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>>793-796
駒苫・香田監督辞意 常勝の重圧、心身限界(08/14 10:21)
三十六歳の名将は疲れていた-。退任の意向が明らかになった駒大苫小牧高野球部の香田誉士史監督。
北海道勢として初を含む夏の甲子園で優勝二回、準優勝一回と輝かしい戦績を収める一方で、飲酒や喫煙、
体罰とチームの不祥事も続いた。注目を浴びる中での栄光と挫折、その重圧は想像以上のものがあった。
「ずっと監督でいるということではない。辞めるときにはサッと辞める」。昨夏の甲子園で香田監督の発言に
驚いた記憶がある。その年の暮れ、小玉章紀校長もこう漏らした。「監督は相当疲れている。いろいろ積み
重なって肉体的、精神的に限界を超えている」
その二年前、二〇○四年夏の甲子園。道内勢初の全国制覇に、北海道が揺れた。祝福に充実感を感じる
一方、常勝への期待は重荷にもなった。
翌春のセンバツ、香田監督は血を吐いた。大会後「精神的にも肉体的にもかなりきつい。このままでは
倒れてしまう」と上司に進退を相談した。併せて「自分が勧誘してきた一年生(現在の三年生)が最後の大会を
終えるまでは、責任を持って指導したい」とも。その時、既に今夏での退任を決めていたのか。
その後の二年間は絶頂とどん底をジェットコースターのように上下する激動の日々だった。夏の甲子園連覇。
直後に元部長の暴力事件が明らかに。国体、明治神宮大会では再び全国制覇したが、○六年三月には部員
の飲酒、喫煙問題が発覚してセンバツを辞退、自らも辞任に追い込まれた。
復帰後は、夏の甲子園で早実との決勝再試合を演じて準優勝。再び全国をうならせたが、秋には、部員の
喫煙問題が明るみに。野球だけでなく私生活にも目を光らせる。百人を超える部員は手に余った。
昨冬、香田監督は職場配置の調査書類にあらためて退任希望を記した。試合や練習が続き、休日は皆無に
近い。大会出場などの節目には、支援者たちに礼を言って回る。心労は積み重なり、十二指腸かいようを患った。
「揺れるのが怖い」と元来、苦手の飛行機にも乗れなくなった。今回の甲子園にも選手とは別に鉄路で赴いている。
(つづく)
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