06/10/11 18:10:54 a2o9+myj
>>63
それにすら勝てずボロ負けした李朝・・・(涙)
朝鮮征伐を成功させる為に必要な点は
・秀吉の存命
・航海技術の向上
・明への根回し
65:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 04:30:53 NWZzn66X
成功しとくべきだったよな
秀吉殿下は400年後の朝鮮の横暴が分かっていたに違いない
66:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 08:31:44 fA2nPQHN
たしか文禄の役じゃ朝鮮の民は日本軍の道案内をしてたって聞いたけど。
それが確かなら、民を味方につけることができれば朝鮮半島を手に入れることは不可能じゃない気がするな。
67:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 10:37:12 T1vk+VuJ
朝鮮もそうだけど、
当時、高山国と言われてた台湾も支配して欲しかったよな
高山国は、明とは独立してて別の国だったし
王朝といえる政府もなかった。
しかも当時、一部の国以外とは鎖国していた明の密貿易の拠点になっていたんだし
鹿皮はじめ、貿易の特産品や立地も、かなり重要だったのにな。
68:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 10:45:02 T1vk+VuJ
それだけ重要で、しかも
薩摩の琉球征服と同じくらい簡単に征服できたはずなのに・・
また秀吉はルソン(フィリピン)国王に対しても服従するように使者を送ってるくらいだから
南海制覇にも興味があったので、足がかりとして
琉球→高山国→ルソン
と、支配を拡大して欲しかった
第二次世界大戦以前、大日本帝国は朝鮮、台湾を植民地としていたが
朝鮮国民は、日本に対して反感的だが
台湾国民は、日本の支配をとても好意的(比較的)で
太平洋戦争の特攻隊志願兵も数多くいたそうだ
69:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 10:58:46 T1vk+VuJ
また当時から(戦国末期)ルソンはじめ、シャム(タイ)、ベトナム、カンボジア、ミャンマーと
東南アジア各国には、数多くの日本人が生活していた
その多くが、主家を滅ぼされた武士であったり、キリシタンであったり
商人、農民と、日本では生活できなくなった者が大半を占めていた
当時最大と言われていたカンボジアの日本人町には、大よそ5千~1万人くらいの日本人が生活していたと言われている
70:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 11:04:15 T1vk+VuJ
その中で、日本人の主(重要)な仕事が、王宮警護に携わる兵士だった
日本人は長い戦国時代で鍛えられてるから、戦が強く
現地人では全く歯が立たなかったらしい
その中で、最も有名な男が、シャムで活躍した山田長政だろう
彼はシャムのアユタヤ王朝の要職につき、最高位を貰うほど出世していたが
志半ばで毒殺にあい、非業の死を遂げはしたが
シャムの貿易管理を全て任せられ、隣国ミャンマーとの戦が始まると
必ず、最高責任者として戦い勝利を収めたそうだ
シャム南部で反乱が起き、その鎮圧の成功の暁には
シャム南部の日本人自治政府を約束されていたそうだ
鎮圧直後に暗殺にあい、その約束は叶わなかったが
日本人の他国進出の夢を叶える意味では、非常に残念な死だったと思われる
71:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 11:09:38 T1vk+VuJ
もし仮に、徳川政権が鎖国政策を行わず
その東南アジア各国との貿易が継続されたならば
日本の国際化は、飛躍的に進み
航海技術はじめ、いろんな文化がもたらされただろう
その後に、改めて
朝鮮侵略を行えば、必ず成功したと思うのだが・・
72:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 11:42:53 J/QYlUD7
国内に入る南蛮の尖兵(宣教師)をどう捌くかが問題。
徳川の貿易縮小政策も南蛮スパイ(宣教師)の排除が目的。
73:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 11:43:40 1X3C1w1d
ちなみに、当時の李朝は明の許可が無ければ
鉄砲を保有できなかったというようなことを聞いた覚えがある
74:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 20:43:29 c/+0kliq
三戦板のスレじゃ、倭寇の規模のでかいようなことをして、
明の沿岸を荒らし回って嫌がらせを続け、音を上げた明朝から、
お小遣いをせびり取ろうというような方向に議論が進んでいた
75:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/13 18:19:31 iX02oGN1
秀吉の南方進出ね・・・南蛮の最先端の航海技術の取得が出来なかったから海上移動が最も短くて済む朝鮮ルートからの唐入りを選んだ。
長期外洋航海技術の提供を受ける事が出来たら
琉球→高山国(台湾)→東南アジア
って出征していたかもね。東南アジアでヨーロッパ勢力と戦争になっただろうけど。
76:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/17 06:24:58 m0BIyLem
鎖国によって数万いたと言われる東南アジアあたりの日本人が切り捨てられたからなあ。
結果東南アジアの各国は西欧に食われてしまった。
小説で大久保長安とか政宗が大阪城の莫大な金銀を駆使して海外貿易に乗り出す
計画を練ってたよ。
当時浪人が30万は居たわけだから、船と金と兵はそろって居たわけだ。
やってれば日本も植民地一杯もってたかな。
77:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/17 09:35:00 kYXN1Ba9
政宗は結構真剣に考えてたかもな
独自に使節団立てるくらいだし
78:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/17 10:19:10 giAR5Z7p
恒常的に大陸の勢力と向かい合うことになったら、政治的軍事的負担は相当なもの
あまり良い未来図は想像できない
79:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/17 11:18:55 kYXN1Ba9
てか、10年くらいで銀が無くなって見向きもされなくなったんじゃないか
南蛮貿易での金銀流出量は半端じゃないし
当時の世界で流通していた金銀の大部分が日本産という話もある
おかげで江戸時代は慢性的な金銀不足だった
当時の最大の輸入品って生糸なんだよな
戦国時代が終わってからはさらに輸入量増えただろうし、
致命傷になったんじゃないか
80:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/17 12:46:30 3V2MxFWb
文禄・慶長は生糸戦争かも。
中華を支配と景気の良い事言って主に恩顧の諸侯を動員、中原で生糸の生産技術者を拉致。
中華と優位な講和を結んだ後、国内の生糸の生産を豊臣一門が一手に握るのが目的か。
81:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/18 02:05:36 HYejoTEI
台湾だけなら鄭成功の援軍要請に呼応してれば版図に出来てたんじゃない?
82:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/23 02:40:30 11eqcS1I
航海技術と本土の距離から維持が難しい。清とやり合ったら距離の差で確実に負ける。
83:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 05:37:22 GhJ8DhP8
>>45
負けちゃいない、諦めたんだよ。
84:人間七七四年
07/02/28 05:27:44 ZBB3sbR0
自倭乱朝鮮七載, 喪師数十万, 餉数百万, 中朝与属国無勝算, 至関白 死而禍始息