07/02/17 07:18:33 OT1gwRse
信長公記はともかく多聞院日記は秀長への悪口で一杯だからな・・・
同じ太田牛一の大かうさまぐんきのうちでは記述有ったっけ
256:人間七七四年
07/03/23 23:34:42 hjMIcpht
秀長は
「いたずらに外国と争い、人馬や兵糧を費やすことはおろかなことである。
損失ばかり多く、何も得るものはない。
和議を講じて交易を行うことが富国の一番の道である。」
として病床にありながら朝鮮と戦を行うことに反対していたという
URLリンク(homepage1.nifty.com)
257:人間七七四年
07/03/24 03:46:38 a/1sUn+Z
>>255
多聞院日記には秀長が死んだときに大量の金銀が蓄えられてるのを非難して、
「あさましいことよ」って逝ったんだっけ
自分は原本は読んだこと無いが、司馬遼太郎の「豊臣家の人々」の秀長の話で読んで腹が立ったのを覚えてる
まあすぐ司馬本人に「あさましいのはむしろ秀長から金をせしめ取ってきたこいつらの方だ」と書かれてたけどw
あれはいい小説だった
>>256
ソースは何だと聞きたいな
258:人間七七四年
07/03/24 10:03:16 eqtddDdn
>>256
たしか、武功夜話だな。
前野に言ったセリフ
259:人間七七四年
07/03/31 21:28:39 PKpUhUfN
愚かなこととわかっていても、方針転換が難しいのが現実の政治。
260:人間七七四年
07/04/05 16:57:13 rwMEe8yE
>>258
ちょっと後世の創作くさいな。
261:人間七七四年
07/04/06 21:52:35 wzVPCu9u
秀長なら、解っていたのでは?半島のアホさが
262:人間七七四年
07/04/06 21:54:44 vPtvZGd3
大納言さえ健在であれば・・・豊臣の治世が続いたことはいうまでもないのである。
あぁ、大和大納言。
263:人間七七四年
07/04/06 23:15:11 O70ROLVX
秀吉は実は無能で、実力者秀長の操り人形だったんじゃないの?
264:人間七七四年
07/04/06 23:31:32 RFDVvVSI
九州征伐後の尾藤知宣の処遇には秀吉と秀長の微妙な権力関係が反映してると
考えるのはうがちすぎだろうか
265:人間七七四年
07/04/07 07:04:53 cWDaNim/
>>263
「そのとき歴史が動いた」で小和田氏がそんなこと言ってたな
秀吉みたいなのは戦国時代に幾らでも居るとか何とか
秀長の功績が長年、評価されなかったことからの反動も理解できるが・・・
秀長ファンはちょっと調子に乗りすぎて秀長を過大評価しすぎ、秀吉を過小評価しすぎ
266:人間七七四年
07/04/07 07:55:16 aYrudi2T
劉邦あっての韓信、蕭荷、張良
267:人間七七四年
07/04/07 08:49:38 DxUvJ5Dr
武将としての力量は徳川家康に匹敵していたほどの大物
四国も九州も独力で平らげる軍事的才覚を持ち、
家中統制能力は秀吉以上
まさに豊臣家の屋台骨だった
秀吉没後も健在なら家康が付け込む隙など微塵もなく、
豊臣家は安泰だった
268:いえやす
07/04/07 10:48:12 Mn4beoQi
健康管理も武将の大事な心得のひとつです。
269:人間七七四年
07/04/07 12:10:18 bBocriD+
秀長の死因は結核か何かでしょ
肺の病はあの時代本人が気にしてもどうしようもないからなあ
まあ健康に気をつけてた家康は偉いと思うが
270:人間七七四年
07/05/06 19:21:15 ASY6ZRTh
271:人間七七四年
07/05/14 19:48:52 70aeygUF
豊臣家の重責を一人で背負い込んで過労と心労で早死にしそうだが
272:人間七七四年
07/06/26 05:02:55 yFMrQBud
273:人間七七四年
07/08/02 12:01:26 n5B598wp
☆
274:takeda
07/08/02 12:23:40 U/pb6fzr
家康が最も恐れた男秀長、氏郷、利家、幸村、光秀、昌幸、氏照、信玄、マサカゲ
275:人間七七四年
07/08/02 21:32:19 iriRUNKV
どんだけ恐れてるんだよw