07/01/25 13:20:29 JZf0KKw10
風景のなかに、たとえば枝の折れた木をみれば、もしかしたら嵐の日に折れたのかもしれない、という無意識の推測をして
その場に異変や危険な徴候がないか判断をするのが生物に備わっている基本的な能力だと思う。
すると、どこかの見知らぬ家のなかに入り、壁に穴があいていれば誰かが暴れたのかもしれない、と思うかもしれないし、
シャッターの閉まっていない商店が軒先に明りがついてないのをみれば、店をあけているのに不自然だな、と思い
店先が片付いていればいまは丁度掃除をしていたところで、なにかの用事で今だけ主が引っ込んでいるだけなのかもしれない、
などと創造力が働いてくる。
ところが、自分自身の生命力が衰えていたり不安があったりすれば、そういった観察力や洞察力を鋭敏にしていちはやく身の危険を
察知しなくてはいけないし、身の危険を感じたときに色覚が鮮明に感じられたり嗅覚が異常に敏感になったりするように、
の気配などをより鮮やかにイメージしはじめるのかもしれない。>>384さんのようなユウレイ体験を聞くと、いつもオレは
そういう理屈が働いているのじゃないかと思うのだ。