07/07/21 04:12:01 9dVjXg6b
氏康は信玄に暗殺された。
怪しい点を纏める。
北条氏康が倒れたのは脳卒中、当時の技術で3年もしにかけてから生きられるか?
北条氏康は三増峠で戦っているが、脳卒中で倒れて病状進行中の人間がどうやって戦うのか?
北条氏康はその後表舞台には出てきていない。
上が事実なら戦えるはずなのに氏政が武田と戦っている。氏康ではない。
なぜか氏政は武田と講和城も明け渡しているし上洛時は援軍も出している。氏政は武田贔屓だった。
氏康が暗殺されたなら、薩多峠後の消極性もぴったり来る。
武田勝頼との争いでも武田贔屓を氏政が行っている。
氏政は氏康に離婚させられており怒っていた。
氏政の嫁は武田出身である。なぜ離婚なのか?女性なので家を乗っ取られることはなく人質として取ってあるなら利用できるはずである。
武田信玄との争いは駿河を切り取られたといえど、まだまだ有利な状況である何故だか圧力すらかけず一方的に和睦している。
氏政は武田信玄が死んだをうそだと思っていた
越相同盟では氏康時代は上杉はいろいろやっているのに氏政時代はボイコット
氏康と信玄の戦いには俗説が多い。死んだのではないか。
いつ死んだのかが明らかになっておらず遺言すら氏康は残していない(信玄と和睦せよとの遺言は捏造)
氏康は信玄との敵対姿勢を信玄が同盟破りをした後は和睦しようとすらしてない
信玄は1571年には北条をほうっておいて徳川領に出兵している
いきなり権力が氏政に移っている。
武田の都合のよいときに死んでいる
氏康は当時57歳。不摂政でも病弱でもなくまだまだ死ぬような年齢ではない。
北条氏康も武田信玄も駿河に固執しており利権衝突が起こっていた
北条氏康は当時武田を外交で追い詰めていた武田にとっては目の上のタンコブであった