06/12/17 13:36:44 nAZZOTwH0
長江南の賊軍を平らげたあと、襄陽に出張ってきたとき、岳飛はついに節度使となって
荊、襄、潭… などを任された。 このとき武昌開国子の爵位ももらっているけど
いわば南宋支配領域のどてっぱらに岳飛個人に忠誠が篤い固有の軍団がいるといった感じ。
…これに危機感を覚えない政権は、末期で滅び行く過程か、あるいは初期立ち上げ時期のみだけと思う。
漢の韓信より危険に映ったことだろう… そしてそういう実力者は、たいてい粛清の憂き目に会うとも相場が決まっている。
岳飛個人にその気が全くなくても、他方はそうとはとらない。
それにしても岳飛の戦歴はすごいものがある。
六戦皆捷。 四戦皆捷。 とにかく、この「皆捷(=全勝)」が良く出てくる。