宗谷本線part15at RAIL
宗谷本線part15 - 暇つぶし2ch347:名無し野電車区
07/07/26 14:19:00 XDU7T/z5
「知床旅情」が大ヒットし、「カニ族」と呼ばれた若者が道内を闊歩した昭和40年代後半から50年代の稚内駅。
空前の北海道ブームで夏の道内の列車はどれも大混雑していた。
宗谷本線も旅の若者と、折からのSLブームと相まって、夏の列車は若者達の顔で一杯だった。

朝6時過ぎ、札幌からの急行「利尻」が利尻・礼文に渡る旅人達を満載して到着する。
時には10両以上の客車を従えての到着だ。静かだった駅が途端に喧噪に包まれる。小さな洗面所は長旅の疲れを癒し、
新しい1日を迎えるため洗顔をする人でごった返す。
そして旅人はフェリー乗り場へといつ切れるとも知れない長い行列を作って歩いて行く。ホームではまだこの頃にも
客車から降りて来る人がいたりして、人で一杯の割には行動は何故かみなスローモーだ。当時道内各地で見られた
「ゆっくり走ろう 北海道」のステッカーの如く。
ようやくその列が一息つく頃、「利尻」は若干停止位置を移動して、今度は新聞など荷物を降ろす。
長大編成で到着すると荷物車がホームにかからないからだ。
やっと車庫のある南稚内へ「利尻」が引き上げる時間は、到着20分以上経過してからだった。
その頃になると、入れ替わって改札の前には大きな背負子やリュックを置いた長い列ができ始める。
旅人だけではなく、大きな荷物を持った一般客も多い。この人たちは7:05発だと思ったが、
函館行き急行「宗谷」の列だ。700km近くも離れた函館、さらには内地へと続く唯一の直行列車で、
青函連絡船を介して「八甲田」と連絡していることで、周遊券族の若者達の御用達列車だった。
だからなのか、発車の際には見送りの姿も多かった。「宗谷」の走り去った後の紫煙の残る中で、
涙を流す女の子の姿もあった。



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