もし関羽以外の者が荊州を守っていたら?at CHINAHERO
もし関羽以外の者が荊州を守っていたら? - 暇つぶし2ch100:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 12:17:15 NBrSTMpA0
あ、書いてたら>>97とかぶったw
ごめんなさい

101:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 13:17:34 yFBMtM/G0
>>98
そりゃ違うと思うね。
劉封の悲劇は、劉備が劉封に対して立場を配慮した人事をしなかった事であり、
もっと遡れば養子にとられたこと自体が悲劇の始まり。
孟達が指摘するとおり劉封の立場は微妙であり、劉禅からすれば脅威になりかねない存在
諸葛亮の提言は実に理に適っており、政権の安定性を考えるならば仕方の無い処置。
また劉封自身にも上庸においての罪もある。

魏延は諸葛亮の下でも栄達を続けており、諸葛亮に暴言を吐いても
同僚と問題を起こしても我慢強く使ってもらってる辺り
諸葛亮の指揮下に居た事は決して悲劇ではない。
魏延の悲劇は自分が全軍を担う将軍の器と勘違いしちゃった事だろう。
諸葛亮の撤退命令を無視して楊儀と政争を起こした事も魏延自身の判断に基づいた行動だし
誰かのせいと責任転嫁できる類のものじゃない。

102:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 16:03:14 MJ437q/mO
皆さんの意見は筋道が立っており概ね同意できました。
まあ、ロマンと妄想の一つとして「劉封大器説」を唱えたくなりまして…
歴史は勝者が記すものですから、
敗者である劉封があまり良く書かれなかったのではなかろうかと推理しまして。

確かに当時の劉備陣営としては関羽張飛ぐらいしか大将がいなくて
あの配置が最善であったろうというのは理解できます。

そうなるとやはり、勝敗は兵家の常ながら関羽の不覚が惜しまれますね。
南荊を失う事なく呉軍を撃退できていれば…と思います。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 16:23:19 dHleCWf10
武勇に優れ~、張良陳平の風があり~、知略に優れ~て評は一種
のきまり文句みたいなもんで正史には頻繁に使われる常套句。
剛勇的に書かれてる=名将なんて評価してたらどうなんだよw
三国志だけ読んでるなら誤解するのかもな。

劉封は普通に将軍としては使えるが一線級に及ばない並鄭度の
戦術レベル将軍ってとこだろう。

結局孤立した荊州てのはそれだけ難しいんだよ。
三国時代のおかげで発達した襄陽含む荊州が肥沃だから割拠しようぜ!
という意見が出てもあえてほかの地を拠点にする英雄もいるくらいな。 

蜀には、遣れる人間が親分と舎弟関羽しか居らず恐らく高能力将軍で
あろう魏延はまだ若干実績が足らず性格的に関羽と同じ問題を起こす
可能性もある。 張飛は漢中でヘマを減点されており親分が使う気
がなく、諸葛亮もこの地点でまだ官位も高くなく趙雲なんて全く
不向き。劉封は単独でやる器では到底ない。馬超は軍閥帰参という
意味で評価されてるが実際微妙な存在なので使えない。
よって使えるのは関羽と劉備しかいない。
 
劉備は歴戦の男だが符堅らと似た英雄。優れた大器だが統一者に
一歩及ばず肝心な所で失敗をし下手すりゃ戦死、捕虜というな。
劉備が守っても失墜戦死でも十分ありえる。 そういう微妙な
政権だけに人材も少ない。

ここは関羽がやはり守り、孫権に譲歩して割譲これが当面妥当
じゃねーか。

104:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 16:49:39 NBrSTMpA0
>>99
自己レスだけど
仮節と仮節鉞をちょと調べてみた。

仮節は、まぁ普通に自分が指揮する軍内の処罰権限。
張飛が下の者に厳しく当たり過ぎってことを劉備が諌めたセリフ、

卿刑殺?過差,又日鞭?健兒,而令在左右,此取禍之道也

これって仮節が無いと出来ないことね。
仮節を持ってない魏延は鞭打ちくらいは多分太守の権限で出来るだろうけど、
処刑などは出来ない。しようと思ったら劉備に問う必要がある。

