杉に靡いて、景虎を滅ぼされた後

166:人間七七四年
07/03/06 00:42:20 2Ob9BpYO
>165
氏邦も出陣してるけど氏照はそんな一部分に限った存在じゃなく、
伊豆方面の合戦以外ではかなりの広範囲で行動していてかつ水軍も統括していて
重要な外交もたびたび担当していたところを見る限り、総合司令官的な存在だった節があるので、
上州でも普通に行動が記録されてるよ、このときもそう。
特に上杉に関係する事だと多く動いている様子もある。

で確かに景虎が討ち取られる数ヶ月前に行動してたはず、それは>>157に聞いて欲しいところだが。

167:人間七七四年
07/03/06 02:42:27 Eq5/jFMS
>>166
氏照が司令官的存在だったことは否定しないし、
外交では織田・上杉・伊達と方々の窓口になってるのも認める
しかし御館の時、氏照が具体的に何してるかわからないんだが

上野の景虎派諸将を北条に引き込んで、彼らを率いて越後に攻め入ったのは氏邦であって氏照ではない
そもそも、この頃は氏政と共に絹川在陣中だし
俺が知らないだけかも知れないので、氏照が動いているという根拠を教えて欲しい

168:人間七七四年
07/03/06 21:10:17 ppTEY8gw
まあ謙信とは無関係なわけだが

169:人間七七四年
07/03/08 21:23:21 ZMXK4VwP
URLリンク(page.freett.com)

170:人間七七四年
07/03/08 22:53:03 KnR03LxA
>>167
越後樺沢城や坂戸城で調べれば色々出てくるよ、
ちなみに佐竹を攻めてたのはその年の夏、越後への出兵は9月~10月
忙しい人ではあるが・・・。ちなみに春ごろは常陸を攻めてる、本当に忙しい人だw

上杉年譜にもあった気がしたし、北条方の記録でも残ってた気がする。

171:人間七七四年
07/03/09 20:52:54 KlciBV79
>>156
あれっ、小学生?  
織田信長、豊臣秀吉、毛利元就って名前くらいは聞いたことがあるだろ。
この人たちがどうやって勢力を拡大したか、ちょっと調べてみ。

172:人間七七四年
07/03/10 15:22:07 RNuhvvDm
氏政は何をする人なんだろう?

173:人間七七四年
07/03/10 17:35:16 DIYd5Dlx
湯漬けを食べる係。

174:人間七七四年
07/04/06 05:48:13 VMbDBYde
こらこら君達、戦国時代なんだから悪さの一つや二つあるだろう。
良い事も悪い事も当然、偽造は少なからずあるさ。

175:人間七七四年
07/04/06 06:57:32 VWvWrHtt
謙信の凄さを最も端的に語るなら、

当代屈指の名将であった武田信玄と北条氏康の2人を同時に相手して、
負けなかった(なお余裕があった)という点に尽きる

こんなことは謙信以外では不可能だ

176:人間七七四年
07/04/06 16:17:46 dXJfv4CL
そんなことより俺のチンコしゃぶってくれよ

177:人間七七四年
07/04/07 08:37:37 T/GVmoTV
その屈指の名将二人にいずれも自分から喧嘩売りにいったわけだからな
間抜けといえば間抜け
しかもその名将二人ならともかく、一向宗にすら勝てずに裏切り連発だし

178:人間七七四年
07/04/07 09:07:48 ctafUhYb
謙信は自分の領地で戦うことはほとんど無かった
敵に有利な相手の領内に遠征して、殺しまくり

179:人間七七四年
07/04/07 14:32:20 rVn2tMuB
>>178
関東にも元々勢力圏はあったわけだが。
謙信が領土を拡げないなんて与太話信じてるアホはもういないだろうけど。

180:人間七七四年
07/04/07 21:52:47 orK5dsaW
>>177
名将信玄・氏康と戦い、一向宗とも戦い、さらに裏切り連発。雪国で米も獲れない。(佐渡金山は景勝の時代)
越後をよく守りきったなと思う。

181:人間七七四年
07/04/07 22:37:32 6BBXTIMg
>>169
三郎景虎ステッカーまだあんのか
ミラヲタつえー

182:人間七七四年
07/04/10 10:45:24 HCVCUiUP
>>1
静岡

おにゃのこ♥ 萌え~

183:人間七七四年
07/05/20 23:35:32 Egm9ISYh
そんな頃、隣の「信濃(長野県の辺り)」から 「村上義清」 という人が尋ねてきます。
話を聞くと、「信濃を治めてたんですが、武田信玄 に攻められて国を取られました。 たすけて~」 と言います。
信義に厚かった景虎は、「それなら助けてあげましょう」と返答し、こうして甲斐・信濃を制圧していた武田家と、「川中島」という場所で何度も戦いを繰り広げる事となります。
有名な 「川中島の合戦」 ですね。

しかしその一方で、これだけ戦いながらも上杉家の領土はぜんぜん増えていませんでした。
上杉家は軍を進攻させて一時的に周囲を制圧しても、兵を引いた後にまた取り戻される、というのを繰り返していたからです。
これは、謙信の領土戦略の欠如と同時に、領土支配欲の無さもあったと言われています。
彼の戦争は信義や大義名分に沿ったものであり、領土を広げるためのものではなかったからだ、と伝えられています。


