07/06/07 23:45:25 nM65J4HW
>>336
6300 は格下げを考えては作ってないし、当時の京阪間輸送は京阪も阪急も遠近分離が当然であったし、日中に関しては国鉄もそうであった。
6300投入前210パーセント近く有った最高混雑率も投入後6年で170パーセント台まで激減している事を考えたら、6300が混雑の元凶どころか、
この当時の阪急は混雑に適正な手を打っていたといえる。
何度も言うが、このような後知恵的批評はあまりに当時の事情を知らなさ過ぎる。
6300系のデビューは昭和50年だから、2800系の先例から15年くらい特急として使う事は考えてたであろうから、
それ以降の環境の変化に対応できなかったのは、適正な車両計画を欠いた阪急電鉄の経営の問題であり、それに引きずられた6300系はむしろ被害者。
昭和50年代中ごろに国鉄が民営化して今日の京都線のような輸送体制の激変があったならば6300を投入した判断ミスは問われるかもしれないが、特
急が高槻市に停車するようになったのは平成9年だからこれを予想した対応は昭和50年には無理。