07/06/10 02:16:42 Pdy+Y9+t0
>>115
>人生に本当につまづいた事のない人は非情ですね。
望まずして追い討ちを掛けることになりますが、
自分だけが不幸、という思い込みは、自らを盲目にしてしまいますよ。
「自分の言葉に相手は何も心に感じていない」と受け取れる発言や態度に
反省の色さえないですね。例え見知らぬ相手でも、気遣うゆとりを持ってはどうですか。
何のための感謝(行)なのか。「悲劇の主人公」に自分を仕立てても、何もなりませんよ。
最近、集に一度は「コテの馴れ合い」批判に晒されているこのスレも、
思考停止するか、奥歯にものが挟まった言い方でやり過ごす、
安易な態度に逃げ込んでいる人が目に付きますね。
それぞれの道をそれぞれ行くのは勝手ですが、他の道を行く人から、
「そっちの道は行き止まりか、先に沼があるから危ないよ」と
親切に教えてもらっているのに、「放っておいてください。
私は自分の道を行きます。お花畑がありますから」というほど
馬鹿げたことはないと思いますが。
「類魂」の話は、誰にとっても「得意な土俵」なんかじゃないです。
欧米の心霊学で確立されているとはいえ、また、量子力学の素
粒子の不確定性なんかを持ち出して、理論づけされ、個の行為
の責任を曖昧にしてしまう、危険な思想になってしまっています。
リーマンさんは、集団に属することの危険性を唱え、一部の霊能者を「後天的憑依」、
「悪神の犠牲」と断じるだけの確信があるなら、自分の得意な土俵で話を完結させず、
錯綜する諸説に乗り出していって、欧米の心霊学にも是非メスを入れていただきたい。
これが言いたかったことです。
こんぺいとうさん、わかっていただけましたか?
金銭的にもそれほど困っていなくても、ガンにかかっていなくても
友達がいなくても、真面目にものを考えようとしている人は、
この世の中、貴方以外にも存在します。
貴方がすごく傷ついておいでのようなので、こちらも深夜時間をかけて
答えてみました。私からのせめてもの誠意です。