上杉 謙信は「義」に生きた武将として後世に知られています。
今川家が武田家に対し、「塩止め(塩の輸出禁止)」 を行いそれを周辺諸国に要請したときも、
「それで一番困るのは甲斐の国の民である。そんな事は出来ない」と言い、逆に甲斐への塩の輸出を推奨したと言います。
敵を援助する事を 「敵に塩を送る」 と言うのは、これが元になっています。
武田信玄 は死の床で、跡継ぎの勝頼に、「あんな勇猛な男と戦ってはならん。 謙信は、頼むと言えば嫌とは言わぬ。 謙信を頼み、甲斐の国を存続させよ」と遺言し、また北条氏康 も、
「謙信は請け負えば、骨になっても義理を通す。 若い大将の手本にさせたいものだ」と語っていたといいます

URLリンク(kamurai.itspy.com)




184:人間七七四年
07/05/21 15:33:26 FMgK6Aj/
ID:Egm9ISYh
キミ色んな上杉関連のスレageまくって頑張ってるねw

185:人間七七四年
07/05/25 04:06:39 AYzVyTVn
>>177
今さらだが、謙信から先に北条にしかけたわけじゃないだろ

186:人間七七四年
07/05/25 05:00:07 cqvcyNiP
北条から先に上杉に仕掛けたのは間違いないが、
謙信から先に北条に手を出してないか?

187:人間七七四年
07/05/25 06:49:45 RQXn7HCK
まだこのクソスレあったのか

188:人間七七四年
07/05/25 10:41:43 oyIbsPSz
>>186
具体的にいつよ

189:人間七七四年
07/05/25 11:20:53 s/rM6FXO
>>188
安土桃山時代

190:人間七七四年
07/05/27 00:35:59 BFqZDK7R
>>186
北条と上杉は対立していて、先に仕掛けたのは北条だが
その前から長尾と上杉も対立していた、いわば北条と長尾は共通の敵を持っていた関係に過ぎない。

それを自分から上杉を取り込んで敵に回したのは長尾だし、以後北条が長尾に敵対した訳でも無いのに
関東のもめごとに首突っ込んできたのも長尾。

191:人間七七四年
07/05/27 02:29:32 n61bDKUo
どっちから仕掛けたとか無意味だよ。
米軍と日本軍、どっちが先に手出ししたと言うのと一緒。答えは各自で違ってる。

192:人間七七四年
07/05/27 03:30:36 C3D5keu/
関東が結局北条になびいていったのは謙信の人格の問題ではなく
単純に距離と時間の問題。
謙信との直接対決は武田北条ともなるべく避けていたから
上杉軍の戦闘能力は相当なものだったんだろう。

193:人間七七四年
07/05/27 04:35:21 BFqZDK7R
北条方になびいていったのは小田原攻め失敗の後とか国府台合戦の後とかに
目に見えてなびいていってるので別に距離の問題とかではなく、単純に北条の勢力が優勢になったからだろう。

そもそも距離と時間の問題に20年以上経ってから気付くって関東勢は揃ってどんなアホの子ですかw

194:人間七七四年
07/05/27 06:05:04 pfV6+vip
>>190
まるで一方的に長尾が北条を敵に回したみたいなこと書いてるがそうとは言い切れないだろ。
天正11年に北条氏政の弟氏邦が元上野国衆の赤見山城守について
『先年越国へ越し候時分、御忠信申し上げ候、大聖院殿(北条氏康)御証文以下にも所持致し』と述べている。
つまり上野一国を勢力下に収めた北条氏が越後にも侵入していたことがうかがえる。
となれば謙信の関東侵攻は上杉憲政を関東に復帰させることを目的に行われたというのではなく、迫り来る北条氏の脅威に対抗するためのものであったと考えることができる。

195:人間七七四年
07/05/27 06:27:34 BFqZDK7R
>>194
なんかいまいち言いたいことがわからんのだが、
天正11年?謙信が小田原に来た20年以上後の話って事?

196:人間七七四年
07/05/27 06:34:55 WEUm1UFW
日曜の朝っぱらからよくそんな話できるよなw

197:人間七七四年
07/05/27 06:35:39 BFqZDK7R
平日の朝っぱらからやってるよりはマシだろw

198:人間七七四年
07/05/27 11:47:48 pfV6+vip
>>195
『先年越国へ越し候時分、…』は「小室開弘氏所蔵赤見文書」。文中に氏康のことを指す名前があり、氏康の代で越後へ侵攻が行われる状況は天文末~永禄初頭における上野経略の過程だと思われる。
上野国内では最北の国衆沼田氏などのように各国衆で北条氏派と上杉氏派の対立があったようであり、上杉氏派は自然と憲政を庇護する越後の長尾氏と結び付いたのだろう。
そしてその延長から北条氏の越後への侵入があったと考えられる。

199:人間七七四年
07/05/27 18:33:08 BFqZDK7R
>>198
前半は別に文句ないが最後の一行に対する返答が結局
「だからそれは謙信が憲政をかくまったから」
としか言いようが無いのだが。>>190の反論に全くなってない。

謙信が上杉を取り込んだのは1552年、その話は1550年代末でしょ。
もう敵対してて当たり前の時期。
憲政を取り込まなかった場合にどうなるかはこれはなってみないとわからない部分もあるが、
少なくとも取り込んだ史実の後は既に敵対国である以上攻められても文句は言えない。
その敵対した原因はそもそも憲政を取り込んだことにある
というのが>>190のレスの意図。その後の話をいくら書こうと少なくとも俺のレスの反証にはならんでしょうに。
1540年代くらいから越後に攻めようと言う話があったのなら別だけど。

憲政と北条氏の争いなんざ1530年代からずっと続いてる事だよ、
謙信なんか生まれてもいない。その憲政を取り込んだら北条氏が敵になるのは当たり前だ。

200:人間七七四年
07/05/28 01:49:21 KLapbleR
戦国の三強、信玄・氏康・信長をよくもまああそこまで苦しめたよ。
領土は取れなかったけど管領お疲れさん!

