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「4・3」の終わりと犠牲者数
さて本日のチラシには、済州島では10万人にのぼる犠牲者が出た、というふう
に数字があげてありましたが、犠牲者の数がいったいどれぐらいであったのかとい
うのは、現在に至るまで、実はよく分からない問題なんですね。ただ現時点で最も
有力な数字としては、まあ3万人くらいであろうと言われております。
「レッドハント」にも出てまいりましたが、済州道議会が最近、調査を行いまし
て、そこで1万5000名くらいの犠牲者の実名が明らかになりました。具体的に
どこに住んでいる誰が、この事件で死んだのかということが、明らかになってきた
わけですね。ところが家族全員が殺された場合、親戚も一人も残っていない場合な
どは、当然調査する術がないということがしばしば起こりますので、いまとなって
は氏名を明らかにできない人も含めるならば、おおよそその倍、3万人くらいじゃ
なかろうかというのが、済州島での一般的な見方のようです。
特に注目されるのはですね、済州道議会の調査でもそうだったし、それからこれ
は4・3事件が起こっていた当時、アメリカ軍の記録にもそう書かれていたわけで
すけれども、死亡者の80%以上は、軍、警察、それから右翼青年団によって殺害
された人々であるわけです。圧倒的多数は、権力の手によって殺された人々である
。そしてその中には、「レッドハント」にも出てきましたけれども、10歳以下の
子どもであるとか、60歳以上のお年を召した方が、たくさん含まれていた。これ
だけ見ても、4・3事件によって引き起こされた虐殺というのは、ゲリラ闘争、武
装活動とは何の関係もない人々を巻き込んで繰り広げられたものであったことの、
有力な根拠となるわけです。
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