07/08/05 15:23:50 SbrbpvLI
うちのおかんが紋別生まれの紋別育ちで、その昔、ちょっと遠出して遊ぼうという時は、
名寄に行くのが定番だったらしい。ご存じの通り、かつての名寄駅は名寄本線、深名線、
そして宗谷本線の乗り換えという、道北でも屈指の主要駅だった。未成線とはいえ名羽線の
始発駅にもなる予定だった名寄駅とその周辺は、それはそれは華やかだったとのこと。
駅前商店街は地元や乗り換え待ちの人で溢れ、紋別とは違うまさに都会の雰囲気が味わえたとか。
今の名寄駅前シャッター街からは想像もつかないが、かつてはそういう時代があったんだな。
余談だが名羽線開通の目的は、羽幌の石炭を紋別、網走、北見へと大量輸送することだった。
戦後間もない頃の紋別市民は、名羽線並びに名寄にかける思いはひとしおだったことだろう。
今は単なる通過駅となった名寄だが、国鉄全盛期の名残か、商圏は抜群に広い。名寄だけでなく、下川、西興部、
美深、音威子府、モシリ、風連、士別あたりが名寄の商圏と考えられるだろう。
今でも士別から名寄に買い物に行く客は多いが、その逆は少ないらしい。