201:人間七七四年
07/05/28 16:37:22 NP5GF6PC
長尾が上杉を取り込んで北条を敵に回した?
もともと長尾と北条の関係ってどうだったの?

202:人間七七四年
07/05/28 22:59:59 ImOeLulU
謙信パパと宗瑞は共闘した仲

203:人間七七四年
07/05/29 00:29:16 qg8B6U3J
新潟の米うめえwwwwwwwwww

204:人間七七四年
07/05/29 22:11:22 6D5kY3V6
>>201
敵になったり味方になったり。
河越夜戦で越後長尾家も兵を出しているから、
憲正取り込み以前から北条と謙信が敵対していたとも言える。

205:人間七七四年
07/05/29 22:15:34 eW7yhz1r
マジっすか?それは知らなかった
上杉憲政亡命までは長尾と上杉は仲悪かったとばかり。

206:人間七七四年
07/05/30 02:58:21 suWCLsNX
>>204
そうなんだ。じゃあ別に長尾は上杉憲政を「取り込んだ」からそこで初めて北条を敵に回したとは言えないのかな

207:人間七七四年
07/05/30 07:12:00 JeuVHEMS
長尾と上杉の関係で言うなら為景の代では間違いなく敵。
だけど上田長尾氏などはその頃から管領よりだったので、為景とはぶつかり続けていた。

そのため為景が死に病弱な晴景が継いで以降は管領よりの勢力に押されているため
この時期は管領の影響を受けている時期になる、河越夜戦の時期もそう、謙信はまだ子供。

しかし為景の頃の勢力によって謙信が祭り上げられた以上、謙信はどちらを選ぶ事もできたと言える。

208:たこ
07/06/02 20:22:29 CqrLEuu+
>彼の戦争は信義や大義名分に沿ったものであり、領土を広げるためのものではなかった

禿げちげえよ!晩年は越中・能登・加賀を属国化したし
(魚津・七尾・石動山・松任の城には城代や目付け役を置いた。)
かつての不倶戴天の敵とことごとく手を結んで頼ってきた信濃や関東大名から呆れられた。
(北条、武田、一向宗など)

209:人間七七四年
07/06/02 22:19:17 /bUac4JE
計画性の無さは計画的だよな

210:人間七七四年
07/06/02 22:29:25 KrRdKcwT
純粋な戦術戦闘マニアだったから
あまり戦略には興味がなかったんじゃないの?
何にせよ、奇異な武将だ

211:人間七七四年
07/06/03 07:03:51 jmOCg9tg
>>208
越相同盟が締結されたのは関東諸候の大半が謙信から離反した後。呆れたのは謙信の方なんじゃね?

212:人間七七四年
07/06/03 10:17:31 Oh2sDo5b
どっちかというと越相同盟は、謙信の降伏宣言だからな。
だからこそ、北条の一族を後継者として認めたほど。
このまま負けるぐらいなら北条・武田の後ろ盾を得て
関東管領職の名を優先した。

213:人間七七四年
07/06/03 11:21:38 k01Oa65l
謙信のために何度も北条と戦ってきた里見に、越相同盟結んだら「北条と仲良くしてね」と書き送るぐらいだからな
そして里見は北条のために徳川と信濃まで出張って戦わされる属国同然に……
自主防衛をなんとかできた佐竹や結城はマシな部類

214:人間七七四年
07/06/03 17:31:16 BW/bZt42
結局どんな人間も年取ると我欲に勝てなくなるんだよ

215:人間七七四年
07/06/03 17:58:25 xCgk90/H
>>211
成田の離反は他の誰でもない謙信の所為だろ。
あと、効果的な援軍が全く出来なかったのも痛い。
そら、見切り付けられても仕方ない。

216:人間七七四年
07/06/03 22:43:23 oMAoZvMe
地理や当時の農業事情、領国周辺勢力との外交関係を考えると
効果的な援軍なんて無理だろ・・常識的に考えて

217:人間七七四年
07/06/04 00:41:24 4UtyW2ZD
>>215
成田って鶴岡八幡宮での一件のあれか?あれで謙信が短気な性格だってのがわかるな。

小金、臼井両城攻略に従属するほぼすべての関東の国衆を動員しておきながら攻略できなかったのが痛かったな。
その後、北条高広の北条方への寝返り、
佐竹氏も北条・武田両氏と和睦、
さらに謙信方の古河公方勢力だった簗田氏、野田氏、相馬氏も北条氏に従属…
この時点で謙信の関東支配は頓挫したな。
その後永禄11年には佐竹氏、宇都宮氏、小山氏、簗田氏が再び謙信に従属してきたものの謙信は関東に出陣せず。自身も関東は自分の手に負えないと思い始めてたんじゃないかね。

218:人間七七四年
07/06/04 01:17:41 5C/cP5Cv
つか、あれ作り話じゃないの?
あのあとすぐ普通に成田と手紙交わしていたはず。

219:人間七七四年
07/06/04 13:44:15 hbwzQ1VT
11万も持っていて3万程度の相手に勝てないなら、頼りがいが無いと見捨てられても不思議じゃない
支戦じゃ負けっぱなしだし、肝心の小田原攻めも進捗しない
もっとも謙信に忠実に働いた佐竹や太田さえ「このままでは兵站不足と裏切りで負ける」と撤退を進言したぐらいだ

