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遠江諸氏の動向について、追加
原川氏
原川を拠点とする小豪族。当主・讃岐入道は、氏真が掛川に入城すると掛川へ駆け付けた。
掛川城守備戦での奮闘により氏真から感状と領地を賜るが、結局
今川家が領地を全て失ったため、領地を得ることはなかった。
講和により掛川城を退去後、帰農した。
武藤氏
真田を拠点とした小豪族。当主・氏定は徳川勢の勧告を拒み、
小国神社に立て篭って抵抗したが、結局は講和した。
その後、高天神城が武田軍によって陥落すると武田へ奔り、高天神の守将の一人となる。
徳川軍による高天神城奪還の際に氏定は戦死。
残された一族は帰農した。
大沢氏
堀江を拠点とする豪族。当主・基胤は氏真の来訪を迎えたりもしたが、
直後に家康の調略を受けると、あっさり降っている。
今川の配下になる前から同じ地を領しており、それが堀江藩として江戸幕末まで存続し、
転封も受けなかった稀有な一族である。
余談だが、子孫は大政奉還に際し、万石事件という過大申告不祥事を起こしている。
湖西朝比奈氏(仮称)
掛川朝比奈氏の分流で、浜名湖西岸、宇津山城を巡って紛争した一族。
1562年、当主・泰長の死去により孫太郎が後を継ぐが、
翌年、家康に通じた弟・孫六郎(真次)に討たれる。
これにより宇津山城は一旦は徳川傘下に入るが、
さらに翌年、氏真の命を受けた大原次良に討たれた。