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小河内貯水池は、戦前に工事を開始し、戦争による工事の中断もあって、
完成までには二十年という長い年月を費やしました。
完成までの経過をかえりみますと、昭和七年、多摩川のこの地点にダムを築き、
その貯留水を東京の水道水源にしようとする計画が、当時の東京市会で決定されたねです。
そのころ東京市の発展はめざましく、市民の水道使用量は、年々増加していましたので、
大東京実現のために、欠くことのできない水道の基本計画として打ち立てられたものです。
この計画によって、旧小河内村(現在の奥多摩町の一部)の大部分と丹波山村、
小菅村の一部が湖底に沈むこととなったため、村民への移転保証が最大の問題となりました。
しかし、小河内村村長であった小沢市平氏の大英断によって、関係村民のご理解が得られ、
また、ダム建造にともなう水利その他の問題についても、国および神奈川、山梨両県、
並びに東京電力株式会社の深いご理解とご協力によって、それぞれかならの日時を費やしましたが解決し、
昭和十一年七月に政府の事業認可が得られ、昭和十三年十一月から本格的工事に着手しました。