220:人間七七四年
07/06/04 13:53:23 v4L/HKDa
海音寺潮五郎も成田の頭殴打事件は創作だとしてたな
実際に成田が離反したのはもっと後の話
故実に詳しい軍記作者が面白おかしく作った可能性が高い

221:人間七七四年
07/06/06 02:10:47 JSiudBUZ
>>219
小田原城をそこら辺の城と一緒にしてもらっては困る。

222:人間七七四年
07/06/06 03:03:15 IvyA7c+f
>>221
謙信が来た頃はまだ大した規模の城じゃない。
しかも謙信はまともに包囲できずに途中で瓦解してるから城あんま関係ない。

223:人間七七四年
07/06/06 08:35:44 Hcv0rbX5
逆に11万も集まったせいで兵站に過度の負担がかかって負けた、という意見もある
小田原攻めといっても食糧調達とかのために広く分散しないといけないから、封鎖とかができなかったんだとさ
それに支城群を殆ど落とせなかったから、後方は常に不安

224:人間七七四年
07/06/06 11:03:10 SA8yFSUQ
包囲したというより押し込んだみたいな感じかな?

225:仙台藩百姓
07/06/06 13:21:46 VcnDk5bo
そもそも11万と言うのが有り得ない数字だお( ^ω^)

226:人間七七四年
07/06/06 19:01:00 LBq33ltv
河越野戦の8万と言う数もおかしいしな。

227:人間七七四年
07/06/06 20:30:52 xsqtZA/w
五、六万位ならば居ても不思議ではないけどな、小田原攻めの時なら

まあその手の数字は誇張されていると考えて然るべき

228:人間七七四年
07/06/07 13:07:54 mo+mujt9
>>225
武蔵八王子城の攻城軍は前田利家、上杉景勝、真田昌幸と豪華メンバー。
伊達政宗も秀吉の要請でこの中にはいってないといけないのでは。
何か知らないけどもたもたしてたんだよね。

229:人間七七四年
07/06/07 19:40:32 7P5URcUr
>>228
何を言ってるんだ、お前は?

230:人間七七四年
07/06/08 04:34:47 U/zAlVRt
>>228
ワロスw

231:人間七七四年
07/06/10 17:13:09 NrcvvWLC
>>212
北条が大幅譲歩しているじゃん。北条軍が上野国から撤収し、里見氏にも領土割譲を約している。
もちろん関東での足場を失いつつあった謙信も助かっただろうが。
>>199
越後に隣接する上野沼田まで、北条の大軍が進出している。
「次は越後だ」と思って警戒するのが普通。武田の北信濃進出と同じだな。
「北条は関東以外には領土的野心はない」という奴もいるが、越後・甲斐は関東管領の指揮下であり関東に含まれる。




232:人間七七四年
07/06/10 17:56:01 QbFIA1ka
>>231
武田に対しても北条に対してもそれなりの外交努力をした上でそれなら
話もわかるし、武田や北条が旧来の敵だと言うならそれもわかるが、
勝手に警戒して疑心暗鬼になって、全部敵に回すのは普通ではない。

隣接した国で戦争あったら勝った国は全部敵ですか。

233:人間七七四年
07/06/10 19:58:27 9Tu+2tHu
武田や北条に対する外交努力って具体的に何よ?
もっと内容の有る書き込みしようぜ

234:人間七七四年
07/06/11 03:16:29 UMK7N8X4
>>233
状況で見てもあの時期では北条家は上杉が予想以上に大敗北をしたので、
上野の方まで一気に勢力は伸びたものの、武蔵東部・上総にかけてまるで安定して無い状況
その不安定な状況から越後に伸びるなんてまともな戦略眼を持ってたら犯すはずが無い愚策。
ひとまず越後長尾にまで喧嘩を売る理由など無い。

そこを考えれば長尾は越後への危機感を考えるならば不可侵を求める程度は大した問題ではない。
にもかかわらず、あっさり力を失った憲政をかくまい自分から敵対した。

そんで結局、関東の勢力を失って、外交をはじめて周り無視して越相同盟ときたもんだ、
でもその時でも北条はだいぶ譲歩してるのは上のレスでも言われてるとおり、
ここから考えても北条が戦略面で北に向かう事をさほど重要視してたようには思えない。

ならばもっと北条が安定して無い時期に外交で動いていれば無駄な戦いもなくすんだのではと思われても仕方ない。

235:人間七七四年
07/06/12 20:29:18 /VFEzdW6
北条は長尾を敵視していなかったと言うのなら、越後に侵入したのは何故?

236:人間七七四年
07/06/12 20:31:33 FRKV+N/m
二百程度のレスぐらい嫁

237:人間七七四年
07/06/12 20:38:05 /VFEzdW6
>>236は俺>>235に言ってんのか?

238:人間七七四年
07/06/12 21:36:20 FRKV+N/m
>>1に言ってるとでも思ったのか?

239:人間七七四年
07/06/12 22:20:27 mxLYf7tD
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
スレリンク(nanminhis板)

240:人間七七四年
07/06/12 23:36:21 Je1DpwK6
>>234
甘いな。
仮に謙信が憲政をかくまわずに、北条と手を組んだとしよう
そしたら北条は佐竹・里見を潰して、大軍勢で越後に迫るよw
三国同盟で甲斐・信濃には攻めれないから、残りの「関東」は越後だけになる。

241:人間七七四年
07/06/12 23:46:05 SLAkUKa5
>>240
なんで武田との同盟は尊重するのに長尾は無視すんの?

