07/04/13 16:53:56 4jR5mATp0
小さい頃、じいちゃんが死んだ。俺は小さいから死というものがよく理解できず、
両親が変な服(喪服)を来て泣いてばかりいるのが不思議だった。じいちゃんは
箱に入れられて、変な服(白装束)を着せられていた。出棺後、車の中で「これから
どこへ行くの?」と聞くと、母は「おじいちゃんを焼きに行くのよ」と答えた。その答えが
何だか恐くて、母の膝に顔を埋めていたら、そのまま寝てしまった。
目が覚めるとすべてが終わっていて、俺は自宅の布団にいた。起き出していくと
両親は普段通りの姿で、母は夕食の準備をしていた。おかずは、豚の生姜焼き
だった(じいちゃんが生前好物だったらしい)。準備が整って、いざ食べようとした
とき、父がじいちゃんを思い出したのか「お父さん・・・」と言って泣き出した。
俺は、車中での母の話と合わせて、これはおじいちゃんを焼いた肉だと思い込んで
しまった。それでも両親が食べ始めたので、俺も食べた。旨かった。こんな素晴らしい
食事ができる俺はきっと特別な存在だと感じた。俺が「おじいちゃん おいしいね」と言うと、
母が「**ちゃん、おじいちゃんが見えるの?」と驚いた。俺は目の前の肉の事だと思って
「うん、ぼくの前にいるよ」と言った。その答えに両親が再び激しく泣き出したので、
これは間違いなくじいちゃんの肉だと確信した。
誤解が解けたのは小学生になってから
今では私がおじいちゃん。孫にあげるのはもちろん豚の生姜焼き。
なぜなら彼もまた特別な存在だからです。