んで、仮節鉞は
①独自の軍権
②軍に留まらず、官位持ちをも裁く権限

二つ説があるようだけど、前者ははなはな疑問。
そもそもこの時代に限らず、独自で軍を動かしていい権限とはほぼ独立を承認したも同然だし、
中国の伝統である文>武に物凄く反している。
こんな危険な官位が(劉備との特別な関係を持つ)関羽だけでなく漢や魏にもあって
しばし独立した軍権など必要がない者に与えられている事からも否定されると思う。

後者は三国の時代から100年ばかり経った時代になるけど

使持節
持節
仮節

使持節が二千石以下の官職を処罰できる官位だったらしく、
持節が軍に関わることなら二千石以下の者を処罰できる権限。
仮節鉞が使持節に相当するとなると、事実上外交権を除いた荊州の全権になってしまうのでこれは無いと思う。
いくらなんでも平時に置いて太守の処罰権などありえないから持節と考えるのが妥当かな。

さらに掘ってみると鉞っていうのは殷周の時代から処刑道具として皇帝の権力を現していたものだから、
具体的な軍事権限と見るより、それに纏わる人事(処罰)権の一種と見たほうがより納得できる。

105:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 17:07:56 NBrSTMpA0
>>103

張飛は漢中でヘマを減点されており親分が使う気
がなく

↑これについて詳しくお願いします
どういうヘマをして劉備からしかられたのか、教えてください。

漢中前哨戦で張コウを破った記述しか知りません・・・・

106:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 19:52:02 NBrSTMpA0
>>99 >>104
さらに自己レス・・・何度も申し訳ない
関羽・張飛・馬超・黄忠の四将軍は三品官相当。
趙雲の虎威将軍は恐らく四品官相当の中二千石。
魏延の鎮遠将軍と劉封の副軍将軍は五品官相当の二千石じゃないかな。
ただし、魏延は督・太守も付いてるので名は二千石で実は中二千石という、
実権の話は置いといて名目上は趙雲より微妙に下の位置だったと思われる。


>>102
上から数えると、劉封は軍の第四クラス(魏延を2.5とすると第三)のラインにいたわけだけど、
これを高いとみるか妥当と見るか低いと見るかは貴方次第。
私は30弱で軍に付いてから十年未満の人間からすると異例の出世速度だと思う。
逆にいえばコレが限界。


ちなみに諸葛亮が益州平定後に軍師将軍(左将軍府事)で漢中平定後がよくわからないんだけど
劉巴が尚書
蒋?が尚書郎
法正が尚書令・護軍将軍
だから法正よりちょい下と見れば趙雲と同格くらいと思われ、
こうしてみれば劉封の官位は本来より不自然に高いが、
荊州を治めるには低いということがわかってもらえると思う。

まぁ一番不自然なのは黄忠なんだけどねww

107:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 20:03:33 yL6pW3BD0
魏随一の猛将夏侯淵をあぼんさせたのはそれだけの仕事じゃないだろうか

108:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 20:31:52 4P1RuB/V0
当時の蜀の将軍位を指して、何品だからどうのってのは意味無いと思うけど。
劉備時代の蜀に九品官人法を当てはめられるとは思えないし。

驃騎将軍や車騎将軍などを除けば、四方将軍が蜀では最も高位の将軍位で、
それに次ぐのが四鎮だろう。
趙雲の虎威将軍は、趙雲別伝に「軍中では趙雲をなして虎威将軍と号した」とあるだけだから、
実際に拝命しているかは分からない。
本文どおりに翊軍将軍としておく方がいいと思う。

鎮遠はよく分からないけど、劉備を漢中王に推挙する上表で、征西将軍黄忠に次ぎ、
揚武将軍法正﹑興業将軍李厳を凌ぐ位置として、頼恭が就いているところを見ると、
将軍位としてはそこそこだろう。
副軍将軍のついては劉封の記述しか出てこないんで分からないが、
上記の通り四方や鎮遠よりは下だし、翊軍も後に霍弋がこの将軍位を帯びたまま、
統南郡事であった事を考えると、単なる雑号よりは上かもしれない。

109:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 20:38:32 0qpY+d2oO
荊州の人民物質を全て蜀に移してたら…

110:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 21:43:49 NBrSTMpA0
>>108
だから「相当」ってつけてるよ。序列をわかりやすくね。

虎威将軍の件だけど、どうしてもそう呼ばれただけとか称しただけとは思えないんだ。
実際に虎威将軍位はあって、魏と呉の話だけど中々の人物が拝してる役だし、
その人たちの官位歴を見ると四方将軍就任の前に大体位置してるから雑号の中では相当上だと思うよ。
(功を建てたばかり)趙雲だけ翊軍のままで、昇進から外れたと考えにくい。
だから別伝が何かしらの理由で本伝には書かれなかった事実を、捻った言い回しで付け加えたんじゃないかな?
つまり実は魏呉の虎威に相当する将軍に昇進したんですよ、と。

鎮遠は頼恭が元々ほぼ実権は無かっただろうが交州刺史だったことを考えると
それなりの雑号だと思う。特に征西の次、雑号の筆頭に来ている辺りね。
もし虎威が魏では四征の真下の雑号(一気に四方に昇進できる射程内の位っぽい)で、趙雲がそれに相当する将軍位だったとすると
>>106は一応格好つくかなw


111:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 22:19:10 4P1RuB/V0
>>110
別に「相当」ってのはいいけど、四方が三品相当で、
虎威が四品相当で、鎮遠と副軍が同格の五品相当だとかってのは、
何を根拠にしてるのさ?
明確な根拠も無いまま言ってるんだったら、余計混乱するだけで分かりやすくならないと思うよ。

虎威将軍に関しては、任命されたとは書いてない以上、
そういう昇進をした、と当たり前のように書くべきじゃないと思う。
翊軍だって、霍弋はそこから安南将軍に昇進しており、
安南将軍は馬忠の例を見れば、鎮南大将軍という、
驃騎将軍等に次ぐ将軍位への昇進も可能なものであって、
翊軍から征南にいったって不自然は無いと思うよ。

112:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/16 23:22:57 a8Ay37JH0
張飛は下弁での一戦の失態。劉備の運用法として結果を出せば昇格
失敗すれば降格ないし重責を他に任せるというパターン。
張は張コウを退けたがその後217年上の失敗をしたため本来彼の仕事を魏延が
遣ることになった。

黄忠は蜀では最高レベルの功績をもらっても全く不思議はないだろうな。
官職は単に計算化したような実績の積み重ねを表すものじゃないし、
対外面での誇示も当然あるだろうし。

九品中正てそんな単純に定義付けできんの?4品以上なんか明確に。
俺もあの本読んでないからわからんけど。
まぁ検索すれば、石含め誰かが書いた対応表みたいなのはでてくるけどさ。

113:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 04:47:22 1Hd+MDv1O
何にせよほう統が生きてれば趙雲と守ってるはず

114:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 05:49:49 zvZonXLA0
>>112
下弁の失態って、馬超も同伴してたやつ?

>>113
趙雲はねえだろ、いくらなんでも。

115:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 09:34:36 hFtrZqgyO
たしかに、趙雲はないわな。
張飛と縻方なら納得するだろうよ。
荊州が維持できるかどうかは解らないがね。

116:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 14:13:24 TGouezC80
>>113
趙雲って劉備が皇帝になるまでずっと下っ端の将軍、
劉表の配下として実績があった黄忠は元より、
兵卒ぐらいから成り上がった魏延よりはるか下だから。

117:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 15:29:26 tOmSXNU/O
>>113
策謀に長けたホウ統と組ませるなら張飛だろうな。
趙雲だとホウ統にいいように使われるのがオチで
劉備側としてはホウ統の離反独立を警戒せにゃならん。
(ホウ統にその意思があるないにかかわらず)

そうなると張飛あたりと組ませて牽制する必要がある。
関羽だとホウ統と喧嘩になる可能性もあるし。

まあ「生きてたら」の話だけどね。

118:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 15:38:06 ZpZxIhfZ0
ここよんで分かったんだが趙雲ってけっこう位低かったんだね(´A`)
かるくショック

119:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 15:57:04 fHVcANqqO
てか黄忠って特別すごい武将でもないだろ

120:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 16:04:07 6DjCEley0


121:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 16:34:52 aF6IWUGl0
>>119
記述が少なすぎて、凄いのか凄くないのかすら解らん

122:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 17:36:46 yiJdMSqq0
記録で残っていない部分で凄いものがあった可能性。

123:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/17 22:48:26 KNtUiLnhO
劉キさえ長生きしてたら万全だったのにな。

124:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/18 03:02:38 6rCjXYXTO
劉封以上にないわ。
仮に壮健だったとして、いや壮健ならば尚更。

125:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/18 07:29:10 EBW9STTI0
ここまで読んでみたがなかなか面白かった。
俺が皆の意見を読んだ限りではやっぱ関羽がベストっぽいな。
荊州維持については人事でどうにかできる問題ではない感じだね。

126:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/18 08:58:58 gppGDiBVO
俺は魏延に任せたいな。
張飛を押さえて要地漢中の太守を任されたことから、劉備からの信頼+本人の実力がわかるし。
本人も荊州出身だからやりやすいでしょ。
だから魏延と荊州派の人々で旧劉表軍みたいな感じで。

てか元々、関羽が関平とカップリングで攻めなきゃ良かったとも思う。


127:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/18 11:40:06 h7SRG6bC0
>>125
ベストというか、現状ではそれより優れた選択肢がなかったというか。

荊州維持に関しては、あの時点で北上した時点で間違いだからな。

128:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/18 23:47:25 oG7cgQHd0
曹操陣営のジョジョを策か何かで無理やり引っ張って来て関羽の補佐。
ジョジョ本人は建前を気にしてるから、誘拐やら何やらで既成事実を作って、
世間的には「ま、しょうがないかその状況じゃ」って形にする。
黒い策なので法正あたりに実行させて

「そのような策は好まぬ」
「殿の大事の為には時として非情にもならねばなりません」
「むむむ」
「私も法正殿に賛成です」
「孔明もか・・・いたし方あるまい」
「あまり深く考えなさらぬことです」
 
風にすれば横山先生的にも問題なし


129:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/18 23:53:29 oG7cgQHd0
陣営の中では劉封かな。
ネームバリュー(蜀での)で関張に匹敵しそう。君主の息子って事で。
馬超は北方の方が有用できるし、孔明法正は蜀科に必要だし、張飛あたり
上庸らへんにおいて、有事の際助けさせると。
張飛なんか危機になったらちゃんと飛んできそうだし。しかもあの頃の張飛は援軍に向いてそう

130:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/19 00:07:44 1FsAY3XX0
さらにレスすると、劉備駐屯意見に関しては、素人考えから見て
前々から本拠地に分捕ってやろうと考えてたのが蜀であって、それが成就し
本拠地が蜀である訳で、漢中ケイ州は有事の最前線なんだろ?
曹操が合肥に駐屯したりする様なもんで危険極まりないと思うが・・・
考えとして劉備以下全員の頭にはなかったと思う。君主は首都にいるモンだろう。



131:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/22 20:45:30 1xKUhsDs0
厨臭さ全開のスレだな

132:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/23 13:59:41 v8h9YvF50
関羽以外荊州を守る適任者がいなかった。廉頗や趙奢のような守備撃退
のプロ、三国時代の張遼や徐晃のような連中でもあの状況と国力で守備
と攻勢を両面で行うのは至難。

彼らに及ばない関羽にどうしてできただろう。

君主が首都にいるのは平穏な時くらいで、長期統一政権の皇帝ならまだ
しも非統一政権なんか緊急時には自ら前線へ出張る 親征は普通にやるし
やらざる得ない。危険だが士気上げには強力に有効。だが負けて捕虜に
なったりその後殺された皇帝もいる。

劉備がケイ州に駐屯しても彼の頭に攻勢の2文字がある以上敗北が約束
ずみ。 呉は揚州という過疎地帯をしょってる以上絶対にケイ州は奪回
する必要があるしその大義名分もある。

結論として関羽しかいないが仮に劉備が守っても同じ結果となる。
ケイ州を攻勢を掛けつつ守るというのは蜀の国力では所詮不可能であった。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/28 12:34:03 Um4MC3IN0
BSジャパン 10月7日(日)10:00 [新]中国歴史ドラマ 関羽

134:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/28 22:12:38 rX9pln+T0
レンパを抜ける武将は三国時代に存在しないだろう

135:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/28 22:16:56 UvYc0SCb0
極端なこと言っちゃうと
関羽であっても北上させずひたすら江陵守備。劉備も北伐を諦めて危急時に
すぐに援軍に派遣できる体制を整えておく。これなら荊州も失わなかった
だろうと思う。

逆に北伐を考えるのなら孔明の陸中対ですでにあるように呉との同盟・友好
関係が絶対不可欠。それが成しえないのなら、関羽の変わりに趙雲だろうと
張飛だろうと魏延だろうと劉備本人だろうと北伐は無理。

136:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/29 17:38:42 hwLSGBbB0
廉頗は、後ろの王さえ馬鹿なら抜ける。史実でもそうだしな。

137:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/29 17:40:40 D3QmKwqU0
URLリンク(takacccc.cocolog-nifty.com)
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138:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/29 19:09:49 2UZ+ysZb0
>>135
孟達あたりとの連携が今ひとつ無かったのも痛いな
もし彼らの弁明通り上庸が不安定だったのならば、
安定するまでは無理な遠征は絶対厳禁だったと思う。

139:臣 姜維曰く
07/09/30 00:47:42 px7pW+ba0
基本は
成都 劉備、劉巴、黄権
荊州 関雲、馬良、孔明
漢中 魏延、法正、黄忠  
遊軍 張飛、趙雲、馬超
趙雲、馬超、黄権は街亭を取り、魏延、黄忠、法正は長安攻略し
長安取った後、趙雲(守りのは得意)を太守し、補佐に法正、黄権。
張飛を漢中に(馬超を見張るため
魏延、雷銅、呉蘭は上庸に
劉備、黄忠は信陵に移す、成都太守は蒋碗に
関雲、孔明は曹仁攻略、と同時に劉備は江陵、黄忠は公安に。(呉を牽制
曹仁を倒した後、江夏攻略、江夏取れたら呉を恐れることはないと思う
士元兄、君の死は決して無駄じゃない



140:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/30 00:55:08 bYXsYH6Y0
関羽は攻めには強いが守りには弱かったんだろうな。
守備ではなく、攻勢に出られる場所に配置すればよかったと思う。

141:臣 姜維曰く
07/09/30 00:59:30 px7pW+ba0
>>140 孔明が後詰するから問題ないと思う

142:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/30 02:23:15 mq36XgJH0
>>135
荊州を防備一辺倒にするって感じだね。
同時に上庸を安定させたり、蛮族を帰属させたりしたら北伐が出来るだけの国力が手に入る。
劉備以下の年齢がネックになるけど、それを除けばまずまず良い案だと思う。
ていうか、これ以外に荊州を保持できる現実的な案ってあるだろうか?

143:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/30 04:09:13 onSQKTY70
関羽は攻めは、当時名将の位置に居た于禁を降伏させて、
ホウ徳をぶっ殺してますからね。


144:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/30 10:35:53 EHQLQOl2O
于禁の軍は洪水で孤立して、関羽に敗れたようだけど
関羽の軍はどうして洪水から逃れられたのだろうか
案外洪水は演義のように、関羽の計略だったんじゃね?

145:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/30 17:19:41 x6aWhIxC0
カンウとチョウヒの両人が守っていたらだめだったの?
カンウとチョウヒがお互いを補完しあえばよい。
漢中平定後のカンウ荊州統治時代後半ってチョウヒはそんなになんか表立った仕事していたということもないし


146:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/30 17:23:54 x6aWhIxC0
カンウに荊州統治を指示したのはカンウの名声が天下に知れ渡っていたことが大きいだろ。
曹操に仕えていたこともあり、その時には実績も残している。曹操家臣団からも知られていて一目置かれる存在。


147:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/30 19:22:18 onSQKTY70
関張、両方手放したら漢中が危ないだろ、
魏延は成長、黄忠は老体、馬超は夷族に使用途中。

駒が足りんのだよ。駒が。

148:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/30 19:23:27 onSQKTY70
魏延は成長途中ね。オレも途中でカキコしてましたーっと。


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