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昭和43年まで 西代~兵庫間が併用軌道だった時代
820型から始まったデラックス特急のキャッチフレーズ「旅はこれでこそ楽しい」が
現すように、明石・姫路から神戸へ出るのは「旅感覚」であり、明石・姫路の都市圏と
神戸の都市圏が完全に分かれていて、神戸への通勤圏は精々垂水くらいまで。
山陽もそれに呼応したダイヤで、都市間列車としての特急が1時間1~2本の運転で、
ローカル輸送として普通車が1時間2~3本あり、それに加えて神戸都市圏輸送用に
須磨や西新町折り返し便が設定されていた。
通勤輸送としては、神戸都心部への通勤より播州の各工場への通勤者が多くあり、
沿線も「播州の工場通勤者向け」の住宅地として開発が進んでいた。神戸都市圏の
ベッドタウンとしての開発は明舞団地や多聞団地などが開発されつつあったけど、
明石以西はまだ無視されている時代。
沿線の生活も、明石や高砂がまだ商業面で元気だった時代で、神戸への依存度は
あまり高くなく、また神戸の商業も湊川の比重が高かった時代。買い物の目的地は
姫路・飾磨・高砂・明石・板宿、そして湊川が主だったところ。元町・三宮へ直通しない
山陽電車でも、さほど不便は感じない時代だった。