07/03/02 08:51:28 1xluat0V
『愛を笑い飛ばす女たち』(新潮社)から
夕方、水着に着替えて、タオルを持って、サンダルを突っかけて、水場まで行く。
~略~
先日、そこに先に陣取っていたサーフィン少年たちが歌うように声をかけてきた。
「サ・ソン・ラ・シャット」
おまんこ臭うよー、という意味だそうだ。だが、涼しい夕暮れ時の海辺、
タヒチ語の歌うような響きを残したフランス語で明るくいわれると、淫猥な感じをしない。
別の時、水場で汲んだボトルを車に積みこんでいると、自転車に乗った13、4歳のふとっちょ少年とすれ違った。
昼間の路上である。後ろには弟らしい7歳ぐらいの男の子がやはり自転車に乗って続いている。
ふとっちょは私とボトルを見ていった。
「セ・パ・ココロ!」
そいつはココロじゃないよ、という意味だが、ココロというのは、タヒチ語でペニスのことだ。
彼らの性に関する言葉は、とても明るく屈託がない。いったい日本でこんなことが考えられるだろうか。
十代の青少年たちは、性的な言葉を歌うように投げつけることはできない。性的な言葉に対する後ろめたさ、
性交への罪の意識、そこからくる反発、さまざまな社会的な重い鎖が言葉にまとわりつく。
そういった意識の中から吐き出された性的な言葉は、猥雑でじめじめしていて、投げつけられたほうは糞をなすりつけられた気分になる。
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「マンコくせーんだよ!」「それチン子じゃねーよオバハン!」と罵られても、「まあなんて開放的!それに比べて日本人の陰湿さときたら!」と何でも日本人批判に結びつける坂東先生w
坂東眞砂子先生・ご尊顔
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