また長尾もムダに関東や信濃に関わっている時間が省かれるので北陸方面に
一気に伸びている可能性が高い。そこまでして越後を取る価値も無い。

242:人間七七四年
07/06/12 23:50:26 Je1DpwK6
>>241
北条が武田に宣戦したら、今川がどうする?
今川義元が北条に攻め込むよ
あと信濃を攻め落とした信玄にとっては、次の獲物は越後か越中だろ。
他にどこを攻めるんだ? 

243:人間七七四年
07/06/12 23:59:41 SLAkUKa5
>>241
長尾が上杉取り込もうが取り込まなかろうが
1560年代前に信濃を押さえきるなんてよほど巧くやらないと不可能
まだ上杉関係ない頃だってかなり苦戦してんのに。

244:人間七七四年
07/06/13 00:00:25 SLAkUKa5
間違えた>>242

245:人間七七四年
07/06/13 21:06:04 CPxjwU0X
>>242
美濃

246:人間七七四年
07/07/10 01:24:14 3Ii1/AkS
>>218>>220
遅レスですが、勉強になりました。

247:人間七七四年
07/08/07 03:25:10 Po21PwtQ
ほしゅ

248:人間七七四年
07/08/07 10:22:27 Y8ctkBxT
謙信の関東出兵への流れを見てると、謙信て意外にしたたかだなって思えたりするね。
まぁ結局氏康の方が一枚も二枚も上手だったけど。

249:人間七七四年
07/08/07 10:38:19 jUU4ATRJ
いや、関東の無能大名共がバカ過ぎ、もしくは節操無さ過ぎただけだって。
特に謙信の戦略に問題があったわけじゃないよ。


250:人間七七四年
07/08/07 10:42:07 JH/N11RZ
謙信は越後から略奪ツアーに出かけただけだならな
負けても戦略は達成している

251:人間七七四年
07/08/07 12:30:02 Y8ctkBxT
>>249
まぁ関東諸候は北条と戦う為に謙信を利用したみたいな感じだもんね。

252:人間七七四年
07/08/07 13:23:51 G7cPQyTR
謙信はバカだもんな

253:人間七七四年
07/08/07 13:37:10 /1dvjSif
>>250
>謙信は越後から略奪ツアーに出かけただけだならな

証拠史料は?
藤木久志が小遣い稼ぎに書いた新書は評価に値せんぞw

254:人間七七四年
07/08/07 13:38:41 rKb4mBT3
略奪ツアーってのは弁護だろう
真面目に制圧しにいって11万対3万でも勝てませんでした、諸侯を裏切りまた裏切られつづけました、じゃあちょっとw

255:人間七七四年
07/08/07 13:50:59 /1dvjSif
>>254
北条信者は自スレでオナってろ
スレリンク(sengoku板)

256:人間七七四年
07/08/07 13:55:35 Zk4VPPXq
小田原どころか、支城群すらロクに落とせなかったからな謙信軍は
越後から難所を越えて兵站を維持するのは困難だろうし
そもそも関東に手を出したのが間違い

257:人間七七四年
07/08/07 14:55:18 Y8ctkBxT
北条があわや越後にも…みたいな状態だから北条との対決も避けられないわな

258:人間七七四年
07/08/08 01:05:15 I/eB+qSa
氏康と謙信ごときじゃさすがに器が違いすぎる
簡単にあしらわれて腹いせに略奪三昧じゃな
なにが軍神なんだかな

259:人間七七四年
07/08/08 02:18:26 kK6uZNby
>>258
ふ~ん、略奪ねぇ…
今は北条が墓荒ししてたって話が出てるけど?

260:人間七七四年
07/08/08 05:42:34 UgtpijHR
平井城とか厩橋城とか氏康が長年掛けて攻略した城を速攻で奪い返した謙信
小田原に引き篭もってた氏康は正直泣きたい気持ちだったんじゃないの

261:人間七七四年
07/08/08 10:30:33 o5xCiOxa
11万対3万というのは、正確な兵数はともかく勢力差からすればだいたいそんなものだったようだから
氏康ピンチには違いないな
それでも耐えて勝っちゃうのが氏康のしぶとさ
謙信は最初から北陸一本槍で経略すべきだったんだよ
北条といい武田といい、越後一国よりは豊かで当主がかなり有能なところばかりとやりあってるから時間浪費

262:人間七七四年
07/08/08 11:45:55 AXq6B1IE
有名なのは関東で大量の人間を拉致して
謙信が自ら差配して奴隷として売りさばいた話しだが。

263:人間七七四年
07/08/08 12:57:42 kK6uZNby
>>262
> 有名なのは関東で大量の人間を拉致して
> 謙信が自ら差配して奴隷として売りさばいた話しだが。


どこで売りさばいてたの?誰が言ってたの?

