07/08/09 13:30:38 SCTwdHph0
>>740
議論のための議論はしたくないのですが、
登山中に崖から滑落して足を挫いた懐疑論者はどうするのでしょう。
すべてを疑いながら、一番いい方法を考える?
一番いい方法を考えようとするのは懐疑論者でなくてもすることです。
僕に想像できないのは、すべてを疑いながら一番いい方法を考えている、
そのときの懐疑論者がとっている行動です。
再び尾根に向かって登りながらですか、ジッとして救援を待ちながら
ですか、そのまま沢を下りながらですか。
でも、それらの行動のすべてが懐疑の対象になるのでしょう。
真理・真実を求めながら、それが分からないという状況は、
いわばこの遭難者と同じ状況に置かれているということではないで
しょうか。
進歩するためには、既存のものを疑い、時には破壊しなければならない。
でも、一番重要なことは懐疑論を振り回すことではなく、
真理・真実に対する誠実さなのだと思う。
誠実ささえあれば、「霊界の存在はなかった」と分かったときには、
サッサとそれを捨てることもできるわけです。