07/09/02 01:35:48 s0vtaFFK0
8月31日付けのブログに対する、9月1日のコメント欄は、
「リーマン教創設実行委員会」の隠れPR工作員総出での工作作業とでも言おうか。
五井昌久の論法(特に「消えていく姿」)を全部理解しないで書き込むのは仕方がないにしても、
「生かして頂いてありがとうございます」の中に、疑念を「隠し持つ」可能性がない、
と言い切る短絡的な論法に飽きれたのは私だけ?!「ありがとう教」とどこがどう違うの?
「生き切る」なんて言葉の響きに騙されるは、もう止めよう。
「忠実に働いて奉仕したのに、濡れ衣を着せられた挙句のリストラ」
「女手一つで手塩に掛けて育てた娘を、数万円のために拉致・殺害される」
そんな状況に、『「ありがとうございます」なんて言えるの?』という疑問を
2chの過去レスで、どれだけの人がリーマン氏に投げかけていたことでしょう?
その都度、そして現在まで、彼は本当に納得のいく回答をしたわけ?
リーマン・ブログは、まさに正教廃れて末法の様相を呈していますね(別に草加学会じゃないよ)。
2chの過去レス全部は、真客とやらのおかげで、文字でいつでも読めるのに、
まともに読みもしないで、教祖に懐く盲信者のための単なる証拠文献の山と使われ...
2chでの議論で1つの段階を乗り越えて、より大きなステージに行くのではなく、
昔の問題構成(プロブレマティーク)を乗り越えられず、堂々巡りの茶番劇。
反論ある人、どーぞ♪