264:Y ◆nzdGjBH722
07/08/08 13:33:57 nwLY7vr+

上杉謙信が小田城を落とした後、城はただちに奴隷市場に早変わりし、
謙信自らがその市場を取り締まるなどしていた。このときの奴隷は一人当たり20銭
まあ武田よりかは建設的だな。


265:人間七七四年
07/08/08 13:55:46 qvffCPFP
何が義理堅い聖将なんだかw聞いてあきれるなww
さすが歴史捏造がお得意の上杉様ですねw

266:人間七七四年
07/08/08 13:59:01 kK6uZNby
一人当たり20銭なら儲けなんかないやん。

267:人間七七四年
07/08/08 13:59:50 qvffCPFP
大量に売り捌けば・・・・、なw

268:人間七七四年
07/08/08 14:14:36 kK6uZNby
ふーん、でその儲けのない人身売買を何故してたの?他所みたいに値を吊り上げればいいのに。

269:人間七七四年
07/08/08 14:21:04 qvffCPFP
上杉厨ってマジでしつこいのなw

270:人間七七四年
07/08/08 14:27:12 kK6uZNby
>>269
悪い、俺別に上杉厨じゃないからw第一お前は回答なんか出来ないだろw

271:人間七七四年
07/08/08 14:37:24 HAWShxLx
馬鹿がアンチ上杉のコピペ見て調子に乗っちゃったって感じだな
どうせコピペ以上のこと知らないんだから問い詰めても無駄だろう

272:人間七七四年
07/08/08 15:18:15 kK6uZNby
そうだね。俺も略奪スレで勉強してくるわ。

273:人間七七四年
07/08/08 16:10:27 7fAt7CQU
謙信のやっていたのは奴隷売買と言うより、奴隷解放に近いんじゃないかね。
そんな値段じゃ管理費や食事代やらで大赤字やん。
この議論はすでに謙信批判スレッドでやってるから、そこ見てくれよ。

274:仙台藩百姓
07/08/08 16:17:01 QKH5hXhO
小田城の話しは藤木久志の著書が元ネタだろうけど
その中で藤木氏は一次資料は未読であると注釈を付けているお
記述は一部分だけで状況はさっぱり分からないし
信頼性に欠けるお
アンチも知ってて書いてるんだろうけど( ^ω^)

275:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/08/08 16:24:43 g77PJmrt
この本か?
「雑兵達の戦場 中世の傭兵と奴隷狩り」

276:人間七七四年
07/08/08 17:35:15 WsJvkghM
>>261
はじめは大勢力の上田衆を臣従させる目的だったんだよね
関東管領・上杉憲政が助けを求めてきたのを好機として
反抗していた上田衆に「管領を助けろ」と命じた
この命に従ったら春日山の配下に転落
逆らったら逆賊扱い
景虎を擁立した中越と上杉定実の頚城勢力を完全掌握して魚沼を叩き潰せる

あと景虎の親父が「主殺し」と蔑まれていた様子も有るので
関東出兵は上杉派と長尾派を纏める良い口実だったと思う
越後毛利氏や揚北衆といい、
越後における豪族の多くは鎌倉(関東)に拘りを持ってたし

収拾のつかない大乱が続いた為、春日山から逃げ去った商人達の逃亡先が
主に関東だったとか
景虎時代から隣国から商人を呼び戻し
租税免除、治安強化、道路整備、上洛後の交渉などで城下を復興>発展させている

277:仙台藩百姓
07/08/08 18:25:47 QKH5hXhO
>>275
うむ、それだ

ちなみに九州では一、二文で奴隷達が売買されていたとあるが
もはや商売とは言えないお(;^ω^)
飢饉で奴隷に食わす飯も惜しくて二束三文で売り払ったそうだが
足元見られすぎだお
と言っても関東にしろ九州にしろ
いくらなんでも誇張じゃないかと思えぬ事もない

278:人間七七四年
07/08/08 18:44:39 6nE5g0Ac
九州では奴隷をつれてきたはいいが持て余して
外国に売り払ったとかいう話が…
ただし謙信の小田城攻めの場合、小田城での捕虜を
小田城で二束三文で売り払っているので
実際売った相手は捕虜の親類縁者だろうな。
高値を取らなかった分十分に良心的だ。

279:仙台藩百姓
07/08/08 19:22:35 QKH5hXhO
どう言った人達が売買の対象になったのか
どの程度の人数なのかも記述がないから謎だお

280:人間七七四年
07/08/09 01:57:23 +lQ8aAGt
>>279
謙信の奴隷云々が話題だが、謙信は信長・信玄のような虐殺はしてない。
だからいい方だと思う。

281:Y ◆nzdGjBH722
07/08/09 02:22:57 Y+Iz3Ql2
>>280
自分はアンチ上杉ではないが、おまえそれマジで言ってんの?


282:Y ◆nzdGjBH722
07/08/09 02:36:42 Y+Iz3Ql2
>>277
大友宗麟あたりはバテレンと奴隷売買して兵器購入してたらしいが、
このときはどのくらいの値段なんだろ?


283:人間七七四年
07/08/09 02:40:51 Y8dCB0lg
上杉の人身売買だが、自分はちゃんと自分の目で読んだわけではないので
間違いはあるかもしれん。
史料には「御意にて人身売買をニ十銭で行なった」としか
書かれていないそうだ。
で、人身売買をなされた時の状況は常陸小田城が和議によって開城された時、らしい。
攻め落としたわけではない。
それでもって開城前に上杉が小田城を落とす→小田勢が取り返す→上杉が落とす…を
数か月でニ、三回くらいやっているw

状況的には奴隷市というより安値で双方の捕虜を交換したんじゃないかと
予想するわけだが、どうだろうか。

284:Y ◆nzdGjBH722
07/08/09 02:48:14 Y+Iz3Ql2
捕虜交換というと確かにあの安さでも納得するわ。手間賃とか養い賃程度なわけか。
しかしそうなると気になるのが上で挙げた大友と、武田のありえないほどの奴隷に対する身代金だな。
武田はそんなに人手足りないのか?




