07/06/08 07:22:11 kYwqzG2W
平安時代から室町時代までは、
基本的に兵農分離でした。
鎌倉幕府創立までの戦いにおいては、もしかしたら多少の動員はあったかもしれませんが、
特に記録はありません。
そこらの野武士を、傭兵として使う事はあったようです。
応仁の乱以降、戦国時代になっていく中で
より戦力が必要になってきました。
ここで、農民の動員が始まります。
一方が、大量動員すれば、相手も大量動員しないと対抗できません。
こうして、農民の動員が増えていきます。
地侍は、そもそも半農半士的なところがあります。
織田家全盛の時代では、
柴田領の越前で、行われました。
理由は、一向一揆の防止です。
以降は、太閤検地まで待つ事になりますが、
平和になった土地から徐々に自然と動員が減り、兵農分離されていったと思われます。