07/07/21 03:20:56 j0MCHaFu0
その先生は,よく仏壇に手を合わす信心深い人であった.
〔略〕
ある夜,誰に起こされたわけでもないのにふと目が覚めて,
あっ,着替えて仏間にいかねば,と思った.
手早く寝巻きを着替えて仏間に行くと,家族全員が集まっている.
父さんも母さんも爺ちゃんも婆ちゃんも兄弟も.
もともと信心深い一家で,みんなで仏壇に手を合わせること自体は
別に不思議なことではないのだが,
こんな夜中に家族全員が集まる事は珍しい.
誰が呼んだわけでもないのに仏間に集まった家族達は,
わけがわからずぽかんとしている.
「なんや,おまえも来たんか,じゃあこっちおいで.いっしょにお勤めするけん」
父に促されたので襖を閉めて仏壇の前に座り,家族全員が仏壇に手を合わせて念仏を唱え始めた.
それが朝まで延々と続いた.
「さあ,もう終わりにしよう」
念仏を追えて仏間から出ようと襖を開けると,隣の部屋がない.
あたりは瓦礫と化し,煙がたちこめ,ぷすぷすと音をたてて燃えている.
原爆が落ちたのだ.
しばし茫然と立ち尽くす家族たち…….
家族のものは誰ひとり原爆の炸裂する音を聞いていないし,
仏間の襖は爆撃の風圧さえ受けていない.
だがもし,空襲に気付いて指定の防空壕に避難するか,
そのまま知らずに他の部屋にいたならば,絶対に助かっていなかっただろう.
こんなことがあって以来,先生は前にもまして仏壇に向かうことが多くなったという.