285:人間七七四年
07/08/09 05:44:51 CQ25HDZ3
>>280
謙信の民衆虐殺って堺で暴れたくらいか
でもこれは虐殺ってほどでもないし

黒田一族、長一族らを族滅したり
騎西城での勘違いも有ったようだが
これは武家の妻子だしな

286:人間七七四年
07/08/09 10:59:22 /Kfp3hmh
謙信は聖将ではない
裏切りも略奪も粛清も普通にやった、普通の戦国大名
変に持ち上げる連中が結局おかしくしている

287:Y ◆nzdGjBH722
07/08/09 13:32:50 wPbmjhtM
むしろそんな普通の謙信がいいんだがね。


288:人間七七四年
07/08/11 01:30:09 qd33Ojjo
>>274
へえ、藤木氏は一次史料未読なのか…。
確かに信頼性にかけるわな

289:人間七七四年
07/08/11 11:43:27 7h1OQ/WM
釣られるなよ
一次史料の写しが幾つも載って引用されているんだから
未読なんてありえない
実際に読めばこんな馬鹿なアンチの言い訳に引っかかるわけないのに

290:人間七七四年
07/08/11 11:52:53 Bxgbao1l
???
でも未読という注釈を本人がつけてたのも本当なんだろ?
どっちが正しいんだ?

291:人間七七四年
07/08/11 12:40:39 TXtg0+df
んーと。例えば重要文化財指定で実物が中々拝めないからどっかの写しを史料として使った
そういうことを素直に説明した箇所をアンチが全体であるかのように印象操作したとか?

292:人間七七四年
07/08/11 13:03:31 neKWniCJ
確認してみたので引用

>『越佐史料』四、五五三頁、なお原本の所在は不祥。検討の余地がある。

293:人間七七四年
07/08/11 13:14:47 TXtg0+df
>>292
ありがとう
かなりニュアンスが違うな
原本不詳の写しだから、原本は違うかもしれないよってことか
これを未読って……w

294:人間七七四年
07/08/11 14:20:35 HJKkzL7d
でも実際越佐史料の記述を奴隷市と解釈するのは
無理があるけどな。
背景を調べずに「人身売買」の一言で脊髄反射で
奴隷市だの書いたとしか思えん。

295:人間七七四年
07/08/11 16:44:42 XshqG38f
能登の何とか村で庄屋の首を刎ね、
村を焼き討ちにしたのも謙信じゃなく畠山義総だったし
変な言いがかりが多いね
衆道説も嘘臭い

296:人間七七四年
07/08/12 17:14:10 337f7ZrU
衆道に関しては、近衛前久書状でさえ言及されているからガチ

297:人間七七四年
07/08/12 17:42:13 9ylqkvr/
関白近衛が「謙信は若衆がお気に入りのようだ」と書いたといっても
関白と将軍に招待された宴会で、用意された若衆接待で
立場が遥かに下の謙信が嫌な顔するわけ無いじゃん、というツッコミもある。

298:人間七七四年
07/08/12 20:39:00 4rcpu5BZ
謙信義将説は、信玄を持ち上げた甲州流軍学跋扈が気に食わない徳川の若様が対抗してやったもの
味方の城を攻撃して皆殺しにしましたとか、気に食わないってだけで町に火をつけたりとか
同時代の謙信観って逸話から見るに田舎の乱暴モノ以上ではなさげだ

299:人間七七四年
07/08/12 20:56:21 qcLHq36A
>味方の城を攻撃して皆殺しにしましたとか、気に食わないってだけで町に火をつけたりとか

これの同時代の史料は何?

300:人間七七四年
07/08/12 21:20:11 me39zqJF
謙信は父親の葬儀にすら謀反を警戒して鎧を着けて出なければならないような環境で育った。
必然的に信義に薄く猜疑心が強い人間となった。
史実の裏切りや粛清は、まさに狼のような戦国武将そのもの。
一方で切れると一切を放り捨てて出奔するとか浮き沈みが激しい。
近づきたくないお人だったんだろう。

301:人間七七四年
07/08/12 21:52:10 aL/xjlF+
>>296
衆道に関しては、近衛前久書状で「しか」言及されていないから怪しい

この酒宴で若衆を呼んだのは将軍・義輝
義輝は寵童が判明してるガチホモ
権威の後ろ盾が欲しい謙信は義輝にゴマを擦る立場

父・為景や兄・晴景が国内で軽視された分、
それを継がされた謙信は苦労が絶えない

302:人間七七四年
07/08/12 22:10:16 kmyI9wmx
当時の嗜みの一つをなぜにそこまで必死に否定するのやら
江戸時代に陰間茶屋だっけか、普通に存在してただろ?

303:人間七七四年
07/08/12 22:23:14 wnF9xlqX
当時の嗜みの一つと言ってもみんなやってるみたいに言うのはどうかと。
衆道やってた証拠が残ってる奴なんて少ないのに。

304:人間七七四年
07/08/12 22:35:08 kmyI9wmx
いや、だから別にマイナスでもなんでもないことを否定する必要ないだろ?


305:人間七七四年
07/08/12 22:41:08 aL/xjlF+
>>302
謙信が衆道を嗜んだとする証拠が少ないから

呼ばれて酌させたくらいしか記録が残ってないのに
何故か謙信はホモ狂い扱い
これって変じゃない?

信玄、信長、家康、政宗、義輝の寵童はウジャウジャ分かってるし
養子・景勝どころか父・為景の寵童でさえ分かってるのに
謙信だけは一人も居ない

306:上杉贔屓
07/08/12 23:48:43 iNU9N4bJ
ようするに「妻帯しなかった=ホモに違いない」ってに勝手に判断してしまうんじゃない?

307:人間七七四年
07/08/12 23:53:57 kmyI9wmx
>>305
いや、当時一般に広まってた風習なんだから
それに建前不犯を信条としてたんじゃないのか?
なら隠しに隠すだろ

308:人間七七四年
07/08/12 23:56:06 l4vHrGeJ
>>292
”別本”和光院和漢合運か。
本当に存在するのかな?

>>294
確かにお粗末だね。

309:人間七七四年
07/08/13 00:01:43 FUoq6+O4
坊さんの間でも衆道は一般的だったので、信心深いだけにそっちに抵抗はなさそうと言うのもある。

310:人間七七四年
07/08/13 01:25:48 SuBw9YXv
坊主の正式な風習では男でも稚児灌浄を受けてから坊主になるまでの子しか
観音さまの化身じゃないから抱いちゃダメだったんだろ?
正式な手順をガチガチに守ってたら男にも手を出さなかったかもしれんよ。

個人的には単に性的不能だったんじゃないかと思ってるが。

311:人間七七四年
07/08/13 02:07:59 ZVwn6CbF
>>307
妻を持たないから男狂いだ「と思われる」
当時は常識だから謙信もやっていた「と思われる」

要するに、この程度のレベルなんだよな
何とかして謙信はホモ狂いだと設定したい連中は

312:人間七七四年
07/08/13 03:59:40 GN1EA8eF
信玄みたいに書状でも残ってたら黒なんだけどな
この人高坂だけじゃなくて他にも何通も寵童に宛てた手紙残されてるし

313:人間七七四年
07/08/13 11:48:42 C6ECyNCn
謙信なら異常でも仕方無い
そう思わせるのは「謙信は戦国期に稀な義将」という<ノ丶`Д´>ノ マンセーの裏返しだからな
どっちみち変人扱いされる謙信可哀想

314:人間七七四年
07/08/14 01:29:52 qGAJ8tH0
天才が変人なのは常識。

315:Y ◆nzdGjBH722
07/08/16 02:56:16 ElGeGKgC
>>313
秀吉が戦後になってやたら嫌われだしたのと同じだな。
ただ証拠となるものが残ってない以上謙信のが可哀想だが。


316:人間七七四年
07/09/17 09:18:39 UWJ8uXl8
謙信タンは女の子だからホモなんかじゃありませんっ!

317:人間七七四年
07/09/17 18:48:27 suHTUQ3v
実は仙桃院が変身すると謙信になる件

318:人間七七四年
07/09/17 22:49:44 eo15+WUx
長尾政景との政争は実は単なる痴話喧嘩だったのかw

319:人間七七四年
07/09/18 23:11:51 2DJAB+N0
謙信(仙桃院)が家出したときには まだ幼い乳飲み子をかかえた政影大慌て・・・ こんなときは全速力で追っかけて頭下げるのが世の男の常。

320:人間七七四年
07/09/18 23:19:49 2DJAB+N0
注  

実は景勝には病気で亡くなった兄がいたんです。

321:人間七七四年
07/09/18 23:30:02 2DJAB+N0
新説 

上杉謙信とは・・・・・・・・・・・・・・・仙桃院に神が降りてきて変身!

これですべての 謎がとけた・・・

学会に発表しなきゃ。

おい、俺が 何も考えてないときにパッと閃いた学説 出し抜いて先に発表すんじゃねぇぞ!

322:人間七七四年
07/09/28 00:18:38 BsOXUSzv
仙桃院で思いついたけど、景勝と景虎が争った際に北条が本気で援軍を出さなかったのかが気になる。
うまく景虎が上杉家当主になれば、越後・越中・能登・飛騨・加賀の一部まで北条の手に入るんだぞ。
すごいもったいないと思わないか?

そして武田勝頼と手を結び、北陸道から上洛を企図することも可能だ(成功・失敗は別として)



323:人間七七四年
07/09/28 03:29:58 VWDA6moR
それはおれも思った。


息子のクーデター止めさすために敵方に身をよせた喜平次ママ
人妻献身、仙人桃尻。

324:人間七七四年
07/09/28 12:19:51 cforPDn7
桃尻!!!

325:人間七七四年
07/09/28 12:43:20 0C23kCKa
>>280
仁田山城で虐殺している。

このスレではちょくちょく謙信が越山での上野攻略の話が出ているが
上野でも結構な勢力が謙信と戦って没落しているよ。
謙信越山の時にすぐ参陣したのは白井・総社・箕輪だけで、後は大抵北条方だった。
まず綱成の次男、北条康元が入っていた沼田倉内城を攻略し、岩櫃城以前の吾妻の拠点、岩下城に
明間城を攻略、厩橋城の厩橋長野氏は戦わずに開城、那波氏は早い時期に北条についていて
管領家と対立していたが謙信の攻撃によって開城、没落し、館林城の赤井氏も滅ぼされている。
すぐ降伏した厩橋長野も那波攻めの最中に暴れ馬が出たことで謀反を疑われ殺され滅亡。
結果、沼田、厩橋(那波領、大胡領含む)は謙信が支配下においている。
一方、小豪族が点在する西上野では倉賀野城を北条から取り戻して倉賀野直行に返し、
1558年頃に武田に味方した安中氏庶流を攻めて安中氏の嫡流に城を返している。
(ただしこれらは別働隊がやったのかもしれないが)

326:人間七七四年
07/09/29 21:53:15 LnP7Fe3K
>>325
詳しく乙
謙信の猛攻はすごいなw


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